【拒絶】映画『ブルータリスト』は、ホロコーストを生き延びた建築家の数奇な人生を描く壮大な物語(監督:ブラディ・コーベット、主演:エイドリアン・ブロディ、フェリシティ・ジョーンズ)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

監督:ブラディ・コーベット, プロデュース:ブラディ・コーベット, プロデュース:トレヴァー・マシューズ, プロデュース:ニック・ゴードン, プロデュース:ブライアン・ヤング, プロデュース:アンドリュー・モリソン, プロデュース:アンドリュー・ローレン, プロデュース:D.J.グッゲンハイム, Writer:ブラディ・コーベット, Writer:モナ・ファストボールド, 出演:エイドリアン・ブロディ, 出演:フェリシティ・ジョーンズ, 出演:ガイ・ピアース, 出演:ジョー・アルウィン, 出演:ラフィー・キャシディ, 出演:ステイシー・マーティン, 出演:イザック・デ・バンコレ, 出演:アレッサンドロ・ニヴォラ
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 215分にも及ぶ本作では、表向き大した物語は描かれないのだが、底流ではずっと「不寛容」に焦点が当てられている
  • 絶望と幸運の紆余曲折の果てに、主人公のラースローはある資産家のパトロンを得て飛躍し始める
  • 5年以上も離れ離れで過ごしていた夫婦がついに再会を果たすも、2人は時代に引き裂かれてしまう

彼ほどの人物でもこれほど苦労させられたのだとすれば、同時代のユダヤ人はもっと大変だっただろうと想像させる物語でもある

自己紹介記事

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記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

ある建築家の壮大な人生を描き出す映画『ブルータリスト』は、ホロコーストを生き延びたユダヤ人に対する“不寛容”を丁寧に描き出す

215分間淡々と展開し続けるだけの物語なのに、建築家のその壮大な人生に圧倒されてしまった

本作『ブルータリスト』は元々観ようと思っていた作品なのだが、公開直前に公開館などを調べていて驚いた上映時間が215分となっていたからだ。ざっと3時間半である。配信で観るならともかく、劇場で観るにはなかなか気合が必要な映画と言えるだろう。

そしてもう1つ、私が鑑賞前の時点では理解していなかった点に触れておこうと思う。私は何となく、本作では「実在の人物が扱われている」のだと思い込んでいた。特に理由はない。そんなわけで、劇場で小冊子を受け取った時も特に疑問に思わなかったのだ。その小冊子は、本作の主人公である建築家ラースロー・トートの来歴をまとめたものだった。そして私は、「実在の人物なんだから、そりゃあこんな小冊子だって作れるよね」みたいに思いながら受け取ったのである。

ただ、その小冊子を読んでいる時、裏面の最後に小さく、「※本書の内容は一部を除きすべて架空の内容です。」と書かれていることに気づいた。そこで私はようやく、「そうか、ラースロー・トートは実在の人物じゃないんだな」と理解したのである。まあ、だからどうということもない話なのだが、個人的には「実話を基にした物語」である方が好みだったりもするので、「そうか違うのか」と感じたというわけだ。

さて私は本作を観て、215分もあるのに飽きさせない、実に壮大な物語だったことに驚かされた

ただ、確かに「壮大」ではあるのだが、正直大した物語が描かれているわけではない序盤こそ、「ホロコーストをギリギリ生き延びた主人公が、どうにかアメリカへと渡る」という歴史の重みを感じさせる展開だったが、それ以降は、「物語の規模」みたいな意味で言えばそこまでスケールは大きくないだろう。物語の骨子は、「ハンガリーでは新進気鋭だった建築家が、アメリカではしばらく不遇の時期を過ごすことになり、しかし様々な偶然と幸運によって、ある資産家の個人的なプロジェクトに関わるようになる」という感じで、別に凄まじくドラマチックなことが起こるわけでもない

にも拘らず、本作にはかなり圧倒されてしまった。なかなか骨太の物語である。

「アメリカはホロコーストの生存者を”受け入れない”」という、主人公が感じ続けただろう視線について

「大した物語が描かれているわけではない」と書いた通り、主人公がアメリカの地を踏んでからの紆余曲折の人生は正直なところ、物語として描くほどの何かがあるようには見えないんじゃないかと思う。ただそれは、あくまでも「表の物語」の話である。

