【あらすじ】映画『千年女優』(今敏)はシンプルな物語を驚愕の演出で味付けした天才的アニメ作品

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:荘司美代子, 出演:小山茉美, 出演:折笠富美子, 出演:飯塚昭三, 出演:津田匠子, 監督:今 敏
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「老いた女優が昔語りをしているだけ」の物語が、これほど芳醇な世界観を生み出すことにとにかく驚かされた
  • 「回想シーン」の中に「劇中劇」と「妄想」が違和感なく存在することによるハチャメチャな展開が、1人の女優の人生を豊かに描き出す
  • 「テクニカルな構成」自体にも感心させられたが、それが「物語の感性的な部分」を下支えするスタイルであることが何よりも素晴らしかった

難しいことを考えなくても、「あー、良い物語に触れた!」と感じられるだろう、とにかく素敵な作品

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

今敏監督映画『千年女優』は、ちょっと凄まじいくらいの面白さだった!その圧倒的な「演出力」について解説する

信じられないほど面白い作品だ。以前リバイバル上映されていた、同じく今敏監督の映画『パーフェクトブルー』も面白かったのだが、本作『千年女優』はさらに輪をかけて面白く、感動させられてしまった

驚いたのが、「ストーリーはとてつもなくシンプルなのに、巧みな演出によって『凄まじい物語』に仕上がっている」というその造りだ。本作の物語をシンプルに取り出したら、「老いた女優が昔語りをしているだけ」なのだが、そこに様々な映像的スパイスや仕掛けを施すことによって、とんでもなく重厚な作品に仕上がっているのである。

さて本作は、実際に観ればまったく難しくはないのだが、いざ言葉で説明しようとすると凄まじくややこしい作品だ。私の説明を読んでも恐らく、いまいちイメージ出来ないだろう。どんな作品なのかは、実際に観て体感してもらうしかないというわけだ。しかし何にせよ、「説明は困難なのに、観たらするっと理解できる」という点もまた、本作の演出のとんでもない巧みさであると感じる。

まずは「最も基本的な設定・ストーリー」を紹介する

それでは、本作の最も中心に存在する「老いた女優の昔語り」の内容と、「どうしてそんな昔語りを聞くことになったのか」という設定について、まずは書いていこうと思う。

立花源也は、映像制作会社「VISUAL STUDIO LOTUS」の社長であり、若手カメラマン・井田と共に山奥に建つ家を目指している。そこで、かつての大女優・藤原千代子のインタビューを撮影するためだ。

関東大震災の日に生まれた千代子は、映画会社「銀映」の看板女優としてトップをひた走った、一定以上の年齢の世代なら知らぬ者はいないほどの有名女優だが、井田のような若手には全然知られていない。それもそのはず、千代子はある出来事をきっかけに女優を引退し、そのまま30年以上も人里離れた山奥に籠もっているのである。井田が知っている情報と言えば、「社長が藤原千代子にぞっこんである」ということぐらいだ。

そもそもこのインタビューは、「銀映創設70周年」と「長年様々な作品を撮るのに使われてきた撮影所の老朽化による解体」が重なったこともあり、「日本映画史の1ページを記録しておこう」という名目で企画されたものである。しかし実は、立花には別の目的もあった。そしてその目的こそが、このインタビューを実現させたと言ってもいい。というのも千代子は普段、人前には滅多に出てこないからだ。この30年、インタビューを受けたことなどないのである。

では、立花の目的とは一体何なのか。それは、かつて千代子が肌身離さず大切に持ち歩いていた「鍵」を返すことである。彼女はその「鍵」を見て「一番大切なものを開ける鍵」と口にした。「もう手元に戻ってくることはないと思っていた」と実に感慨深げである。

こうしてようやく、インタビューに移ることとなった。立花が聞き手、井田が撮影である。そして千代子の語りは、女優になる前の女学生時代の話から始まった

ある日彼女は、銀映の専務に気に入られ、女優にならないかとスカウトされる。しかし、それを聞いた母親は猛反対した。地震で亡くなった父が遺したお菓子屋を、婿を取って継いでくれないと困るというのである。専務は、「次の作品の舞台は満州で、戦争で闘う者たちを鼓舞する内容だ」と説得を試みるも、母親の気持ちは変わらない。そしてそんな母の態度を見て、千代子もどうすべきか悩んでしまう。

