【悲劇】大川小学校はなぜ津波被害に遭ったのか?映画『生きる』が抉る現実と国家賠償請求の虚しさ

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

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この記事の3つの要点

  • 大川小学校の「事故後の対応」はあまりにも酷いが、「事故前の対応」についてはその判断を保留したい気持ちがある
  • 真相究明だけを望んでいるのに、「わが子の命を”損害”として算定する」という方法でしか裁判を起こせない現状
  • 「緊急時に『最善』を選べなかった」という事実を非難することに対する違和感

なんにせよ、同じような悲劇が繰り返されずに済む世の中になることを強く願う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

大川小学校での津波被害の真相究明を望む者たちを描く映画『生きる』が映し出す、学校側の酷い対応と国家賠償請求の虚しさ

映画を観た上での私の基本的なスタンスと、震災当時大川小学校で起こっていた出来事の整理

非常に難しい問題が描かれている作品だ。私にとって本作は、「感情的な判断」と「理性的な判断」が少し食い違う状況が扱われているドキュメンタリー映画であり、色々なことを考えさせられてしまった。

まずは、映画を観た上での私のスタンスに触れておこうと思う。

恐らく誰もが共通して感じることだとは思うが、「大川小学校や教育委員会の事故後の対応はあまりに酷い」という点は明らかだろう。もちろん、映画は「被害者家族側」から描いているため、学校・教育委員会側の主張が十分盛り込まれているとは言えないかもしれない。見方を変えればまた違った印象になる可能性もあるだろう。しかしそうだとしても、映像に記録されている様々な言動から判断するなら、学校・教育委員会側の事故後の対応はあまりにお粗末で、ちょっと許容できるものではないと感じるはずだ。

さて、今私は「事故後の対応」についてその酷さに触れた。では、「事故前の対応」についてはどう捉えているのか。この点については、「ちょっと何とも言い難い」という感覚の方が強い。映画ではもちろん「学校の対応がマズかったから被害が大きくなったのだ」と追及する人たちの姿が描かれるし、裁判においても「画期的判決」と評される結論が出ていた。確かに、一面ではその通りだと思う。

「何かもっと出来たはず」と思いたい気持ちも分かるつもりだ。ただ、どうしても私は、「大川小学校の事故前の対応」については、「明らかに悪かった」とは判断し難い。その理由については、少し後で触れることにしよう。

これが、映画を観た上での私のスタンスである。以下の文章は、この前提で読んでほしいと思う。

それでは、東日本大震災当時、大川小学校で一体何が起こっていたのかについても簡単に触れておこう。私は、「大川小学校」という名前を耳にした記憶はあるし、あるいは「どこかの小学校で津波による甚大な被害があった」というニュースも何となく覚えている。しかし映画を観るまで、何が起こっていたのかについて具体的なことは何も知らなかった

大川小学校では、74人の児童と10人の教職員が亡くなり、死亡と判断された74人の内、4人は未だに行方不明のままだ。東日本大震災における被害の中でも、特に注目を浴びるほどその被害者数が多かった痛ましい事故である。

作中では、どのような経緯でこのような甚大な津波被害がもたらされたのかについての説明もあった。その説明に関して、私が理解した限りのことにも触れておこう

地震発生直後、児童や教職員はグラウンドに避難した。その後しばらく、迎えに来る親の対応をしていたのだが、やがて「津波が来る」という情報が入る。大川小学校は海から3.7km離れた場所にあり、それまでの常識であれば津波を警戒しなければならない地域ではなかった。実際に、東日本大震災以前に作成されたハザードマップでは、「津波による影響はない」という判断だったのだ。

