【異例】東映京都撮影所が全面協力!自主制作の時代劇映画『侍タイムスリッパー』は第2の『カメ止め』だ(監督:安田淳一、主演:山口馬木也)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「侍タイムスリッパー」公式HP
いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

「第2の『カメラを止めるな!』」とも評される奇跡の自主制作映画で、一見の価値アリです!

犀川後藤

しかも、監督の安田淳一が「『カメ止めの奇跡』の再現を意識した」と公言しているのも興味深いポイントでしょう

この記事の3つの要点

  • 「池袋シネマ・ロサ」1館の公開から全国拡大上映に発展した、まさに映画『カメラを止めるな!』と同じ流れを辿る超絶面白い自主制作映画が爆誕した
  • 「幕末の侍が現代にタイムスリップする」というありがちな設定ながら、シリアスからユーモアの詰まった感動的な作品に仕上がっている
  • 後半の「思いがけない展開」と、そのことによって生み出される「シリアスさ」の本質について
犀川後藤

「脚本があまりに面白いから、東映京都撮影所が全面協力を申し出た」というほど、自主制作映画の枠には収まらない見事な作品

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

奇跡の自主制作映画!東映京都撮影所の全面協力で制作された映画『侍タイムスリッパー』は、「観たら誰かに話したくなる要素」が満載の超素敵な映画だった!

映画『侍タイムスリッパー』の大躍進、そしてその面白さと異常さについて

映画『侍タイムスリッパー』をご存知でしょうか? 私が本作を観た時点でも結構な話題でしたが、今ではかなり広く知られているのではないかと思います。とにかくメチャクチャ面白い映画でした。しかも、その制作や上映館拡大の過程が凄まじいのです。というわけでまずは、その辺りの「外的要素」の話から始めていきましょう。

いか

内容がメチャクチャ面白いからここまで評判になってるわけだけど、「ガワ」の話も凄いんだよね

犀川後藤

それも込みで応援したくなる作品だなって思う

そもそも、私がこの作品の存在を知ったのは、「全国拡大上映が始まってから数日後」でした。ネットで、「『カメ止め』奇跡の再来!」という記事の見出しだけ目にしたのです。『カメ止め』と言えば、言わずと知れた映画『カメラを止めるな!』で、たった1館での公開からあれよあれよという間に上映館が広がり、全国的にヒットした「奇跡の自主制作映画」として知られています。そして本作『侍タイムスリッパー』もまったく同じで、映画『カメラを止めるな!』を最初に上映した映画館「池袋シネマ・ロサ」のみでの上映だったにも拘らず、その評判が口コミで広まり、全国で上映されるまでになったというわけです。私がこの記事を書いている時点で、全国250館以上の映画館で上映されているとのこと。自主制作映画が、大作映画並に公開されているというわけです。

また、お客さんの入りもかなり良いようです。私は祝日にTOHOシネマズ日比谷で観たのですが、400席弱ある座席の7~8割が埋まっていたと思います。ネットで調べると「満員御礼」という文字も散見されるし、私自身はチェックしていませんが、SNSなどでもかなり話題になっているのでしょう。

いか

しかも監督の安田淳一は、「『カメ止め』の奇跡は再現できるんじゃないか?」って考えて本作を作ったらしいよね

犀川後藤

業界的には「二度と不可能」って言われてたらしいから、それを戦略的に再現できたんだとしたらさらに凄い

そして、観た人が話題にしたくなるのが分かるぐらい、メチャクチャ面白い作品でした。最後にちょっと涙が零れそうになったほどで、正直「話題になったから観てみるかー」ぐらいの気持ちだったので、思いがけず素敵な作品に出会えたという気分です。

