【人生】映画『雪子 a.k.a.』は、言葉は出ないが嘘もないラップ好きの小学校教師の悩みや葛藤を描き出す

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「雪子 a.k.a.」公式HP
いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

「a.k.a.」の意味も知らずに観ましたが、そんなラップ初心者でも楽しめる作品でした

犀川後藤

ヒップホップでよく使われる「a.k.a.」は「also known as」の略で、「~としても知られている」という意味だそうです

この記事の3つの要点

  • 小学校教師として、また29歳の女性として、特段の不満・悩みがないように見える主人公・雪子の日常について
  • 「思考が言葉に変換されない」と悩む雪子にはどんな「良さ」があるのか?
  • メチャクチャ良かったラップシーンと、メチャクチャ良かった上映後のトークイベントについて
犀川後藤

正直観るつもりのない映画でしたが、占部房子・樋口日奈が登壇したトークイベントも含め、全体的にとても良い鑑賞体験だった

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

「小学校教師」と「ラップ」という異色の組み合わせで描かれる映画『雪子 a.k.a.』は、思いがけず魅力的な作品だった

結構素敵な映画でした。ただ正直なところ、「この映画の何が良かったのか」を未だに捉え切れてはいません分かりやすく「ここが良かった!」みたいな部分はなかった気がするのに、でも全体的にはとても魅力的だったなと思います。気づいたらちょっとだけ泣いてることに気づいたりして、自分でも「えっ!?」と思ったぐらいです。

いか

なかなかこういうのは珍しいよね

犀川後藤

「よく分かんないけど良かった!」ってのはなくはないけど、今までそう感じた作品ともまた違う雰囲気なんだよなぁ

本作『雪子 a.k.a.』は、冒頭からかなりゆったりとしたスピードで進んでいくし、確かにラップ部分はそこだけトーンがズレているみたいにアップスピードしますが、かといってラップシーンが多いわけでもありません急激な展開とか、絶望的な状況とか、驚きの結末みたいなことも特にないし、他にも何か「これが突出して良かった」なんて感じる要素はなかったはずなのに、全体としてはとても素敵な作品で、「思いがけず良い作品に出会えたな」という感じでした。

「ラップ」がテーマになっているとは思えない主人公・雪子のキャラクターや日常

さて、そんな作品の主人公は、なんと小学校教師です。「ラップ」がテーマになっている作品としては、なかなか異質なキャラクターではないかと思います。

犀川後藤

でも、以前より「ラップ」ってかなり一般的になってるから、そういう印象を持っている私の方が古いのかもだけど

いか

今の世の中における「ラップ」の扱われ方がちゃんと分かってないから、そこのズレはあるかもね

29歳の彼女は、ごくごく普通の小学校教師です。病気を患っているとか、家族の問題を抱えているとか、借金があるなんてことは別になく、はっきり分かりやすい形で彼女が何か問題に直面しているみたいなことはありません。というか、傍からは「幸せ」に見えるんじゃないかとも思います。大学時代に同じサークルだった彼氏とは付き合いが長く、同じサークルの女友達からは「そろそろ結婚なんじゃない?」と言われたりしていました。また趣味のヒップホップについても、仕事終わりに公園での集まりに日々参加しています教師の仕事は、もちろん「仕事である」ということの大変さはあるだろうけど、こちらも特に目立って何か問題があるわけではありません。端的に表現すれば、「全方位的に概ね順調」といったところでしょうか。

しかし雪子にはずっと、「言い知れぬ自信の無さ」「そこはかとない不安」がつきまとってもいます。これは、日常生活の何かが彼女をそうさせているみたいなことではなく、元々の性格みたいです。さらに昔から、頭の中で何かを考えていてもそれが言葉として出てくるまで時間が掛かり、「言いたいことが言えない」みたいな感覚になることが多くありました。だからラップは、好きだけど苦手でもあります。また彼女は、「ラップをしている時だけは本音を口に出来る」という認識でいるのですが、ラップ仲間から「それってただの愚痴じゃん」と指摘されたりもするのです。この時も、「確かにそうかも……」と感じて落ち込んでいました

犀川後藤

私は「言いたいことが言葉に出来ない」みたいなことはあんまりないけど、「自信の無さ」「不安」みたいな感じは分かる

いか

今はそうでもないけど、特に20代の頃は、そういう感覚に苛まれてたよね

ではそんな女性を主人公に据えて、どんな物語が描かれるのでしょうか? 展開としては主に2つ、「小学校での出来事」と「彼氏との関係」なのですが、まずは「彼氏との関係」から触れていくことにしましょう。