本作ではその底流の部分に、ある感覚がずっと流れ続けているように私には感じられた。それが、「アメリカはホロコーストの生存者を”受け入れない”」である。そして、そんな物語を印象的に描き出そうとしたら、「こんな凄い人物でさえ受け入れられないのだ」と思わせる方が効果的だろう。だからこそ主人公は「ハンガリーで新進気鋭だった建築家」なのだろうし、そしてそんな人物の人生を215分も掛けて描き出したのだと思う。

ラースローが最初にそのことを強く実感したのは、早くにアメリカに移り住んでいたいとこのアティラとの関わりにおいてである。家具店を経営している彼はユダヤ人なのだが、妻に合わせる形でカトリックに改宗した。そして、命からがらアメリカに渡ったラースローは、まずは彼を頼ることにしたのである。建築家という経験を活かしながら家具店の仕事も手伝いつつ、店の一角に住まわせてもらって生活の基盤を作ろうと考えていたのだ。

しかし、そんな生活はある日突然終わってしまう。アティラから「もう協力出来ない」と突きつけられたからだ。表向きの理由は、「得意先の資産家を怒らせてしまったこと」である。ハリソンというその資産家の双子の息子・娘が、父親に内緒で書斎を作り変えるというサプライズを考えたのだが、結果としてこれがハリソンの逆鱗に触れてしまったのだ。そのためアティラは、その罪をラースローになすりつけるようにして彼を追い出したのである。

しかしより本質的な理由は、アティラの妻が関係している。ざっくり書くと、「彼女が『ラースローを受け入れたくない』と考えたために、彼は去らざるを得なくなった」のである。そしてそれは、妻の個人的な感覚というより、やはり「アメリカという国が、ユダヤ人の受け入れを拒んでいる」みたいに捉える方が自然だろうと思う。

ただ結果的には、ハリソンの書斎の仕事を請け負っていたことが、彼の人生を大きく変えることに繋がった。どんな経緯からそうなったのかは是非本編を観てほしいが、かなり不遇な生活を送っていたラースローに「蜘蛛の糸」が垂れてきたかのように、その境遇が一変するのである。

ハリソンは後々こんなことを語っていた

多少なりとも権威を持つ者として、”時代の才能”を育てることは責務だと考えている。

「才能ある人物にチャンスを与え、飛躍のきっかけを与える」という役割にかなり自覚的だったというわけだ。そしてこのことからも分かるように、ハリソンはラースローのことをかなり高く評価しているのである。

また別の場面でのやり取りも興味深かったなと思う。ハリソンがラースローに「どうして建築をやる?」と質問した際に、彼は「何事もそれ自体は説明しない。立方体には本質的に、その構造以外の説明があるか?」と答えた後、さらに次のような話をしていた。

戦争は多くのものを破壊したが、私のプロジェクトの多くは残った。いずれ、戦争の惨禍が人々を辱めなくなった頃に、建築物が政治的刺激の代わりになってくれたら嬉しい。

なかなか含蓄のある言葉ではないだろうか。そしてこの返答に対してハリソンは、「実に詩的な回答だ」と感心していた。恐らく、本心だと思う。私の感触では、ハリソンの周囲にいる人間はハリソンほどラースローに関心を抱いていないようなのだが、ハリソンだけは「その才能に嫉妬する」と口に出すほど、ラースローという個人に強く興味を持っているのである。

そしてこの時彼は、「少なくともハリソンという人間には受け入れてもらえた」みたいな感覚になれたのではないかと思う。ハリソンの周りにいる者たちは、「どこの誰とも知れない人物が上流階級の世界に潜り込んでいること」に、何なら不快感すら抱いているように見えるのだが、ハリソンからの敬意・関心は本物である。そして、「こんな風に認めてもらえた」という事実は彼にとって、かなり誇らしいことだったに違いないと思う。

