【壮絶】映画『フロントライン』は「コロナパンデミックの発端」におけるDMATの奮闘をリアルに描く(監督:関根光才、主演:小栗旬、松坂桃李、池松壮亮、窪塚洋介)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「対立構造を作らない構成」や「ラストに表示された字幕」などから、「徹底してリアルに描く」という制作陣の覚悟が感じられた
  • ボランティアで運営される「DMAT」の隊員が、あまりにも危険な状況に立ち向かえる理由
  • 臨機応変な対応を取る厚労省の役人の柔軟さと、「ルールを破る」ために必要となる大前提について

最初から最後までずっと瞳が潤んだ状態だったと言っていいぐらい、この作品からは強い想いが感じられた

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『フロントライン』は本当に多くの人に観てほしい!ダイヤモンド・プリンセス号のパンデミックに立ち向かったボランティア集団「DMAT」の壮絶すぎる奮闘がリアルに描かれる

本作『フロントライン』が描いている出来事は、未だに多くの人にとって記憶に新しいだろう世界中を震撼させたコロナウイルスによるパンデミック、その発端みたいに扱われ世界中で報じられた「豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号」での集団感染だ。そして、あの時に対応したのが「災害派遣医療チーム DMAT」なのである。私は、本作を観る直前にDAMTがボランティアだと知り驚かされたボランティアでやる仕事じゃないだろ

しかも、これは本作を観ながら知ったことなのだが、DMATが定義する「災害」には元々「感染症」は含まれていなかったというのだ。当然、装備も知識もなかった。にも拘らず、「対応せざるを得ない状況」に追い込まれてしまう。それでいて、対応に不備がある(と判断される)と批判されるのだ。あまりにもしんどすぎる状況ではないかと思う。

そういう「あまりにも酷すぎる現実」の中、それでも、「目の前で苦しんでいる人たちを助けるために、自分に今出来ることをやる」という思いで走り続けた者たちの奮闘を、リアルすぎる形で描き出したのが本作『フロントライン』である。私はホント、冒頭からずっと泣き続けていたように思う。

こんな現実があったことを私たちは知っておく必要があるだろう。特に、本作を今観る人は「彼らと同じ時代を生きた人」であるはずで、だからこそ余計に、そんな奮闘を記憶に刻んでおくべきではないかと思う。

「物語っぽくしていないこと」に、制作側の「覚悟」を感じた

本作『フロントライン』を観てまず印象的だったのは、「物語っぽくない」ということだ。人によってはもしかしたら、「実話を元にしているんだから当然だろう」と感じるかもしれない。ただ私は、実話を元にした作品も結構観るが、やはり「フィクショナライズされている」ものが多い気がしている。「事実をそのまま描くだけでは物語としては弱い」みたいな場合に、新たな登場人物を組み込んだり、登場人物の性別を変えてジェンダー的な要素を入れ込んでみたりと、色んな手を加えることは多いと思う。「フィクション」として提示するのだからそういう操作は別に問題ないと思うし、そういう改変によって「元の実話」にも関心が向けられるならば、フィクションとしては必要以上の役割を果たしていると言えるだろう。

ただ、あくまでも私の印象にすぎないが、本作は「事実を本当にそのまま描いている」ような気がした。特に印象的だったのは「対立構造が描かれないこと」だ。いや、まったく無いわけではないのだが、フィクションであれば当然のように含まれることが多いだろう「分かりやすく対立構造を描き、その解消によって盛り上がりを生み出す」みたいな要素が本作にはほとんどない。物語の設定的にはいくらでも「対立構造」を作れそうだったので、そういう物語において「対立構造がほとんどない」というのは、「極限までリアルにこだわったから」という気がしたのだ。

しかし、敢えて言えばだが、そんな「対立構造が存在しない作品」における最大の対立構造は「DMAT」と「世間」の間にあったのかもしれない。そして、「その『世間』を分かりやすく描くための要素として『マスコミ』が登場する」というのが私の印象である。本作に登場するほとんどすべての人物が「船内に残る人たちを救うために今何をすべきか」を必死になって考えている中、マスコミだけは「どうすればこの騒動をもっと盛り上げられるか」ばかりに目が向いているように見えるのだ。もちろんマスコミがそうするのは、「視聴者がそれを望んでいるはずだ」と考えているからであり、そういう意味で、本作で描かれる「マスコミ」は「世間」と同一視して良いような気がしている。

