【思考】森博嗣のおすすめエッセイ。「どう生きるかべきか」「生き方が分からない」と悩む人に勧めたい:『自分探しと楽しさについて』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:森博嗣
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いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

森博嗣の主張は、私にはとても「当たり前のこと」に感じられます

犀川後藤

それを、「当たり前である理由」とともに説明してくれる知性が素晴らしいです

この記事の3つの要点

  • 「自分探し」をしたくなってしまう要因は、「『他者に見られたい自分』と『本来の自分』とのギャップ」にある
  • 本当に満足できる「楽しさ」には、努力しなければ出会えない
  • 「人生が楽しくないから自殺する」という主張を否定することはとても難しい
犀川後藤

知性や論理力に圧倒される森博嗣の思考は、「悩み」から1歩踏み出す良いきっかけになるでしょう

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

どう生きるべきか悩んでしまう人にオススメ。『自分探しと楽しさについて』を通じて、「人生がラクに考え方」を森博嗣が伝授する

小説家である森博嗣は、エッセイも多数出版しています。集英社からも新書がいくつか出ていますが、本書は、『自由をつくる 自在に生きる』『創るセンス 工作の思考』『小説家という職業』の後に出版されました。著者はそれぞれの著作を「自由」「工作」「小説」と呼んでいますが、それら3作を出版した後で、読者から多数の相談が寄せられたそうです。「それらに少しは反応しなければならないだろう」と考えて書いた作品だと本書に記しています。

犀川後藤

その3作だと『小説家の職業』だけ読んでないかな

いか

集英社新書だと、『臨機応答 変問自在』も面白いよね

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章題は森博嗣ではなく編集者がつけたそうですが、本書がどんな内容なのか伝わりやすくなると思うので、それぞれ抜き出してみようと思います。

  • 自分はどこにあるのか
  • 楽しさはどこにあるのか
  • 他者はどこにあるのか
  • 自分は社会のどこにあるのか
  • ぶらりとどこかへ行こう

抽象的な内容に感じられるかもしれませんが、読んでみれば分かる通り、具体的な事例をかなり盛り込んだ作品になっています。深刻な悩みという程ではないけれど、心がスッキリ晴れない感覚があるとか、生きていてどうにもつまらないとか感じてしまう人にオススメしたい作品です

いか

森博嗣はホントに、シンプルな思考で本質をズバッと衝いてくれる感じがあるから好き

犀川後藤

そういう思考は割と得意なんだけど、森博嗣のレベルまで到達できたらいいなぁっていつも思う

私は、森博嗣の考えにとても共感できてしまうので、主張そのものだけを捉えれば、「当たり前のことを言っているな」という感覚になります。どんな思考に対しても、「そうそう、私もそう思ってた」「確かにその通りなんだよなぁ」みたいな感想ばかりです。

それでも森博嗣のエッセイを読んで刺激を受けるのは、「その『当たり前に感じられること』は、何故当たり前なのか」についてきちんと説明してくれるからだと考えています。私も、今でこそかなり論理的に思考できるようになりましたが、本書を読んだ20代の頃はまだ苦手意識を持っていたので、本当に「こんな風に考えられたらいいな」と思っていたのです。

本書をこれから読む人も、「当たり前のことを言ってるな」と感じたりするかもしれません。しかし、「何故それが当たり前なのか」まで説明し切ることはかなり難しいと思います。そういう観点からも楽しめる作品だと言っていいでしょう。

悩みの本質は、「他者に見られたい自分」と「本来の自分」とのギャップにある

タイトルにもある通り、本書の起点の1つは「自分探し」です。今でこそあまり聞かなくなったかもしれませんが、本書が出版された2011年当時は、割と「自分探し」という言葉が使われていたと思います(だからこそ、タイトルにも使われているのでしょう)。「自分探し」の意味が分からないという人向けにざっくり説明してみると、「今までの自分を脱して、“本来の”自分の生き方や人生の目的を探すこと」みたいな感じでしょうか。私がまだ若い頃には、「自分探しのために旅に出る」みたいな若者が結構いた印象があるのですが、今はどうなんだろう。

犀川後藤

「自分探し」をしてるかどうかはともかく、「今の自分は『本来の自分』じゃない」みたいな感覚の人は結構多い気がする

いか

SNSで誰かの「キラキラした人生」がたくさん視界に入っちゃうような環境だと余計にね

さて、早速「当たり前」に感じられるかもしれない主張を書きますが、若者が「自分探し」をしたくなってしまうのは、「『他者に見られたい自分』と『本来の自分』とのギャップ」に原因があると森博嗣は言っています。まあ、当たり前と言えば当たり前でしょう。そんなことは分かっとるわい、と感じる方もいるかもしれません。

