【解説】映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は、凄まじい臨場感で内戦を描き、我々を警告する(主演:キルスティン・ダンスト、ケイリー・スピーニー)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

監督:アレックス・ガーランド, Writer:アレックス・ガーランド, 出演:キルステン・ダンスト, 出演:ワグネル・モウラ, 出演:スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン, 出演:ケイリー・スピーニー
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「本当に内戦なんか起こり得るのか?」という”腹落ち”がなく、そういう意味では受け取り方の難しい作品だった
  • 「内戦が長期化し、既に日常になってしまっている」という設定で描き出す構成は凄く良いと思う
  • 「戦場を撮り続けてきた主人公」が、まさに自国で起こってしまった内戦に「カメラを向ける動機」を失った理由について

最前線にいる報道カメラマン目線で戦争を体感できる、とにかく「臨場感」が凄まじい映画だった

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

「アメリカの内戦」をリアルに描き出す映画『シビル・ウォー』には、その圧倒的な臨場感ゆえに、「現実に起こるのではないか?」と思わせる真実味がある

当ブログ「ルシルナ」では基本的に、「面白かった本・映画」の感想しか載せないと決めている。ただ本作は正直なところ、「凄く良い」と言うほどではなかった。割と期待感を持って観に行った作品なので、その点は少し残念ではある。ただ、これはとても珍しいことなのだが、「凄く良かったわけではない」にも拘らず、書きたいことはたくさん出てきたのだ。何にせよ、色々と考えさせる映画なのは確かである。

なので本作に関しては、「そこまで好きではないが、考えがいのある作品だという理由で記事を書いている」のだと理解しておいてほしい。もちろんのことながら、「好き嫌い」は完全に個人の好みであり、私の評価を他人に押し付けるつもりはない。これは本作に限らず、どの作品についても同様である。

カメラマン目線で戦争を捉えているため、「臨場感」が凄まじかった

本作についてはまず何よりも、その圧倒的な「臨場感」に触れておくべきだろう。本作の主人公は「報道カメラマン」であり、だからこそ戦争の様子を最前線で捉えようとする。まさに目の前で銃撃戦が行われている場所でカメラを構えているのだ。もちろん観客も、彼女たち報道カメラマン目線で戦争を体感できる

もちろん、「戦争の臨場感」を感じさせる作品なんて他にもたくさんあるとは思う。それこそ、まさに戦場で戦っている兵士・軍人視点であれば、よりリアルに戦争を目の当たりにすることになるはずだ。しかし、これは自分の感覚を伝えるのが少し難しいのだが、「戦闘には直接的に関与していない者が、その様子を直接的に目にしている」という事実は、より強く「臨場感」を後押しするように思う。いや、この点に関してはもう少し踏み込んで、こう説明するしかないだろう。つまり、「『兵士・軍人が命を落とすこと』は織り込み済みだが、『報道カメラマンが巻き添えを食らい亡くなること』は想定外」という感覚が私の中にあるからそんな風に感じるのだと思う。だからこそ、「兵士・軍人視点」よりも「報道カメラマン視点」の方が、より強く訴えかけてくるような気がするのだろう。

しかし、本作『シビル・ウォー』を観ながら私は、「戦争が起こった場合、本当に、本作で描かれているぐらいギリギリまで記者は最前線に近づくのだろうか?」と感じた。ちょっと信じ難いなと思う。私は、美術館で開催される「報道写真展」を観に行ったりするし、ピュリッツァー賞を獲った戦争写真もいくつか覚えている。たぶんそれなりには「戦争を写した写真」を目にしていると思うのだが、しかしそれは「カメラマンが見ている景色」でしかない「それを撮影しているカメラマンがどういう状態にいるのか」を理解しているわけではないのである。

