【信念】映画『ハマのドン』の主人公、横浜港の顔役・藤木幸夫は、91歳ながら「伝わる言葉」を操る

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「ハマのドン」公式HP

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この記事の3つの要点

  • 大体の政治家が「伝わらない言葉」ばかり口にするのに、91歳の藤木幸夫が一般人に伝わる言葉で話せることに驚かされた
  • カジノ設計者・村尾武洋がカジノに反対する理由と、そのとてつもない説得力
  • IR誘致を阻止する最終手段としての横浜市長選に、彼らはどのようにして勝ったのか

すべての政治家は、藤木幸夫が持つ「言葉の強さ」を見習うべきだと感じさせられた

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『ハマのドン』の主人公であり、横浜をカジノから守った男・藤木幸夫が、政治に関わっていながら「伝わる言葉」を操れることに驚かされた

非常に面白い映画だった。正直なところほとんど期待せずに観たので、これほど面白いとは思わなかったのだ。

ちなみに書いておくが、私は横浜市民ではないし、「ハマのドン」と呼ばれる藤木幸夫のことも映画を観るまで知らなかった。本作は映画化される以前に、同じ素材を使ったテレビ放送が何度かなされたそうだが、それらを観たこともなく、また、映画の最後に映し出される横浜市長選の結果さえまったく覚えていなかったのだ。映画で描かれていたことで鑑賞前から知っていたことは、「かつて横浜にIR・カジノ誘致の話があったこと」ぐらいである。そのような私が観ても、非常に面白い作品だった。

「ハマのドン」こと藤木幸夫は横浜港を取り仕切る重鎮であり、政治家ではないものの、全国の港湾関係者を取りまとめる「顔役」として政治にも深く関わる人物だ。実は、後に総理大臣となる菅義偉を横浜市議会から国政へと送り出したのも藤木幸夫なのである。

そんな彼は、菅義偉が推し進めようとしていた「横浜でのIR・カジノ戦略」に猛烈に反対した。そう、かつての同志と呼んでいい相手と真っ向から対立することを選んだというわけだ。

映画『ハマのドン』は、そんな藤木幸夫を描き出すドキュメンタリー映画である。

藤木幸夫の「言葉の強さ」に驚かされた

映画を観ながら私が一番驚いたのは、藤木幸夫が「伝わる言葉」を持っていたことだ。いくら幅広い影響力を持つ人物といえども、国家権力に立ち向かうのはかなり困難だろうと想像していたのだが、彼の「言葉の強さ」を随所で実感させられたことで、「これなら国家権力とも闘えるかもしれない」と感じさせられたのである。

私はかなり、「言葉」で人を判断してしまう。そして、私が「政治家」を好きになれないのは、「あまりにも言葉を疎かにしている人が多いから」だ。例えば政治家はよく、自身の発言を「撤回」する。恐らく永田町の論理では、「『撤回』した発言は『そもそも口にしなかった』ことになる」のだと思う。だから発言を「撤回」しても平然としていられるのだろうが、普通に考えてそんなわけがない。「その言葉を発した」という事実こそが致命的なのだが、もしかしてそのことに気づいていないのかとさえ思わせる振る舞いに感じられてしまう。他にも、「本心からそんなことを言っているのか?」「仮に本心だとしても、言葉選びや話し方が下手すぎる」みたいに感じさせる人が多すぎるのだ。政治家というのはまさに、「言葉」で人を動かさなければならない立場にいるはずなのだが、少なくとも日本の政治家は、その辺りのレベルが低すぎるように思う。

決して政治家に限る話ではないが、私は「言葉が劣っている」と感じる人にはほぼ興味が持てない。そして、昔からそういう感覚を持っていたので、「言葉が優れているか否か」に関する嗅覚は結構高い方だと自分では思っている。そんな私にとって、藤木幸夫はかなり「言葉が優れた人物」と言えるのだ。

藤木幸夫は政治家ではないのだが、菅義偉との関係性を考えても、あるいは自民党の二階俊博や麻生太郎とサシで食事に行く仲だという点を踏まえても、かなり政治家的な人間だと言っていいだろう。そして、そんな人物の言葉が「伝わる」ということに、私はとても驚かされてしまったのだ。映画撮影時、彼は91歳だったというから、その年齢を踏まえるとさらに驚きである。

