はじめに
この記事で取り上げる映画

この記事の3つの要点
- 陸軍内に秘密組織を抱え、さらに、大統領の死を契機に一層の権力拡大を目論むチョン・ドゥグァン
- 「軍人の鑑」と評され、誰もが羨むポストを「自分には相応しくない」と固辞するほど正義の人であるイ・テシン
- この2人が真正面からぶつかり合い、真夜中のソウル市内で近代国家とは思えない衝突を繰り広げる、ちょっと信じがたい史実である
自己紹介記事


韓国が軍事政権下に置かれるきっかけとなった「粛清クーデター」をリアルに描き出す映画『ソウルの春』はあまりに衝撃的だし、これが実話だとはとても信じがたい
とてつもない物語だったし、本当に驚かされてしまった。ただ、この「驚かされた」には少し説明が必要なので、そのこともあって、まずは内容の紹介から始めたいと思う。

ちなみにだが、本作『ソウルの春』は、最終的に韓国国民の4人に1人が劇場に足を運び、あの『パラサイト 半地下の家族』の観客動員数をも上回ったと公式HPには書かれている。凄まじく注目されたというわけだ。ただ、それだけ話題になった理由も分からないではない。というのも、本作では冒頭で「実話をモチーフにフィクションを交えた作品」と表記されるのだが、さらにその後で「国民に秘されていた事実」とも表示されたからだ。もちろん、本作で描かれている事実はノンフィクションなどで既に明らかにはされていたはずだが(映画が初出ではないという意味)、広く知られるようなメディアでは扱われてこなかったのだろう。本作は有名な俳優(私は知らないが)を起用したエンタメ映画であり、そんな作品で「韓国の秘された歴史」が描かれたことで多くの人に知られるようになったのだと思う。そしてそれは、韓国国民に改めて「衝撃」として受け入れられたに違いない。
「近代国家でこんなことが起こってしまうんだ」という意味で私も驚かされたし、韓国人以外の多くの人も圧倒されてしまうのではないかと思う。

映画『ソウルの春』の内容紹介
物語は、1979年10月26日の早朝から始まる。この日、前線に配備されていた者も含めた全軍人が招集命令を受けたのだ。もちろん誰もが「戦争か」と身構えたのだが、そうではなかった。「独裁者」と評されていたパク大統領が側近の中央情報部長に暗殺されたというのだ。そのため韓国は戒厳令を発令した。最大限の警戒態勢を整えたのである。

そしてこの事件は、国民の間で「民主化」を求める声が高まるきっかけともなった。それもあって、大統領暗殺事件の捜査にも国民の関心が集まることになる。ただ、暗殺事件の合同捜査本部長に就任した保安司令官チョン・ドゥグァンは恐ろしい野心を秘めた男だった。彼は陸軍内に秘密組織「ハナ会」の網を張り巡らせており、通常の指揮命令系統とは異なる形で、組織のあらゆる場所にチョン・ドゥグァンに対する忠誠を誓う人物を配していたのだ。そして彼は、大統領の死をきっかけに権力拡大をさらに推し進めようと目論んでいたのである。
一方、陸軍所属のイ・テシンは、参謀総長であるチョン・サンホから首都警護司令官に任命された。軍人の多くがこのポストを狙って熾烈な争いを繰り広げている。しかしそんな中、イ・テシンは当初この話を断ろうと考えていた。この大役に自分は相応しくないと思っていたからだ。しかし参謀総長は彼こそが「真の軍人」だと考えており、イ・テシンにも直接、「君のような無欲な人間にこそ引き受けてほしい」と何度も話していた。その度に固辞し続けていたイ・テシンだったが、最終的には、半ば強引に押し付けられるようにして首都警護司令官の任を引き受けることに決める。
しかしやはり、最大の問題は「ハナ会」だった。存在自体知られてはいたものの、秘密組織ゆえ実態が分からない。それでも、チョン・ドゥグァンのシンパが相当数いるはずだと目されていた。さらに、イ・テシンとチョン・ドゥグァンは、「軍人としてどうあるべきか」という点も含めまったく価値観が異なり、当然対立する関係にあった。そのため「状況次第では、首都警護司令官であるイ・テシンの命令を無視する者も出てくるのではないか」と危惧されていたのである。

