【救い】耐えられない辛さの中でどう生きるか。短歌で弱者の味方を志すホームレス少女の生き様:『セーラー服の歌人 鳥居』(岩岡千景)

目次

はじめに

この記事で伝えたいこと

「ことば」でしか人生を支えられない人もいる

犀川後藤

鳥居は、そんな人のために、ボロボロになりながら「ことば」を生み出していきます

この記事の3つの要点

  • まともに義務教育を受けられず、ホームレスのような生活をしていた少女
  • 「短歌」と出会ったことで、誰かを支える側に周りたいと決意する
  • 過去の辛い経験を恨まず、相手の立場に立って考える
犀川後藤

強靭な過去を持つ鳥居の言葉には、とても惹かれてしまいます

この記事で取り上げる本

いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

『セーラー服の歌人 鳥居』が描き明出す、「鳥居」という歌人の生き様とその言葉の強さ

歌人・鳥居が経てきた壮絶な子ども時代

この作品は、「鳥居」という名前で活動する歌人(短歌を詠む人)を取り上げたノンフィクションです。

ノンフィクションをあまり読まない、という人にも、ぜひ手にとってほしい作品です。

冷房をいちばん強くかけ母の体はすでに死体へ移る

この作品には、鳥居が作った短歌もいくつか掲載されています(本書に載っているのは、推敲前の作品とのこと。作った時の内面をきちんと見せるためだそうです)。

そして、この短歌の背景には、こんな経験があります。

その時の私はつらすぎる現実に耐え切れず、母が“さみしくて、心配してほしくて”死んだふりをしているんだろう、そうだったらいいな、と思うようにしていました。そして、お母さんは私が見ていなければのり弁を食べるんじゃないか、水を飲むんじゃないか、と思い、のり弁と水だけ置いて、他の部屋へ行って数時間後に見に来たりするのをくり返していました。
そして、眠る時には、“明日目が覚めたら何もかも元通りになっていて、お母さんが元気になっていますように”と祈りながら眠りました。眠りから覚めた時も、しばらく目を閉じたままでいて、“何事もない、すべてがいつも通りの日常にもどっていて、お母さんが「朝ごはん、できたよー」って呼びにきてくれる”よう祈っていました。目を開けて、昏睡状態の母と、その現実に向き合うのが怖かったんです

鳥居の母親は自殺しました。そして、母親が死んでいく様を、彼女は為す術もなく見ていることしかできませんでした。「救急車を呼んだら怒られる」と思い、信頼できる大人も思い浮かばず、死に向かっていく昏睡状態の母親と、何日か共に過ごしました。

犀川後藤

母親からも、厳しい扱いを受けていたみたい

いか

「救急車を呼んだら怒られる」って発想は、普通じゃないよね

理由なく殴られている理由なくトイレの床は硬く冷たい

彼女はその後、施設で過ごし、その施設でいじめに遭います。高熱が出た時に「他の人に移らないように」と何日も倉庫に閉じ込められたり、年上の女の子から熱湯をかけられたりしました。

つらい経験から、中学校は不登校となり、義務教育をきちんと受けることができませんでした。彼女は、拾った新聞で字を覚えました。未だに、「2割引」「10%オフ」の意味が分からないといいます。鳥居は、セーラー服を着て歌人としての活動を行ってますが、それは、小中学校の勉強をやり直す場がほしい、という気持ちを表明しているそうです。貧困など様々な理由から、きちんと学校に通えなかった子がいるのだと、世間に知ってもらうためでもあります。

16歳からアルバイトをして生活をしていますが、その後も、親類から酷い嫌がらせを受けてDVシェルターに逃げ込んだり、里親から追い出されてホームレスになったりと、多くの人が経験しないだろう厳しい環境の中で生きてきました。

鳥居は、医者から就業を禁止されるほど重度のPTSDを患っています。過去を振り返ってみても、いつ死んでもおかしくはなかったでしょうし、お金の面でも心の面でも日々辛い生活を送っているのです。

