【危機】シードバンクを設立し世界の農業を変革した伝説の植物学者・スコウマンの生涯と作物の多様性:『地球最後の日のための種子』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

文藝春秋
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この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • スコウマンは「一国の国家元首以上に重要な人物」と評価されている
  • 「植物版ノアの方舟」である「ジーンバンク」にはどんな利点があるのか?
  • 「遺伝子情報の特許取得」が進む世界で「作物の多様性」をどう維持すべきか

私たちが今日も当たり前にご飯を食べられるのは、見事な慧眼で未来を見抜いたスコウマンのお陰なのだ

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

聞き馴染みのない「シードバンク」を設立したスコウマンは、世界の農業を救った。その偉業を『地球最後の日のための種子』から知る

スコウマンとは何者か?

本書は、「伝説の植物学者」と評されるベント・スコウマンを取り上げ、彼の功績を追いながら、「世界の食料」がどのようにして守られているのかについて綴った作品だ。

そもそもだが、多くの人が「シードバンク」(あるいは「ジーンバンク」)という名前を耳にしたことがないのではないかと思う。私も、本書を読むまで知らなかった。「バンク」とは「銀行」のことであり、つまり、「銀行のように世界中の作物の種(遺伝子情報)を保管している場所」というわけだ。そしてスコウマンはそんな「シードバンク」を立ち上げた人物であり、彼のように種子を収集・保管する人を「シードバンカー」(あるいは「ジーンバンカー」)と呼んでいる。

スコウマンは、作物の多様性を維持することによって世界の農業を守り、さらに世界中から飢餓をなくすという信念を持って行動し続けた。彼のお陰で、作物の栽培に何か重大な問題が発生した場合でも、それに対処するための武器を手にできるようになったのだ。

その功績について、かつて『タイム』誌はこう評したことがある。

人々の日々の生活にとって、ほとんどの国家元首より重要な人物である。

一介の植物学者が、一国のトップよりも重要だというのだから、その貢献の偉大さは想像に余りある。そしてそんな偉大な人物のことを、私を含め恐らくほとんどの人が知らずに生きているのだ。

彼がどれほどの慧眼の持ち主だったのかを示すエピソードが冒頭で紹介されている。

1998年に小麦業界で「黒さび病」が発見された。「黒さび病」は小麦の伝染病の中で最も手強いもので、原因となる真菌が風に乗って国境を越えることで、世界中の小麦が感染してしまうのだ。1998年に発見されたこの「黒さび病」には「Ug99」という名前がつけられた。私を含め多くの人はまったく知らなかっただろうが、この「Ug99」は農家にとって大問題だったのだ。

小麦の世界で何か恐ろしいことが起きていて、世界の一握りの科学者たちが、日々のパンに甚大な影響を与える疾病の撃退方法を必死に探していることなど、思いもよらなかったに違いない。

スコウマンが「シードバンク」を準備していたお陰で、人類は小麦を失わずに済んだ。もしかしたら我々は恐ろしい食糧不足に見舞われていたかもしれない。そうならなかったのは、スコウマンが「未来に起こりうる問題」を正しく予測し、それに対処するための準備を行っていたからだ。

我々が日々食事に困らず生活できるのは、大げさではなく、スコウマンのお陰なのである。

「作物の多様性」の重要性と、多様性が消失した場合のリスク

私が本書で初めて「シードバンク」という存在を知った時、こういうイメージをした。地震や隕石など、世界的な大災害が起こった場合に、問題なく農業を再開できるように準備しているのだろう、と。

しかし、その想像はまったく違っていた。そんな「起こるかどうか分からないリスク」に備えたものではなく、「グローバルな世界で農業を行う上で必然的に起こり得るリスク」を見据えたものだったのだ。

さてここからしばらく、「育種家」と呼ばれる人たちの話に触れていこう。「育種家」とは、作物の改良を行う人たちのことだ。現代のテクノロジーなら、遺伝子を組み替えるなどのやり方で品種改良が行えるだろうが、彼らはそんな技術のない時代から、様々な作物をかけ合わせ実際に育ててみることを繰り返すことで、新たな品種を生み出してきた

それがどんな作物であっても、「効率よく収穫できる」「収量がそれまでのものより増える」という性質の獲得は喜ばれるだろう。あるいは、「本来なら暑い地域でしか育たない作物が寒冷地でも栽培できる」「塩害に強い」などの性質も重要だ。このように、求められる性質を持つ品種を生み出す人たちを「育種家」と呼ぶ。スコウマンも、元々は「育種家」だった。

