【情熱】選挙のおもしろ候補者含め”全員取材”をマイルールにする畠山理仁の異常な日常を描く映画:『NO 選挙, NO LIFE』(前田亜紀監督)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「NO 選挙, NO LIFE」公式HP

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この記事の3つの要点

  • 取材経費が原稿料を上回るとしても、「候補者全員取材」を止めない、コスパ・タイパとは無縁の男
  • 珍妙な主張をする「泡沫候補」の魅力と、そんな彼らにある種の共感を抱く畠山理仁
  • 旧NHK党の実に強かな戦略には驚かされるし、好きにはなれないが切れ者だとは感じる

止める止めると言いながら、いつまで経っても選挙取材を止められない畠山理仁の「選挙愛」に圧倒されてしまった

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『NO 選挙, NO LIFE』は、選挙取材に取り憑かれたライター・畠山理仁の”異常さ”に満ち溢れた、選挙愛満載の作品だ

「全員に取材しなければ記事にはしない」という畠山理仁の異常さ

いやホントに、世の中には”イカれた人”がいるものだなぁと改めて感じさせられた。これは褒め言葉だ。こんな生活、普通は出来ない。何せ、「平均睡眠時間2時間」だというのだ。既婚者で子どももいるのに、選挙取材ばかりしているから睡眠時間を削るしかないという、常軌を逸した生活をずっと続けているのである。

驚くべきは、その取材スタイルだろう。畠山理仁は、国政選挙や地方選挙、なんなら海外の選挙と、「選挙」と名が付けばどこにでも飛んでいくのだが、その際に、「候補者全員を取材しなければ記事を書かない」というスタンスを取っているのだ。いわゆる「泡沫候補」と呼ばれる人たちも含めた「全員」である。「取材をするために、原稿を書く時間が取れない」と言っていたり、原稿料より取材経費の方が高く付いたりもして、何のために取材をしているのか分からない状態になることも多い。しかしそれでも、自身スタンスを崩さずに取材を続けているというのだから、まさしく”変人”だと思う

「全員に取材しなければ記事にしない」というルールが驚くべき形で発揮された場面がある。参議院議員選挙を取材した時のことだ。全候補者34人の内33人の取材は、公示日から5日間で済ませることが出来たのだが、あと1人が問題だった。というのも、その候補者は都内にいなかったからである。

取材できていない最後の1人は参議院議員の蓮舫で、彼女は自身の選挙活動を棚に上げて地方へと出向き、仲間のための応援演説に精を出していたのだ。だからある日畠山理仁は、蓮舫の取材をするためだけにわざわざ2時間半掛けて長野まで出向き、たった20秒の取材を終えてまた東京に戻った。コスパ・タイパの対極にいるような男なのである。

本作は、そんな人物に密着するドキュメンタリー映画というわけだ。

本作は大雑把に、前後半で内容が分かれていると考えていいだろう。前半では2022年6月23日に公示日を迎えた参議院議員選挙が、そして後半では2022年に行われた沖縄知事選が取り上げられている。後半の沖縄知事選については、ダースレイダーとプチ鹿島が監督を務めた映画『シン・ちむどんどん』でも扱われていた。そういえば、本作『NO 選挙, NO LIFE』を観て思い出したが、『シン・ちむどんどん』の冒頭に畠山理仁が出ていたように思う。そして畠山理仁は本作の冒頭で、ダースレイダーとプチ鹿島が初めて監督を務めた映画『センキョナンデス』のTシャツを着ていた。どちらの作品も、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』で有名な大島新がプロデューサーを務めているし、『NO 選挙, NO LIFE』のエンドロールには「ディレクター:ダースレイダー」と表記されたので、普段から双方に何らかの繋がりがあるのだろうと思う。

「選挙」というのは普通なかなか「エンタメ」にはなりにくいものだが、今名前を挙げたような作品は、「選挙をエンタメとして楽しむ」ようなものが多いので機会があれば是非観てほしいと思う。特に映画『センキョナンデス』は、否応なしにセンシティブなテーマを扱わざるを得なくなりはしたものの、全体的には「選挙を積極的に楽しむ」というスタンスで作られており、選挙に関心を持つきっかけとして最適と言えるだろう。

珍妙な主張を繰り広げる「おもしろ候補者」、そして選挙の「不思議なルール」

それではまず、前半の参議院議員選挙の話から始めよう。ここで主に取り上げられるのは「泡沫候補」たちである。「没収されるかもしれない大金を払ってでも選挙に出て、何かを訴えたい」と考える人たちのことだ。

最も驚いたのは、「私は超能力者なんですよ」と言っていた人である。見た目は「とても真面目そうなオジサン」なのだが、言っていることはとにかく無茶苦茶だった。例えば、「ベルリンの壁の崩壊は、ちょっとだけ僕が原因だったりもするんですよ」みたいなことを言ったりするのだ。なかなか凄まじい世界線を生きている人だなと思う。

