【映画】ディオールのデザイナーだった天才ジョン・ガリアーノが差別発言で破滅した人生を語る:映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

監督:ケヴィン・マクドナルド, プロデュース:ケヴィン・マクドナルド, 出演:ジョン・ガリアーノ, 出演:ケイト・モス, 出演:シドー・トレダノ, 出演:ナオミ・キャンベル, 出演:ペネロペ・クルス, 出演:シャーリーズ・セロン, 出演:アナ・ウィンター, 出演:エドワード・エニンフル, 出演:ベルナール・アルノー

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 初めは「ヤベェ差別主義者」にしか見えなかったジョン・ガリアーノの「天才性」と「殺人的な仕事量」が理解出来る
  • 大学時代の卒業制作が注目され一気にスターダムに駆け上がったのだが、売上に繋がらない時期が長く苦労した
  • 「年間最大32回のコレクション」という異常なスケジュールと、酒・処方薬への依存症が、彼の状況を悪化させていった

ジョン・ガリアーノを擁護するつもりはまったくないが、「天才には天才にしか出来ないことをしてほしい」とも強く思わされた

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

天才ファッションデザイナーであるジョン・ガリアーノはなぜ失墜したのか? 差別発言に至るまでの来歴とその真相を本人が自ら語るドキュメンタリー映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』

本作を観るまで私は、ジョン・ガリアーノが凄い人物だと知らなかった

私は、フィクションでもドキュメンタリーでも、「よく知らない人・状況」を取り上げている作品を結構観ている。何が普通なのかちゃんとは分からないが、一般的には恐らく「元々興味を持っていた人・状況についてより深めたい」という気持ちから、映画など様々なコンテンツに触れるのではないかと思う。しかし私はどちらかというと、「昨日まで知らなかったことについて新たに知識を得たい」という知的好奇心の方が強いので、「全然知らない人を取り上げるドキュメンタリー映画」も普通に観るというわけだ。

で、今回はジョン・ガリアーノである。本作の予告を映画館で観る前の私の認識は、「『ジョン・ガリアーノ』という音の響きは聞いたことがあるような気がする」ぐらいだったと思う。たぶん「ファッションデザイナー」だとは知らなかったはずだ。もしかしたら、「人の名前」という認識も出来ていなかったかもしれない。私にとってジョン・ガリアーノは、それぐらい遠い存在だったというわけだ。

なのでまず書いておくべきは、「私がジョン・ガリアーノについて知っていることは、本作と本作公式HPから得られた情報のみである」という点だろう。このことは、以下の記事を読む上で理解しておいてほしい

さて、そんな「全然知らない人」であるジョン・ガリアーノのパーソナリティや人生は、実に興味深いものだった。というわけでまずは、箇条書きで彼の人生の遍歴を書いてみることにしよう。

  • 学生時代の卒業制作が話題を集め、ロンドンでデザイナーとしてすぐに頭角を現す
  • しかし、話題こそ集めるものの服の売上には繋がらないことが多く、資金難に陥る
  • パリへと拠点を移し、やはりすぐに注目されるのだが、相変わらず売上は厳しく、コレクションが開けないほど困窮する
  • 支援者のお陰で”起死回生”のショーが開催でき、「墓場から復活」と評されるほどの返り咲きを果たす
  • その後は、ジバンシィ・ディオールなど有名ブランドのデザイナーに就任年間32回という尋常ではない数のコレクションをこなしていく
  • そんなデザイナーとしての絶頂期に、「ユダヤ人への差別発言」で有罪判決を受け、すべてを失う

普通の人がまず経験しないだろう「かなりハチャメチャな人生」と言えるんじゃないかと思う。

さて、本作はジョン・ガリアーノを扱う作品なわけで、当然と言えば当然かもしれないが、しかし、作中に登場する人物が皆、デザイナーとしての彼を大絶賛していたことが印象的だった。その賛辞の表現は多岐に渡る。「唯一無二」「魔法使い」「生ける至宝」「あんなデザイナーはいない」「ファッション界史上最高の天才」「ひらめき方が特殊」「別の惑星で生まれ育ったんだと思う」など、様々な言い回しでその凄さを表現していた。

ジョン・ガリアーノを知らなかったぐらいなので、当然私はファッションに疎く彼がデザインする服を見ても、その凄さは正直よく分からない。ただ、多くの人の賛辞を耳にすることで、「ファッション界の歴史において、比較対象が存在しないほどのデザイン」なのだと理解できたと思う。作中には、ディオールのCEOで、ジョン・ガリアーノにデザイナー就任をオファーしたシドニー・トレダノも登場するのだが、彼は、

彼と私が成したことは再現不可能だ。

と断言していた。もちろん、時代背景など様々な条件が関わってくるので「再現不可能」なのは当然だろうが、彼が言いたいことは要するに、「ジョン・ガリアーノという天才がいなければ出来なかったことだし、そんな天才が今後現れることはない」ということなのだと思う。ジョン・ガリアーノを元から知っている人からすれば「何を当たり前なことを」という感じかもしれないが、私はまず、「ファッション界にこんな凄い人がいたのか」という点に驚かされてしまった

