【挑戦】杉並区長・岸本聡子を誕生させた市民運動・選挙戦と、ミュニシパリズムの可能性を描く:『映画 ◯月◯日、区長になる女。』(ペヤンヌマキ監督)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「映画 ◯月◯日、区長になる女。」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

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この記事の3つの要点

  • 杉並区長選の結果も、候補者である岸本聡子のことも知らずに観たが、実に面白い作品だった
  • 「日本の民主化のために人生を全うする」という決意を抱く岸本聡子と、彼女が掲げる「ミュニシパリズム」について
  • かなり特異に展開した選挙戦と、区長選後に生まれた驚きの展開

国会議員の言動を知る度に日本の政治に絶望させられるが、本作には未来の日本の希望に満ち溢れているように思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

杉並区長選の結果さえ知らずに観に行った映画『映画 ◯月◯日、区長になる女。』は面白かった!政治はこんな風に底上げされてほしい

なかなか面白い作品だった。既に終わった選挙の話なのでネタバレにはならないだろうが、本作で取り上げられる杉並区長選ではなんと、岸本聡子が187票差で現職を打ち破ったのである。その選挙結果だけを取り上げてみても非常に興味深いと言えるだろう。これは決して、「ギリギリだけど勝ちは勝ち」みたいな話ではない。「まずひっくり返せないだろう状況で逆転劇を成し遂げた」という点こそが注目すべきポイントなのである。

さて、本作を観る前の時点で私は、杉並区長選の結果も知らなければ、そもそも候補者である岸本聡子のことも認識していないような状態だった。もちろん、杉並区民でさえない。それでも、とても面白く観られたのである。やはりそこには、「こういう政治だったら良いよなぁ」みたいな感覚があるのだと思う。私たちが普段触れている、「永田町でオジサンたちが訳の分からないことを言っている」みたいなものとはまるで違う、「地域に根づいた自治的な民主主義」の実現がそこにはあったのだ。ちなみに、そのような民主主義は「ミュニシパリズム」と呼ばれているのだと、本作を観て初めて知った。

それでは、映画の内容に触れる前にまず、本作の人気っぷりについて触れておこうと思う。映画館のチケットが取れなくて本当に苦労したのだ。

本作は、2024年1月2日に公開された映画で、私は元々公開直後に観る予定でいた。しかし満席のため、予定していた日のチケットは取れなかったのである。ただ、その日は劇場のサービスデーだったこともあり、それで観客が集中したのだろうぐらいに考えていた。それで、翌週の土曜に観ようと思い、前日の金曜の夜にチケットを確認したのだが、昼の分は満席。ならば日曜に観ようと思い確認すると、残っていたのは最前列の席のみという状態だったのである。そんなわけで、久々に最前列で映画を観た。私の記憶では、大昔に映画『マッドマックス』を観た時以来だと思う。『マッドマックス』も、メチャクチャ混んでたなぁ。

劇場が満席になるほどの話題性がどのように生まれたのかは結局今も分からないままなのだが、本作は恐らく、「政治の話なんか興味ない」と感じてしまう人にこそ響く作品ではないかと思う。もし機会があるようなら是非観てみてほしい

監督のペヤンヌマキは、何故『映画 ◯月◯日、区長になる女。』を撮ることになったのか

本作の監督は、ペヤンヌマキという名前で活動する劇作家である。Wikipediaによると、溝口真希子の名義でかつて自主制作映画を作ったことがあるそうで、だとすると「監督初のドキュメンタリー映画」という表現が正しいのだろうか。いずれにせよ、「映画を撮るような環境にいた人ではない」のだと理解してもらえればいい。そんなわけで、彼女が何故本作『映画 ◯月◯日、区長になる女。』を撮ることになったのかについての説明する必要があるだろう。本作では、冒頭でその辺りの経緯が説明されているので、ざっくりと紹介しておこうと思う。

ペヤンヌマキは、杉並区に20年以上住んでいるのだそうだ。近くを流れる善福寺川周辺の緑地や近所を走る小道沿いに立つ木など、自宅近くの自然環境に惹かれ、ずっと引っ越せないでいると言っていた。そんな彼女が3年前、体調不良のため近くにある成宗診療所に足を運んだことがすべての始まりである。