また、「トップガン政治」を掲げて出馬していた人も興味深い。この人の場合は主張内容というより、バッティングセンターのくだりがとにかく謎だった

畠山理仁の取材に対して「バッティングセンターに行く」みたいな受け答えをしている場面がある。畠山理仁としてももちろんまったく意味不明なので、さらに突っ込んで話を聞いてみると、「時速170kmのボールを打てる」みたいなことを言っているようだ。

「だからどうした」みたいな感じなのだが、こんな話をしていた理由についてもちゃんと説明されている。その候補者は、「『どれだけ大変なことでも、努力し続ければ必ず出来るようになる』ということを伝えたくて出馬した」というのだ。まあ、そう説明されたところで「???」という感じなのだが、いずれにせよ、そのようなことを真面目に主張しているのである。

さてこの候補者、確か60代前半とかだったはずなので、当然私は「時速170kmの球なんか打てるわけない」と思ったし、畠山理仁もそう感じていたはずだ。しかし本作『NO 選挙, NO LIFE』はなんと、この候補者と畠山理仁がバッティングセンターに行くという展開で終わる。果たして彼は時速170kmのボールを打てるのだろうか?

畠山理仁はこのように、「泡沫候補」も含めて取材を行っている。そして彼の発言からはむしろ、そのような「泡沫候補」に惹かれて取材を続けているように感じられるのだ。

「決まったことなんてないんだな」ということを知りたいのかなぁ。「こんな人がいたんだ」って思いたいのかも。毎回宝探しみたいだし、毎回お宝に出会えている。

また、「泡沫候補」に共感してしまう部分さえあるのだそうだ。

立候補している人たちと自分は、似てるところがあると思う。誰にも求められていないのに自分がやりたいからやってる、みたいなところとか。そういう、共感してしまうような気持ちはたぶんあるんだと思う。

こんな風に感じているからこそ、コスパ・タイパを完全に無視した取材を続けてしまうのだろう。

さて、この選挙には子育て中の母親も出馬していたのだが、彼女の話もとても興味深かった。と言っても彼女は、決して「珍妙な主張」をしていたわけではない。公職選挙法の「選挙期間中は、18歳未満の者と選挙運動をしてはならない」という決まりに疑問を呈していたのだ。

その女性は、未就学児だろう子どもと一緒にいたのだが、公職選挙法では、「子どもを連れて選挙運動をしてはならない」ことになっている。しかしそうなると、「子育てしている人が選挙に出られない」ことになるはずだ。まあ恐らく、「子どもの可愛さを利用するのはけしからん」みたいな理由で作られたのだろうが、やはり時代にそぐわないルールと言っていいだろう。

日本の選挙については、「供託金が高すぎる」という問題があることは知っていた。多くの先進国では供託金制度は存在しないし、制度がある国と比較しても日本の金額は高すぎるのだ。この仕組みは多様な人々の立候補を阻む現実を生んでいるわけだが、「選挙期間中は、18歳未満の者と選挙運動をしてはならない」というルールも同じだと思う。こういう仕組みになっているから選挙がどんどんつまらなくなるのだし、「立候補して政治を変えよう」みたいな若者が出ててきたりもしないのである。日本の政治家は、早くその辺りの「古さ」を自覚して改善した方がいいと思う。

旧NHK党の巧妙な戦略には驚かされた

この記事を書く少し前に、「旧NHK党が破産」というニュースが視界に入った。まあ、NHK党の行く末などには特に関心はない。しかし、本作『NO 選挙, NO LIFE』で映し出される旧NHK党(本作撮影時には「NHK党」として活動していた)の戦略には驚かされてしまった

前半で映し出される参議院議員選挙では、「『珍妙』というほどではないが、『非常に狭い特殊な主張』を掲げる候補者」も多数取り上げられる。本作では「ワン・イシュー候補者」と呼ばれていた。例えば、「バレエなどの芸術分野の人がお金を稼げるようにしたい」「全国で炭を作りたい」などである。そして興味深いことに、彼らの多くが「NHK党」から公認をもらっていたというのだ。

畠山理仁にもその理由は分からなかったようで、候補者に直接事情を聞いていた。そしてその中である候補者が、「個々人の票がNHK党の票として集約されることで国からの補助金が増え、それが一定程度候補者に分配される仕組みになっているので、供託金の300万円が没収されても多少は損失を取り返せる」みたいなことを言っていたのだ。この話を聞いた時には正直意味がよくわからなかったのだが、その後より詳しい説明がなされる。実は、本作で取り上げられる参議院議員選挙では暴露系YouTuberのガーシーが当選しており、その当選発表会の取材の中で党首の立花孝志が語っていた話を聞いて、なんとなく状況が理解できたというわけだ。