映画冒頭で紹介される、ジョン・ガリアーノによる差別発言の話

そんなジョン・ガリアーノの凄さは作中の様々な場面で描かれていくのだが、本作ではまず、人気絶頂だったジョン・ガリアーノを失墜させた「ユダヤ人への差別発言」の話が取り上げられる。そのため、ジョン・ガリアーノについて何も知らずに本作を観た私は、「やべぇ奴がいるな」という印象のまま彼の人生を追っていくことになったというわけだ。

さて、その事件は2011年2月24日に起こった。パリのカフェ・ラ・ペルルでジョン・ガリアーノが驚くべき発言をする様子が映像に収められており、本作はまずその映像からスタートするのである(ややこしいが、冒頭で流れるのは、その2日後の2月26日にネットにアップされた別件)。

ちなみに、本作にはジョン・ガリアーノ本人が登場し、問われたことに答える形で様々な話をするのだが、彼の話では、この差別発言前後の出来事は記憶が曖昧なのだそうだ。監督が彼に、「カフェ・ラ・ペルルでの2件の出来事について聞かせてくれ」と聞くと、彼は「1件じゃなかった?」と返していた。実は、カフェ・ラ・ペルルで起こった不適切発言騒動は3件存在するのだが(その内の2件で映像が残っているのだと思う)、ジョン・ガリアーノはそれら3件をすべて「同じ夜」のことだと認識していたそうだ。この話にどこまで信憑性を感じるかは観る人次第ではあるが、その後説明される「年間32回のコレクション」などの凄まじい激務の話を知ると、さもありなんという感じがするんじゃないかと思う。

さて、2月24日の出来事は、あるアジア系の男性に対する暴言だった。ちなみに、その男性はジョン・ガリアーノのことを知らなかったそうだ。その男性と連れの女性は、実際にはユダヤ系ではなかったのだが、ジョン・ガリアーノはユダヤ系だと断定して批判してきたという。その後男性は、この件に関して警察署で被害届を提出した

だが、この出来事はやがて世界中で報じられ、男性は被害届を出したことを後悔するようになったという。というのも、世界中のジョン・ガリアーノファンから「彼の名誉を傷つけようとする悪質な嘘」だと疑われたからである。そのせいでこの男性は、誹謗中傷を受けることになってしまった。「世界中の人から『嘘つき』と思われたままじゃ生きていけない」と彼は思い詰めていたのだが、なんとその後、彼が「奇跡」と評した出来事が起こる。暴言を吐かれた2日後に、ジョン・ガリアーノの暴言を収めた映像がネットにアップされたのだ。これが、本作冒頭で流れた映像である。

これは先述した通り、被害届を出した男性に対しての暴言ではなく、別件だった。カメラ機能の付いた何か(当時スマホが存在したのか知らない)で、ジョン・ガリアーノがユダヤ人に対する差別的な発言をしている様子が捉えられているのだ。「私はヒトラーが好きだ」「あなたたちのような人間は死んでいるんです」「先祖はガス室送りになっただろう」など、かなりムチャクチャなことを言っていた。

もしこの映像が出てこなければ、被害届を出していた男性は泣き寝入りするしかなかったかもしれない。しかし、この決定的な証拠が出てきたことで形勢が逆転する。ジョン・ガリアーノは差別発言の罪で逮捕・起訴され、後に有罪判決を受けた。そしてこれにより、彼はすべてを失ったのである。

そして本作では、そんなジョン・ガリアーノがどうして差別発言をするに至ったのか、その来歴を追うという流れになっていく。

ジョン・ガリアーノの生い立ちから、学生時代の卒業制作まで

ジョン・ガリアーノはジブラルタルで生まれ、6歳の頃にロンドンへとやってきた。父親とは英語で、母親とはスペイン語で話していたそうだが、きちんと英語を学ぶようになったのはサウスロンドンに移り住んでからだそうだ。向かいの家の中が見えてしまうぐらい道幅が狭く、何もかもが灰色の町だったと彼は語っている。

配管工として働く厳格な父親と、ファッションに明るい陽気な母親の元で育った彼は、母親が妹の世話で忙しかったこともあり、子どもの頃はずっと姉にくっついていたという。姉は「弟が邪魔するから、パーティーにも行けなかった」とこぼしていたが、その一方で、子どもの頃から既に、姉がパーティーに着ていくドレスを作ってくれたりもしたそうだ(「パーティー、行けてるじゃん」と思いもしたが)。そんな弟のことを姉は、「食事も呼吸も人生も、すべてファッションのためだった」と表現していた。

しかし、そんなファッション馬鹿になったのは恐らく、セント・マーチンズに通うようになってからだろう。ロンドンの芸術系の大学である。倍率は高かったが、彼は助成金がもらえる立場での合格を果たした。彼は子どもの頃、絵を描くのが好きだったそうで、周囲の人間がサッチャーへの抗議デモに参加する中、それを尻目に1人で絵ばかり描いていたという。

