目次
はじめに
この記事で取り上げる映画
出演:杉田水脈, 出演:ケント・ギルバート, 出演:櫻井よしこ, 出演:吉見義明, 出演:戸塚悦朗, 出演:渡辺美奈, 出演:ユン・ミヒャン, 出演:イン・ミョンオク, 出演:パク・ユハ, 監督:ミキ・デザキ, プロデュース:ミキ・デザキ, プロデュース:ハタ・モモコ, Writer:ミキ・デザキ
ポチップ
この映画をガイドにしながら記事を書いていきます
この記事の3つの要点
- 「何らかの問題について思考を深める際の前提条件」についての議論から始めた上で、「『慰安婦問題』とは一体何なのか?」についてかなり細かく整理した
- 結局のところ、「『強制』とはどのような状態を指すのか?」という言葉の定義が不十分なことが、議論が噛み合わない原因だと思う
- 「歴史修正主義者」が繰り出す驚きの主張と、彼らの凄まじい行動原理について
恐らく「慰安婦問題」そのものはもはや解決不能だと思うので、「同じ問題を未来に起こさない」という方向に労力を費やすべきだと感じた
自己紹介記事
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映画『主戦場』は、「『慰安婦問題』に関する問題」を扱いつつ、「『歴史修正主義者』のヤバさ」を浮き彫りにするドキュメンタリー映画である
私が本作『主戦場』を観たのは2022年のことだが、映画が製作されたのは2019年だそうで、3年ぶりの上映であるらしい。このような映画が公開されていたことはまったく知らなかった。実に興味深い作品である。
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本作で扱われているのは、「日本軍がかつて韓国人女性に将兵の性の相手をさせていた問題」、いわゆる「慰安婦問題」だ。しかし、この表現は正確ではない。より正しくは、「『慰安婦問題』とは一体何なのか?」が取り上げられている作品なのである。日本でも度々報じられるように、この「慰安婦問題」は、今も日韓に横たわっている問題だ。そして本作は、「何故そんなことになっているのか?」という、「『慰安婦問題』を取り巻く状況」を扱う作品である。一方の側の意見を取り上げて主張するみたいなことかではなく、「『慰安婦問題』の全体像を包括的に捉えよう」としている作品なのだ。そういう意味で本作は、「一体何が問題視されているのか」を理解する上で非常に役立つと言えるだろう。
本作を製作したのは、日系アメリカ人YouTuberのミキ・デザキという人物だ。公式HPには、次のように書かれている。
あなたが「ネトウヨ」でもない限り、彼らをひどく憤らせた日系アメリカ人YouTuberのミキ・デザキを、おそらくご存知ないだろう。ネトウヨからの度重なる脅迫にも臆せず、彼らの主張にむしろ好奇心を掻き立てられたデザキは、日本人の多くが「もう蒸し返して欲しくない」と感じている慰安婦問題の渦中に自ら飛び込んでいった。
「主戦場」公式HP
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映画の冒頭では、彼がどうして「慰安婦問題」に関わることになったのか、その経緯が簡単にまとめられている。ざっくり要約すると「巻き込まれ事故」みたいな始まりだったそうだ。「慰安婦問題」に元から関心があったわけではなく、「慰安婦問題」の方が彼にぶつかってきたような状況だったという。それで「自ら飛び込んで」いって調べてみることにしたのだそうだ。
映画の最後で、彼は自身のことを「アメリカ人」と表現していた。もちろん、「慰安婦問題」は基本的に日本と韓国の問題である。つまり本作は、「元々関心を抱いていたわけではない問題について、日本でも韓国でもない視点から取材した作品」と言えるだろう。どちらの視点にも寄らない、かなり客観的な捉え方が出来ているのではないかと思う。「面白い」「面白くない」で括れるような作品ではないが、まったく知らなかった事実もたくさん扱われる映画であり、私にとってはとにかく非常に興味深い作品だった。
さてこの記事では、「本作を観た私が、『慰安婦問題』をどのように整理し、何を考えたのか」についてまとめていきたいと思う。ちなみに、本作を観る前の時点における私の「慰安婦問題」に関する知識は「ほぼゼロ」である。ドキュメンタリーやノンフィクションは好きなのだが、「慰安婦問題」に関するものに触れたことはない。そのため、「ニュース番組で取り上げられる程度の情報」しか知らないと言っていいと思う。なので、「この記事に書いたことはあくまでも、『本作を観た上で私が考えたこと』である」という点は理解しておいてほしい。
「何らかの問題」について思考する際に私が意識している「前提条件」について
