【記憶】映画『退屈な日々にさようならを』は「今泉力哉っぽさ」とは異なる魅力に溢れた初期作品だ(主演:内堀太郎、松本まりか)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

監督:今泉力哉, クリエイター:—, プロデュース:市橋浩治, Writer:今泉力哉, 出演:内堀太郎, 出演:矢作優, 出演:村田唯, 出演:清田智彦, 出演:秋葉美希, 出演:猫目はち, 出演:りりか, 出演:安田茉央, 出演:小池まり, 出演:疋田健人
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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

時系列が入り組んだ複雑なはずの物語を分かりやすく提示する構成力はさすがです

犀川後藤

「記憶」をテーマに、「震災」や「死」を織り込んだ展開も見事でした

この記事の3つの要点

  • 初めて参加したオールナイト上映はとても有意義で楽しかったです
  • 1つの物語としては接続しないだろうと感じさせる「前半」「中間」「後半」の話が見事に繋がる展開が素晴らしい
  • 「『死んだ』という情報を知らなければ、その人は生きている」という要素によって、「記憶」と「死」が印象的に描き出されている
犀川後藤

今泉力哉作品らしく「恋愛」も描かれますが、そうではない展開が主軸になる物語がとても印象的でした

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

今泉力哉監督映画『退屈な日々にさようならを』は、複雑な時系列の中で奇妙な群像劇が展開する実に魅力的な物語だった

初めて「オールナイト上映」に参加してみた

今泉力哉作品のオールナイト上映イベントが開かれる」という情報をなんとなく目にして、私は初めて「オールナイト上映」というものに参加してみることにしました。現在41歳の私は、「朝まで起きていられるだろうか?」という点が結構不安でしたが、22:30に始まり翌朝6:30に終わったイベント中、無事ずっと起きていられたので、まずはその点が良かったです。

いか

ただ冒頭の挨拶で今泉力哉が、「寝るなり休憩するなり自由にして下さい」って言ってたよね

犀川後藤

監督自らそんな風に言ってくれるのも良かったなって思う

今回上映されたのは、『退屈な日々にさようならを』『街の上で』『サッドティー』の3作です。『街の上で』は観たことがあったので、2作が初見という感じでした。イベントの流れは、冒頭で今泉力哉から挨拶があり、後は各回終了後に「トークイベント&休憩兼サイン会」が行われるという感じです。ただ、今泉力哉から最初に「今回は事情があっていつもと違う」と断りがありました。なんと突如、4:30のタクシーに乗って何かの現場に急行せざるを得ない状況になってしまったのだそうです。そのため、普段であれば6:30の終了後も今泉力哉は残ってお客さんと喋ったりしているそうなのですが、「今回はそれが出来ません」という話でした。いやホント、お疲れ様です。

さて、映画の話をする前に、上映が始まる前の「ちょっとした驚き」について触れておきましょう。

上映が始まる直前まで、私の前の席は空いたままでした。もちろん、普段なら別になんてことはない状況です。ただ、今回私は「あれ?」と思っていました。というのも、テアトル新宿で行われたこのオールナイト上映は、約1週間前の19:00からチケットの販売が開始されたのですが、私が19:04頃にサイトを見た時点でほぼ満席状態だったのです。そんなわけで、「空席なんかあるはずないよな」と思っていました。もちろん、電車が遅れたとか、予定があって来れなくなったみたいな想定をする方が自然でしょう。ただ私には、もう1つ別の可能性が浮かんでいました

いか

「まさかね」って感じだったけどね

犀川後藤

ホントあり得ない想像だよなぁ

さて、この少し前、『情熱大陸』で今泉力哉が特集されていたのですが、その中でも、今泉力哉が参加する上映会(オールナイトだったかは覚えていない)の様子が映し出されていました。その上映会の合間でも今泉力哉が登壇していたのですが、その際、彼が客席から壇上に上がっていたのです。そんな様子を見ていたので、「上映会の際には、今泉力哉は客席に座っているんだろう」と思っていました。

となれば、「上映開始直前まで空席のままになっている前の席に、今泉力哉が座るなんてこともあるんじゃないか?」という発想になるのも自然でしょう。

そしてなんと驚くべきことに、私の予想は当たっていて、冒頭の挨拶を終えた今泉力哉が、私の前の席に座ったのです。これにはなかなか驚かされました。まあ、それだけの話なんですけど。

