はじめに
この記事で取り上げる映画
この記事の3つの要点
- 未だに完成品が存在しない人工心臓の開発は、どこに難しさがあるのか?
- 「素人だから」という理由で非協力的な態度を取った大学教授に苛立たされた
- この偉業は、猪突猛進する夫と、そんな夫を全肯定する妻のタッグだからこそ実現したのだと思う
自己紹介記事
記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません
凄まじい偉業を成し遂げた筒井宣政の実話を描く映画『ディア・ファミリー』にはとにかく驚かされたし、大泉洋の演技も素晴らしかった
「良い話」だなんてことは分かりきっていたので、正直なところ本作『ディア・ファミリー』を観るつもりはなかった。天邪鬼な性格なのだ。ただ、ちょうど観たい映画が無かったので観てみることにしたのだが、やはりとても良い物語だった。良いに決まってるよ、そりゃあ。何にせよ、これが実話だということに驚かされてしまった。
適切な表現でしかないのだが、しかし、やはり「娘の病気」があってこその”偉業”だと思う
今から書くことはまったくの嘘である。私の本心ではない。筒井宣政はやはり、娘の病気の“お陰”で偉業を成し遂げられたのだと思う。繰り返すが、これは全然本心ではない。
さて、映画を観ながら思い出したことがある。通園バスに取り残された女の子が熱中症で死亡した事件の裁判でのことだ。そして、その判決を伝えるニュースの中で報じられていた、裁判長が被告に向けて言ったという言葉がとても印象に残った。
千奈ちゃんが生きていた意味について考えたいと思います。千奈ちゃんは両親を幸せにするために生まれてきたのです。教訓のために生まれたのではありません。
事件後、保育園やバス会社は一斉に対策を講じた。それ自体はとても良いことである。ただ、より望ましかったのは、死亡事故が起こる前に対策が講じられていることだったはずだ。「尊い命のお陰で、社会が変わった」というのは、一見良い話のようにも聞こえるが、そんなはずがない。犠牲無くして世の中が変わる方がいいに決まっている。
ただそれでも。そういうことはすべて理解した上で、やはりどこかにこんな気持ちが残る。病に冒された娘・佳美がいなかったらきっと、筒井宣政はあまりにも困難な道のりを走り続けられなかっただろう、と。
本作ではラストに、
IABPバルーンカテーテルは17万人の命を救った。そしてそれは、今も続いている。
というような字幕が表示される。たった1人で成したことではないとはいえ、個人が起こした偉業としてはちょっと尋常ではない規模だと思う。しかも筒井宣政は「医療のド素人」だったのだ。そんなわけで彼は、紫綬褒章という形で高い評価を得たのである。
そしてその表彰式へと向かう直前に、筒井宣政が印象的な言葉を口にする場面があった。記者の質問に答える形で、
私は娘を救えなかった人間です。表彰してもらえるような人間ではないのです。
と言っていたのだ。彼自身もきっと、17万人の命を救ったことを誇らしく感じてはいるだろうと思う。しかしそれでも、「娘を救えなかった」という後悔の方が強いのだ。個人的には、「素晴らしい成果を挙げた人間は誇らしく思っていてほしい」と感じる。ただ、本人が「後悔」を抱いてしまうというのであれば仕方ない。慰めになるかは分からないが、せめて多くの人が彼の偉業を記憶し、感謝の念を抱き続けるべきだろう。
というわけで、そんな凄まじい偉業を成した人物の実話を描く映画についてこれからあれこれ書いていくのだが、先に1つ触れておくことにしよう。本作は実話を基にしているが、登場人物の名前は少し違っている。本作の主人公は、下の名前はそのままで、名字は「坪井」に変わっているし、他の家族もたぶん同様に、下の名前だけ同じなのだと思う。恐らく、「事実をベースにしてはいるが、脚色も含まれている」という意味を含んでいるのだろう。実際、エンドロールの途中で「実際とは異なる部分があります」みたいな記述があったと思う。その辺りのことは頭に入れつつ観ると良いだろう。
「人工心臓」を開発するためのあまりにも長い道のり
本作の予告を観た人は、大泉洋演じる坪井宣政が娘に「お父さんが人工心臓作ってやるからな」と言っているシーンを覚えているだろう。本作には原作本があるのだが、私は未読だった。そのため、当然本作は「人工心臓の話」なんだと思っていたのである。そんなわけで映画の冒頭から「人工心臓の話ではない」と示唆される構成であることに驚かされてしまった。ちなみに、映画の最後には「完全な人工心臓は今も開発されていない」という字幕が表示される。
そして本作では、その「困難さ」について随所で説明がなされていた。
