【感想】映画『窮鼠はチーズの夢を見る』を異性愛者の男性(私)はこう観た。原作も読んだ上での考察

目次

はじめに

著:水城せとな
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出演:大倉忠義, 出演:成田凌, 出演:吉田志織, 出演:さとうほなみ, 出演:咲妃みゆ, 出演:小原徳子, 監督:行定勲, Writer:堀泉杏

この記事で伝えたいこと

「窮鼠はチーズの夢を見る」は、BLでしか描けない関係性を切り取った超名作

犀川後藤

「女性が登場するBL」という意味でも、その難しい設定を成立させている手腕が見事

この記事の3つの要点

  • 主体性がなく、誰かから愛されることだけを強く求める大伴恭一
  • 学生時代から好きだった先輩と一緒にいられながらも苦しさに耐え続ける今ヶ瀬渉
  • 今ヶ瀬渉が全力でぶつかることで、大伴恭一というクズを再生させる物語
犀川後藤

大伴恭一が最後にどんな決断を下すのか、ハラハラドキドキさせられます!

この記事で取り上げる映画

出演:大倉忠義, 出演:成田凌, 出演:吉田志織, 出演:さとうほなみ, 出演:咲妃みゆ, 出演:小原徳子, 監督:行定勲, Writer:堀泉杏
いか

この映画をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

『窮鼠はチーズの夢を見る』が描く大伴恭一と今ヶ瀬渉の関係には、恋愛を越えた、「目の前の人間とどう関わるか」の究極の姿がある

私とBLの関係をまずはざっと

『窮鼠はチーズの夢を見る』は、いわゆるボーイズ・ラブ(BL)と呼ばれるジャンルの作品です。ただ、私は「(異性愛者の)男」なので、いわゆる「腐女子」と同じ視点でBLを楽しんでいるわけではありません。なのでこの記事は、一般的なBLの捉え方とはまた違ったものになるでしょう。まずはその点ご容赦ください。

さて、私は本でもマンガでも映画でも、できるだけ幅広く色んな作品に触れたいと考えています。もちろん、BLもいつかチャレンジしたいと思っていました。ただやはり、知識がないまま足を踏み入れても上手く行かないでしょう。それで、人生の要所要所で、私の周りには「BL的なものを好む女性(腐女子)」がいたこともあり、彼女たちにオススメの作品を聞きつつ、これまでに10タイトルほど、BLの小説やマンガを読んできました。

犀川後藤

ヨネダコウ「囀る鳥は羽ばたかない」「どうしても触れたくない」、おげれつたなか「エスケープジャーニー」、木原音瀬「箱の中」、尾上与一「蒼穹のローレライ」辺りはメチャクチャ良かったなぁ

いか

サンキュータツオ×春日太一「ボクたちのBL論」も名著だよね

そしてその中でも、本作『窮鼠はチーズの夢を見る』は別格中の別格、並ぶものなどないと断言できるほど、衝撃的に素晴らしい作品だったのです。原作も読んで感動し、その後映画も観に行きました。やはり「どうしても原作の素晴らしさには勝てな」とは感じましたが、主演を務めた大倉忠義と成田凌は、実に見事にこの世界観を映像に落とし込んでいたなと思います。

そんなわけで、『窮鼠はチーズの夢を見る』という作品を私がどう読み、どう観たのかを書いていくことにしましょう。

BL作品に詳しくない方向けの、「女性が出てくるBL」の凄さの解説

まずは、本作にBL作品としてどのような特異性があるのか」に触れたいと思います。この話は「BL作品にあまり触れたことがない人」向けに書くので、「分かっているよ」という方は読み飛ばして下さい。

ちなみに、私も別にそうたくさんBL作品を読んでいるわけではありませんが、周りの腐女子に教えてもらったり、先程名前だけ出した『ボクたちのBL論』という本で知識を得たりと、普通の男よりはBL作品に関する知識はあると思います。

著:サンキュータツオ, 著:春日太一
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また、BLには複合的な楽しみ方の要素があるので、単純化して説明すると、腐女子の方から「違うよ!」と言われてしまうかもしれませんが、ここでは簡略的にざくっと説明するつもりです。

