目次
はじめに
この記事で取り上げる映画
出演:マルタン・マルジェラ, Writer:ライナー・ホルツェマー, 監督:ライナー・ホルツェマー
ポチップ
この映画をガイドにしながら記事を書いていきます
この記事の3つの要点
- 既存の常識を打ち破り続けたからこそ、同業者にも大衆にも高く評価されるに至った
- 「作品だけを記憶してほしい」と、生涯表舞台に現れないまま引退した伝説的人物
- モデルの扱い方など、デザイン以外の部分でも先進性を発揮し、時代を先取りした男
「19世紀まで遡っても10本の指に入るデザイナー」と評されるその凄まじさを体感してほしい
自己紹介記事
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私は「マルタン・マルジェラ」という名前もその存在も、この映画で初めて知った。それぐらい、私はファッションに対して興味も知識もまったくない人間だ。そんな人間が観ても、なかなか面白いと感じられる作品だった。
やはり世界には、とんでもない人間がいるものだなと思わされる。
ファッション業界に常に「問題提起」を投げかけ続けた革命児
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まずはこの映画とは関係のない話から始めたいと思う。
現代アートの傑作と評される、デュシャンの「泉」という作品がある。しかしその作品だけ見ても、なぜこれが「傑作」と呼ばれるのか理解できないだろう。何故なら「泉」は、便器にデュシャンのサインが書かれただけの作品だからだ。なぜ評価されているのか、詳しいことは以下の記事を読んでほしいが、ざっくり説明すると「美術の世界の常識に対して問題提起を行ったから」である。
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誰もが「当たり前だ」と感じていたことに疑問を抱き、「本当にそうでなければならないのか?」と突きつけることにアートの価値の一側面があるというわけだ。
そしてそれは、ファッションにしても同じだろう。マルタン・マルジェラは、まさに「既存の常識に問題提起を行った人物」であり、そういう意味で彼は「ファッション界の『デュシャン』」と呼んでもいいのかもしれない。
マルタン・マルジェラのショーやデザインは、私のようなファッション音痴が見ても「斬新」と感じざるを得ないものだ。
何せ彼は、自身のデザイナーデビューを飾るショーで、モデルの顔を隠してしまったのである。確かにファッションショーというのは「服」を見せる場であり、モデルの顔は重要ではないのかもしれない。しかし当然、「モデルの顔を隠す」なんてことをやろうと考えた人間はいないはずだ。
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こんなエピソードは枚挙に暇がない。東京を訪れた際に見た「足袋姿の作業員」にインスピレーションを得て、足袋のデザインを組み込んだブーツを生み出す。着色された氷で作られたジュエリーをモデルに身に着けさせることで、ウォーキング中に服が溶けた氷の色で染まっていく。レジ袋を使ったトップスをデザインする。
あるいは、決して治安が良いとは言えない地区にある、子どもの遊び場になっている空き地でショーを行う。ウォーキング中のモデルが、乱入してくる住民の子どもたちを肩車しながら練り歩く光景は、「なんだか凄いものを見せられている」という感覚にさせられた。
このような斬新さは、私のような無知な人間をも驚かせ、同業者や批評家の絶賛も集める。映画には様々な人物が登場し、マルタン・マルジェラを褒め称えるのだが、その一部を抜き出してみよう。
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19世紀まで遡っても10本の指に入るデザイナー。
モードの革命児。今も新しい。
他の服が全部古く見えるくらい。
ショーも思想も時代を大きく先取りしている。
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なかなかの大絶賛だと感じるだろう。中でも私が一番印象に残った称賛がこれだ。
ルジェラはこれまでの30年間ファッション界をリードし続けた。
そして(引退後の)20年もまだリードしている。
50年もファッション界の先頭に立っているなんて偉大だ。
そう、マルタン・マルジェラは既に、2008年にデザイナーを引退している。それは、自身の名を冠したブランド「メゾン・マルタン・マルジェラ」20周年という節目の年のことだった。そして、引退してからも彼の影響力は衰えを知らないというのだ。
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それが分かる映像があった。2018年にガリエラ美術館でマルタン・マルジェラの全作品の回顧展が開かれ、観客が大挙していたのだ。この回顧展について彼は、「嬉しかった」という言葉に続けて、
ファッション界は早い。あっという間に有名になり、忘れられていく。
だから、10年後も注目してもらえるとはまさか思っていなかった。
と語っていた。動きの激しい世界で、本人さえも驚くほど長く注目を集め続けているという点に、マルタン・マルジェラというデザイナーの本当の凄さがあるのだと感じる。
この映画でも、声のみで姿は現さない。生涯「顔出ししない」と決めてトップに上り詰めた天才
