【挑戦】手足の指を失いながら、今なお挑戦し続ける世界的クライマー山野井泰史の”現在”を描く映画:『人生クライマー』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:山野井泰史, 出演:岡田准一, 監督:武石浩明, プロデュース:大久保竜, プロデュース:松原由昌, プロデュース:津村有紀, プロデュース:石山成人, プロデュース:塩沢葉子

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この記事の3つの要点

  • 手足の指を失った山野井泰史が単独登攀に成功した「ポタル北壁」に3人の中国人クライマーが挑むも、彼らは幾度も失敗し続けた
  • 憧れ続けたクルティカと、そんなクルティカでさえ断念したマカルー西壁が、山野井泰史の人生の指針となった
  • ある意味で「クレイジー」な山野井泰史の母親の言動は、子どもの可能性を狭めない素晴らしいものだと感じた

あらゆる場面で「凄い」という言葉しか出てこない、とんでもない生き方をしてきた男の生涯を体感してほしい

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『人生クライマー』で描かれる、世界的クライマー・山野井泰史の凄まじい生き様

私が観たのは、ヒューマントラストシネマ渋谷で行われた「TBSドキュメンタリー映画祭2022」で上映されたものだ。その後この映画は、『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』という名前で、改めて劇場公開された。「完全版」の方は観ていないので内容がどう違うのか分からないが、以下の記事の中で何かおかしいと感じる記述がある場合、「『完全版』ではないバージョンの感想だからかもしれない」と判断して欲しいと思う。

クライミングの世界に詳しくない人でも、山野井泰史の名前ぐらいは聞いたことがあるのではないだろうか。世界的に知られたクライマーであり、私もなんとなくだがその存在は知っていた。2021年には、登山界で最も権威あるフランスの賞「ピオレドール賞生涯功労賞」を受賞している。これまでに同賞を受賞した者たちも、有名なクライマーばかりなのだそうだ。

しかし、そのように説明されたところで、なかなかその凄さを理解できはしない。そこでまず、映画『人生クライマー』で描かれるある場面から、いかに山野井泰史が凄まじいクライマーであるのかを説明してみたいと思う。

手足の指を失った山野井泰史が挑戦した中国の山の話から、彼の凄まじさを理解する

映画の中で、「ポタル北壁」についての描写がある。かなり難易度の高い中国の岩壁だそうで、その単独登攀に山野井泰史は2005年に成功した

さてその後、山野井泰史が登った「ポタル北壁」のルートに挑戦した者の話が出てくる。中国人3人のクライマーチームだ。彼らの実力のほどは不明だが、そもそも「ポタル北壁へのチャレンジ」自体、相当高いレベルを要求されるとのことなので、かなり高度な技量を持つ者たちなのだと思う

そんな彼らが3人で協力して登攀に挑んだにも拘わらず、2013年の初挑戦の際は失敗してしまった。その後、2020年までの7年間に5度挑戦し、5度目でようやく成功したのだそうだ。そんなルートを山野井泰史は、たった1人で登っているのである。

しかし驚くのはまだ早い。山野井泰史は2005年の挑戦時点で既に、なんと手足の指を失っていたのだ。

その事故は2002年に起こった。山野井泰史は、妻の妙子と共に、ヒマラヤの難峰「ギャチュンカン」に挑んだ。登頂には成功したものの、彼らは下山途中で雪崩に巻き込まれてしまう。生死も危ぶまれる状況だったが、山野井夫妻は凄まじい忍耐力で下山を果たした。しかしその過程で彼は、両手の薬指・小指、そして右足のすべての指を失ってしまったのである。

そしてその状態で、2005年の「ポタル北壁登攀」を成功させているのだ。繰り返すが、3人のクライマーが何度も失敗したのと同じルートを単独で、しかも手足の指を失った状態で登り切っているのである。

このエピソードだけで、いかに山野井泰史が凄まじいクライマーであるかが理解できるだろう。そういう男に密着したドキュメンタリーなのである。

「単独登攀」への強いこだわり

山野井泰史は、「他のクライマーと何が違うのか?」と問われて、「単独での登頂にこだわっていること」と答えていた。彼曰く、8000m級の山に単独で挑むクライマーは、世界を見渡してみても5~6人程度しかいないのだそうだ。