まず、これは私の勝手な分類ですが、BLは大きく「エロを全力で楽しむ作品」と「そうではない作品」の2つに分けられると思っています。そして、『窮鼠はチーズの夢を見る』は後者の「そうではない作品」です。私は周りの腐女子に、「エロを全力で楽しむ作品」は避けてほしいとお願いしてたので、そちらのタイプの作品はほとんど読んでいません。

いか

「BL」と聞くと、どうしても「エロ」ってイメージになりがちだけど違うんだね

犀川後藤

周りの腐女子に聞くと、エロ成分がどの程度含まれていればいいかという好みは、人それぞれ違うみたいよ

さて、そうではない作品」にも色んなタイプがあるでしょうが、その中で私が好きなのは、「一方が同性愛者、もう一方が異性愛者で、同性愛者が異性愛者に恋をしているが、なかなかそのことを伝えられない」というタイプの作品です(これ以降「私が好きな作品」と書きます)。大体私は、こういうBLばかり読んできました。

「私が好きな作品」では、同性愛者は友達のフリをして意中の異性愛者に近づきます。もちろん相手は男友達だと思っているので、普通に友達としての関係はスタートしますが、「そこからどうやって恋愛に発展させるかで悩む」という形で話が進んでいくのです。同性愛者は「今のまま友達でいたいわけじゃなくて、恋人になりたい」と考えています。ただ、「恋人になりたいという意思を示したら気持ち悪がられて、友達としての関係も終わってしまうかもしれない」とも感じていて、そんな恐怖と戦いながら日々過ごしているのです。この辺りの人間模様を繊細に描いていくというのが「私の好きな作品」の特徴になります。

犀川後藤

私はBLのことを「日常に絶望を持ち込む装置」と呼んでる

いか

男女間だと、「難病」とか「王族と一般人」みたいな設定にしないと描けない「高い壁(絶望)」を、BLは日常で描き出せる、って意味だね

それでは、『窮鼠はチーズの夢を見る』の設定上の凄さに触れることにしましょう。それは、「異性愛者の恋愛対象として女性が登場すること」です。

「私が好きな作品」に限らずBLには、基本的に女性はほぼ登場しません。もちろん、「モブ的なクラスメート」「コンビニの店員」「主人公の妹」みたいな形で出てくることはあるでしょうが、重要な存在として登場することはないと思います。

その理由は、「私が好きな作品」の場合は当たり前の話なのですが、「異性愛者は当然、女性がいれば女性の方を選んでしまう」からです。

主人公の1人が異性愛者のBLに恋愛対象になりそうな女性が登場すると、同性愛者にはまず勝ち目がなくなるでしょう。あくまでも、「『異性愛者に恋人がおらず、気になっている女性もいないタイミング』だからこそ、同性愛者にも振り向いてもらえるチャンスがある(と読者は思い込める)」わけです。

だから、「私が好きな作品」には、恋愛対象になりそうな女性を登場させるわけにはいかないのです。

しかし『窮鼠はチーズの夢を見る』には、異性愛者の恋愛対象として女性が登場するのです。これが本当に凄まじいなと感じました。

先述した通り、同性愛者が異性愛者と恋愛関係になろうとする場合、「異性愛者に『気になる女性』がいたら勝ち目はない」と感じてしまうでしょう。しかし『窮鼠はチーズの夢を見る』は、その超絶難しいハードルをクリアし、「異性愛者には目移りする女性がたくさんいる中で、『それでも同性愛者を選ぶか』でハラハラドキドキさせる」という感覚を読者に与えてくれるのです。

犀川後藤

この点は、「ボクたちのBL論」でも「凄い」と指摘されてたから、やっぱ凄いんだと思う

いか

他にも同じ挑戦をして上手くいってるBLってあるんかなぁ

この点を押さえた上で本作に触れると、この作品の凄まじさがより実感できるのではないかと思います。

大伴恭一というクズ

それでは作品の内容に触れていきましょう。詳しい内容紹介は後回しにしますが、まずは今ヶ瀬渉と大伴恭一という2人の主人公をざっと紹介しておきます。

今ヶ瀬渉は、大学在学中から先輩である大伴恭一のことをずっと好きでい続けている同性愛者です。一方の大伴恭一は女好きで、結婚してからも会社の部下などとたびたび関係を持ったりしています。同性愛とはまったく無縁のバリバリの異性愛者だと言っていいでしょう。