そんな子ども時代を過ごしていたと知れば意外ではないものの、世界的ファッションデザイナーとなったジョン・ガリアーノの姿を知る人からすれば、「大学に入学した頃のジョン・ガリアーノは、もの凄く内気だった」という話を信じないかもしれない。そしてそんな彼を変えたのが、同級生のデヴィッド・ハリソンである。彼は後に画家になったのだが、セックス・ピストルズのメンバーとして誘われるほど幅広い交友関係を持つ人物でもあった。当時ジョン・ガリアーノはブランドの服ばかり着ていたそうだが、そんな彼にヴィンテージを教えたり、また、オールド・コンプトン通りにあるパブに連れて行ったりと、デヴィッドは彼を派手な世界へと連れ出していく。そのお陰でジョン・ガリアーノは、「こんな世界があるんだ!」と衝撃を受け、一気にのめり込んでいった。そしてその後、勉強を兼ねて、国立劇場の衣装係の仕事に就いたのである。

一方で、彼の中には子どもの頃から、「自分はゲイだ」という自覚があったのだそうだ。しかしもちろん、そのことは隠していた厳格な父親や、彼の生まれ故郷であるスペインの文化が、「ゲイ」を許容するはずがないと分かっていたからである。そんなわけで彼は、時々バスルームに籠もっては母親の化粧品でメイクをしたりしていたのだが、バレることはなかったそうだ。ただ危ないこともあった。父親がいる前で、「彼ってゴージャスだね」と、同性に対して関心を持っていることが伝わってしまうような発言をしてしまったことがあるのだ。その時は特に何事もなく終わったそうだが、彼は恐らく、そこから一層気を引き締めるようになっていったのではないかと思う。

ジョン・ガリアーノはとにかく、「自分は他人とは違う」と子どもながらに理解しており、ただ、内気な性格も相まってそれを表に出すことが出来なかったため、彼は昔から「空想の世界」に浸っていたと言っていた。架空の人格を設定し、頭の中の「空想の世界」の中で生きることにしたのである。ジョン・ガリアーノのデザインについては多くの人が、「常に『逃避』がテーマになっている」と指摘していたし、ジョン・ガリアーノ自身も「空想の方が幸せだ」と言っていた。子ども時代のこの習慣が、人生を決定づけたと言ってもいいのかもしれない。

さて、そんな空想の力が存分に発揮されたのだろう、ジョン・ガリアーノのセント・マーチンズでの卒業制作は大いに話題を集めた。その話題は、校内だけに留まらない。学生の卒業制作にも拘らず、ファッション誌の編集者も絶賛するほどものだったそうだ。作中に登場したある編集者は、「私がこれまでに観た中でトップ5に入る」と評価していた。これが「卒業制作の中でトップ5」なのか「あらゆるコレクションの中でトップ5」なのかはよく分からなかったが、いずれにせよ、学生の卒業制作とは思えないほどの話題をかっさらったというわけだ。

彼が「レ・アンクロワイヤブル」と名付けた卒業制作は、フランス革命をイメージして作られた。そしてそこには、アベル・ガンス監督の伝説の映画『ナポレオン』の影響があるのだという。本人が、「この映画にもの凄く感銘を受けてリサーチを始めた」と語るシーンがあった。本作中には時折、古い映画のワンシーンだろう映像が挿入されるのだが、たぶんこれが映画『ナポレオン』のものなのだと思う。

この時のジョン・ガリアーノはとにかく絶好調だったようで、当時のインタビューの中で、

右手だとあまりにも簡単に描けてしまうから、左手で羽ペンを持ってイラストを描いていた。

みたいなことを言っていたほどである。「誇張された天才エピソード」に感じられなくもないが、その後の彼の活躍を知ると、そういうこともあるのだろうなと思わされてしまう。いずれにせよ、彼の卒業制作は大絶賛され、「天才が現れた」と世間をざわつかせることになったのである。

注目こそされたものの商売的には上手くいかず、パリでの挑戦を決める

こうしてジョン・ガリアーノは、一気にイギリス中で名前が知られていった当時を知るDJのジェレミー・ヒーリー(ヘイジ・ファンテイジー)の証言によると、付き合っていたモデルから「凄い人がいるから来て」と言われてショーに行ってみると、「頭に生魚をつけたモデルがランウェイを歩き、その魚を客席に向かって投げている」のを見てあごが外れるかと思ったそうだ。彼はその後、ジョン・ガリアーノから「是非一緒に仕事をしたい」と声を掛けられ、ショーでの音楽を担当するようになる

こうしてジョン・ガリアーノは、セント・マーチンズを卒業してからたったの3年で、イギリスで注目の存在になった。1987年にはブリティッシュ・デザイナー賞を受賞している。階段を一気に駆け上がったと言っていいだろう。

