【感想】綿矢りさ原作の映画『ひらいて』は、溢れる”狂気”を山田杏奈の”見た目”が絶妙に中和する

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:山田杏奈, 出演:作間龍斗, 出演:芋生悠, 出演:板谷由夏, 出演:田中美佐子, Writer:首藤凜, 監督:首藤凜, プロデュース:杉田浩光
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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

今どこで観れるのか?

この記事で伝えたいこと

「狂気」を「狂気」のまま、つまり「理解できないもの」として描き切る姿勢が見事

犀川後藤

「共感できるか否か」で評価する人には向かない作品かもしれません

この記事の3つの要点

  • 片想いの相手である「たとえ」には近づけないから、その恋人の「美雪」を奪おうとする異様さ
  • 山田杏奈の「顔」が、普通には成立し得ない「狂気」を中和させることでリアルさを醸し出す
  • 狂気を孕む3人以外が全員「モブ」に感じられるほど、濃密で歪な人間関係
犀川後藤

日常を舞台にしながら、これほど実写化のハードルを感じさせる作品はなかなかないかもしれません

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

綿矢りさ原作の映画『ひらいて』では、「狂気の境界線」をあっさり超える木村愛を山田杏奈が絶妙に演じる

まずは内容紹介

高校生の「愛」は、学校でも目立つタイプ。クラス内ヒエラルキー高い系の友達と日々はしゃぎながら、どうということのない日々を過ごす女の子だ

しかしそんな愛は、クラスメイトの「たとえ」のことが気になっている。片想いと言っていい。たとえは勉強ができる優等生だが、寡黙で周囲の人と関わろうとしない。はっきり言って、愛とは住む世界が違う存在だが、そんなたとえに愛は、1年生の頃から想いを寄せている。

ある日彼女は、たとえが読んでいた手紙を盗み見てしまう。どうしても気になったからだ。それは、恋人からのものだった。愛は驚く。付き合っている相手など当然いないものだとばかり思いこんでいたからだ。

たとえの恋人は、「美雪」だった。たとえと同じく学校では目立たないタイプで、若くして糖尿病を患っている。

愛は美雪に近づくことにした。一緒に映画を観て、カラオケをして、そこで彼女にキスをする

愛は考えた。たとえに近づくことはできない。これまでもずっと近づけなかったのだし、美雪という恋人の存在を知ればなおさらだ。

だったら……。

たとえの恋人を奪えばいい……

「ヤバい人」が好きな私は「木村愛」に惹かれるし、その「木村愛」を絶妙に演じる「山田杏奈」が見事だった

映画では、先程内容紹介で触れた通り、かなり歪んだ人間関係が展開されます。物語で「三角関係」が描かれることはよくあるでしょうが、この映画では、たとえに向いていた愛の視線が、途中からなんと美雪に移るのです。そんな歪な「三角関係」はなかなかないでしょう。私としては、この設定だけで素晴しいと感じる作品でした。

いか

「ヤバい人」にしか惹かれないからね、あんた

犀川後藤

こればっかりは昔からどうにもならんのよね、ホント

愛のような歪み方は正直、私の頭の中には存在しなかった類のもので、原作も読まず設定も知らずに観に行ったこともあり、まずその点に驚かされました。「好きな人に近づけないなら、好きな人の恋人に近づいて、その恋人の方を奪えばいい」というのは、常軌を逸しているでしょう。まず、この「異常な歪み方」が、私にはとても素敵なものに感じられました

しかも、普通には受け入れがたいだろう愛の発想・行動が、この映画ではとても上手く組み込まれているのも良いと思います。愛は別に、「たとえに恋人がいると分かった瞬間に、その恋人の方を奪おうと考えた」わけではありません。最初は、純粋に「たとえの恋人」である美雪に興味があって近づいただけです。しかしその後、愛と美雪の会話がすれ違う場面が出てきます。そして愛は、そのすれ違いをきっかけにして、「そうか、だったら美雪を奪えばいいのか」という思考に切り替わるわけです。この展開は絶妙だと感じました。