そんな中で彼女は、「短歌」と出会います

犀川後藤

蛇足だけど、私も一時期、趣味で短歌をやってたことがあります

いか

どうでもいい情報だな

「ことば」が鳥居の人生を支えてきた

でも、どれも全部自分でも考えていたことばかりで、「将来どうするか」をいちばん不安に思っているのも自分でした。
「将来どうするのか、仕事にも就けず、社会でもやっていけないのなら、死ぬしかないのかな」と考えたことも、何度もありました。
未来は真っ暗で、何の夢も希望もないように思えていました。
このため諭されるたびに、「心が引き裂かれるようでつらかった」といいます

鳥居と比べればまったく辛い人生ではなかった私ですが、彼女の感覚は少しは分かるつもりです。私も、「社会で上手くやっていけない」と未だに感じていますし、その度に、「生きていくのは無理かなー」という気分になります。昔ほど深刻にそう感じる機会は少なくなっていますが、「未来は真っ暗で、何の夢も希望もないように思えていました」という気持ちは、程度は全然違うでしょうけど、私の中にも常に巣食っています。

そんな彼女にとって「短歌」は、特別な意味を持つものになります。

それらの短歌と出会って以来、鳥居にとって、短歌は“目の前の「生きづらい現実」を異なる視点でとらえ直すもの”になりました。
自分を否定しなくて済む「居場所」となったのです。
「人が生きていくには、現実以外の場所が必要。だからみんな、映画を見たり、ディズニーランドやユニバーサルスタジオに行ったりするんだと思うんです。私にとって生きていくのに必要な別の場所は、短歌や本の中にありました」

私自身は「短歌」にそこまでのものを感じませんでしたが、しかし、「ことば」に支えられてきたという意味では非常に共感できます。「短歌」という形ではありませんが、私も、自分の考えていることや感じていることを「ことば」に変換して表に出すことで、自分をなんとかこの世界に繋ぎ止めてきた感覚があるのです。

犀川後藤

本を読んだり、文章を書いたりする人生じゃなかったら、もっと早く詰んでた気がする

いか

確かに、そういうこと何もしてない人生だったとして、あんたは何してただろうね? って感じるわ

心動かされる“短歌”と出会ってから、鳥居はその世界や技法を学ぶことに、少しずつのめりこんでいくことになります。
そしてその“学びたいという欲求”こそが、次第に、長らく暗闇にいた鳥居を導くかすかな光、生き抜いていくためのよすがとなっていくのです

鳥居は未だに「なぜ生きていないのか分からない」と語ります。そうでしょう。私も同じ感覚です。「生きなければならない」という切実さは、自分の内側からはどうしても出てきません。そういう中で、自分という命をどうやってこの世界と接続させておくかは、本当に難しい問題だといつも感じています。

だから、鳥居が「短歌」と出会ってくれて良かったなと思うのです。

犀川後藤

結局私は、38歳になっても、鳥居にとっての「短歌」のような切実さを感じられるものに出会えてないなぁ

いか

これから出会えるといいけどねぇ

「ことばで誰かを支えたい」と奮闘する鳥居の生き様

そして、信じられないほど辛い経験をしてきた鳥居は、「短歌」と出会い、自身の経験を「ことば」で昇華できるようになったことで、別の誰かのためになれたらいい、と考えるようにもなります

そして、そうした「境界を越える力」を持つほかの多くの芸術のように、自分が作る歌にも、人を惹きつけて、異なる世界を行き来できるような力を宿したいといいます。
なぜなら、「亡くなった母や友達、またかつての自分のように“自殺したいと思ってしまった人”を踏みとどまらせるには、力づくで生の側へ引きもどそうとするのではなく、その人を取り巻いている「死の世界」とでもいうべき場所にまで潜って行って、一緒にもどってくるという手つづきを踏えなければならないと思うから」です

鳥居は凄いなぁ、と感じました。

私の中にも、「誰かにとって何か支えになれる存在になれたらいい」という気持ちはずっとあります。昔からずっと、自分の興味・関心のためにはなかなか努力ができないことが分かっていて、自分の時間や才能みたいなものを、自分以外の何かのために注力できたらいいなと、結構いつも真剣に考えています。

