【無知】映画『生理ちゃん』で理解した気になってはいけないが、男(私)にも苦労が伝わるコメディだ

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:二階堂ふみ, 出演:伊藤沙莉, 出演:松風理咲, 出演:岡田義徳, 監督:品田俊介, Writer:赤松新
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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

男にはどうしたって理解できない「生理」の問題になんとなくリアルに触れられる映画

犀川後藤

「女性同士でも完全には共感できない」という点が大変だなと思います

この記事の3つの要点

  • 「生理」という現象に焦点を当てすぎないことで「日常感」を醸し出す
  • 「生理ちゃん」という存在への違和感が作品全体を成立させている
  • 「結婚して子どもを産む」という未来を想定していない女性には怒りの対象でしかない
犀川後藤

「サブカルクソ女」を自称する山本りほがとても良かったです

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

男の私にはもちろんその辛さはまったく分からないが、少しは「生理」と寄り添える気がする

男にとって、「生理」の話はなかなか難しい

私が未だに「難しいなぁ」と感じてしまう場面があります。それは、「体調が悪そうにしている女性がいる場面でどう振る舞うべきか」です。

もしそれが『生理』だとすれば、『体調不良である』ということにすら男には触れてほしくないだろう」と感じてしまいます。生理の場合と生理ではない場合とでは、「してほしいこと」が変わるような気がするのですが、男にはそれを判断するのはなかなか困難です。女性であっても、体調の悪い人を見ただけでそれが生理なのかどうかは分からないでしょうが、「女性同士」であれば選択肢が増えるし、適切に対処できるのだろうと感じてしまいます。

私は女友達が多く、そしてその女友達は私に臆することなく生理の話を当たり前のようにすることもあるので、私はたぶん普通の男よりも、女性の口から直接「生理」に関する話を聞く機会が多いと思いはずです。「生理は人によって軽い重いが全然違うみたいで、私は軽い方」みたいな話から、「生理が近いとオナニーしたくなる」みたいな話まで、女性から直接聞くことが結構あります。

また、そんな風に女性から時々話を聞くことがあるからなのか、ネットニュースでも「生理」に関する記事を読むことがあります。「生理用品に掛かるお金は男が思っている以上に高い」みたいな話や、あるいは「ピルで生理を調整する」「ある芸能人が生理痛の改善のために『避妊リング』を入れた」など、特に検索しているわけではありませんが、時々目についた記事を読んでしまうのです。

そういう中で、「女性同士であっても『生理』に関する認識は異なる」という点に驚かされることがあります。特に、前述の芸能人が「避妊リング」を入れたと告白した際には、炎上したというからびっくりしました。炎上の具体的な中身まで知りませんが、批判する側に回る女性がいるということなのでしょう。

同じ辛さを経験しているはずなのに、女性同士でも共闘できないうのは辛いだろうなぁと感じます。

犀川後藤

しかし、男の私がこんな風に「生理」について書くのもやっぱり抵抗あるなぁ

いか

なら書かなけりゃいいのに

『生理ちゃん』という映画では、主人公・米田青子(二階堂ふみ)が経験する生理の辛さを、「生理ちゃん」というキャラクターを使って表現します。「生理ちゃん」をおんぶしたりリアカーで引いたりという形で、視覚的に伝わりやすい表現でそれを示してくれるのです。そんなことで分かった気になられても困る、という女性の意見があるならそれは当然だと思いますが、まったく分かっていない男からすれば、こういう表現ですら「ホントに大変なんだな」と感じさせられるきっかけになると言えます。

この映画の面白さは、「『生理』という現象にそこまで焦点が当たらない」という点にある

この映画を観て、私が一番印象的だと感じたのは、物語の中で「生理」という現象がそこまで強く取り上げられているわけではない、ということです。

どういうことか説明していきましょう。

まず大前提として、「生理ちゃん」というキャラクターが「日常」の中であまりにも違和感のある存在として登場します。映画全体ではリアルな日常が描かれるのに、その中に着ぐるみのヘンテコな存在が出てくるので、劇中で「生理ちゃん」が登場する場面では、「生理」という現象よりも「生理ちゃん」への違和感の方が強く現れることになるのです。

きっと意図的にそうしているんだろうと私は感じました。「生理」という現象に焦点が当たりすぎると、観客を選ぶというか、エンタメとして受け取りにくいというか、「娯楽作品」としてはちょっと主張が強くなりすぎるように感じるからです。「生理ちゃん」という存在の違和感は、そういうマイナスを回避するという意味で非常に有効だと思いました

犀川後藤

1人で映画館で観たけど、男1人で観てもそんなに恥ずかしさを感じる映画じゃなかったよ

いか

「生理」とは直接関係ないストーリーがちゃんとあるから観やすいしね

映画を観てもう1つ感じたことは、「生理は日常だ」という点を強調したかったのではないか、ということです。

物語の中で「生理」が描かれる場合、「初潮」「赤飯」「プールを休む」「制服に血がつく」など、ステレオタイプ的に思い浮かべられるイメージはいくつかあると思います。もちろんそれらも、女性からすれば「日常」だと思いますが、あまりにも物語の中でステレオタイプ的に使われるので、「日常感」みたいなものが失われてしまっているようにも私には感じられるのです。

