【書評】奇跡の”国家”「ソマリランド」に高野秀行が潜入。崩壊国家・ソマリア内で唯一平和を保つ衝撃の”民主主義”:『謎の独立国家ソマリランド』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:高野秀行
¥961 (2022/03/07 22:03時点 | Amazon調べ)

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 高野秀行が現地入りするまで、「ソマリランド」に関する情報は世界的にもほぼ存在しなかった
  • 「ソマリランド」の理解に立ちはだかる「氏族」について、高野秀行は現地語で現地住民と議論する
  • 日本や欧米よりも遥かに洗練された「ソマリランドの民主主義」の凄まじさ

はっきり言って「読まなきゃもったいない」レベルの、超絶面白く読みやすいノンフィクションの傑作

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

『謎の独立国家ソマリランド』は高野秀行の集大成とも言える作品で、ここまで”面白くて深い”ノンフィクションは他に無いと思える傑作

とにかく、凄まじく面白い作品だ。今までも様々なノンフィクションを読んできたが、これほど面白くて読みやすく、かつ内容的に重厚で価値があると感じさせる作品はなかなかないだろう。硬派なノンフィクションはたくさんあるし、その中に傑作も多々あるが、本書は「エンタメ」寄りのテイストでありながら社会派でもある。テーマのセレクト、そして高野秀行のアプローチの仕方が見事だったと言っていい。

高野秀行は「辺境作家」を自称しており、これまでにも「UMAを探す」「シルクロードを実際に歩いて踏破する」など、テレビ番組がお金を掛けてやりそうな企画を1人で行ってきた。常に「未知の何か」を探し求め、その存在を予感させる場所へと全力で突っ込んでいくスタイルは、普通には真似できない高野秀行の独擅場という感じがする。

そんな高野秀行が「ソマリランド」に潜入するというのだ

「ソマリランド」についてはすぐ後で詳しく触れるが、とりあえず今のところは「国連から承認されているわけではない国家」ぐらいのイメージでいいだろう。「台湾」のような立ち位置だろうか。

そんな「ソマリランド」については、高野秀行が本書を記すまで、世界のどこにもまとまった情報は存在しなかったという。つまり本書は、「恐らく世界で初めて、『ソマリランド』の内情を記した作品」という点でも価値がある作品と言えるのだ。

分厚いし、難しそうな本に見えるだろうが、安心してほしい。「ノンフィクション」を読み慣れない人でもチャレンジできる作品だ。好みの問題はどうしても残るので、合う合わないはあるだろうが、見た目の印象で避けず是非手にとってみてほしいと思う。

高野秀行が渡航以前に「ソマリランド」について知っていたこと

先述した通り、「ソマリランド」についてはほとんど情報が知られていなかった。しかし、世界中に通信社の記者が配置され、世界中の人がスマホを持っている時代に、そんなことがあり得るだろうか

その疑問を解消するヒントとなる文章がある

ソマリランド共和国。場所は、アフリカ東北部のソマリア共和国内。
ソマリアは報道で知られるように、内戦というより無政府状態が続き、「崩壊国家」という奇妙な名称で呼ばれている。
国内は無数の武装勢力に埋め尽くされ、戦国時代の様相を呈しているらしい。

「ソマリランド」は、ソマリア共和国の一部として存在している。イタリアの中にあるバチカン市国、みたいなイメージでとりあえずはいいだろう。

そしてソマリア共和国自体は、内戦の混乱状態にある。まさに日本の「戦国時代」のような状況だそうだ。様々な勢力が天下統一を目指して武力で闘っている、そんな国なのである。

そして、そんな「戦国時代」状態のソマリア共和国内部に「ソマリランド」があるせいで、外からは誰も近づけず、情報がほとんど分からない状態になっているわけだ。

では、「ソマリランド」はなぜ注目されているのだろうか。その理由は、「ソマリランドだけは何故か平和」という点にある。

いったい何時代のどこの星の話かという感じがするが、そんな崩壊国家の一角に、そこだけ十数年も平和を維持してる独立国があるという。
それがソマリランドだ。
国際社会では全く国として認められていない。「単に武装勢力の一部が巨大化して国家のふりをしているだけ」という説もあるらしい。
不思議な国もあるものだ。建前上国家として認められているのに、国内の一部(もしくは大半)がぐちゃぐちゃというなら、イラクやアフガニスタンなど他にもたくさんあるが、その逆というのは聞いたことがない。ただ情報自体が極端に少ないので、全貌はよくわからない。