いか

結局サイン会には並ばなかったから、今泉力哉とそんな話をすることもなかったよね

犀川後藤

「自分より今泉力哉のことを好きな人はたくさんいるだろうなぁ」って思っちゃうからああいうの並べないんだよなぁ

それでは、本作『退屈な日々にさようならを』の話を進めていこうと思います。

時系列が複雑に入れ替えられた物語なのに、かなり分かりやすく描かれている点に驚かされた

映画『退屈な日々にさようならを』を観て、私は少し驚かされました。それは、私が思う「今泉力哉っぽさ」とは、少し違っていたからです。

私はこれまで、『窓辺にて』『ちひろさん』『街の上で』『アンダーカレント』『からかい上手の高木さん』の順に今泉力哉作品を観てきたのですが、そんな私は彼の映画を、「日常生活や、日常から少しだけ浮き上がった世界での恋愛を丁寧に掬い取る作品」と捉えています。ただ、本作『退屈な日々にさようならを』はそういうスタイルとは結構異なっていました。もちろん「恋愛」は中核に存在するわけですが、物語のテイストが全然今泉力哉っぽくなかったのです。

いか

「最初から『恋愛』をメインに描いていたわけじゃないんだ」っていうのが発見だったよね

犀川後藤

ある意味でこれは、「後から初期作品を観ることの面白さ」とも言えるかも

本作は全体的に、「クリストファー・ノーラン的な時系列グチャグチャの物語」と言っていいでしょう。さらに、様々な人物を描き出す群像劇が非常に奇妙な形で収斂していく展開で、私はとても好きでした。先に挙げたような今泉力哉作品は、どちらかというと「ストーリーらしいストーリーが存在しない」みたいなタイプが多くて、それはそれでももちろん好きなんですけど、「ストーリーをメインで打ち出していく作品」も面白いんだなと思えて良かったです。ちなみに合間のトークイベントの中で今泉力哉は、「初めて知った映画監督がタランティーノで、それもあって、『パルプ・フィクション』みたいな時系列グチャグチャの群像劇をいつかやりたいと思ってた」みたいなことを言っていました

さて本作は、ざっくり「前半」「中間」「後半」の3ブロックに分けられると思います。そして、私が何よりも驚かされたのは「中間」でした。本作は、最後まで観ればもちろん全体の繋がりは分かりますが、リアルタイムの感覚で言うと、「『中間』を境に、全然違う物語が始まった」みたいな感じになります。しかも、その「中間」の物語があまりにも全体の中で浮いていて、「1つの作品としてこの要素をちゃんと処理出来るんだろうか?」とさえ感じさせられたのです。

犀川後藤

今泉力哉作品だから心配はしてなかったけど、監督のことをまったく知らなかったらちょっと不安だったかも

いか

「どう考えてもこれらの要素を1つに繋げるのは無理でしょ」って感じだもんね

しかし、そんなややこしそうな物語が、糸がするっと解けていくようにして絡まりがなくなっていき、ちゃんと繋がっていくのです。その構成がまず、とても見事だったなと思います。

トークイベントの中で今泉力哉は、「物語は凄く理解しにくいと思う」と話していました。その発言にはこんな背景があります。元々は色んなシーンに「◯年どこどこ」というように字幕で場所と時代を表記していたそうなのですが、最終的にそれを全部外すことにしたというのです。まあ確かに、時系列が入り組んだ作品に慣れていない人にはちょっとハードルは高めかもしれません。ただ個人的には、「これほど訳のわからん要素を詰め込んで、よくもまあ物語をちゃんと着地させたものだ」と感じました。本作はまず、そんなストーリーテリングが素晴らしかったと思います。

「非リアルな要素」が組み込まれているにも拘らず、全体の「リアルさ」が失われていないことにも驚かされた

そしてもう1つ驚かされたポイントが、「全体的にとてもリアルに展開されていたこと」です。

犀川後藤

今泉力哉作品は基本的にリアルに展開するから、この感想はちょっとおかしいんだけど

いか

まあそれだけ、本作が変わった作品だったってことでもあるんだけどね

本作においてはとにかく、「中間」の物語が恐ろしく「非リアル」です。正直なところ、この「中間」の物語が始まった瞬間、「え? 違う映画に変わった?」みたいに感じました。「前半」「後半」はリアルなテイストなので、「中間」だけがもの凄く浮いているという感じです。