それでは、いきなり「慰安婦問題」の話に触れるのではなく、まずは「何らかの問題について考えを深める際の前提条件」について書いていきたいと思う。興味がない方はもちろん読み飛ばしてもらって構わないが、基本的にこの記事では、これから書く前提条件を元に議論を進めていくつもりである。
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さて、「問題の良し悪し」を判定する際には当然、「基準」が必要になるだろう。「基準」が明確ではない状態で良いとか悪いとか議論しても無駄である。例えば「大麻を使用することの是非」について議論するとして、「医療現場での使用なのか」「どの国で使用するのか」「誰が使用するのか」など様々な状況が想定できるし、それぞれに見合った「基準」が必要になるだろう。このように私は、「どのような『基準』によって是非を判断するのか」という視点を持つことが大事だと考えているのだ。
また、次の主張については状況によっても意見が分かれるだろうが、私は基本的に「その問題が発生した時点での『基準』」に沿って良し悪しが判断されるべきだと考えている。世の中で「問題」とされているものの中には、「『昔の行為』を『今の基準』で断罪している」という状況もあるだろう。確かに、「『昔の基準』が不適切だった」みたいなことは多々あるだろうし、それらを改善しながら良い未来を作っていくべきというのは大前提だ。しかしやはり、同時に私は、「その問題が発生した時点での『基準』に照らして是非が判断されるべきだ」とも考えているのである。この点については私も、状況次第で考えを変えるかもしれないと思っているが、可能な限りそのようなスタンスで生きていきたいと考えてもいるのだ。
さて、世の中には「是非を判断するための基準」が様々に存在するわけだが、「その『基準』が『法律』の場合は『証拠』が必要だ」というのが私の原則的な考えである。もう少し正確に書くと、「もしも『法的責任』を追求するのであれば『証拠』が必要だ」となるだろうか。「そんなことは当たり前だろう」と感じるかもしれないが、一応の念押しぐらいに捉えてほしい。
誤解されないように書いておくが、私は決して、「『証拠』が無いなら『責任追及』を諦めろ」などと主張しているのではない。「責任」には様々な種類があり、「道義的責任」などという表現も存在する。つまり、「『証拠』が無ければ『法的責任の追及』は諦めてもらう他ないが、『法的責任以外の追及』を行うことは可能」だと考えているというわけだ。証拠の有無に関係なく、当事者同士が和解や合意などを行うことは、一般社会でもよく行われていることだろう。なので、「不幸にして『証拠』が存在しない状況ならば、『法的責任の追及』は諦め、そうではない道を探るべき」だと考えているのである。
ただ、「慰安婦問題」など「過去の歴史」が問題視されている場合には、この条件は少し緩める必要があるだろう。というのも、本作『主戦場』の中で、「戦時中の日本軍の資料は、その70%が焼却されたと考えられている」みたいな説明がなされていたからだ。平時ならともかく、戦時中ともなれば、「適切な証拠保全」などまず望めなかっただろう。
そのため、「通常の裁判で必要とされるレベルの厳格な証拠」を求めるのは酷だと考えている。私の個人的な感覚では、「弱い証拠」、つまり「そのような出来事が起こったと強く推定させるような証拠」程度でも「法的責任」を問うことが出来ても良いのではないかと思う。ただ、証拠が有する立証能力の強弱はともかくとして、やはり何らかの「証拠」が存在しない限りは「法的責任の追及」は難しいと考えているというわけだ。
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さて、その上で私は、「『証言』しか存在しない場合、それを『証拠』と見做すのは厳しい」という感覚を持っている。これは決して「過去の歴史」に関する問題に限らない。外国のことは知らないが、少なくとも日本では、「被告人の自白(証言)」は、強力な「証拠」と見做され、自白しか存在しない状況でも有罪判決が下される。しかし私は、そのような現状はやはりおかしいのではないかと感じてしまう。今では少なくなっているかもしれないが、この「自白至上主義」のために、恐らく多くの人が無実の罪で刑務所に入れられ、中には死刑に処された人もいるはずだ。
それがどんな場合であっても、「『証言』しか存在しない状況で『法的責任』を問うのは無理がある」と私は考えている。もちろん先程書いた通り、「証言」のみだとしても「法的責任以外の追及」は問題ないと思っているのだが、やはり「法的責任の追及」はすべきではないと考えているのだ。また、それが歴史の問題であればなおさら、「証言のみ」という状況に難しさを感じてしまいもする。というのも、脳科学や心理学などの本を結構読んできたのだが、その多くに「人の記憶は容易に書き換えられ得る」と書かれているからだ。