さて、チョン・ドゥグァンはあらゆる手を使って権力の拡大を模索していた。その矛先は主に参謀総長に向いており、チョン・ドゥグァンはどうにか彼を取り込もうと画策していたのである。しかし、イ・テシンを首都警護司令官に任命するぐらいなので、参謀総長もまた実に高潔な人物であり、日本円で2億円に相当する裏金を差し出されても受け取らなかった。それどころか、チョン・ドゥグァンとその一派の動きがあまりにも目に余るため、彼らに対し”左遷”と言ってもいいような人事異動を命じたほどである。
これにより、多くのメンバーが要職を外された「ハナ会」は息の根を止められたはずだった。しかしチョン・ドゥグァンは諦めない。彼は起死回生のとんでもない計画を立てたのである。
さて実は、パク大統領が暗殺された現場には参謀総長もいた。その後の捜査により、参謀総長は暗殺とは無関係と判断されたのだが、今もなお捜査本部長の座にいるチョン・ドゥグァンはその権限を不当に行使し、「内乱幇助罪」で参謀総長を逮捕すると決めたのである。

ただし、単に参謀総長を逮捕しただけでは自分たちに火の粉が降りかかる可能性が高い。そこでチョン・ドゥグァンは、参謀総長の逮捕に関する裁可を大統領から得ようと考えた。とはいえ、裁可を得てから逮捕というのも不確定要素が多すぎる。なので彼は、「大統領からの裁可取得」と「参謀総長の逮捕」を同時並行で行うことにしたのである。というか、実際には参謀総長を拉致する計画を立てており、まずはどうにか参謀総長を排除し、それから事後的に大統領からの裁可が得られれば、後はどうとでもなると踏んでの決断だった。しかし少しでも歯車が狂えば武力衝突は確実、そうなれば「ハナ会」は反乱軍として逮捕されてしまうだろう。一か八かの大勝負というわけだ。
決行日は、組閣発表の前日である12月12日に決まった。当日彼らはまず、イ・テシンら3人を酒席に呼んだ。突発的な事態に対処出来ないようにするためである。そして参謀総長を拉致し、さらに、窮地に追い込まれた自分たちの未来を切り開くための最後の勝負として、チョン・ドゥグァンは参謀総長逮捕の裁可を得ようと大統領府へ向かうのだが……。

私が衝撃を受けた驚きのラストについて
それでは冒頭で触れた通り、私が本作の一体何に驚いたのか説明しようと思う。本作で扱われているのは「史実」であり、だから、本作について何を書いても本質的には「ネタバレ」にならないとは思うが、それはそれとして、「何も知らずに本作を観たい」という人もいるはずなので、そういう人はこれ以降の私の文章を読まないでほしい。ネタバレを気にしていると書けない点に触れているので。

さて、私が驚いたのは「反乱軍が勝ってしまったこと」である。こんな風に書くと、私の無知さに驚く人も多いかもしれない。「韓国が軍事政権下にあったことを知らなかったのか?」みたいに感じる人もきっとたくさんいるだろう。
いや、もちろんその事実は知っていた。ただ、「いつからいつまで軍事政権だったのか」みたいなことをきちんと把握してはいなかったのだ。「韓国が軍事政権下にあった」という事実を初めて知った時、私はなんとなく、「かなり昔の話だろう」みたいに考えていたのだと思う。本作は冒頭で1979年の出来事だと示唆されるのだが、私の中ではもう、「その頃にはとっくに軍事政権なんて終わっていただろう」ぐらいの認識だったのである。
また、私は1983年生まれなので、そう考えると、本作で描かれているのは私が生まれるほんの少し前の出来事ということになる。そして私は、その時点で韓国が軍事政権下にあったという事実をまったく認識出来ていなかったのだ。本当に、本作『ソウルの春』を観て初めてそのことをちゃんと理解したと思う。調べてみると、韓国はなんと1993年まで軍事政権下にあったのだそうだ。1993年は日本だと平成5年である。そんな頃まで軍事政権下に置かれていたなんて、ちょっと信じがたい。

