【無謀】園子温が役者のワークショップと同時並行で撮影した映画『エッシャー通りの赤いポスト』の”狂気”

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:藤丸千, 出演:黒河内りく, 出演:モーガン茉愛羅, 出演:藤田朋子, 出演:渡辺哲, Writer:園子温, 監督:園子温
いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

「メチャクチャつまらない」から「メチャクチャ面白い」に変わった稀有な鑑賞体験

犀川後藤

最初の1時間半は、「この映画、本当に大丈夫だろうか」と思ってました

この記事の3つの要点

  • 日常の中で「0が1になる瞬間」を体感するのはなかなか難しい
  • ほぼ全員が「無名の役者」であることによって、物語の展開がまったく読めない面白さが生まれる
  • 「安子」役を演じた女優・藤丸千が放つ凄まじい”狂気”
犀川後藤

かなり勧めにくい作品ではありますが、私としては「観て良かった」と感じる作品でした

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

園子温の映画『エッシャー通りの赤いポスト』では、「0が1になる瞬間」という”歓喜”が映し出される

最終的にはとても面白い映画だと感じました。観て良かったです。

ただ、2時間半近くある映画の最初の1時間半ぐらいは、「この映画、ホントに大丈夫か?」と思っていました。何がなんだか分からないし、正直面白くないと感じたからです。

いか

この映画に関する情報をまったく知らずに観たから余計ね

犀川後藤

「園子温の最新作」ってことしか知らないで観たから、「なにこれ??」ってずっと思ってた

何だか分からないながらも、次第に私は、「『映画の設定』と『映画に出演する役者の境遇』がオーバーラップするように作られているのだろう」と考えるようになりました。なるほど面白いことを考えるものだな、と。しかし、映画鑑賞後に公式HPを見たら、私が想像していた以上に常軌を逸した映画だと判明しました。映画『エッシャー通りの赤いポスト』はなんと、「役者のワークショップと同時並行で撮影された映画」なのです。

なかなか意味不明でしょう。要するにこういうことです。

園子温が「役者のワークショップ」を行うと発表し、多くの参加希望者が集まりました。そんな彼らに与えられたワークショップ用の台本こそが『エッシャー通りの赤いポスト』であり、園子温は、「役者のワークショップ」を行いながら、同時並行で「映画撮影」も進めたというわけです。相変わらず、凄いことを考えるものだと感じました。

映画は、「安子」という登場人物が出てきた辺りから一気に面白くなります。そして映画のラスト、商店街で展開されるロングシーンは、そのあまりのカオスっぷりに思いがけずワクワクさせられてしまいました。そのラストの勢いに引っ張られるようにして心がグングン高揚していき、観終わった時には「なんて映画だ!」という感覚になったというわけです。

いか

結局最後まで意味不明ではあったけど、テンションはメチャクチャ上がるよね

犀川後藤

「感情を動かす」って意味では、もの凄く成功してる映画だと思う

「ワークショップと同時並行で映画撮影を行う」というやり方も含め、園子温にしか作れない映画だと感じました。

私は「0が1になる瞬間」に強く惹かれる

今の時代、多くの人が、「失敗したくない」「面白い部分だけ知りたい」と考えて、映画を倍速で飛ばし飛ばし観たり、ネタバレや評価を先に知ってから物語に触れるみたいなことが当たり前になっているそうです。ただ私はその逆で、「予想外のものがとんでもなく良かった」みたいな体験をしたいといつも考えています。また、芸術作品や科学研究など何でも構いませんが、「新しい発想によって既存の常識が打ち破られる」みたいな話がとても好きです

そういう状況をすべてひっくるめて、私は「0が1になる」と呼んでいます。「存在さえ知らなかった何かが凄い価値を持っていることに気づく」という状況です。そしてできるだけ、そういう瞬間を感じたいと思って私は日々生きています

犀川後藤

人それぞれだから良いけど、「評価を知って何かを体験する」っていうのが私には面白く感じられない

いか

失敗もするけど、その「失敗した」って経験も含めて「体験の価値」って感じがするんだよね

以前読んだ伊坂幸太郎の小説に、「ピタゴラスの定理の存在を知らずに、ピタゴラスの定理を自力で導き出した男」が出てきました。「三平方の定理」とも呼ばれ、たぶん中学の数学の授業で習うんじゃないかと思いますが、自力で導き出すのは簡単ではないでしょう。それをこの男は、自ら”発見”したのです。

もちろん、「ピタゴラスの定理」は既に知られているわけで、この男が”再発見”したところで世界は何も変わりません。しかし彼は、まさに「0が1になる瞬間」を経験したと言えるでしょう。私も彼と同じように、そのような経験を多く積み重ねたいと思っているのです。

どうしてそんな話をするのか。それは、私が考える映画『エッシャー通りの赤いポスト』の価値が、まさに「『0が1になる瞬間』を体感させること」だからです。

映画を観ている段階では、「役者がワークショップの参加者である」という事実を私は知らなかったわけですが、「決して上手いとは言えない役者だ」とは感じました。演技の良し悪しなど大して分からない私でも「上手くない」と感じるほど、本職の役者さんと比べるとその演技は見劣りするというわけです。

いか

だから最初の1時間半は「大丈夫かよ」って思ってたんだよね

犀川後藤

商業映画として成立するクオリティなのかって心配しちゃうほどだったから

普通であれば、「演技が上手くない」という要素は、観客にとってプラスになるはずがありません。ただ映画を観ていく内に、私の中で「自分が今目にしているのは『0』なのだ」という感覚が湧き上がってきました。そしてそれは、まさに「0が1になる可能性」を感じさせるものであり、だからこそ私はワクワクさせられたのだろうと思います。