しかし東日本大震災の際は、そんな大川小学校にも津波が押し寄せる可能性があるという連絡が入っていた。大川小学校は海抜1m27cmに位置しており、グラウンドにそのまま居続ければ津波に飲み込まれることは明らかだ。そこで教職員は、「グラウンドからどこへ避難するか」をその場で考える必要に迫られたのである。学校の裏には斜面をコンクリートで固められた林があり、普段から子どもたちはその斜面を登って遊んでいた。つまり、子どもたちにも登れる斜面だと認識されていたし、津波に飲まれる心配もないはずだ。ただ教職員は、裏の林を避難先とは考えなかった。斜面に雪が積もっていたことや、がけ崩れなどの恐れがゼロとは言えないなどの要素が考慮されたためだ。実際に避難先に選ばれたのは、「三角地帯」と呼んでいた新北上大橋付近の高台だった。そして、子どもたちをその高台へ誘導している最中に津波に巻き込まれてしまったのである。

地震発生から学校に津波が到着するまで51分。早い段階で「学校にも津波がやってくる」という情報を得ていたのだから、時間的余裕は十分あったはずだ。それなのに、どうしてこれほどまでの被害が生まれてしまったのか

映画『生きる』は、その真相を究明しようとする者たちによる奮闘の記録である。

学校側の対応が、あまりにも酷い

映画では、被害者遺族と学校側の闘いを記録した最初期の映像も使われているのだが、映画の制作陣はもちろんそんな初期から密着していたわけではない。最初期の映像は、被害者遺族の1人である只野氏から提供されたものだ。200時間にも及ぶ闘いの記録がそこには収められていた。

只野氏は津波で娘を喪ったことで、大川小学校と「被害者遺族」という形で対峙することになったわけが、同時に彼は、「津波に飲み込まれながらも奇跡的に助かった4人の児童の内の1人」の父親でもある。息子が「奇跡の生還」と大きく取り上げられたこともあり、彼は元々「この問題からは逃れられない」と覚悟していたという。そのため、最初から被害者遺族の中心人物として関わり、映像記録も残していたというわけだ。

只野氏から提供された映像には、大川小学校・教育委員会の事故後の対応が様々に記録されていた。それらは、あまりにも酷い。私が観た上映回は、上映後にプロデューサーによるトークイベントがあり、その中で彼は「映画では使わなかったが、実際にはもっと酷いシーンもたくさんあったようだ」と語っていた。伝聞の形になっているのは、プロデューサー自身が200時間の映像をすべてチェックしたわけではなく、監督からそのように聞いたからである。

確かに、東日本大震災という甚大な天災の直後だったわけで、学校も市も対応に苦慮した部分はあると思う。しかしそうだとしても看過できない対応が散見された。教育委員会は関係者から聞き取ったメモを廃棄していたし、校長も、津波に巻き込まれながら唯一生き残った教師から震災の4日後に受け取ったメールを削除していたりと、信じがたい対応が見られたのだ。「何か隠そうとしているのでは?」と疑われても仕方ない対応だったと言っていいだろう。

また、こんな場面もあった。学校が開いた、遺族への説明会でのことだ。ある遺族が情報公開請求によって、大川小学校の避難訓練計画の情報を得た。それを踏まえて校長に、「避難訓練を実施したのですか?」と問うのだが、校長は、「2年連続避難訓練を行わず、さらに教育委員会には『行った』と虚偽の報告をした」と認めたのだ。これだけでもかなりの問題だと感じるが、まだ「嘘を付かずに誠実に答えている」と受け取れもするかもしれない。しかしその後、「何故虚偽の報告をしたのですか?」と聞かれると、「理由は特にありません」と答えたのである。これはなかなかナメた発言に感じられた。仮に本心がそうだったとしても、自身が置かれている状況を理解した上で、もう少し適切な答え方があったはずだと思う。

私はそもそも、事件事故や謝罪が求められる場面において言及されることの多い「誠意」という言葉があまり好きではない。目には見えない、定量的にも判断できない指標を前面に出すことで、「感情的に批判しているという事実」を隠そうとしているように感じられることが多いからだ。しかしそれでも、やはり当然、「明らかに誠意がない」と感じる状況もまた存在する。そして、映像に記録されている学校や教育委員会の対応は、まさにそのように見えるのだ。

