はじめに
この記事で取り上げる映画
この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ
この記事で伝えたいこと
「死んでも何度でも生き返ることが出来る」というありふれた設定を非常に面白い物語に仕上げている



同監督の映画『パラサイト』の方が面白いけど、本作も良かったと思う
この記事の3つの要点
- 主人公のミッキーは何故、過酷すぎる仕事に従事させられる「エクスペンダブル」になることを選んだのか?
- 「1人が複数の肉体を持つ」という「マルティプル」を禁じたルールによってどんな展開が生まれるのか?
- 植民計画を先導するマーシャルとその妻のハチャメチャっぷりもなかなか面白い



設定も展開も実に見事な、かなりよく出来た物語だったなと思う
自己紹介記事




どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください
映画『ミッキー17』は、「死んでも何度でも生まれ変われる」というよくある設定から、実に奥深い物語が展開される作品だ


これは面白い映画だったなぁ! 本作で扱われているのは、「同じ人格のまま何度でも生まれ変われる」という、これまでだっていくらでも描かれてきただろう設定なのですが、そんな設定から「なるほど、こんな物語になるのか!」と驚かされるような展開になっていきます。メチャクチャ良く出来てるなと思ったし、誰もが楽しめるエンタメと言っていいんじゃないかと感じました。



さすが映画『パラサイト』のポン・ジュノ監督だよね
まあでも、『パラサイト』の方が断然面白かったけど
映画『ミッキー17』の内容紹介


本作の冒頭は、「少し先の未来における惑星ニフルヘイム」からスタートする。ミッキーは登場シーンの時点で既に17回も生まれ変わっており、そして今まさに命の危険に瀕していた。氷原のクレバスのような場所に落ちてしまい、そのまま戻れなくなってしまったのだ。このままだと、ニフルヘイムに棲息する謎の生物(バカでかいダンゴムシみたいな姿をしている)に喰われてお終いである。しかしそうだとしても、ミッキー18として再び生まれ変わるだけだ。


しかし、そもそもミッキーはどうしてそんな境遇に置かれているのだろうか? そこには色々と複雑な事情があるのだが、発端は、友人のティモが「これからはバーガーではなくマカロンの時代だ」と口にしたことである。それを真に受ける形で、2人は借金をして店を開くが大失敗。そして、強欲な金貸しであるダリウス・ブランクに追われる立場になってしまったのだ。彼は既に大金を有しているため、「貸した金が返ってくるかどうか」なんてことには興味がない。そうではなく、「金を返せなかった者が死ぬゆく様を眺めること」に興味があるのだ。2人は1度、モンゴルに逃げていたという別の借り主が目の前で殺される様子を見てしまっていた。返す金などないのだから、どうにか逃げるしかない。
そこで飛びついたのが、議員(だった?)のケネス・マーシャルが陣頭指揮を執る植民計画である。2度も選挙で負けているという彼は、「別の惑星へと移住し、そこで自らの帝国を築く」という壮大な計画を推し進めていたのだ。そして、地球から逃れられれば何でもいいと思っていたミッキーは、この計画に乗ることにしたのである。
しかし、ただ応募したのではまず選ばれはしない。というのも、マーシャルには熱狂的な支持者が多数存在し、彼を崇拝する者たちが大挙して申請に訪れていたのである。別にマーシャルのファンというわけではないミッキーは、普通に考えて選ばれる可能性が低いはずだ。


そこで彼は「エクスペンタブル」に応募する決断をした。これは、肉体と記憶を何度でも再生できる「人体プリンティング」の技術を使って「死んでも生まれ変われる身体」になった者の総称である。ミッキーはとにかく「地球から逃げること」しか頭になかったので、受付の女性から「書類はすべて読みましたとね?」と聞かれた際も、読んでもいないのにテキトーな返事をしてしまった。そのため彼は、その”仕事”がどれほど過酷なのか知らずに手続きしてしまったのである。
さて、エクスペンダブルの技術自体は以前から確立していたのだが、倫理的・宗教的な問題から議論が紛糾したため、とりあえず「地球上では禁止。地球以外の宇宙空間でのみ許可する」という方向で落ち着いた。そのためエクスペンダブルは、「生身のまま宇宙空間に放り出され、宇宙放射線症の進行状況を調査する」とか、「新たな惑星に辿り着いた際、致死性のウイルスがないか探索し、あれば人体実験によってワクチン製造を行う」など、死を前提としたメチャクチャ過酷な「使い捨ての仕事」に従事させられているのだ。もちろんミッキーも同様である。
こうしてミッキーは、どうにか地球から脱出するための宇宙船に乗り込むことが出来た。惑星ニフルヘイムまでは4年半という長い旅路である。そしてミッキーは宇宙船で、ナーシャという女性とすぐに仲良くなった。そんなナーシャはエリートエージェントとして乗船しており、「兵士」兼「警官」兼「消防士」というスーパーウーマンである。彼女がどうして自分なんかを好きになってくれたのかは分からないものの、彼らは航行の間じゅう、その仲をどんどんと深めていく。宇宙船内ではセックスが禁止されているのだが(4年半も食料を維持するには、個々人の消費エネルギーを最小限にしなければならないため)、彼らはそんなルールを破ってセックスに励み、また、過酷すぎる仕事をさせられているミッキーの傍にナーシャが常に寄り添うような形で支えてくれたりもした。そうやってミッキーらは、どうにか惑星ニフルヘイムへと降り立つことが出来たのだ。