本作は、そんな「最前線を取材し続ける報道カメラマン」を追いかける作品であり、その中で映し出される「最前線への近づき方」みたいなものに、やはり驚かされてしまった。「取材だから」みたいな気持ちだけでは、あそこまで近づけないと思う。そんなことが出来るのは、「戦争」などの危険な現実に対して何らかの強い想いを抱いている人(あるいは「頭のネジがぶっ飛んでいる人」)だけだろう。本作はもちろんフィクションだが、「戦争を報じる者」の見方が変わる感じもあって、その点は良かったなと思う。

アメリカ人以外には、本作で描かれる「内戦」が「リアルなもの」に見えたりはしないんじゃないか

さて、本作の「視覚的な臨場感」はもちろん圧倒的で、そこには凄まじい「リアルさ」がある。しかしその一方で、本作をアメリカ人以外が鑑賞する際には、「こんな内戦が本当に起こり得るんだろうか?」という疑問は拭えず、「内戦が起こるかもしれない」という点に関する「リアルさ」を実感できないように思う。私はこれこそが、本作をあまり「良い作品」とは感じられなかった理由ではないかと考えているのだ。

本作は、少なくともアメリカでは大ヒットを記録したと思うが、その理由の1つに、「アメリカでは、今まさに内戦が起こってもおかしくない」というような、アメリカに住む者たちが抱いている感覚が土台にあるんじゃないかと思っている。というのも本作には、「どうして内戦が勃発したのか?」に関する説明が一切無いからだ。「内戦が起こり、それが長期に渡り継続している」という大前提の中で物語が進んでいくのである。

本作には「いつの話なのか」という日時に関する情報が少ないのであくまでも予想でしかないが、少なくとも1年以上は内戦が続いているという設定なのだと思う。というのも作中で、「大統領はもう14ヶ月もインタビューを受けていない」というセリフが出てくるからだ。とすれば、少なくとも14ヶ月は内戦が継続していると考えていいだろう。

そして、「そんな長期に渡る内戦がどのように始まったのか?」に関する描写は一切無いのである。

また、戦況の説明についてもラジオニュースの音声が流れる程度で、「テキサスとカリフォルニアが独立政府を樹立し、”西武勢力(WF)”として政府軍と対立中。まさに今、ホワイトハウスがあるワシントンDCを目指している」ぐらいのことしか分からない。「テキサスとカリフォルニアが反旗を翻した」ということぐらいは伝わるわけだが、アメリカについて詳しくない私には、「テキサスとカリフォルニアなら確かにそういうことしそうだよね!」みたいな感覚も別に無いのだ。

なので私は本作に対して、「どうして内戦なんか起こってるんだよ!」みたいにずっと感じていたし、そこに対して最後まで腹落ち出来なかったことが、本作に対するちょっと微妙な評価に繋がっているようにも思う。

もちろん私は、「アメリカ国内で分断が広がっている」ぐらいの知識を持ってはいるし、映画冒頭で使われていた映像のように、色んな「デモ」が起こっていることも知ってはいる。確かにアメリカは今、とてもマズい状態にあるのだろう。しかしだからといって、「内戦」というのはやはり飛躍しすぎているように感じられてしまう。きっとこの点で、アメリカに住んでいる人とは感覚がズレてしまうのだろう。アメリカに住んでいる人にはきっと、「内戦」はリアルなのだ。

だから、「内戦が起こった」という本作の大前提をすんなりと受け入れられるなら、興味深く追えるのではないかと思う。ただ私のように、「内戦なんか起こるか?」みたいに感じてしまう人には、本作の物語をリアルに受け取るのが難しくなるだろう。これは、制作側が悪いみたいな話では全然ないし、正直どうにもならない部分ではあるのだが、個人的には少し残念に感じられてしまった。

「内戦が日常になってからを描く」という構成の妙と、「主人公らがワシントンDCを目指す理由」について

さて、誤解しないでいただきたいのだが、私は別に「内戦が始まったところから描いてほしかった」などと考えているわけではない。それはまた別の話である。本作は「内戦が長期化し、それが日常になってしまった世界」で展開される物語なのだが、そういう設定だからこその面白さが間違いなくあると思う。

