【憤り】世界最強米海軍4人VS数百人のタリバン兵。死線を脱しただ1人生還を果たした奇跡の実話:『アフガン、たった一人の生還』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:マーカス・ラトレル, 著:パトリック・ロビンソン, 翻訳:高月園子
¥2,750 (2022/07/20 21:08時点 | Amazon調べ)

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「民間人だから」という理由で羊飼いを殺さなかったことで絶体絶命の状況に陥ってしまう
  • 壮絶過ぎる戦闘で3人が命を落とし、著者1人が奇跡的過ぎる生還を果たす
  • 「交戦規則(ROE)」に対する著者の憤りと問題提起

あまりイメージすることのない「戦場の現実」をリアルに感じさせてくれる衝撃的な実話

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

世界最強と評される海軍部隊4人が数100人のタリバン兵と戦闘、たった1人奇跡的に生還を果たしたという衝撃の実話『アフガン、たった一人の生還』

凄まじい物語だった。本書を原作として、『ローン・サバイバー』という映画も制作されているのだが、もしフィクションだったら、小説でも映画でもとてもリアルには受け取れなかっただろう。

またこの作品では、普通に生きていればまず関わることがない「交戦規則(ROE)」についても触れられる。「『戦争』という現実が持つ『矛盾』」の多くがここに詰まっていると言ってもいいのではないかと感じさせるものだ。

ウクライナとロシアの戦争が続いている現在、そして北朝鮮や中国など近隣諸国との火種を抱えている日本においても、決して無視できる話ではない。「奇跡の実話」という面だけを楽しむことも出来る作品だが、広くは知られていないだろう「戦争のルール」についても理解できる作品だ。

著者マーカス・ラトレルは、何故アフガニスタンへ行き、いかに奇跡の生還を果たしたのか

まずは、本書の大筋の流れに触れていこうと思う。

アメリカ海軍には、「世界最強」と評される<SEAL(シール)部隊>が存在する。そして彼らは、9.11テロを実行に移したタリバンを壊滅させるためにアフガニスタンに派遣された。仲間と4人で、必要な任務を遂行するために日々奮闘している。

そんなある日、彼らを危機に陥れる出会いがあった。山中で羊飼いと遭遇したのだ。

武器を持っているわけではない羊飼いとの遭遇がなぜ危険なのか? それは、その羊飼いは当然、「あそこに米兵がいた」とタリバンに告げるはずと推測されるからだ。今ここでこの羊飼いを見逃せば、4人はしばらく後に窮地に陥ることが目に見えていた。命を懸ける兵士の通常の判断であれば、「羊飼いを殺す」という結論に達するはずだ。

この男たちを自由にするなんてことは、絶対にできない。だが困ったことに、おれにはもう一つの心があった。それはクリスチャンの心だ。そしてそれはおれを圧倒しようとしていた。心の裏側で、これらの非武装の男たちを平然と殺すのは間違っていると、何かがささやき続けていた。

しかし、ことはそう簡単ではない。後で詳しく触れるが、ここに「交戦規則(ROE)」が関わってくるのだ。その中には、簡単に言うと「民間人は殺してはならない」というルールが存在する。羊飼いは明らかに民間人だ。だから、兵士である自分たちがこの羊飼いを殺せば、「交戦規則」に違反してしまう。それは、「戦争」が明確なルールに則って行われるようになった現代において、非常に大きな問題だ。

まっすぐにマイキーの目を見て、おれは言った。「こいつらを解放するしかない」 それはおれがこの世に生を受けて以来した、最も愚かで南部的で間抜けな決断だった。とても正気だったとは思えない。

最終的に彼らは、羊飼いを見逃す決断をした。そしてやはり予想した通り、彼らは絶望的な窮地に陥ることになる。周囲に遮蔽物の一切ない、戦闘にはおよそ不向きとしか言いようがない場所で、数百人のタリバン兵を相手に戦闘を行わなければならなくなったのだ。

その闘いは壮絶なものだった

本書の冒頭では、<SEAL部隊>がいかに尋常ではない訓練を行っているのかが描かれる。「世界最強」と謳われるのも当然だと感じるほどの凄まじさだ。しかし、そんな彼らであっても、数に押されたらひとたまりもない。タリバン兵も一定の訓練は受けているし、戦術に対する理解もある。4人で立ち向かえるような状況ではないのだ

生還したマーカスは、その時の戦闘を描写する。親指を吹き飛ばされても、腹を撃たれても、何度崖から落ちても、彼らは闘うことを止めない

世界中のどの三人の男をとっても、あの山岳地帯で、おれの仲間たちほど勇猛果敢に戦った者はいない。ほぼ完全包囲された状態にありながらも、おれたちはまだ最終的には敵に勝てると信じていた。まだ、弾はたっぷりあった。