そして本作は、そんな2人が久々に再会し、今ヶ瀬が恭一にアプローチを仕掛けることで展開していく物語です。

それではまず、恭一の方から掘り下げていくことにしましょう。「女性が登場するBL」という特異な作品を成立させている大きな要因は、この恭一という男の「ある意味でゲスな性格」にあるからです。

犀川後藤

この作品を読んで強く思ったのは、「俺、イケメンじゃなくて良かった!」ってことだわ

いか

イケメンだったら、恭一みたいなクズになっててもおかしくないもんね

犀川後藤

正直恭一には、メチャクチャ共感できてしまうし、そんな自分が怖い……

恭一は、徹底的に「受け身」の人間として描かれます。彼はイケメンで、普通にしているだけで女性が近寄ってくる人生でした。そのため彼の中には、「好意は相手が示してくれて当然」という感覚があるのです。

人生で一番大切なことはなんだろう。
人によって様々だろうけど、俺にとっては、「自分が確実に受け入れられている」という保証のもとに生きられることが、一番重要なことらしいと悟りつつある。

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

彼は受け身の天才であり、「相手からどう好意を引き出すか」を考えることなどお手の物でした。だから、相手のスイッチをサクッとONにして自分を好きにさせることで、「自分は愛されている」と確認するみたいな日々を過ごしてきたのです。

さて怖いのは、彼にはまったく悪気がないということでしょう。そしてそんな彼は時々、周囲の人間から厳しいことを言われます。

あなたは愛してくれる人に弱いけど、結局その愛情を信用しないで、自分を追いかけてくる人の愛情を次々に嗅ぎ回る

映画「窮鼠はチーズの夢を見る」

あんたって相手から好意を示されると絶対拒めないんだもん。そういう主体性のない付き合いって、自分も相手も不幸にするよ。わかってる?

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

そして結果的に、恭一のこの性格が、不可能とも思えるような「女性が登場するBL」を成立させています。何故なら恭一は、究極的に言えば「男女問わず自分に好意を示してくれる”誰か”がいればそれでいい」からです。恭一は確かにこれまで女性とさんざん遊び倒してきたわけですが、それは「異性愛者だから」というよりは、「女性の方から自分にアプローチしてくれるから」という理由の方が大きかったのだろうと思います。

じゃあそれが男だったらどうなるのでしょう? 「自分は当然異性愛者だ」と考えていた恭一ですが、今ヶ瀬からのアプローチによって、「『女性だからいい』ではなく、『自分を好きになってくれるからいい』という自分の感覚に気づかされた」のだと思います。

やばい…。楽だ。押し掛けゲイに居座られて世話を焼かれる生活は存外に楽だ

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

こうして恭一は、今ヶ瀬との関係をきっかけに、「女でも男でも、自分をメチャクチャ好きでいてくれる人がいればそれでいい」と気付かされてしまったのです。

いか

恭一は大学時代の友人から「流され侍」って呼ばれてたね

犀川後藤

ダサいネーミングだけど、まさにその通りって感じ

さて、恭一ほどの強さかどうかはともかく、「愛されたい」と思う気持ちは男女とも抱いているでしょう。程度の差こそあれ、恭一に共感できる部分はあるんじゃないかと思います。

しかし残念ながら、「愛されること」を何よりも求めすぎるが故に、他人の愛情を信じられなくなってしまったりもするはずです。この点についてはこんな風に指摘されていました。

貴方は愛されることを何よりも望む人だけど、その実、他人の愛情を全く信用していない。だからフラフラ彷徨って、自分に近付く相手の気持ちを次々に嗅ぎまわる。何故だか俺には分かります。貴方が自分のことをつまらない男だと思っているからだ

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

つまりこういうことです。恭一は、「愛されたい」と願っているのに、「こんなにもつまらない自分のことを愛してくれるのはおかしい」と感じ、相手の愛情を信用していません。そしてそれ故に、もっと愛してくれる別の人を求めてしまうというわけです。

私は別に、こんなややこしいループに囚われているわけではありませんが、もし自分がイケメンで、黙ってても女性が言い寄ってくるような人間だったら、まさに恭一のような思考になっていたかもしれません。そういう意味で、恭一に対する厳しい非難が、まるで私にも突きつけられている気がしてしまったのです。