その面白さは、NYからワシントンDCへと向かう主人公らが途中で立ち寄ったある街の風景から特に感じ取れるかもしれない。物語が始まるNYではデモなどが盛んに行われているし、最終的にたどり着いたワシントンDCでは銃撃戦が繰り広げられている。しかし、休憩がてら立ち寄ったその街では、「今まさに内戦の最中である」という事実を忘れさせるほど静かな日常が広がっていたのだ。地理的な要因が関係しているのか、その辺りはよく分からないが、幸運にも国家的な大問題に無関心なままでいられたのだろう。恐らく内戦が始まってからずっと、そんな静かな日々が続いていたのだと思う。

そしてこの「内戦に無関心な街の”異様さ”」は、「内戦が長く続いている」という背景があるからこそ浮かび上がるものである。昨日今日内戦が起こったのであれば「たまたま巻き込まれずに済んでいるだけ」と捉えることも可能だが、1年以上も内戦と無関係でいられているのであれば、その見え方も変わってくるはずだ。他の具体的に挙げるのはちょっと難しいのだが、本作は全体的に、そのような「『内戦が長期的に継続している』からこそ浮かび上がる何か」を上手く切り取っている印象があった。

また、本作には全体的に「諦念」とでもいうべき感覚が漂っている感じがあるのだが、それはやはり、「政府軍が負けるかもしれない」という予測から来ているのだと思う。そして普通は、「アメリカほどの国の政府軍が負けるはずがない」と誰しもが考えるはずだ。となれば、「政府軍が負けるかもしれない」と多くの国民が実感するには、戦争が長期化していないとなかなか難しいとも言えるだろう。

つまり、「内戦が長期化し、日常になってしまっている」という事実が本作の様々な前提や雰囲気を生み出しているわけで、そのような構成はとても良かったと思う。だから全然、「内戦の始まりから描いてほしかった」なんて考えてはいないのである。

では、そんな「内戦が日常化した世界」で、NYにいた記者たちがワシントンDCを目指すことに決めた理由は一体何だったのだろうか? この点に関しては、記者が集まるホテルで繰り広げられていた会話が興味深かった。

主人公のリー・スミスとその相棒だろうジョエルが、ニューヨーク・タイムズの記者であるサミーと話をしている場面でのこと。リーがサミーに「ワシントンDCへ向かおうと思っている」と言うと、サミーは「前線に行くつもりなのか?」と返していた。サミーがこういう反応をするのも当然だ。というのもこの時点で、西武勢力はワシントンDCまであと200kmのところまで迫っているとされており、ワシントンDCは既に戦争の最前線となりつつあったからだ。

しかし、サミーの問いかけにリーは「NO」と返す。リーとしては「前線の取材に行くわけじゃない」という意味での「NO」だったのだが、サミーはちゃんとは理解できずに困惑する。それにそもそも、前線の取材に行くんじゃないとしたら、どうしてワシントンDCに行くのか分からない。そんなわけでリーは、続くやり取りでその目的をはっきりと伝えていた。「14ヶ月もインタビューを受けていない大統領に話を聞きに行く」のが目的だというのだ。

このような流れで、彼らはNYからワシントンDCを目指すことになったのである。

さて、彼らがNYを出発した時点で「DCまで1379km」と表示されたので、私はてっきり、これがNYとワシントンDCの直線距離だと思っていたが、どうやら違うようだ。調べてみると、直線距離だと340km程度らしい。会話の中でリーがワシントンDCまでのルートをサミーに尋ねた際、「州間道路は封鎖されてるし、あの道もダメだしなぁ」みたいなことを言っていたので、恐らく「大分回り道しないとワシントンDCまでたどり着けない」ことを示すための表示だったのだと思う。この辺りの「地理的な不案内」もまた、本作を観る上でのちょっとした障害になるかもしれないなと感じた。

