【愛】ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の“衝撃の出世作”である映画『灼熱の魂』の凄さ。何も語りたくない

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:ルブナ・アザバル, 出演:メリッサ・デゾルモー=プーラン, 出演:マキシム・ゴーデット, 出演:レミー・ジラール, 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 映画『灼熱の魂』をもし観ようと考えているなら、私の文章など一切読まずに映画館へ足を運んでほしい
  • 「ラストの衝撃」だけが凄いわけじゃない。最初から最後まで圧倒されっ放しだった
  • 奇妙な遺言状を遺した母親の「動機」を想像する

一度観た映画を再び観ることはほぼないが、映画『灼熱の魂』はもう一度観てもいいと思える超絶傑作だった

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

フィクションの映画にこれほど圧倒されるのは久しぶり。「とんでもない映画を観てしまった」という感覚が凄まじい映画『灼熱の魂』

久々に、ぶっ飛ぶような映画鑑賞体験だった。凄すぎる。とんでもなかった。

もしこの映画をまだ観ておらず、観ようかどうしようか迷っているとすれば、私の文章など読まず、今すぐ映画館に向かってほしいなんの前情報も入れずに観るのがオススメだこの記事では、ネタバレをせずにあれこれ書くつもりなので、私の文章を読んでも内容や展開など分からないと思う。しかし、どうせなら、何も知らずに観てほしい。

ただ、もしかしたら鑑賞前に知っておく方がいいかもしれないと思う情報だけ書いておこう。それは、映画の舞台設定だ。

物語は、カナダから始まり、「母親の故郷」である中東のどこかの国に舞台が移る。映画を観ながら、「これは中東のどの国なのだろう?」と思っていたのだが、公式HPを見ると、舞台となる国を明確に定めているわけではないそうだ。「中東のどこか」という設定なのである。映画では、宗教的な対立や国内の紛争などが描かれるのだが、それらは「架空の国」の出来事なので、歴史の知識を持っていなくても問題ない。この点だけは、あらかじめ諒解しておいてもいいかもしれない。

それでは、観るかどうか悩んでいる人は、ここで文章を読むのを止めることをオススメする

私はいつも、映画館で映画を観ており、しかも、観る映画について事前にほとんど何も調べない。チラシや予告程度の情報で観るかどうかを決め、なるべく具体的な情報を知らないまま観るのが好きだ

だから、映画を観終えてから、『灼熱の魂』が、有名映画監督の出世作であることを知って驚いた。『DUNE/デューン 砂の惑星』『メッセージ』『ブレードランナー 2049』『ボーダーライン』などを監督しているドゥニ・ヴィルヌーヴなのだ。

出演:ティモシー・シャラメ, 出演:レベッカ・ファーガソン, 出演:オスカー・アイザック, 出演:ジョシュ・ブローリン, 出演:ステラン・スカルスガルド, 出演:ゼンデイヤ, 出演:ジェイソン・モモア, 出演:ハビエル・バルデム, Writer:ドゥニ・ヴィルヌーヴ, Writer:ジョン・スペイツ, Writer:エリック・ロス, 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ, プロデュース:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
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出演:エイミー・アダムス, 出演:ジェレミー・レナー, 出演:フォレスト・ウィテカー, 出演:マイケル・スタールバーグ, 出演:ツィ・マー, 監督:Denis Villeneuve, プロデュース:Shawn Levy, プロデュース:Dan Levine, プロデュース:Aaron Ryder, プロデュース:David Linde
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出演:ハリソン・フォード, 出演:ライアン・ゴズリング, 出演:アナ・デ・アルマス, 出演:シルヴィア・フークス, 出演:ロビン・ライト, 出演:マッケンジー・デイヴィス, 出演:デイヴ・バウティスタ, 出演:ジャレッド・レト, 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ, プロデュース:Andrew Kosove, プロデュース:Broderick Johnson, プロデュース:Bud Yorkin, プロデュース:Cynthia Yorkin
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出演:エミリー・ブラント, 出演:ベニチオ・デル・トロ, 出演:ジョシュ・ブローリン, Writer:テイラー・シェリダン, 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
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2010年に製作され、2011年に日本で公開された『灼熱の魂』が、どうして2022年にデジタル・リマスター版が制作されたのかは分からない。しかしそのお陰で私はこの映画に触れることができたので、とても喜ばしい。これまで、一度観た映画を再び観たケースは数えるほどしかないが、『灼熱の魂』はもう一度観てもいいかもしれないと思うほど、久々にガツンとやられた映画だった。