犀川後藤

私は別に「モテる」ような人生じゃないけれど、もしそうなったら気をつけようと、反面教師的な感じで読んだよ

いか

まあ、モテないだろうから大丈夫だと思うよ

『ボクたちのBL論』の中で春日太一が、「内面地獄」という言葉で本作『窮鼠はチーズの夢を見る』を評していましたが、まさにその通りで、色んな意味で読む者の心をグサグサと刺してくる作品だと感じました。

「今ヶ瀬は恋愛対象ではない」からこそ実現した恭一の再生

さて私は、本作『窮鼠はチーズの夢を見る』を「恭一というクズの再生物語」と捉えています。「『女性からの愛情を求め続け、しかし一方ではそれをまったく信用しない』というドツボにハマっている恭一を、結果的に今ヶ瀬が救い出す物語」というわけです。

そしてそれが実現した最大のポイントが、「恭一にとって今ヶ瀬は恋愛対象ではない」という点にあると考えています。そういう意味で本作は、「BLでしか描けない人間関係を捉えている」とも言えるでしょう。「BL」というのが単なる設定ではなく、「そういう世界観でなければ描けない何か」を切り取るための重要な要素になっているというわけです。

ではなぜ、「恋愛対象ではないこと」が恭一の再生に繋がるのでしょうか? それは、恭一が恋愛対象である女性を「傷つけてはいけない存在」だと考えていることと関係があります。

「女性と接する恭一」と「今ヶ瀬と接する恭一」は、まったくの別人です。これは、映画を観るとより実感できるでしょう(こういう部分を大倉忠義がきちんと演じてくれているからこそ、映画は見事に成立していると感じました)。

恭一は、女性のことを「傷つけてはいけない存在」だと考えているので、表面上凄く気を遣っています。ただ正直メチャクチャ下手くそなので、結果的に女性を傷つけてしまっているのです。

ただし、その事実に彼自身はまったく気づいていません。恭一は、「自分は女性に配慮しているし、傷つけないように意識もしている。だから相手は傷ついてなどいないはずだ」みたいに考えているのです。彼と関わる女性は、実は心を痛めているのですが、その事実は恭一には伝わってはいません。

「相手を傷つけまい」という意識を持つ恭一の振る舞いは、パッと見はとても優しく映るでしょう。しかし実際には、誰に対しても温度を感じさせないような、温かみのないものに思えてしまうのです。

特にこれは、読者・観客目線においてより強調されるでしょう。実際に恭一と関わる女性たちは、寂しさや辛さを抱えつつも、恭一と一緒にいる時はなんだかんだ「楽しい」と感じています。一方で、そんなやり取りを俯瞰で見る私たちは、「こういう人、ちょっと嫌だな」みたいに感じてしまうでしょう。

犀川後藤

大倉忠義の温度を感じさせない演技は凄く良かったと思う

いか

それが、今ヶ瀬と関わる時のギャップになっていくからね

恐らく恭一は、このまま女性とだけ恋愛関係を続けていたら、人間的には何も変わらなかっただろうと思います。「傷つけてはいけない存在」である「女性」に対しては、「本心を見せてはいけない」というブレーキが常に掛かり続けるし、その状態では何も変わりようがないからです。

しかし恭一にとって、今ヶ瀬は「恋愛対象」ではありません。一緒に生活し、時々セックス的なこともするのですが(これは恭一視点では「させられているだけ」なのだけど)、今ヶ瀬は「男」なので恭一にとっては「恋愛対象ではない」という判断になるのです。

そしてだからこそ、今ヶ瀬と関わる時の恭一はとても自然体なのでしょう。

恭一は、女性には決して言わないような「傷つける言葉」を今ヶ瀬には当たり前のように口にするし、恐らく恭一自身の素なのだろう「冷たい部分」を、今ヶ瀬には臆することなく出していきます。そしてこの「『自分のことを好きだと言ってくれる相手』に自分自身を包み隠さずオープンにさらけ出す」という経験は、恭一にとって初めてのことであり、そのことが恭一の再生に繋がっていくというわけです。