本作では、彼氏との描写はそう多くはないのですが、しかし雪子の振る舞いからは、「彼氏との関係にどうもしっくりいっていない」という感覚が伺えます。雪子自身はあまり喋るタイプの人間ではないのですが、エステティシャンの友人から結婚の話を聞いた時の反応や、彼氏が「親と会わせたい」と言ってきた時の雰囲気などから、彼女の「何とも煮えきらない感じ」が伝わってくるでしょう。

ただ、雪子は別に彼氏に対してこれといって具体的な不満を持っているわけではないはずです。それは見ていれば分かるでしょう。人によって見え方は変わるかもしれませんが、本作で彼氏は「良い人」みたいな雰囲気で描かれているので、だからこそ余計に、「どうして雪子は躊躇しているんだろう?」みたいに思えてしまうのです。

いか

まあでも、学生と社会人とでは立場も環境も違うから、「何かがズレていく」みたいなことは一般的にもよくありそうだよね

犀川後藤

社会人になってからの方が長いわけだから、学生時代に「この人だ!」みたいな人に出会えているとしたら結構奇跡的だよなぁ

ただ、先程も触れた通り、雪子は思考がなかなか言葉に変換されないので、彼女自身も「彼氏の何に違和感を覚えているのか」を上手く捉えきれていないのだと思います。だから、「うーん」と思っていてもそれを相手に伝えられません。ただ雪子の性格からすれば、仮に言葉に出来たとしても、面と向かってそれを伝えるのも苦手だろうなと思います。彼氏との関係は、彼女の中では「日常生活に刺さったトゲ」みたいな感じなのかもしれません。

さて、もう一方の「小学校での出来事」ですが、こちらも別に何か特別なことが起こるわけではありません唯一大きな問題としては、「クラスの児童の1人が不登校になっている」ことが挙げられるでしょう。彼女は毎週金曜日にその子の家を訪れ、児童がピアノを弾いている部屋の前まで行って話しかけてはみるのですが、毎回特に反応はありません。これは問題だと言っていいでしょう。

ただこの不登校の話についても、雪子が両親から責められているとか、学校から対処を迫られているとか、そんな状況ではありません。児童の父親からは、「別に毎週来てもらわなくても大丈夫ですよ」みたいなことを言われてもいます。それは、「学校に対して期待なんかしていない」みたいな表明ではなくて、「あなたが悪いわけじゃないんだから気に病むことはないですよ」という気遣いなのです。毎週金曜日の訪問にしても、雪子が自分で決めているだけで、誰からも強制されていません。だから、やろうと思えば「そこに問題なんかない」という風に扱うことも出来るわけです。

いか

この不登校児の父親が良い雰囲気だったよね

犀川後藤

敵なんだか味方なんだか分かんない絶妙な佇まいがある意味では不気味だったし、でも惹きつけられた

ただ、雪子としてはそんな風には無視出来ません。もちろんそこには「児童のためを思って」という気持ちがあるのでしょう。それは間違いありません。しかし恐らくですが、それ以上に「ダメ教師の烙印を押されることへの恐怖」を強く感じているんじゃないかという気がしました。そしてそれ故に、児童宅への訪問を止められないのだと思います。

雪子の日常は、概ねこんな要素で構成されていると言えるでしょう。

本人が自覚出来ていない雪子の「良さ」

雪子自身は、「頭の中にあるはずのことを言葉に出来ない」「不安に苛まれて気持ちが押し潰されそうになる」みたいな自身の性格をマイナスに捉えているのですが、しかしそうとも言い切れません。そのことを明確に指摘していたのが、同僚教師の石井里穂です。彼女は、児童たちから「陽キャ」と言われるぐらい明るい性格なのですが、ある意味では自身のコンプレックスの裏返しなのかもしれません、雪子に対して「だから雪子センセは、声を上げられない人に気づける」と伝える場面がありました。

いか

これはホントにその通りだよね

犀川後藤

私は「頭の良さ」を「想像力の高さ」だと認識してるんだけど、雪子みたいな人は「他人の気持ちを推し量る力」が強いと思う

雪子は実際に、「今あの人は言葉を飲み込んだんだろうな」という場面にいち早く気づくことが出来ます。作中でも、そういうシーンがいくつか描かれていました。もちろん、それに気づけることは、彼女にとっての「生き辛さ」の原因にもなり得るでしょう。ただ、こういう捉え方をすることで、自己肯定感がとにかく低い雪子が自身のことを認めやすくもなるのではないかという気がします。

