目次
はじめに
この記事で取り上げる映画
「東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパート」公式HP
この映画をガイドにしながら記事を書いていきます
今どこで観れるのか?
公式HPの劇場情報をご覧ください
この記事の3つの要点
- 「個人の権利」より「公共の利益」が優先されるべきだと思うが、それは当事者ではないから言えることでもある
- もし自分が「都営霞ケ丘アパート」の住民なら、退去には猛反対するだろう
- 賛否の立場を明確にせず、住民の日常生活と悲哀を淡々と切り取る構成が見事
ナレーションが一切なく、音楽もほとんどない映像によって、結果的にテーマがくっきりと浮かび上がってくる
自己紹介記事
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どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください
記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません
「公共の利益」と「個人の権利」のバランスはどう取るべきか?映画『東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパート』が突きつける、当事者であるか否かで変わりうる難しい現実
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本でも映画でも、普段、「面白いかどうか」の確信を持たずに触れるようにしている。当然、あらかじめレビューなど読まないし、評判を調べもしない。「面白いかどうか分からないが、なんとなく気になる」という状態で様々なモノに接するようにしているのだ。
ただやはり、何となくの期待感を抱いてしまう作品もあるわけだが、この『東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパート』は、その中でも事前の期待値が全然高くない作品だった。チラシの情報では、ほぼどんな映画なのか想像できないし、「期待のしようもなかった」という言い方が正しいだろうか。
しかし、思っている以上に面白くて驚いた。扱っているテーマや、それを切り取るやり方などが、よくあるドキュメンタリー映画のものとは違っていて、非常に興味深い作品だったのだ。しかしその一方で、それ故に面白さを伝えにくい作品でもあると感じた。実際、例えば誰かにこの映画の面白さを口頭で伝えるとして、「観たい」と思ってもらえるようなポイントをパパッと挙げることはかなり難しい。
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この記事では、長い文章でこの作品の面白さを伝えるつもりだ。しかしそれでも、ピンとは来ないかもしれない。なかなか言葉では伝えにくい魅力がある作品なので、私の記事から面白さを捉えられなかったとしても、機会があれば観てほしい作品だ。
ちなみに、あらかじめ宣言しておくが、この記事では「矛盾した主張」を展開する。そして、まさにその「矛盾」にこそ、この映画の核が存在すると感じるのだ。
ちなみに、この映画のテーマの1つは「公共の利益」だが、以前、森美術館で行われている「Chim↑Pom展」に関しても「公共」をテーマに記事を書いたことがある。併せて読んでもらえると面白いかもしれない。
映画『東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパート』の設定について
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この映画では何が映し出されるのかについてまずはざっと整理しておこう。ただ、映画にはナレーションが一切存在せず、補助的な説明を果たす字幕も最小限しかない。映画を観ているだけでは、断片的にしか情報を捉えられないので、適宜公式HPの記述を参考にしながら書いていくことにする。
中心になるのは、映画のタイトルにもある「都営霞ケ丘アパート」とそこに住む住民たちだ。
この「都営霞ケ丘アパート」は、1964年の東京オリンピックでの開発の一環として建設された。そしてだからこそ古くから住む住民が多く、必然的に高齢者の割合が非常に高い。映し出されるのは、ほぼお年寄りの住民ばかりだ。
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そして「都営霞ケ丘アパート」は、東京オリンピック2020の開催を理由に取り壊しが決定、住民が立ち退きを迫られることとなった。「都営」とあるように東京都が運営するアパートであり、2012年7月に都から「移転のお願い」が届いている。そして住民たちは、要望書をまとめてここに住み続けたい意思を伝えた。この映画は、そんなやり取りが行われていた2014年から2017年までの、「都営霞ケ丘アパート」とその住民たちの記録である。
映画には、「都に要望書を提出し、その後記者会見を行う様子」や、「1964年の東京オリンピック当時を回想する映像」なども含まれるのだが、基本的には「『都営霞ケ丘アパート』の住民たちの日常」が映し出される映画だと言っていい。つまり、「お年寄りの日常生活」や「移転騒動への戸惑い」などである。
そんな作品だからこそ、何が面白いのかを伝えることがとても難しい。
ちなみにこの映画、東京オリンピック2020の開会式が行われた2021年7月23日に緊急先行上映され、8月13日から全国上映が開始された。公開されたタイミングも含めて、様々な問題を提起する作品だと言っていいだろう。
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オリンピックは「公共の利益」なのか?