さてここで、ある育種家が「スーパー小麦」を生み出したとしよう。それは、これまでに存在した小麦の性質をすべて持っている、これ以上ないほど完璧な品種だ。収量が多く、効率よく収穫でき、暑くても寒くても育てられ、塩害や乾燥に強いとなれば、当然、世界中の農家がこの「スーパー小麦」を育てたいと考えるだろう。飛行機が当たり前の存在になる前は、ある地域で生まれた品種を海を隔てた別の地域でも育てることはなかなか困難だっただろうが、現代ではおそらくこの「スーパー小麦」はすぐに世界中に広まるはずだ。

この「スーパー小麦」は収量が多く、効率よく収穫できるのだから、世界中の農家が栽培すれば、世界の小麦の生産量は格段に上がるだろう。地球では、2050年までに世界人口が90億人に達すると考えられており、その場合、今より75%以上も食料を増産しなければ追いつかないそうだ。となれば、この「スーパー小麦」が世界中に広がることは喜ばしいことだろう

しかし、必ずしもそうとは言えない。何故だろうか? ここに「作物の多様性」が関係してくる。世界中でまったく同じ小麦を生産すると、多様性が消失する。そしてそれはとても危険なことなのだ。

何故か。

先ほど、1988年に「黒さび病(Ug99)」が発見されたという話に触れた。世界中で様々な品種の小麦が栽培されていれば、その中のどれかは「Ug99」に対抗し、生き残るかもしれない。しかし世界中どこでも同じ小麦を育ててしまえば、もし「スーパー小麦」が「Ug99」への抵抗力を持っていなかった場合、世界中の小麦は全滅してしまうことになるのだ。

よく知られていることだと思うが、日本の「ソメイヨシノ」は、全国どこにある木もすべて同じ遺伝子、つまり「クローン」だと分かっている。もし日本のどこかで「ソメイヨシノを枯らしてしまう病気」が見つかれば、恐らく日本中のソメイヨシノが枯れてしまうだろう。同じような理由で、バナナが絶滅しかけたことがあると本書で触れられている。

多様性が失われることで、このようなリスクが生まれてしまうのだ。だから「ジーンバンク」が必要になるのである。

「もし農業がグローバル化した場合に何が起こるか」に気づき行動を起こせたのはスコウマンだけだった素晴らしい慧眼だったと言っていいだろう。

「シードバンク」の重要性

それでは改めて、「シードバンク」がいかに重要なのかについて触れていこう。

「シードバンク」には、大きく分けて2つの利点がある。

1つ目は、「育種の拠点となるデータベース」としての価値だ。ここには、「遺伝子情報の特許取得」という問題が絡んでくる。

国によってその判断は異なるが、近年、「遺伝子情報の特許取得を認める」という国が出始めるようになった。「遺伝子」は創作物ではないので、普通に考えれば特許など取得できるとは思えない。しかし、「天然物から何かを単離することには創作性がある」という考えの元、遺伝子情報の特許取得が認められるようになっているのだ。

例えば、先ほど例に出した「スーパー小麦」を開発した育種家が、その「スーパー小麦」の遺伝子情報の特許を取得できることになる。その場合、「スーパー小麦」を育てるには特許料を支払う必要があるのだ。

このように遺伝子情報の特許が取得されてしまうと、誰もが簡単に作物の種子情報にアクセスできなくなってしまう。それは、新たな品種を開発するという育種の制約となるし、「多様性を維持する」という観点からも好ましくない。

だからこそ、オープンソースのような形で誰でも種子情報に触れられる環境は重要だし、「ジーンバンク」はその役に立っているというわけだ。スコウマンも、遺伝子情報を独占的に確保しようとする世界の潮流に抗うのには相当苦労したそうだが、なんとかそれに対抗する存在として「ジーンバンク」を位置づけることができた。育種家や研究者は、「ジーンバンク」に保管されている種子の提供を受けて新たな品種を生み出し、それを改めて「ジーンバンク」に提供することで、作物の多様性を維持しようと努力しているのだ。

そしてもう1つの利点が、先ほどから例に挙げている病気に対する対抗策である。

遺伝子組み換え技術が登場する以前、作物の伝染病に対抗する手段は1つしかなかった。それが、「その伝染病に抵抗力のある品種を見つけ出し、現在栽培されている品種と掛け合わせ、伝染病への抵抗力を持つ新たな品種を生み出すこと」だ。しかし、伝染病が発生してみないことには、それに抵抗力を持つ品種がどれなのかも当然分からない。だからこそ、既に栽培されていない品種も含め、ありとあらゆる種子を保管しておく必要があるというわけだ。

