目次
はじめに
この記事で取り上げる本
著:ウンベルト・ エーコ, 著:ジャン=クロード・ カリエール, 翻訳:工藤 妙子
¥2,218 (2022/03/01 22:30時点 | Amazon調べ)
ポチップ
この本をガイドにしながら記事を書いていきます
この記事の3つの要点
- 「忘却によって選別されないものは文化ではない」とはどういう意味なのか?
- 対話や創造の共通基盤を持つためには、「忘却されること」は必須だ
- 残ったものが素晴らしいわけでも、忘れられたものがダメなわけでもない
「紙の本」を偏愛しつつ、「本は読まなくてもいい」「どうせすべての本は読めない」とも主張するスタンスが良い
自己紹介記事
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本書は、2人の書物愛好家が「紙の本」の価値について語り合う作品だ。
ただ、よくあるような「紙の本って素晴らしいよね」という単純な礼賛の本ではない。本書では、
世界規模で進められている文書のデジタル化と新しい読書ツールの導入という試練に直面している今
において、「電子データ」と比較して「紙の本」には「忘却される」という価値があるのだと指摘する。これはなかなか理解しにくい主張だと思うが、本書を読むと「なるほど」と感じさせられるし、「文化」というものの本質にも触れられるだろうと思う。
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本書には、
書物がフィルタリングという災難にもめげず、結局は張られた網をすべてかいくぐり、幸運にも、また時には不運にも、生きのびてきた。
というような形で「フィルタリング」という単語が登場する。そして、まさにこれが、「忘却という価値」の本質なのだ。
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この指摘は、決して「本」に限らない。ありとあらゆる「文化」が「電子化」される世の中では、文化の本質的な価値が失われ兼ねないと本書は警鐘を鳴らしているのだ。
そんな彼らの、危機を共有しながらもやはりどこか愉しそうな、「紙の本」にまつわる主張を見ていこう。
「忘却」という文化の価値について
まずは次の文章を読んでもらおう。
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カエサルの最後の妻カルプルニアのことは、カエサルが暗殺された三月十五日までは、何でもわかっています。三月十五日、カルプルニアは不吉な夢を見て、夫カエサルに元老院に行かないでくれと頼みました。
カエサルの死後のカルプルニアについては、いっさい情報がありません。彼女は我々の記憶から姿を消したのです。なぜでしょう。これはなにも、彼女が女性だったからというわけではありません。(中略)文化とは、つまり、このような選別を行うことなのです。現代の文化は逆に、インターネット経由で、世界じゅうのあらゆるカルプルニアたちについて、毎日毎秒、詳細な情報をまき散らしているので、子供が学校の宿題で調べ物をしたら、カルプルニアのことを、カエサルと同じくらい重要な人物だと思うかもしれないほどです。(ウンベルト・エーコ)
カエサルの妻については、カエサルの死後以降のことについてはまったく知られていない。それは、「彼女について何も語られていない」ことを意味するわけではない。恐らく、何かは語られていただろうし、それを記録した文書も何かしらは存在したことだろう。しかしそれは、現在まで残らなかったのだ。
このように、記録されていた(かもしれない)情報が失われることを、本書では「忘れる」と表記している。「忘れる」の主語は、「文化」だと考えればいいだろう。引用中の「文化とは、つまり、このような選別を行うことなのです」という一文からもそうだと判断できる。
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つまり、ここで主張されているのは、「文化は忘れることで選別を行っている」ということだ。もっと言えば、「選別されないものは、文化ではない」となるだろう。
もしこの主張を受け入れるならば、「電子データは『文化』ではない」ということになる。何故なら「電子データ」は「基本的には情報が失われない」からだ。
電子データの情報が失われる可能性ももちろんあるが、重要なのは「『電子データ』は失われないと私たちが考えている」という点だろう。恐らく人類の歴史上、そんな環境が実現したことなどなかったのではないか。そしてそのことが、「文化である」という重要な本質を結果的に失わせているのではないか、と指摘しているのだ。