ただやはり、問題の本質をきちんと捉えておくことは重要だと思います。どれだけ当たり前に感じられることでも、「そのギャップこそが問題だ」という認識を正しく持っておくことは大事です。

私も若い頃は、「自分が周囲からどう見られているか」が気になって仕方ありませんでした

いか

今振り返ってみると、なんであんなに気にしてたのかホント不思議って感じだよね

犀川後藤

ただ、当時はその悩みから抜け出せないほど切実だったし、しょうがなかったかなって思ってる

私の場合は、「こんな風に見られたい」という感覚があったというよりも、むしろ「期待されたくない」という気持ちを強く抱いていました。「期待」と書くと誤解されるかもしれませんが、そんな大層なことではなく、「『良い人』だと思われていたら、『良い人』っぽく振る舞わないといけない」みたいな感じがとても嫌だったというわけです。

こういう話をする時に、明石家さんまのエピソードをよく思い出します。明石家さんまは、「黙っていると、怒ってるとか調子が悪いみたいに思われる」と言っていました。明石家さんまだって、たまには喋らないこともあるでしょう。ただ、「とにかくずっと喋ってる」というイメージが強いせいで、「喋っていないってことは、機嫌が悪いのかもしれない」みたいに思われてしまうというのです。こういう見られ方も、私が考える「期待」に含まれます

とにかくそういう何もかもがあまりにめんどくさかったので、私は、外から見える自分の印象をかなり低目にコントロールする意識を持つようにしました。そんな振る舞いを続けることで、「自分は大して期待されていないだろう」と思えるようになり、以前よりは楽に生きられるようになったというわけです。

いか

そういう意識を持つようになってからは、「自分が楽するための見せ方」が徐々に上手くなってった感じはあるよね

犀川後藤

「ある意味でコミュ力が異常」って言われたりすることもあるけど、ホント、長年の訓練の賜だなって思う

さて、このようなギャップを解消するには、「『他者に見られたい自分』を低くする」か「『本来の自分』を引き上げる努力をする」かしかない、と森博嗣は本書で書いています。私は前者の方法を取ったというわけです。ギャップにこそ悩みの本質があるならば、どちらかの方法で解消するしかありません。そして、どちらのやり方も選ばない人が「自分探し」をするのだと思います。「自分探し」というのは要するに、「頑張らずに『本来の自分』を引き上げる魔法を求める行為」みたいなでしょう。そんなやり方では、解決できるはずがないというわけです。

「用意されているシステムの中へ自分をインプットする」というやり方が引き起こす問題

さてそんな風に、「『自分探し』をしたがる若者」の感覚を説明した森博嗣は次に、「現代の若者の悩みが、少し前のものとどう変わっているのか」という考察を始めます。ここで言う「現代」とは、本書執筆時点のことを指しますが、2022年現在とそう大きくは変わらないと考えていいはずです。

先程、ギャップを解消する方向性の1つとして「『本来の自分』を引き上げる努力をする」というものを挙げました。そして少し前の若者はそのために、「知識をたくさんインプットする」というやり方を選びます。本を読んだり、知見を広めたりする行動によって、自分を高めていこうというのが常道だったのです。

いか

ホントに昔の人って、今の人とは比べ物にならないぐらい物識りだったりするよね

犀川後藤

「知識人」と呼ばれる人たちの知識レベルが、現代とはまったく違う印象がある

しかし今は、「調べれば何でも分かる時代」であり、「知識をたくさん有していること」が評価されにくいと言えるでしょう。では若者は、どんなやり方を選ぶようになったのでしょうか

森博嗣はそれを、「用意されているシステムの中へ自分をインプットする」と表現しています。これについては短く説明するのがちょっと難しいので、本書の分かりやすい例として「コスプレ」を挙げることにしましょう。まさに「コスプレ」は、「用意されているシステム(=何かのキャラクター)」へ「自分をインプットする(=そのキャラクターに自分を近づけようとする)」という行為です。

さて、「用意されているシステムの中へ自分をインプットする」ことによって、「他者から見た自分」を劇的に変化させることができると言えるでしょう。しかしその一方で、自分の中身はたとえ変化があってもほんの僅かだと思います。「知識をインプットする」のであれば、それは自身の成長と言えるでしょうが、「用意されているシステムの中へ自分をインプットする」場合は、「成長した」と実感できるほどに変化することは簡単ではないというわけです。