さてここからは、映画を観ながら考えたことについてあれこれ書いていくことにする。
まずは、「公共の利益」と「個人の権利」の関係についての基本的なスタンスについて説明しておきたい。私は、
「『公共の利益』のために『個人の権利』が制約される状況」は、基本的に仕方ないものだ
と考えている。これが私のベースとなるスタンスだ。
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それがなんであれ、「構成員すべてが賛同する意見・提案・価値観」など世の中には存在しないと私は考えている。必ず、誰かは犠牲になるし、誰かは反対するし、誰かは拒絶するはずだ。もちろん、状況によっては「全会一致で決めなければならないこと」もあるだろう。よほど重大な問題であれば、「全員の納得が無ければ前には進まない」という判断もあり得る。しかし、すべてをそのようなやり方で動かしていくことは不可能だし、だからこそ「多数決で物事を決める。そのせいで少数派が何らかの不利益を被ることは仕方ない」という考えをベースにするしかないと思っている。
もちろん、その不利益が「回復不能」なものであるなら、「『公共の利益』を優先する」という判断は止める必要があるだろう。何を以って「回復不能」と考えるかは人それぞれだろうが、やはり「生命が脅かされる」「財産がすべて失われる」みたいな状況は、「何らかの不利益」という言葉で片付けられるものではないし、考慮すべきだと思う。しかし、主観的にはともかく、客観的に見て「何らかの手段で代替可能だ」と考えうる事柄については、そのような不利益を被る人が出てきてしまうことは仕方ないと私は考えている。
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これが私にとっての「公共」の捉え方だ。つまり、「個人の不利益を多少許容してでも、全体としてのプラスを目指す」とという考えである。人それぞれ「公共」に対する価値観は違うと思うが、私の意見はこんな風にまとめられる。
さて、このように基本となる立ち位置を確認した後で考えるべきは、「では、『オリンピック』は『公共の利益』と言えるのか?」だろう。
私がこの映画を観たのは、全国公開の翌日の2021年8月14日であり、まさに東京オリンピック2020が閉幕した直後だ。私はスポーツにはまったく関心がなく、東京でやろうがどこでやろうがオリンピックに興味はないが、日本勢が過去最高のメダルを獲得したこともあり、全体的には大いに盛り上がったと言っていいだろう。しかし一方で、延期や感染対策の強化などのために費用が膨らみ、また、オリンピックによって得られるはずの経済効果も期待できなかった。金銭面で言えば大いにマイナスだと言っていいだろう。また、因果関係を証明することは困難ではあるが、オリンピックの開催と同時期にコロナウイルスの感染も拡大し、「オリンピックのせい」と感じてしまう気分もあるだろうと思う。
このように、この映画が公開された時点での状況から判断した場合、「東京オリンピック2020」が「公共の利益」と言えるのかについての判断はなかなか難しくなる。
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しかしこの映画を観る際には、2014年から2017年に掛けての撮影だったことを思い出す必要があるだろう。そして、その期間の国民の気分としては、「東京オリンピック2020」は「公共の利益」と捉えられていたように思う。コロナウイルスの影など微塵もなかった時期であり、再び東京でオリンピックが開かれることに対して期待感しかなかったはずだ。もちろん、その当時も反対の声を挙げていた人はいたはずだが、全体を代表するような意見ではなかったと思う。
さて、ここまでの私の主張は、
- 「個人の権利」よりも「公共の利益」が優先されることは仕方ない
- 少なくとも2017年までは「東京オリンピック2020」は「公共の利益」として受け取られていた
とまとめられる。
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そしてこれらを踏まえて私は、
映画撮影時の状況下なら、「都営霞ケ丘アパート」の住民が立ち退きを迫られている現実を「仕方ない」と受け取る
という立場を取るつもりだ。後で触れるが、実は「都営霞ケ丘アパート」の解体については、「『東京オリンピック2020』を表向きの理由に掲げているだけではないか」とも受け取れる。だから上述の判断についても変更の余地はあるのだが、とりあえず一旦この結論で話を進めようと思う。
自分が当事者だったらどのように判断するか?