しかし、映画撮影のためにカメラが密着し始めた時点で、山野井泰史は単独登攀を止めていた。「手足の指を失ったからだろう」と思うかもしれないが、2005年に「ポタル北壁」を単独登攀しているからそれは違う。本当の理由は、俄には信じがたいものだ。彼は奥多摩の自宅近くで熊に襲われたことがあり、その際に鼻を怪我してしまった。それにより鼻呼吸がしづらくなり、今までのようには高地順応が出来なくなってしまったという。この出来事を機に、単独登攀を止めたと語っていた。

しかし、その話を知った上で、監督が改めて「なぜ単独登攀を止めたのか?」と問う場面がある。山野井泰史は、思い悩むような長い沈黙の果てに、こんな風に答えていた

一人で登る孤独に耐えられなくなったのかなぁ。

本人も、それが本当の気持ちなのか分からないと言った雰囲気で喋っており、どこまで本心なのか分からない。ただ彼は、

あれほど強い孤独を、他の行為で経験することってあるのだろうか。

とも口にしており、こちらの実感については間違いなく嘘偽りのないものだろうと感じた。

映画を観ているだけの観客も、その「孤独感」をなんとなく感じることができる1000mもあるような岩壁や氷壁を、身一つで登っていくのだ。映画では、高校を卒業したばかりの山野井泰史が、進学も就職もせずにアメリカ・ヨセミテの岩壁を登ったエピソードも紹介されていた。その時は、途中でビバークを繰り返しながら、頂上まで8日掛かったそうだ。最後の3日間は碌に食料もなかった、と。それはとんでもない「孤独」だろうし、「その孤独に耐えられなくなった」というのも、理由の1つとして分からなくもない

ただ、別の場面で監督が「また単独登攀に挑戦したい気持ちはあるか?」と問うた時には、

ある。頭おかしいんだよね。でも、ヤケクソじゃなくて、冷静に考えてみても、またやりたいって思うんだよな。

と答えていた。やはり、その達成感はとんでもないものなのだそうだ。一度経験したら、忘れられないのだろう。

映画の中である人物が、「単独登攀で命を落とす者が毎年必ずいる。それが分かった上で、どうして単独で挑もうとするのか、山野井さんに聞いてみたい」と語っていた。それを踏まえて山野井泰史はこう答える

全部自分でやったんだって思いたいんじゃないかな。俺はそう。少なくとも、記録を狙ってるとか、そんなんじゃないと思うよ。

これはこれで納得しやすい理由ではある。しかし、若い頃に撮られた映像では、また違った答え方をしていた

毎回答えが違うんだけど、2人より3人より、充実感が大きいでしょ。
あと、1人の方が怖いでしょ。技術的にも難しい。その方が充実感があるよね。
あと、これはどうかなと思うんだけど、他人のことを信用してないっていうかね。
自分1人で登ってる分には落ちないし、死なないって思う。

「1人の方が落ちない」という話も興味深いが、やはり「1人の方が怖いから充実感がある」という感覚に惹かれた。まったく理解できないわけではないが、私の中にはない感覚なので、とても興味深い

「1人の方が落ちない」についても、山野井泰史は「自分ほど慎重なクライマーはなかなかいない」と口にしていた。妻の妙子も、「身体能力という意味で言えば泰史よりレベルの高い人はいるだろうけど、登攀を成功させるために必要な準備・トレーニングについて考える力は、誰よりも優れていると思う」と語る。その自信があればこそ単独登攀に挑めるのだろうし、指を失ってからも挑戦を続けられるのだと思う。

憧れのクルティカとマカルー西壁

そんな山野井泰史が、「自分と同じくらい慎重で驚いた」と語るクライマーがいる。若い頃から憧れ続けたクルティカだ。クルティカは、山で一度たりとも怪我をしたことがないという。捻挫さえ経験がないというのだから、尋常ではない。

山野井泰史がクルティカと併せて名前を覚えているのが、「ヒマラヤ最後の課題」とも呼ばれているマカルー西壁だ。その存在を雑誌で知った彼は、「あのクルティカでさえ断念した」という事実に衝撃を受け、以来、いつか必ず挑戦すると誓った。山野井泰史はマカルー西壁のことを「完璧な課題」と呼んでいる。未だに、最小限の装備のみで登る「アルパインスタイル」でマカルー西壁を攻略した者はいないのだそうだ。

そんなマカルー西壁に、ようやく挑戦する時がやって来た。彼がその準備のために荷物のパッキングをしている際、監督が「生きて戻って来られると思いますか?」と問う。この質問に対する答えが、この映画で一番好きな場面だ