しかも作品の内容としては、「幕末の侍が現代にタイムスリップする」という「これまでだっていくらでも描かれてきたような物語」でしかありません。そんな映画で爆笑を生み出し、涙を誘い、シリアスな感動を演出しているのです。観ながら何度も笑わされたし、そんなコメディ的要素の一方で、根底には監督の強い想いが詰まったテーマがちゃんと存在し、それ故に浮かび上がる「真剣さ」みたいなものが観客の涙を誘いさえします。メチャクチャよく出来ているなと感じました。

いか

東映京都撮影所が「脚本が面白いから全面的に協力する」って申し出たのも分かるよね

犀川後藤

「金も経験もないけど、こいつらには協力してやろう!」って思わせる何かがこの作品を成立させたんだよなぁ

しかも本作には、「単館からヒットした」というだけではない信じがたい要素があります。「東映京都撮影所が協力している」という事実からも分かるでしょうが、本作『侍タイムスリッパー』は基本的に「時代劇」なのです。繰り返しますが、本作は自主制作映画で、つまり、金も人手も足りません。だから、どうしたって金も人手も必要になる時代劇を自主制作映画で撮るというのは”狂気”でしかないのです。脚本を書いた安田淳一監督はもちろん、東映京都撮影所の協力を取り付ける前に本作の脚本を完成させているわけで(脚本があったからこそ、東映京都撮影所も協力を決断できたはずです)、普通に考えれば「東映京都撮影所が協力してくれる」なんて想定することは不可能でしょう。だから余計に、監督の「自主制作映画で時代劇をやる」という選択が狂気的に感じられるのです。

それに、いくら東映京都撮影所が全面協力してくれたと言っても、時代劇を撮るのに莫大な金が掛かることに変わりはありません。本作『侍タイムスリッパー』の制作費は2600万円だそうで(映画『カメラを止めるな!』の制作費は300万円とのことで、破格に高い)、それを監督がほぼ自腹で支払っているとのこと。監督のエピソードとして、「映画撮影終了後、銀行口座に7000円しかなかった」という話がよく紹介されていますが、それぐらい大変だったというわけです。

いか

もしも東映京都撮影所の協力がなかったら、もっと掛かっただろうねぇ

犀川後藤

さすがにその場合は撮るのを諦めたんじゃないかって思うけど、でもこの監督の場合ちょっと分からない

さて、問題はお金だけではありません。本作『侍タイムスリッパー』は「未来映画社」が制作しているのですが、そこの撮影スタッフは僅か10名程度しかいないのだそうです。普通に考えて、そんな人員で時代劇が撮れるはずもありません。この点についても、東映京都撮影所の協力が不可欠だったわけですが、それにしたって人手が足りなすぎると思います。

それで、私がエンドロールを観ていてちょっと驚愕した話をしておきましょう。本作『侍タイムスリッパー』には「山本優子」という役名の助監督が出てくるのですが、彼女を演じた沙倉ゆうのが、『侍タイムスリッパー』の撮影においても助監督を担っていたのです。つまり沙倉ゆうのは「助監督役 兼 助監督」という、ちょっと意味不明な立ち位置で映画に参加していたことになります。私はそもそも「そんなこと可能なのか?」と感じたのですが、まあ何とか頑張ったのでしょう。監督にしても、脚本・監督・撮影・編集などはいいとして、照明や車両まで担当していたみたいです。とにかく、「みんなが何でもやるしかなかった」って感じだったんだろうけど、それにしても、「役者をやりながら、助監督というたぶんメチャクチャ忙しいだろう仕事を並行でやる」なんてのは、なかなか狂気的に感じられました。

犀川後藤

ちなみにこの沙倉ゆうの、メチャクチャ若く見えるんだけど、41歳の私より年上だって知ってさらに驚いたわ

いか

撮影が何年前だったのか知らないけど、映画公開時は44歳だったらしいから、ちょっと信じられないよね

そんなわけで、様々な「あり得ない」が積み重なって生まれた奇跡の自主制作映画であり、そういう「外的要素」を含めて、メチャクチャ人に話したくなる作品じゃないかなと思います。