少なくともこの映画を観る限りにおいては、もしも事故後の対応がもう少し「誠意」あるものだったら、その後の展開は全然違うものになっていただろうと思う。少なくとも、被害者遺族が国家賠償請求訴訟を起こすような状況にはならなかったはずだ。「事故前」の対応については後で触れる通り、私は「大川小学校に責任がある」とは言いにくいと感じている。しかし「事故後」の対応については明らかに学校側に非があるとしか思えない。本当に、もう少しどうにかならなかったのかと、映画を観ながら憤りを覚えてしまった

裁判に持ち込むことだけはどうしても避けたかった被害者遺族と、下された画期的な判決

被害者遺族54家族の内19家族は後に、市と県を相手取った「国家賠償請求訴訟」に踏み切る。しかし映画の中で彼らは、「そうせずに済むのなら、裁判などにはしたくなかった」と口々に語っていた。その気持ちはもちろん、容易に想像ができるだろう。遺族側が求めていたことは本来的に、裁判など経ずとも当然改善が進むべきことだったからだ。それが教育現場の話であればなおさらだろう。

しかし遺族には、他にも裁判に持ち込みたくない理由があった。そこには「国家賠償請求訴訟」の特殊さが関係している。

日本における「国家賠償請求訴訟」は、その名の通り「国家に賠償を請求する訴訟」であり、「このような”損害”があるので賠償してほしい」という形でしか裁判が起こせない。これは要するに、「亡くなった子どもたちの”命”を”損害”として金額換算しなければならない」ことを意味する。この心理的負担が非常に大きかったのだ。

そもそもだが、被害者遺族は当然、「お金が欲しい」と考えて裁判を起こしたのではない。彼らはずっと、原因究明や再発防止などを目的に闘い続けてきたのだ。しかし、その望みはいつまで経っても叶わない。第三者委員会も設置され、大川小学校の事故前の対応についての調査が行われたのだが、被害者遺族の知りたかったことが明らかにされることはなかった。こうして、打てる手はすべて打ち尽くし、後は裁判しかないという状況に追い込まれたのだが、しかし裁判にするとしたら、「損害を賠償して下さい」という形でしか訴えを起こせないというわけだ。

この点については、弁護を担当した弁護士の1人・吉岡和弘が、被害者遺族の苦しみを代弁するような形でその「おかしさ」について語っていた。彼もまた、「損害を賠償する」という形でしか訴訟が起こせない状況を「おかしい」と感じているのだ。また、彼はカメラの前で、「本音を言えば、自分以外の誰かに依頼してくれたらよかった」と本音を語っていた。つまり、「出来ればこの裁判には関わりたくなかった」という意味だ。そんな風に口に出してしまうほど、困難が予想された裁判だったということだろう。映画ではその辺りの苦労についてじっくり描く余裕はなさそうだったが、「証拠のすべてが津波で流されてしまっている」という点を考慮するだけでも、その難しさが想像出来るのではないかと思う。

被害者遺族は、悩みながらも訴訟を起こし、最終的に、「命の値段」と釣り合うかどうかはさておき、客観的には「多額」と言える賠償金を得ることになった。しかしそのことによって、新たな困難にも直面させられることになる。「金目当てで裁判を起こしたんだろう」という誹謗中傷に晒されることになったのだ。本当に、クソみたいな世の中だと思う。彼らは、裁判をせずに済むありとあらゆる手段を取ったのに上手くいかなかったため、望んでもいない裁判をせざるを得なくなっただけなのだ。にも拘わらず、そのことで非難されてしまうなんて、本当に踏んだり蹴ったりだと言っていいだろう。

しかし、彼らが裁判を起こしたことによって、非常に重要な判決が下されることになった。仙台高裁が「大川小学校には、平時からの組織的な過失があった」と認めたのである。これはつまり、「東日本大震災当日の過失」だけではなく、そこに至るまでの「平時の過失」を認定したということだ。さらにこの判決は、「学校」や「災害」に限定されるのではなく、「子どもを預かるすべての場所」に対して包括的に影響を与えるものになっているという。