まあそんなわけで、雪子の日常は「言葉を飲み込むこと」の連続だと言っていいでしょう。そもそも言いたいことが言葉にならないし、仮に言語化出来ても控えめな性格が邪魔をして口に出せません。そしてだからこそ「自分でもラップをやってみる」みたいな気持ちになっていったのだろうと思います。彼女は元々ラップを聴くのが好きだったみたいですが、ラップはまさに「感情を言葉に乗せる行為」だと思うので、どこかのタイミングで「『苦手なこと』を『好きなこと』で克服出来るんじゃないか」みたいな発想になったのかもしれないと感じました。

犀川後藤

ってか個人的には、本作を観て「なるほど、ラップって言葉に感情を乗せるものだったのか」みたいに思ったけど

いか

なんか、相手を罵ってるみたいなイメージしかなかったからね、ラップには

でも、雪子のラップはなかなか上手くいきません。もちろんそれは技術的な部分も大きいのでしょうが、それ以上に重要なのは「訴えたいことがない」という点だと思います。雪子はラップの中で「上手くいかない」「自信がない」みたいな言葉で自分の気持を伝えようとするのですが、それはラップ仲間が言うように「愚痴」でしかありません。そうじゃなくて、「私はこう思っているんだ!」みたいな強いパッションこそラップに乗せるべきなんだろうし、そういうものが欠けているからこそ、MCバトルでの評価にも繋がらないんだろうなと思います。

それで、こういう「ラップが上手く出来ない」という描写があるからこそくっきり浮き彫りにされる「雪子の良さ」も印象的でした。

先述した通り、私は不登校児の父親が結構好きです。最初の内はなかなか得体の知れない存在感で、毎週金曜日にやってくる雪子先生を迎え入れながらも、「毎週来なきゃいけないのって義務か何かなんですか?」としれっと聞いてみたり(これも決して、嫌味で言っている雰囲気ではありません)、そうかと思えば、息子の部屋の前から戻ってきた彼女にお茶を出して少し話をしたりもします。そしてそんな父親の雰囲気からは、「息子のことどう考えているのか」がなかなか見えてきませんでした。ともすれば「あまり興味がなくてほったらかしているだけ」みたいにも感じられたのです。

犀川後藤

まあだからこそ、彼がある場面で一瞬涙を拭っているような仕草をするシーンにグッと来たりもしたんだけど

いか

良い人なのかそうじゃないのか、絶妙な塩梅のキャラクターなのが凄く良かったよね

しかし映画の後半で、父親のスタンスがはっきりする場面が描かれます。いつものように雪子が訪問した際、父親が段ボールに入った大量の本を持ってきて、「妻と2人でこれ全部読みました」と口にするのです。本のタイトルこそ表示されませんでしたが、間違いなく「不登校」に関係する書籍でしょう。そして父親は、「その本を読んで親の不安が解消することはあっても、息子を部屋から出すことは出来なかった」と語るのです。この場面でようやく、父親が息子のことを心底案じていることが分かりホッとしました

しかしどうしてそんな展開になったのでしょうか? それは、これまでの訪問時とは違って、雪子がドア越しに本音で話しかけたからです。彼女はそれまで、「どうして不登校になったのか?」のようにそのきっかけを問うようなことをしてきませんでした。そしてこの日はその理由について、「先生のせいで学校に来られなくなったんだとしたら怖くて聞けなかった」と自身の不安を曝け出したのです。

いか

雪子にとってはかなり大きな一歩だったはずだよね

犀川後藤

こういうことが言えなくてぐじぐじしてたわけだからなぁ

で、それを階下で聞いていた父親が、やはり何の反応ももらえずに階段を降りてきた雪子に、「本音を口に出したらドアを開けてくれると思いましたか?」と口にします(こう聞いた瞬間も、「ヤベェこと言う奴だな」と思ってました笑)。そしてその後で大量の本を持ってきたのです。「そんなことは、もうとっくにやってるんです」というわけでしょう。

これだけだったら「嫌なこと言う父親だな」という印象で終わってしまいますが、これにはさらに続きがあります。「担任が雪子先生で良かった」と口にするのです。その理由について、「毎週金曜日に来ても、気の利いたことひとつ言わない」とディスってるのかと思うようなことを口にした後で、さらに次のように続けていました