そんなわけで私は、「なんだかんだ、最後はイ・テシンが勝つんでしょ?」と思いながら本作を観ていた。「こんなクソみたいな反乱軍が勝っちゃうわけがないし、だから何か大逆転が起こってイ・テシンが状況をひっくり返すはずだ」と考えていたのだ。だからこそ、「マジでこのまま反乱軍が勝っちゃうわけ!?」と驚かされたのである。そういう意味で言えば、本作を観ても、私が感じたのと同じようには驚かない人もたくさんいるだろうとは思う。
しかしその一方で、私よりも下の世代であれば、そもそも「韓国が軍事政権下にあった」という事実さえちゃんと認識出来ていない人が増えるのではないかと思う(この辺りは、歴史の授業で何をどう教わるか次第ではあるが)。だから、そういう人が本作を観たら、やはり私と同じように「反乱軍が勝っちゃうわけ!?」と衝撃を受けるはずだ。物語的なセオリーで言えば、どう考えたってイ・テシンが勝つはずである。まさに「実話を元にしているからこその展開」と言えるだろう。
というわけで、まず私は、「反乱軍が勝利を収める」という本作のラストの展開に衝撃を受けたのである。

あまりにも対照的すぎる2人、そしてあまりにも酷い対応を取る様々な人物
本作には、「ハナ会」のメンバーが密室でやり取りする場面も多いのだが、映画冒頭で「フィクションも含まれている」と表記されていたし、描かれていることのどこまでが事実なのかは分からない。そもそも、クーデターを起こした側である「ハナ会」のメンバーが、当時のことについて語ることはなかなか無いんじゃないかとも思う。というわけで私は、「調べても分からない部分をフィクションで埋めた」みたいな捉え方をしている。
ただいずれにしても、本作の主人公である2人、イ・テシンとチョン・ドゥグァンの人物描写に関しては概ね事実に沿っていると考えてもいいんじゃないかと思う。そしてこの2人は、本作で描かれている通りだとするなら、とにかくあまりにも対照的なのだ。

イ・テシンはまさに「軍人の鑑」とでも言うべき人物であり、いつどんな場面にあっても「大多数から支持を受けるだろう『圧倒的な正しさ』」を貫いている。そしてそれでいて、「正義過ぎて融通が利かない」みたいな感じでもなく、目の前にいる人を見ながら全体が正しい方向に進むように自らの行動を律してもいるのだ。さらに彼は、「ここぞ」という場面では「絶対に自分の信念を曲げない」と押し切る強さも持っており、誰もが「こんな人が上司だったら頑張って働くだろうなぁ」みたいに感じる存在ではないかと思う。

一方のチョン・ドゥグァンは、まあとにかく酷かった。「酷い」なんて表現では足りないぐらいの酷さである。彼が考えているのは「己の権力」だけであり、状況を打破するためだったら口八丁の嘘も平気でつく。「どんな手段を取ろうが、勝者こそが正義である」という価値観しか持っていないため、「勝つためなら手段を選ばない」という圧倒的なえげつなさに溢れているのだ。
あまりにも対照的すぎる2人である。そして、そんな「圧倒的な正義」と「圧倒的な悪」がぶつかった末に「圧倒的な悪」が勝ってしまうというのが本作の展開(というか史実)であり、その事実に絶望させられてしまった。本当に嫌な世の中だなと思う。
本作では、後半が丸々「粛清クーデター(12.12軍事反乱)」の描写に使われている。そして、どこまでが事実でどこまでが映画的な演出なのかは分からないものの、作中では何度も「あと一歩」という状況が描き出されていた。「あの時あいつがあんなことをしなければ」「あそこであんなことを言う奴がいなければ」みたいなことが何度も起こるのである。本作を観ている限りにおいては、確かにチョン・ドゥグァンが最終的には勝利を収めたものの、何かがほんの少し違っていればクーデターは失敗に終わっていたはずだと思う。