しかも本作では、「前半」と「後半」の物語も大きく違っていて、普通であれば繋がるはずがありません。ただ、「中間」の物語があることで、「前半」と「後半」がちゃんと物語として成立していると言えるでしょう。つまりこの「中間」の物語は、作品全体において必要不可欠なわけです。そんな必要不可欠な物語が「非リアル」なのだから、作品全体が「非リアル」に呑み込まれてしまってもおかしくないようにも思います。

しかし、本作は全然そんな風にはなっておらず、そのことにちょっと驚かされてしまいました。

いか

この物語を、脚本の段階で「いける!」って判断したのが凄いよね

犀川後藤

上手くまとまったのは奇跡的に思えるんだよなぁ

実際のところ、「前半」の物語はさほどリアリティを必要としませんが、「後半」の物語はかなりリアリティが求められると思います。そしてだからこそ、「凄まじく非リアルな『中間』の物語」から繋がる「後半」の物語がちゃんとリアルな雰囲気をまとっているのが凄いなと感じました。

「展開の妙」や「人間関係の繋がり」みたいなものも実に面白い部分だったのですが、何よりも「普通には成立しないだろう世界を絶妙に成立させている雰囲気」が見事だったなと思います。

映画『退屈な日々にさようならを』の内容紹介

「前半」の物語は、映画監督を目指している梶原が、知り合いが撮った映画の上映会後の飲み会で酔い潰れるところから始まる。目を覚ました梶原はなんと、大勢の女性が本を読んでいる部屋にいた。その部屋には男が1人いて、梶原はその男から「昨日の話の続き」とやらを聞かされるのだが、梶原には全然記憶がない。ただ、どうやら彼は、その男からMV撮影の仕事を引き受けたようである。

梶原は、付き合っている彼女にも「映画以外の仕事はしない」と宣言するぐらい映画一筋だった。そのため、清田と名乗る男からの仕事も断るつもりでいたのだが、担当することになるかもしれないアーティストの写真を見て、「一度会ってみてから検討する」と考えを変える

結局仕事を引き受けることにした梶原は、そのアーティストのMV撮影のロケ地として、ある公園を提案することにした。その場所は、知人である山下監督がかつて映画の撮影に使っていたところで、「飛んだり跳ねたり」という歌詞を含む曲のMVにはピッタリだと考えたのだ。しかし正確な場所を知らなかったので、山下監督に電話をしてその公園の場所を教えてもらおうと考えたのだが……。

「後半」の物語では、父から受け継いだ造園業を廃業すると決断した福島に住む今泉太郎が主人公である。彼には双子の弟・次郎がいるのだが、18歳の時に家を出て以来、10年近く音沙汰がないままだ。震災の時にも連絡が来ることはなかった。だから次郎は、父が死んだことも知らないままである。そんな思考から太郎は、「仮に次郎が死んでいても、自分はそれを知らないってことだな」みたいにも考えていた。

太郎は会社を畳む準備を進めていく。そういう手続きを専門にやっている元恋人に連絡して手伝ってもらったり、最後の最後まで従業員として残ってくれた清田に、「東京に行くなら妹の美希を一緒に連れて行ってくれ」と頼んだりしていた。そんな風にして、それまでとは全然違う数年間を過ごしていたある日、太郎の元に見ず知らずの女性から連絡があり……。

映画『退屈な日々にさようならを』の感想

本作を作るきっかけになったあるエピソードと、今泉力哉らしい「会話の上手さ」

上映後のトークイベントで、今泉力哉は「本作を作るきっかけ」になったというある出来事について語っていました。そこまで距離が近いわけではない大学時代の知人が亡くなったと連絡をもらったのですが、そのタイミングが、知人が亡くなってから3ヶ月ぐらい経ってからだった、という話です。今泉力哉はその3ヶ月間について、「その知人が生きているとも死んでいるとも思っていなかった」と、つまり「『当然生きているはずだ』と考えていた」と言っていました。これは、そこまで親しいわけではない関係性に対しては誰もが抱くような感覚だろうと思います。