さて、誤解されないように少し触れておく必要があると思うが、私にとって「言葉の強さ」というのは、「その人の本心を良く表している」という状況を意味しているわけではない。言葉を発する側の「本心」などどうやったって知りようがないからだ。一方で、「この人はきっと、本心を話しているんだろうな」という感覚は、言葉を受け取る側のものである。そして私は、相手にそう思わせられるかどうかが重要だと考えているのだ。

つまり私は、「仮に相手の発言が『本心』ではないとしても、私が『本心を話しているんだろうな』と感じられればいい」と思っているのである。繰り返すが、どうやったって「本心」そのものは見えないのだから、「言葉」などを通じて判断するしかない。だからこそ「言葉」を磨く必要があるのだし、それが「本心」だろうとそうでなかろうと、「本心を話しているんだろうな」という感覚を与えられるのなら、その人は「伝わる言葉」を持っていると私は考えているのだ。分かりやすく言えば、「相手を騙す能力に長けた詐欺師」は私にとって「『伝わる言葉』を持っている人」である。別に藤木幸夫が詐欺師だと言いたいわけではないので誤解しないでほしいが、私にとっての「伝わる言葉」はそのような意味であると理解していただければと思う。

すべての政治家は、藤木幸夫の「言葉の強さ」を見習うべきである

私はもちろん、映画を観る前の時点では藤木幸夫という人物のことなど何も知らなかったので、「『伝わる言葉』を持っている人」だとは当然想像してもいなかった。なので、映画が始まってしばらくは、「聞こえの良い言葉を口にするのが上手い人なのかもしれない」程度に思っていたはずだ。政治家みたいだったし、年齢的にも大分高齢なので、そういう印象になるのも当然と言っていいだろう。

例えば、山下ふ頭でのIR事業に反対の立場を取ると決めた彼が、こんなことを口にする場面がある。

男には、一度こうと決めたらその道を歩かなきゃいけない、そんな道があるんだよ。
俺はその道を歩く。一人でも。

こういう大げさなことを言う人はいるし、この時点では「キレイゴトを口にする人なんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。しかし徐々に、「ちゃんと届く言葉を持っている人だ」という印象に変わっていったのである。いくつか発言を抜き出してみよう。

まずはこんな場面から。IR事業に対する反対の意思を表明した藤木幸夫は、横浜港での荷役を管理する自身の会社に対しての「嫌がらせ」としか思えない状況に直面することになる。世界最大の船会社との契約に際して、市の許可が下りないかもしれないという事態に陥ったのだ。このことについて彼はこんな風に語っていた。

我慢しなきゃなんないよ。なにも殺し合うわけにはいかないんだから。
それに、役人は言われたらしょうがないよ。人事権とか予算とか握られちゃってるんだから。
俺はそんなことには負けないよ。

あるいは、当時の横浜市長である林文子が、それまでずっと「白紙」と言い続けてきたIR事業を「進める」と発表し、態度を一変させた。それを受けて行った会見では、こんな風に語っている。

俺は今日、顔に泥を塗られたよ。ただ、どうも市長に文句を言う気にはならないんだよなぁ。だって、泥を塗らせた奴がいるんだってハッキリわかってるから。

彼が言う「泥を塗らせた奴」というのが、当時の首相・菅義偉である。

今こうして抜き出した文章を読んで、その「言葉の強さ」を理解してもらえたのかは分からないが、私は彼の発言を聞く度に、「メチャクチャ届く言葉を発する人だな」と感じるようになっていったのだ。

いや本当に、この点にはとても驚かされた。そもそも91歳というかなりの高齢で、また、海千山千の港湾・政治の世界で戦ってきた人が、大分年下の一般人にもちゃんと伝わる言葉で話せるというのは凄いことだと思う。この能力こそが彼の強みだと思うし、結果的には、「国策」と言っていいだろうIR事業を白紙に戻す原動力にもなったはずだ。