撃っても撃っても、タリバン兵はうじゃうじゃと湧き出てくる。死を恐れずに突っ込んでくる、無限にも感じられる襲来は、彼らを絶望させただろう。どう考えても絶体絶命だ。しかも、彼らが闘っていた場所にはまともな遮蔽物がなかったことも、闘い方を一層困難にする。

そんな状況でも彼らは、とにかく最後まで闘い抜く。その凄まじさに圧倒された。

最終的に、仲間の3人が命を落とす著者は奇跡的に命拾いした。そこには、強靭な精神力も関係していたと思うが、やはり運の要素もかなり大きかっただろう。

ともあれ著者はどうにか生き延びた

しかし著者にとっては、まさにここが困難の始まりだったと言っていいだろう。彼は全身撃たれ、あちこちの骨が折れ、体中に激痛が走る状態で、連絡手段を一切持たないままアフガンの荒野に取り残されたのだ。周囲にはまだ、タリバン兵が大勢残っている。彼らに見つかりでもしたら命はない。

普通なら、ここから生還を果たすなどまず不可能に思えるだろう。しかし著者には、幸運に次ぐ幸運が舞い込んでくる。あり得ない奇跡が連続して起こったことで、彼は見事生還を果たすことができたのだ

まず戦闘で生き残ったことが奇跡だし、ボロボロの身体でタリバン兵に見つからずにかなりの距離を移動できたことも大きかった。また、この記事では触れないが、その後に起こった展開もまさに奇跡と呼ぶしかないものだったのだ。

さらに彼の生還には、<SEAL部隊>のある教えも関係していた。

アメリカ国内では、「<SEAL部隊>は全員死亡した」と報じられていたそうだ。当然だろう。状況から考えて、生存者がいるとは想像できない。

一方、<SEAL部隊>にはこんなモットーもあった

死体が上るまでは決して潜水工作隊員の死を決めつけてはならない

このモットーに従ってアフガニスタンで作戦に従事していた者がいなければ、最終的に彼がアメリカへと帰還することはなかっただろう。「祈り」が届くなどと考えることはないのだが、やはり、祈らなければ叶わない奇跡も存在するのだと実感させられた

マーカスは帰還後、3人の仲間がいかに勇敢だったかを遺族に伝えてから本書を執筆、そして驚くべきことに、再び兵士としてアフガニスタンの戦場へと戻ったそうだ。

そんな「凄まじい」としか言いようがない経験をしたタフな男の、衝撃的過ぎる実話である。

「交戦規則(ROE)」に対する憤り

本書では、<SEAL部隊>の凄まじい訓練や、アフガニスタンでの壮絶な戦闘など様々な話題について描かれるが、その中には、著者の「交戦規則(ROE)」に対する憤りも含まれている。

「交戦規則」というのは基本的に、「戦争におけるルールブック」だと思えばいい。どういう場合なら戦闘が許容されるのかが定められているのだ。国ごとに「交戦規則」の規定は異なると思うが、その中には大体、「民間人を殺してはいけない」という決まりがある。このルールは、それだけ聞けば「当然だ」と感じるようなものだろう。

しかし著者は、こんな言葉で「交戦規則」に対する憤りを示す

けれども、レンジャー、シール、グリーンベレー、その他何であれ、そういった米軍戦闘兵士たちの観点からすれば、交戦規則は非常に深刻なジレンマを突きつける。おれたちもそれを守らなくてはならないことは理解している。なぜならば、それはおれたちが仕えると誓った国の法のもとに定められたルールだからだ。しかし、それはおれたちにとっては危険を意味する。世界的なテロとの実践場でのおれたちの自信の土台を揺るがす。さらに悪いのは、それはおれたちを不安にし、弱気にし、ときに及び腰にさせる。

世界最強である彼らが、なぜ「弱気」「及び腰」になってしまうのか。その理由を端的に説明した、著者の仲間の言葉を引用しよう。

(羊飼いの)死体が見つかったら、タリバンのリーダーたちはアフガンのメディアに大喜びで報告するだろう。それを聞きつけた我が国のメディアは、野蛮な米軍についての記事を書き立てる。ほどなくおれたちは殺人罪で起訴される。罪なき非武装のアフガン農夫を殺したからだ。

羊飼いを殺さなければタリバン兵に襲われることは分かっている。しかしそれを阻止するために羊飼いを殺せば、彼らは殺人罪で起訴されてしまうかもしれないというわけだ。

私は決して、「民間人を殺してはいけない」というルールに異を唱えたいわけではない。やはり、そのルールは絶対的に必要だと考えている。しかし、そのようなルールが存在することで、兵士たちは本来の力を発揮できなくなってしまうのだ。

そもそも敵もアメリカの交戦規則を理解しており、いかに利用するかを考えている

アフガニスタンにおける交戦規則には、おれたちは非武装の一般市民を撃っても、殺しても、負傷させてもいけないと明記されている。しかし、その非武装の一般市民が、おれたちが取り除こうとしている違法部隊の熟達したスパイだった場合はどうだろう? または、一般市民を装ってはいるが、実は様々な形態をとって散らばる、きわめて強力な秘密の軍隊で、アフガニスタンの山岳地帯を這い回っているのだとしたら?