しかしそんな「蜜月」も、残念ながらずっと続くわけではなかった。しかも、かつて書斎の改装に関わった時と同じように、ラースロー自身にはまったく非の無い状況が、結果として彼を破滅に導くことになったのである。いや、「まったく非が無い」とも言えないかハリソンのプロジェクトは、個人発注のものとしてはなかなかの規模のものであり、だからこそ関わる人間も多い。そんな中でラースローは、自身の主張を押し通そうとかなり高圧的な振る舞いを続けていたのだ。それが災いした可能性も無くはない。とはいえ、仮にラースローがお行儀よくしていたところで、あんな「事故」が起こってしまえばどうにもならなかっただろうとは思うけれども。

そんなわけでラースローは、またしても「受け入れられた」という感覚を手放さなければならなくなってしまった。このように、「アメリカ」という分厚い壁に幾度も跳ね返される、そんな人生が描かれる作品なのだ。

後に合流した妻エルジェーベトとの関係性の変化

また、「受け入れられたかどうか」みたいな描写は他にもあった。ラースローは、欧州に妻エルジェーベトを残したままアメリカにやってきたのだが、そんな彼女との関係性においてもこの話が絡んでくるのだ。

物語後半に、ラースローが欧州を脱出した時のことについて語る場面がある。彼が乗った船がアメリカに辿り着いたことはかなり幸運だったようで、そもそも出航さえ出来なかった船も多かったという。また、男女で収容所が別だったからだろう、ラースローは妻・姪と離れ離れにされており、同じタイミングで脱出することも叶わなかったのである。

さらに、戦後しばらくの間「アメリカを目指そうとするユダヤ人」がかなり多かったこと、そして姪には何らかの事情(結局詳しくは説明されなかった)があったことから、「姪を置いて妻だけがアメリカを目指す」みたいなことも出来なかった。2人でアメリカを目指すには2人の関係性を示すものを用意しなければならず、それもあってアメリカの地を踏むのにかなりの時間がかかってしまったのだ。

そしてその間に、2人の関係性は大きく変わってしまっていたのである。

ラースローがハンガリーにいた頃の描写は本作中には存在しないので、2人が元々どんな夫婦だったのかは分からない。しかし、どうにかアメリカに辿り着いたラースローが、「エルジェーベトは生きてるぞ」とアティラから聞かされた時に大号泣していたことを考えると、お互いの存在を思いやる良い夫婦だったんじゃないかという気がする。しかし彼は、後に姪と共にアメリカにやってきた妻とどうにも上手く関われなくなっていくのだ。

さて、本作において観客はずっと「ラースローが辿ってきた苦労」を追うことになる。最初こそアティラのことを頼れはしたものの、その関係はすぐに破綻してしまい、ラースローは1人で生きていくしかなくなってしまう。そしてその後、紆余曲折あってようやく、建築家としての手腕を再び発揮できる状況にまで辿り着いていたのである。

そして妻と姪がやってきたのはそんな、「様々な苦労の末に、建築家としてのキャリアをどうにか再び重ねられそうだ」というタイミングだったのだ。ラースローの感覚で言えば恐らく、「相当しんどい思いをしてどうにかここまで来たのだから、なんとかやり遂げたい」みたいな感じだったんじゃないかと思う。

そしてそんなラースローにエルジェーベトは共感できなくなっていったのだと私は受け取った。

私は別に、エルジェーベトを非難したいわけではない。このすれ違いは結局、「離れ離れになっていた間の『苦労』が違いすぎて、お互いの『苦労』が共有出来なくなってしまっただけ」だと思っているからだ。

ハンガリーにいた頃はたぶん、2人とも同じような苦労を重ねてきていて、だからこそ、どれだけ大変でも分かり合えたんじゃないかという気がする。しかし、慣れないアメリカの地で慣れない生き方をしてきたラースローと、事情を抱えた姪を守りつつ欧州をどうにか脱出しようと奮闘していたエルジェーベトとでは、「苦労」の性質があまりにも違いすぎた。そしてそんな異なる数年間を過ごしたが故に、2人の関係性は決定的に壊れてしまったのだろう。

言っても仕方ないことではあるが、もしラースローとエルジェーベトが同じタイミングでアメリカまで来られていれば、彼らは同じ苦労を重ねながら今も良い関係性のままでいられたのではないかと思う。しかし、結果として全然違う苦労を積み重ねてきたことで、「お互いがお互いを受け入れられない」という状態になってしまったんじゃないだろうか。