そして恐らくだが、本作を「物語」っぽくしなかったのも「当時のマスコミ報道」と関係があるように思う。本作で展開されるストーリーは、私たちが当時マスコミを通じて何となく理解していた現実とはまるで異なる。私の記憶では、当時のマスコミは「様々な手違い・ミス・不備のせいで、船内では大変なことが起こっている」みたいに報じていたと思うのだが、本作を観る限り、その捉え方はかなり間違っているようだ。そして本作の制作陣は、「あの当時のマスコミは事実を正確には報じなかった」ということを伝えるために「徹底してリアルに描く」ことにこだわったんじゃないかと思う。

だからだろう、本作のラストには普段見かけないこんな注意書きが表示された。

本作は事実を基にしていますが、物語の都合で一部時系列を入れ替えたり、複数人が行ったことを1人の出来事として描いています。

作中にはマスクを外したシーンも多くありますが、実際には、食事の時間を除いて隊員はほとんどの時間マスクをしていました。

これらの表記からも、制作陣の「可能な限りリアルに描く」という意思が伝わってくるだろう。そして同時に私は、これらの文章を読んで少し悲しい気持ちになってしまいもした。別に制作陣を責めているとかではない。というか、私が本作の制作に関わっていたとしても「これらの記述は必要だ」と考えただろう。何故なら、言葉を選ばずに言えば「世間を信用していないから」である。

実話を基にしたフィクションだ」と言っているのだから、「事実と異なる部分」があって当然だ。だから本来であれば、先のような表記は不要である。私が普段観ているような「実話を基にしたフィクション」にも、そんな表記がなされることはない。しかしそれでも敢えてこういうことを書いたのは、「文句を言ってくる人間が出てくるはずだ」と想定されているからだろう。そして、その想定は残念ながら正しいと私も思う。もちろん、表記のあるなしに拘らず文句を言ってくる人間は出てくるだろうが、こういう表記をしておくことで、「お前らみたいなのが出てくることは想定済みだぞ」というアピールは可能である。そして私は、そんな対策をしなければならない現状に残念な気持ちを抱かされてしまったのだ(もちろん、今ここで書いたことはすべて私の推測であり、制作陣が実際にどういう意図で先のような表記をしたのかは分からないのだが)。

だから私は、もちろん自戒を込めてではあるが、本作を観る人たちに1つ意識してほしいことがある本作で「『マスコミ』の背後にあるもの」として描かれる「世間」というのはまさに「本作を観ている私たちのこと」だという点だ。この認識はどうしても避けては通れないだろう。もちろん多くの人が、「DMATへの批判」や「乗船客への誹謗中傷」に直接的に加担したりはしなかっただろう(もちろん私だってしていない)。しかし本作で描かれているように、「『世間』がごちゃごちゃ言ってくるせいで、問題なく進むはずだったことが滞ってしまった」という現実が存在したこともまた事実なのだ。そしてそういう現実は、ダイヤモンド・プリンセス号での出来事に限らずあらゆる局面で今も起こり続けている

そして、「そんな『世間』に自分自身も否応なしに含まれてしまっている」という事実を認識しながら本作を観るべきだと私は思う。さらにその上で私は、観客にそういう気持ちを抱かせることになったとしてもなお「徹底してリアルに描き出すこと」にこだわった制作陣の「覚悟」に拍手を送りたい気分にもなった。

「世間」を構成する1人として、本作で描かれる現実をあなたはどう感じるだろうか?