報道カメラマンらが最前線を目指す様々な動機

そんなわけで、彼らは「大統領のインタビュー」のためにワシントンDCを目指すわけだが、しかし、そこが最前線であることに変わりはない。そして先述した通り本作は、「そんな危険な場所へと乗り込み、戦争を伝える者たち」の物語である。「戦争そのもの」よりも、「戦争を誰にどう伝えるか」みたいな部分こそが物語の核になっているのだ。そして本作では、4人の男女が最前線となったワシントンDCへと向かうことになる。

23歳のジェシー・カレンは、リーと同じ名前のリー・ミラー(実在した報道カメラマンである)に憧れてこの道を選んだリー・ミラーは、ドイツ・ダッハウの強制収容所に最初に入った報道カメラマンとして知られ、他にも様々な功績を残している。そんな女性に憧れて報道カメラマンを目指した彼女にとって、「アメリカ国内にいながら戦争の最前線に行ける」ことは、言葉を選ばなければ「ラッキー」という感じだったかもしれない。

ニューヨーク・タイムズのサミーの場合は、ほとんど成り行きのようにワシントンDCに向かうことになっただけで、積極的に行きたかったわけではないと思う。ただ、彼の立ち居振る舞いを見ていると、「『長年生きた使命感を持つ者』として『こんな現実を無視できるはずがない』みたいな感覚を抱いている」みたいに感じさせられた。彼は記者仲間からかなり慕われているようで、彼の真摯なスタンスが多くの人を惹き付けているのではないかと思う。

さらに、主に運転手を買って出ているジョエルはまた大分違う存在として描かれている。夜になり車を停めて休憩している時、そう遠くない場所で砲撃が行われている様子を目にした彼は、「あの銃声が俺を猛烈に勃起させるんだ」と口にしていたのだ。これが本心かどうかは何とも言えないし、むしろ、「これから最前線へと足を踏み入れる仲間たちの気持ちを軽くするために言ったジョーク」ぐらいに捉えるのが正しいのかもしれない。ただ彼に関しては、このセリフ以外に最前線へと向かおうとする動機を推し量れるものがなかったように思う。

そしてやはり、本作において最も印象的な存在が主人公のリーである。彼女は、「ANTIFAによる虐殺」をカメラに収めたり、ロバート・キャパが設立した写真家集団「マグナム」に最年少で加入したりと、「凄まじい実績を持つ写真家」という設定で登場していた。これまでも国外の様々な戦場で写真を撮り続けてきた大ベテランだ。

そんな彼女がサミーに、「どうして戦場の写真を撮り続けてきたのか?」について語る場面がある。

戦場で写真を撮る度に、祖国に警告しているつもりだった。「こうはなるんじゃないぞ」と。

私には、このセリフは非常に重要なものに感じられた。というのもリーは今まさに、「『戦場の写真を撮る動機』を失った状態にある」ことを示しているからだ。国外の様々な戦争を撮り続けてきたのは、「アメリカ国内で戦争が起こらないようにするため」だった。しかしリーはまさに今、アメリカの内戦を目にしているのだ。彼女が、過酷な戦場に身を置いてまで避けたいと思い続けてきた現実が実際に起こってしまったのである。

だから、カメラを持ち、大統領のインタビューを撮る目的で最前線のワシントンDCへと向かっているリーの中にはもう、「目の前で起こっている戦争」を写真に収める動機は存在しないはずなのだ。これまでは、撮影した「悲惨な現実」をアメリカ人に見せることで「戦争への抑止」を働かせているつもりだった。だったら今目の前で起こっている戦争を撮って、一体誰に見せたらいいのだろうか? リーは、そんな深い絶望の中にいるんじゃないかと私には感じられたのだ。

「内心が語られない」ことによるリアル

ここまで4人の「ワシントンDCへ向かう動機」について書いてきたものの、それらは完全に私の勝手な推測である。本作の登場人物は、自身の内心をほぼ口にしないので、「誰が何を考えているか」についてはほとんど分からないのだ。ただ後半のリーの振る舞いを見ていると「抱えてきた絶望が臨界点を超えた」みたいな感じがしたし、それ故にラストのあの瞬間にも繋がったのではないかとも思う。だから、そう捉え間違ってはいないだろう。

