【天才】『三島由紀夫vs東大全共闘』後に「伝説の討論」と呼ばれる天才のバトルを記録した驚異の映像

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:三島由紀夫, 出演:芥正彦, 出演:木村修, 出演:橋爪大三郎, 出演:篠原裕, 監督:豊島圭介, プロデュース:刀根鉄太, プロデュース:竹内明, プロデュース:平野隆
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • なぜ三島由紀夫と東大全共闘の討論が行われることになったのか?
  • 三島由紀夫は、非常に物腰が柔らかく、相手の土俵で議論を展開した
  • 「全共闘に共感できる」と言う三島由紀夫の真意は?

議論そのものは高度すぎて難しかったですが、メチャクチャ面白い映画でした!

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『三島由紀夫VS東大全共闘』では、三島由紀夫の器の大きさが印象的な討論が映し出される

私の基礎知識と、本作『三島由紀夫VS東大全共闘』を見た感想

まず、この映画を見る前に私が持っていた基礎知識について書いておこう。これは、「これほど基本的な知識さえ持っていない状態でもこの映画を楽しむことができる」と伝える意図で書くものだ。

私はそもそも、「右翼」と「左翼」、あるいは「保守」と「革新」などの用語の意味がイマイチ理解できない。要するに、政治などの世界で語られる「右」「左」の意味がよく分かっていない、ということだ。

私がなんとなくイメージしている理解を書いておこう。

まず「右翼」というのは、どうしても「街宣車」のイメージがあり、「天皇を崇拝」している感じがする。というわけで、「愛国」みたいなことなのだろう。で、「左翼」というのは恐らくその反対なのだろうが、何に対しての「反対」のかがよく分かっていない。「愛国的な立場」と逆ということなのだろうか。あるいは「右翼」と「左翼」というのは正反対の関係ではなく、「右翼とは、左翼ではないこと」「左翼とは、右翼ではないこと」というぐらいの関係性なのかもしれないと考えたりもする。

なんとなく、「全共闘的なもの」が「左翼」なのだろう、とは思っている。ただ「全共闘的なもの」というのが何を指しているのか、よく分かっていない。「右翼(愛国)」が、「古来からの日本をそのまま残す」ということなら、「左翼」は「外国に対しても開かれた形にする」ということだろうか?

政治的な立ち位置に関しても「右派」「左派」などと説明されることがあるが、それも具体的に何を意味しているのか分からない。なんとなく言葉のイメージから、「保守」と「右翼」が近い感じがするので、そうなると「革新」は「左翼」だろうか

というのが、私の「右翼」「左翼」に関する認識である。つまり、全然分かっていない。だから本を読んでいてもニュースを見ていても、こういう右とか左とかの話が関係してくると、途端に理解不能になる。

という人間が、この映画を見た。

メチャクチャ面白かった

基礎知識がないために、恐らく、彼らの討論を正しい形では理解できていないだろう。彼らの討論はもちろん、あらゆる前提が共有されているという了解の元で行われているだろうから、基礎知識のない僕には難しい部分も多かった。

しかしこの映画では、橋爪大三郎・平野啓一郎・内田樹といった知識人や、三島由紀夫が立ち上げた「楯の会」の元メンバー、全共闘で闘った人などが登場し、討論に関する解説を加えてくれるので、そのお陰でなんとなく理解が追いつく部分もあった

いずれにしても、私は私なりの理解でこの映画をもの凄く楽しんだし、基本的に頭の良い人間に興味があるので、知と知のぶつかり合いには興奮させられた

三島由紀夫と東大全共闘の討論が行われるに至った背景

まずは、この伝説の討論がなぜ行われることになったのか、その流れを追っていこう。前述の通り私は、基礎知識がまるでないので、この映画の中で説明された事柄だけでこの説明を行う。不備や誤りがあるかもしれないが、ご容赦願いたい。

討論が行われた前年の1968年は、「政治の季節」と呼ばれた。世界では、「プラハの春」や「五月革命」など、様々な革命が同時多発的に起こっていた。日本では全共闘が全盛であり、反戦・平和を訴える街頭闘争があちこちで起こり、東京は学生と機動隊による戦争状態と言っていいほどだった。そんな日々は、日本でも革命が起こるのではないかという予感を抱かせたのだ。

映画に登場する「楯の会」の元メンバーは、インタビューアーから「共産主義革命が本当に起こるのだろうかという恐怖心を抱いていたか?」と聞かれて「YES」と答えている。そういう意識を持つ人は、当時東京にそれなりにいたことだろう。