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我々が有している記憶が正しい保証はどこにもない。上に記事をリンクした『錯覚の科学』では、「『バスケのコーチに首を締められた』と訴えた生徒の証言が、数年後偶然見つかったビデオカメラの映像で否定された」という話が紹介されている。もちろん、生徒が嘘をついていただけという可能性も否定はできない。しかしその一方で、「本人の記憶では『絶対に間違いない』と思っていることが現実とズレる」という事態も起こり得るのだと研究からは明らかになっているのだ。このような点を踏まえるとやはり、「『証言』のみを証拠と捉えるのは困難」だと私は考えてしまう。
さて、ここまでで書いてきたようなことが、「何らかの問題について思考する際に私が意識している前提条件」である。これ以降は、この前提に従って議論を進めていくつもりだ。この前提条件に違和感を覚えるという方は、これ以降の私の文章も受け入れがたいと感じるはずなので、ここで読むのを止めていただくのが良いだろうと思う。
「『慰安婦問題』とは何か?」という疑問はどのように受け取られているのか?
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それでは「慰安婦問題」の話に移ろうと思うが、まずは、「そもそも『慰安婦問題』とは何を指しているのか?」を整理するところから始めるべきだろう。議論のための「前提条件」を定めたとしても、議論の参加者が「問題」を同じように認識していなければ議論が成り立つはずがないからだ。
もちろん、人によって「慰安婦問題」の捉え方は様々だろうし、それは別に「慰安婦問題」に限る話ではない。しかし私はとりあえず、本作『主戦場』を見て、その「争点」を以下のように整理してみることにした。
- 「将兵の性の相手をさせる施設(慰安所)」を日本軍が“公式に”用意したのか?
- ①のようなことがあったとして、それは当時の「法律」に照らして合法と言えるのか?
- ①のようなことがあったとして、日本軍は慰安所に女性を”強制的に”送り込んだのか?
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さて、「慰安婦問題」には、大雑把に区分して「肯定派」と「否定派」が存在する。あまり具体的には定義しないが、「肯定派」は「『慰安婦問題』は存在するし、日本に責任がある」と、そして「否定派」は「『慰安婦問題』はそもそも存在しない」と主張していると考えてもらえばいいだろう。そして、あくまでも本作を観た上での判断でしかないが、両派が先の3点についてどのように捉えているのかにも触れておこうと思う。
- ①については両派とも事実だと認めている
- ②については両派とも特段注目していない
- ③については両派で意見が食い違っている
つまり、「『慰安婦問題』を巡って争いが起こっている」という状況は、要するに「③の『日本軍は慰安所に女性を”強制的に”送り込んだのか?』という点における意見の相違」と捉えれば良いのだろうと私は理解した。本作では、このような形では情報が整理されないので、まずこの点を理解しておくと状況を捉えやすくなるだろうと思う。
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というわけでまずは、両派の間で食い違いが発生していない①②について、本作で取り上げられる情報を整理しておくことにしよう。
まず、①に関しては両派とも完全に認めており、まったく争点にはなっていない。否定派の人たちも、「慰安婦の人たちは、お金をもらって仕事をしていた売春婦だった」と主張しており、「慰安所が存在したこと」や「その慰安所を日本軍が公式に用意したこと」などについては事実と認めているようだ。なので、この点については特に触れることがない。
一方、②については両派とも特に重視している様子はなく、私にはこの点がとても不思議に感じられた。ミキ・デザキは「問題に関与していない国の人物」としてこの問題に首を突っ込んでいるのため、恐らく「客観的な是非の判断」を目指したのではないかと思う。だからだろう、本作には、「当時の日本軍の行為を法的に罰することができるのか」という観点からの描写が多い。そしてそれらを踏まえることで、私はこの②の観点こそ、最も明確に議論が行えるポイントであるように感じられた。つまり、「当時の法律に照らして、日本軍の行為は『違法』と主張できる」というわけである。
では、その辺りの理屈を説明していこう。
まず、1921年に国連において「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」、いわゆる「人身売買を禁ずる条約」が採択された。この条約では、「21歳以下の女性・児童を売春などに従事させること」が禁じられており、日本も批准している。