さて、先程の「アパート解体は仕方ない」という判断は、「自分が部外者の立場だったら」という想定でのものだ。そして、ここから矛盾したことを書いていくわけだが、もしも自分がこのアパートに住む住人だったとしたら、とてもじゃないが「仕方ない」とは思えないだろう。
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映画を観ながら、自分の中のこの「矛盾」と闘わざるを得なかったことに、非常にモヤモヤさせられた。
私が住民だったとしたら、立ち退きに猛烈に反対したと思う。「オリンピックだかなんだか知らんが、そんな理由は自分には関係ない。なんでそんなことのために自分たちがこの住み慣れた家を出なければならないんだ。冗談じゃない、意地でも動かないぞ。」きっと私はそんな風に考えて抵抗し続けたと思う。
しかも、「都営霞ケ丘アパート」に住んでいるのはほとんどが高齢者であり、しかも猶予期間があったとはいえ、最終的には冬の寒い時期に出ていけと通告されるのだ。立ち退きに反対する住民はギリギリまで残る決断をして当然だろう。しかしそうなると、寒さの厳しい時期に荷造りをして、人によっては家族のサポートも得られずに引っ越しの準備をしなければならなくなる。
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とても許容できることではないだろう。
先述した通り、映画は基本的に、高齢の住民の生活を淡々と映しているだけだ。立ち退き命令に対して強硬に反対運動をする様子も、理不尽な状況に感情を顕にして怒る人もほとんど出てこない。表向きには「高齢の一人暮らしの住民の日常生活」の記録でしかないのだ。しかし映画を観続ける中で、「公共」という概念の難しさが立ち上がってくる。「社会の一員としての『公共』」と「個人にとっての『公共』」が如実に乖離する現実が、この「都営霞ケ丘アパート」にはあるのだ。
さらに興味深いのは、そもそもこの「都営霞ケ丘アパート」が1964年の東京オリンピックの開発で建てられたという点である。つまり、「東京オリンピックが作った建物を、東京オリンピックが壊そうとしている」というわけだ。道路や橋のような「絶対に必要なもの」とは言えないが、「公共」という領域に確実に含まれるだろう「オリンピック」という存在が、「個人の生活」の核となる「住居」の去就に重大な影響を与えているという状況そのものが非常に興味深い。「都営霞ケ丘アパート」という存在を中核に据えたことそのものが、この映画の非常に重大で興味深いポイントとなっていると言えるだろう。
非常に印象的だったのが、かなりの障害を抱えながら一人暮らしをしている高齢男性の言葉だ。右腕は切断されていて無く、左腕は物を持ち上げるのが難しい状態だそうで、それぞれ障害の等級は2級、7級である。片腕が無いというだけで、その暮らしの大変さが想像できるだろう。
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そんな男性が、アパートを追い出されることについて不満を口にする場面で、
都の人も、下の人は可哀相だと思うよ。上からの命令だからさ。
と言っていた。
確かに、客観的に見ればそういう感想になる。アパートの住民と直接接しなければならない都の職員が悪いわけではない。彼らも、命令されて動いているのだ。しかし、自分が障害を抱えた当事者だったとして、引っ越し準備に一苦労な状況の中で、そのような視点を持てるだろうか、とも感じた。
このように、当事者ではない客観的な立場と、当事者だったらどうなのかという想像の立場で、自分の感覚が分裂する点にこそ、この映画の醍醐味があると思う。
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都は「オリンピック」を理由にしてまで「都営霞ケ丘アパート」を解体したかった
先程、「オリンピックは『公共の利益』であり、アパートの解体は仕方ない」というとりあえずの結論を出したが、映画ではこの「都営霞ケ丘アパート」の解体理由の変遷も描かれる。
最初はラグビーの大会を理由に挙げていたという。その後、理由がオリンピックに変わる。しかし2015年に、新国立競技場の整備計画を白紙に戻すことを安倍前首相が決めた。覚えているだろうか、ある建築家の設計で一度は決まったのだが、建設費・整備費がかかりすぎるということで白紙撤回されることになったのだ。
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この撤回宣言により、「都営霞ケ丘アパート」の解体にも待ったが掛かると期待された。新国立競技場の設計が変わるなら、「都営霞ケ丘アパート」を解体する必要性が無くなるかもしれないと考えられたからだ。しかしその後、都は「都市計画で決定済だから」というオリンピックとは別の理由で改めて解体を通告、そのまま決定が覆ることはなかったという。
