【あらすじ】映画『52ヘルツのクジラたち』の「無音で叫ぶ人」と「耳を澄ます人」の絶妙な響鳴(原作:町田そのこ 監督:成島出 主演:杉咲花、志尊淳)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「52ヘルツのクジラたち」公式HP
いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

今どこで観れるのか?

公式HPの劇場情報をご覧ください

この記事で伝えたいこと

私たちの周りにも、「聴こえないけれど確かに存在する叫び声」が漂っているかもしれない

犀川後藤

「世界一孤独なクジラ」と呼ばれる「52ヘルツのクジラ」をタイトルに持ってきたのが何より絶妙

この記事の3つの要点

  • 私も「52ヘルツの文章」を発信しているつもりだし、「届きにくい声」を拾おうと意識しているつもりでいる
  • 主演を務めた杉咲花の演技には、やはり圧倒されてしまった
  • そうしようと思えば出来たはずだが、「恋愛要素」を極力抑えめにしている点がとても良かったと思う
犀川後藤

とにかく、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルで”勝っている”と言える作品だと感じました

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

映画『52ヘルツのクジラたち』で描かれる「聴こえない叫び」を捉えられる人でありたいと強く思わされた

本作についてはとにかく、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルが実に絶妙だと感じます。本作は、このタイトルを冠している時点で“勝っている”気がしました。正直なところ、本作の内容に厳しい目を向ける人もいることでしょう。というのも、「現代的な問題のごった煮」みたいな印象がとても強い作品だからです。「詰め込み過ぎだろう」と感じる人はいるはずだし、私も多少そんな風に思わされた部分があります。しかしそれでも、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルのお陰で作品全体がきちんと成立しているし、何よりも“勝ってるな”と感じました

いか

タイトルの力で全体をまとめ上げるみたいな作品って、そうそう無いからね

犀川後藤

ホント、このタイトルを思いついた時点で圧勝だなって思った

私も「52ヘルツのクジラ」のような気分で文章を書いている

さてまずは、タイトルにもなっている「52ヘルツのクジラ」について説明しておきましょう。公式HPには、次のように書かれています。

この52ヘルツのクジラの鳴き声は、あまりにも高音で、他のクジラたちには聴こえない。
だから、「世界で一番孤独なクジラ」って言われてるんだ。

「52ヘルツのクジラたち」公式HP

この「52ヘルツのクジラ」は、実際に存在するそうです。ウィキペディアにも「52ヘルツの鯨」という項目があり、「『52ヘルツのクジラの鳴き声』が、1980年代から様々な場所で定期的に検出されてきた」と書かれています。一般的なクジラの鳴き声と比べると遥かに高い周波数なのだそうで、「この個体の鳴き声を、他のクジラは恐らく捉えられないだろう」と考えられているというわけです。

いか

「他のクジラには聴こえないけど、人間は捉えられる」ってのも面白いよね

犀川後藤

そう考えると、「他の人間には聴こえない何かの音」が、別の動物には届いてるみたいなこともあるかもね

そして、本作『52ヘルツのクジラ』の設定を踏まえた上で、作品内容とは関係のない話を少ししたいと思います。私がこれまで長々と文章を書き続けてきた理由についてです。

私は20代前半ぐらいから本の感想を書き始め、その後30代ぐらいから映画の感想も書くようになりました。ただ、私の記事を読んでくれる人は決して多くはないし、読んでリアクションをくれる人となるとほとんどいません。一般的に「文章を書いて発信する」のは「共感や繋がりを求めている」場合が多いでしょう。ただ正直なところ、私にはそのような感覚があまりなく、だから20年近くも文章を書き続けられているのだと思います。