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一方、当時新聞(恐らく、韓国国内で発刊されていたものだと思う)に掲載されていた「売春などを斡旋する業者向けの広告」が現存しており、そこには「17歳~23歳を募集している」と書かれていた。この広告の存在だけで「21歳以下に売春させていた」と確定できるわけではないものの、「17歳~」と書かれている以上、そのような状況が存在したことを強く推定させると言えるだろう。
また、「元慰安婦である」と初めて名乗り出たキム・ハクスンは、当時の慰安所の状況について、「一番上が22歳で、19歳・18歳もいて、17歳の自分が一番年下だった」と証言している。元慰安婦という事実に間違いがないのであれば、「当時17歳だった」という証言は、彼女の実年齢からはっきりと確定できるはずだ。「彼女が元慰安婦だった」という証明がどのようになされているのかは分からないが、少なくとも「年齢」を偽ることは難しいだろう。そのように考えれば、私が先程「証拠とは受け取りにくい」と主張した「証言」ではあるものの、「信憑性が高い」と判断していいのではないかと思う。
このように考えれば、「日本軍が用意した慰安所で、21歳以下の女性が働かされていたこと」は「ほぼ間違いない」ぐらいには主張出来るだろう。そして私は、「戦時中のことであれば、証拠の立証能力が低くても『法的責任の追及』は行える」と考えているので、「『人身売買を禁ずる条約』に恐らく違反していただろう日本軍は法的責任を逃れられない」と結論づけるというわけだ。まあその場合、「『誰』がその責任を負うべきか」については別の議論が必要になるとは思うが(「日本軍」は既に存在しないので)、ともあれ「法的責任は存在する」という結論は動かないと考えていいだろう。
この点に関してかつて日本政府は、「確かに条約を批准したが、植民地には適用されない」みたいな主張をしたことがもあるのだそうだ。しかしさすがにそれは詭弁と言う他ないだろう。そんな恥ずかしい主張はしないでほしいとさえ感じてしまう。
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さて、「慰安所が当時の法律に違反していたこと」は既に明白と言っていいだろうだが、別視点からも同様の主張が可能である。例えば当時「ILO条約」という国際条約が存在しており、日本も批准していた。これは「国際的な労働条件」を定めたものであり、この条約に照らしても「慰安所の運営には問題があった」と見做され得るようだ。またそれとは別に、名前は忘れてしまったのだが、「奴隷に関する条約」も存在したという。こちらについては日本は未批准だったようだが、「『慣習法』として定着していた」と作中では指摘されていた。そして、国際法の専門家によると、この条約にも抵触する可能性が高いのだそうだ。
このように、「当時の慰安所には、その当時存在した法律に違反する形で働かされていた者も少なからずいた」という点は明らかであるように思える。しかしどうやら、この「法律違反だったか否か」という観点は「慰安婦問題」に含まれないようだし、議論の中で争点になることも無いようなのだ。その理由は本作を観てもまったく分からなかった。日本政府は様々な理由をつけて「当時の法律に照らしても問題なかった」と主張しているようだが、日本政府のその見解に対して反応する人もいないようである。とても不思議ではあるのだが、とにかく事実として、この「法律違反だったか否か」という点に関しては、肯定派・否定派共にまったく重視していないというわけだ。
そんなわけで、ここまでが先に挙げた①②の観点の整理である。
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「慰安婦問題」において争点となるポイントについて
それでは次に③について見ていくことにしよう。改めて問題をおさらいすると、「慰安所に女性を”強制的に”送り込んだのか?」である。本作中に登場する様々な肯定派・否定派の人たちによる主張のほとんどが、この点に集約されているように私には感じられた。「『慰安婦問題』で議論が起こっている」という場合、概ねこの点が争われているようである。
さて、まずは私がどう考えているかに触れておこう。「③に関して日本政府の『法的責任』を追及することは難しいのではないか」というのが私の考えだ。というのも、③において最も問題になっているポイントが、「『強制的』という言葉をどのように捉えるか」という非常に感覚的な話だからである。
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しかし、普通の人なら「そんなことは当たり前だ」と感じるのではないだろうか。恐らく誰も、そのような意味での「強制」が行われたなんてイメージしていないだろう。「さすがにそこまで酷いことはしていないはずだ」ぐらいの感覚は多くの人が共通して持っていると思う(一部にはそういう考えの人もいるとは思うが)。だから、そのことを否定したところで何の意味もないと私は考えているのである。