先程「ソマリランド」を「台湾」に喩えたが、この文章を読むと少しイメージを変える必要があるだろう。例えば、「今の日本が戦国時代の状態にあり、その中でなぜか長野県だけが平和を維持していて、そんな長野県が『我々は日本とは独立した国家である』と主張している」というような状態だと考えればいいだろうか。

なかなかに不思議な状態だろう。少なくとも、世界中様々な国を渡り歩いた高野秀行でさえ「不思議」と感じるほどの状況であることは間違いない。

さらに、「ソマリランド」に関して僅かながらに存在する情報を調べていた高野秀行は、次のような文章を見つけて驚いたという。

無政府状態の中で平和な独立国家を長年保っているだけでも瞠目に値するのに、「独自に内戦を終結後、複数政党制による民主化に移行。普通選挙により大統領選挙を行った民主主義国家である」などと書かれているのだ。
思わず笑ってしまった。アフリカ諸国ではつい最近まで独裁体制のほうが主流であり、民主主義は少数派だった。

国際社会では「国家」として承認されていない、独裁体制が主流のアフリカの地域が、独自に「民主主義」へと移行したというのである。これもまた、高野秀行が「思わず笑ってしまった」と表現するぐらい、まともな状況ではないようだ。

さて、そんな風に「ソマリランド」について調べていた高野秀行は、こんな当然の疑問に行き当たる

もう一つ、非現実的に感じたのは、そんな特殊な国があるなら、どうして誰も知らないのだろうと思ったからだ。アフリカの事情にはそれなりに通じていて、辺境愛好家を自称する私ですら名前を聞いたことがなかった。なぜ大々的に報道されないのだろう。

知られていない事情については先程、「ソマリア共和国が内戦状態にあり、危険だから誰も近づけない」とその理由の一端に触れた。しかし、高野秀行のような「辺境・危険地帯に足を運びまくった人物」からすれば、「自分なら絶対に行くし、誰も行ってないなんてありえない」と感じるのだろうし、だからこそ情報がほとんど存在しない状況に首を傾げることになる。その後、実際に現地入りした高野秀行は、「ソマリランド」に関する情報が少ない理由を肌で実感するわけだが、その話は少し後で触れることにしよう。

さてこれらが、「高野秀行が現地入りする前に理解していた事柄」である。ほぼなんの情報も無いと言っていいだろう。そしてそんな状態で単身「ソマリランド」へと乗り込んでいる。彼の強みは、超短期集中で現地の言葉を習得してから向かうことだ。このお陰で、現地住民と一通りの会話ができる状態にはなる。早稲田大学探検部出身という地頭の良さが為せる技だろう。

本書は、そんな「謎に包まれたソマリランド」に関する、恐らく世界初の「まとまった情報」であり、それを日本語で読めることはとても素晴らしいことだと感じる。

さて、ここから本格的に本書の内容に触れていくのだが、本書の内容についてざっとでも触れるのは非常に困難だ本書の記述のほぼすべてが面白いので紹介したいところだが、なかなかそれは難しい。「ソマリランドの歴史」「独立の正当性の主張」「二度の内戦への対処」「産業の基盤」などなど、「誰も知らないソマリランド」の話題はとにかく面白いので、是非本書を読んでほしい。

この記事では、「氏族」と「民主主義」についてだけ触れることにしよう。「氏族」とは、「ソマリランド」を理解する上で非常に重要であり、かつ、「ソマリランド」の理解を困難にしている、非常に難解な概念だ。先程「ソマリランドについて知られていない理由」を後述すると書いたが、まさにこの「氏族」がそれに当たる。

そして、そんな「氏族」という背景を持つ「ソマリランド」がいかにして「民主主義」を達成したのかという話は、すべてが面白い本書の中でも群を抜いて興味深いのである。

「ソマリランド」の理解を困難にする「氏族」とは一体何なのか?