映画に限りませんが、お金を支払って享受するものであれば特に、その中に「0」を見出すことは難しいでしょう。テレビの生放送やSNSの生配信など、「リアルタイム」を売りにするものであれば、その中に「通常であれば編集で取り除かれてしまうもの(=0)」が紛れ込むこともあるとは思いますが、そうでもなければなかなか目にする機会はありません。

あるいは、自主制作映画や同人誌など、商業的な流通に乗らないものであれば、その中に「0」が含まれることもあるでしょう。ただ、商業的な流通に乗らないものはどうしても玉石混交の度合いがより高くなるはずだし、となれば、「0が1になる可能性」を見出すのは難しくなるだろうと思います。

このように考えることで、この映画の真価が見えてくるでしょう

『エッシャー通りの赤いポスト』はまず、「園子温監督作品」なので、一定以上のクオリティが保証されているといえます。そして、「役者がワークショップ参加者」であることによって、作中の様々な部分に「0」を見つけられ、さらに「その0が1になるかもしれない」という期待感を抱きながら映画を観ることができるというわけです。

犀川後藤

この映画についての私の分析が的を射ているのか分からないけど、自分では結構納得感があるかな

いか

映画を観てる時は、「なんでこんな訳の分からない作品が、最終的に面白く感じられたんだろう」って不思議だったもんね

これが、私が考える「私にとってこの映画が面白いと感じられた理由」です

有名な役者が登場しないことによるプラス効果

『エッシャー通りの赤いポスト』の役者たちは、ほぼ無名と言っていいでしょう。藤田朋子など、自ら志願してこの撮影に参加した有名俳優を除けば、私が顔を知っていたのは「モーガン茉愛羅」だけです。他の人は恐らく、この映画に出演するまではただの一般人だったのだと思います。

そして結果としてそのことが、「物語の展開の読めなさ」を一層強化することになり、「0が1になる瞬間」という、この映画が持つ魅力がさらに強調されたと私は感じました。

いか

小説にはない映画の難点って、「俳優の知名度で、物語の焦点がどこに当たるか分かっちゃう」ってことだよね

犀川後藤

避けがたいことだとは思うけど、物語には本来不要な「メタ情報」だからねぇ

映画『エッシャー通りの赤いポスト』では、出てくる役者が無名であるが故に、誰が主人公なのかも、物語がどう展開していくのかも、まったく予想がつきません。もちろんこの点は、「馴染みの薄い外国映画」を観る場合にも体感できることではあります。英米や韓国など、日本でも馴染み深い外国人俳優がいる国以外が制作した映画の場合、日本で知られていない俳優などたくさんいるでしょうから、同じような状況が実現可能です。そんなわけで、『エッシャー通りの赤いポスト』特有の性質なわけではありませんが、ただ、日本映画でこのような感覚を与えることは簡単ではないでしょうし、そういう意味ではやはり特異だと言っていいだろうと思います。

そしてその中でも、「安子」を演じた役者には驚かされました。映画を観終えて調べてみると、「藤丸千」という女優だそうです。私は正直、彼女も「ワークショップ参加者ではない、本職の役者」だと思っていたのですが、彼女もまた園子温のワークショップに応募した人だと知ってとても驚きました。

いか

正直、全出演者の中で圧倒的な存在感だったよね

犀川後藤

狂気的な役だから目立ったってのもあると思うけど、「彼女だから『安子』を演じられる」って判断されたんだろうなって思う

安子が「主役を奪うぞ」と口にする場面があるのですが、まさに藤丸千は、「画面に映ることで自ずと“主役”に見えてしまう人」だと感じました。確かに「安子」という役自体が主役級の存在なのですが、そういうこととは関係なしに、藤丸千という女優に “主役”としての存在感があるのだと思います。

先程触れた通り、安子は「狂気的な役柄」です。そして私の個人的な感覚では、「狂気」を演じるのはとても難しいと思っています。というのも、「『狂気』を『リアルなもの』に見せなければならない」からです。

ただ単に「狂気」を発露するだけであればそう難しくはないかもしれません。メチャクチャに振る舞えばいいからです。しかし当然、安子というのは、貞子のような幽霊でもヴェノムのような怪物でもありません。だからこそ、「狂気的」でありながら、同時に、「こういう人は実際に存在するかもしれない」というリアリティを与えなければならないはずです。

そして、安子を演じる上で藤丸千は、この「狂気」と「リアリティ」のバランスを絶妙に取っていると感じました。

犀川後藤

「こいつヤバい」って感覚と、「でもどこかにいるかもしれない」って感覚が一緒に来る感じかな

いか

「現実世界にあり得る狂気」だからこその怖さが素晴らしかったよね

さらに、彼女の「狂気」がリアルなものだからこそ、映画のラストシーンにもリアリティが生まれるわけです。渋谷のスクランブル交差点で展開される「狂気」は、安子の「狂気」が我々の日常と地続きだからこそ、その撮影手法と相まって一層リアリティを醸し出します。このラストシーンには、なんとも表現し難い「感動」を覚えました

私にとって、藤丸千の存在こそが「0から1になる瞬間」だと言っていいでしょう。正直、彼女の存在を知れただけで、この映画を観た価値があったと感じるほどでした。

出演:藤丸千, 出演:黒河内りく, 出演:モーガン茉愛羅, 出演:藤田朋子, 出演:渡辺哲, Writer:園子温, 監督:園子温

最後に

制作過程を含め、とにかく「無謀」としか言いようがない映画であり、観る人によって評価は分かれるでしょう。色んな意味で、手放しで称賛できる作品ではないかもしれませんが、私は観た方がいいと感じました。

普通体感することができないだろう「0が1になる瞬間」を、是非味わってみてください

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