ネタバレなしで映画『灼熱の魂』の内容紹介

ジャンヌとシモンは、カナダに住む双子の姉弟。彼らは、公証人・ジャンに呼び出された。母・ナワルはジャンの秘書を長年務めたのだが、その母の遺言状を預かっているのだという。

母が遺した遺言状は、実に奇妙な内容だった。

冒頭こそ、財産分与や葬儀・墓についてなど事務的な内容が続くが、最後に2つの”指示”が与えられる。姉ジャンヌには「父親を探すこと」、そして弟シモンには「兄を探すこと」と書かれていたのだ。母は父・兄(ナワルにとっては夫・息子)に対してそれぞれ手紙を書いており、「2人を探し出し、無事手紙が渡ったことをジャンが確認し次第、ジャンヌとシモンにさらなる手紙を渡す」のだという。

この内容に姉弟は困惑した。父親は内戦で死んだと聞かされていたし、兄の話などこれまで一度も聞いたことがないからだ。弟のシモンは、母の遺言を無視するように提案する。実は母ナワルは、姉弟にとってかなり奇妙な存在であり、気持ちが通じ合ったと感じる経験をほとんどしたことがない。だからシモンは、「母親がまた頭のおかしなことを言っているだけだ」と相手にせず、普通に埋葬しようと考えたのだ。しかし、生真面目な姉ジャンヌは、母の遺言に従って、父親探しを始める

ナワルは中東で生まれた。軍が絶えず視界に入り、内戦がいつまでも続く国の南部に位置する村の出身だ。

その日ナワルは、婚約者と共に実家に向かっていた。しかし、険しい山を登る途中で2人の兄に見つかり、銃を向けられる。ナワルの婚約者の存在が許しがたいようだ。そしてなんと、婚約者はそのまま射殺されてしまう。泣き崩れるナワル。祖母はそんな彼女を、「お前は一族の名誉を傷つけた」と大声でなじる。ナワルは泣き続けるしかない。祖母は、ナワルが妊娠していると知ると、こんな提案をする。出産までここで過ごし、子どもを産んだら街にいる叔父の元へ行き、大学に通いなさい、と。生まれた子どもはそのまま孤児院に預けられた。ナワルは祖母に言われた通り叔父を頼り、大学生になる。

情勢が不安定な中、ある日社会民族党が大学を閉鎖した。叔父一家は、「状況が落ち着くまで山に避難する」と言って準備を始める。しかしナワルは、この機にある決断をした。叔父に嘘をついて家を出たナワルは、そのまま紛争が続く南部へと向かったのだ。かつて手放した息子を探し出すためである

大学の数学講師であるジャンヌは、母の祖国に足を踏み入れた。教授から、母が通っていた大学で数学を教えていた人物を紹介してもらったので尋ねてみたのだが、まったく当てが外れてしまう。母の古い写真を手にそのまま大学で話を聞いていると、「その写真は南部で撮られたものだ」と断言する人物に出会った。どうしてそんなことが分かったのか。それは、写真の中でナワルが背にしている壁が、よく知られた監獄のものだったからだ。南部クファリアットに作られた、悪名高き監獄である。

そう、ナワルは15年という長い年月をその監獄で過ごした。「歌う女」という呼び名で知られた人物だったのだ。

「ラストに明かされる真実の衝撃」だけの物語では決してない

上述の内容紹介では、映画のかなり冒頭の部分までしか触れていないほとんど何も書いていないに等しいだろう。そして、物語の展開上これはネタバレに当たらないと思うが、姉弟は無事に父と兄を見つけ出す。しかし、「父と兄が見つかる」という事実が、この映画における最大の衝撃をもたらすことになるのであり、まずはその「ラストに明かされる真実」がもたらす驚きが凄まじい

しかしこの映画の驚くべきは、「『ラストの衝撃』だけの作品ではない」という点にある。「ラストの衝撃」だけに頼る作品は、物語中盤の展開がダルくなってしまうことも多いだろう。しかし『灼熱の魂』は、ラストに至る過程もずっと驚きの連続なのだ。

物語は主に、「姉弟が父・兄を探すパート」と「ナワルの人生が描かれるパート」の2つに大別できるが、「ラストの衝撃」に関係するのは前者の「姉弟が父・兄を探すパート」の方である。そして、後者の「ナワルの人生が描かれるパート」の方は、とにかくずっと衝撃の連続なのだ。