しかし実際には、「当然生きているはずだ」と考えていた3ヶ月間、その知人は肉体的には死んでいたわけです。この経験から今泉力哉は、「『肉体的に死んでいる』という事実を知らない限り、人は生きている」みたいに考えたのでしょう。そしてその感覚を、本作の物語として昇華したというわけです。

犀川後藤

私もよく、「頻繁に会うわけじゃない人は、仮に死んでいるとしても、『遠くにいて会えない』ぐらいの感覚だろうな」って思ってる

いか

でも今はスマホがあるから、「連絡が返ってこない」ってなると「不在」が意識されるかもね

さらに彼は、「自身の出身地」と「東日本大震災」を組み込みつつ、「重い物語にならないように構成した」と言っていました。作中では具体的に示唆されませんが、監督によると本作の舞台は、著者の出身である福島県郡山市なのだそうです。実際の撮影もその周辺で行われたようですが、だからこそエンドロールを見て気になったことがあります。「後半」の物語で舞台となった造園業者は「忠花園」というのですが、エンドロールにその関係者だろう人物の名前が載っており、その名字が「今泉」だったのです。調べてみると、「忠花園」というのは郡山市に実在する造園業者のようで、代表取締役の名前が「今泉」になっていました。どうやら、遠い親戚なんだそうです。

さて、作中では「東日本大震災」を想起させる描写はほとんど出てきませんが、1ヶ所だけ、「りんご公園」に関してこんな言及がありました。ある人物が学校帰りに「りんご公園」で遊ぶ理由について、「放射能とかで人が消えちゃったから、誰かが遊んであげなきゃと思ったみたい」というような話が出てくるのです。はっきりと震災が示唆されるのはこのシーンだけだったはずですが、逆に言えば、このセリフだけで「舞台が福島県」だと分かってしまうというのも寂しい気がします。

いか

どうでもいい話だけど、この「りんご公園」を走ってた子ども2人はたぶん、今泉力哉の子どもだよね

犀川後藤

エンドロールに名前が出てきたからそう判断したってだけだけど

さて、「本作にはテーマとして『恋愛』が含まれている」と先述しましたが、より正確に書くと、「『好きとは何か?』が主軸として描かれている」となるでしょう。そしてそのことが、「記憶すること」と「殺すこと」によって描かれるという感じの作品です。「殺すこと?」と思われるかもしれませんが、そちらには詳しく触れません。

「記憶すること」については、先程紹介した今泉力哉のエピソードを思い出していただければいいでしょう。本作には、「18歳の時に失踪した次郎を今も想い続けている女性」が登場するのですが、彼女について様々な描写をすることで、「好き」と「記憶すること」のややこしい関係を浮き彫りにしていきます

面白かったなと思うのは、彼女が抱いているある感覚が、物語の「最後の展開」を駆動したという点です。ある場面で彼女には、「『ある事実』を伝えるか、伏せたままにするか」という両極端な選択肢がありました。彼女は悩んだ末に一方の選択をするのですが、そう決めた理由を、「自分と同じような気持ちになってほしくないから」と語ります。彼女は「好き」を巡って辛い思いをしていたわけですが、「同じような感覚を抱いてほしくない」と考えてある選択をし、行動に移すのです。さらに彼女のその感覚は、広く捉えれば「震災」を連想させるものとも言えるわけで、そのような構成も上手いと感じました。

いか

まあそういう話とは別に、「その『ある事実』を伏せたままにしておくのも大変だろうな」って気はするけどね

犀川後藤

自分がそれを知っちゃったらどうするかなぁ

さて、今泉力哉作品を観る時はやはり、会話に注目してしまいます。「会話」という観点だけで捉えれば、オールナイト上映で観た他の2作『街の上で』と『サッドティー』の方が良かったのですが、本作『退屈な日々にさようならを』も今泉力哉らしさが出ていると感じました。

今泉力哉は本当に、「何でもない会話」を切り取って成立させるのがとにかくとても上手いです。「何でもない会話」なので、その会話によって何か物語が動いたりするなんてことはありません。しかしそれでも、物語の中に上手く嵌っている感じがするし、さらに、「そういう会話をしている」という事実が、関係性をより深く炙り出すような印象もあります。本作でも、「太郎が元恋人と手続きに関するやり取りをしている場面」や、「太郎が恋人と飯を食っている場面」などは、「どうでもいい中身なんだけど、それ故に2人の距離の近さが実感できる」みたいな会話だと感じました。