銀映の建物を出て、1人雪積もる中を歩いていると、彼女は後ろから走ってきた男性にぶつかられ、そのまま倒れてしまった。手を差し伸べて起こしてくれたその男性は、どうやら官憲に追われているようだ。官憲に行き先を問われた彼女は咄嗟に彼のことをかばい、さらに官憲に見つからないようにと、自宅の蔵に隠れてもらうことにした

「鍵」は、その蔵の中で受け取ったものだ。「一番大切なものを開ける鍵」なのだという。また、仲間が満州で闘っているのだそうで、絵描きである彼は「戦力になれそうもない」と自嘲しつつも、「いつか故郷に戻って、今描いている絵を完成させるのが夢だ」と彼女に語った。

しかしその後、蔵に隠れていたことがバレてしまう。番頭が上手いこと彼を逃してくれたのは良かったのだが、彼が乗っていると思しき列車に追いつくことは出来ず、結局そのまま離れ離れになってしまった

そしてこのことがきっかけで、彼女は女優デビューを決断する次回作は満州で撮影だと言っていた。もしかしたら、あの人に会うチャンスもあるかもしれない……

これが本作の「基本的な設定・ストーリー」である。最初から最後までほぼずっと、「立花・井田が千代子の家で彼女の昔語りを聞いている」という状況が続く物語というわけだ。最後の最後、少しだけ「千代子の家」以外が舞台になるが、作中で描かれる状況は基本的に「千代子が自宅で語る」という設定のまま進むのである。

文字で説明するのが凄まじく難しい「複雑な構成」

しかし観客視点で言えば、物語のほとんどは「千代子の家」以外で展開されているように見える。作中で「千代子の家の中」が視覚的に描かれるのは、全部足しても5分ぐらいだろう。本作の上映時間は約90分なので、残りの85分については、観客視点では「千代子の家」以外が舞台だと言える。

ちょっと回りくどく書いたが、要するに「物語のほとんどは『回想シーン』として登場する」というわけだ。学生時代や女優時代の千代子が物語のメインであり、「70代の千代子が昔語りをしているシーン」は映像的にはほとんど描かれないのである。まあ、これだけなら別に普通の構成だろう。

しかし問題はここからである。まず挙げておきたい奇妙なポイントは、「『回想シーン』なのに、立花と井田が登場する」という点だ。何を言っているのか理解できるだろうか? 例えば、「『女学生の千代子が後ろから男性にぶつかられ転ぶ』というシーンの中に、スーツを着た立花とカメラを持った井田も存在している」のである。とても変な描き方だと思うのだが、まずこの演出がとても面白かった

実際には「千代子の家で千代子の話を聞いているだけ」なのに、立花も井田も、「まさにそのシーンを自身の目で目撃している」かのような演出になっているというわけだ。そのため、千代子に憧れを抱く立花は当然、”目の前”で展開される様々な状況に否応なく感情を揺さぶられるし、井田は井田で、まさに”目の前で”それが起こっているかのように彼女をカメラに収めようとするのである。

さて、普通に考えればこれは、「語る千代子とそれを聞く立花・井田を、観客に対して臨場感たっぷりに提示する演出」に過ぎないと感じるだろう。もちろん、それはその通りである。繰り返すが、彼らは実際には「千代子の家でインタビュー撮影を行っている」だけなのだ。ただその一方で、「立花と井田が『回想シーン』の世界に実際に存在している」かのような演出が随所でなされもする。例えば、千代子に見つからないように電柱の陰に隠れたり、あるいは井田が「どんな取材なん」「しんどい取材やわー」と口にしたりするのだ。つまり、「2人がタイムスリップでもして、過去のある場面を実際に直接体験している」みたいな演出にもなっているのである。この点もまた、本作を面白く観られる要素の1つになっていると思う。

さて、そろそろ文字の説明では伝わりにくくなるように思うが、まだギリギリ何を言っているのか理解してもらえるだろう。ただ、実はまだまだややこしい構成になっているのである。本作ではなんと、「『回想シーン』に、『映画撮影シーン』と『幻想シーン』がシームレスに接続される」のだ。