「ボランティア組織であるDMAT」の「働く理由」に心打たれた

さて、先程も少し触れたが、「災害派遣医療チーム DMAT」はなんとボランティア組織なのだそうだ(調べてみると、隊員の給料は基本的に派遣元の病院から支給されているという)。私はこの事実を、本作『フロントライン』を鑑賞する直前に観たテレビ番組で知り、まずその事実に驚かされてしまった

私はたぶん、「DMAT」の存在をダイヤモンド・プリンセス号の時に初めて知ったんじゃないかと思う。そしてその時は恐らく、「SWAT」のような公的組織をイメージしていたような気がする。いや、そりゃあ普通そうだろう。何せ「武漢で見つかったばかりの未知のウイルスに感染した乗客が多数乗った豪華客船への対応」である。まさか「ボランティア組織」が対処しているなんて想像もしないだろう。

しかも、これも先述の通りだが、少なくとも当時のDMATの活動には「感染症対策」は含まれていなかった(映画のラストで確か、「その後DMATの正式任務に感染症対策が盛り込まれた」みたいな字幕が表記された気がする)。そもそもが、大地震等の災害現場で活動することを想定して組織された集団なのだ。にも拘らず、「対応に当たれる組織が他に存在しない」という理由で、本来的には業務外である「感染症対策」に知識も装備もないまま放り込まれたのである。そしてさらに、マスコミが注視する中、少しでも良くない話が出てくれば「DMATが悪い」みたいな世論が形成されてしまうのだ。

いや、さすがにそれはちょっとやってられないだろ。

ちなみにだが、「DMATがボランティア組織である」という事実は物語の途中で言及されるのだが、冒頭の時点では分からない。私は鑑賞前にたまたまテレビ番組で観てその事実を知っていたのだが、私と同じように「知らなかった」という人も多くいるだろう。だから本作を観るのであれば、あらかじめ「DMATはボランティア組織である」という事実は知っておいた方がいいと思う。知っているのと知らないのとでは、見え方がまるで違ってくるはずだからだ。

さて、本作ではそんな「ボランティア組織で、かつ、本来業務ではない『感染症対策』に従事させられるDMATの隊員」が描かれるのだが、「そんな彼らがどうして頑張れたのか?」に関する印象的なセリフが2つあったので紹介したいと思う。

1つは、神奈川DMAT(各都道府県から応援を呼んだのだが、神奈川DMATがメインで事態に当たった)のNo.2として現場で指揮を執る仙道(窪塚洋介)の言葉である。彼は、神奈川DMATの代表の結城(小栗旬)から「現場は大丈夫か?」と聞かれた際、次のような返答をするのだ。

だってみんな、こういう時のために医者とか看護師になったんでしょう。今働かないで、いつ働くのよ。

作中では仙道個人の想いとして出てくるのだが、恐らく、現場で対応に当たっていた隊員は皆同じ気持ちを持っていたのだと思う。なにせ「ボランティア組織」である。必ず参加しなければならないわけではない(本作では実際に、結城が協力を打診した隊員から断られる場面も描かれる)。そういう中で「自分がやらなければ誰がやる」と考える者たちが現場に集まっていたのだと思う。本当に頭が下がる思いである。

さてもう1つは、そんな結城が勤め先の病院の理事長から詰められている場面でのことである。結城は、理事長から「『コロナ患者をこれ以上受け入れるなら辞めたい』と話している看護師が何人もいる」と言われた際、「そんな奴、辞めちまえばいい」と口にした後で、さらにこんな風に語気を荒げるのだ。

コロナ患者を診るのは、医療従事者の本来業務です。コロナ患者が来るのが怖いから辞めたいなんて言ってる奴は、この病院だけじゃなく、すべての医療の現場から離れるべきだ。

正直かなり強烈な言い方であり、「さすがに賛同できない」と感じる人もいるかもしれない。しかし私は、この時点でこんな言い方が出来ていることに凄さを感じさせられた。先の結城の発言は何となく、「世界中がコロナ禍に突入し、どの病院も同じように疲弊している」みたいな状況下で発せられたのであれば、まだ受け入れやすいように思う。「世界中どの病院の医師・看護師も同じように辛い状況に置かれている」と認識できている状況であれば、結城の言葉にも「確かにそうだな」と頷けただろう。しかし彼がこう発言したのは、日本ではまだダイヤモンド・プリンセス号以外での症例が確認されていなかった(と思うのだが、正確な記憶ではない)時点だったのだ。だから結城のこの発言は、まさに「医師としての使命感」のみから出てきたものであるように思えるし、だからこそ凄みを感じさせられたのである。