映画の中で、まさに愛がそのように考えただろうシーンは、映画全体の中でも非常に印象に残るものでした。「美雪を奪えばいい」と仮に思いついたとしても、普通は実行には移さないでしょう。しかし愛は、そう発想したところから、躊躇なく「奪う」という行動まで突き進んでいくのです。普通は越えないだろう「狂気の境界線」をいともあっさりと越えてしまうわけですが、しかしその「異様さ」は、「『山田杏奈』という可愛らしいビジュアル」によってあまり強く意識されません

犀川後藤

なんとなく、山田杏奈以外の人物で同じ物語が成り立つか考えてみるけど、無理な気がするんだよなぁ

いか

どうしても、「怖い」「不気味」「気持ち悪い」「理解できない」みたいな印象に成りかねないよね

私は、あまり人の「顔」についてあーだこーだ言いたくないのですが、少なくともこの映画に関しては、「『木村愛』という狂気」が成り立っている最大の要因は「山田杏奈の顔」にあると感じました。無表情でいる時の「何を考えているのか分からない雰囲気」、そしてそうでありながら決して「冷たさ」を与えるわけではない絶妙なバランス。これこそが、「狂気の境界線」をあっさりと越えてしまう「木村愛の異様さ」を中和させたポイントだと思います。

それぐらい、「木村愛」をリアルに成立させるのはハードルが高いと感じました。

例えばある場面で愛は、たとえにこんな風に言います

今この瞬間でさえ、たとえと話せているのは嬉しいよ。たとえの視界に入っているのが嬉しい。

このセリフだけではなかなか「異様さ」をイメージすることは難しいでしょうが、この言葉が発された状況を踏まえると、「よくそんなこと言えるな」と感じてしまうような、常軌を逸したセリフです。普通なら「ドン引き」するでしょう。しかしこの場面でも、木村愛の異様さが嫌悪感を抱かせるほどに強調されないのは、やはり「山田杏奈の顔」の影響がとても大きいと感じています。

犀川後藤

山田杏奈の顔の何がそうさせるのかまではイマイチよく分かんないんだけど

いか

顔の分析に詳しい人、教えてほしい

「狂気」を「狂気」のまま、つまり「理解できないもの」として描く姿勢が見事

先述した、「たとえの視界に入っているのが嬉しい」と愛が語る場面において、愛の異様さが目立たない理由がもう1つあります。それは、たとえもまた狂気を孕んでいるという点です。2人が放つ「狂気」のタイプは異なりますが、どちらもその内側に「異様さ」を内包しているからこそ、どちらか一方の狂気だけが目立つわけではないとは言えるでしょう。

そう、とにかくこの作品には、「ヤバい人」ばかり出てくるのです。

「ヤバい人」が好きな私としても、決して、「愛の行動原理」や「たとえの言動」にすべて共感できるわけではありません。いや、正確には、「映画で描かれている部分だけでは、彼らなりの理屈や判断基準について十分理解することが難しい」という表現が正しいかもしれません。原作は読んでないので、小説ではどんな風に描かれているのか分かりませんが、映画ではとにかく、愛もたとえも、感情や価値観が表に出る機会が非常に少ないです。それでいて、その感情・価値観の土台となるものが非常に複雑だろうと想像されるので、短い時間でそれを捉えることは困難だと言えるでしょう。

犀川後藤

私は、映画でも小説でも、「共感できるか否か」が「作品の良し悪し」に関係すると思ってないからいいんだけど

いか

「共感できるか否か」で「作品の良し悪し」を決める人には、ちょっと向いてない作品かもね

そして恐らく、映画の制作側も、「理解させようと思って作っていない」のだと思います。それがこの映画のとても良い点だと私は感じました。

何故なら、愛にしてもたとえにしても、「どうして自分がそんな言動をしてしまうのか恐らく理解できていない」と感じられるからです。本人が捉えきれていないものを、2時間程度しか彼らの思考・価値観に触れていない観客が理解できるというのもおかしな話でしょう。そもそも人間は、自分のことを自分ではよく分かっていないはずです。もし「自分のことは全部分かっている」なんて人がいたら、ある場面でたとえが口にしたように、「嘘をついている感じがする」と感じてしまうでしょう。