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この「文化が選別を行う」という主張は少し分かりにくいかもしれない。ここでは、「紙の本」と「ネット上の文章」を比較することで、もう少し分かりやすい形で「選別」の意味について考えてみることにしよう。
「紙の本」が出版されることは、まさに「選別」の果てにあると言える。出版社が「売れる」と見込んだもの、あるいは「売れるかどうか分からないが後世に残す価値がある」と判断したものしか書籍化されない。さらに「紙の本」には、ページ数という物理的な制約も存在する。製本の限界を超えて、ページ数を増やすことはできないのだ。つまり、「何を書くか」も絞らなければならないのである。
一方、電子書籍やネット上の記事には、「紙の本」のような「選別」は存在しないだろう。売れるかどうか分からなくてもとりあえずアップしておけるし、分量の制約もない。「選別」という関門をくぐらずとも、あらゆるものが同じ土俵に乗れるのである。
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こう考えた時、とりあえず「電子データ」については、「選別されないものは、文化ではない」という主張に一理あると感じるのではないだろうか。
また「電子データ」には、「ひとりでに記録する」という性質もある。防犯カメラの映像、GPSによる経路記録、ネットショッピングの注文履歴など、「記録しよう」と考える主体が存在しなくても記録されていく情報はとても増えただろう。これもまた「選別」という過程を経ないものだ。
「勝手に記録される」という点もまた、電子データが文化の基盤にはなり得ないと思わせる要素の1つではないかと思う。
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「フィルタリングを経た文化」が我々に共通基盤を与える
本書では、「フィルタリングがなされることで、共通の『百科事典』を手にすることができる」という内容のこんな文章がある。
諸文化は、保存すべきものと忘れるべきものを示すことで、フィルタリングを行います。その意味で、文化は我々に、暗黙裡の共通基盤を提供しています。間違いに関してもそうです。ガリレイが導いた革命を理解するには、どうしてもプトレマイオスの学説を出発点にしなければなりません。ガリレイの段階までたどり着くには、プトレマイオスの段階を共有しなければいけないし、プトレマイオスが間違っているということをわかっていなければいけない。何の議論をするにしても、共通の百科事典を基盤にしていなければいけません。ナポレオンなどという人物はじつは存在しなかった、ということを立証することだってできなくはない――でもそれは、我々が三人とも、ナポレオンという人物がいたということを知識として学んで知っているからです。対話の継続を保証するのはまさにそれなんです。こういった群居性によってこそ、対話や創造や自由が可能になってくるんです。
インターネットはすべてを与えてくれますが、それによって我々は、すでにご指摘なさったとおり、もはや文化という仲介によらず、自分自身の頭でフィルタリングを行うことを余儀なくされ、結果的にいまや、世の中に六〇億冊の百科事典があるのと同じようなことになりかねないのです。これはあらゆる相互理解の妨げになるでしょう。(ウンベルト・エーコ)
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私はこの中の、「六〇億冊の百科事典があるのと同じようなこと」という指摘に特に納得させられた。確かに、今私たちが直面している問題は、「皆が共通の基盤持っておらず、個々人がてんでバラバラの百科事典を元にコミュニケーションをしていること」によって生まれると考えると理解しやすい。
上記の引用の主張を、私なりにもう少し分かりやすく説明してみたいと思う。
電子データが存在しない世界でも、情報はもちろん常に増え続けるわけだが、同時に忘却されフィルタリングされることで減りもする。この、増えもするし減りもする情報の総量を「1,000」としてみよう。増える量と減る量が同じで、常に送料は一定になっていると仮定するのである。そしてこの「1,000」が、人類にとっての共通基盤となる百科事典というわけだ。さらに、人間が認識できる情報の上限を「100」だとしよう。
私たちはもちろん、「1,000」すべてを認識することなどできないわけだが、「1,000」から各々が「100」取り出すことを考えた時、そこまで大きな齟齬は存在しないと想定できる。もちろん「1,000」からどのように「100」を取り出すかによってコミュニケーションや理解に齟齬は生まれるのだが、それでも上限が「1,000」なのだから、そこまで大きな差は生まれはしないという意味だ。