具体的には触れないが、ナワルは婚約者を殺されて以降、その生涯のほとんどを「壮絶」という言葉では言い表せない状況に置かれている。姉弟が知る母ナワルは、ナワルにとって「外形的には最も穏やか」と言っていい時期のものだ。しかし、ナワルの心は長い年月を掛けて蝕まれてしまった。だから姉弟には、母の存在が奇妙に思える。母の過去を知らないのだから当然だ。ナワルの過去を知れば、彼女が「真っ当さ」を携えて日常を送ることがどれだけ困難だったか、想像できるだろうと思う。

まったく何も知らずにいた姉弟と同時進行で、観客はナワルのその生涯を追いかけていくことになる。その重苦しさに打ち震えながら、最終的に「ラストの衝撃」を迎えるのだ。「子どもたちが、母親の奇妙な遺言を聞く」という割と平凡なスタート地点から、これほどの物語が展開されるとはまったく想像出来なかった。

「観ずに分かった気になる」のは不可能

現代においては、必要以上の情報が氾濫しているため、映画に限らず「作品そのものに触れなくても、『なんとなく分かった気になれる』情報」が溢れていると言っていいだろう。予告やレビュー、あるいは「ファスト動画」のような違法なものまで、探せば様々な情報を手に入れられるし、それらを組み合わせることで、観ていない映画でも、読んでいない小説でも、「分かった気になれる」こともある。もちろんそれは錯覚に過ぎない。ただ、作品そのものに触れた場合を「10」とすると、「4~6」ぐらいのレベルで「分かった気になる」ことは、現代ではそう難しいことではないと思う。すべての創作物に触れる時間はないのだから、「分かった気になれる」という「体験」に需要があることは理解できるし、そういう消費の仕方が間違っているとも思わない

しかし、『灼熱の魂』の場合はそうもいかない。映画本編を観なければ何も受け取れない、つまり「0」というわけだ。とにかく、「どんな物語であるのか」ということ以上に、「この物語を『体感した』という感覚」こそが、作品の評価の主軸になるように思う。例えば、大迫力の戦闘シーンや、街中を疾走するカーチェイスシーンなどは、まさに「この物語を『体感した』という感覚」をもたらすだろう。『灼熱の魂』には、そのような視覚的に分かりやすいシーンが多いわけではないのだが、全編を通じて「この物語を『体感した』という感覚」がとても強い作品だと感じた。

だからこそ、「観ずに分かった気になる」ことなど不可能なのだ。

さらにその上で、物語そのものもとにかく素晴らしい。本当によく出来ていると思う。

映画を観終えた後で物語全体を振り返ってみた時に、情報の出し方が絶妙であることに驚かされた。「ラストの衝撃」に至るまでには、描かなければならない要素が様々に存在する。それらを出すべきタイミングを誤らずに適切な場面で描写しながら、「姉弟の調査」「ナワルの人生」それぞれの物語も不自然にならないように展開していくのだ。

また、先程から「ラストの衝撃」と表記しているこの映画の真相は、その真相だけ取り出して聞かせたら、誰もが「そんなことあり得ないだろう」と感じてしまうような信じがたいものである。普通の状況であれば、理解も許容も不可能としか思えないような、異次元の結末なのだ。しかし『灼熱の魂』では、そんなあり得ない真相を、「なるほど、そういうことなのか……」と納得せざるを得ない説得力で描き出す。「あり得ない真相」なのだから、心情的には納得などまったくしたくない。しかし、この作品では、納得せざるを得ない強度で物語を展開する。だから観客は、諦めてその「真相」を受け入れるしかないのだ。

では、その「強度」は一体何が生み出しているのか。やはりそれは、ナワルの人生の悲惨さだろう。ナワルがあまりにも異次元の人生を歩んでいるが故に、ラストで提示される「あり得ない真相」は否応なしに相応の強度を有してしまうのだ。そして観客には、ナワルが経験した人生の重さ分の強度がのしかかってくることになる。その重量に、とてつもない息苦しさを感じてしまう。

「ラストの衝撃」はもちろん、第一義的には姉弟にのしかかる。母の人生を追いかけたことで、いつの間にか自分たちの人生がめくれ上がってしまう体験など、想像に余りあるだろう。しかし冷静に考えてみると、姉弟は母の人生の足跡を追いかけているに過ぎない。観客はというと、ナワルが体験した人生を映像で観ているのだ。「あり得ない真相」がもたらす衝撃は当然、姉弟の方に強く向くだろうが、「ナワルの人生」がもたらす衝撃の方は、視覚的に体感しているという意味でより観客の方に向いていると感じる。