犀川後藤

この設定も、ホントに見事だよなぁと思った

いか

まさに、BLでしか描けない作品だよね

作中ではっきりと描かれているわけではありませんが、恐らく恭一はこんな風に感じていたのではないかと思います。より具体的に書けば、「女性といる時は、確かに愛されている実感はあったし、セックスもできる。満たされていないこともなかったれど、ただ、自分を抑えているような感じもあって窮屈だった。でも今ヶ瀬といると、自分を取り繕う必要はないし、愛されてる実感も持てる。これは思ってるよりいいんじゃないか」みたいな感じでしょう。

実際、彼はこう言っています。

正直、俺には都合が良すぎて心地良すぎて、これが愛なのかどうか判別がつかないんだ

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

色んな意味でこれまでとは何もかもが違う今ヶ瀬との日々の中で、彼は「自分が何を求めているのか」をより強く実感させられたのでしょう。そしてそれ故に、「『恋愛』とも『友達』とも少し違った形で、男同士の関係性が成立している」のであり、その点が実に見事だったなと思います。

もちろん、今ヶ瀬渉はめちゃくちゃキツい

恭一は、今ヶ瀬との関係の中で新しい自分を発見し、「もしかしたら今までよりも全然心地いい関係だったりするんじゃないか?」なんて呑気なことを考えているわけですが、恭一がそんな風に感じられるのも、ひとえに今ヶ瀬の努力あってのことです。なにせ恭一は「何もしなくたって女性からモテモテ」なので、そこに今ヶ瀬が割り込むためには、多少強引な手段に加えて、徹底的に尽くす姿勢を見せなければ成り立たないでしょう。

今ヶ瀬の恭一への愛は本物です。作中で今ヶ瀬は、恭一への愛を様々な形で直接的に示していたすのですが、私にはむしろ、「間接的だからこそ今ヶ瀬の愛が浮き彫りにされた場面」の方が印象的でした。

それは、学生時代に恭一からもらったライターについて今ヶ瀬が言及したシーンです。そのライターは、恭一が当時付き合っていた女性からもらったもので、それをさらに今ヶ瀬が譲り受けたのでした。このライターについて今ヶ瀬はこんな風に言っています。

貴方が女からもらったものなんか、本気で欲しかったわけないじゃないですか。あの頃、貴方を好きだなんて言えるはずもなかった俺は、ただ……ただそれを口実に、貴方の指に触りたかっただけなんです

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

今ヶ瀬の切実さがよく伝わる場面だと私は感じました。そう、今ヶ瀬は、そんな「この人と恋愛関係になるなんて絶対に不可能だろう」という地点から、これでもかという手を尽くして、どうにか一緒に住んでセックスをするような関係にまで持ち込めたわけです。

犀川後藤

今ヶ瀬の、悪巧みもありつつ可愛げのある感じを、成田凌が凄く上手く演じてたなぁ、って感じする

いか

大倉忠義と成田凌っていうセレクトは絶妙だったってことだね

しかし恭一にこそ見せませんが、今ヶ瀬は彼と過ごす生活の中で常に苦しさを感じていました。

バイ。期待してしまいそうになる。わきまえろ俺。どんなに優しくしてくれたって、あの人はほんとは月みたいに遠い人なんだ

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

俺、これでも結構いっぱいいっぱいなんですよ。キツイ思い何度もして、ノンケのあの人相手にやっとここまで漕ぎつけたんです

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

今ヶ瀬は、「恭一とこんな風に一緒にいられる生活は、ギリギリのバランスで成り立っている」と理解しているのです。そして、まさにそんな実感を恭一に吐露してしまう場面さえありました。

こんな関係、俺が「欲しい」と言うのをやめたら、今すぐ終わってしまうのに……

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

ひたすら流されていくだけの恭一は、ただただ自分を押し流してくれる誰かの傍にいてぼーっとしていれば心地よく時が過ぎていきます。しかし押し流す側の今ヶ瀬は、常に心のザラザラと向き合わされてしまうのです。

また、恭一は当然、女性とも関係を持とうとします。彼らは別に付き合っているわけではないので(そう、付き合ってはいないのです)、今ヶ瀬は文句を言えるような立場にはありません。それどころか、こんな言い方で恭一の重荷を取り去ろうともしていました。

あんまり難しく考えないでくださいよ。俺は別に貴方にゲイになってもらおうとか、一生付きまとってやろうとか思ってるわけじゃありませんから。貴方はいつか本当の恋をしますよ。他人にじゃなく、自分の内側から溢れてくる感情にどうしようもなく流される思いをする時がくる。そういう「運命の人」が現れたら、俺はスンナリ貴方の前から消えますよ。だからそれまで、俺と遊んでください