これこそが、今の若者が悩みを抱えてしまうポイントだと森博嗣は主張しています。

犀川後藤

ここで書いた簡易的な説明だと、ちょっと分かりにくいかもしれないけど

いか

「用意されているシステムの中へ自分をインプットする」っていうのがやっぱり掴みにくいよね

「楽しさ」をどう追求するか

さて、同じような話を「自分探し」ではなく「楽しさ」にも適用してみると、もう少し分かりやすくなるかもしれません。というのも森博嗣は、「自分を探すこと」と「楽しさを探すこと」はほぼ同義であると書いているからです。

例えば今の時代、「簡単にラジオを作れるキット」みたいなものは世の中にたくさん存在するでしょう。そしてそのようなものは、「用意された『楽しさ』」と表現することが出来るでしょうます。このように捉えることで、先程の「用意されているシステムの中へ自分をインプットする」という話と繋がるのです。実際にもしも0からラジオを作ろうとしたら、構造を理解し、設計図を引き、部品を集めて組み立てなければなりません。しかしキットなら、「組み立て、完成品からラジオを聴く」という、一番楽しい部分だけを経験することができるというわけです。

そういう「用意された『楽しさ』」で満足できる人も世の中にはいると森博嗣は書いていますし、決してそのこと自体を否定しているわけではありません。そういう「楽しさ」でも十分だと思えるなら、何の問題はないというわけです。ただ、そういう「用意された『楽しさ』」では満足できない人もいます。それは、先程の話で言えば、「『用意されているシステムの中へ自分をインプットする』というやり方では、自分の成長を感じられない」という話に通じるでしょう。そしてこの点こそが「自分探し」の限界だというわけです。

犀川後藤

「自由研究を簡単に済ませたい」みたいな動機なら理解できるんだけど、そうじゃない場合、そういうキットって楽しいのかなぁって思う

いか

デアゴスティーニとかの「組み立てにメチャクチャ時間掛かる大作」とかなら、頑張っちゃう気持ちは分からないでもないけどね

「用意された『楽しさ』」に満足できる人はそのまま良いのですが、やはり「楽しさ」というのは基本的に、自分で見つけ出すものであり、時間を掛けなければ得られないものなのだと森博嗣は主張しています。

本書の中で一番好きなのが次の文章です

道ばかり歩いていると、ついつい、道しか歩けないと思い込んでしまう。道以外も歩けることを、すっかり忘れてしまうのだ。

当然ですが、どんな場合であれ、「用意されたもの」以外にも取り得る選択肢はあります。しかし頭が凝り固まっていると、そういう思考を忘れてしまいがちになってしまうのです。

いか

世の中には、「そこ道じゃないから歩いちゃダメだよ」みたいな余計なお節介をする人もいたりするしね

犀川後藤

歩きたいと思うところを自由に歩かせてくれって感じだよなぁ

また森博嗣は、「『楽しさ』を追求するなら犠牲は避けられない」とも書いています。現代人は既に、生活の中に様々なことを取り入れて忙しくしているでしょう。そういう中で、「何か新しい『楽しさ』」を得ようとするなら、お金や時間など、今持っている何かを必ず犠牲にしなければならないというわけです。

金がかかる楽しみを目指す人は、金を得るだろう。金のかからない楽しみを目指す人は、金がなくても楽しめるだろう。金を目指す人や、金がないから楽しめないと諦める人は、楽しみは得られない。

私は「金がなければ出来ないこと」に「楽しさ」を感じることがほぼなく、「金がなくても楽しめる人」だと言えます今では、「どういうことに自分が『楽しさ』を感じるのか」についてかなり理解できているのでいいのですが、若い頃はそれを上手く捉えきれていなかったので、「楽しさ」を得るのにかなり苦労しました。周りに合わせていろんなことをやってみたりしましたが、「やっぱり楽しくない」と感じることが多く、今のようなスタンスに落ち着くまではかなり右往左往させられたというわけです。

いか

最終的には、「『自分が面白いと感じる人』と関わること」ぐらいしか楽しいと思えることがないって結論に達したよね

犀川後藤

それが分かってからは、どうやったらそれが実現できるかに全振りするようになったかな

「『楽しさ』を探す」というのは非常に日常的な話ですが、少し考えを巡らせるだけでなかなか興味深い思考が展開されるというわけです。

「他者」について、そして「自殺」について

本書では、「他者とどう関わるか」や「自分という存在をどう認めるか」みたいな話も展開されるのですが、「他者」に関する話の結論は非常にシンプルだと言っていいと思います。それは、