しかし一方で、商売という意味では決して順調ではなかった。ジョン・ガリアーノには、「至高の美を追求したい」「夢を描き続けたい」という強い欲求があり、それがデザインにも反映されていたのだが、それ故に「着こなすのが難しかった」のである。だから、ショーは話題になっても、服は売れなかった。こうなると、ショーの経費ばかりがかさむことになる。しかしジョン・ガリアーノには、金のことをどうこうするつもりはなかったようだ。当時彼と組んでいたある人物は、「金の話をすると『君はファッションのことを何も分かっていない』と言われたので縁を切った」と話していた。ある意味では、天才であるが故に現実と上手く折り合いを付けられなかったということだろう。

ただ実は、それ以上の問題が存在した。ジョン・ガリアーノは、ショーを終える度にぶっ壊れてしまうのだ。身近にいる者の目には明らかにそう見えていたという。あまりにも凄まじい創造力を常に発揮し続けることによる負担は相当なものだったようで、コレクションをやればやるほど彼の心は疲弊してしまうのだ。この事実は、その後もずっと彼を苦しめ続けることになる。

さて、とうとうイギリスでは出資者を見つけられなくなってしまったジョン・ガリアーノは、1990年にパリへと拠点を移すことに決めたファッションの本場で勝負する決断をしたのである。そしてそこで彼は、スティーブン・ロビンソンという相棒と出会った。性的な関係こそなかったものの、彼らの関係は「共依存」と見られていたそうだ。ジョン・ガリアーノは彼のことを「天使」と表現しており、

雑務をすべて引き受けてくれたから、創作に集中できた。僕のことを助けるという使命を持って生まれたのだと思う。

みたいなことを言っていた。表現の仕方はともかく、彼らの関係性が伝わる言葉ではないかと思う。

スティーブンの献身は周囲の人たちも認めていた中には彼を悪く言う者もいて、詳細を聞いてみると「そういう言い草になるのも仕方ない」と思えるような状況ではあるのだが、そういうこともありつつ、2人の関係は概ね好意的に見られていたのだと思う。ある人物はスティーブンのことを「ジョン・ガリアーノが唯一心を許す人」と評していた。それはもちろん、「共依存関係である」ことの裏返しでもあるのだが、いずれにしてもスティーブンとの出会いによって、「創造性を発揮する」という点だけで見れば、ジョン・ガリアーノの環境はかなり好転したと言っていいのだと思う。

そして、そんなスティーブンの献身のお陰もあって、ジョン・ガリアーノはパリでも大成功を収めるのである。

ショーの特異さ、そしてジョン・ガリアーノの華麗なる復活

本作には、ナオミ・キャンベルやケイト・モスのような私でも知っている人も含め、様々なモデルが登場するのだが、彼女たちはジョン・ガリアーノのショーの特異さについて、「ステージ上での役割が存在する」みたいな話をしていた。

ケイト・モスは、ジョン・ガリアーノのショーに初めて出た時はまだモデルになったばかりだったそうだが、なんと「君はヤリたがっている」という役割を与えられたのだそうだ。ウォーキングさえ初めてという中で、さらに「ヤリたがっている女性」をステージ上で演じなければならなかったわけでもちろん大変だったのだが、しかし彼女は「役割が与えられたことが良かった」と言っていた。後に彼女は、結婚式で着るドレスのデザインをジョン・ガリアーノに依頼している。そしてジョン・ガリアーノは結婚式当日の話として、「彼女から『今日の役柄は?』と聞かれた」という話を披露していた。ケイト・モスからすれば、「ジョン・ガリアーノがデザインした服を着て晴れの舞台に立つのだから、まさにこれはショーであり、であれば『役割』を求めるのは当然だ」ということのようである。

さらに、ジョン・ガリアーノのショーにはそもそも、「物語」が必ず存在するのだという。あるモデルには「岸に流れ着いた」という設定が与えられたのだが、その背景には「裕福な家から逃げ出して船に乗って逃げている」という物語が存在していたのだそうだ。ちなみに、ここでもやはり「逃避」がテーマになっている。また別のモデルはジョン・ガリアーノのショーについて、「モデルを『心の旅』に連れ出してくれるから、皆興奮させられた」みたいに話していた。

さて、こうしてパリでも高い評価を得たジョン・ガリアーノだったが、やはり売上は伴わず、時には生地を買う金さえ無いという状況にも陥ったそうだ。彼は監督からのインタビューで「食べていけなくなると考えたことはあるか?」と聞かれ、「ある」と答えていた。ファッションの世界のことは詳しくないが、ここまで「知名度」と「売上」が比例しないデザイナーも珍しいのではないかと思う。

そんな状況ゆえだろう、ジョン・ガリアーノは次第に酒癖が悪くなっていく。ある人物は、「彼が飲み屋のステージの端っこで小便しているのを見たことがある」と証言していた。その人物はさらに「よほど不幸だったんだろう」とも話しており、ジョン・ガリアーノが、その華麗な経歴や実績とは裏腹に、とても厳しい状況に置かれていたことが理解できるだろうと思う。