「楯の会」は、そんな日本の状況に対応すべく、大学生を中心に構成された私的民兵組織だ。反革命・反共産主義を掲げ、いざ何か事態が動いた際には率先して動けるように日頃から訓練を行っていた。「楯の会」のメンバーは三島に連れられて自衛隊の体験入隊を繰り返したという。全共闘と対峙することになっても、自分たちが日本刀を抜けば決着がつく、という三島の意思を感じたそうだ。

映画の中では、「楯の会」の元メンバーが、もう時効だろうからと、自衛隊の訓練で実弾射撃を行ったことがある、と語っていた。

1969年1月に、安田講堂事件が起こる。前年に誕生した東大全共闘は強硬な態度で、暴力も辞さない覚悟だった。しかし、放水と催涙弾によって安田講堂は陥落してしまう。

この後、次の一手として東大全共闘が考えたのが「三島由紀夫との討論」だった。安田講堂事件をゼロにしてはいけないと「東大焚祭委員会」を立ち上げ、三島との討論への準備に動き出す。

当時三島は政治的な発言を繰り返すようになっていた。また、川端康成と日本初のノーベル文学賞を争っており、世界的な知名度も抜群だ。さらにメンバーの一人が、三島の「文化防衛論」を読んでいたこともあり、「東大全共闘と日本を論じよう」と三島を引き込むことに決めたのである。

こうして、三島由紀夫との討論が決まった。日時は1969年5月13日。三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で自殺する一年半前だ。安田講堂があるキャンパスとは別の、駒場教養学部の大講堂900番教室で、1000人の東大全共闘を相手にすることになる。

「右翼・保守」の大物である三島由紀夫と、「左翼・革新」の東大全共闘1000人の、伝説の討論の始まりだ

この討論の告知ポスターに、学生たちはゴリラを模した三島由紀夫の絵を描いた。「近代ゴリラ」とバカにした呼び方をし、「飼育料 100円以上」と記載するなど挑発する。東大全共闘が「舞台上で切腹させてやる」と息巻いているという噂もあり、「楯の会」のメンバーは密かに会場の前列に紛れ込み、状況を見守ることにした。

この討論を唯一カメラに収めていたのがTBSだった。東大全共闘が何か別の取材でTBSとだけ関わりがあったとかで、彼らはTBSにだけ声を掛けていたという。そんなTBSだけが保管している貴重映像を元に作られたのがこの映画である。

三島由紀夫の物腰の柔らかさ

討論そのものをすべて理解するのは難しく、理解できない部分の方が多かったが、映画を見ながら非常に印象的だったことがある。

三島由紀夫の物腰が実に柔らかいのだ

司会を務めた木村修は、当時を振り返って、

全共闘の人間なんかロクデナシだと思ってただろうし、単身で敵陣に乗り込むような気持ちだっただろう

と語っていた。私には実感はもちろんできないが、普通に考えて、まったく主義主張の異なる相手に呼ばれ、「1対1000」という討論を仕掛けられ、「ゴリラ」とまで言われているのだから、穏やかな気分ではないだろうと思う。

しかし三島は、そんな素振りを一切見せない

見せないどころか、笑顔を絶やさず、非常に穏やかに議論を展開する。そんな三島の姿を見た木村は、討論の冒頭で「三島”先生”」と口にしてしまい

“先生”と呼んでしまったのはちょっと問題ではあるんですが

と言い訳をしていた。そのことを後で振り返り、

語り口が丁寧で、乱暴な言い方なんてまったくしないですよね。それが驚きでした。それで思わず”先生”と言ってしまったんです

と言っている。

内田樹もこの討論を見て、

三島は誠実に、1000人を説得しようと思ってるんですよ。それに、相手を困らせてやろうとか、論理矛盾を指摘するなんてことを、一度もやってない

と語っている。確かにその通りだ。

三島はとにかく、議論を理解し、誠実に相手を説得しようとする。それが非常によく伝わってくる。

恐らく三島由紀夫ぐらい頭が良ければ、東大生相手だろうと、幻惑的な主張をして議論を煙に巻き、勝ったのか負けたのかよく分からない勝負に持ち込むことだってできただろう。そういう作戦を採る方が安全だろうとも思う。しかし三島はそうしない。真正面から、真っ当に議論に臨むのだ。

壇上では、芥正彦という、子どもを抱きかかえながら討論に臨む人物が最も長く三島と対峙する。三島と芥の議論は高度すぎて私には理解できない部分が多かったが、鋭く三島に切り込む芥に対しても笑顔を絶やすことはない。また一方の芥も、三島のタバコに火をつけてあげるなど、険悪な展開を想像していた人たちの予想を覆すような穏やかさが非常に印象的な討論だった。