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一方で、電子データが存在する世界では、忘却というフィルタリングは行われない。つまり、情報は増え続ける一方というわけだ。その総量は「10,000」「100,000」「1,000,000」「10,000,000」「100,000,000」……といくらでも増えていく。
仮に、今私たちの世界にある情報の総量が「100,000,000」だとしてみよう。私たちはここから「100」を取ることになるが、その取り方は「1,000」から「100」を取る場合と比べて膨大な可能性が存在する。これが、引用中にある「自分自身の頭でフィルタリングを行うことを余儀なくされ」という状況だ。「文化」がフィルタリングを行わないのだから、各自でやるしかない。そしてそれゆえに、私たちは共通基盤を持てなくなってしまうというわけだ。
情報は失われることで「共通基盤としての文化」となり、対話や創造が可能となる。しかし電子データは忘却されないが故に「共通基盤としての文化」にはなりえず、対話や創造が阻害されてしまうことになるのだ。
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このような指摘は、割と理解しやすいのではないかと思う。
「情報がたくさん存在する」という状況は、もちろんメリットにもなり得る。しかしそのメリットは、人類全体で考えた時には重要とは言えないかもしれないのだ。たった1人で生み出せるものは決して大きくはないし、だから創造のためには対話が必要になる。しかし共通基盤が存在しなければ対話は成り立たず、創造にも活かせないという事態に陥ってしまうのだ。
「忘却されなかったものこそが素晴らしい」というわけでもない
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ここまで「文化による選別」に触れてきたが、誤解してはいけないのは、「残ったものだからと言って、それが素晴らしいものとは限らない」ということだ。もっと言えば、「より素晴らしいものが失われてしまっている可能性がある」のである。
それを示唆するこんな文章がある。
我々は今日なお、エウリピデス、ソフォクレス、アイスキュロスを読みますし、彼らをギリシャ三大悲劇詩人と見なしています。しかしアリストテレスは、悲劇について論じた「詩学」のなかで、当時の代表的な悲劇詩人たちの名前を列挙しながら、我らが三大悲劇詩人の誰についてもまったく触れていません。我々がうしなったものは、今日まで残ったものに比べて、より優れた、ギリシャ演劇を代表するものとしてよりふさわしいものだったのでしょうか。この先誰がこの疑念を晴らしてくれるのでしょう。(ジャン=フィリップ・ド・トナック)
良いものであれば残りやすいのは確かだが、だからと言って、残ったものが最上だとは言い切れない、とこの文章は示している。
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また、「良い」の基準が時代や国よって変わる点も見過ごせない。
例えば私は、浮世絵が海外で評価されるようになったきっかけについて、「日本から海外に陶磁器を送る際の包み紙として使われたものを外国人が見て驚いた」という話を聞いたことがある。真偽のほどは分からないが、これはつまり、「日本では包み紙に使われるほど芸術としては大した評価を受けていなかったが、外国人には新鮮で評価のきっかけになった」ということになる。もしこのエピソードが本当だとすれば、「浮世絵が包み紙に使われること」がなければ、浮世絵は現在まで残っていなかったかもしれないのだ。
また本書には、こんな文章もある。
ストア派の哲学というのは、我々がその重要性を十分評価しきれていない知的達成の一つと言えそうですが、そのストア派について我々が知っていることの大部分は、ストア派の思想に反駁したセクストゥス・エンピリクスの文章がなければ、知りえなかったことです。(ウンベルト・エーコ)
補足しよう。「ストア派」と呼ばれる哲学の一派が存在するのだが、その「ストア派」に属した人たちの文書は一切残っていない。にもかかわらず現在「ストア派」の哲学が知られているのは、「ストア派に反論した人物の文書」が残っているからだというのだ。
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本書で「知的達成の一つ」と書かれているように、現在「ストア派」の哲学は高く評価されているのだろう。しかし「ストア派」の思想が書かれたものは現存していない。これが、「当時ストア派の哲学は重視されていなかったこと」を示すのか、あるいは「重視されていたが何らかの理由で失われたこと」を示すのかは分からないが、いずれにせよ、価値があるから残るわけでも、価値がないから忘却されるわけでもないということだ。