死ぬかもしれない、と結構思ったりしますけど、「死ぬかもしれない」っていうのが重要なんですよ。それがなかったら面白さが半減してしまう。
生きて戻って来られることが確実なら、最初から行かないよ。

この答えには共感させられた。別に私は、山に登るわけでも、命を懸けるような挑戦をしているわけでもない。ただ、先の山野井泰史の答えは、「『うまくいくと分かっていること』はつまらない」と要約できるだろうし、その感覚は私の中にもある。「失敗する可能性」があるからこそ面白いのであって、やる前から成功が約束されていることなど、そもそもやる必要性が感じられない

しかし、時代はどんどん逆の方向へと進んでいるように思う。飲食店選びでもエンタメ探しでも、レビューやら星の数やらを熱心に調べて、「失敗しないかどうか」を確かめる人が多いだろう。私は、そのような風潮にまったく共感できない。本当にみんな、「『面白いことが分かっていること』を面白いと感じる」のだろうか? 私にはちょっと信じられない。だから、生き方こそまったく異なるものの、山野井泰史のこの言葉には、大いに共感してしまった。

山野井泰史のアルピニスト人生は、クルティカとマカルー西壁に導かれたと言っても過言ではない。そしてもう1つ、彼の人生に大きく関わった人物を挙げるとするなら、母親だろう

山野井泰史の母親の凄まじいエピソードと、卒業文集での宣言

山野井泰史の母親は、間違いなく彼の人生に大きく影響を与えたと思う。

先程、「山野井泰史は高校卒業後、進学も就職もしなかった」と書いた。「そんな生徒は、数百人いる卒業生に1人もいない」と、担任の教師が母親に電話をしてきたことがあるという。それに対して母親は、「息子が山登りをしたいというなら私は止めない」と言い返したそうだ。犯罪に手を染めようとしているのならともかく、そうでないなら息子の自由にやらせるつもりだ、と。ここまで息子を信頼し、背中を押すことができる親はなかなかいないだろう。彼女の存在は山野井泰史にとって非常に重要だったと言っていいと思う。

また、こんなエピソードもある。山野井泰史が手足の指を失った直後のことだ

山野井泰史・妙子夫妻は同じ病院に入院しており、山野井泰史の母親は毎日のように病室を訪れていた。そしてその際妙子に、「泰史はまた山に登るよね?」と聞いたのだそうだ。もちろんこれは、「また登ってほしい」という希望を込めた問いである。

普通に考えれば、死の危機に瀕し、手足の指を失った者が、これまでと同じように登攀を続けられるなどとは考えもしないだろう。山野井泰史自身も入院中は、「もう登るのは無理だろう」と考えていたと語っていた。本人でさえ諦めていた時期に、「息子には山登りしかないのだから、また山に登る人生に戻って欲しい」と考える母親は、相当にクレイジーだと思う

親が子どもの未来を制約しないことで生まれる可能性について、強く考えさせられたエピソードである。

さて、山野井泰史は小学生の頃の卒業文集で、「無酸素でエベレストに登頂する」と宣言していた。彼がそう書いた当時、無酸素での登頂はまだ達成されていなかったようであり、「自分が世界で初めて成し遂げるんだ」という気持ちを抱いていたのだという。映画を観た後で調べてみると、どうやら彼が文集にそう書いた直後に、世界初の無酸素でのエベレスト登頂が達成されたようだ。山野井少年としてはさぞ残念だったことだろう。しかし、少年の頃に抱いた夢の世界に今も生き続けているのだから、非常に幸せな人生だと言っていいと思う。

出演:山野井泰史, 出演:岡田准一, 監督:武石浩明, プロデュース:大久保竜, プロデュース:松原由昌, プロデュース:津村有紀, プロデュース:石山成人, プロデュース:塩沢葉子

最後に

山野井泰史は映画の冒頭で、こんな風に語っていた

山で生きていこう、などと思ったことは一度もない。登山で生きていこうなんて考えたこともなかった。

彼が考えていたのは、「半年後にあの山に登りたい」「1年後にあの山に挑戦したい」ということだけだったそうだ。そういうことだけを頭に浮かべながら、今日まで生きることができた。とても素敵な人生だと思う

そろそろ肉体的な限界が来るだろうが、それは決して残念なことではない」と語る山野井泰史には、まだまだ秘めた野望がたくさんありそうだ。

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