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

これは、ある意味では今ヶ瀬の本心であり、ある意味本心ではないのですが、そういう複雑な心境を吐露している場面です。そしてもう1つ、本作全体の中で私が最も好きなセリフを紹介したいいと思います。

貴方はいずれは女の人のものになる人だ。だからこそ俺は、貴方の中でたった一人の男になれる。……それだけが俺の心を守る縁(よすが)なんです。どうぞ貴方は女と幸せになることだけ考えていてください。何ももらえなくたって俺は勝手に貴方に尽くすし、邪魔になればちゃんと空気を読んで消えます。迷惑はかけません

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

メチャクチャ切ないでしょう。今ヶ瀬は「これだけの条件を整えなければ、恭一が自分といてくれるはずがない」と考えていたわけだし、確かにそれは当たっていると思います。今ヶ瀬は「好きな人にとっての唯一の男になる」というその1点のために他のすべての苦痛を引き受けるような、そんなしんどい決断をしているというわけです。

犀川後藤

映画では、原作ほどには内面を深く掘り下げられないから、映画も原作もどっちも触れてほしい

いか

特に今ヶ瀬の切実さとか覚悟は、原作を読まないと理解できない部分も大きいからね

2人とも「終わる関係」だと考えていた

さて、彼らはこの関係について、「今の状態がずっと続くわけがない」という前提を共有し、刹那的な関係だと認識していたと言っていいでしょう。

恭一は、今ヶ瀬と関わるようになってからも「異性愛者である」という認識が変わることはありません。ということは、「今ヶ瀬との関係がいつまで続くか分からないが、ずっとは続かない」と考えていると捉えるべきでしょう。

一方の今ヶ瀬も、「恭一は女性と恋愛・結婚することになるだろう」と思っていて、基本的には「短期間だけなので、あなたの傍にいさせてください」というスタンスを最後まで崩しません。

しかし当たり前ですが、両者の覚悟はまったく違いました。

恭一は、今ヶ瀬の真剣さを基本的には全然理解していないので(今ヶ瀬が「気楽に考えてくださいよ」という雰囲気に持ち込もうとしているから当然ではあるのだけど)、「いつか終わるだろうけど、ま、今は楽しいし、しばらくこんな感じでいいんじゃないかな~」みたいなフワフワした気持ちでいます。

しかし今ヶ瀬はまったく違い、「恭一との関係を、いつどのように終わらせるべきか」を常に考えていました。恭一の性格を嫌というほど理解しているからこそ、「この関係は『自然に終わる』のではなく、『自分が終わらせる』しかない」と覚悟していたのです。

映画ではそこまで深く描かれませんが、マンガでは後半に行けば行くほど、今ヶ瀬のグチャグチャした感情と、「彼が恭一との関係にどのような覚悟で臨んでいたのか」という気持ちがブワーッと溢れる展開になります。ただ、色々と書きたいことはあるのですが、後半の展開についてはあまり書きすぎないように、引用は次の1つに留めておきましょう。

わかんないかな。潮時だって言ってるんですよ。貴方は本当に俺によくしてくれた。望んだことはすべて叶えてもらいました。もう十分です。来れるところまで来れた。……でも、もうここまでです。これ以上先、貴方と行ける場所なんてどこにもない。行き止まりまで来たんですよ……

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

呑気な恭一は、「この関係を今ヶ瀬の方から終わりにする」なんてまったく想像もしていませんでした。「自分のことを『好きだ好きだ』と言ってくれる今ヶ瀬は、自分が拒否しなければずっと傍にいるんだろう」みたいに高をくくっていたわけです。

しかし今ヶ瀬の覚悟を知り、今ヶ瀬がそれまでどんな気持ちで自分と一緒にいたのかを何となく理解した恭一は、呑気に「あ~楽だ~」と思っているだけだった関係性が、かなり歪な非対称を描いていたことにようやく気付かされました。