映画『侍タイムスリッパー』の内容紹介

物語は、江戸末期から始まる。会津藩士である高坂新左衛門は仲間と共に、家老直々の密命を預かった倒幕派の長州藩士を討てというのだ。そのため、寺の前で男が出てくるのを待ち構え襲いかかったのだが、相手と刀を交えたその瞬間雷に打たれ、そのまま気を失ってしまった

目を覚ました高坂は、自分が江戸の町中で倒れていることに気づく昨日は京都にいたはずなのに、一体何故……? 理由が分からないまま声がする方へと歩いていくと、町娘が男たちに襲われそうになっているのが目に入った。そこにやってきたのが、心配無用ノ介と名乗る男。長々と口上を述べる彼に助太刀しようと高坂も刀を抜いて男たちと対峙しようとするのだが……。

カット!!

突然そんな声が響き、場の空気が変わった。高坂にはまだまだ状況が飲み込めてはいないものの、そこは京都にある時代劇の撮影所で、彼が目にしていたのはすべて撮影中の様子だったのである。台本に無い動きをする高坂は、「別の撮影現場の斬られ役が紛れ込んだ」と判断され、助監督の山本優子にその場を追い出されてしまう。その後撮影所内をうろうろしていた高坂は、若い女性が巨石を軽々と運んだり、ゾンビのようなメイクの町人に驚かされたりと不可思議な経験をする。そしてそうこうしている内に、ひょんなことから撮影で使うクレーンに頭をぶつけ、倒れてしまった

そのまま入院することになったのだが、病室で目覚めた高坂は、窓から見える光景に驚愕する幕末の世とはまるで違っていたからだ。病室を抜け出してとりあえず街を歩いてみたのだが、すべてが“異世界”すぎてで何がなんだか分からない。その後高坂は、ひょんなことから「自分が未来の日本にやってきたこと」を知る。そしてそのまま徘徊を続けていたところ、たまたま、高坂の記憶では前日に雷に打たれた寺の前に辿り着いた。そのまま玄関先で寝てしまった高坂は、「撮影所の役者」と扱われたまま寺で過ごすことになる。

その後、いくつかの偶然が重なったことで、彼は「東映剣」という「斬られ役集団」に弟子入りし、衰退する時代劇の世界で着実に名を上げていくのだが……。

コメディ的な内容から一転、思いがけない展開になる構成に驚かされた

本作は、冒頭からしばらくの間コメディ的に展開していきます。当然、「幕末の侍が現代のあらゆることに驚く」みたいな要素もあるわけですが、それは全然メインとしては扱われません。というのも高坂は、恐らく割と早い段階で「この世界で生きていくしかない」と覚悟を決めており、そのため「『幕末からやってきた侍である』という事実がバレないように振る舞っている」のです。高坂がそういうスタンスなので、「あらゆることに驚く」みたいな描写は抑制的と言っていいと思います。

では一体何が面白いのでしょうか。冒頭からしばらくは、侍の高坂、高坂を受け入れる寺の老夫婦、そして助監督の山本の4人がメインで描かれるのですが、彼らの「掛け合い」がかなり面白いと感じました。高坂は「幕末の侍」だとバレないように振る舞っているわけですが、それでも時々「現代人とは思えない反応」をしてしまいます。しかしそれらを、特に老夫婦が絶妙な感じで笑い飛ばしつつ、同時に、「侍が現代で生活していることによる違和感」の大半を上手く帳消しにしていくというわけです。

いか

後半で「良い話」に持っていくには、前半で「高坂が現代社会に馴染んでる」って観客が感じてくれないといけないからね

犀川後藤

その過程を、コメディっぽくまとめつつ描いている感じが上手かったなって思う

普通に考えれば、「幕末の侍が現代の生活に適応する」のは不可能だと思いますが、「時代劇の撮影所が近くにある」「時代劇の撮影でよく使われる寺に住まわせてもらっている」「寺の老夫婦が絶妙なリアリティを有する良い人」みたいな要素が積み上がって、その「違和感」が薄まっている気がします。観ていると、「なるほど、こういう感じだったらギリギリ、『高坂が現代を生きる』って設定を受け入れられるなぁ」と感じられるだろうし、その過程がかなり楽しく描かれていくので、そういう部分が前半の見どころと言っていいでしょう。