映画を観た印象では、なんらかの理由で都は「都営霞ケ丘アパート」を解体したいと考えており、「オリンピック」は後付けの理由であるように感じられた。都が解体を推し進めたかった理由までは分からないが、1964年の建造であるので耐久性・耐震性に問題があってもおかしくはないだろう。いずれどこかのタイミングで解体しなければならないのだからオリンピックを理由にして話を進めよう、ということだったかもしれないし、全然違う理由だったかもしれない。
適切なタイミングがいつなのかはともかく、いずれ解体しなければならないのは確かだろうし、であれば、解体が決まった時点で住んでいる住民が大変な思いをすることには変わりない。この映画で切り取られる現実も、「そのタイミングに当たってしまった人たちは不運だった」と考えるべきなのかもしれないとも思う。
ただ、そうだとしても、都の職員の対応は適切ではないと感じた。先程紹介したのとは別の方だが、障害を持つ男性が、「一人での引っ越し準備は大変だから何かサポートはないか」と尋ねた際、こんな言われ方をしたそうだ。
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私たちは引っ越しのことには関与できないので、自分で何とかしてください。身一つで引っ越しして、100円ショップでなんでも揃えたらいいでしょう。
映画では確か、「最終的にアパートを解体するから、要らないものはそのまま残して引っ越して構わない」という話になっていたと思う。つまりこの職員は、「ここから何か持っていくのが大変なら、全部置いて引っ越しして、また必要なものを買い直したらどうですか?」と言っているわけだ。なかなか酷い対応だろう。
福祉協議会などサポートをしてくれる団体が存在すると後から知った男性は、「そういう団体を案内してくれれば良かったのに、そんな話一言もしてもらえなかった」と嘆いていた。「解体」という決定が仕方ないものだとしても、やはり職員は然るべき対応をすべきだろう。なかなか酷い話だと思う。
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また、「解体ありき」であることが分かるこんなエピソードも紹介されていた。住民のサポートをする人物(弁護士だと思うのだがはっきりとは分からない)が記者会見で明かしていた話だ。
ある時、都の職員が住民にアンケートを配り、その集計結果として「8割の住民が移転を希望している」と発表したことがあったという。しかしそのアンケートにはそもそも、「移転を希望しない」という項目が存在しなかったそうだ。お年寄りをだまし討ちするようなアンケートに、「軽いノリのものだから」と言って答えさせ、その集計結果を堂々と発表して、「住民の希望に沿って都は動いている」という風に見せようしている姿も凄まじいと感じさせられた。
「賛成」側にも「反対」側にもつかない映画のスタンス
この映画が見事なのは、「アパート解体に対する是非の議論」という部分に立ち入らない点だ。
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しかしこの映画では、賛成にも反対にも肩入れしない。
というかそもそも、映画の冒頭からずっと、とにかくアパート住民の生活が淡々と映し出されるだけの作品だ。私は普段から、映画を観る前に内容をほとんど調べないようにしているので、「『都営霞ケ丘アパート』の住民が、解体を巡って都と対立している」という情報さえ映画を観る時点で知らなかった。そして、その情報を知らずに観ていると、本当に「ただの高齢者の日常生活」でしかない映像が続くことになる。
映画の途中でようやく、住民代表が都に要望書を提出した後に記者会見を行う、みたいな場面が挿入され、私はここでようやく、「都営霞ケ丘アパート」を取り巻く状況がざっと理解できた。映画全体としてこのような「賛成」「反対」の立場が明確になる場面は少ない。住民が「解体に対して反対意見を口にする」場面も多くはなく、とにかく「引っ越し準備が大変だ」「昔の懐かしい写真が出てきたからみんなで見よう」という場面が続いていく。
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私の勝手な予想だが、制作側は「0か100」の賭けに出たのだと思う。私はこの映画を「面白い」、つまり「100」側だと感じたが、中には「つまらない」、つまり「0」側としか受け取れない人もいるだろう。そして、そういう映画にしようという意図で作られていると思うのだ。
ナレーションが一切なく、音楽がほとんどないのも同じ理由だと感じる。とにかく説明が決定的に欠如しており、状況を把握するのが難しい。普通のドキュメンタリー映画なら、状況をまず提示し、その状況にいかに切り込むかが見せどころになるはずだが、この映画はそんなやり方をしなかった。これは、とても意図的なことだと思う。
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しかしこの映画は、そういう作りにはしていない。