映画の前半は次のように展開していく。坪井宣政は人工心臓を開発するために、東京大学の講義に潜り込むなどして勉強を重ね、さらに、自身が経営するプラスチック加工工場に研究所を併設した。とにかくまずは、人工心臓を成形するところから始めなければならない。非常に難しい挑戦だったが、昼夜問わずの研究を続けた結果、彼はなんと、開発に協力してくれた医学生からも「これなら行けます!」と太鼓判を押されるほどのものを作り上げることに成功した。ここまでもすでに様々な困難があったわけだが、その後の困難さに比べれば「とんとん拍子」と言っていいと思う。
さて、問題はここからである。当然のことながら「臨床試験」を行わなければならないのだ。
そのためにはまず、「人工弁」と「人工血管」を用意する必要がある。ただこれらは日本国内では調達出来ず、アメリカから取り寄せるしかない。その金額だけでも2000万円以上。人工心臓の成形のために数千万円する機械を導入しており、既に莫大な金額が費やされている。その上さらに、ここで挙げた数字が可愛く思えるような尋常ではないお金の話になってくる。
さて、「臨床試験」を行うためには、他に何が必要だろうか? まず用意すべきなのは「動物100匹」と「人間60人」である。これだけの数の動物・人に対して臨床試験を行う必要があるのだ。さらに、この臨床試験を管理する者を常勤で雇わなければならないという決まりも存在する。安全性の確認のためには5~6年は臨床試験を行う必要があり、ざっと1000億円は必要という試算になっていた。しかもこれは、1980年代の金額である。現在の価値に換算したらもっと金額は跳ね上がるだろう。もちろん、個人でどうにか出来るレベルのお金ではないわけだが、大学病院や研究所だって単独ではなかなか拠出出来ないだろう。
つまり、「技術力」ではなく「お金」の問題なのである。恐らくこのような事情から、人工心臓は開発されていないのだと思う。技術開発は努力でどうにかなっても、お金はどうにもならない。それこそビル・ゲイツにでも頼むしかないだろう。そのようなハードルが存在することは、少なくとも協力した大学教授は理解していたはずだし、坪井宣政が心血注ぐ前に忠告することも出来たように思う。ただそれはそれとして、「人工心臓を開発できなかった」という想いが「IABPバルーンカテーテルの開発」に繋がるわけで、結果から見れば「人工心臓の開発に挑んで良かった」と言えるのではあるが。この辺りの話も、捉え方が難しいなと感じる。
大学教授の対応にはイライラさせられた
本作では、「お金」だけではない別の問題も描かれる。そしてそちらについては、「仕方ない」などとはまったく思えなかった。
さて、少しネタバレ気味になるかもしれないが、映画を観ていれば凡そ理解できることなので書いてしまおう。本作では、人工心臓の開発を諦めた坪井宣政が「IABPバルーンカテーテル」に目を付け、改めてゼロから開発に挑む。「IABPバルーンカテーテル」も同じく心臓の病気に対して使われるものなのだが、人工心臓とは違い「一時的に状況を好転させるための装置」でしかなく、IABPバルーンカテーテルが完成しても娘の病気は治らない。しかしそれでも彼は、人工心臓を作るのに培った知識と経験をフル活用してIABPバルーンカテーテルの開発に挑み、その圧倒的な努力によって再び、「あとは臨床試験を行うだけ」という状態にまで持っていくのである。
しかし、やはりここでも問題が生じた。そして今回の障害はなんと、「お金」ではなく「教授」だったのだ。
本作には、「東京都市医科大学」という名前で、坪井宣政に協力した大学が登場する。そして彼の頼みを受けて人工心臓の開発に協力したのが石黒教授だ。彼の下で学ぶ若手医師たちの力を借りながら人工心臓の成形に漕ぎ着けたのだが、先述した通り、臨床試験に金が掛かりすぎるため断念せざるを得なかった。そしてその後、IABPバルーンカテーテルの開発を提案し、完璧に仕上げた試作品を携えて石黒教授を訪ねてくるのだ。
坪井宣政の目的は、「臨床試験として、実際の手術の現場で使ってもらうこと」である。患者の同意さえ得られれば実際の手術で使用することが可能であり、その許可をもらいにやってきたのだ。しかし石黒教授は、彼の提案を断った。そして理由がなんと、「実績のない素人が作った医療機器など使えない」だったのである。坪井宣政が素人であることなど、初めから分かっていたことだ。それに彼は、論文にも出来るぐらいの完璧な実験データを揃えていたのである。にも拘らず石黒教授は、「やらない」と断ったのだ。この展開には大分驚かされてしまった。
さて、「石黒教授がOKしないのであれば、他の教授、他の大学病院に頼めばいい」と感じるんじゃないかと思う。しかし、実際にはそうはいかない。詳しくは知らないのだが、「最初に組んだ相手と臨床まで行わなければならない」のだそうだ。どうやら役所に問題があるようで、大学病院はその指導に従わなければならない立場らしいのだが、とにかく、坪井宣政が他の大学にIABPバルーンカテーテルの試作品を持っていっても、「石黒教授のところで臨床試験を行ってもらうしかない」と断るのである。作中のある人物は、