状況の変転を見ながら私は、「イ・テシンにとってはやはり、『参謀総長の拉致によって指揮系統が混乱したこと』が大打撃だったのだろう」と感じていた。軍の組織形態について詳しくない私でも、「参謀総長の逮捕の裁可を大統領に求める必要がある」のだから、参謀総長が陸軍内で相当な地位にあることぐらい理解できる。それにそもそも、イ・テシンを首都警護司令官に任命したのも、チョン・ドゥグァン率いる「ハナ会」のメンバーを左遷させたのも、参謀総長の決断なのだ。そんな人物を逮捕(というか拉致)しようというのだから、まさにこれはクーデターでしかない。
そして参謀総長が拉致されたことで、陸軍ではとにかく指揮命令系統が乱れに乱れた。そのこと自体ももちろんイ・テシンを苦しめただろう。しかしもっと酷かったのが、参謀総長不在の際に代理を務める立場らしい参謀次長である。彼があらゆる場面で訳の分からないことを言ってこなければ、恐らくチョン・ドゥグァンらのクーデターは失敗に終わったはずだ。
本作での描かれ方だけを見れば、参謀次長はとにかくイカれているようにしか思えないだろう。ただ、本作はあくまでもエンタメ映画であり、多くの人の心を打とうとするなら、イ・テシンを英雄として分かりやすく描き出す方が良いはずなので、そういう意図から「本作では参謀次長を敢えて悪く描き出している」みたいな可能性もあるかもしれない。ただ、参謀次長がアホなことをしなければクーデターは恐らく成功しなかったわけで、この辺りの描写も概ね事実に沿っていると受け取るのが妥当ではないかとも思う。

さらに本作には国防長官も登場するのだが、こちらもまあ酷かった。国防長官は陸軍を含めた国軍のトップなのだが、クーデターが起こってからずっと所在が分からなかったのだ。ただそのこと自体は、あくまでも結果的にではあるが、状況にプラスに働いたと言えるかもしれない。しかし、姿を現した後も結局何もしないし、何もしないどころか邪魔ばかりしていた。マジで、参謀次長と国防長官の2人がいなかったら(というか、この2人がそれなりにまともな人間だったら)チョン・ドゥグァンらの計画は成功しなかったはずなので、本当に酷かったなと思う。
そんなクソみたいな上司を抱えながらも、イ・テシンはどうにかやれる範囲で最善を尽くそうと努力し続けるのだが、やはり無理なものは無理だった。とにかく、あまりにもイ・テシンが可哀想で見ていられない。そして先述した通り、普通の物語であれば、「正義の象徴」みたいな存在であるイ・テシンが負けるはずがない。しかし本作では、そんな彼が敗北を喫してしまうわけで、その事実にとにかく驚かされてしまった。

その他の感想、そして日本映画に対して思うこと
さて、映画全体の感想としてまず書いておきたいことは、「冒頭からしばらく状況把握が困難」ということだろう。何が起こっているんだかさっぱり分からないのだ。さらに、出てくるのは軍人ばかりだし、有名な俳優でも私は知らなかったりすることも多いので、「そんな軍人の中で誰に注目すべきなのか」を捉えることも難しかった。しかし次第に、イ・テシンとチョン・ドゥグァンの2人に焦点が集まるようになるし、そうなって以降の物語を把握することはむしろ容易と言っていいのではないかと思う。