彼女はそこで、杉並区が計画している事業について始めて知ることになった。その診療所に、「新道路『133号線』建設計画の反対署名を集めている」と貼り紙がされていたのだ。実現してしまうと、この診療所が立ち退きを余儀なくされるのだという。ペヤンヌマキは、長年住んでいるにも拘らず、杉並区がそんな事業を計画していることを知らなかったため、少し調べてみることにした。

すると、驚くべき事実が明らかになる。なんと、彼女が気に入っている善福寺川緑地や小道沿いの木をすべて潰して道路を作ろうという計画だったのだ。彼女が住む家はギリギリ対象の区画から外れてはいたものの、心地良さを感じてきた住環境が明らかに脅かされる状況であり、彼女は事の深刻さを理解した。そしてこれをきっかけに、それまでまったく関心を抱いてこなかった「区政」について調べてみることにしたのである。

調べてようやく状況が分かってきた。どうやら国と杉並区が”結託”し、市民にあまり情報を知らせず、事を荒立てないようにして道路計画を進めているようなのだ。さらに、問題は「133号線」だけではないことも判明した。杉並区内だけでも、今後10年間で10本の道路建設計画が存在することが分かったのだ。しかもそれらは、商店街を潰したり、住宅街をぶち抜いたりして行われる想定だった。そのような制作が、少なくとも彼女の視界にはまったく入らないところで進行していたのである。

これは大変だと感じた彼女はさらに調べを進め、ある市民団体の存在に行き着いた「住民思いの杉並区長をつくる会」という団体で、かなり以前から活動していたようだ。今回の問題についても、既に市民運動を展開していることが分かった。しかし、団体名が実態に追いついておらず、肝心要の区長候補となる人物はまだ見つかっていなかったのだ。

ペヤンヌマキがこの市民団体の存在を知った時点で、区長選までは残り2ヶ月弱未だ候補は見つかっていない。このままでは、3期12年区長を務めた現職・田中良が再選し、杉並区を”破壊する”ようにしか感じられない道路建設計画がそのまま進んでしまうに違いない。そうなったら最悪だと、ペヤンヌマキはヤキモキしていたのである。

そんなある日、彼女は区長候補が決まったことを知った。それが、つい先日までアムステルダムに住んでいた岸本聡子である。ある人物を仲介に市民団体から区長候補への打診があり、10日ほど悩んだ末、立候補を決意したというわけだ。

この進展を知ったペヤンヌマキは、じっとしてはいられなかった。岸本聡子のことなどまったく何も知らなかったが、「杉並区長候補」として選挙前から街頭演説を行う彼女の元へと足を運び、チラシ配りなど手伝うことにした。さらに直接話す機会も得られたので、「選挙戦を盛り上げるために、あなたのことを動画に撮ってSNSにアップしたい」と伝えたのである。

このようにして本作『映画 ◯月◯日、区長になる女。』は生まれた。そう、元々は「選挙戦を闘うためのPR動画」でしかなかったのだ。それが、ミニシアターに観客を呼び寄せる注目のドキュメンタリーとして世に出ることになったのである。なかなか面白い経緯の作品ではないかと思う。

区長候補となった岸本聡子と、彼女が主張する「ミュニシパリズム」について

先に説明したように、本作は「選挙戦を闘うためのPR動画」として撮影された。そのため基本的には、「公示日前に行っていた街頭演説」や「公示日以降の選挙戦」がメインで映し出される。そしてその合間に、岸本聡子の人柄が伝わるようなバックステージでの姿や、監督ペヤンヌマキの葛藤などが挟み込まれていくという構成だ。そして個人的にはやはり、岸本聡子に焦点が当たる部分が面白かった

というわけでまずは、岸本聡子がどのような人物なのか紹介しておこう。

彼女は27歳でアムステルダムに移り住み、「トランスナショナル研究所」というNGOに就職した。そこで市民運動の支援をしつつ、環境等に関する公共政策のリサーチも行っていたという。このように、元々「公共」に携わるような生き方をしていた人物なのである。