そんな彼の窮状を見かね、手を差し伸べたのが、アフリカ系アメリカ人で初めて『VOGUE』のクリエイティブ・ディレクターを務め、ファッション業界に圧倒的な影響力を持つアンドレ・レオン・タリーである。彼は「ジョン・ガリアーノが生地を買う金さえ無いなんて状況はあり得ない」と訴え、支援を申し出たのだ。彼もまたジョン・ガリアーノを高く評価しており、「女性の服装や考え方を変えるような天才デザイナーは希少だが、彼はそんな天才の1人だ」と大絶賛していたのである。

そしてアンドレのお陰で、不遇という他ない状況にあったジョン・ガリアーノの人生は首の皮一枚で繋がった。そしてアンドレが資金を集め、さらに裕福な社交人に「使っていない豪邸をジョンのために貸してくれ」と頼んだことで、ジョン・ガリアーノは「個人の邸宅でファッションショーを行う」という機会を得る。そしてそんなショーに、これまでジョン・ガリアーノと関わってきたモデルたちがノーギャラで出演を快諾したのだ。その中にはナオミ・キャンベルも含まれており、彼女は「心の底から開催を願っていた」と話していた。なんと、ストッキングやアクセサリーを自前で持ち込み、ショーに挑んだという。

こんな風にして開かれた「ブラックショー 1994年秋冬」は大成功を収めた。実は、個人邸宅で行ったことで「観客の目の前をモデルが歩く」ことになり、そのお陰で、香水の匂いや衣擦れの音などが感じられ、より臨場感のあるショーに仕上がったこともプラスに働いたのである。また、このショーでジョン・ガリアーノがお披露目したスリップドレスは、その後10年間流行し続けたという。こうしてジョン・ガリアーノは、「墓場から蘇る」と新聞に書かれるほどの復活劇を果たすことになったのである。

しかし、その後の展開はジョン・ガリアーノもまったく予想できなかった。なんと、50以上のブランドを保有するベルナール・アルノーから、ジバンシィのデザイナーへの就任を打診されたのだ。信じられないオファーだったが、ジョン・ガリアーノはそれを受け入れる。しかしその後、「ジョン・ガリアーノがジバンシィのデザイナーになること」に対する批判が殺到した。新聞や雑誌が、「新参者のイギリス人」「配管工の息子」「パリの伝統に疎いよそ者」「野生児はクチュールで成功できるのか?」と散々に書き立てたのだ。私には、「高く評価されているジョン・ガリアーノがジバンシィのデザイナーに就任すること」がどうしてこうも批判されたのかちょっと理解できないのだが(やはりフランス人ではないからなのだろうか?)、それはともかく、当時は誰もが「ジョン・ガリアーノは失敗する」と考えていたそうである。

しかし、その予想は大きく外れた。アンデルセンの絵本のタイトルから取られた「えんどう豆の上にねむったお姫さま」というジバンシィのコレクション(1996年初夏)が大喝采を浴びたのだ。ある人物は、「あの時、誰もが彼を認めた」と話していた。それほど、圧倒的なショーだったのだろう。そしてこのショーを機に、ジョン・ガリアーノはディオールのデザイナーに大抜擢されたのである。

批判を浴びつつも、ジョン・ガリアーノの評判は天井知らずに上がり、殺人的な仕事量をこなすようになっていく

さて、ディオールのデザイナー就任により、ジョン・ガリアーノの名声は確固たるものになったと言っていいと思うが、とはいえ彼には色々と批判がついて回った。中でも大きな騒動を引き起こしたのが「ホームレスへの侮辱」と受け取られた件である。この出来事について背景まで含めて詳細に説明するためだろう、本作ではいくつか前段となる状況が提示された

まずは、ジョン・ガリアーノの創作の特異さについて。あるモデルは彼の凄さについて、「高級感と低俗感のバランスが素晴らしい」と語っていた。高級なものを組み合わせれば誰だって良いモノは作れるだろうが、ジョン・ガリアーノの創作はそうではない。彼の手に掛かれば、例えば「マーケットで買ってきた変なデザインの安物のトレーナー」さえ、傑作に作り変えてしまうのだ。また別の人物は、「彼が生み出すものは、寄せ集めの要素を繋ぎ合わせているようにしか思えないのに、それらから見えるビジョンには統一感がある」とも言っていた。つまり、我々が無意識の内に「高級」「低俗」みたいに捉えているような物の見方をジョン・ガリアーノはしていないということなのだと思う。

さらに、次の点が最も重要なのだが、「ジョン・ガリアーノはあらゆるものからインスピレーションを得るものの、その背景を深く知ろうとはせず表面しか捉えない」のだそうだ。もちろん、「最終的に出力されるものには統一感がある」のだから、それらの背景も無意識的に見通しているのかもしれない。しかし、少なくともジョン・ガリアーノを直接知る者たちは、「『目に映るもの』だけが彼のインスピレーションを刺激する」と認識しているようだ。