そのことが、何だかとても淋しく感じられてしまったなと思う。

映画『ブルータリスト』のその他感想

ラースローは、アメリカでの辛い生活の苦痛から逃れるために、割と早い段階から薬物に手を出していた。そしてそのこともまた、彼の人生に暗い影を落としてしまうしんどい日常をやり過ごすためには仕方ない選択だったのかもしれないが、「ハンガリーにずっといられればその才能を十全に発揮できただろう人物が薬物に冒されていく」というのは非常にもったいない気分にさせられた。

さらに、後半で描かれる姪のある決断は、ラースロー、エルジェーベトどちらにも大きな衝撃を与えるものであり、そのこともある種の「心労」に繋がっていったのだと思う。そしてそういう様々な状況がアメリカへと渡ったラースローの生活を蝕み、少しずつ土台を腐らせながら絶望が積み上がっていくみたいな人生だったのである。

物語の前半では特に、常にギリギリの状態に置かれながら、それでもどうにか人生を前進させようとして奮闘するラースローの姿にかなり惹きつけられるんじゃないかと思う。また、彼ほどの才能を持つ人物でもこれほどの苦労を経験したのだと理解できれば、同時代のユダヤ人たちがどれだけ苦労したのかも推し量れる気がする。表に見えている部分以外の様々な奥行きを感じさせる作品であり、そういう意味での重厚感みたいなものはかなり強く感じられた。

さて本作については、撮影に関して1点気になっていることがある。「あの建造物を実際に建てたのだろうか?」という点についてだ。ハリソンによる個人プロジェクトではなかなか壮大な建造物を造ることになっており、本作では後半、そんなメチャクチャデカい建造物を組み立てている様子がタイムラプス的な映像で挿入されるのである。まあ、普通に考えればCGだろう。しかし、特に予算の潤沢なアメリカの映画の場合、「CGかと思ったけど実は実写だった」みたいなことはよくあるし、だとすれば、実際に建てている可能性もゼロではないと思う。個人的には、「本当に建てていてほしいな」と願ってしまいたくもなる。

また、上映時間が3時間半もあるからだろう、途中休憩が設けられていた。映画館がそのように設定していたのではなく、本編中にちゃんと「休憩時間」が組み込まれているのだ。ラースローとエルジェーベトが結婚した際の記念写真をバックに「Intermission」と表示され、15分のカウントが始まるのである。休憩が用意されている映画は時々あるが、本編中に組み込まれているのはかなり珍しいように思う。ちなみに逆パターンだが、映画『RRR』では、本編中に「Intermission」の表示が出てくるにも拘らず、劇場側の判断だったのか、そのまま休憩なしで上映が続いたような記憶がある。色んなケースが存在するものだ。

さらに、本作のエンドロールは斜めに移動していくスタイルであり、かなりインパクトがあったなと思う。少なくとも私は、そういうスタイルのエンドロールを初めて観た気がする。また、途中からまったく無音のまま文字がスクロールしていくのも凄く良かった冒頭の自由の女神像の登場もインパクトが大きかったし、最初から最後まで印象的な映画だったなと思う。

監督:ブラディ・コーベット, プロデュース:ブラディ・コーベット, プロデュース:トレヴァー・マシューズ, プロデュース:ニック・ゴードン, プロデュース:ブライアン・ヤング, プロデュース:アンドリュー・モリソン, プロデュース:アンドリュー・ローレン, プロデュース:D.J.グッゲンハイム, Writer:ブラディ・コーベット, Writer:モナ・ファストボールド, 出演:エイドリアン・ブロディ, 出演:フェリシティ・ジョーンズ, 出演:ガイ・ピアース, 出演:ジョー・アルウィン, 出演:ラフィー・キャシディ, 出演:ステイシー・マーティン, 出演:イザック・デ・バンコレ, 出演:アレッサンドロ・ニヴォラ
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最後に

本作は、米アカデミー賞で10部門にノミネートされ、3部門で受賞を果たしたそうだ。確かに、そういう評価を得るのも納得という感じの作品である。215分という長さはちょっとハードルの高さを感じさせるだろうが、是非挑戦してみてほしい。その壮大さに圧倒させられるだろう

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