しかし、2018年に転機があった。恐らく職場でのことだと思うのだが、定期的に行われているキャリアカウンセリングの中で、「今自分が本当にやりたいことは何なのか?」という話になったそうだ。そして色々と話していく中で、「なるほど、あなたは『地域の政治活動』に関わりたいんですね」とまとめてもらえたのだという。そのようなやり取りを経て彼女は、自分のやりたいことが改めて明確になった。そしてこれをきっかけに、日本語での本の執筆に取り掛かることにしたのだという。また、「地域の政治活動」に関わる上で、やはり日本を拠点にすべきだと考えたのだろう。彼女は、いつ日本に帰るべきかも考えるようになったのである。

杉並区長への打診があった時点では既に帰国の決断をしていたというので、タイミングはたまたま重なっただけだそうだ。しかし彼女はずっと、いつかは日本に帰ろうと考えていたという。その理由については、次のように話していた

自分には、日本の民主化のために人生を全うする責任があると感じているから。

正直私は、こういうことを口にする人に対して「胡散臭さ」を感じてしまうことが多い。「んな訳ないだろ」と思ってしまうのだ。しかし本作では、岸本聡子に対してそのような「胡散臭さ」を感じはしなかった。喋っていることやその佇まいなどに芯を感じるし、「本心を口にしているんだろうなぁ」と感じさせるような雰囲気があったからだ。凄い人だなと思う。しかし、「日本の民主化に責任を抱いてる」などと考える人がホントにいるものなのかと、驚かされてしまった。

そんな彼女が作中で何度か口にするのが「ミュニシパリズム」である。先程少し説明したが、日本語では「地域自治主義」という表現になるそうだ。「政治」と聞けばやはり「国会」や「国会議員」などが浮かぶものだし、それらは基本的に「トップダウン」のような性質を持つだろう。しかし、「ミュニシパリズム」は逆に「ボトムアップ」、つまり「生活のための小さな単位の中で民主的な政治を実現していこう」という考え方である。そして岸本聡子は恐らく、このような政治を実現したいという気持ちもあって、杉並区長候補の話を引き受けたのだと思う。

本作を観ても結局、「当時の杉並区が、何故『133号線』などの道路を建設しようとしていたのか」はよく分からなかった。なのでこの記事では、その計画の是非について言及したりはしない。映画は当然、「住民思いの杉並区長をつくる会」や岸本聡子目線で作られているわけで、「彼女たちの訴えこそが『ミュニシパリズム』である」という見え方になっている。しかし、「133号線」を必要とする住民がもし一定数存在するのであれば、その声を実現しようという計画もまた「ミュニシパリズム」と言えるはずだ。本作だけからは、その辺りのことは判断できなかった。しかしいずれにしても、「岸本聡子が市民の声を積極的に拾い集めようと努力していること」は伝わってくる。そしてこの点に関して、選挙戦を闘う彼女が抱いていた不満が映し出されていた。

公示日前から街頭で演説を行っていた岸本聡子は、支援者たちから様々なアドバイスをもらう。「街頭演説では、やりたいことを短くアピールするのが良い」「短い間隔で自身の名前を繰り返せ」などだ。それらは、既存の選挙における常套手段と言えるだろうし、いわゆる「選挙戦」をイメージする際に頭に浮かぶものだと思う。

しかし彼女は、そのようなやり方にどうしても納得がいかない。ヨーロッパの民主主義にどっぷり浸かっていた彼女には、日本の選挙戦が「前時代的」にしか見えないのだ。また、こういう古いやり方は、「組織票を持っている現職」が圧倒的に有利である。そのことを理解している彼女はカメラの前で、次のように不満を口にしていた

挑戦者である私たちがこのやり方で戦わなきゃいけないっていう状況がそもそもおかしいよね。

本当に、その通りだと思う

政策の是非によって選ばれたい」と考えている彼女は、現職を含めて討論する場を設けられないかと会議の場で提案してみる。しかし支援者からは、「現職は討論の場に出てこないから」と一蹴されてしまう。かといって、名前をただ連呼するだけの選挙戦には納得できない。そこで彼女は、とにかく街を歩きながら色んな人に話を聞いてみたり、あるいはタウンミーティングを開いて市民と議論したりと、様々な「声」を拾おうとするのである。