さて、過酷な仕事に従事させられながらも「死なない身体」を手に入れたミッキーだったが、しかしそんな彼にも「死」に直面する危険が存在する。それが「マルティプル」と呼ばれている状態だ。これは「1人が複数の肉体を持つこと」を指している。現行のルールでは、「肉体が死を迎えてから人体プリンティングを行うこと」と定められており、これに違反すると重大な法律違反とみなされ、保存してある記憶がデリートされてしまう。エクスペンダブルは何度でも生まれ変われるが、それは記憶が保存されているからだ。身体はプリント出来ても、記憶がなければそれは「ミッキー」ではないだろう。つまり、「マルティプル状態になったことが発覚し、それを理由に記憶がデリートされること」こそが、エクスペンダブルにとっての「死」というわけだ。
で、映画冒頭のシーンに戻る。ニフルヘイムに着いてからもやはり過酷な仕事ばかりさせられていたミッキーだったが、彼はある時思いがけず、自分が「マルティプル状態」になっていることに気づいてしまい……。


映画『ミッキー17』の感想


さて、私は別にFilmarksでの評判の良し悪しに影響されたりはしませんが、鑑賞後にFilmarksを見てみたら思いのほか評価が低くて驚きました。かなり面白かったと思うけどなぁ。やっぱり、映画『パラサイト』のハードルが高くて、前作と比較されてしまったのでしょうか。
映画に限らないけど、これは創作者が抱える大きな悩みだろうね



常に「過去最高」を更新し続けないと評価されないとか、キツすぎるでしょ
個人的にはまず、設定がとにかく秀逸だと感じました。「死んでも生き返る者を使い捨ての仕事で使う」というだけだとなかなか物語の展開が限られそうですが、本作はそこに「マルティプル」という禁忌を組み込んだことで、かなり面白い展開になっています。
「なるほど」と感じたのが、「マルティプル」になってからの「死の捉え方」の違いです。まず肉体が1つの時は、「死んだとしても別の肉体に移るだけ」であり、つまり「自分は生まれ変わっている」という感覚になれます。しかし「マルティプル」になり、肉体が2つ存在するようになると、状況が一気に変わってくるのです。


例えば肉体ごとに「ミッキーA」「ミッキーB」と名前をつけましょう。で、「ミッキーA」と「ミッキーB」は、本質的には同じ存在のはずですが、彼ら自身の自覚では別人です。なので例えば「ミッキーA」の肉体が死ぬ場合、「ミッキーA」は「『自分』は死んで『ミッキーB』だけが生き残る」という感覚を抱きながらこの世を去ることになります。だから「『ミッキーA』は『生まれ変わっている』という感覚を抱けなくなる」というのです。
これで「意識が共有されている」とかならまた話は別なんだけどね



それはそれでまた面白い物語が生まれそうな感じはする
なるほどこの発想はなかなか面白いなと感じました。言われてみれば確かにその通りだなと思いますが、普通に生きていればミッキーが置かれているような状況について考えを巡らす機会はまずないわけで、実に興味深かったです。あと、私の記憶では確か、キリスト教には「生まれ変わり」という発想はないはずで、だからミッキーが語るこのような感覚は「東洋的」と言ってもいいのかもしれません。もちろんこれは、監督がアジア人だと知っているからこその捉え方でしかないかもしれませんが。


というわけで、物語全体としては「『マルティプル』になってからの展開」の方がより一層興味深いのですが、私はそもそもの設定がかなり秀逸だったなと感じたし、本作はとにかく「設定勝ち」と言っていい物語であるように思えました。


さて本作には、「マーシャルとその妻イルファが、上流階級の特権を盾に無茶苦茶なことをしている」という描写も多分に含まれていて、これもなかなか面白かったです。マーシャルは、こんな植民計画を実行に移すぐらいなので「権力への強欲さ」みたいなものがとにかく半端じゃありません。また妻のイルファは「ソース作り」に熱中しているのですが、後半のある場面では、「どう考えても今そんなことしてる場合じゃないよね」というような状況で「これで斬新なソースが作れるわ!」みたいな素っ頓狂なことを言っていました。こんな風に2人ともかなりイカれ散らかしているのだけど、しかし彼らと共にニフルヘイムにやってきた者の多くは彼の「信者」なわけで、そんな2人が放つ狂気が当然のように放置されているのです。
だからこそ、信者でも何でもないミッキーにとっては、なかなか地獄みたいな環境なんだよね



エクスペンダブルになるならない関係なく、この植民計画の一員にはなりたくないよなぁって思う


そしてそれ故に本作では、ラストの「あまりにもハチャメチャな状況」が当たり前のように展開されるわけで、それもまた面白かったなと思います。さらに、「マルティプル状態のミッキー」と「マーシャル夫妻のムチャクチャさ」にはどちらも視覚的なインパクトがあるので、映像的な面白さもプラスされていると言えるでしょう。そういう点も含め、全体的に見事だったなと思います。


最後に
世間的な評価はちょっと辛めなのかもしれませんが、個人的にはかなり楽しめる作品という感じでした。そりゃあ映画『パラサイト』の方が面白いのは確かですが、本作も全然面白かったなと思います。ただ、私は公開2日目の土曜日に観に行ったのに、私が観た回は客席がガラガラでホントに驚きました。みんな「配信でいっか」ってなったのかしら。
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