ただし、状況把握の難しさは、クーデター発生以降の展開に対しても感じた。本作で描かれる争いは「陸軍内での権力争い」であり、誰がイ・テシン派で誰がチョン・ドゥグァン派なのかがよく分からなかったのだ。クーデター発生時点でそれなりに描かれていた人物はもちろん分かるが、クーデターが始まるとさらに登場人物が一気に増えるので、誰がどちら側として動いているのかが見えにくいのである。ただ恐らく、この辺りのことについては韓国の人が観ても把握は難しいんじゃないかと思う。そもそも複雑な話なので、ある程度理解を諦めつつ観るのが正しい鑑賞姿勢な気はする。
また、物語の展開的な話でいえば、「ソウル市の中心で戦争が勃発しそうになっている」という部分に驚かされた。たぶんだが、日本で言えば防衛省がある市ヶ谷周辺みたいなイメージなんだろうし、本作ではそんな場所に戦車が大挙して押し寄せるのである。夜中に起こった出来事だとはいえ、近くの住民はその様子を目撃しているわけで、そんな衆人環視の中でこんな状況が展開されたと考えると凄いなと思う。

さらに、「とっくに覚悟なんか出来ている」と呟いたイ・テシンが用意していた飛び道具にも驚かされてしまった。詳しくは触れないが、「なるほど、だからあそこにあんなシーンがあったのか」と納得したぐらいである。脚色されているとはいえ、史実をベースにした作品にここまでビックリさせられることはなかなかないし、改めて、起こった出来事の凄まじさを実感させられる思いだった。
それでは最後に、日本映画に対して思うことに触れて終わろうと思う。
私は「実話を元にしたフィクション」を結構観るのだが、ハリウッド映画でも韓国映画でも、「自国の恥となるような史実」を描く作品は結構ある。本作『ソウルの春』と近い時代を描いた作品だけでも、『タクシー運転者』『1987、ある闘いの真実』など、軍事政権下における惨劇を描き出す映画があるし、また、ドイツが制作しているものだけではないだろうが、「ホロコースト」を扱った作品は非常に多い。



では、日本映画に同じようなタイプの作品はあるだろうか? もちろんそういう映画もあるとは思うが、「有名俳優が出演する、お金を掛けた大作」として世に出ることはあまりないように思う。日本でも、ドキュメンタリー映画では色んなテーマが扱われているが、「広く観てもらうことが大前提のエンタメ映画」の中で「自国の恥」が取り上げられることは少ないというのが私の印象だ。

これがもし、「被害者への配慮などが理由で作られていないだけ」みたいなことなら理解できるのだが、恐らく日本の場合そうではない気がする。単に「日本国民が歴史や社会に興味を持っていないだけ」だろう。もっと正確に言えば、「映画を制作する側が『歴史や社会なんかを扱った映画はヒットしない』と考えている」ということなのだと思う。そして私にはそのことが、「国家としてのレベルの低さ」に感じられてしまい、少し悲しい。本作『ソウルの春』のような映画が自国で作られ、大ヒットするぐらいの国であってほしいなと思っている。
「日本は素晴らしい国である!」みたいなナショナリズムも別にいいが、一方で、どんな国にだって「汚点」ぐらいはあるだろう。そしてそれらに光を当て、検証し、同じことが起きないようにするというのも、近代国家の一員としては求められているはずだ。

ここ最近の日本映画でそういう作品がパッと頭に浮かばないことは残念だし、アメリカや韓国との非常に大きな差であるようにも感じられてしまう。「エンタメなんだからスカッと楽しみたい」みたいな気持ちを抱くのは当然だとは思うが、やはりもう少し、歴史や社会に興味を持つ人が増えた方がいいんじゃないかと、本作には直接関係ない感想を抱いてしまった。


最後に
本作『ソウルの春』は、とにかく凄まじい作品だったなと思う。何にせよ、これが実話であるということに驚かされるし、フィクションが混じっていることは分かっているが、作中の人間ドラマにも圧倒させられてしまった。ほぼ男しか出てこないメチャクチャ男臭い映画で、それだけを取り出したら私の好みではない。ただ、2時間半の上映時間中ずっと惹きつけられてしまったほど素晴らしい作品だった。


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