いか

会話が好きな感じだと、それだけでも「全然観れちゃう」って感覚になるよね

犀川後藤

今泉力哉作品は決して「会話だけ」ってことはないんだけど、やっぱり「会話の良さ」に一番惹かれてるんだろうなって思う

その他色んな感想

最後に、いくつか気になったことを書いて感想を終えようと思います。

まずはシンプルに、松本まりかが出てきて驚きました。正直なところ、最初は顔を見ても彼女だとは判断できず、さらに、最初の登場シーンは一切セリフがなかったので、確証が持てなかったのです。その後、喋り方も含めて松本まりかだと判断できたのですが、観ようと思っている映画について相変わらず何も調べないので、その登場には驚かされてしまいました

いか

しかしホント、松本まりかが演じるのにぴったりって感じの絶妙な役柄だったよね

犀川後藤

ただ、松本まりかがブレイクする前の起用だったみたいだから、偶然そんな配役だったんだろうなぁ

さて、何故私が松本まりかの登場に驚いたかというと、本作が「俳優養成の専門学校による企画」として制作された作品だからです。ENBUゼミナールが主催するシネマプロジェクトで、ENBUゼミナールと聞くと私は、恐らく同じプロジェクトで撮影されたのだろう、濱口竜介監督作『親密さ』のことが思い出されます。また今泉力哉はトークイベントで、「僕がこれを撮った翌年に、同じ企画で映画『カメラを止めるな!』が撮られた」みたいな話をしていました。そんなわけで、本作は冒頭から全然知らない人(つまり、ENBUゼミナールの学生なのでしょう)が出てくる作品で、そんな中で松本まりかが登場したことに驚いたというわけです。

ただ、2016年制作、2017年公開の本作『退屈な日々にさようならを』に出演した時点では、松本まりかはまだ有名ではなかったと思います。というのも彼女は、2018年に出演したドラマでの怪演がきっかけで注目されたからです。まさにブレイクする直前の松本まりかが映し出されているということでしょう。そういう意味でも貴重な作品と言えるかもしれません。

いか

しかしブレイク前とはいえ、やっぱり他の出演者と比べたら存在感は圧倒的だったよね

犀川後藤

それに、結構ややこしい役柄だったから、松本まりかの存在感は重要だったなと思う

また、本作に出てくるセリフの中で一番好きだなと感じたのが、「もう一生会えないといいね」です。どんな場面で登場するセリフなのかは説明しませんが、まず日常生活の中で出てくる類の言葉ではないと思います。ただ本作中では、まさに絶妙と言える場面で登場するので、とても印象的に感じられました。

しかし、本作のポスタービジュアルの一部にもなっている「清田ハウス」については、結局最後まで何だかよく分からなかったです。まあ、「タレント事務所」的なところなんだろうけど、それにしても、あのちょっと普通じゃない雰囲気は一体何だったんだろうなと思います。ただ、そんなことが特段気にならなくなるぐらい全体的に奇妙さが漂う作品であり、個人的にはとても好きな物語でした。

監督:今泉力哉, クリエイター:—, プロデュース:市橋浩治, Writer:今泉力哉, 出演:内堀太郎, 出演:矢作優, 出演:村田唯, 出演:清田智彦, 出演:秋葉美希, 出演:猫目はち, 出演:りりか, 出演:安田茉央, 出演:小池まり, 出演:疋田健人
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最後に

さて、最後に少しオールナイト上映の話に触れて終わりにしましょう

トークイベントの中で今泉力哉は、「オールナイト上映では『愛がなんだ』と『街の上で』は外せないんだけど、今回は『愛がなんだ』を外してみようという話になった」みたいに言っていました。というわけで私は未だに、映画『愛がなんだ』を観ていません。まあ、オールナイト上映の定番ということであれば、きっとまた観る機会もあるでしょう。機会があればまた足を運んでみようと思います

しかし、22:30スタートで6:30まで3本の映画を連続で観て、7:00過ぎに家に着いて11:00ぐらいまで少し寝て、その後1万字近い感想を書くというスケジュールは、41歳にはなかなかハードでした。でも恐らく、4:30にタクシーに乗って現場に直行し、そのまま撮影を行わなければならなかった今泉力哉の方が大変だったでしょう。お疲れ様でございました。

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