まずそもそもだが、「国政政党」として認められるかどうかで国からの補助金の額が桁違いに変わるのだという。しかし、「国政政党」と認められるには、得票数が2%を超えなければならない。これは、歴史の浅い政党にはかなり厳しい条件だ。そこでNHK党は、「ワン・イシュー候補者」を公認にすることで、彼らに集まった票もNHK党の得票数としてカウント出来る状況を整えた。そしてそのお陰で、見事「国政政党」の条件である得票数2%を達成できたのである。

NHK党は最終的に、ガーシー以外に72人もの候補者を公認したという。話を聞く限り、もの凄くグレーゾーンなやり方に思えるのだが、しかし恐らく「違法」ではないのだろう。そう考えると立花孝志というのは、「ルールの範囲内でどういう戦略を取るべきか」について頭が回る人なのだと思う。個人的には決して好きにはなれない人物だが、切れ者だとは言えるだろう。

他にも、NHK党のやり方に感心させられる場面があった。取材中にNHK党のポスター貼りをしている男性から聞いた話なのだが、「NHK党に所属しているわけではない人物を公認した場合、ポスターには『NHK党公認』とは書かない」という方針が出されているそうなのだ。一見するとどんな意図があるのか不明だが、畠山理仁はその理由を次のように推測する

「NHK党公認」と書いてしまえば、「NHK党が公認しているから投票した」のか「彼らが主張する『ワン・イシュー』に共感して投票した」のか判別が付かない。一方、「NHK党公認」と表記しないことで、「世間的にどの『ワン・イシュー』がウケるのか」が得票数から判断出来る。つまり、「NHK党は、税金が使われる『選挙』を利用して『市場調査』を行おうとしているのではないか」というわけだ。なるほどと感じる見方だと思うし、彼のこの推測がもし正しいとするならば、頭の良いやり方であることは間違いない。

沖縄の特殊な選挙事情

さて、後半で映し出されるのは沖縄知事選である。候補者は3人おり、その選挙戦の様子ももちろん追っているのだが、作中で焦点が当てられていたのはむしろ「沖縄独特の選挙事情」であるように感じられた。

例えば公職選挙法では、「候補者がその場にいない場所でのぼりを設置すること」が禁止されている。しかし取材の最中、候補者の1人である佐喜真淳ののぼりが、あちこちの電柱に無数に設置されている様子が目についた。もちろん、公職選挙法違反である。しかし何故か、沖縄では見逃されているようだ。

あるいは沖縄では、「候補者ではない市民が、候補者の代わりに街中で”勝手に”応援演説を行う」みたいな姿もよく見られるという。これも公職選挙法違反のようなのだが、先程ののぼりと同様、沖縄では許されているようである。

住宅街で”勝手に”演説を行っていた一般市民の女性に話を聞いてみると、どうやらアメリカによる統治下の名残なのだそうだ。彼女は、「アメリカによる統治は大変だったけど、選挙の仕組みだけはアメリカの名残が残っていて良かった」と話していた。「そういう背景があるから、国としても取り締まりにくい」みたいなことなのかもしれない。公職選挙法は、ちょっと違反しただけでテレビなどでかなり取り上げられるぐらい厳しい印象があるので、沖縄のこの”ユルさ”には驚かされた。まあいずれにせよ、「選挙に無関心」よりは圧倒的にマシだと思う。

また畠山理仁は沖縄で、「立候補しようかどうしようか悩んだ末に、結局しなかった人物」にも取材をしていた。「候補者全員取材」はまだ理解できるとしても、「結局立候補しなかった人」にまで取材するとは、やはり「変人」という他ないだろう。とにかく「選挙に取り憑かれている」と言える人物であり、「選挙に関するあらゆることを掘り下げなければ気が済まない」のだと思う。

本当に、良い意味で”イカれた”人物がいるものだと感じた。

最後に

作中には、畠山理仁の家族も少しだけ出てくる。取材をしている様子からは「しっかりした人」に見えるのだが、家では全然きっちりしていないのだそうだ。妻は夫について、「普通の会社勤めをしていたら絶対皆さんにご迷惑をお掛けする」「好きなこと以外は何も出来ない人なんだと思う」と、呆れつつも理解するみたいな形で夫の仕事を応援していた。もちろん、夫の仕事の重要性も理解している。「誰かがやらないといけないことをやっている」「公平でいることは大変だろうけど、それをずっと続けている」と、取材者としてのスタンスをかなり高く評価しているのだ。このような理解者あっての活動なのだなと思う。

畠山理仁は撮影のカメラに向かって、「今回で選挙取材は最後かなぁ」「この知事選の取材は『卒業旅行』みたいなものです」と、繰り返し「選挙取材から足を洗う宣言」をしていた。しかしやはり、そんな風にはならなそうである。なかなか難儀な人だなと感じるが、だからこそ面白いとも言えるだろう。続けられる限り、頑張ってほしいものである。

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