この点に関しては、区長への立候補を支援者に向けて表明した際の「自己紹介」が印象的だった。「聡」という字は、「公の心を耳にする」と書く。彼女は自身の名前に含まれるこの漢字を気に入っているそうで、その上で、「人々の声に耳を傾けること」が自身の使命だと本気で考えているようなのだ。

本当に、まさにこの人しかいないと感じさせるような人物であり、彼女と出会えたことが、支援者にとって最大の僥倖だったと言えるだろうと思う。

岸本聡子と支援者のバトル

さて、そんな「有能に服を着せたような人物」が、カメラの前で盛大に愚痴をこぼす場面がある。そのシーンには前段として、私が本作中で最も興味深いと感じたやり取りが関係しているので、まずはその話に触れておこう。

岸本聡子を応援する支援者の中に、小関啓子という、市民運動の最古参メンバーがいる。見た目だけからの判断だが、恐らく70代か80代の方だろう。そして深夜、岸本聡子と小関啓子が、商店街のガードレール脇で白熱の議論を繰り広げる場面がカメラに収められているのだ。このやり取りが実に面白かった

争点となっているのは、2人の間にある「食い違い」だ。小関啓子は、「岸本聡子が打ち出す政策が、『住民思いの杉並区長をつくる会』の思いを汲んだ内容になっていない」と考えている。彼女は20年以上に渡って市民運動に関わっており、これまでにも散々苦労してきた。そして今、岸本聡子という区長候補が現れてくれたことで、初めて「何かが大きく変わるかもしれない」という期待を持てている。だからこそ、それまでの20年間の様々な思いを詰め込んだような政策の実現を望んでしまうのだ。

一方の岸本聡子は、確かに「杉並区への理解」は乏しいだろう。帰国して2ヶ月しか経っていないし、杉並区民だったこともないからだ。しかし、「政策」に関わってきた経験値は圧倒的である。そしてその経験を踏まえた上で彼女は、「『要求』を『政策』に変えないと何も進まない」と小関啓子に訴えるのだ。

「つくる会」の人たちの要求はもちろん理解しているが、それは単なる「要求」でしかない。それが政治の世界で一定の効力を持つためには、ちゃんと「政策」の形にしなければならないのだ。そのテクニカルな”変換”を岸本聡子はやっているわけで、その過程でどうしても「要求」のすべてが実現できなくなってしまいもする。だから、「『要求のすべてが実現されていない』と批判されても困る」と考えているのだ。

このようなやり取りをした後で愚痴が飛び出すわけだが、その際、岸本聡子は次のように言っていた。

「つくる会」の人たちが言っていることももちろん分かるけど、街頭演説やタウンミーティングをやった上で、さらに(支援者たちとの)人間関係を調整していくようなことまでやるのは難しい。そこまでのスーパー人間はいないと思う。私は相当キャパがある方だと思ってるけど、その私が音を上げるんだから、そりゃあ候補者なんかいないよね。

この発言を聞いてペヤンヌマキは、「もしかしたら、このまま候補を下りてしまうんじゃないか」と心配になったそうだ。確かに、そう感じてもおかしくないような雰囲気はあったと思う。もちろん、「慣れないことに挑戦している」という大変さも多分にあっただろうが、岸本聡子はむしろ、ある種「日本的」とでもいうべき土着的な雰囲気にちょっと苦労させられていたというわけだ。

そのようなあれこれを乗り越えながら、岸本聡子と支援者は公示日を迎えたのである。

いざ選挙戦に突入、そしてその後についても

公示日を迎えても、岸本聡子がやることは変わらない。街頭演説をしたり、市民の話を聞いたりと忙しく立ち回っていた。しかし、それまでと大きく変わった点もある。それが「ひとり街宣」というシステムだ。彼女の支援者が幟を持って区内の様々な場所に立ち、岸本聡子がいない場所でも彼女の応援を行うという仕組みである。支援者の1人が「ひとりで街宣やってもいいですか?」と申し出たことから自然発生的に広がったようで、彼女を支援しようという熱い志を持った者の多さを実感させる光景だった。