しかし一方で、「じゃあ何を以って『強制的』と判断するのか?」もまた難しい問題と言えるだろう。そして、この「強制的」という言葉の「捉え方」によって両派の議論が噛み合っていないのであり、私は「そもそも『強制的』という言葉の定義を行わない限り、まともな議論にはならない」と感じてしまった。
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それではまず、否定派の主張から見ていくことにしよう。彼らは、「慰安婦の人たちはいわゆる『売春婦』であり、多くのお金を持ち自由もあった」と主張している。そして、そのような状況を指して「強制的ではなかった」と判断しているようだ。「慰安婦問題」が外国で取り上げられる際には、「性奴隷」というかなり強い言葉が使われることが多いという。そして否定派は、「彼らは『性奴隷』ではなかった」という意味で「強制的ではなかった」と主張しているのである。「奴隷が報酬をもらえますか?」みたいな発言をしている人物もいて、つまり「報酬がもらえた」=「奴隷ではない」=「強制的ではない」という構図で捉えているようなのだ。
しかし私は、この主張には無理があると感じる。この点について、少し前から問題視されるようになった「映画業界における監督らによる性加害問題」を例にとって説明したいと思う。
映画業界の場合、「映画への出演」を「報酬」と見做せるだろうが、そのような「報酬」をちらつかせることで性的な行為に及んだ場合、「客観的に見て『強制的』と受け取られるような言動が存在しなかった」としても、やはり「そこには強制力が働いていた」と判断されるだろう。「監督」と「役者」という絶対的な力関係がある以上、「『報酬』をもらえているのだから『強制的』ではなかった」という主張はやはり通るはずがない。そして恐らく、慰安婦の場合も同様だろう。圧倒的な力関係が存在していたはずであり、「証拠」があるかは分からないが、やはり「その『圧倒的な力関係』を利用した『強制』は存在した」と考えるのが自然だと思う。「そのような意味での『強制』も一切存在せず、『性』と『お金』をシンプルに交換するビジネス的な関係だった」と捉えるのは、やはり無理があるのではないだろうか。
また、韓国での事例ではないのだが、少し違った意味での「強制」を想起させる状況も紹介されていた。アメリカ軍が行った聞き取り調査の記録の中に、「日本が女性に『フィリピンに良い働き口がある』とだけ伝え、具体的な仕事内容を明かさずに連れて行った」と判断できる証言が存在するというのだ。このような「『本人の自由意志に基づかない』という意味での『強制』」もまた、容易に想像出来るだろう。
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この点に関しても当然、「証言」以外の「証拠」は存在しないと思われるので、「法的責任の追及は難しい」というのが個人的な考えである。しかし「法的責任」のことは一旦脇に置くとして、「女性を”強制的に”送り込んだのか?」という点に関しては、「やはり『強制力』はあった」と判断すべきではないかと私には感じられるのだ。
また、この「強制」に関してはもう1つ、状況を複雑にしている背景が指摘されていた。それが、「韓国社会に蔓延る『家父長制』『男性優位』の考え方」である。
当時の日本も大差なかったはずだが、第二次世界大戦中の韓国では家長である父親の権限がとても強く、それ故、社会や家庭内において女性は低く見られていた。そして、作中ではあまり具体的に触れられてはいなかったのだが、「家族によって慰安婦に”売られた”女性もいたのだろう」という見方が存在するというのだ。本作には、自身の著作の中でそのように主張したパク・ユハという大学教授が登場するのだが、彼女は何と、本の中のその記述が問題視され、懲役3年の有罪判決を受けたという。このことからも理解できるように、韓国では「慰安婦は日本軍によって”強制的に”連行された」という主張以外の意見を口にしにくい雰囲気があるそうだ。しかしそれにしても、そのような主張を行った人物を逮捕・起訴するというのは、相当なものだろう。
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さて、このような「家族によって”売られた”」という状況も当然、「本人の自由意志に基づかない」という意味での「強制」と見做されると思う。しかしこの場合、「日本が“強制的に”連行した」と主張するのは無理があるだろう。作中には、「韓国の家父長制を利用した日本に問題がある」と主張する人物が出てくるのだが、私の感覚では、ちょっとその主張は受け入れがたい。