何を言っているのか理解できるだろうか? 伝わっている自信はないが、このまま説明を続けることにしよう。

まず、本作『千年女優』は、「宇宙飛行士がロケットに乗り込むシーン」から始まる。これは実は、「千代子がかつて出演した映画のワンシーン」なのだ。このような、「千代子が出演したの”だろう”映画のワンシーン」のことを、ここでは「映画撮影シーン」と呼ぶことにする。そしてこのような「映画撮影シーン」が、「回想シーン」とシームレスに接続されるのだ。

「シームレス」というのは「継ぎ目が無い」という意味だが、つまり本作では「『回想シーン』だと思っていたらいつの間にか『映画撮影シーン』になっていた」みたいなことが多発するのである。何となくイメージしてもらえるとは思うが、観客視点では、「実際にあった千代子の過去」と「千代子が出演した作品の一部」を区別するのはなかなか難しい。そして本作では、その困難さを上手く利用して、両者をシームレスに繋いでいるのである。

さらにややこしいのは、「『映画撮影シーン』だと思っていたら、実は『妄想シーン』だった」という状況も存在することだ。先程私は、「千代子が出演したの“だろう”映画のワンシーン」と「だろう」をつけて表現した。観客は当然「藤原千代子の出演作品」など知らないわけで、映し出されている映像が「千代子の出演作のもの」なのか「そうではない」のかなど判断しようがない。しかし、「これは明らかに『妄想シーン』だ」と分かる状況も存在するのだ。

それが、「千代子演じる様々な役柄が、想い人を追いかける」という描写である。これはつまり、千代子自身が経験した「女優の道へと進むきっかけとなった男性との出会いと別れ」を、戦国時代・明治時代・戦時中など様々な時代を背景に繰り返し再帰的に描き出しているというわけだ。

このように、映画『千年女優』の9割以上を占める「回想シーン」の中には、「映画撮影シーン」と「妄想シーン」も存在し、それらが渾然一体となってシームレスに接続されつつ物語が展開していくのである。

この辺りの説明については、もはや何を言っているのかまったく分からないのではないかと思う。しかし、本作のカオスはまだ終わらない。なんと、「回想シーン」ではずっと「傍観者」の立場のままだった立花が、「妄想シーン」においては「登場人物の1人」として物語に介入し始めるのだ。カメラマンの井田は最後まで「傍観者」の立場を崩さないのだが、立花はというと、武将になって闘ったり、車夫となって千代子を乗せた人力車を引いたりと、「妄想シーン」の中で忙しく立ち回るのである。

このように、文字で説明しようとすると恐ろしく複雑な作品なのだ。

冒頭でも書いたが、本作は観ている分にはまったく難解さはない。「立花と井田が『回想シーン』の中にいる」とか、「立花が『妄想シーン』に介入する」みたいなことが起こった瞬間は若干戸惑うが、しかし観ていればすぐに「こういうシステムの物語なんだな」と慣れるはずだ。しかし、そんな「観れば全然難しくない作品」が、言葉で説明しようとするとこれほどややこしいのである。これはシンプルに、「複雑な演出を見やすい形に整えた手腕」を称賛すべきだろう。

いずれにせよ、演出と全体の構成がとにかく素晴らしい作品だった。

「テクニカルな構成」が「物語の感性的な部分」を下支えしているスタイルが見事

さて、ここまでの私の書きぶりだと、「『テクニカルな構成』が凄かったから、作品全体も素敵に感じられた」という感想に受け取られるかもしれない。しかし、全然そんなことはない。もちろん「テクニカルな構成」にも唸らされたのだが、まずはシンプルにストーリーがメチャクチャ良かったのである。作品全体を分析的に捉えようとしなくても、ただただ物語に身を任せていれば、「良い話だったなぁ」と感じられるのではないかと思う。

つまり本作は、「『良い話だった』と感じさせるために『複雑な演出』が使われている」という点が秀逸なのだ。ここまでで説明してきたような「テクニカルな構成」は、「女優・藤原千代子の一生を絶妙に描き出す」ために使われており、だからこそストーリーがとても素敵に見える。「テクニカルな構成」が「物語の感性的な部分」を下支えするために使われているからこその感動というわけだ。そのバランスがとても見事だったと思う。