とはいえ、そんな結城も迷いがなかったわけではない。というか、彼はずっと迷い続けていたと言っていいだろう(本作を観る限り、仙道は相当豪胆な人物なようで、彼が迷いを見せるような場面はほとんどなかった)。結城が最初に重い決断を迫られたのは、「業務外の対応を頼まれた時」である。前述の通り、当時のDMATには「感染症対策」は含まれておらず、だからダイヤモンド・プリンセス号における対応も、当初は「船外での搬送業務のみ」という話だった。結城は、「そうであれば引き受けよう」と思い隊員を出動させたのだが、しかしその後、神奈川県庁にやってきた厚労省の役人・立松(松坂桃李)から、「船内活動も引き受けてほしい」と頼まれるのだ。結城は当然断るが、立松は、

DMATが専門外なことは分かっています。ただ、日本にはウイルス専門の組織は存在しない。誰かに行ってもらうしかないんです。

と迫る。結城は立松の主張に理解を示しつつも、「自分の決断によって、経験のない隊員を未知のウイルスが蔓延する場所に放り込んで危険に晒していいのか?」と悩む。特に彼は自分が現場で対応に当たるわけではないこともあり、余計に悩んだことだろう。しかしそれでも、「やるしかない」と決断を下すのである。

また、船内活動が始まってからももちろん悩みは尽きない。DMATの隊員は、マスコミの報道(つまり「世間」)のせいで批判を浴びるようになるのだが、そういう状況で隊員の1人である真田(池松壮亮)がこんな風に不安を吐露する場面がある。

僕が感染するのももちろん怖いけど、そんなことは大した問題じゃない。家族が差別されるのが何よりも不安です。

隊員の家族のことは、誰が考えてくれるんですか?

コロナパンデミックの初期は特にそうだったが、「『感染者』や『感染の可能性のある者』を批判して遠ざける」みたいな振る舞いがよく見られた。DMATの隊員も、「感染者の近くで活動しているんだから、彼らも感染しているかもしれない」と思われ、そのせいで隊員の家族にまで被害が及び始めていたのだ。真田は妻に、「子どもには(ダイヤモンド・プリンセス号の対応に当たっていることを)絶対に言うな」と厳命する。そして、隊員をそういう状況に追い込みながらも打つ手がない結城は、真田に対して返す言葉を持たない

ただ、この時真田から突きつけられた問いに、結城は別の場面で答えらしきものを出していた

基本的には現場から離れた神奈川県庁で指揮を執っていた結城は、あるタイミングで現場に足を踏み入れる。そしてその際に、コロナに感染したのだろうフィリピン人の清掃スタッフ3人の診察をした。その後結城は電話で立松に、「陽性の外国人クルー3名を同じ病院に搬送してほしい」と頼む。立松は当然「(同じ病院というのは)ハードルが高いですね」と難色を示すのだが(ただその口調からは「もちろんやってやりますがね」という意思も窺える)、それに対して結城は次のように返していた

船の乗客は、マスコミや世間が心配してくれる。でも、船のクルーやDMATは、誰が心配してくれるんだ? 俺が心配してあげたい。

これは「それぐらいしかしてあげられることがない」という、結城としてはある種の「敗北宣言」みたいな想いだったのかもしれないが、しかしやはり、真田から突きつけられた問いについて考え続けたからこそ出てきた「答え」であるような気もする。

あらゆるものが足りず、あらゆることが不明な状況に突然放り込まれた者たちの苦悩は想像を絶するものがあるし、そういう中でも「医療人として出来る限りのことをやる」という信念だけで突き進んだ彼らの奮闘には、本当に称賛しかないなと思う。

DMATの隊員だけではなく、厚労省の役人の物語も実に素敵だった

本作『フロントライン』では、ここまで触れてきたように、「パンデミックが発生したダイヤモンド・プリンセス号内で対応に当たったDMAT隊員の奮闘」が描かれるし、そんな彼らの物語が興味深いものに仕上がっていたことはある程度想定通りである。しかし本作では、厚労省の役人の物語も面白く、それはかなり想定外だったなと思う。