「都営霞ケ丘アパート」の1階にある八百屋のエピソードなど、一般受けする編集には非常に魅力的な素材だろう。映画の冒頭から、その八百屋で買い物をする人々の姿が映し出されるのだが、やがてその八百屋の主人の経験がなかなか特異なものであることが明らかになるのだ。
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八百屋の主人は、西新宿の土地の契約を済ませ、引っ越しの手配をし、いざ引っ越しの日を迎えたわけだが、なんと前の住民が出ていかない。既に契約を済ませている主人は2年間裁判で闘ったそうだ。その結果がどうだったのかはっきり記憶にはないが、結局主人は改めて都に相談し、「都営霞ケ丘アパート」の1階に店を構えることになったという話だった。
そんな経験をしているのに、また都の都合で移転しろと言われている。だからオリンピックには悪い印象しか持っていないと語っていた。
この非常に印象的な話を、対立構造の象徴的なエピソードとして使うこともできただろうと思う。しかしそうはしない。この八百屋の主人の話はあくまでも、「個人のエピソードの1つ」という形で扱われている。
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ドキュメンタリー映画の場合、「現実」という素材そのものは変えられない。しかし、素材をどう扱うかに意思や価値観を含ませることができる。この映画では、「賛否には立ち入らないことで何かを浮かび上がらせる」というやり方に賭けたのだと思うし、万人受けを狙わなかったそのスタンスは非常に好ましいものに感じられた。
だから映画では「何も起こらない」
そんな意図もあってのことだろう、この映画では「高齢者の日常生活」がひたすらに淡々と映し出されていく。普通に考えれば、そんな映画面白いはずがないだろう。
しかしそこに、「彼らが住むアパートが遠からず無くなってしまう」という情報が重ね合わせられることで、同じ光景でも見え方がまったく変わってくるのである。
住民は、長年同じ場所に住み続けている。若い世代もいたのだが、このアパートに特別な愛着はなく、引っ越しに支障があるわけでもない彼らは、解体の話が出始めた頃に出ていってしまい、結局残ったのは高齢者ばかり。彼らにとっては、東京という街がどれだけ変貌を遂げようとも、「都営霞ケ丘アパート」という空間は不変であり、当たり前のものとして存在し続けた景色なのだ。
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どんな理由があれ、法を犯した者は罰せられるべきだと思っている。しかしそれは、善悪の判断とは関係ない。映画『万引き家族』(是枝裕和監督)から、「国民の気分」によって「善悪」が決まる社会の是非と、「善悪の判断を保留する勇気」を持つ生き方について考える
カメラマンがカメラを持って撮影している映像もあるが、恐らく、室内に固定カメラを置いたまま住民の暮らしを切り取っているのだろう映像もある。きっと住民もカメラの存在を忘れているのだろう、ただテレビを見たり、食事をしたり、独り言を言いながら部屋を片付けたりしている場面が延々と続いていく。先程も少し触れたが、中には、昔の写真を見つけたから一緒に見ようと呼びかけて人が集まったり、立ち退きという現実に不満を口にするような場面も映し出されはする。しかしやはり、そういう「非日常」はメインにはならず、全体としては、「引っ越し準備」以外は住民が長年続けてきたに違いない当たり前の日常生活が映し出されるというわけだ。
そして、彼らの日常生活が映画のメインに据えられるからこそ、時折こぼれ落ちる「本音」や「感情」がグッと迫るように届く。この映画は、決して大きなことを望んでいるわけではない、それまでの静かな生活をそのまま継続したいと願っているに過ぎない住民の日常が、「都」「公共の利益」といった巨大なものに押し流されてしまうからこそ感じ取れる悲哀に溢れた作品だ。そしてそこに焦点が当たるためには、ベースとなる「日常生活」を静かに淡々と描くことが最も有効だと言えるだろう。
「映像が直接的に映し出しているもの」だけを観て「つまらない」と判断することも許容される作品だとは思うが、一方で住民が直面している現実を「ある種の災害」と捉えることでまったく異なる見方も可能な作品だと思う。ドキュメンタリー映画としてはなかなか異端的な手法だと感じるが、この映画は、「日常を描く」というやり方を取ったことで、主張したい部分が適切な形で浮き彫りになった、チャレンジに成功した作品だと感じた。
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先程、「都営霞ケ丘アパート」の住民が直面した現実を「災害」に喩えた。自然災害であれば「仕方ない」と考える他ないが、この映画では、「『仕方ない』という判断は本当に妥当なのか?」という問いかけがなされる。そこが「自然災害」を扱った作品とは大きく異なる点だと言えるだろう。