いか

ホント、「人生で唯一続いていること」って言ってもいいもんね

犀川後藤

今はまったく本を読んでないし、映画だってどこかの時点でスパッと観なくなるかもしれないしなぁ

じゃあ私が何を目的に文章を書いているのかというと、「同じ周波数の人を探すため」だと思っています。割と昔から、そういう意識を持って文章を書き続けてきました

私の文章はそもそもとても長いし、また、「私の感覚は世間一般からは外れている」と自覚してもいるので、大体の人には「読もうという気にならない」「読んでみたけどよく分からない」という感じになるのではないかと思っています。それはそれで全然問題ありません。「共感」や「繋がり」を求めて文章を書いているわけではないからです。

ただ、「この広い世界のどこかには、私が書く『52ヘルツの文章』が響く人もいるんじゃないか」と思ってもいます。それはとても可能性が低く、何かを期待できるほどの確率はないのかもしれませんが、それでも私は、「私の『52ヘルツの文章』を読んで、何かを強く感じたり、『仲間がいる!』と思ってくれる人がいたら嬉しい」と考えてしまうのです。

犀川後藤

「共感を求めてるじゃん」って思われるかもだけど、自分としてはそうじゃないつもり

いか

共感の声が自分のところまで届かなくても別にいいって思ってるからね

そして、そのようなスタンスで文章を書いているからこそ、「『届きにくい声』をなるべく拾える人でいたい」とも思っています

世の中には色んなタイプの苦しみを抱えた人がいるわけですが、その中でも「声の大きな人の主張」や「世間が拾いたがっている訴え」は割と広く届きやすいと言えるでしょう。もちろんそれらも、その苦しみを抱いている人からすれば「唯一無二の辛さ」です。ただ私は、「そういう声は、私以外の誰かにもきっと届くだろう」と考えて、あまり気に留めないようにしています。もちろん、私の中に「他人の手助けをする無限のリソース」があればいくらでもそういう声を拾うのですが、私は自身のリソースの少なさを自覚しているので、無理はしないことにしているというわけです。

ただ時々、「この声はもしかしたら、私以外には拾えないんじゃないか」みたいに感じることがあります。そしてそういう時には、出来るだけ瞬発力を発揮して手を差し伸べたいと考えているのです。

いか

世の中にはホント、「普通には理解されにくい悩み」も山ほどあるからね

犀川後藤

それに気づくのが得意ってわけでもないんだけど、ただ、「こいつには話してもいいかもしれない」と思ってもらえるように意識してはいるつもり

「声」というのはあくまでも比喩で、「言葉にする」以外の形でも悩みは浮かび上がるでしょう。ただ、どんな手段を取るにせよ、「52ヘルツのクジラ」のように「SOSを発しても誰にも届かない」ことだってあるわけです。毎日笑顔を振りまいている人が凄まじい苦悩を抱えていることもあるし、誰からも羨ましがられる境遇にいる人が絶望しながら生きていることだってあるでしょう。そして私たちは、そういう色んな「SOS」に気付けないまま日常生活を過ごしているというわけです。

大事なのは、「『聴こえない』からといって『声が存在しない』わけではない」と理解しておくことでしょう。自分の周りにも「52ヘルツのクジラ」がいて、大声で叫んでいるのにその声が聴こえていないだけかもしれない『52ヘルツのクジラたち』というタイトルはそういう想像力を働かせてくれるものだし、そんな風に解像度が上がることで、「今まで聴こえなかった声が聴こえるようになる」なんてこともあるかもしれません。

いか

逆に、「聴こえすぎて大変」って人もいるとは思うけどね

犀川後藤

それはそれで大変だろうなぁって思う

そんな感覚を抱かせてくれる、実に見事なタイトルだと感じました。

杉咲花主演じゃなかったら、恐らく観なかった

さて、私は正直なところ、「『52ヘルツのクジラたち』という映画」を観に行ったわけではありません。実際には「杉咲花主演映画」を観に行ったのです。

いか

杉咲花が主演じゃなかったら、たぶん観てないよね

犀川後藤

めちゃくちゃファンってことではないんだけど、杉咲花が出てるとちょっと気になっちゃうんだよなぁ

本作を観る少し前に、杉咲花主演映画『市子』を観たのですが、ちょっと衝撃的すぎる作品で、主人公はまさに「杉咲花にしか演じられない役」に感じられました。そして本作『52ヘルツのクジラたち』もやはり、杉咲花の存在感が際立つ作品だと思います。ホント凄いなぁ、杉咲花。