この記事の冒頭で「対立構造はほぼ存在しない」と書いたが、普通に考えれば「DMAT vs 厚労省の役人」みたいな形に物語を構成した方が分かりやすいし盛り上がりも作れるだろう。しかし本作では、結城と立松が顔を合わせてしばらくの間こそそんな雰囲気が漂っていたものの、かなり早い段階で「協調して事態に対応する」という態勢が整えられていく。また本作においては、彼がかなり柔軟に対応していたことが状況を前進させたと言っていいし、それは、フィクションでよく描かれる「役人の頭の固さ」みたいなものとは全然違っていて、この点もまた印象的だった(恐らく立松にも実際のモデルがいるのだろう)。

とはいえ、立松にしても最初からそんなスタンスでいられたわけではない。恐らく厚労省内で勝手に担当が割り振られたのだろう、本意ではない形で事態に対応することになった立松は、神奈川県庁にやってきた当初は、

ダイヤモンド・プリンセス号のせいで国内にコロナが持ち込まれたなんてことにならないようにして下さいねー。

と口にし「他人事感」を漂わせていた「厚労省にとっての最優先事項は『国内にコロナを持ち込ませないこと』であり、それさえどうにかしてくれたら、後は上手いことやって下さい」みたいな考えだったのだろうなと思う。まあ、それを口に出して言っちゃうのはどうかと思うが(とはいえ、立松のモデルの人物が本当にそう口にしたのかどうかは不明だ)、彼の(というか厚労省の)スタンスも理解できなくもない。なにせ日本は島国なのだから、まさに「水ぎわ」で食い止めれば国内での感染拡大を避けられるからだ。恐らく立松には当面の間、そのことしか頭になかっただろうと思われる。

しかし恐らく、結城があるエピソードを話したことがきっかけで立松のスタンスが大きく変わったような気がした。結城が話したのは、東日本大震災の際のDMATの”失敗”についてである。

福島第一原発事故の際、たぶん国の方針だったのだろうが、「放射能汚染の恐れがあるので、高齢の入院患者が多い病院から患者を移送する」という決定が下った。DMATはその決定に従い、多くの高齢者をバスに乗せ移送したのだが、途中通行止めを迂回しながら走らざるを得ず、結局200kmも移動することになったそうだ。そしてその間に、バスの中で45人もの高齢者が命を落としてしまった死因はもちろん放射能ではなく、寒さ・疲労・持病などである。

そしてこの経験があったからこそ、結城と仙道はダイヤモンド・プリンセス号での対応について国の方針に反する判断基準を設けることに決めるのだ。

厚労省は「国内にコロナを持ち込ませないこと」を最優先に考えていたため、「PCR検査で陽性だった患者を優先的に船から下ろして隔離」という方針を決めていた。しかし、そう伝えられた結城も仙道も、その判断に「NO」を突きつける。彼らにとって何よりも重要なのは「命を救うこと」だからだ。そのためDMATは船から下ろす順番を「命の危険がある疾患を持つ者」「高齢者や妊婦」「軽症の陽性者」と決めた。そして、結城から”失敗”の話を聞かされた立松も、この方針を認めるのだ。ここから少しずつ、立松自身の行動指針も変わっていったような感じがする。

それで本作には、こういう「ルールではこうなっているが、実際の運用はこうする」みたいな状況が結構描かれていたと思う。そして私はそういう場面を観て、「普段からルールを厳密に守っているからこそ、必要な時にルールを破れるんだよな」と感じた。

例えば本作中では、立松がルールを破る場面も描かれる。さてそもそもだが、感染症の場合には「患者を病院に搬送する前に『勧告』と『◯◯(こちらは忘れてしまった)』の2つの手続きが必要」であるらしい。恐らく感染症法で定められているのだろう。詳しく描かれないのでちゃんとは分からないが、作中で語られる情報からすると、「保健所の仲介で患者を搬送する病院が決まり、さらに、搬送先の病院のスタッフが患者と直接対面して承認する」という仕組みになっているようだ。もちろんこれは、「感染症法で定められた感染症の患者がそう多くは発生しないこと」が前提のルールだろう。「感染を拡大させない」ために必要な措置なのだと思う。