このようなジョン・ガリアーノのスタンスを理解すると、「ホームレスへの侮辱」と受け取られた出来事の見方もきっと変わってくるだろう。

彼はある時、チャップリンに着想を得たショーの中で、「セーヌ川沿いの人々」(ジョン・ガリアーノはホームレスをこう呼んでいた)も取り入れることにした。調べてみると、チャップリンの映画『街の灯』がホームレスを題材にしているようで、そのような繋がりも意識していたのだろう。それぞれの背景を深堀りせずにあらゆるものを雑多に取り込むジョン・ガリアーノは、恐らく純粋に「ホームレスを取り入れたら良い作品になるだろう」みたいみたいに考えていただけなのだと思う。

しかし、まあ当然と言えば当然かもしれないが、彼のショーは「ホームレスを侮辱したもの」と受け取られ、パリ市民から非難されてしまう「正式に謝罪しろ」「ガリアーノのクソ野郎」といった抗議の声が多数上がったのだ。この件についてジョン・ガリアーノは「とても戸惑った」と話していた。「新聞紙をドレスにしてみたらどうなるのか試したかったんだ。それは美しい案だった」と語り、「あくまでも美的意識から来る発想だった」みたいに説明をしていたのである。

このように批判が上がることもあったのだが、しかしそれでもジョン・ガリアーノの名声はどんどんと高まっていった。今まで商業的に成功しなかったのが嘘だったかのように、彼がデザイナーに就任したブランドの売上は飛躍的に伸び、さらに、「デザイナーというよりもむしろ芸術家だ」という評価まで出るようになる。そもそも当時はまだ、ファッション業界が今ほどの規模ではなかったのだという。そのため、そんな黎明期に現れ、業界全体の成長と共に才能が開花するというタイミングも味方したことで、ジョン・ガリアーノの評価は凄まじく高まっていったのである。

しかし当然、それに伴ってプレッシャーも増していく「コレクションを受け持つ」というのは、「毎回斬新なアイデアを求められる」ということでもあるのだが、彼はそんなコレクションを酷い時には年に32回も担当したというのだ。年に32回ということは、1ヶ月に2~3回はこなさなければ間に合わない週1~2回のペースというわけだ。そりゃあ、頭がおかしくなるのも当然だろうと思う。

ショーを行う度に心が壊れててしまうジョン・ガリアーノは、次第に酒と処方薬に依存していくことになる。はっきりと「依存症」だったようだ(ただ作中では「仕事にも依存している」とも指摘される)。この頃のジョン・ガリアーノに関しては、多くの人がその“奇行”に触れていた。ある人物が話していたのは「裸のライオン」のエピソードだ。彼はとあるホテルのエレベーターで裸になり、乗ろうとする人に「俺はライオンだ!」と4時間ぐらい言い続けていたという。もちろん彼はそのホテルを出禁になったし、出禁を食らったホテルは20以上も存在したそうである。

さらに追い打ちをかけるようにして、「唯一の理解者」であるスティーブンが激務に耐えかね、38歳という若さで亡くなってしまった。そんな状態で、膨らみ続けた殺人的な仕事量をこなさなければならなくなったのだ。それでも彼は、仕事を続けた。とっくに限界を超えていただろうし、まともな状態ではなかったはずだ

そしてそんな激務が続く2011年2月に、カフェ・ラ・ペルルでの不適切騒動を引き起こすことになるのである。

後半では、「ジョン・ガリアーノはレイシストなのか?」という点が深堀りされていく

さて、本作の前半ではこのようにして、ジョン・ガリアーノが不適切発言ですべてを失うまでの来歴を描き出すわけだが、後半は、「ジョン・ガリアーノは果たしてレイシスト(人種差別主義者)なのか?」についての様々な見解が語られるという展開になっていく。

カフェ・ラ・ペルルで撮られた映像だけを見れば、彼は当然「ユダヤ人に対する差別感情を持っている」と判断されて然るべきだろう。しかし、映画に登場した者の多くが、「彼はそんな人間じゃない」と話していたし、「依存症だったせいでおかしくなっていただけ」だと受け取っているようである。ナオミ・キャンベルはインタビューの中で、ジョン・ガリアーノが暴言を吐いている映像を見たかと問われ、「見たことはない」と言っていた。そしてその理由について、「彼のことは知っているから、見る必要はない」みたいに断言していたのだ。そこには、揺るぎない信念が感じられた。

私は正直、これは外野がとやかく言えるようなことではないと思っている。「差別感情を持っているかどうか」など、外から見て分かることではないからだ。ただ私も個人的には、「殺人的な仕事量をこなさなければならない状況にいなければ、こんなことにはなっていなかっただろう」と感じた。これは私の勝手な憶測に過ぎないが、あまりにもしんどい状態に置かれていたジョン・ガリアーノは、「この状況から逃れたい」みたいな感覚を無意識的に抱いていたのではないかと思う。そしてそんな「逃避」の手段として「暴言を吐く」みたいな言動になってしまったのではないか、という気がするのだ。

