【実話】福島智とその家族を描く映画『桜色の風が咲く』から、指点字誕生秘話と全盲ろうの絶望を知る

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:小雪, 出演:田中偉登, 出演:吉沢悠, 出演:吉田美佳子, 出演:山崎竜太郎, 出演:札内幸太, 出演:井上肇, 出演:朝倉あき, 出演:リリー・フランキー, Writer:横幕智裕, 監督:松本准平, プロデュース:結城崇史
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「全盲ろうで常勤の大学教授となった世界初の人物」である福島智が辿ってきた、あまりに苦難な生涯
  • シンプルな発想だが、それまで誰も思いつかなかった「指点字」を発案し、全盲ろうとのコミュニケーションの道を切り開いた母親の献身
  • 「自分には使命がある」と、困難な道を歩むことを決めた福島智の凄まじい葛藤

どう頑張ってみても想像の及ばない信じがたい境遇の中で、福島智はいかに闘い、家族はいかに支えたのか

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

「見えない」「聞こえない」を乗り越え、世界で初めて全盲ろうで常勤の大学教授になった福島智の凄まじい生涯を描く映画『桜色の風が咲く』

「映画としての評価」を聞かれると、「凄く良い」とは言い難い作品である。決して悪いわけではないのだが、私がこのブログで紹介している他の映画と比べると、やはり少し評価は落ちるかなと思う。しかしそれでも本作は、「福島智」という人物に関する「事実の強度」があまりにも強いため、観ながらやはり心揺さぶられてしまった。こんな風に人生を歩んできた人物がいるとは、ちょっと信じがたいほどだ。

福島智とその母が生み出した「指点字」の革命

「福島智」という人物についての知識を得たのがいつだったのか記憶にない。しかし、彼の生き様を初めて知った時に、その凄まじさに衝撃を受けたことは覚えている。彼は、まず目が見えなくなり、その後耳が聞こえなくなった。これを「全盲ろう」と言う。そして全盲ろうでありながら大学を卒業し、その後東京大学の教授になったのである。そもそも、全盲ろうかどうかに関係なく凄いと言っていいだろう。

ただやはり、全盲ろうでこの活躍は世界的に見ても異例であり、福島智は、「全盲ろうで常勤の大学教授になった世界初の人物」なのだそうだ。また、「全盲ろうで大学に進学した日本初の人物」でもある。「凄い」なんて言葉をどれだけ並べたところで、そのとんでもない生き方を形容できるものではないように思う。

映画『桜色の風が咲く』は、そんな福島智の生い立ちを描く物語だ。そしてそれは、そんな智を支え続けた母親の物語だとも言える。

以前観に行った何かの美術展において、「福島智の母親が発案した『指点字』」に関する情報が展示されていた。「点字」はもちろん知っていたが、「指点字」なるものについてこれまで触れたことが無く、そこで初めてその存在を知ったのだと思う。

まず「点字」の説明をしておこう。なかなか触れる機会がないから、基本的な情報が欠落している人も多いかもしれない。私も、その展示を見るまでは同じ状態だった。

「点字」は、小さな穴の凹凸を指で触って文字として読むものだ。6つの穴の開け方によって表現できる文字に違いが出る。点字を打つ際は、先が丸くなった針のようなもので一穴一穴地道に打つことも出来るが、「点字を打つための機械」も存在するという。両手の指を6つそれぞれの穴に対応するレバーのようなものの上に置き、ピアノの鍵盤を弾くように「タイピング」することで、打ちたい文字が出力できるという仕組みだ。

そして「指点字」というのは、「点字を打つための機械」のレバー上の指の動きを、そのまま全盲ろう者の指の上で行うという伝達手法のことを指す。もちろん、この「指点字」を理解するためには、指を押される側の人物が「点字の知識を持っていること」「『点字を打つための機械』の使用経験があること」が必須である。しかし、その条件さえクリア出来ていれば、「どの指が押されたのか」という感触が、まるで「自分が『点字を打つための機械』を打っている」ような感覚となり、それによって他者の言葉を理解することが出来るようになるというわけだ。

そしてこの「指点字」というアイデアを生み出したのが、福島智の母親なのである。

映画の最後に、

母親が生み出した「指点字」は、多くの人の”言葉”となっている。

と字幕で表示された。確かにこの「指点字」、説明されれば非常にシンプルなアイデアだと感じるが、しかし福島智の母親が発想するまで誰も思いつけなかったものでもある。そんな、今では多くの人にとって「無くてはならないコミュニケーション手段」となっている「指点字」を生み出した母親も凄いし、その息子もまたとんでもない。親子揃って尋常ではない人生を歩んでいる、そんな彼らの波乱の生涯を丁寧に描き出す作品なのである。

映画『桜色の風が咲く』の内容紹介

映画では、福島智の幼少期から大学合格までを描いていく

福島智は、両親と2人の兄と共に兵庫県で暮らす、どこにでもある普通の家庭で育った

智に異変が見つかったのは、ある年の正月のことである。目が赤くなっていることに父親が気づいたのだ。母・令子は、正月中は病院も空いていないだろうから、年が明けてまだ赤いようなら医者に診てもらいましょうと夫に伝えた。

さて、正月明けに町医者を訪れると、「どうしてすぐに来なかったのだ」と言われてしまう。状況は芳しくないようで、すぐに県立病院を紹介された。担当する医師はなかなか横柄な人物で、何かあると、「困りますよ、ここは町医者じゃないんですから」と、権威主義的なスタンスを隠そうともしない。しかし令子は、医者の言うことだからと、言われた通りに治療を行った