いや、確かに、もしも仮に「日本が韓国の家父長制を利用した」というのが事実なのだとしたら、倫理的・道徳的には「正しくない」と思う。しかしだからと言って、「家族によって”売られた”」というケースまで「日本軍による強制連行」に含めて議論されるのは正しくないと感じられるというわけだ。そこはやはり「韓国の問題」として切り分けて考えるべきだろう。
また他にも、同じような事例が存在する。例えば、「慰安婦として働かなければ生きていけない人もたくさんいた」という主張が出てきた。もちろんこれも「日本に責任がある」という趣旨の主張なわけだが、私には別の問題として切り分けるべきだと感じられるのだ。
もちろん、「侵略戦争を仕掛けたのは日本」なのだから、「慰安婦として働かなければ生きていけない」という状況を作り出した責任は日本にあると思う。この点に異論はないのだが、しかしだからと言って、そのような状況も「日本軍による強制連行」として捉えるのは誤りであるように思う。つまり、「慰安婦問題」ではなく「侵略戦争問題」であり、「慰安婦問題」とは別で議論がなされるべきだと私には感じられるのだ。
このように③の問題は、「『強制的』という言葉をどう捉えるか」という話に収斂していくのであり、先述した通り、「『強制』の定義をしなければ議論が成り立たない」と私は思う。「強制」の定義をせずに議論するからこそ泥沼なのであり、その状況にこそ「慰安婦問題」の本質的な困難さが存在するように私には感じられた。
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「『慰安婦問題』が解決されることはないだろう」と感じてしまう理由
さて、それではもう1つ、「慰安婦問題」を捉える上での注意点に触れておきたいと思う。
ごく一般的に考えて、「慰安所にいた女性たちは、様々な背景を持つ集団だったはず」だと思う。というわけで、本作で提示される情報を元に、想定可能な背景を以下にリストアップしてみよう。
A:日本軍が何らかの形で「強制力」を行使して(「自由意志」を奪って)連行した
B:日本軍が仕事内容を伝えず、「騙す」ような形で集めた
C:家族に”売られた”
D:理由はともかく「困窮」しており、生計を立てるために自らの意思でやってきた
もちろん他にも様々な背景・事情が存在したと思う。そして私が指摘したいのは、「慰安所にいた女性たちは、A~Dを含む様々な事情を抱えた集団だった」ということである。つまり、「慰安所にいた全女性がAの事情でそこにいた」みたいなことはあり得ないと考えているのだ。普通に考えて、そんなことは当たり前だと私は思う。
そして、ここまでの議論を踏まえた上で、私なりにその「責任」を判断すると、「A・Bは日本に法的責任がある」「C・Dは日本に法的責任はない」となる。この考えには賛否あるだろうが、いずれにせよ私が主張したいのは、「慰安所にいたすべての女性に対して日本が法的責任を負わなければならないはずがない」ということだ。どれぐらいの割合になるのかは不明だが、当然「日本が法的責任を負うべき女性」もいただろう。しかし同時に、これもどれぐらいの割合になるのか分からないものの、「日本が法的責任を負う必要がない女性」だっていたはずである。私には、この点は「議論する際の大前提」に思える。
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しかし本作を観る限り、どうもそうではないように感じられた。つまり、「肯定派は『慰安婦のすべてはA・Bの事情だった』、否定派は『慰安婦のすべてはC・Dの事情だった』と主張している」ようなのである。
そんなアホみたいな話があるはずないだろう。とにかくこの点に関しては、「本作中に登場するほぼすべての人間はアホなのだろう」としか私には感じられなかった。そんな議論をしていれば、そりゃあいつまで経っても平行線を辿るだけだろう。知性のある人間が行う議論には到底感じられなかった。
「慰安婦問題」の議論がそのような観点からしか行われていないとすれば、もはやこの問題に対して「まともな解決」を望むのは不可能と言えるだろう。とにかく、「状況の解決を目指す議論」が行われているようにはとても感じられなかった。「状況の解決」とは要するに「被害者の救済」と言えるだろうが、「慰安婦問題」の議論はもう既に「被害者」を完全に置き去りにした形で行われているのである。「慰安婦問題」はもはや、「両派が自分に都合の良い主張をするための材料」程度にしか扱われていないのだ。