相手の土俵で議論する三島由紀夫、自分の主張に終止する東大全共闘

議論の中身そのものではない部分で印象に残った点として、議論の進め方の違いも挙げられる。

三島由紀夫には、「徹底して東大全共闘の土俵の上で議論しよう」という意思があることが見て取れた。

例えば、議論そのものは理解できなかったが、「解放区」に関するやり取りがあった。この中で三島由紀夫はまず「解放区」に関する定義を口にする。そしてその後で芥に、「定義はこれで合ってるか?」と確認するのだ。そしてその上でさらに議論を深めていく。

他のテーマにおいても、三島は常にこの姿勢を貫く。議論の相手の言葉や価値観を正確に認識した上で、それを土台として議論を展開していくという点に、もの凄く知性を感じた。

一方で東大全共闘側は、特に難解な議論を展開した芥に限らず、全員が自分の言葉で自分の主張をすることに留まってしまったと私は感じた

もちろんこの映画では、実際に行われた討論すべてが収録されているわけではないだろうし、東大全共闘側が三島由紀夫の土俵の上で議論を展開した場面もあるかもしれない。しかし少なくとも、この映画を見ている限りは、東大全共闘は最後まで自分の土俵から下りなかった、と感じた。

三島が、自分の土俵を下りて相手の土俵の上で闘う意思を明確に示しているのに対して、東大全共闘は、三島をどうやって自分の土俵に乗せるかに腐心しているように見えてしまった。だから、討論内容そのものとは関係ないこの点において、既に三島に軍配が上がっている、と私は感じた。

そもそも三島由紀夫がこの討論を引き受けた理由を、平野啓一郎はこんな風に語っていた。

言葉がアクチュアルな機能を果たすのか。反対の立場の人に自分の言葉が通じるのか。三島はその点に関心があり、この討論に臨んだのだろう

このスタンスを踏まえると、三島が口にする言葉への理解が深まるだろう。

東大生はとにかく、難解な言葉・論理で議論を畳み掛けるので、私には難しすぎて主張内容を理解するのも困難な箇所が多々あった。

しかし、三島の場合は、仮に難解な単語を使っていたとしても、その主張は割とすっと理解できる。恐らくこれは、大衆向けに小説を書いている強みだと言えるだろう。普段から読者に向けて「伝わる言葉」を発している人間が、さらに、「自分と主義主張がまったく真逆な人間にも言葉が届くのか?」という実験的意思を持ってこの討論に臨んでいたとすれば、その主張が分かり易いのも当然だと感じた。

ちなみに、同じく東大生である観客から討論中に、「三島を殴る会があるっていうから来たのに、観念的な議論ばっかじゃねぇか」と野次が飛び、東大生同士でやり合うような場面さえあった。東大生が聞いていても「分かりにくい」ということだろうか。三島は、東大生同士が揉めているのを見て面白がっているように見えた。

東大全共闘への共感を示す三島由紀夫

また、議論の仕方としてやはり上手だと感じさせられたのは、三島由紀夫が東大全共闘に対してたびたび共感を示すことだ。

一番分かりやすかったのは、「非合法の暴力を肯定する」という話だろう。三島はこう言っている。

わたくしが行動を起こすとしたら、非合法でやるしかない。一対一の決闘の考えでやるとするなら、それは殺人犯になるということだから、警察に捕まる前に自決でも何でもしようと思っている

これが、自決一年半前の発言だと考えると興味深く感じられる

三島は、東大全共闘と主義主張は異なるが、手段としては君たちのやっていることは理解できる、と共感する。議論というと「対立」をイメージしてしまうが、やはり「共通項」がまったくない相手との議論はそもそも成り立たない。三島は恐らく、そういうことを理論的に、あるいは直感的に理解している人だったのだと思う。これもまた、「反対の立場の人に自分の言葉が通じるのか」という実験の一環と考えると分かりやすい。

他にも、「知性が高い人間が上にいて様々なことを決めたり動かしたりする世の中が嫌い」と言った上で、「君たちが知識人の鼻を割ったことは認める」という発言もしている。やはりこれも、主義主張は違うが、君たちの行動には共感できるという意思表示だろう。

さらに、こんな驚くべき発言もしている。

わたくしは、これは大げさに言うのではないが、諸君らが一言「天皇」と言ってくれさえすれば、わたくしは喜んで一緒に立てこもっただろう

君たちと共闘できる、とさえ語っているのだ。

「右翼対左翼」が討論の本質ではない

この発言に至る一連の議論を踏まえて、内田樹が、この討論の本質を語る場面がある

(※三島と東大全共闘の立場の違いは)右翼と左翼の対立が本質なわけじゃないと三島は分かっていた。直感力のある人だから、その本質が反米愛国運動だということに気づいていた。だから三島は、全共闘と共闘できると言っているのだ