マルタン・マルジェラを取り上げるこの映画にも、彼は姿を現さない。手ぐらいは映るし、声は加工されていないそのままの音声だったと思うが、顔も姿も秘密に包まれたままなのである。というか、写真や映像だけでなく、そもそもインタビューさえ一切受けてこなかったというのだから、その凄まじさが理解できるだろう。インターネットやSNSが優勢だった時代ではないとはいえ、作家本人が「作品」以外の発信を一切せずに、同業者にも大衆にもここまで支持される存在になったことは、やはり凄まじいことだと感じさせられる。
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有名人になりたくない。匿名でいたいんだ。
みんなと同じだと思えるとバランスが保てる。
僕の名前は、作品と共に記憶されていてほしい。
映画の中で彼はこんな風に語っていた。マルタン・マルジェラ自身にとっても、その作品にとっても、「顔が見えないこと」はプラスに働いていると考えているようだ。しかし一方で、
顔を出さずに名を成すのは本当に難しい。
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自分を守るための選択を後悔したこともある。
とも口にしていた。「自分を守るための選択」というのは当然、「顔を出さないこと」を指す。結果から見れば、彼が顔出ししなかったことはこれ以上ない正解だったと言えるが、しかしそれは、彼が大成功を収められたから言えることでもある。もし彼が、世間に評価されず燻ったままの人生を歩んでいたとしたら、「作品を知ってもらうために匿名を手放してでも顔出しすべきだった」と後悔していただろう。
彼が顔出しをしないと決めたことについて、ある人物が「子どもが遊ぶ空き地でのショー」がきっかけだったのではないかと語っていた。ショー自体は大いに盛り上がったし、後に評価もされたが、観客の半数は「ポカーンとしていた」ようだし、かなり手厳しく批判する人間もいたという。そのことがきっかけで、「自分が表に出ることはしない」と決めたのではないかと推測していた。
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マルタン・マルジェラ自身は映画の中でこう語っている。
自分の仕事について語るのが苦手な自分に気づくようになった。
取材がダメというよりは、自分の作品について語るのが嫌いなのだ、と。
作品は、自由に感じたままに受け取ってほしい。
なるほど、この感覚はなんとなく分かるような気がする。同じレベルで語るのはおかしいと分かっているが、それがファッションであれなんであれ、「作者に作品解説を求めること」は、「国語の試験に正解が存在すること」と同じぐらいの違和感がある。
どんな作品にも、作者の意図とは関係なく、鑑賞者が自由に解釈する余地が残されているはずだ。そして、むしろそれだけで十分なのではないかとさえ私は思う。
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映画の中である人物が、マルタン・マルジェラのショーについてこんな感想を口にしていた。
だからマルジェラのショーは、ある意味で”親切”と言えるわね。
見た人が自分で考えるように促してくれるから。
ここで”親切”という単語が出てくるのは、もちろん皮肉だ。つまり、「普通のショーは、『誰でも見たら理解できる』ように作られているから、『思考を促す』という意味ではまったく親切ではないが、マルタン・マルジェラのショーはまったく逆だ」と言っているのである。これもまた、「鑑賞者側の解釈こそが重要」であることを示唆する言葉だろう。そしてまさにそれこそ、マルタン・マルジェラが望んでいることでもあったのである。
マルタン・マルジェラの斬新さは、デザインだけではなく、モデルの扱い方にも現れる
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映画の中で興味深かったのは、マルタン・マルジェラのショーに出演したモデルたちの言葉だ。その中の1人は、こんな風に彼を評していた。
マルジェラの手が好き。
(デザイナーの中には)人によって触ってほしくない人もいるけど、
マルジェラは私たちをマネキンではなく人間として扱ってくれた。
現在でこそ、「BMIが低い痩せすぎのモデルは活動不可」など、業界全体で様々な改善が行われているだろうが、一昔前は恐らく、モデルを人間として扱わないような誤った考え方が当たり前だったと思う。しかしそんな中にあってマルタン・マルジェラは、モデルの女性たちを適切に扱っていたという。
また、モデルに「知的さ」を望んだのもマルタン・マルジェラの特徴だと言われる。ファッション業界ではどうしても、ある種の「色気」が優先して求められてしまう傾向にあるが、彼は「働く女性」や「自身の『女性としての魅力』を気にしない女性」を求めるモデルの優先条件にしていたそうだ。このような考え方も、「時代を先取りしている」と言っていいのだろう。
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さらにマルタン・マルジェラは、一般人をモデルに仕立てた元祖とも言われている。事務所に所属している女性ではなく、ストリートでスカウトしたモデルを使うこともあった。スカウトされた女性は当然、「歩き方は?」と聞く。モデルウォーキングなどできないからだ。しかしマルタン・マルジェラは「そのままで完璧」と答えたという。
このようなエピソードを知ると、その知性と斬新さに驚かされる。
映画の中で、マルタン・マルジェラのスタンスを「唯一無二」と絶賛した人物は、彼の凄さについてこう語っていた。
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マルジェラはカウンターカルチャーだから唯一無二なんだ。