本作には、この判決に関するパネルディスカッションの様子が映し出される場面があるのだが、そのやり取りの中で東京大学の教授が、

この判決がなかったら、1万7000人もの被害を生んだ東日本大震災は、未来に何の教訓も残せなくなるところだった。

と語っていたのが印象的だった。そう言わしめるほど、後世に強い影響を与えるものとして非常に価値ある判決だったというわけだ。市と県は最高裁に上告したが差し戻され、仙台高裁の判決のまま確定した。遺族らの奮闘は、意義深い結果を残したと言っていいだろう。

作中では、被害者遺族がこの裁判について語る場面も描かれていた。ある遺族は、仙台高裁の裁判官の、

学校が、子供の命の最後の場所になるようなことがあってはいけない。

という言葉が強く印象に残ったと語っている。また別の遺族は、被告側の証人尋問の際に、裁判官がその証人に怒りを滲ませる発言をしたことについて言及していた。その人物は、「私たちがずっと感じてきたことが、司法という場でちゃんと伝わったことが実感できた」と口にしたのだ。

この発言はとても印象的だった。というのもこの発言の背景には、「判決が出るまでの7年間、自分たちの意見をちゃんと聞いてくれる人はいなかった」という実感があるはずと感じるからだ。彼らは、司法の場において初めて「人としか然るべき扱いをしてもらった」という感覚になれたのではないかと思う。そしてそうだとするならば、それまでの7年間があまりに酷すぎたと言っていいだろう。被害者遺族にそう感じさせ続けた学校・教育委員会の対応のお粗末さが、改めて浮き彫りになったと思わされた。

「その時その場にいた人間にしか分からないことがあったはずだ」と私は考えてしまう

さて、後で触れると保留していた「事故前の対応」について書いていこうと思う。まず言及しておきたいのは、以前観た映画『ハドソン川の奇跡』についてである。

詳しい内容については下の記事を読んでもらうとして、映画『ハドソン川の奇跡』の主人公である機長のサリーがどんな状況に置かれたのかについてざっくり紹介しておこう。

サリーは、エンジントラブルで不調を来たした機体をハドソン川に着水させ、乗客乗員全員の命を守ったのだが、その後事故調査委員会から「ハドソン川への着水という判断は本当に正しかったのか?」と追及を受ける。そもそも飛行機の着水は難易度が高いし、危険も大きい。さらに機体が川底に沈んでしまうため、経済的な損害も出てしまう。だから、「他に最善の選択があったのでは?」と疑われてしまったのだ。

さらに状況をややこしくしたのが、事故後に行われたシミュレーションである。エンジントラブル発生時のすべての条件をシステムに入力しシミュレーションを行った結果、「近くの空港までは辿り着けたはず」という結論が導き出されたのだ。これによってさらに「正しい判断をしなかったのではないか」というサリーに対する疑惑が深まることになるのである。

さて、その後の展開についてはここでは触れないが、私は映画『ハドソン川の奇跡』を観ながら、「仮に機長の判断が『最善』でなかったとして、それは責められるべきことなのだろうか?」と感じた。確かにサリーは、近くの空港まで飛行機を飛ばせたかもしれない。しかし彼は、瞬時に判断を下す必要がある状況下で、様々な条件や過去の経験、自身の能力などを踏まえた上で「ハドソン川への着水」を選択したのだ。極限状況だったのだから、「仮にそれが『最善』でなかったとしても、『最善を選べなかった』というだけで責められるのはあまりに厳しいのではないか」というのが私の個人的な感想である。

そして同じような感覚を、大川小学校の事故前の対応についても感じてしまった

もちろん、大川小学校の状況は映画『ハドソン川の奇跡』で描かれるものとは大分違う。機長は瞬時に判断を下さなければならなかったが、大川小学校の場合、時間的余裕という意味ではかなり猶予があった。児童は40分以上もグラウンドで待機させられていたし、結果的に最善の選択だった「裏の林への避難」は1分もあれば完了する。この状況だけ捉えれば、「どう考えても避難出来たはずだ」と誰もが思うだろうし、私にしてもそれは変わらない。