そんな「選別」に価値などあるのかと感じるかもしれない。確かに私も、価値のないものが残っていても別にいいが、価値のあるものが失われてしまうのは残念に思うし、それを回避できる電子データの存在にはメリットがあると感じる。どんなものでも、良い悪いの評価は様々な理由によって変動するのだから、あらゆるものが電子データとして保存され、いつの日か正しく評価されるかもしれないと期待できる点はプラスな気はする。
しかしやはり、本書で指摘されているような、「フィルタリングによって情報の総量が減り、そのことによって共通基盤としての価値を持つ」という文化の性質もまた非常に重要だと思う。また、本書に書かれているわけではないが、「忘却の可能性」があるからこそ「なんとか広めたい、残したい」という気持ちが強くなる面もあるだろうし、そのことが「良いものとは何か?」という指標にも一定の影響を与えもするのではないだろうか。
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さて、「忘却」という点に関して、「文化」の文脈とはまた異なる、非常に面白い話が載っていたので紹介したいと思う。
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核廃棄物の処分問題そのものについては以前から認識していたが、「注意を促す標識」について考えたことがなかったので、非常に面白いと感じた。
確かに我々は、ピラミッドなどの遺跡に書かれている文字を読めない。専門家なら読めるだろうが、普通の市民には解読不可能だろう。そして、そこで生活する市民に解読不可能な言語で注意が促されたところでなんの効力も発揮しない。
これは、インターネットや電子データで解決できるような問題ではないだろう。まさに「忘却」という性質が直接的に生み出すものであり、「核廃棄物の処分」という課題に絡んでまさか人類がこのような問題に直面するなどとは想像もしていなかった。
情報には「忘却」という性質が付きものであることを如実に示す事例だと言っていいだろう。
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「紙の本」に絶対的な価値があるわけではない
本書は、「紙の本」を熱狂的に愛する2人による対談であるのだが、2人とも決してそれを他人に押し付けるような主張はしない。それどころか、「書物という存在」や「読書という行為」をそこまで重視していないような発言さえする。
我々は、書物というものを非常に高く評価しており、えてして神聖視しがちです。しかしよく見れば、我々の蔵書の圧倒的多数が、無能ないしは間抜けな人間、あるいは偏執狂によって書かれた本なんです。(ジャン=クロード・カリエール)
くどいようですが、べつに本を買わなくたっていいし、読まなくたっていいんですよ。ただぱらぱらめくってみて、背表紙に何が書いてあるか見てみるだけでいいんです。(ウンベルト・エーコ)
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書物が好きな人であればあるほど、「読まなきゃ損」「本になってこそ価値がある」みたいなことを言いがちだと感じるが、この2人はそのようなスタンスを取らない。この点が、本書全体を貫く非常に優れた点だと私は思う。書物への偏愛を自覚しながらも、その気持ちは自分の内側に留めておき、「紙の本」が持つ機能が「文化」にどのような影響を与えているのかについて純粋に論じているのだ。
こんな風にも語っている。
世界には書物があふれていて、我々にはその一冊一冊を知悉する時間がありません。出版されたすべての書物を読むことはおろか、ある特定の文化を代表するような最重要書だけでも、全部読むことは不可能です。ですから我々は、読んでいない書物、時間がなくて読めなかった書物から、深い影響を受けています。(ウンベルト・エーコ)
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ここまでの議論を振り返れば、この主張も納得しやすいだろう。文化にはフィルタリングという機能があり、「紙の本」はまさにその「忘却」という点で大きな”貢献”を成しているのだ。本を読むかどうかに関係なく「紙の本」は我々に影響を与えているのであり、このことは「紙の本」が持つメリットとしてより広く認識されるべきではないかと私は感じた。
現在、「紙の本」を取り巻く状況はなかなか厳しい。私も、長く書店員を経験してきたので、肌感覚としてそれが分かっているつもりだ。書店はどんどん減っているし、「紙の本」はなかなか読まれなくなっている。一部のベストセラー作家を除けば、書籍の出版だけで生計を立てるのはかなり困難だろう。