しかしダイヤモンド・プリンセス号の陽性者に対して同じ対応をするとしたら膨大な時間が必要になる。なにせ、日ごとに陽性者の数が爆増するのだ。そしてこの手続きを主導するのが厚労省の立松であり、彼の見込みでも、「勧告」と「◯◯」の手続きをすべて終わらせるには数日掛かる想定のようである。しかしその一方で立松は結城に、「今日の昼までに陽性者を全員船から下ろしたい」と言っていた。手続きを終わらせてからでなければ陽性者を船から下ろせないのだから、そんなことは物理的に不可能だ。

そこで結城は立松に、「ルールは破れないかもしれないが、変えることは出来るんじゃないか?」みたいな提案をする。「そもそも感染症におけるルールを定めているのは厚労省なんだから、そのルールをお前が変えたらいいじゃないか」というわけだ。まあ確かにその通りだろう。

その後、神奈川県庁の一室で立松が病院に「既に『勧告』と『◯◯』は終わってるんで受け入れて下さい」と電話をしているのを聞いた結城が、「どこだよ、そんなに早く手続きを終わらせた保健所は」と驚きと共に尋ねる場面がある。そしてそれに対して立松が、「手続きなんて終わってませんよ。嘘です」と答えるのだ。立松はその時、ルールの改正を厚労省内で根回ししている最中だったのだが、実際にその決定がなされてから動くのでは遅すぎるから、とりあえず嘘で乗り切ることにしたのである。なんとなくだが、役人はこういう柔軟さを持ち合わせていないような勝手なイメージを抱いていたので、立松の臨機応変さはとても印象的だった。

またこんな場面もある。DMATが検疫のルールを破って、陽性者ではない妻を夫が入院する病院まで連れて行く決断をするというシーンだ。私は「検疫のルール」について詳しくないが、DMATと共に行動している検疫官がこの決定を知り「そんなルール破りが許されるわけないでしょ」とDMATに詰め寄っていたので、通常ではあり得ない対応なのだろう。

そしてこの検疫官に対して結城が、「私は『人道的に正しいと思う判断』をしました」と説得するのだ。これもまた印象的な場面だった。その後この妻は、様々な人の尽力の末に夫が入院する病院に辿り着けたのだが、その報告を受けた立松が、「患者の家族については、今後はこの対応が良いかもしれませんね」と口にするのである。立松ももちろん、DMATのこの対応がルール違反だと理解しているわけだが、それでも彼らの決断を追認するのだ。

さて、私はこのような場面で、「ルールを破る決断をした結城」も褒め称えたいが、それ以上に、「常にルールを厳密に守っている人たち」のことも称賛したいと感じた。だから、DMATに語気を荒げた検疫官を非難するつもりはまったくない。というか、彼らが普段からルールをきちんと守っているからこそ、ここぞという時に「ルールを破る」という決断が出来るのだとさえ思っている。

ルールが存在し、厳密に運用されている」ということは、裏返せば「ルールを破ればどうなるかが想定されている」ということでもあると思う(もちろん世の中には「何も考えずにただルールを遵守しているだけ」という人もいるだろうが)。そして、「ルールを破った場合の想定」が存在するなら、「どうすればルールを破れるか」についても考えやすくなるはずだ。だから私は、ルールに固執した検疫官も正しいし、ルールを破る決断をした結城も正しいし、それを追認した立松も正しいと感じる。

『ルールを破る』ためには『厳密にルールを守ってきた』という実績・経験が必要だ」と改めて感じたし、この点は様々な状況で共有されてもいい考え方ではないかとも思う。

「本作でのマスコミの描かれ方」、そして「マスコミが本来果たすべき役割」について

さて本作『フロントライン』に関しては「マスコミ」についても触れないわけにはいかないだろう。全体的にとてもリアルでフィクションっぽくない本作において、マスコミだけは実にステレオタイプ的な描かれ方で、とてもフィクションっぽい。しかし一方で、本作で描かれている事実の中で、私たち一般人が事前に知っていたのは唯一「マスコミの動き」だけだったはずで、だから「フィクションではないと分かっている」とも言えるだろうか。