映画の後半、愛はどんどんと崩壊していきます。テストを白紙で提出したり、授業中に教室から飛び出したりするのです。それまでリア充系の人たちと楽しそうにしていたのに、笑顔を作ることも止めて死んだような顔で日々を過ごします

いか

「好きな人の恋人を奪う」という行動が異常すぎるから、愛が結局何に対して”落ち込んでいる”のか、想像が難しい

犀川後藤

なんとなく分かるような気もするけど、やっぱり「なんとなく」で止まっちゃうんだよなぁ

愛自身も、「自分が今何を感じるべきなのか」を見失っているのでしょう。「何に悩めばいいのか」さえも分からないまま、「まったく何も分からない」という混乱状態の中にいるのだと思います。

そして映画はある意味、最後までその「混乱状態」のまま終わるのです。あらゆる要素を物語の中で「説明」しなければならないとは思っていませんが、この作品はその「説明」を放棄しているようにも感じられるのかもしれません。しかし同時に、その状態で物語を成立させているとも思います。そのこともやはり、この映画の特異な点だと感じました。

バランサーとしての美雪、そして3人以外の人物のモブ感

ここまで、美雪についてはほとんど触れてきませんでしたが、美雪は美雪である種の「狂気」を孕んだ人物だと言えます。しかし、愛・たとえという、かなり振り切った狂気を内包する2人が登場する本作では、美雪は「真っ当側に立つ人物」として描かれていると言っていいでしょう。つまり「バランサー」というわけです。

愛とたとえの物語は、両者があまりに歪な異様さを孕んでいるが故に、永遠に歪み続けられる感じがします。しかしそこに、バランサーである美雪が「重し」の役割を果たすことで、愛・たとえ・美雪の関係性がギリギリのところでバラバラにならずに「物語」という形に留まっている、そんな印象を受けました。

犀川後藤

全然関係ないけど、美雪役の女優さん、どっかで見たことあるなぁと思ったら、ボートレースのCMだった

いか

美人側にも地味側にも、無理なく馴染める感じの女優さんで、この人の雰囲気も作品を成立させるのに不可欠って感じした

さらに凄まじいのが、愛・たとえ・美雪の3人以外が全員「モブ」に見えるということでしょう。役者に詳しくない私でも顔を知っているくらいの有名な俳優も出てくるのですが、愛とたとえが異様な世界観を作り上げ、そのバランスを美雪がどうにか舵取りするという物語においては、彼ら以外の登場人物が全員「モブ」程度の存在感しか持てなくなってしまうというわけです。

映画では、「愛・たとえ・美雪の3人の関係性」はほとんど描かれず、「愛とたとえ」「たとえと美雪」「美雪と愛」という個別の関係が3組存在します。そしてこの3つの関係性だけで物語のほぼすべてが埋まっているという点もまた、この映画の異様さを際立たせていると感じました。

出演:山田杏奈, 出演:作間龍斗, 出演:芋生悠, 出演:板谷由夏, 出演:田中美佐子, Writer:首藤凜, 監督:首藤凜, プロデュース:杉田浩光
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最後に

とにかく、色んな意味で「ギリギリのバランスで成り立っている」と感じさせる映画でした。小説でならいかようにも成立させられるかもしれませんが、日常が舞台の物語で、これほど実写化のハードルが高く感じられる作品もなかなかないだろうと思います。

映画を観終えるまで私は知りませんでしたが、たとえ役の俳優がジャニーズの人だったようで、劇場は若い女性ばかりでした。ポスター等のビジュアルも、「若者が観る学園モノの映画」という雰囲気かもしれません。しかし、「美男美女が恋愛模様を繰り広げる学園モノ」というイメージとはかけ離れた作品です。先入観を排除して是非観てほしいと思います。

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