でも、それはなかなか難しいものです。

いか

結局、「自分一人のことでいっぱいいっぱいになっちゃう」んだよね

犀川後藤

ボランティアとかを一過性ではなく継続的にきちんとやり続けられる人って、ホント凄いと思う

しかし鳥居は、自分の生活が極限まで苦しいにも関わらず、自分の時間や才能を、他人の”生”を支えるために使おうとします

嫌がらせをつづけたりすれば、人は人を案外かんたんに、死にたい気持ちにさせることができるんだと思う。だけど“死ぬ”と決めてしまった人を、そこから連れもどすことは難しい。心が枯れ、疲れ果て、未来を描けない人を前に、物やお金がどこまで価値を持てるのか? ただ、「すてきな夏服をもらったから夏まで生きてみよう」とか、ふと見た夕焼けがじんわり心にしみたりして「この美しい、いとおしい世界を見られなくなるのなら死ぬのは惜しいな」とか思って、死を踏みとどまる人もいる。歌を詠んだり、絵を見たりするのは、そうしたささいな美しさやいとおしさに目をとめること。だからもっと、文学や芸術が愛される社会にしたい

以前友人の女性が、こんなことを言っていたことを思い出します。その人はBLのマンガが大好きなのですが、仮にBLのマンガが世の中から消えても、たぶん生きていけるそうです。けど例えば、バスに乗ってて窓から外を見た時に一瞬だけ捉えられるなんか凄くキレイだなって感じる瞬間(月に1回ぐらいあるらしい)がなかったら、たぶん生きていけないと思う、と言っていました。

凄く印象的な言葉だったので覚えているのですが、鳥居が言っていることもこれに近いのかもしれません。人間が「あー、生きるか」と感じるのは、案外とても些細なことで、鳥居にとってそれは「短歌」でした。だから、「短歌」のような文学や芸術に触れることが、生きるための力になる人もいるだろうし、だったら自分が作る「短歌」もそういうものとしてこの世界に存在できるかもしれない、と彼女は考えるのです。

犀川後藤

私も、この「ルシルナ」も含めて、これまで続けてきたブログは、「結果的に誰かのためになったらいいな」とは思ってるんだけどなぁ

いか

確かめる方法がないから、実感はできないよね

恐怖と戦いながら「創作」と向き合う鳥居

しかし鳥居にとって、「創作」というのは容易な行為ではありません

「複雑性PTSD」という障害がある鳥居にとって、人と接すことはただでさえ怖いのですが、短歌を発表するということは、心の奥底をさらし、無防備に人の批判にさらされる危険と隣り合わせです
このため、創作を始めてからは怖さとの戦いの連続でもありました

私は、ただでさえ辛い人生を歩んできたのだから、さらにそんな辛さを背負わなくてもいい、と正直感じてしまいます。しかし鳥居は、芸術を支えにしか生きられない自分のような人が世界の片隅で震えていることを知っているからこそ、辛い「創作」と向き合います

それは、「自身が創作すること」だけに留まりません

そして、全国短歌大会で自作の短歌が入選した2012年の暮れ。鳥居は大阪・梅田の駅に立っていました。
手にしていたのは、ダンボール箱の切れはしに、「生きづらいなら短歌をよもう」と書いたプラカード。
それを掲げて「短歌、面白いですよ」と道ゆく人に話しかけました。引きこもりがちで人が苦手な鳥居にとって、それは「短歌を広めたい」一心でした必死の行動でした。
道行く人から見れば、突飛に思えたかもしれません。でも、それが鳥居が思いついた精一杯の行動でした

「人と接することがただでさえ怖い」鳥居にとって、どれほど勇気の要る行動だったでしょうか? 