「氏族」というのは、「ソマリランド」だけではなくソマリ人文化全体に関わるものだ。しかし「氏族」という単語は、なかなか耳にするものではない。恐らく、ほとんどの国で馴染みのない概念だと考えていいだろう。そしてだからこそ、「ソマリランド」を理解するのは難しい。

なぜなら、ソマリ人文化のありとあらゆる事柄がこの「氏族」の側面から説明されるからだ。この「氏族」が理解できなければ、「内戦を停止できた理由」や「特殊な民主主義が成り立つ背景」などを理解することはできない

まず「民族」というのは一般的に、「同じ言語・文化を共有する人々」という意味だ。そしてその上で「氏族」は、

一方、同じ言語と文化を共有する民族の中に、さらに明確なグループが存在することがある。文化人類学ではclan(氏族)と呼ばれ、「同じ祖先を共有する(あるいはそのように信じている)血縁集団」などと定義されている。

と説明される。

しかしこの「氏族」、やはり馴染みのないものであるが故に

だが、日本のメディアやジャーナリストはいまだにtribeの訳語である「部族」なる語を使いつづけ、民族と氏族の両方にあててしまう。そこに誤解や混乱が起きる。

という状況を引き起こしてしまう。つまり、日本でソマリ人に関する報道に触れる機会があっても、「民族」も「氏族」も「部族」と訳され区別されないので、理解できなくなってしまうというわけだ。

高野秀行は、この「氏族」について、「日本の戦国時代」をイメージすればいい、と説明する。

もっとわかりやすく言えば、氏族は日本の源氏や平氏、あるいは北条氏や武田氏、徳川氏みたいなものである。武田氏と上杉氏の戦いを「部族抗争」とか「民族紛争」と呼ぶ人はいないだろう。それと同じくらい「部族~」という表現はソマリにふさわしくない。

こう説明されれば、確かに理解しやすいだろう。「日本人という民族」をさらに細分化する形で「北条氏、武田氏、徳川氏」が存在し、それらの区分が「氏族」というわけである

本書執筆にあたり著者は、この「氏族」を分かりやすく説明することに最も苦労するが、最終的にはソマリ人の「氏族名」に武将の名前をつけるという解決策をひねり出した。だから本書には、「ハバル・アワル伊達氏」「アイディード義経」「エガル政宗」といった奇妙奇天烈な表記が散乱することになる。

さて、「氏族」を理解することが「ソマリランド」を知るために重要だ、ということが理解できても、実は問題は解決しない。何故ならソマリのジャーナリズムには、「原則として氏族名は明らかにしないという暗黙の了解」が存在するからだ。

そもそもだが、少なくとも本書執筆時点では、ソマリア共和国にはCNNなどの外国人ジャーナリズムは常駐できなかったそうだ。「ソマリランド」には常駐可能なのだが、平和であるが故にニュースバリューが存在しない。そしてニュースバリューのある地域には、危険すぎて外国人は近づけないというわけだ。

だからこそ世界中のメディアは、現地ジャーナリズムの情報に頼らざるを得ないのだが、ソマリのジャーナリズムには、「氏族名」を明らかにしないという原則がある、だから外国人には状況を掴むことができなくなってしまうのだ。

例えば、何らかの対立が報道された場合、ソマリ人であれば、住んでいる地域などからなんとなく「氏族」を推察でき、だからこそその背景も自ずと想像できる。しかし外国人にはそんなこと分かるはずがない。そしてそもそもだが、外国人は「氏族」の重要性をまったく理解していないので、仮に「氏族名」が分かったところで状況把握には至らないのである。

だから、国際社会から「ソマリア共和国は謎めいた国だ」と判断されてしまう。そして同じように「氏族」が重要な背景となる「ソマリランド」も理解されないままになってしまうのだ。

そしてこの点にこそ、高野秀行の凄まじさが発揮されることになる。彼は、外国人がほぼ理解できない「氏族」という仕組みを、ソマリ人と現地語で議論できる程度まで把握してしまうのだ。速習したばかりの現地語を頼りに、馴染みのない特殊な概念を短期間で理解してしまうのはさすがとしか言いようがない。「好奇心」や「冒険心」だけではなく、このような「頭脳明晰さ」を持ち合わせているからこそ、普通には不可能な「ソマリランドを理解する」という偉業を成し遂げることができたのだろう。