カウンターカルチャーって、汚いものも美しくないものも取り込んでいく。
それらが舞台上で光り輝いたりするんだ。
「汚いもの」「美しくないもの」で言えば、引退直前のショーでの奇抜なアイデアを挙げることができるだろう。いつもやっているやり方を続けているだけでは飽きると言って、作った白いパンツスーツのお尻の部分に「アイロンの跡」をわざとつけたのだ。それは決して「美しいもの」ではないが、しかしそういうものを「マルタン・マルジェラ」というフィルターを通して表に出すことで、「舞台上で光り輝く」のである。
ある人物が、
「発想の転換」という言葉が、彼の作品を見る度に何度も思い浮かぶ。誰もやらないことをやろうとする勇気が凄まじい。
と語っていたが、まさにその通りだろう。ぶっ壊せるだけの常識を叩き潰していくような凄まじいまでの斬新さが、彼の作品に多くの人が惹きつけられる要因なのだと思う。
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当然だが、マルタン・マルジェラ自身は、
いつでも自分を追い込んでいた。
発想を求めて追い込むのが好きだった。
という自身の創作活動について、「想像以上にキツイ仕事だ」と風に語っていた。結果としてとんでもない評価を得るに至ったわけで、その努力は報われたと言っていいだろう。ただ映画を観ていると、マルタン・マルジェラ自身は、「自分が良いと思うものを好き勝手に作ること」が好きなようだし、それが実現できている引退後の生活に満足しているようなことも言っていた。根っからの「クリエイティブ」なのだろう。
エルメスからの依頼と、引退した理由
マルタン・マルジェラはそれまでも、コンサルタントとして様々なブランドにデザインを提供していたが、ある時エルメスからコラボレーションの依頼がやってきた。彼はそのオファーに即答したという。
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マルタン・マルジェラはエルメスのデザインの本質をすぐに見抜き、「ずっとそこにあったかのようなアイテム」を生み出した。そして彼は、エルメスの店内でショーを行う提案をし、非常にシンプルなデザインの服のお披露目をすることになる。
しかしその服を見た多くの人が「はぁ?」という反応だったそうだ。「こんなことのためにマルタン・マルジェラを雇ったのか」という苛立ちさえ聞こえてきたという。新聞も様々な表現でエルメスとマルタン・マルジェラのコラボレーションを酷評し、ある新聞は露骨に「神の元に悪魔」という見出しをつけさえした。
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マルタン・マルジェラ自身は、
シンプルが退屈だと受け取られたんだ。
と分析しており、
新しいものが定着するには時間が掛かる。
新しい挑戦の始まりだと思っている。
と、世間の反応をある種受け流すような言い方をしていた。世界的なブランドと、革新的な評価をされていたデザイナーのコラボレーションだったからこそ、過剰な期待が生まれてしまったと見るべきだろうか。
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この点は、彼が引退した理由にも若干関係してくるだろう。理由は大きく2つあるのだが、まずは自身のブランドが買収されたことが大きい。マルタン・マルジェラと同じく0からブランドを立ち上げた人物からの出資であり、近いスタンスでデザインが行えると期待していたのだが、結局、マーケティング部門がデザインのコンセプトを提示したり、コンセプトを表す言葉そのものが変更させられたりといったことが続くことになる。彼は、
私は創るのが本分だ。
アシスタントに指示を出すディレクターではない。
と言っており、「自分の手を動かしてモノを生み出すこと」にこだわっていた。そんな人物だからこそ、その理想が叶わない環境は遠ざけるしかなかったのだろうし、引退後に自由にモノを創れる環境に満足している理由でもあるのだろう。
もう1つの理由は、「ショーがネット配信されるようになったこと」だそうだ。
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現場のサプライズが生み出すエネルギーが失われるように感じた。
すべてがインターネットに出回ってしまうと、どんどん悲しい気分になってくる。
インターネットが当たり前に存在する世代には分からない感覚かもしれないが、私はなんとなくこの感覚にシンパシーを覚える。コロナ禍でさらに加速したという背景があるとはいえ、「なんでもインターネットで完結する」という世界には、あまり賛同できない。
もはや今の時代、「インターネットとは関わらない」なんて態度では生きていけなくなってしまったが、それが叶うのならば私も、「インターネットを生活から排除した人生」はアリだと感じているのである。
マルタン・マルジェラがインターネット時代に生まれていたら、恐らくその時代なりの闘い方をしただろう。どのみち、トップに上り詰める人生を歩んだのではないかと思う。しかし、そうではない時代に生まれたからこその伝説を残すことができたとも言えるかもしれない。
なかなか興味深い存在である。
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出演:マルタン・マルジェラ, Writer:ライナー・ホルツェマー, 監督:ライナー・ホルツェマー
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