しかしある日、いつもの先生が忙しいからと別の医者が担当してくれた際、「もしかしたら牛眼かもしれません」と、それまでの診断とは異なることを言われる。すぐにその方向で治療・手術が行われたのだが、結果的に智の片目の視力は完全に失われてしまった

智はそれから、義眼を嵌めて過ごすことになる。片目を失ったことなど気にしていないかのように毎日元気にしていたが、やがてもう片方の目の視力も衰え始めていった。智は、病院で知り合った全盲のおじさんから点字を習うなど「悪い可能性」についても想定していたものの、「別に目を諦めたわけじゃない」と気持ちは前向きだ。

しかしその後、願いも虚しくすべての視力が奪われてしまった。それでも智は、「自分には耳がある」と意欲的だ。そして、親元を離れ、全盲者を受け入れる東京の高校への進学を決める。彼は同じ境遇の仲間たちと過ごしつつ、落語と本に明け暮れていった

しかし、友人からの指摘により、耳の調子も悪くなっていることが判明し……。

映画『桜色の風が咲く』の感想

映画では随所で、福島智に試練がのしかかる。そしてそのような場面で私も、「自分だったらどうするだろうか」と考えさせられてしまった

正直なところ、そうしようと思ってもまったく想像の及ばない世界の話である。智自身もある場面で、「想像できんのか?」と母親に八つ当たりしてしまってもいた。目も見えなければ耳も聞こえないという状態について、「たった1人で宇宙に放り出されたみたい」と表現してもいる。それでさえなかなか想像が難しい。「この苦しみは、僕にしか分からない」という彼の叫びは、本当にその通りだと感じる。

映画の中で印象的だったのは、吉野弘の「生命は」という詩が2度も語られたことだ。

著:吉野 弘
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その中に、こんな一文がある。

生命は
その生に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

これはとても良い表現だと感じた。要するに「人は1人では生きられない」という意味だが、手垢がついているだろうその表現を、少し違った角度から捉えるものであり、その眼差しが素敵だと思う。

「その生に欠如を抱き」ということはつまり、「生きとし生けるすべての生命は、単体では必ず『欠如』がある」ということになる。そして「その『欠如』を補うために他者の存在をどうしても必要とする」と捉えているというわけだ。どんな個人も、1人では「完璧な存在」になることは出来ない。また、1人1人その「欠如」の形は違うのだから、誰が誰の「欠如」を埋める存在として生を享けているのかも分からないのである。つまり「どんな個人も、どこかにいる誰かの『欠如』を満たす存在になり得る」というわけだ。

「生命は」の詩が出てくるのは、智自身がこのような感覚を抱いているからだろう。実際ある場面で、このような発言もしている。

自分がこんな風になったのは、こういう僕じゃないとできないことがあるからやないかな。
生きる上での使命があるのなら、それを果たさなければならない。
そして僕の使命は、この苦しみがあってこそ成り立つ。

彼がこのように主張するのには理由がある。もっと前、智は次のように考えていたのだ。

「人は乗り越えられる者にしか試練を与えない」とかよく言うやろ。あの言葉、嫌いやねん。試練とか要らんねん。

このように彼は、自身の置かれた状況に絶望し、嘆いていたのである。それは当然だろう。だから、「人は乗り越えられる者にしか試練を与えない」という言葉にも苛立ちを隠さない。そんなことよりも、ありきたりの人生でいいから穏やかに生きさせてくれ。絶望の淵に立たされた彼は、そのような「怒り」をぶつけていくことでどうにか踏みとどまっていたのだ。

しかしそこから「脳みそが透明になるくらい考えた」彼は、「自分には使命があるのだ」という、先のような思考に至ったのである。

彼は友人から、「思索は君のためにこそある」と言われた。この言葉で彼は、「自分はまだ考えることが出来る、自分には言葉がある」と勇気づけられるのだ。そして大学進学を決意、その後全盲ろう者の先駆者となっていくのである。本当に凄い人物だと思う。

出演:小雪, 出演:田中偉登, 出演:吉沢悠, 出演:吉田美佳子, 出演:山崎竜太郎, 出演:札内幸太, 出演:井上肇, 出演:朝倉あき, 出演:リリー・フランキー, Writer:横幕智裕, 監督:松本准平, プロデュース:結城崇史
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最後に

とにかく、福島智の人間としての凄まじさと、母・令子の尋常ではない献身に圧倒させられる映画だった。「事実の強度」があまりにも強すぎる、実話とは思えない現実である。

私は正直、「『困難な状況に置かれている、あるいは置かれていた人たちの奮闘』に触れて『勇気づけられる』『自分も頑張ろうと思える』みたいな感想を抱く」のが苦手だ。「本人には『勇気を与えている』ようなつもりもないだろうし、そんな押し付けがましいことは言いたくない」という気持ちが勝ってしまうからである。しかし福島智については、「自身の存在によって誰かにとっての新たな道が切り開かれたら幸いだ」みたいな気持ちを持っていたはずなので、「勇気づけられる」という言い方をしてもいいかなと思う。

そんな凄まじい人物の生い立ちを描く物語である

最後に。本筋とは全然関係ないが、県立病院の医師を演じたリリー・フランキーは見事だったいけ好かない役を、実に見事に演じている。観ていて本当にイライラさせられたし、その演技は抜群だと思う。

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