その代わり、嘘がない。

私は本作中で、このシーンが一番好きです。この言葉は、雪子を表すのに実に的確だなと感じました。

犀川後藤

個人的にも、そう思われる存在でいたいなっていつも思ってる

いか

「私が口にした言葉を、相手が言葉通り受け取ってくれるか」をかなり重視してるよね

雪子は確かに、言いたいことがあっても飲み込んでしまったり、あまり口が回らなかったりするわけですが、それでも、その場を取り繕うために適当なことを口にしたりはしません。それは凄く大事なことだなと思います。世の中には、「その場が成立するなら嘘も方便」みたいに考えている人が結構いるだろうし、何なら、「そういう嘘が上手くつける人」の方が社会を上手く渡っていけたりもするでしょう。ただ、私はそういう世の中があまり好きではないし、出来るだけ雪子みたいなスタンスの人と関わりたいなとも思っています。

雪子は、「そんなの、テキトーな嘘をついてやり過ごしちゃえばいいのに」と多くの人が感じるだろう場面でも立ち止まって身動きが取れなくなったりしていました。それはとても不自由な生き方だと思いますが、そんな風にしか生きられない雪子には何か親しみを覚えたりもします

犀川後藤

私は割と「テキトーにやり過ごす」みたいなことも出来る人で、だから、どうでもいい人に対してはそんな風に振る舞っちゃう

いか

そうやって上手く省エネしないと、日常がダルいからねぇ

私は、本作のタイトルに含まれる「a.k.a.」の意味を知らなかったぐらい、ヒップホップにもラップにも詳しくないのですが、「雪子がそういう文化に親しみを覚えるのは、『嘘が少ない』みたいな共通項があるからかもしれない」と思ったりもしました。ラップって「その人の生き様」が強く反映されている印象があるし、「生身の人間として相手にぶつかってる感じ」もあるから、そういう部分で「自分にもやれるかもしれない」と思えているんじゃないかという気がしたのです。そんな風に考えると、「異色の組み合わせ」みたいな印象も少し変わるんじゃないかと思います。

メチャクチャ印象的だった「ラップシーン」と「上映後のトークイベント」

さてそんなラップシーンですが、前述した通り、本作には「雪子が実際にラップをするシーン」はそう多くはありません。その中で私が一番グッときたのが、「ピアノ演奏に合わせてラップするシーン」です。後半の展開に関係してくるので具体的には触れませんが、メチャクチャ良かったなと思います。そもそも「ピアノ」と「ラップ」という組み合わせが凄く新鮮だったし、さらに、「その状況が成立していること」自体に対しても感動的な気分が押し寄せてきて、全体として凄く素敵なシーンでした。「音楽」に対してはよく「言葉が通じない相手ともコミュニケーションが取れる」みたいに言われますが、まさにそのことを可視化したみたいなシーンで、使い方が合ってるか分かりませんが、「祝祭」みたいな雰囲気に満ち溢れていたなと思います。

犀川後藤

シーン単体で切り取ったら、色んな映画の中でもかなり好きかもって思う

いか

ラップだけじゃなくて音楽自体を普段聴かないから、それなのにこのシーンに惹かれたってのはなんか凄いよね

しかしホント、このシーンはどうやって撮ったんだろうと感じました。雪子を演じた山下リオがピアノに合わせて即興で歌詞を紡いでいるならもちろん理解できるけど、さすがにそんなことはないでしょう。普通に考えれば、あらかじめ歌詞は決まっているはずです。しかしそうだとすると、ピアノの音色にその歌詞を合わせていくのは、メチャクチャ難しい気がしました。このシーンは確かワンカットだったはずなので、間違えたらやり直しだろうし、かなりハードな撮影だったんじゃないかなと思います。

というわけで、映画の話はここまで。ここからは、上映後に行われたトークイベントの話をしたいと思います。チケットを取る時点で「トークイベントがあること」は知っていたのですが、誰が登壇するのかは特に調べておらず、だから、占部房子と樋口日奈が出てきてかなり驚きました。私は乃木坂46を割と箱推ししているのですが、ライブや握手会などには行ったことがありません。なので、樋口日奈(本作で石井里穂を演じました)が「初めて直接目にした(元)乃木坂46メンバー」という感じです。