一方で、本書にはこんな文章もある。
ところで、楽観的になれる理由の一つは、最近は、大量の本を目にすることのできるチャンスが増えてきているからです。私がまだ子供だったころ、書店というのはひどく暗い所で、敷居が高かったんです。中に入ると、黒っぽい服を着た店員が、何かお探しですかと訊いてきます。それがあんまり恐ろしいので、長居しようという気にはとてもなれませんでした。時に、文明の歴史のなかで、今日ほど書店がたくさんあって、綺麗で、明るかったことはありません。(ウンベルト・エーコ)
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確かに、近視眼的な観点からすれば書店は減少している。しかし、より広い範囲で歴史を見渡してみれば、「本が置かれている書店という環境」を取り巻く状況は非常に良くなっているというのだ。なるほど、そんな風に考えたことはなかったので、斬新な主張に感じられた。
本書には、現在では「名作」と評されている作品が、出版当時どのような評価を受けていたのかに関する記述もある。
「もしかしたら私の能力が少し足りないのかもしれないが、誰かが眠れなくて輾転反側する様子を語るのに、どうして三〇ページも費やす必要があるのか私には理解できない」。これはプルーストの『失われた時を求めて』について最初に書かれた書評です。(ウンベルト・エーコ)
さらに続けて、『白鯨』『ボヴァリー夫人』『動物農場』『アンネの日記』など、現在では古典的名作として不動の地位を築いていると言っていい作品が、出版時には現在のような評価を受けていなかったという事実が語られていく。
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そしてこの点について本書では、「作品が評価されるためには『解釈』が必要なのだ」と指摘するのだ。
傑作が傑作であるためには、知られるということが大事です。つまり、作品がみずから喚起した解釈を吸収することで、その個性をより強く発揮していれば、傑作は傑作として認知されます。知られざる傑作には読者が足りなかったんです。充分に読まれなかったし、充分に解釈されなかった。(ウンベルト・エーコ)
当たり前と言えば当たり前の話ではあるが、作品はそれ単体では「傑作」には成れず、「読者の存在」と「読者による解釈」によって「傑作へと変わっていく」というわけである。
これは、作品に対する「評価」が変わる、というだけの話ではない。
おっしゃいましたね、今日我々が読んでいるシェイクスピアの戯曲は、書かれた当初よりきっと豊かになっている、なぜなら、それらの戯曲は、シェイクスピアが紙にペンを走らせて以来、積み重ねられた偉大な読みと解釈をすべて吸収してきたからだ、と。私もそう思います。シェイクスピアはたえず豊かになり、丈夫になりつづけているんです。(ジャン=クロード・カリエール)
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これは、「解釈」を吸収することで、「評価」だけではなく「作品そのもの」が変わっていく、という指摘だ。もちろんこの指摘は、「演じる者が存在する戯曲」だからこそ成立し得る可能性もある。紙に書かれたものが完成作ではない戯曲の場合、それを演じる者がいるお陰で、「解釈を吸収すること」が実際的に可能だからだ。
しかしより広義に捉えれば、紙に定着した作品も「解釈」を取り入れることで変わっていくと受け取ることも可能だろうと思う。様々な解釈が「作品の捉え方」を変え得るし、「捉えられ方の変化」は「作品そのものの変化」と考えていいのではないかとも感じる。
本の評価も、書物の存在価値も、どんどんと変遷していく。だからこそ、そこに絶対的な価値を見い出すのではなく、「『フィルタリングという機能』を優れて発揮するもの」と大枠で捉えておくのがいいのではないか。そんな風に思わされる作品だった。
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著:ウンベルト・ エーコ, 著:ジャン=クロード・ カリエール, 翻訳:工藤 妙子
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最後に
この記事で触れた話題はごく僅かであり、本書は実に様々な話題へとその触手を伸ばしていく。博覧強記としか言いようがないその知識量と、あらゆる領域へと話を展開させる縦横無尽の話術には非常に驚かされる。
「本」「インターネット」「電子データ」のような矮小的な領域の話に留まらず、広く「文化」をテーマにしている作品であり、知的好奇心を大いに刺激させられる一冊だ。
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