ただ、ここが難しいポイントなのだが、今回の件で焦点が当てられているのは「行為」ではなく「内心」の方である。もちろん、「差別的な発言をした」という「行為」は許されないわけだが、それとは別に、「差別的な発言をしたかどうかに関係なく、差別的な『内心』を抱いていればアウト」みたいな話をしているのだと思う。そもそも、「差別的な発言をした」という事実は映像に残っているわけで、争いようがない。つまりこの件に関する議論は、「差別的な発言をしたのだから差別的な『内心』を持っているはずだ」「いや、彼は依存症などでおかしくなっていただけで、発言と『内心』は無関係だ」という二者の争いなのである。

そしてこれは実に難しい問題で、ちょっと何とも言えない。私は基本的に、「『内心』のことなど誰にも分からないのだから、『行為』だけから色んな判断がなされるべき」だと考えているジョン・ガリアーノは「差別発言をした時のことを覚えていない」と言っているし、そのことは、依存症を抱えながら殺人的な仕事をこなしていたという事実から、真実味は高いと言えるだろう。だとすれば、「内心」のことなど考えても仕方ないと私は思う。

もちろん、暴言を吐かれた当事者、あるいは彼の発言の矛先が向いたユダヤ人は、なかなかそんな風には考えられないだろう。実に難しい問題だ。ただやはり、テクノロジーが進化して「内心」が客観的に判断できるようになったりしない限りは、「内心」について議論しても無駄だし、であれば「行為」のみを問題にすべきだと私は思っている。とはいえ、もしも自分が当事者になった場合に、同じように考えられるかは自信がない。これもまた、難しい問題である。

「白人男性優位」に関する指摘、そして「天才」に関しての私の考え方

さて最後に2つ話題を取り上げてこの記事を終えることにしよう。

まず、作中では僅かに触れられていただけなのだが、色んな意味で現代の日本にも関係してきそうな話なので触れておきたいと思う。

それは、ジョン・ガリアーノの復帰に関して、ある雑誌の女性編集長が口にしていたことである。有罪判決を受けた後、ジョン・ガリアーノはNYで復帰を果たした。結果的には彼の”不手際”によって大失敗に終わったのだが、それはともかく、復帰に向けての様々なサポートがあったからこそ実現した状況なのは確かである。そしてその女性編集長はカメラの前で、「彼を支援する有力者は多かったし、何より、彼は白人男性ですからね」と口にしていたのだ。彼女の発言はこれだけだったが、しかしここには明らかに、「白人男性が強い社会では、白人男性の行為は大体許される」という皮肉が込められていると考えるべきだろう。

さて、恐らく意図的な構成だとは思うのだが、本作ではそのシーンの直後、その女性編集長の発言を帳消しにするかのように、不遇だったジョン・ガリアーノをアンドレと共に支援した『VOGUE』の女性編集長のインタビューが挿入される。そして、監督から「(差別発言で有罪判決を受けた)ジョン・ガリアーノを支援するのは危険だと思わなかったですか?」と聞かれた彼女は、はっきり「NO」と答えていた。観る人がこの構成をどう受け取るのかはともかく、編集の意図としては明らかに、「『白人男性だけが彼を支援していたわけではない』ことを示すため」だと思う。

というか、本作を観ていれば、「数多くのモデルがジョン・ガリアーノを支持している」ことは分かるわけで、「白人男性だから救いの手が差し伸べられた」という指摘がどこまで的を射ているのかは何とも言えない。ただ、1つの思考実験だが、仮にジョン・ガリアーノと同等の才能を持つ女性デザイナーがいたとして、同じように差別発言で失墜した場合、ジョン・ガリアーノのように復帰できるかというと、それはやはり難しいような気もする。実に難しい問題だなと思う。

では、この話がどう現代日本に繋がるのか。私がこの記事を書いている時には、中居正広が起こしたとされるトラブルが大いに報道されていた(書くタイミングとUPするタイミングはかなりズレる)。ちょうど、週刊誌報道があってから初めて、本人がマスコミ向けにコメントを発表した直後である。実際何が起こったのか私は知る由もないし、詮索するつもりもない。しかし松本人志の件も同様だが、報じられていることが仮に半分でも真実だとしたら「権力を持っている者の横暴」としか言いようがないし、まさにそれは「白人男性社会における白人男性の扱われ方と同じ」と言っていいのではないかと思う。

個人的には、「社会は色んな点で良い方向に変わろうとしている」と感じているのだが、まだまだ過渡期であることも確かだ。敢えてこう書くが、「『古い世代』が作り上げ、蓄積し続けた”膿”」をどうにか出し切って、「良い社会になったな」と誰もが感じられるような状態になってほしいものだと思う。