コロナウイルスの蔓延によって私たちは、「どの程度まで『個人の権利』の制約を許容するか」という問いに様々な場面で直面することとなった。ポストコロナの時代には、パンデミックを経験した世代として、「公共の利益」と「個人の権利」の関係性を新たに考え直す必要性が出てくるだろうと思う。
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来たるべきそんな社会においても重要な視点を提示する作品であり、映像が直接的に映し出しているもの以上に多様な問いかけを投げかける作品だと感じさせられた。
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「戦後最大の誘拐事件」と言われ、警察の初歩的なミスなどにより事件解決に膨大な月日を要した「吉展ちゃん誘拐殺人事件」。その発端から捜査体制、顛末までをジャーナリスト・本田靖春が徹底した取材で描き出す『誘拐』は、「『犯罪』とは『社会の病理』である」と明確に示している
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撮影予定の映画が急遽中止になったことを受けて制作されたドキュメンタリー映画『人と仕事』は、コロナ禍でもリモートワークができない職種の人たちを取り上げ、その厳しい現状を映し出す。その過程で「生き延びるために必要なもの」の違いについて考えさせられた
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火災で一命を取り留め入院していた患者が次々に死亡した原因が「表示の10倍に薄められた消毒液」だと暴き、国家の腐敗を追及した『ガゼタ』誌の奮闘を描く映画『コレクティブ 国家の嘘』は、「権力の監視」が機能しなくなった国家の成れの果てが映し出される衝撃作だ
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手作りの舟に乗り、銛1本で巨大なクジラを仕留める生活を続けるインドネシアのラマレラ村。そこに住む人々を映し出した映画『くじらびと LAMAFA』は、私たちが普段感じられない種類の「豊かさ」を描き出す。「どう生きるか」を改めて考えさせられる作品だ
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制御不能の飛行機をハドソン川に不時着させ、乗員乗客155名全員の命を救った英雄はその後、「わざと機体を沈め損害を与えたのではないか」と疑われてしまう。映画『ハドソン川の奇跡』から、「正しさ」の難しさと、「『正しさ』の枠組み」の重要性を知る
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Chim↑Pomというアーティストについてさして詳しいことを知らずに観に行った、森美術館の「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」に、思考をドバドバと刺激されまくったので、Chim↑Pomが特集された「美術手帖」も慌てて買い、Chim↑Pomについてメッチャ考えてみた
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「爆弾事件の被害を最小限に食い止めた英雄」が、メディアの勇み足のせいで「爆弾事件の犯人」と報じられてしまった実話を元にした映画『リチャード・ジュエル』から、「他人を公然と批判する行為」の是非と、「再発防止という名の正義」のあり方について考える
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「ヤクザ」が排除された現在でも、「ヤクザが担ってきた機能」が不要になるわけじゃない。ではそれを、公権力が代替するのだろうか?実際の組事務所(東組清勇会)にカメラを持ち込むドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』が映し出す川口和秀・松山尚人・河野裕之の姿から、「基本的人権」のあり方について考えさせられた
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一時期メディアを騒がせた、佐村河内守の「ゴースト問題」に、森達也が斬り込む。「耳は聴こえないのか?」「作曲はできるのか?」という疑惑を様々な角度から追及しつつ、森達也らしく「事実とは何か?」を問いかける『FAKE』から、「事実の捉え方」について考える
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NSA(アメリカ国家安全保障局)の最高機密にまでアクセスできたエドワード・スノーデンは、その機密情報を持ち出し内部告発を行った。「アメリカは世界中の通信を傍受している」と。『シチズンフォー』と『スノーデン』の2作品から、彼の告発内容とその葛藤を知る