恭一の再生のスタート地点はここだと言っていいでしょう。

犀川後藤

恭一は恐らく初めて、「自分が、自分と関わる誰かを傷つけた」っていう実感を得たんだろうなぁ

いか

今ヶ瀬の全力の体当たりが、恭一を真人間にするきっかけになったのね

今ヶ瀬は別に、恭一を再生させようとしていたわけではありません。純粋に、恭一と一緒にいたかっただけです。ただ、そのために持てる力を振り絞って恭一に向き合ったことが、結果的に恭一の目を開かせることになったのでした。

そして、ようやくスタート地点に立った恭一は、初めて真剣に今ヶ瀬との関係を考え始めるのです。

恭一は、今ヶ瀬の覚悟を知ることで初めて、「今ヶ瀬との関係が、自分の意思とは無関係に終わってしまう可能性」に気づきました。今ヶ瀬は、客観的に見ればただの「同居人」でしかありません。そんな彼を繋ぎ止めておくための「恋人」「夫婦」といった”重し”は存在しないのです。

恭一は今ヶ瀬との関係にこれまで抱いたことのない心地よさを感じています。女性といる時にはどうしても自分を取り繕ってしまう恭一が、今ヶ瀬の前では素を出せるのでした。

実際には、そういう振る舞いは恭一が気づかぬところで今ヶ瀬を傷つけてきたわけだし、それを知ってしまった今、これまでと同じように一緒にいるなんてことはできないかもしれません。それでも、「今ヶ瀬と一緒に生活する」という選択肢は、恭一の中で現実的なものとして立ち上がってくるのです。この展開は本当に凄いなと思います。

こんな風にして恭一は、恐らく人生で初めて、「誰かに流される」のではない形で大きな決断を迫られることになるわけです。

いか

ここまで説明すると、「女性が登場するBL」として作品が成立する理由が分かってくるね

犀川後藤

ホントに、大伴恭一と今ヶ瀬渉という2人の関係性じゃなかったら成立しないだろうなぁ

他人との関わりにおいて初めて主体性を持とうとする恭一の変化は、まさに「再生」と呼んでいいでしょう。恭一がどんな決断をするのか、それは是非作品に触れてほしいですが、最後の最後まで「どうすんの恭一?!」とドキドキさせてくれます。

本当に、素晴らしい作品だと感じました。

『窮鼠はチーズの夢を見る』の内容紹介

大伴恭一は結婚しているが、仕事のできるイケメンで、お遊び程度に不倫も楽しんでいる。しかしある日、探偵事務所の人間がやってきて、彼の不倫現場を押さえた写真を突きつけられてしまう。奥さんから調査の依頼があったのだという。

その探偵事務所の人間が、今ヶ瀬渉だった。今ヶ瀬は恭一にある取引を持ちかける。不倫の現場は押さえましたが、もし恭一先輩がキスしてくれるなら、この写真なかったことにしてあげますよ、と。恭一は悩みながらも今ヶ瀬のその提案に乗り、ホテルの部屋で嫌々ながらも今ヶ瀬のキスを受け入れるこになる。

そんな出会いから始まった二人は、今ヶ瀬が少しずつ恭一の牙城を切り崩すことで進展していく。今ヶ瀬の存在とは関係なしに結果的に離婚することになった恭一は、ちょくちょく部屋にやってくる今ヶ瀬と半同棲のような状態となり、「流され侍」
である恭一は、今ヶ瀬からのセックスのアプローチも受け入れるようになっていく。

そうやって二人の関係は、恋人ではないが一緒に暮らしていてセックスもするという、なかなか名前の付けがたい関係として進展していくのだが……。

出演:大倉忠義, 出演:成田凌, 出演:吉田志織, 出演:さとうほなみ, 出演:咲妃みゆ, 出演:小原徳子, Writer:堀泉杏, 監督:行定勲
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最後に

「BL」と聞くと、「どうせエロでしょ」みたいな偏見から手を伸ばさない人もいるんじゃないかと思います。もちろん、「エロ」がメインの作品もあるでしょう(別にそれがダメなわけじゃありませんが)。ただ、そうではない作品もあるし、その場合は、「『BLでしか切り取れない関係性』が描かれていることが多い」というのが私の印象です。

「BL」なので、どうしても「エロ成分ゼロ」というわけにはいきませんが、『窮鼠はチーズの夢を見る』は原作も映画もかなりエロ成分は少ない方だと思うので、「BL」に馴染みがないという人(男女問わず)にも是非触れてほしいなと思います。

ホントに、度肝を抜かれる作品ですよ。

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