少し話はズレるかもしれないが、以前何かで読んだ小説家・東野圭吾に関するエピソードを思い出した。彼はミステリ小説を多く出版しているが、「トリックから物語を考えることはない」と何かで書いていたと思う。作家によっては、まず「トリック」を用意し、「そのトリックが使える状況・人間関係」を後から構築し、物語に仕立てる人もいる。それはもちろん1つのやり方だが、東野圭吾はそうではなく、「描きたい状況・人間関係をまず設定し、それが実現できるようなトリックを考え出す」というやり方で小説を書いているというわけだ。

そしてそれと似たような雰囲気を本作『千年女優』に対しても感じたのである。

本作における「テクニカルな構成」は、やろうと思えば別のアニメ作品(あるいは実写作品)でもきっと使えるだろう。しかしそれは「トリックからミステリ小説を生み出す」みたいなものであり、「感性的な部分」を引き立たせるような使われ方にはならない可能性の方が高いように思う。

本作にはそのような印象はなく、「藤原千代子の人生を描き出すのに、このような構成・演出が最適だと判断したのだろう」と感じた。これはまさに、東野圭吾の主張に近いと言える。だからこそ、「テクニカルな構成」そのものへの感動だけではなく、「それが物語全体を引き立てている」という事実に対する称賛の気持ちが芽生えるのだと思う。そのような演出が、とにかく素晴らしかった

しかし、以前観た映画『パーフェクトブルー』もそうだったが、「現実」「映画撮影」「虚構」の3要素をシームレスに織り交ぜていく演出が本当に天才的だと思う。「現実」と「虚構」だけだと組み合わせのバリエーションはどうしても乏しくなるが、「役者」を主人公に据えることで「映画撮影」も要素として組み込み、選択肢の幅を広げて観客を幻惑させる感じが本当に上手い

その上で本作の場合はさらに、「千代子が想い人を追う」という物語が様々な時代背景を舞台に再帰的に描かれていく。「『時代が異なるので、視覚的には別物に映るが、本質はまったく同じ物語がリフレインされる』ことによって、千代子が想い人に対して抱いている気持ちの強さが視覚的に理解できる」という構成がとても上手いと思う。凡庸な演出をしたら「同じ話を繰り返しているだけじゃん」となってしまうと思うのだが、「女優だった千代子が関わった作品を舞台にして同質の物語を繰り返す」という手法のお陰で、同じ物語が新鮮なものに映る。今敏以前に同様のやり方が使われていたのかは知らないが、使われていたとしても恐らく、この手法を最も見事に使いこなしている作品と言えるのではないかと思う。

さらにその上で、「立花が登場人物の1人として『妄想シーン』に関わる」というカオティックな描写も組み込まれるのである。これによってコメディ要素が加わることになり、作品の面白さの幅がさらに広がっていると思う。この点についても、凡庸に演出すれば「ムチャクチャだ」としか感じられないかもしれないが、本作では、「立花が千代子に憧れを抱いており、その強い想いがこのようなカオスな状況を生み出している」という一応の”つじつま合わせ”が存在するお陰で、思ったほどムチャクチャには感じられない。「ぶっ飛んだことやってるなぁ」とは感じるが、細部までちゃんと行き届いているので、そこに「粗」が見えることはないのである。

だからこそ安心して観ていられるのだし、「テクニカルな構成」への感心以上に「良い物語に触れたなぁ」という感動が上回るのだ。本当によく出来た作品だと思う。

出演:荘司美代子, 出演:小山茉美, 出演:折笠富美子, 出演:飯塚昭三, 出演:津田匠子, 監督:今 敏
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最後に

冒頭で書いた通りだが、本作はとにかく「ストーリーはとてつもなくシンプルなのに、巧みな演出によって『凄まじい物語』に仕上がっている」という点が何よりも素晴らしい。私の文章を読んだ方は「なんか難しそう」と感じるかもしれないが、本当にまったくそんなことはない。言葉で説明すると果てしなくややこしい構成・演出なのだが、観ればスッと理解できるはずだ

そんな「テクニカルな構成」によって下支えされた「上質な物語」を、是非体感してほしいと思う。

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