さて、今指摘した「登場人物がほとんど内心を口にしない」という点もまた、「内戦が長期化している」という本作の設定をリアルに感じさせる要素であるように思う。

本作を観ながら、「こういう状況なら普通、こんなことを感じたり言ったりするだろう」みたいに思ったとしよう。しかし、登場人物たちはそういう言動をしない。何故なら、彼女たちは恐らく、1年以上に渡るこの内戦の間中、同じようなことを何度も感じたり口にしたりしてきたはずだからだ。そのため、内戦が日常になってしまった今となってはもはや何も感じないし、だからこそ言葉にもしないのだと思う。というかこれは、「観客としては、自然にそう受け取れる」という話である。そしてそのことは、本作の「リアルさ」をより高める要素と言っていいと思う。

ただもちろんのことながら、「彼ら自身に何か悲劇的な出来事が降り掛かった場合」は違う。「内戦そのもの」に対してはもう何も感じることがないとしても、仲間に何かあれば気持ちも動く。そして本作では、そういう感情の動きをメインにして物語が組み立てられている感じがあった。

印象的だったのは、ジェシーが非常に抑制的だったことである。詳しくは触れないが、ある場面で彼女は、「もし私がジェシーの立場にいたら、心理的にちょっと耐え難いと感じてしまうような状況」に置かれてしまう。23歳で、戦場の経験もほとんどないのだから、なおさらしんどかっただろう。しかし彼女は、冒頭で「同じミスはしない」と明確に宣言していたように、「戦場カメラマンとして生きていくための覚悟」みたいなものをワシントンDCへの旅路の中で獲得しつつあるのだと思う。そして、そういう気持ちを意識的に持ちながら踏ん張っているからこそ、あのような抑制的な振る舞いになったのだろう。だからこそ、ラストのあのシーンでそんな「覚悟」が絶妙に発揮され、印象的なシーンになっているように感じられた。

このように本作は、「戦争」というイカれた現実を背景に、それを伝えようとする者たちの様々な奮闘や心の動きが印象的な作品なのである。

監督:アレックス・ガーランド, Writer:アレックス・ガーランド, 出演:キルステン・ダンスト, 出演:ワグネル・モウラ, 出演:スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン, 出演:ケイリー・スピーニー
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最後に

本作『シビル・ウォー』全体に対しては、「撮影は大変だっただろうなぁ」という感じが強かった。夜のシーンは大規模なセットを組んで撮影したのだと想像出来るが、昼間のシーンはそうはいかなかったんじゃないかと思う。「車内から見える崩れた建物」や、「乗り捨てられた車が行く手を阻んでいる道路」なんかは、まるっとすべてCGとかじゃない限り、かなり大変な準備が必要に感じられる。さらに、休憩場所として立ち寄るのが「グラフィティアートで埋め尽くされたスタジアムの廃墟」みたいな場所なのだが、これもCGではなく実際の場所で撮影しているとしたら相当大変だっただろうA24史上最高の制作費で作られた作品らしく、何となく納得という感じである。

また日本の場合だと、「グリーンバックで渋谷のスクランブル交差点を再現できる撮影所」が栃木県にあったりするのだが、アメリカにも同じように、NYやワシントンDCをまるっと再現できるような場所があったりするのだろうか? そんな撮影の裏側も気になる作品だった。

冒頭で書いた通り、好き嫌いで言えばあまり好きではない作品だったのだが、色々と考えさせる物語であることは確かである。アメリカでは再びドナルド・トランプが大統領になった。彼は分断を一層加速させる存在だと思うし、だとすれば「内戦の可能性」もより高まると言えるのかもしれない。アメリカが(そしてその影響で日本も)これからどうなるのか、注視していく必要があるだろう。

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