こういったテロリスト/暴徒は、イラクでもそうだったが、おれたちの交戦規則のことを知っている。それはおれたちのルール、世界のより文明が開けた側である西側諸国のルールだ。そしてテロリストというテロリストが、このルールをどうすれば自分たちの味方につけられるかを知っている。でなければ、駱駝遣いたちは銃を持ち歩いているはずだ。

タリバンがアメリカの交戦規則を利用するのは当然だろう。「勝つこと」がすべてに優先される「戦争」においては手段を選んでいられないし、まして「アメリカの交戦規則を利用する」のはルール違反ではないのだから、そこを衝いてくるのは当たり前の話だ。

そんなわけで、「アメリカの交戦規則を利用するタリバンは卑怯だ」みたいな主張を本に書いても意味はない。著者は本書を通じて、むしろアメリカ国内に向けてメッセージを発していると言っていい。それは次のようなものだ。

おれたちはそこに行く。一日中。毎日、しっかり任務をまっとうするか、あるいは途中で死んでしまうか――アメリカ合衆国のために。しかし、おれたちに誰を攻撃していいかを指図するのはやめてくれ。その決定はおれたちに、軍に、委ねられるべきなのだ。進歩的なメディアや政治家のグループがそれを受け入れられなければ、戦場では死ななくていい人間が死ぬ羽目になる。

シールは他のどんな敵にでも対処できる。ただし、それは合衆国におれたちを刑務所に入れたがっている人間がいなければ、の話だ。だからといって、相手が非武装のアフガン農民に分類される可能性があるというだけの理由で反撃することもできずに、喉を掻き切られるのをただ待って山の中をうろうろしているなんてことは絶対にごめんだ。

著者は、もっと直接的にこうも書いている

今のおれのこの姿を見てくれ。拷問され、撃たれ、爆破され、最高の仲間を全員失った、無力なこのおれを。すべては自国のリベラル派を恐れたからだ。民間の弁護士を恐れたからだ。

マーカス自身も恐らく、「交戦規則」そのものは必要不可欠だと理解していると思う。ただ、「弾力的な運用」を求めている。「民間人を殺してはいけない」というルールは正しいが、しかしそれはやはり、「自分の命が奪われない限りにおいて」であるべきだろう。もちろん、その証明は難しい。「羊飼いを見逃せば確実に自分たちは窮地に陥っていた」と示すことは困難だろう。しかしそれでも、そのような「弾力的な運用」の余地があるというだけで、彼らの行動・選択は変わるはずだ

また当然だが、そもそも「戦争」が起こらないことが一番望ましい。しかしそんなことは、一兵士が口にしたところでどうにかなるものではない。だから、どうしても「戦争」が世界から無くならないのだとして、彼は現実的な解を探るための提案をしていると捉えるべきだろう。

マーカスが直面した場面において、「羊飼いを殺す」という決断が「正解」だと思いたくはない。しかし結果として、3人の命が失われ、マーカスもギリギリのところで生還を果たすという苦難に直面した。それもまた「正解」とは思えない。

そもそも「戦争」が矛盾を孕むものであり、「戦争」自体にこそ問題が存在するわけだが、マーカスの指摘は、普段なかなかイメージすることのない「戦場の現実」について、多くの人が考えるきっかけを与えてくれるのではないかと思う。

著:マーカス・ラトレル, 著:パトリック・ロビンソン, 翻訳:高月園子
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最後に

本書には1点、非常に残念な部分がある。それは、物語全体が基本的に「時系列順」に語られているという点だ。著者の生い立ちから、<SEAL部隊>での壮絶な訓練、アフガニスタン入りときて、それから「壮絶な戦闘」「奇跡の生還」が描かれる。

本書の肝は、「壮絶な戦闘」「奇跡の生還」にあるわけで、一部でもいいから冒頭でそれらに触れるべきだったと思う。全体的に非常に面白い興味深く読める作品だったが、構成がもう少し違っていたら、より多くの読者に受け入れられる作品になっていたと感じた。

それにしても、<SEAL部隊>の訓練は凄まじいとしか言いようがないものだった。「あと一歩で死ぬ」というところまで追い詰められた上で、それでもなんとか残った人間だけが<SEAL部隊>として認められるのだ。アフガニスタンでの戦闘を闘い抜けた背景には、間違いなくこの過酷すぎる訓練があったと思う。

だから本作にとっては、訓練の描写も重要であることは間違いない。しかしそうだとしても、本書の冒頭からしばらく訓練の話が長々と続くもっと適切な構成があっただろうにと、その点だけは非常に残念に感じた。

とにかく凄まじい作品で、「凄まじい」と繰り返す以外に何も言えなくなってしまうとんでもない実話である。

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