芥もインタビューアーから「三島由紀夫と東大全共闘の共通の敵を挙げるとすれば何か?」と問われて、

あやふやな猥雑な日本国

と答えている。

東大全共闘は、「右翼の大物」である三島由紀夫を議論に引っ張り込んで主張を対立させ、「左翼」としての存在感をアピールするつもりだったのだろうが、三島自身はそんな対立はそもそも存在しないと考えていたということだ。これは非常に面白い指摘だと感じた。

そもそも、「右翼の大物」である三島由紀夫は、「天皇」という存在に対してアンビバレントな感情を抱いていたという。平野啓一郎いわく、昭和天皇個人に対して批判的な意見を抱きつつ、同時に、個人的な関わりに対するポジティブな感情も持ち合わせていたようだ。

その個人的な関わりについては、討論の中でも語っていた。学習院高等科を主席で卒業した際、昭和天皇から銀時計をもらっているのだが、そのことではなく、3時間に及んだ卒業式中、ずっと微動だにせず立ち続けた姿に感銘を覚えたという話だ。これは三島由紀夫が様々な場面で語っている話だという。

「右翼」でありながら「天皇」には複雑な感情を抱いているという三島由紀夫は、「天皇」という言葉をかなり独自の意味で使っていたと複数の人間が語っている。芥は「絶対権力」、内田樹は「無意識的エネルギーの源泉」、「楯の会」元メンバーは「日本の文化・伝統の集約的存在」と表現していた。いずれにせよ三島は、「天皇」という言葉で特定の個人のみを指していたわけではないようだ。

「個人」が確立したことへの喪失感

そして、「天皇」に関する討論の流れの中で三島由紀夫は、

天皇と自己を一体化させることに美を見出すのだ

と語っている。どうやら三島にとって、「個人」であることは重要ではなさそうだと推察できる。

内田樹が指摘していたことだが、三島由紀夫のような、10代を戦争末期という環境で過ごして生き残った者たちは特別な感覚を抱いているという。1930年代生まれの人たちは、戦争で死ぬことを覚悟しており、それはつまり、「国運と個人的な運命とが一蓮托生だった」と言っていい。しかし、戦争が終わったことで、個人としての運命が国運と繋がりを失ってしまったのだ。

その喪失感を抱えながら戦後を生き続けたのではないか、と指摘されていた。

「天皇と自己を一体化させることに美を見出すのだ」と言った三島に対して芥が、「それじゃあ日本人である限界を超えられないでしょう」と問う。すると三島は、「それでいい。私は日本人の限界を超えたいとは思っていない」と返す。「日本人である限界」が何を指すのかはよく分からないが、とにかく、「個人としての三島由紀夫」というものに対する意識が非常に薄かった、とは言えるのではないかと感じた。

私は正直、三島由紀夫がなぜ切腹したのかもきちんと理解していないが、恐らく、「お前ら、国のために決起しろよ」と奮起させる目的だったのではないかと思う。だとすれば、「個人としての三島由紀夫」への意識の薄さが切腹に繋がったと考えることもできるだろう。

出演:三島由紀夫, 出演:芥正彦, 出演:木村修, 出演:橋爪大三郎, 出演:篠原裕, 監督:豊島圭介, プロデュース:刀根鉄太, プロデュース:竹内明, プロデュース:平野隆
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最後に

映画の最後は、全共闘世代の人たちに、当時をどう総括しているのか? と問うて終わる。印象的だったのは、やはり芥である。芥はインタビューアーから、「全共闘世代は敗北したとも言われているがどうか」と問われ、こんな風に答えている。

私は敗北したとは思っていない。君たちの国では、敗北ということにしたんだろ。君たちの国には、私はいないからね。私の世界では、敗北していない。

言葉だけ読むと負け惜しみにしか感じられないだろうが、画面の向こうの芥は、負け惜しみを口にしているような雰囲気を一切感じさせなかった。私には、誰が勝利・敗北したのかはよく分からないが、いずれにせよ、このように強い意思・主張を持てることは羨ましいと感じる。

右翼・左翼に限らないが、どんな世界にも対立があり、さらに社会は一層不寛容の様相を強くしていると感じる。そしてそういう世の中で行われる議論・討論は、許容や共感が存在しない殺伐としたものだと私には感じられてしまう

この映画で展開される討論の内容そのものは、時代遅れかもしれない。しかし私は、三島由紀夫が示した「前提の共有」や「共感の姿勢」は、対立を穏やかにするための非常に見事なスタンスだと感じたし、そう実感することが、この映画を見る大きな有用性の1つと言えるのではないかと感じた。

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