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「北九州連続監禁殺人事件」という、マスコミも報道規制するほどの残虐事件。その「主犯の息子」として生きざるを得なかった男の壮絶な人生。「ザ・ノンフィクション」のプロデューサーが『人殺しの息子と呼ばれて』で改めて取り上げた「真摯な男」の生き様と覚悟
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インドの高級ホテルで実際に起こったテロ事件を元にした映画『ホテル・ムンバイ』。恐ろしいほどの臨場感で、当時の恐怖を観客に体感させる映画であり、だからこそ余計に、「逃げる選択」もできたホテルスタッフたちが自らの意思で残り、宿泊を助けた事実に感銘を受ける
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私個人は、「ビジョンの達成」のためなら「ソフトな独裁」を許容する。しかし今の日本は、そもそも「ビジョン」などなく、「ソフトな独裁状態」だけが続いていると感じた。映画『新聞記者』をベースに、私たちがどれだけ絶望的な国に生きているのかを理解する
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国の諜報機関の職員でありながら、「イラク戦争を正当化する」という巨大な策略を知り、守秘義務違反をおかしてまで真実を明らかにしようとした実在の女性を描く映画『オフィシャル・シークレット』から、「法を守る」こと以上に重要な生き方の指針を学ぶ
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「ルールは守らなければならない」というのは大前提だが、常に例外は存在する。どれほど重度の自閉症患者でも断らない無許可の施設で、情熱を持って問題に対処する主人公を描く映画『スペシャルズ!』から、「ルールのあるべき姿」を考える
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金正男が暗殺された事件は、世界中で驚きをもって報じられた。その実行犯である2人の女性は、「有名にならないか?」と声を掛けられて暗殺者に仕立て上げられてしまった普通の人だ。映画『わたしは金正男を殺していない』から、危険と隣り合わせの現状を知る
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「アイヌの町」として知られるアイヌコタンの住人は、「アイヌ語を勉強している」という。観光客のイメージに合わせるためだ。映画『アイヌモシリ』から、「伝統」や「文化」の継承者として生きるべきか、自らのアイデンティティを意識せず生きるべきかの葛藤を知る
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「ヤクザ」を排除するだけでは「アンダーグラウンドの世界」は無くならないし、恐らく状況はより悪化しただけのはずだ。映画『ヤクザと家族』から、「悪は徹底的に叩きのめす」「悪じゃなければ何をしてもいい」という社会の風潮について考える。
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2008年に開設された新たな刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」で行われる「TC」というプログラム。「罰則」ではなく「対話」によって「加害者であることを受け入れる」過程を、刑務所内にカメラを入れて撮影した『プリズン・サークル』で知る。
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死にゆく母を眺め、施設で暴力を振るわれ、拾った新聞で文字を覚えたという壮絶な過去を持つ鳥居。『セーラー服の歌人 鳥居』は、そんな辛い境遇を背景に、辛さに震えているだろう誰かを救うために短歌を生み出し続ける生き方を描き出す。凄い人がいるものだ
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日本は、死を覚悟して福島第一原発に残った「Fukushima50」に救われた。東京を含めた東日本が壊滅してもおかしくなかった大災害において、現場の人間が何を考えどう行動したのかを、『死の淵を見た男』をベースに書く。全日本人必読の書
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三権分立の一翼を担う裁判所のことを、私たちはよく知らない。元エリート裁判官・瀬木比呂志と事件記者・清水潔の対談本『裁判所の正体』をベースに、「裁判所による統制」と「権力との癒着」について書く。「中世レベル」とさえ言われる日本の司法制度の現実は、「裁判になんか関わることない」という人も無視できないはずだ
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