ちなみに、作中では説明されなかったのであくまでも私の勝手な解釈に過ぎないが、公示日を過ぎると「公職選挙法」が厳しく適用されるからだろう、「ひとり街宣」は色々と工夫の上で行われていたようである。例えば、彼女たちが持つ幟には「岸本聡子」の名前は入っていなかった。恐らく、「本人がその場にいる時でないと、名前入りの幟は使用できない」みたいなルールがあるのだと思う。だから「ひとり街宣」をする人たちは「杉並区初の女性区長」と書かれた幟を持っていた。また、これは作中の説明で初めて知ったことだが、選挙の際に配る「公式のチラシ」(正式な名前は知らないが)は、切手のようなもの(恐らく何か指定があるのだろう)を貼った上で、さらに本人が演説している場所でしか配れないのだそうだ。なので恐らく、「ひとり街宣」で配っていたのは「公式のチラシ」ではないのだと思う。このように制約はあるものの、「女性区長誕生を応援している」ことはアピール出来るわけで、この選挙戦において「ひとり街宣」という仕組みは非常に有効に機能したと言えるだろう。

選挙戦においては、商店街の中に選挙対策本部が用意され、そこでは多くのボランティアが作業をしていた。「ポストに入っていたチラシを見て手伝いに来た」と語る車椅子の女性が、チラシを折ったり電話を掛けたりしている様子も映し出される。印象的だったのは、とにかく皆が楽しそうに参加していること。その雰囲気もとても良かったなと思う。

そのような選挙戦を経て、ようやく投開票日を迎えることになった。そして冒頭で書いた通り、なんと187票差で勝利したのである。候補者には、その時点で開票されている票数が1時間毎に伝えられるようなのだが、開票終了の直前まで「現職と同数」という連絡が続き、選挙戦の結果を知らずに観ていた私はずっとドキドキしていた。そして最終的に勝ってしまうのである。恐らく、この結果に一番驚いたのは岸本聡子だったのではないかと思う。

負けても、次の4年に向けて皆さんと活動をしていくつもりだった。

まさか勝てるとは思わなかった。

彼女はこのように、率直な感想を語っていた。

さて実は、本作ではこの区長選の後の展開も実に興味深いと言える。

まず映し出されるのは、岸本聡子が所信表明演説を行った翌日の議会でのやり取りだ。区議の1人が岸本聡子に「質問」をすべき時間に、「6月19日の区長選は異常な選挙だった」と、あたかも彼女が何か悪いことをして区長に選ばれたとでも言うかのような主張を展開したのである。恐らく、落選した田中良を支持していた人物なのだと思うが、実に”見苦しい”振る舞いだった。

岸本聡子の支援者たちはその様子を傍聴席から見ており、恐らく「こんな区政はダメだ」と感じたのではないかと思う。そこで彼女たちは驚くべき行動に出る。なんと、岸本聡子の選挙戦を闘った支援者たちが、自ら区議選に出馬したのだ。結果は凄まじく、岸本聡子の支援者複数人を含む15人の新人が当選し、現職12人が落選するという大変革をもたらしたのである。岸本聡子としても、志を同じくする区議が増えたことは心強いだろうし、何よりも、彼女なりの「ミュニシパリズム」を実現するための原動力になるんじゃないかと感じた。

岸本聡子がどのような区政を敷いているのか、それは私には何とも分からない。しかし本作を観る限りにおいては、「何かを大きく変えてくれそうな人だ」という印象がとても強かった。旧来の古臭い政治を維持したい勢力には目の上のたんこぶでしかないだろうが、私たち一般市民が望むような政治の実現には欠かせない人物と言えるのではないかと思う。そんな期待を抱かせてくれる人だと私には感じられた。

最後に

区長選への出馬を決めた当初から語っていた通り、彼女はまさに「日本の民主化のために人生を全うする」ためのスタートラインを切ったと言えるだろう。あらゆる領域で女性の昇進を阻む「ガラスの天井」は未だそこかしこにあると思うが、そのパワフルさで、日本の政治を大いに変えてほしいと思う。

杉並区、なかなか面白いことになりそうだ

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