君と僕の意見は違う。しかし、僕は君を認める。

です。これもまた、非常に「当たり前」の話でしょう。そして同時に、「SNSのせいで、そのような状況が社会で実現されているとは言い難い」という感覚も皆が持っているだろうと思います。

いか

沢村一樹がかつてNHKの番組で言ったらしい「理解できなくていいんです。否定しなければ」も良い言葉だよね

犀川後藤

「違うことが当たり前で、それで良い」ってみんなが思えれば、もう少し生きやすい社会になると思うんだけどなぁ

本書の中で森博嗣は、「マスコミの情報」を例に挙げて次のような話を書いています。5時間の睡眠で十分だと感じている人が、「睡眠時間は7時間以上必要だ」という情報に触れることで、「もっと寝なければ」という発想に囚われてしまうかもしれません。そして睡眠時間を多くしたことで、逆に体調を崩してしまう場合もあり得るというわけです。

他者の意見に縛られるのではなく、「他者の意見を知ることで自分との差異を知り、それによって自己を確立する」という意識を持たなければなりません。SNSであらゆる情報が目に入ってしまう時代だからこそ余計に、「他者の価値観」とどう向き合うべきか考えなければならないというわけです。

そして最後に「自分」の話になるわけですが、この章で一番興味深いと感じたのが「自殺」の話です。

生きていても「楽しくない」から死ぬ、という理屈は、非常に正しい。これを論破することはかなり難しいだろう。

森博嗣はこんな風に書いています。この主張には、とても賛同させられました

犀川後藤

今もまだ、「いつ死んだって別にいいか-」みたいな感覚は心のどこかにあるなぁ

いか

たぶんそれ、一生消えないだろうね

私も若い頃、自殺しようと考えたことがあります。そう思った理由には様々な要因が絡み合っているのですが、その要点を突き詰めて抽出すれば、「圧倒的につまらないことが予見されるから」となるでしょうか。今もさほど「楽しさ」を見つけられているわけではありませんが、当時は今よりももっと良くない状態で、「楽しさ」の予感さえ感じ取ることができませんでした。だから、「そんな状態で生きてる価値なんてあるのか?」みたいな思考に大分囚われてしまっていたというわけです。昔ほどではないにせよ、今でも「『死にたくない』とはあまり思えない」ぐらいの感覚は持っているので、森博嗣のこの主張にはハッとさせられました。

死を希求してしまうような何か明確な要因があるなら、説得や話し合いなどによって自殺を回避させられるかもしれません。しかし、「楽しくないから死ぬ」という、とても明確とは言い難い理由で死を望む場合、そこから引き上げることはかなり困難だろうと思います。本書には、そういう状態からどう脱すればいいのかについてのアドバイスは書かれていません。どうにかして、「自分なりの『楽しさ』を、自分の努力によって見つけるしかない」のです。

いか

「死にたい」って思考に囚われてる時に、そんな風に考えるのは無理だっただろうね

犀川後藤

私はたまたま今も生きてるけど、たまたま死んでたかもしれないし、ホントそれってちょっとした違いでしかないと思う

私の説明だけ読むと、かなりとりとめのない内容に感じられるかもしれませんが、それは私の紹介の仕方のせいだと思ってください。本書は、誰もが漠然と抱いてしまうだろう「こんなはずじゃない」「つまらない」みたいな感覚とどう向き合っていくのかが語られる作品であり、人生をどんな風に歩んでいくべきか悩んでしまう若者に特に読んでほしいと思います。

著:森博嗣
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最後に

森博嗣の文章を読んでいると、そこから彼の「諦念」みたいなものが感じ取れてしまうことがあります。圧倒的な知性と思考力を持ち、さらに、大学の准教授として多くの若者と関わってきた経験から、「自分の言葉が言葉通りに受け取られること」に対する期待を手放しているように感じられるのです。私は決して森博嗣ほどの能力はないのですが、似たような感覚を抱くことはあるので、理解できるつもりでいます。

それでも、その知性を少し開放し、届く相手にはグサグサ突き刺さる言葉を解き放ってくれるのはとてもありがたいです。「自分が今何に悩んでいるのかも分からない」という状態に陥ることは誰しもあるだろうと思いますが、そういう時に何か森博嗣の作品を手に取ると、頭の中が整理されるのではないかと思います。

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いか

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