世の中にはまだこういう人もいるんだなぁ」というのが、映画『ハマのドン』を観た私の一番の感想である。そして、「言葉の強さ」という意味で言えば、すべての政治家が彼を見習うべきだとさえ感じた。ホントに世の中には、「伝わらない言葉」しか使えない政治家が多すぎる。そして、そんな人間ばかりが政治家になるから日本の政治はお粗末なんじゃないか、とさえ思わされてしまった。

カジノ設計者・村尾武洋が力説する「カジノ反対論」の説得力

映画『ハマのドン』のもう1つ興味深いポイントは、村尾武洋という人物の存在だろう。本作は元々テレビ番組として制作・放送されたのだが、そちらには彼は登場していない。そして、テレビ版では使われなかった彼の映像素材を監督から提示されたことで、本作のプロデューサーは「劇場版もいける」と判断したのだと、上映後のトークイベントで語っていた。まさに彼の存在は本作において非常に重要であり、作品を一層盛り上げるのに役立っていると言っていいと思う。

村尾武洋はカジノ設計者であり、アメリカでいくつものカジノに携わってきた人物だ。しかし何故、そんな人物が藤木幸夫の物語に関係してくるのだろうか

村尾武洋はある日、藤木幸夫がIR事業に反対する映像を観たのだという。そして彼が語る言葉に打たれ、「この人しかいない」と思って直接手紙を送ったそうだ。このエピソードは、やはり藤木幸夫の言葉が人を動かす力を持っていることの証左と言えるだろう。もちろん彼は、返事など返ってくるはずがないと考えていた。しかしその後、藤木幸夫の直筆で巻物のような長文の返信が返ってきたという。そして、その誘いに応じるような形で、彼は藤木幸夫と関わるようになっていったのである。

そう、村尾武洋はなんと、カジノから仕事をもらう立場でありながら、IR事業に反対する藤木幸夫の主張を裏付ける証言をしているのだ。実際にカジノを設計している人物が「カジノ反対」を主張するというのは、非常に説得力が高いと言えるだろう。

さて、当然こんな疑問が浮かぶはずだ。そんな主張をして、仕事が無くなったりしないのか、と。彼は、「家族からも同じように心配された」と語っていた。まあそうだろう。しかし彼は、「時代ごとに、出来る人間がやらなきゃいけないことがあるもんじゃないですか」と口にする。そして、藤木幸夫に協力する形で「日本へのIR進出」に反対する決断をしたというわけだ。

彼の具体的な主張については是非映画を観てほしいが、言っていることは非常にシンプルだろう。設計する側の人間からすると、カジノという場は「いかに人を外に出さず、長時間留まってもらうか」が考え尽くされた構造になっているというのだ。IR事業の推進派は、「IR誘致によって、周辺の街にもプラスの効果がある」みたいな主張をするそうだが、村尾武洋は「そんなことはあり得ない」と断言していた。なんなら、「周辺の街に人が還流するみたいなことが起こるなら、それは僕ら設計者の負けだ」とさえ言うのである。設計している本人が言っているのだから間違いないだろう。設計図やカジノ内部の写真を提示しながら、彼はこのように「カジノの危険性」について語っていくのだ。

本作はもちろん、藤木幸夫側から状況を捉える映画であり、それはつまり、必然的に「カジノ反対」側の主張が強くなることを意味する。もしかしたら、この映画を観た「カジノ推進派」にも何か反論があるかもしれない。しかし、誰が何を主張しようが、「カジノ設計者が反対している」という事実に勝るものはなかなかないだろう。非常にインパクトのある主張だと感じた。

「カジノ」に対する私の考え方

さて、映画の内容からは少し離れるが、一旦ここで、私自身の「カジノ」に対する考え方について触れておこうと思う。

私の主張の根本にあるのは、「カジノを誘致したいなら好きにすればいいが、その前に、現時点における国内の『ギャンブル依存症者』への対策が急務である」という考えだ。

日本には、パチンコや競馬など様々な公営ギャンブルが存在する。あるいは、より広く捉えれば、ソーシャルゲームの「ガチャ」などもギャンブルと捉えていいかもしれない。そして、そのようなギャンブルにハマって、自身や家族の生活が崩壊してしまう「ギャンブル依存症」もそれなりの数いるはずだ。「カジノ誘致によってギャンブル依存症者が増える」とかなんとか議論しているようだが、そんなことよりもまず、既に「ギャンブル依存症者」が存在しているのだから、そちらの対策をしなければ、カジノ誘致の良し悪しなど決められないだろうと私は考えているのである。