「氏族」を理解することが、「ソマリランド」を知る入り口であり最大の難関だ。そしてそこを独力でクリアしてしまう高野秀行のお陰で、我々は「ソマリランド」という”奇跡の国家”の凄まじさを知ることができるのである。

「ソマリランドの民主主義」の凄まじさを体感する

冒頭で少し触れたが、アフリカでは「独裁政権」の国が多く、「民主主義」はまだまだ根付いているとは言えない。「ソマリランド」を取り囲む「ソマリア共和国」も内戦状態にあり、到底「民主主義」の実現など程遠いだろう。

しかしそんな中にあって「ソマリランド」は、国際社会の支援を得ず独自に「民主主義」を成し遂げてしまう。本書の帯には、「西欧民主主義、敗れたり!!」というコピーが踊っているが、確かに、「ソマリランドの民主主義」は本当の意味での「民主主義」という感じがするのだ。

そもそも「ソマリランド」は、民主化に至る以前から凄まじさを発揮している。なんと、自力で内戦を終結させてしまったのだ。

ちなみにこの間、国連はほとんど何もしていない。UNDPが武装解除において多少アドバイスをしたくらいだ。国連はソマリランドの分離独立を認めようとせず、ソマリア和平交渉のテーブルにつくよう説得しただけだった。
ソマリランドは国際社会の協力はほぼ零で独自の内戦集結と和平を実現した。まさに奇跡である。ノーベル平和賞ものだ。

ソマリア共和国という「戦国時代状態」の内部にあるにも関わらず、「ソマリランド」だけは内戦を終わらせた。しかもそれを、大国や国連の力を借りず、自分たちで成し遂げたというのだ。恐らく歴史上、そんな”奇跡”が起こったことはないんじゃないだろうか

内戦終結を機に、「ソマリランド」は民主化への道を歩み始める。しかし実は、高野秀行が「ソマリランド」に初めて足を踏み入れたタイミングは、深刻な”国家分裂の危機”に瀕していたそうだ。政権与党が選挙を先延ばしにしており、何が起こってもおかしくないという状態にあったという。高野秀行も、

そのときには「昔ソマリランドという幻の国があった」という書き出しで本を書くしかないと思っていたくらいである。

と覚悟していたほどだ。

しかし「ソマリランド」は、そんな分裂の危機をも乗り越えた

ところが、ソマリランドはまた奇跡を起こした。普通にはありえない第三の道をとったのだ。
選挙を実施し、野党が勝利。そして与党がそれを受け容れた。民主的な政権交代が実現したのだ。
全く驚いた。私が調べたところでは、アフリカ大陸で、民主的な手続きを経て、政権交代が起きた例は7~8件しかない。アフリカには現在50くらいの国があり、平均してざっと50年くらいの歴史を持っている。その中でたった7~8例だ。
言うまでもなく、今回の選挙でも、国連は関与していない。ソマリランドが独自にやっているのである。ただオブザーバーとして参加した国際NGOがあり、「おおむね公平な選挙だった」と証言している。これを「奇跡」と呼ばずに何と呼ぼう。二度目のノーベル平和賞を受賞してもいいくらいだと思うが、またしても国際社会はこのラピュタの奇跡に気づくこともなかった。

著者は「同種の例は7~8件しかない」と書いているが、それらはすべて「国際社会から認められた国家」によるものだ。「ソマリランド」は承認された国家ではなく、国際的には「ソマリア共和国の一地域」でしかない。そんな「ソマリランド」が、ほとんど実例が存在しない「民主主義の奇跡」を成し遂げたのだ

紛争を解決するために大国が介入し、結果的に泥沼化していく現実は、ニュースバリューがあるから報じられる。しかし「平和裏に民主主義が実行されていること」は、普通の感覚で捉えればニュースバリューが存在しないので報道に乗らずに終わってしまうのだ。もちろん、「氏族」が理解できないが故に報道できない、という問題も存在するだろうが、本来的にはこのような「平和の実現」こそが世界中に知られるべきだろうと感じた