ただし、私は同時に、やはり「その時その場にいた人間にしか分からないことがあったはずだ」とも感じてしまうのだ。確かに、結果から見れば「裏の林への避難」が「最善」だった。しかし、津波が押し寄せる前の時点では、それが「最善」とは判断できない要因があったかもしれないのだ。斜面に残った雪が悪影響を及ぼすかもしれない、あるいは避難した後で斜面が崩れる可能性もある。当時そんな議論がなされていたかもしれない。結果として、斜面は崩れなかったし、恐らく雪による影響もなかっただろうと判断されている。しかし、当日その場にいた者のほとんどが亡くなっているため、どのような判断がなされたのかは分からないわけで、そのような状況で「『裏の林への避難』という『最善の選択』が行われなかったのはおかしい」と断定することはフェアではないように感じられてしまう。

だからこそ私は、仙台高裁による「平時の過失」の認定に大きな意味があると感じた。「当日の過失」については判断材料が少ないし、まったく同じ状況が起こる可能性は低いのだから、再発防止という観点からもなかなか活かしにくいだろう。しかし「平時の過失」については、「避難訓練を行っていなかった」という事実からも明らかだし、また、再発防止という点でも意味があると言えるはずだ。

別に私は、「『当日の過失』は無かった」などと主張したいわけではない。「当日の過失」だってあったかもしれないし、どちらかと言えばあった可能性の方が高いとさえ考えている。しかしこの点に関しては、どこまでいっても議論は平行線のままだろう。それより、「平時から問題があった」と捉える方が、事実認定という意味でも再発防止という意味でも重要なのではないかと考えているのだ。恐らくこの点は、被害者遺族の考えとは異なるだろう。やはり遺族としては、「『当日の過失』があった」と考えたいのではないかと思うからだ。もちろん、当事者としてはそれでいいだろう。別に、被害者遺族を非難したいわけではない

ただ、やはり私はこう考えてしまう。「緊急時に『最善』を選べた者」は当然称賛されるべきだが、「緊急時に『最善』を選べなかった者」が非難されてしまうのはちょっと辛いな、と。後からならいくらでも何とでも言える。しかし、「その時その場にいた者」にしか分からないことはあるはずだし、それを考慮せずに「『最善』を選べなかったことが許せない」と糾弾するのは、私にはあまり正しい行動には感じられないのだ。もちろん、私自身が被害者遺族の立場になった時に同じように思えるかは分からないが、少なくとも今はそのように感じている。

このように、非常に難しい現実を突きつける、様々なことについて考えさせる作品だった。

最後に

映画では、事故後の大川小学校の扱いについても触れられる。校舎は「震災遺構」として残されることが決まっているのだが、それは「存置保存」という扱いに過ぎないのだそうだ。平たく言えば「ほったらかし」である。長期的に保存するための対策などは取られておらず、あくまでも「取り壊さずにそのままにしておく」という形で残っているだけなのだ。

そんな校舎の現状について、プロデューサーがトークイベントの中で語っていた。まさに前日に聞いたばかりの話だと言っていたが、大川小学校は「コウモリの巣」と化してしまっているそうだ。プロデューサーも「驚いた」と語っていた。市は「コウモリ対策」の予算を計上したという。しかし普通に考えれば、その予算を捻出できるなら、長期保存の対策のために使った方がいいはずだろう。そうしないのは、「そのまま崩れて無くなってしまえば好都合だ」というような考えが市側にあるからではないか。これはあくまでも私の邪推に過ぎないが、しかしそのように受け取られても仕方ない対応だと言っていいと思う。

被害者遺族の多くは、「せめて」という言葉を多用するのだという。「せめて我が子の死を教訓にしてほしい」というわけだ。その言葉は、私たちに向けられている。「教訓」にするのは、私たちなのだから。そのことを頭の片隅に常に入れて置かなければならない。

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