カジノ推進派の中には、「カジノによって増えた税収によって、ギャンブル依存症対策費用が捻出出来る」と主張する人もいるようだ。この意見は理解できないわけではないが、しかし、もしもそれが出来るなら、既に存在する公営ギャンブルでも同じことが出来なければおかしいとも思う。パチンコや競馬などによる税収が存在するのだから、そこからギャンブル依存症対策費用を捻出すればいいではないか。何故わざわざカジノを誘致してから対策費用を捻出しなければならないのか、私には理解できない。

またカジノ推進派は、「IRでは入場規制を厳しく行うので、ギャンブル依存症になりにくくなる」と主張するのだが、やはりこれについても、「まずは、既に存在するギャンブルで入場規制を行うべきだ」と思う。パチンコや競馬などで入場規制がきちんと行えて、かつ一定の成果が出ると分かってからカジノを誘致すればいいのではないかと感じてしまうのだ。やはりどう考えても、「既に存在する『ギャンブル依存症者』への対策」が先だと私は思う。

ギャンブル依存症は、決して本人だけの問題ではない。映画では、藤木幸夫が児童養護施設の関係者に会う場面も描かれる。児童養護施設には、ギャンブル依存症によって家庭が崩壊し、貧困に陥った子どもが多くいるのだ。彼はその実態をヒアリングした上で、「そんな酷い状況をもたらすカジノなど横浜には要らない」とNOを突きつけるのである。まあ、どう考えてもその判断の方がまともだろう。「成長戦略」だとか「税収増」だとかなんだとか言っても、生み出されるマイナスの方が大きいように私には感じられてしまう。以前テレビで、「シンガポールはカジノの導入によって、逆にギャンブル依存症者を減少させることに成功した」というようなニュースを見た記憶があるが、それはかなり稀なケースだろう。少なくとも、日本の公が主導してそんなに上手く物事が運ぶとは到底思えない

そんなわけで、「既に存在する『ギャンブル依存症者』への対策を行うのであれば、カジノ誘致は好きにすればいいが、それをやらないなら明確に反対だ」というのが私の基本スタンスというわけだ。

さらに、これはそもそもギャンブル全般について言えることだが、「ギャンブルは特に何も生み出さない」という点がどうにも好きになれないポイントでもある。ギャンブルにどれだけお金が費やされたところで、技術革新が起こるわけでも、知識が蓄積されるわけでも、有形の価値が生み出されるわけでもない生活を便利にしたり、人々を健康にしたりもしないのだ。そんなものに大金が注ぎ込まれ、そこから大金が生み出されるという状況は、やはり異常だと私は思う。

村尾武洋はこの点についても触れていた。彼は、

25セントのスロットが、1日で5万ドル生み出さなければ、置き場所を変えるなど対策を取る。

と語っていたのだ。何かを生み出すわけではないスロットが、1日で5万ドルの大金を稼ぐなど、やはりおかしい。村尾武洋もおかしいと言っていた。普通に考えれば、そんなものが存在を許容されることの方が異常なのだ。私はそう感じる。

横浜港を守るための闘いである「市長選」と、山口組三代目・田岡一雄との関わり

藤木幸夫が仕切っている横浜港は、「世界で最も早く、信頼度の高い荷役を行う港」として世界的に評価されているという。つまり、「元々もの凄い価値を有している場所」なのだ。大阪もIR誘致を目指していたと思うが、大阪の場合は確か、元々ゴミ処分場だったところを埋め立て万博の会場にし、その後IRで使おうとしているんだったはずである。ゴミ処分場という、決して「価値がある」と言えるような土地ではない場所を活用しようとしているのだから、まだマシだと思えるかもしれない。しかし横浜港は元々高い価値を持つ場所なのであり、そこにわざわざIRを誘致する必要など無いように私には感じられてしまう。

そんな横浜港を守ろうと、横浜市民は動いた。彼らは市民運動を展開し、住民投票の請求に必要な法定数の3倍以上の署名を集めたのだ。しかし横浜市議会は、たった3日間の審議によってこの請求を棄却した。要するに横浜市としては、何がなんでも「IR誘致」を実現するために全力を尽くすつもりというわけだ。