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なので私にはもう、「『慰安婦問題』に関する議論は無意味だ」としか感じられなかった。「加害者側」である日本人の私がこのような主張をすれば「責任逃れ」みたいな扱われ方になるかもしれないが、実情を認識すればそう判断せざるを得ないと思う。もし「慰安婦問題」に対して何か意味のある行為が行えるとすれば、「同じことを未来に起こさないためにはどうすべきか」という方向の議論以外にはないだろう。「過去に何があったのか」という観点での議論は、もう止めた方がいいんじゃないかと思う。議論する熱量があるのなら、「未来を良くする」という方向に舵を切った方がいい。
「歴史修正主義者」のヤバさ
しかし、そんな願いはまず届かないだろう。というのも、この記事の中で「否定派」と表現してきた人たちは、作中では「歴史修正主義」「否定論者」と呼ばれており、「『誤った歴史の記述』を正す」ということに人生を捧げているようだからだ。彼らは「慰安婦は強制連行されていない」というだけでなく、「南京虐殺は起こらなかった」など、日本軍が行ったとされる過去の悪逆な行為を「そもそも無かった」と否定している。そしてそちらを「正史」とするために、「憲法改正」や「教科書の記述変更」に積極的に介入しているというのだ。
「日本の過去に汚点など存在しない」と信じたい勢力というのが一定数いるようで、恐ろしいことに、そのような人たちが権力の中枢にはたくさんいるのである。そして彼らが、「明治憲法によって統制されていた戦前の日本」に時代を”逆行”させようと様々な活動を行っているというのだ。本作では、そのような「歴史修正主義者」の動きについても触れられており、私は恐ろしく感じられてしまった。
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とにかく、本作に登場する「歴史修正主義者」の発言はゲロヤバと言う他ない。中でもイカれていると感じたのが次の2つだ。
フェミニズムってのは、ブサイクな女が始めたんですよ。で、心の中も汚い。
(アメリカでキング牧師による人種差別撤廃の運動が始まったのも)日本が戦争に勝ったから起こったんでしょう?
ちょっと凄まじいとしか言いようがないだろう。特に後者の発言は、最初聞き間違いかと思った。日本は戦争に勝ってなどいないからだ。しかし、制作側もこの発言を強調すべきと判断したのだろう。同じ発言が続けざまに2度流れたので、聞き間違いではない。何を以って「日本が戦争に勝った」などと発言しているのか不明だが、もはやパラレルワールドにでも住んでいるとしか思えないだろう。
とにかく作中に登場する人物の中には、「『慰安婦問題』に関する主張云々以前に、人としての発言が異常」というタイプの人が結構いた。カメラの前でそのような発言が出来てしまうということは、すなわち、「『こういう発言をしたらマズい』と実感できるような環境にそもそもいない」ということを意味するだろう。つまり、「我々一般人とはまったく異なる世界を生きている」と考えざるを得ないと思う。
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そのため、そんな人物の発言はそもそもまったく聞く気になれなかった。彼らの「慰安婦問題」に対する主張がたとえ真っ当なものに感じられたとしても、「人間としてのあり方」に対する違和感が強いため、彼らの主張にも大いにバイアスが掛かってしまう。「そのような見られ方になっている」という自覚が彼らにどの程度あるのかまったく分からないが、とにかく私には「ヤバい世界だなぁ」と感じられた。
ただ、曲解すればこのような解釈も可能かもしれない。つまり、「『ヤバい人』というセルフブランディングを積極的に行うことで、『議論しよう』という気力を相手から奪う」という戦略である。まあ恐らくそんなことはないと思うが、仮にそうだとすれば、私はその術中にまんまとハマっていると言えるだろう。そんな知性を感じさせる人たちでは無かったのだが。
本当に、ちょっと凄まじい世界だと感じさせられた。
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最後に
「慰安婦問題」はもはやあまりにも複雑になりすぎて、理解しようにもどこから手をつけたらいいか分からない状態になっていると思う。そのような中で本作は、問題をかなり客観的に捉え、ヤバそうなものまで幅広く様々な意見を盛り込んだ上で、冷静に状況を捉えるための「素材」を提供してくれる作品に感じられた。
先述した通り、私はもう「『慰安婦問題』は解決不能」だと考えている。しかしだからと言って、この問題を知らなくていいことにはならないだろう。この記事には、映画で語られた内容がかなり上手くまとまっていると思うが、それでもやはり、映画も観て自分なりに考えてほしい。私のように「『慰安婦問題』について何も知らない」という人間でも問題なく観れると思うので、「教養」として鑑賞をおすすめする。
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