この映画ではそういう、「どうしても物語的になってしまう生理の描き方」を排除して、より「日常感」を出そうとしたのだ、と思いました。

それを最も感じるのが、「『生理ちゃん』が画面上に登場しているのに、『生理』とはあまり関係なさそうに思える場面」です。「『生理ちゃん』はいるけれども『生理』とは関係ない状況が展開される」ことで、それは決して特別なものなんかではなく、「日常のあらゆる場面で、女性は『生理』の苦しみを感じている可能性がある」ということが伝わる、と感じました。

男(私)がこんな文章を書いている、ということ自体に気持ち悪さを感じる方もいるでしょうが、『生理ちゃん』という作品や「生理」に関して男側の感覚を知る機会もなかなかないと思うので、1つの参考にしてもらえたらいいなと思います。

映画の内容紹介

物語は3人の女性を中心に展開され、彼女たちが「生理ちゃん」に囚われてしまうことになる。

女性ファッション誌の編集部で働いている米田青子は、日々仕事に追われ、恋人との予定もキャンセルしがちなバリキャリ女子だ。

常に全力で人生を楽しもうとしているのだが、生理がかなり重いのが難点。生理期間中は、自分の意思では対処不可能なほど気力が奪われてしまう。

恋人の久保は妻を亡くしており、一人娘・かりんと2人暮らしをしている。そして青子は、かりんとの距離を詰めることができないことにも日々悩まされていた。

青子が働く編集部が入るビルの清掃アルバイトをしている山本りほは、実家暮らし、恋愛経験ゼロ、部屋で一人レトロゲームをプレイするのが趣味の超インドア派。自分のことを「サブカルクソ女」と自称してしまうくらいにはこじらせている、なかなかのツワモノだ。

彼女の生理も重い。しかし、恋愛経験もなく結婚なんて考えてもいない彼女は、「私のところに来たってしょうがないよ」と「生理ちゃん」を諭すことさえある。彼女にとっては、生きていく上で100%無用の長物でしかないのだ。

そんなりほは、あるひょんなきっかけから、思っても見なかった展開に巻き込まれ、今まで想像したこともない「人生の主役」感を味わうことになるが……。

青子の妹である米田ひかるは受験生。彼氏がいて、部屋で一緒に勉強する仲なのだが、その彼氏の元に頻繁に「性欲くん」がやってくる。ひかるの元にも「生理ちゃん」がやってきて、「性欲くん」VS「生理ちゃん」のバトルが繰り広げられる……。

映画の感想

もの凄く好きな映画でした。その一番の要因は、自称「サブカルクソ女」こと山本りほです。こういうことを言うと反感買いそうですが、私は「サブカルクソ女」みたいな女性、結構好きなんです。他人の目を気にしていないような趣味への没頭ぶりとか、やっぱり他人の目が気になってこじらせているところとか、「よくある感じ」にまとまっていないような雰囲気とか、全体的にとても好きだなと感じました。

いか

とりあえず、「普通の感じ」から外れてる人とか、男女問わず好きだもんね

犀川後藤

ってか、「普通」に近い人にはとにかく興味が持てない

そういう個人的な興味もあるのですが、山本りほの存在は、「生理」をテーマにしたこの映画においても、非常に重要な役割を担っていると感じました。

青子やひかるは、「生理ちゃん」の存在を「しんどい」「辛い」「邪魔」と感じつつも、完全には邪険にできないという扱いをしているように感じられます。明確に描かれるわけではありませんが、彼女たちは「結婚して子どもを産む」という未来を想定しているし、そのために、嫌だけど「生理」は我慢して受け入れなければならない、と考えているでしょう。

彼女たちは、仕事や恋愛などの様々な場面で「生理ちゃん」に邪魔され、辛い思いを抱くのですが、それでも「生理ちゃん」を完全に排除できない、という苦々しさを体現する存在として映画に登場するわけです。

しかし山本りほは違います。彼女は基本的に、恋愛や結婚といったものを想定していません。彼女にとってそれが「諦め」なのか「嫌悪」なのか「無関心」なのか、それはこの映画だけからはよく分かりませんが、いずれにしても青子やひかるのような「結婚して子どもを産む」という未来は彼女の頭の中に無いことだけは確かだと思います。

そしてそうだとするなら、青子やひかるとは比べ物にならないほど「生理ちゃん」の存在を嫌悪するのは当然です。「生理ちゃん」は「準備が必要なので」というスタンスでやってくるが、「準備など必要ない」と考えている山本りほにとっては怒りの対象でしかないでしょう。

女性によって「生理」の受け取り方が違う、ということを分かりやすく伝えるという意味で山本りほの存在は非常に重要だと言えますし、そういう点も含めて、山本りほの物語すべてが興味深いと感じました。

最後に

この映画では、「生理」という現象に「生理ちゃん」という人格を与えているわけですが、そうすることによって「なるほど、そんな見方があったか」と感じさせられたセリフがあったので抜き出してみます。

生理ちゃんも辛くない? 来るたびみんなに嫌な顔されて。それって、辛くない?

「生理」の辛さを毎月感じている女性からすれば、「生理」側のことなんか考えてる余裕なんかないわ、という感想になるかもしれませんが、この観点は、「生理」に人格を与えたことで生まれた面白い見方だと私は感じました。

確かに、「必要だからやってきているのに、みんなから嫌われる」という風に「生理」を捉えると、ちょっと切なくなるなとも思います。あとそう考えた時に、「そもそも、『生理』が痛みを伴う現象でなければならない必然性はあったのだろうか?」という思考も浮かびました。

というわけで記事を終えますが、この記事全体を「無知な男の戯言」と捉えて適当に受け取ってもらえればと思います

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