もちろん私たちは、「マスコミが報じたこと」に触れていただけであり、「マスコミが実際どんな風に動いていたのか」を知っているわけではない。ただ、当時の報道の雰囲気から「マスコミはこんな理屈で動いていたのだろう」と想像することは出来るはずだし、そして本作で描かれるマスコミは、そんな想像に沿った振る舞いをしているんじゃないかと思う。だから、実にフィクショナルな描かれ方ではあるのだが、「まあやっぱりそうだったよね」と感じるような行動であるとも言えるだろう。

そしてそんなマスコミの行動は、あまり良い風には映らない。というか、本作を通じて全体の構図を理解した上で判断するなら、「邪魔」としか感じられないだろう。

もちろん、事件事故に限る話ではないが、どんな場合でも「『真実』を伝えること」はとても難しいと思う。どんな物事も多面的に捉えることが可能であり、「どこからどんな風に見るか」によって印象はまるで変わるマスコミが報じたことも「真実の一部」であることは確かで、決して「嘘」を伝えていたわけではない。そのことは理解しているつもりだ。

しかし一方で、これもまたどんな状況でも同じだろうが、マスコミは「『状況がより悪く見える視点』を探し出し、そこから見えるものしか報じない」というスタンスで動いているように思えてしまう。そしてやはりそれは正しくないように感じられる。マスコミが報じていることも「真実の一部」だが、「状況がより悪く見える視点」からの情報しか報じていないとすれば、やはりそれは「マスコミが果たすべき役割」とは言えないように思う。結城もある場面で取材陣に向かって、

面白がってませんか? あなたがた、本当に、船内の人の命が助かってほしいって思って報道してますか?

と口にしていた。本当にその通りだなと思う。「状況がより悪く見える視点」からしか報じないマスコミは、マジで「邪魔」でしかない

ただ一方で、マスコミ側の理屈も理解できる。というのも、本作では上野(桜井ユキ)が現場取材を担当しているのだが、上司の轟(光石研)が彼女にこんなことを言う場面があるのだ。

「政府はちゃんとやってます、今日もそこそこ平和です」なんてことじゃ、誰もニュースなんか見ないだろ。

まあ確かになとは思う。ある程度「危機感」を煽らないと、「ニュース番組」の存在意義みたいなものがどんどん薄れてしまうということなのだろう。このような考え方にも一定の理解は出来るが、しかしやはり、その目的のために何かを歪めるようなことがあってはいけないと思う。本作では、現場取材によって現実をある程度理解している上野の葛藤も描かれており、その姿を見ながら私は、「現状を変えられないとしても、マスコミの人には上野のような葛藤を抱きつつ日々仕事をしてもらえたらいいな」と感じた。

さてここで、マスコミの話とは関係ないのだが、ある種の「ズルさ」みたいな繋がりで、立松のある発言に触れたいと思う。これはほぼラストシーンみたいな場面におけるセリフなので、具体的な状況が伝わらないように発言内容を一部改変して書くが、彼は電話で結城に次のようなことを口にしていた

僕は自分から結論を出すように誘導したんです。決断することから逃げたんです。あなたやDMATに対しても、善意や良心に付け込んでるだけなんですよ。

マスコミにはマスコミの理屈があるように、厚労省には厚労省の理屈があり、それらは一個人で立ち向かえるようなものではない。だから、特に現場で対応に当たる者ほど、理想と現実の違いに葛藤させられてしまうはずだ。しかし、そういう葛藤に晒され続けるのもまた、個人の生き方としては辛すぎるだろう。だから、恐らく多くの人が「そんな葛藤など存在しない」という風に振る舞うんじゃないかと思う。つまり、「組織の理屈に呑まれて思考停止する」というわけだ。