犀川後藤

一番の推しは齋藤飛鳥なんだけど

いか

寺田蘭世とかも良かったよね

あと、学年主任的な立場の大迫美香を演じた占部房子ですが、顔に見覚えはあったもののエンドロールを見るまで何も思い出せず、ただ名前が分かった瞬間、「濱口竜介監督作『偶然と想像』に出てた人か!」となりました。『偶然と想像』でも凄く良かったけど、本作『雪子 a.k.a.』でも実に良い雰囲気だったなと思います。

そんな2人が上映後のトークイベントに登壇したので、これは良い日に鑑賞したなという感じでした。この日は1日で、鑑賞料金が安いというだけの理由で日程を決めたので、思いがけずラッキーだったなと思います。

いか

「全然調べずに行ったのに、トークイベントが良かった」ってのはちょいちょいあるよね

犀川後藤

映画『戦場のピアニスト』を観に行った時のやつも凄く良い経験だった

さて、トークイベント自体はとても良かったのですが、正直なところ、司会を務めた人があまり上手ではない印象で、ちょっとそこは残念だったかもしれません。今回の場合は、占部房子と樋口日奈の2人にトークを丸投げする形でも全然成立した気がします(登壇者に負担を掛ける形にはなりますが)。樋口日奈はバラエティ番組なんかも経験しているからでしょう、トークの回し的なのもかなり上手いなと感じたので、司会者はいなくても良かったでしょう。正直なところ、「2人の会話を司会者がぶつ切りにしている」みたいな印象でした。

2人の会話は色んな話題へと飛び、「『演劇』と『映画・ドラマ』では何が違い、何が違わないのか」みたいな話から、「下がった自己肯定感を整えるために銭湯に行く」みたいな話まで様々で面白かったです。その中から作品に直接関係する話を抜き出すと、まずは樋口日奈の「石井里穂が『嫌な人』に見えないように意識していた」という話が印象的だったなと思います。

いか

言及されてるシーンはかなり印象的だったよね

犀川後藤

「結構なことを言ってるのに悪く見えないのは凄いなぁ」ってリアルに思ってた

仕事を終えた雪子と里穂が一緒に帰るシーンでこんなやり取りがありました。里穂が雪子に年齢を聞き、雪子が「29歳」と答えた時に、「私、29歳で結婚して30歳で子どもを産む予定なんです」と口にしたのです。この会話、文字だけで読むと、「里穂、イタいなぁ」なんて感じるんじゃないかと思います。というのも、里穂の言い方は「29歳にもなってあなたはまだ結婚していないんですね」みたいな嫌味にも受け取れるからです。

しかし、観ている時には全然そんな印象になりませんでした。というか、「結構ヤバいこと言ってるはずなのに、全然嫌な雰囲気にはならないなぁ」とさえ感じていたのです。この場面での里穂の振る舞いを取り上げて、樋口日奈は「里穂は、他人に矢印が向いているのではなく、常に自分に矢印が向いている人。そういうことが伝わるように気をつけていたつもり」と言っていました。なるほどなぁという感じです。絶妙に「嫌味」を感じさせないキャラクターで、そういう見せ方を意識的にしていたという話は印象的でした。

また、占部房子が演じた大迫美香は学級新聞を手描きで作っているのですが、「小道具として実際に使われた学級新聞は、占部房子が自分で作った」という話も面白いなと思います。彼女は自ら「作らせてほしい」と頼んだのだそうです。占部房子はそのような「役を生きる前の準備」を結構大事にするタイプだそうで、「今作では監督含めスタッフがそういう部分にも協力してくれたのでありがたかった」と言っていました。

いか

小道具なんか美術スタッフが作った方がそりゃあ早いだろうからね

犀川後藤

「誤字脱字が無いかをチェックする仕事まで発生させてしまう」みたいにも言ってて、なるほど確かにって思ったわ

「効率という観点から考えれば”無駄”ってことになるだろうポイントでも、より良い作品を作るための選択をしよう」と皆が考えていたことが伝わるエピソードだし、そういう話が聞けたことも良かったなと思います。

最後に

本作『雪子 a.k.a.』を観た時期はどうも、自分の中で「当たり」と感じられる作品に出会えていなかったので、久々に素敵な作品を観れたという感じでした。トークイベントも含め全体的に良い鑑賞体験で、とても満足です。

冒頭でも書いた通り、はっきり「ここが良かった」と言えるようなポイントの無い、なんとも勧めにくい作品ではあるのですが、全体から素敵な雰囲気が漂う映画で、観て良かったなと思います。

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