この製品がどれだけ多くの人の命を救うか分かっていても、ウチでは出来ないんです。
とさえ言っていた。そんなわけで坪井宣政は、「素人だからダメ」という理由で断り続ける石黒教授をどうにか説得せざるを得ないのである。本当にアホみたいな問題だし、どうにかならないものかと思う。IABPバルーンカテーテルは、坪井宣政(筒井宣政)の凄まじい奮闘によって無事世に出たわけだが、こんなアホみたいな障壁をクリア出来ずに涙を飲んだ素晴らしい製品も世の中にはたくさんあるんじゃないかとさえ感じさせられた。
本当に、こういう謎の仕組みは世の中から消え去ってほしいと思っている。
「家族の物語」としても凄まじい
さて恐らくだが、本作で描かれる「人工心臓・IABPバルーンカテーテルの開発物語」は、概ね事実に沿っているのではないかと思う。一方で、こちらも大体事実だろうとは思いつつ、「どこまでホントなんだろう?」と感じさせるのが「坪井家の物語」である。変な話は色々とあるのだが、とにかく坪井宣政と妻・陽子の関係性が絶妙だった。
本作には随所で、佳美が書いた日記の記述がナレーションとして入る。そしてその中に、「うちの家族はちょっと違うんです」みたいな文章があった。坪井宣政は、娘からも「変わっている」と思われるくらい、なかなか破天荒な人物だったようだ。例えば映画の冒頭では、「家業を継いだ坪井宣政が、借金を抱えていることを知るや、自社製品を売り込みにとりあえずアフリカまで行ってしまう」というシーンが描かれていた。そして普通は、そんな夫の行動を妻が嗜めるものだろう。しかし妻・陽子は、夫の無茶苦茶な行動をすべて肯定していくのである。
また既に触れた話だが、「お父さんが人工心臓作ってやるからな」と佳美に伝える場面もとても良かった。このシーンに至る前段として、夫婦は「佳美の手術のために貯めていたお金を、人工心臓の研究を行っている研究室に寄付しよう」という会話を交わしている。しかし坪井宣政は家族の前で、「その寄付だがなぁ、止めた!」と宣言するのだ。そして続けて、「人工心臓は俺が作る。自分で出来ることはやる。今決めた」と口にするのである。
さて、このシーンには坪井家の面々が全員揃っており、長女の奈美はそんな父親の宣言に否定的な言葉を返していた。まあ、それは当然だろう。というのも坪井宣政は、「人工心臓を自分で作る」と決断する前に、日本中のあらゆる病院(一部アメリカも)へと赴き医者や研究者から話を聞いており、「佳美の心臓を治せる医者がいないこと」「人工心臓は実用化には程遠いこと」を理解していたのである。陽子ももちろんそんな現実を理解しており、だから奈美は「母は父のことを止めるだろう」とも考えていた。
しかし陽子は、夫のそんな決断を聞き、「なんでそんな簡単なことに気づかなかったのかしら」と口にするのである。これもまあ凄まじい反応だと思う。両親のこのやり取りを聞いた奈美は、「何で誰も止めないのぉ?」と疑問を投げかけるわけだが、誰も彼女の話など聞いていない。こうして、猪突猛進に突き進む宣政とそれを止めない陽子によって、人工心臓の開発がスタートしたのである。
坪井宣政は確かに凄まじいのだが、この話は、陽子や他の家族の存在があってこそ力を発揮できたということがよく理解できるエピソードではないかと思う。坪井宣政の偉業は、そのような様々な要因が絶妙に重なり合って実現したのである。
そのように考えると、本作『ディア・ファミリー』は、「実話を基にしている」という事実無しにはまず成立しない物語と言っていいんじゃないかと思う。あらゆる場面で、「そこから前に進むのは無理だろう」と思わされるし、フィクションの物語だったら、「困難を乗り越えられた」という描写が嘘っぽくなってしまうような気がする。藤井聡太や大谷翔平がよく「フィクションの世界で描いたら嘘くさくなるような実績」を叩き出しているが、坪井宣政(筒井宣政)もまた、同じ土俵にいる人だと感じさせられた。本当に、凄い人がいたものである。
最後に
感想を書くのにネットで調べていたら、恐らく本作公開に合わせて行われたのだろう筒井宣政のインタビューを見つけたので、リンクを貼っておこうと思う。映画の裏話もあり、なかなか読み応えのあるインタビューである。
本作では、大泉洋と菅野美穂がさすがの貫禄を放っていたが、私は個人的に松村北斗が好きで、彼が出ていると注目してしまう。どの役も割と「内側に何かを抱えている人物」であることが多く、その雰囲気をとても上手く演じているような気がする。本作ではあまりメインの役柄ではないが、やはり良い存在感だったなと思う。
そんなわけで、予想通りとても良い話だった。
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