私は、『法廷遊戯』『市子』『52ヘルツのクジラたち』と割と立て続けに彼女の出演作品を観たのですが、とにかく杉咲花は「不幸を体現する」のがとても上手い役者だと思います。身体の内側から「不幸」が滲み出しているかのような佇まいには、本当に驚かされてしまいました。「不幸」そのものを身にまとっているような雰囲気を醸し出すので、それ故に、笑っていてもどこか淋しげに見えるのだと思います。どんな振る舞いをしていても「魂がくすんでいる」みたいな印象をもたらす存在感には、ちょっと圧倒されてしまいました。

そしてそんな存在感が、本作『52ヘルツのクジラたち』を成立させていたような気がするのです。

いか

『法廷遊戯』『市子』『52ヘルツのクジラたち』はどれも、「杉咲花が演じる役柄を“助けたい”と思う人物が出てくる話」だよね

犀川後藤

だからこそ、「”助けたい”と思わせる絶妙な不幸感」を漂わせないと成立しないんだよなぁ

さて、「杉咲花主演じゃなかったら恐らく観なかった」について、もう少し説明しておくことにしましょう。

先ほど「52ヘルツのクジラ」の説明の中で、「『他の人にも届く声なら自分が拾う必要はないだろう』と感じてしまう」みたいなことを書きましたが、それは本や映画を選ぶ際も同じだと言えます。「『著者』や『監督・役者』が有名な『ヒットしそうな作品』」に対してはどうしても、「私が読まなくても(観なくても)別に大丈夫だろう」みたいに感じてしまう部分があるのです。本作『52ヘルツのクジラたち』も、原作が本屋大賞受賞作だし、監督・役者も有名でしょう。だから、「私がその『声』を聴かなくても、まあ別にいいか」と思ってしまうのです。

犀川後藤

あとはシンプルに、「天邪鬼だから、『流行ってるモノ』からは距離を置くようにしてる」ってのもあるんだけど

いか

書店員時代も、「売れてる本は『読まなくても売れる』から読まない」みたいに言ってたしね

まあそんなわけで、「杉咲花主演だったから観ようと思えた」のだし、私にとって杉咲花はそういう引力を持つ人物だというわけです。私も願わくば、誰かにとってそんな存在になれていたらいいなと思うんですけどね。

映画『52ヘルツのクジラたち』の内容紹介

三島貴湖(キナコ)は東京を脱し、海辺の町へと引っ越してきた。彼女は、家の修繕にやってきた工務店の人から「元風俗嬢ってホントですか?」と聞かれる。どうやらそんな噂が立つぐらい、彼女の存在は周りで注目されているみたいだ。他にどんな噂があるのか工務店の人から聞いてみたキナコは、「半分当たってる」と返す。

そんなある日のこと。雨の中、古傷が痛み地面に横たわってしまったキナコに見知らぬ子どもが傘を差し出してくれた。話しかけてもまったく口を開かないが、ずぶ濡れだったのでとにかく家へと連れて帰る。そして風呂に入れてあげようと服を脱がせたところ、身体中の酷いアザに気がついた。その瞬間、男の子には逃げられてしまったのだが、子どもの頃に母親からよく殴られていたキナコは、彼のことを放っておくことが出来ない

工務店の人に話を聞き、近くで働くシングルマザーの子どもかもしれないというので店まで行ってみた。しかし、けんもほろろの扱いを受けてしまう。しかしその後、キナコは男の子と無事再会、その際一緒に「52ヘルツのクジラの鳴き声」を聴いた。「辛い時に聴く、大切な人からもらった鳴き声なんだ」と説明しながら。