しかし立松はそうはしなかった葛藤を捨てずにそれを自身の「弱さ」と認め、さらにそれを他者に伝えたのだ。こういうスタンスはとても素晴らしいなと感じたし、さらに、この立松の吐露に対する結城の返答も実に素晴らしかった。また立松は、これとは別の場面でだが、「これでも『人を助けたい』と思って役人になったので」とも口にしていて、「こういう役人もちゃんといるんだな」と思わせてくれることはある種の「希望」と言っていいんじゃないかとも思う。

映画『フロントライン』のその他感想

さて、本作『フロントライン』では、小栗旬、窪塚洋介、松坂桃李、池松壮亮というド級の役者が揃い踏みしているので、そういう意味では「目立たない存在」と言わざるを得ないのだが、ただ、森七菜が演じる客船クルー・羽鳥も凄く良かった

普通に考えれば、ダイヤモンド・プリンセス号でのパンデミック下において、最も苦しい立場に置かれていたのがクルーたちではないかと思う。DMATや厚労省は「事態の発生後に関わりを持った人たち」だし、乗客は「お客さん」である。しかしクルーたちは、本来的には乗客と同様「被害者」であるはずなのだが、立場的にはそんな風に言ってはいられなかったはずだ。結城がフィリピン人の清掃スタッフに対して使っていた「心配してもらえない立場」という表現は、彼女たちクルーにもそのまま当てはまるだろう。「未知のウイルスが蔓延した」という状況そのものに対しては何の非もないが、それでも、最前線で対応せざるを得ない立場に置かれていたわけで、相当辛かっただろうと思う。

さらに羽鳥は、必然的に「乗客」と「DMAT」の間に立たされる立場になってしまった。というのも「言語の問題」が大きかったからだ。当時クルーズ船には56ヶ国にも及ぶ乗員乗客が乗船していたそうで、医療行為や搬送業務の際に、「言葉が通じない」という問題がかなり大きな負担になっていた。そしてその対応は、どうしたってクルーが担うしかないだろう。

本作ではDMATや厚労省がメインとなるため、クルーはどうしても脇役的な存在になるし、だから、その苦労に焦点が当てられることもほとんどない。ただ、羽鳥の笑顔や丁寧なお辞儀は「疲弊を隠すための鎧」みたいに見えたし、そういう雰囲気を森七菜がとても見事に演じていたのが印象的だったと思う。

あと、大した話ではないが、本作の監督・関根光才の名前には見覚えがあるなと思っていて、後で「映画『燃えるドレスを紡いで』の人か」と思い出した。これは「服を作っては廃棄している現状に立ち向かうデザイナーを追うドキュメンタリー」である。そのため、私は彼のことを「ドキュメンタリーを撮る人」だと認識しており、少し驚かされてしまったドキュメンタリーもフィクションもどっちも撮るみたいな人は他にもいるだろうが、そういう人は規模の小さな映画を撮っている印象があったので、本作のような「凄い役者を集めた大作映画」の監督をしているのが少し意外に感じられたのである。

まあ、だから何ということもないのだが。

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最後に

この記事の冒頭でも少し触れたが、私は本作を観ている間、ほぼずっと涙腺が潤んでいた気がする。別にどのシーンでというわけではなく、最初から最後まで、登場人物たちの「強い想い」に打たれている感じがあったのだ。さらに言えば、観ている間中ずっと、「お前だったら今ここでどう振る舞うんだ?」と突きつけられている感じもあり、そんな「極限」としか言いようがない状況下で描かれる出来事が「かつて実際に起こったこと」だという事実にも圧倒させられてしまった

映画は基本的にエンタメでいいし、「わざわざしんどい気持ちになりたくない」という考えも理解できる。ただ、それでも私は本作を多くの人に観てほしいなと思う。日本中が(というか世界中が)注視した出来事などなかなかないし、さらに「当時何が起こっていたのか?」に関する事実誤認が大きな出来事でもあるので、その現実を「人気役者が出演するフィクション」を通じて知れるというのは意義深いはずである。そしてその上で、本作はエンタメ作品としても見応えがあるのだ。

私たちが「良い世間」でいられるようにするためにも、観ておくべき1本だと言えるだろう。

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