犀川後藤

仮に思いついても、私にはできない行動だな

いか

目的に対して最短距離に見える道をまっすぐ進んでいく感じは、凄くいいよね

鳥居には、「ことば」を下支えする経験があり、「ことば」を生み出したいという欲求があり、さらに「ことば」で誰かを救いたいという願いがあります。

だから、鳥居の「ことば」はとても強いのです。私は、鳥居の言葉に、強く惹かれてしまいます。

芸術の世界に身を置いていないと、芸術というのはどんどん「ビジネス的なもの」に見えてしまうだろうと思います。「表現したい」という欲求から芸術は生まれるものでしょうが、多くの場合、世間で大きく取り上げられる「芸術」は、その欲求よりも、「いくらで売れたか」という商業的な情報だったりするからです。

だから、鳥居が持っているような「欲求」が芸術の背景にあると感じられる時、その芸術に強さを感じます

同賞の選者である作家の星野智幸さんは、鳥居の作品の最後の一文を「凄絶な言葉」だとコメントしました。
また、「鳥居さんが生き延びているのは、この美しく強い言葉を持っているから」「言葉だけを命綱として生き、言葉だけを武器として独り、世界と対峙しようと腹をくくった、凄みのある作品」とも評しました

「ことば」で世界と関係を結ぶ彼女の生き方には、とても惹かれます

犀川後藤

私の中には、彼女ほどの「切実さ」がないんだよなぁ

いか

まあ、無い人の方が多いんじゃないかって気もするけどね

過去の辛い経験を恨まない

鳥居の凄さは、辛かったはずの自分の経験を、決して悪く捉えていないということです。

メディアでは、私の過去のつらいエピソードばかりもとめられがちですが、そこで話すことはほんの一面にすぎなくて、私のお母さんはとてもいいお母さんでした。本を読んでくれたり、お菓子をたくさん買ってきてくれたり。よく「今までたいへんだったね、これからは幸せになるよ」といわれるのですが、私は自分の人生が不幸だったとは思わないんです。母や、祖父母からたくさん、かけがえのない良い思い出を与えてもらいましたから

確かに、「家族」というのはやはり特別な関係だろうし、客観的に捉えられる事実と、それぞれの内面に刻まれた感情にズレが生じることもあるだろうとも感じます。時間の経過とともに良かった記憶の方がさらに鮮明になるということもあるでしょうし、辛く当たられていたけれどずっと一緒にいた母親に対しての想いがプラスなものであるというのは、理解できる気もします。

犀川後藤

私も、子どもの頃は家族に対して様々にモヤモヤを抱えてたけれど、時間と共に薄れていったしね

いか

同じレベルで話していい経験なのかは分からんけどな

しかし、こんなことも言っています。

私は自分が入っていた施設や、そこにいた先生、子供たちを誰ひとり恨んではいません。なぜなら、暴力やいじめをする子にも、そうした行動をとる何らかの理由があったんだろうと思うし、先生も朝の忙しい時間に一人で何十人もの子を世話しなきゃいけなかったりして、「虐待は子どもも大人も追いつめられていた結果」だと思うからです。人知れずそうした状況があり、今も苦しんでいる子がいるであろうことを、一人でも多くの人に知ってほしいと思います

私は虐待やいじめを経験したことがないので分かりませんが、誰もがこんな風に捉えられるわけではないでしょう。やはり、恨んだり怒りに打ち震えたりすることの方が多いのではないかと感じます。

そういう環境でも、「そうした行動をとる何らかの理由があったんだろうと思う」と、相手の立場に立って自分の経験を受け止めることができるというのは、なかなかできることではないと感じました。

そういう点でも、鳥居という女性に対して凄みを感じさせられます。

最後に

辛い経験は、無いに越したことはありません。しかし、そういう辛い境遇の中で生きざるを得ない人もたくさんいるでしょう。

誰かの人生に他人がとやかく言う権利があるとは思っていませんが、鳥居の人生を知ることで、自身の辛い経験を何かの形で昇華する生き方を視界に入れることができるのではないかと感じます。

どのみち、過去を変えることはできません。であるならば、自分が何か行動をして、過去の経験の「捉え方」を変えるしかないでしょう。さらにそれが、別の誰かを支える救いとなるのであれば、辛かった経験が少しは報われるかもしれません。

誰もが強く生きなければならないわけではありませんが、強さがほしいと思う人にとっては、鳥居の人生を参照すべき一つとして提示したいと思います。

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