3年前のこと。キナコは義父の介護に心身ともに疲弊していた。そんな中、ある事情から母親に罵倒されたキナコは、放心状態のまま道路をフラフラを歩き、そのまま車に轢かれそうになってしまう。その時キナコを救ったのが、塾講師の岡田安吾である。キナコの高校時代からの友人・見晴が岡田と一緒に働いており、2人が偶然キナコが轢かれそうになる現場に居合わせたのだ。明らかに様子がおかしいキナコをとりあえず飲みに誘い、そこでキナコの辛い境遇を知ることになった。

岡田は、あまりにも絶望的な環境にいるキナコを救おうと決意する。そのためにはまず、義父の介護から解放し、実家を出て独り立ちさせることが先決だ。そのためにはどうすればいいだろうか……。

映画『52ヘルツのクジラたち』の感想

冒頭でも書きましたが、本作は「現代的な問題のごった煮」という感じの作品で、そのような構成に「過剰さ」を感じてしまう人もいるだろうと思います。私も、「これはちょっと詰め込み過ぎだなぁ」と感じました。実話が基になっているなら話は別ですが(NHKドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』はまさに、実話だからこそ成立している物語と言えるでしょう)、そうでないのなら、もう少し要素を抑え気味にしても良かったように思います。

いか

「『ポリコレに配慮しています』的な雰囲気が強い作品」にちょっとげんなりしちゃう感じと近いかもね

犀川後藤

時代の流れ的に仕方ないかもしれないけど、もう少しやりようはあった気がする

しかし一方で本作は、観ている分にはその「過剰さ」があまり違和感としては浮き出てこないのも事実です。「こういうテーマが扱われている」という情報だけ知ると「詰め込みすぎ」という印象になるはずなのですが、その「過剰さ」があまり目に付かない感じがします。どうしてそんな印象になるのかよく分かりませんが、少なくとも1つ、「『キナコの問題』と『少年の問題』に焦点を当てている」という良さが挙げられるでしょう。原作がどうなっているのか知りませんが、映画ではこの2人の問題が中核として扱われれるため、それ以外の要素が「プラスα」に感じられたのかもしれません。その辺りのバランスは上手かったなと思います。

また、冒頭でも書いた通り、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルが作品全体を見事にまとめていることも、「過剰さ」が目に付きにくい要因と言えるでしょう。タイトルが違う雰囲気のものだったら、印象はかなり違っていたかもしれません。

いか

なんかあんまり褒めてない気がしてきたけど、良い作品だって感じたことは確かだよね

犀川後藤

「観てない人が設定だけをあげつらって批判しそう」って感じたこともあって、こういうことを書いてるつもり

さて、本質的な要素ではありませんが、個人的に良かったなと感じたのが、「キナコと岡田安吾の関係が思った以上に淡白に描かれていたこと」です。

本作は、本屋大賞受賞作を原作とし、名の知れた監督・役者を集めて作られたわけで、言い方は悪いかもしれませんが、「大ヒットが求められている作品」だと言えるでしょう。そしてそういう作品であればあるほど、「恋愛要素が多目になりがち」という印象が強くなります。本作も正直、そういう方向に持っていこうと思えばいくらでもそういう展開に出来たはずです。

しかし本作では、物語をあまり「恋愛」方向には展開させませんでした。そしてだからこそ、本作で描きたいテーマがきちんと浮かび上がっているのだと思います。

犀川後藤

まあもちろん、「恋愛方向には展開させにくい」みたいな要素が存在する作品でもあるんだけど

いか

ただ、「恋愛を描くんだ」って決めればどうとでもやれそうな感じはしたけどね

いずれにしても、私にとってキナコと岡田安吾の関係性は「ちょうどいい」と感じさせるものであり、だからこそ、全体的に良い印象でまとまったのかなと感じました。

最後に

とにもかくにもやはり、杉咲花が素晴らしい作品だなと思います。今後もきっと、杉咲花が出ていたら気になって観てしまうでしょう。あとは何度でも繰り返しますが、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルがとにかく絶妙でした。

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