さて、高坂はここから「斬られ役」への道を進み注目を集めていくのですが、それ以降の展開についてはこの記事では触れないでおくことにします。後半の展開を想定できた人もいるかもしれませんが、私は「なるほど、そういう展開になるんだ!」とかなり驚かされました上手い流れだったと思うし、さらに、その展開のお陰で「思いがけないシリアスさ」が生み出されているところもまた見事だったなと思います。

それで、この点には触れておこうと思いますが、私は冒頭からずっと、「この物語、一体どうやって展開させるつもりなんだろう?」と考えながら観ていました。というのも、これは皆割と早い段階で気づくと思うのですが、「『高坂が幕末に戻るために奮闘する』みたいな展開にはならないだろう」と思っていたからです。

いか

そういう展開にするなら、「どういう条件を満たせば幕末に帰れるのか」を提示する必要があるけど、そういう要素はなかったからね

犀川後藤

だから「現代に留まることは確定」って早い段階で判断できると思う

しかしそうだとして、「じゃあここからどうするわけ?」と思っていました。もちろんしばらくは、「様変わりしてしまった世界に驚く」という描写で保つと思いますが、その後はどうすればいいでしょうか。高坂自身は「この世界で生きていくしかないのだろう」と既に覚悟を決めていたはずですが、かと言って、現代社会で幕末の侍に出来ることなど多くはありません。運良く寺に拾ってもらって衣食住はどうにかなりましたが、そんな要素はその後の展開に寄与するほどのものではないでしょう。

というわけで、本作はなんと自主制作映画なのに131分もあるのですが、そんな131分の物語をどう展開させるつもりなのかと、かなり早い段階から疑問に思っていたのです。

私は、観る予定の映画について特に何も調べないことにしているので、ポスタービジュアルに書かれている「それがし、『斬られ役』にござる。」というフレーズさえ知らずに映画館に行きました。なので、物語の途中で「なるほど、高坂は『斬られ役』を目指すのか」とみたいに思ったのですが、ともあれ、その展開はまあ順当だと言っていいでしょう。

いか

侍だったんだから「斬られ役」は向いてるよね

犀川後藤

でも、最初は「斬られる」ことに抵抗があったせいで、「稽古で師匠を斬ってしまう」なんて展開もあって面白い

ただそれ以降の展開はなかなか驚きで、しかも、前半のコメディ的な雰囲気から一変してかなりシリアスに展開して行くことになるのです。

本作が「シリアスな作品」として成立している理由について

さて、後半の「シリアスな展開」については、内容にあまり触れない形で説明するのが難しいので詳述しませんが、ただ、「どうして後半で『シリアスさ』が生まれるのか」については触れておきたいと思います。それは、「『ごく一部の登場人物』と『観客』しか知り得ない事実が存在するから」です。つまり、「『ごく一部の登場人物』と『観客』」と「その他の登場人物」とでは、「見えている情景が全然違う」わけで、この構図が実に絶妙だと感じました。実は後半の展開にもコメディ的な要素はあり、この「シリアスなのにコメディ」という明らかに矛盾した状況が成り立っているのもこの設定のお陰だと言えるでしょう。

いか

観客は「ごく一部の登場人物」側からも「その他の登場人物」側からも物語を捉えられるから「シリアス」かつ「コメディ」になるんだよね

犀川後藤

この構図は良く出来てるって思ったなぁ

さらに後半の「シリアスさ」には、「『失われてしまったもの』や『失われていくかもしれないもの』への悲哀」みたいな要素も内包されていて、それ故に「泣ける」みたいな要素が加わることにもなります。特に、「『改訂された台本』を読んで以降の高坂の心情」には胸打たれるし、そして高坂の中に生まれたこの感情があるからこそ、普通なら「リアリティに欠ける」と判断されそうな「ラスト付近のぶっ飛んだシーン」にも真実味が生まれるのです。