本書には、アメリカで小麦の伝染病「黃さび病」が流行した際の実例が載っている。「ジーンバンク」のデータベースから伝染病への抵抗力を持つ品種が見つかったのだが、その小麦は、発見した植物収集家が「みじめ」と表現するような品種だったそうだ。

みじめな姿をした小麦で、背はひょろっと長く、茎はかぼそく、簡単に倒伏し、赤さび病にかかりやすく、冬の寒さに弱い

こんな特徴を持つ品種は、普通なら誰にも見向きされないだろう。販売目的で栽培するメリットなどまったくないはずだ。しかしその植物収集家は、今まで見たことのない品種だからと考えて収集し、「ジーンバンク」へと保管した。そしてまさにその「みじめな姿をした小麦」が、後のアメリカの救世主となったのである。

「シードバンク」がいかに重要か、理解できるエピソードだと言えるだろう。

スコウマンの生涯と、スコウマン以外の話

ここまで見てきたように、スコウマンという人物は、そのとんでもない慧眼で未来の農業を見通し、そのために必要な準備をし、「国家元首以上」とまで言われるほどの功績を残してきた。しかしその偉大さに比して、彼の人生は決して恵まれたものではなかったそうだ。

これほどの事業をやってのけるのだから、スコウマンが「直感」と「理想」を頼りに前進したと聞いても驚きはしないだろう。しかしそれ故に、組織の中で上手く立ち回れなかったのだ。スコウマンはメキシコに拠点を持つ国際トウモロコシ・コムギ改良センター(CIMMYT)に所属していたが、その中で軋轢ばかり生み出していた。「遺伝資源は誰にでも開かれたオープンなものであるべきだ」「世界中の遺伝資源を保管すべきだ」という、現在ならばその意義が十分すぎるほど分かる彼の信念は、その当時にはまったく理解されず、ひたすら予算が削られてしまう。そして最終的にスコウマンは、CIMMYTを解雇されてしまうのだ。

これを機にスコウマンは、「ジーンバンク」の設立に向けて動き出す。そして奮闘の末、ノルウェー最北のスヴァールバル諸島に世界の種子を集めた貯蔵庫が作られることになり、彼はその所長に就任した。この「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」は、通称<地球最後の日のための貯蔵庫>と呼ばれており、隕石の衝突による津波や、核戦争による放射能汚染などにも対処可能とされる、非常に堅牢な貯蔵庫だ。仮に何らかの理由で地球上の人類がほぼ壊滅したとしても、ここに保管された種子を使ってまた新たに農業が再開できると期待されている。

なんとも壮大な計画だ。まさに「植物版ノアの方舟」と言ったところだろう。本書には、そんなとんでもない計画を実現させてしまったスコウマンの、その評価に見合うとは思えない生涯についても触れられていく。

本書にはスコウマンの他にも様々な話題が取り上げられる。人物でいえば、ロシアのヴァヴィロフという植物学者の話が印象的だった生まれた場所と時代が不運だったとしか言いようがなく、素晴らしい能力と功績を持ちながら、その才能を生かせずに不遇の人生を歩むことになってしまった人物だ。

他にも、グローバル化した農業の問題点や遺伝子組み換えの話、また、戦争や財政難のせいで貴重な遺伝資源が失われている現状など、私たちの生活に直結するのになかなか知られていない事実が様々に語られていく。生きるために必要なものは様々に存在するが、その中でも「食」は非常に大きなウェイトを占めるものだし、だからこそ、本書の指摘は全人類の喫緊の課題だと言っていいと思う。

非常に興味深い作品だった。

文藝春秋
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最後に

石油の価格が上がることで様々な日用品の値段が上がったり、コロナウイルスの蔓延によって日本の医療制度の問題が浮き彫りになったりと、私たちは問題が起こって初めてその背景を理解することが多い。仕方ないことだとはいえ、できれば実害が生じる前に問題を理解し、多くの人がその危機意識を共有することで実害を回避できる方がいいだろう。

繰り返すが、「食」は生存のための基本中の基本だ。だからこそ私たちは、世界の農業がどんなリスクを抱えており、どのような対処が可能なのか、理解しておくべきではないかと思う。

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