では最後に、「天才」に対する私の考え方に触れてこの記事を終えることにしよう。

それではまず、誤解を受けないように先に念押ししておくが、私は「ジョン・ガリアーノによる差別発言」は絶対に許されない行為だと考えているし、断罪されて当然だとも思っている。これは大前提だ。しかし一方で、「ある一定の範囲内であれば、『天才』は自由に生きられた方がいい」とも考えている。もちろん、「ある一定の範囲内」に「犯罪行為」は含まれないし、さらに、「法律上まだ犯罪には規定されていないが、社会の大多数が『それは犯罪と同等だ』と感じる行為」も入らない。一方で、「犯罪ではないが、普通は『倫理的にダメ』と判断される行為」も色々とあるだろう(分かりやすいのは「浮気」だろうか)。そしてそういう事柄については、「『一般人』はともかく、『天才』なら許容されてもいいんじゃないか」と私は考えているのである。

この話は結局のところ、「『天才』をどう客観的に定義するか」という問題を回避できないので社会のコンセンサスには絶対にならないし、ここに書いていることはあくまでも私個人の感覚に過ぎない。そして私にとってジョン・ガリアーノは「天才」なので、「『犯罪行為じゃないなら、倫理的にアウトなこともしちゃっていいと思う』と私は判断する」という話である。まあ、共感してもらおうとは思わないが。

それで、私がこのように考える上で重要だと思っているのが、「そんな天才をサポート出来る人間がいるかどうか」である。ジョン・ガリアーノには確かにスティーブンという「相棒」がいたわけだが、基本的には「ショーの準備」に特化した役回りだった。そうではなく、ジョン・ガリアーノという天才の人生全体を支えるマネージャーみたいな存在がいれば良かったように思う。ジョン・ガリアーノには、ディオールのセレブ担当だったアレクシスという恋人がいたし、彼からかなり精神的な支えを得ていたようではある。とはいえやはり、マネージャーとは役割が違うだろう。そしてジョン・ガリアーノには、最後までそういう存在がいなかったんじゃないかと思う。

ただ難しいのは、「ジョン・ガリアーノが仕事にも依存していた」という点だろう。もし仮に、ジョン・ガリアーノの仕事を完璧にサポート出来るマネージャー的存在がいたとしても、ワーカホリックのジョン・ガリアーノはすべてを自分でやろうとしたかもしれない。だとするとやはり、ロンドンからパリに移る前、あるいは移った直後ぐらいの段階でそういう人に出会っていなければならなかったのだろうか。色々と難しいものである。

さて本作では、この記事で取り上げたもの以外にも、「そりゃあアウトだよ」と感じるようなジョン・ガリアーノの言動が様々に取り上げられるのだが、不幸だったのはやはり、あまりにも高い評価を得てしまった彼に「NO」と言える人間がいなかったことだと思う。もちろん、ジョン・ガリアーノは他者の「NO」を受け入れなかっただろうし、そもそも「NO」と言ってくる人間をどんどん排除していったに違いない。だから何とも言えないのだが、やはりどうしても色んな「たられば」を考えたくもなってしまう

ジョン・ガリアーノに限る話ではないが、やはり「天才には天才にしか出来ないことがある」わけだし、だから個人的には、「そんな天才が社会に対して多大なプラスをもたらしてくれるなら、多少のマイナスは目を瞑ってもいいんじゃないか」と思っている。そして、そんな「多少のマイナス」を上手いこと処理していくような「右腕」がいれば、天才はさらに羽ばたけるのではないだろうか。ジョン・ガリアーノの生涯を追いかけていく中で、そんな風に感じざるを得なかった

監督:ケヴィン・マクドナルド, プロデュース:ケヴィン・マクドナルド, 出演:ジョン・ガリアーノ, 出演:ケイト・モス, 出演:シドー・トレダノ, 出演:ナオミ・キャンベル, 出演:ペネロペ・クルス, 出演:シャーリーズ・セロン, 出演:アナ・ウィンター, 出演:エドワード・エニンフル, 出演:ベルナール・アルノー

最後に

本作を観るまでジョン・ガリアーノについてはまるで知らなかったわけだが、実に複雑な人物であり、非常に興味深かったファッションへの興味・知識があればより楽しめるのかもしれないが、ジョン・ガリアーノという人間のややこしい魅力によって、私のように疎い人間でもとても面白く感じられるドキュメンタリーに仕上がっていると思う。

ちなみに映画公開時点では、ジョン・ガリアーノはマルタン・マルジェラのデザイナーとして復帰を果たしているそうだ。マルタン・マルジェラについても、何者なのかまったく知らない状態でドキュメンタリー映画を観たことがあり、彼もまた実に興味深い人物である。

作中では、これまで以上に演劇的要素の強いマルタン・マルジェラのショー「シネマ・インフェルノ」の様子も映し出されていた。ファッションショーなどまったく知らない私にももの凄く斬新に見えたし、世間的にもそのような評価がなされているようだ。今も創作の能力・意欲は衰えていないということだろう。そんなわけで、「差別発言をしてしまったこと」は反省し償いをしながら、同時に、彼には「天才にしか出来ないこと」に注力してほしいものだと私は思う。

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