この状況に立ち向かうための手段は、もはや1つしかない。「市長選で勝つこと」だ。映画『ハマのドン』のラストは、この市長選の様子が映し出される。実際に起こったことだから、結果を書いてもネタバレとは言われないだろう。私はこの時の市長選の結果を覚えていなかった(というか興味がなかったはずなので、そもそも知らなかった)が、なんと藤木幸夫が擁立した無名の候補者が大差で圧勝したのだ。現職の林文子だけではなく、菅義偉が「奇策」として投入した小此木八郎も打ち破る完勝だった。藤木幸夫の決意と言葉、そして市民の団結が成し遂げた結果であり、非常に痛快だなと思う。もちろん、横浜市のIR誘致は頓挫することとなった。

小さな力でも結集させれば「国策」にだって対抗できることを示した、非常に意味のある結果だと言えるのではないかと思う。

さて、映画では様々な事柄が描かれるのだが、興味深いと感じたのが、山口組三代目として知られる田岡一雄との関わりである。藤木幸夫の父・幸太郎が、田岡一雄と、住吉会会長だった阿部重作と並んで写る写真が映画の中で映し出されるのだ。田岡も阿部も共に、港湾の仕事を生前の幸太郎から学んでいたのだという。

この点に関して藤木幸夫が、「港湾は、世間で最も誤解されている」と口にする場面があった。港湾とヤクザとの関係はこれまで、映画などで繰り返し描かれてきたからだ。実際のところ、港湾で働く者にとっての唯一の娯楽は「丁半博打」であり、それが浸透していたため、後にヤクザが入り込んできたのだという。

しかし藤木幸夫によれば、父・幸太郎が率先してヤクザとの関係を断ち切ったのだそうだ。そして横浜港に限らず、全国の港湾を取り仕切る人物になっていた幸太郎が先陣を切ったことで全国的にヤクザ排除の動きが進み、今ではまったく関わりはないのだという。

藤木幸夫は次のようなエピソードも語っていた。父・幸太郎が田岡一雄を、横浜港の理事長に誘ったことがあるというのだ。もちろんこれは、「ヤクザから足を洗え」という意味の誘いである。ヤクザのトップに、間接的にとはいえ「ヤクザから足を洗え」と言う父親も父親だが、それに対する田岡一雄の返答もなかなか凄かった

今、私のために旅に出ている者が100人ほどいる。それが帰ってきたら受けましょう。

もちろん、田岡が生きている間にそんな日が来ることなどない無期懲役の者もいるのだから当然だ。つまり彼の返答は丁重な断りの文句なのである。まさに映画のようなやり取りだと感じさせられた。

さて、藤木幸夫自身は父から「ヤクザとは関わるな」と厳命されていたそうだ。しかし同時に、「カタギになると決めた者には優しくしてやってくれ」とも言われていたと明かしている。あるいは父親の話で言えば、藤木幸夫が地元の不良を集めて作った野球チームの面々との関わりも面白かった。父親は不良たちに本を読ませ、さらに時折、議論の議題を与えて意見を云わせるみたいなことをしていたそうだ。当時の野球チームのメンバーも映画に出てきたが、藤木幸夫含め「あの時の議論は、大人になってから役に立った」としみじみ語っていた。

藤木幸夫というなかなかの存在感を放つ人物を中心に描かれる「闘い」と「個人史」が、とても興味深い作品である。

最後に

藤木幸夫はラジオ局「横浜エフエム放送」を立ち上げた人物でもあるそうだが、その経営方針にも、IR反対に通ずる指針が見て取れる。彼は開設当初から、「消費者金融のCMは取ってくるな」と言っていたそうなのだ。その教えは、今でも守られているという。「借金によって家庭が崩壊してしまう現実に可能な限り加担したくない」という思いの現れだったのだろう。まさにそのスタンスは、IR反対にも繋がるものがあるように思う。

思いがけず、実に興味深い人物について知ることが出来た映画だった。そして、やはり「言葉の強さ」は武器になるし、人を動かす上で、これほど強力な武器はないと改めて実感させられた作品でもある。

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