その「ぶっ飛んだシーン」というのは「殺陣の撮影シーン」なのですが、その迫力はちょっと凄まじいものがありました。本作は「劇中劇」として「時代劇の撮影」を行っているので「殺陣」も結構出てくるのですが、そのどれもが「ザ・時代劇」という感じでした。ただ、ラストの殺陣だけはちょっと別格でした。どうしてこの殺陣が「ぶっ飛んだシーン」なのかについては伏せますが、作中で提示される「ある事実」が「本当のこと」のように感じられるのと、さらにそこに「登場人物の気迫」が乗っかることで、まさに「手に汗握る」みたいなシーンになっていたと思います。これはお見事でした。

そして、そんな超シリアスなシーンの直後に爆笑をかっさらうという展開も凄く良かったなと思います。しかも、「今日がその日ではない」なんていう、特にどうということのないフレーズで笑わせるんだから、セリフの緩急も絶妙でした。とにかく随所で「上手いなぁ」とずっと感じていたように思います。

犀川後藤

こんな脚本が出てきたら、そりゃあ「協力してあげよう!」ってなるよなぁ

いか

しかも、この記事ではあまり触れてないけど、「時代劇愛」を感じさせる物語だから余計にね

さて、本作の面白さにはもう1つ、「高坂は何をするか分からない存在だ」という要素が大きく関係していると思います。

高坂は幕末からタイムスリップしてきた侍なわけで、当然、現代の常識など何も知りません。それこそ「赤信号で止まらなければならない」みたいなことだって、高坂のルールブックには存在しないわけです。そしてだからこそ、その事実を認識している観客は、「高坂は『私たちの常識から大きく外れたこと』をしかねない」という感覚を抱きながら物語を追っていくことになります。この点もまた、「物語がどう展開していくのか分からない」という雰囲気を醸し出す重要な要素になっていると感じました。

それは特に、先程紹介した「ぶっ飛んだ殺陣のシーン」で顕著だったと言えるかもしれません。「もしかしてホントにやるのか!?」みたいな感覚は、高坂に対してだからこそ感じられるはずです。そして本作中には、そういう感覚をもたらす場面が随所にあったように思います。「そんな『予測不可能性』を登場人物の1人が必然的に有している」という要素もまた、本作全体を面白く見せているポイントだと感じました。

ホントに、見事な作品だったなと思います。

最後に

公式HPには、撮影に協力した東映京都撮影所のスタッフの紹介も載っていますが、殺陣も衣装も床山(カツラ・メイクの担当)も、時代劇の世界では知らない人がいないほどの一流どころだそうです。そんな人たちの協力を得ながら作られた本作は、自主制作映画でありながら自主制作映画クオリティではないはずだし、色んな意味で奇跡的な作品だと言っていいと思います。

それでは最後に。物語の展開から想像できる人も多いかもしれませんが、本作は、斬られ役から主演にまで上り詰めた福本清三へのオマージュが随所に込められています。彼の著書のタイトルである『どこかで誰かが見ていてくれる』というセリフを口にする人物もいるほどだし、映画のラストには「福本清三への献辞」も記されました。元々は、本作で「東映剣の師匠」役として出演する予定だったそうです。亡くなってしまったのでそれは叶わなかったわけですが、本当に「東映京都撮影所オールスター揃い踏みでの全面協力だった」ことが伝わるんじゃないかと思います。

そんな「極小と極大が融合したような奇妙な制作過程」と「脚本の圧倒的な面白さ」によって、ちょっと類例のない話題を生み出す作品に仕上がっていて、一見の価値があると私は感じました。

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