もちろん、登場人物と観客を同列に並べて比較するような思考には何の意味もないのだが、自分が感じた衝撃をどうにか説明したくて、こんなことを考えてみた。ホントに、とにかく凄まじいのだ。

母ナワルの動機を想像する

さて最後に、「母ナワルの動機」について想像してみたいと思う。

映画の中である人物が、「時として、知らない方が良いこともある」と口にする。もちろんこれは、ナワルの人生のことを指した言葉だ。ナワルの人生の一部しか知らないこの人物でさえも、「知らない方がいい」と忠告したくなるような凄まじさなのである。

そんな自身の過去を、ナワルはなぜ子どもたちに調べさせようとしたのだろうか

ジャンヌもシモンも、元々母の過去についてまったく知らずにいた。父や兄の存在についてすら、青天の霹靂だったのだ。だからナワルにとって、「真実を墓まで持っていく」ことなど容易だったと言っていい。しかし彼女は、遺言という強制力のある形で、自身の過去を調べるように子どもたちに命じた

その理由は様々に想像し得るし、観た人がそれぞれ考えればいいが、私なりの解釈を書いてみたい

私が思う「ナワルの動機」は、「子どもたちに愛を伝えること」である。

ナワル自身も恐らく、「母親として上手く子どもたちと接することができない」という葛藤を抱いていたのだと思う。しかしそれでもなお、ナワルは母親として真っ当にはなれなかった。それは、彼女の壮絶すぎる過去ゆえに仕方ないことであり、ナワルは忸怩たる思いを抱えつつ、母親としてきちんとした振る舞いをすることを諦めていたのだろう。

ただ、子どもたちに対して「愛情」を抱いていたことは間違いない。そして、「あなたたちのことを愛していた」ということをどうしても伝えたいと思っていた。そのためには、自身の過去について話すしかないが、しかし客観的に判断してそれはとても難しい。というのも、ナワルの過去を姉弟の立場からシンプルに捉えた場合、「母が自分たちのことを愛しているはずがない」と受け取る方が自然だからだ。どうしてそう考えるのかは説明しないので、是非映画を観てほしい。映画を観た方であれば、私が言いたいことを理解してくれるのではないかと思う。

ナワルは、「壮絶な過去のせいで、まともな母親ではいられなくなってしまった」と理解してもらい、そのことを通じて、「子どもたちのことを愛している」と伝えたいと思っていた。しかしナワルは一方で、自身の過去を伝えることで、「子どもたちのことを愛しているはずがない」と受け取られてしまい得るという大きなジレンマの中にいたのである。これは非常に難しい問題だ。近づきたいが、近づくとお互いの針で相手を傷つけてしまうハリネズミのジレンマのようなものと言えばいいだろうか。

そこでナワルは、この状況をどうにか乗り越える方法を考え、思いついた。それが「遺言で父・兄探しを命じる」というものだったのだ。心理学的には、「簡単に手に入ったモノ」と「苦労して手に入れたモノ」とでは、思い入れに差が出ることがわかっている。姉弟にとって、母の足跡を辿る旅路は相当な苦労を強いるものだった。そして、そうやって苦労して手に入れた事実だからこそ、受け取り方が変わり得る。母親から直接聞いていれば「嫌悪感」が先に立ってしまったかもしれない話を、自分たちで苦労してかき集めたことで「嫌悪するもの」とは違う形で受け取ることができるのではないか。

ナワルはそんな期待をしていたのではないかと思う。彼女が遺した奇妙な遺言状は、盛大な遠回りを経た「アイラブユー」だったのだ

今ここで書いたことは、私の勝手な妄想にすぎない。違う解釈をする方もいるだろう。しかしいずれにせよ、物語の中で明確に描かれていない、観客の想像に任されている部分も含め、すべての挙動が「完璧」だったと言うしかない。凄まじい映画だった。

出演:ルブナ・アザバル, 出演:メリッサ・デゾルモー=プーラン, 出演:マキシム・ゴーデット, 出演:レミー・ジラール, Writer:ドゥニ・ヴィルヌーヴ, 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

最後に

こんな出会い方ができるから、事前情報をなるべく知らずに映画を観るというスタイルが止められない。遺言状に込められた「アイラブユー」のメッセージと、ナワルが経験せざるを得なかった人生の壮絶さの落差に打ちのめされてしまう、とんでもない作品だ。

ドキュメンタリー映画では、映し出される現実の壮絶さに驚かされる経験は何度もしてきたが、フィクションの映画でここまで抉られたのは久しぶりだと思う。予告の映像だけで「この映画を観よう」と決断した自分を褒めてあげたい。

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