高野秀行は「ソマリランドの民主主義」を、「下からの民主主義」と表現する

もう一つ、痛切に感じるのは、国連や欧米がソマリアに強制するのが「上からの民主主義」であることだ。(中略)
ソマリの民主主義はちがう。「下からの民主主義」なのだ。それは国家とは無関係に機能する。定住民の感覚で言えば、まず村と村、次に町と町、それから県と県……というふうに規模の小さいグループから大きいグループという順番で、和平と協力関係が構築され、それぞれの権利が確保され、最後に「国」が現れる。いや、本来は国もないのだが、現代社会でそれは無理だということで、ソマリランド人はハイブリッド国家を作っただけである。ある意味では、ソマリの伝統社会は国家を超えたグローバリズムによく適している。

「民主主義」という概念がどのように生まれ発展してきたのかという歴史を一旦無視すれば、「私たちが知る民主主義」は基本的に、「民主主義を担う国家がまず存在し、その範囲内で自由や権利が保証されている」という風に見えるだろう。「日本という民主主義国家」が先にあり、その枠組みの中で日本人としての権利や義務が存在する、というわけだ。

しかし当たり前だが、本来的な意味での「民主主義」はそうではない。人の存在が先にあり、その権利を保証するために国家が存在する、という順番のはずだ。

そしてまさに「ソマリランドの民主主義」は、そのような本来的な意味での民主主義が実現されているという。小さな単位での合意が先に存在し、それらが組み合わさることで最終的に「国家という枠組み」が立ち現れるのだ。

この点を理解した高野秀行は、

制度的にはソマリランドの政治体制は日本よりはるかに洗練され、現実的である。

と書いている。確かに、「西欧民主主義、敗れたり!!」と言いたくもなるだろう。

これほどまでに高度に洗練された民主主義が「ソマリランド」で誕生した背景には、既に何度も話に出している「氏族」がもちろん深く関係している。しかし決してそれだけではない。高野秀行はそこに、「国際社会に認めてもらいたい」という動機を見出すのだ。

「ソマリランド人がこれまで何が起きても最終的には我慢して平和を守ってきたのは、結局は国際社会に認められたいからじゃないですか?」
アブドゥラヒ先生は数秒考えてから、「そうだ」とゆっくり、深くうなずいた。
やっぱりそうか。

ソマリランドもそうで、とにかく独立を認めてもらいたいという一心で、危機を乗り越えてきた。もし早々と独立が認められたら、ここまで進化していたかどうか疑問だ。

「認めてもらえなかった”お陰”で民主主義が洗練された」と受け取れば「美談」かもしれないが、やはり「ソマリランド」に住む者からすれば、国際社会のお墨付きを得たいところだろう。本書を読めば、「国家運営」という点での凄まじさは圧倒的だし、「氏族」という特殊な背景があるからこそ実現できるシステムだとはいえ、むしろ国際社会の方が「ソマリランド」に学ぶべきだろうとも感じさせられた

高野秀行も、次のような提案をしている。

そして、ディアスポラとして、一つぜひ提言したいことがある。
ソマリランドを認めてほしい。独立国家として認めるのが難しければ、「安全な場所」として認めてほしい。実際、ソマリランドの安全度は、国土の一部でテロや戦闘が日々続き、毎年死者が数百あるいは数千人以上も出ていると推定されるタイやミャンマーよりはずっと高い。
ソマリランドが安全だとわかれば、技術や資金の援助が来るし、投資やビジネス、資源開発なども始まる。国連や他の援助機関のスタッフが滞在しても安全でカネもかからない。なにしろソマリランドは旧ソマリア圏においてトラブルが産業として成り立っていない珍しい地域なのだ。

「複雑で難しそうだから知らなくていいや」ではなく、「人類の歴史上で捉えても相当な偉業を成し遂げた”国”」として関心を抱くべきだし、正しく理解すればビジネスチャンスもある、と高野秀行は考えている。まさにその通りだろう。

そしてその理解の第一歩となるのが本書だ。非常に重要な1冊と言っていいのではないかと思う。

著:高野秀行
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最後に

この記事では、「ソマリランドの凄さ」を伝えるため内容をかなり絞ったが、本書には難しい話とは無縁の面白い話も満載だ。高野秀行が海賊を雇うかどうか真剣に悩んだり、モガディショのテレビ局局長ハムディの凄まじさなど、単純に「面白い!」と感じられる描写も多数存在する。その上で、「『経済学の実験室』と呼ばれているソマリア共和国で起こる不可思議な現象」や「海賊が支配する南部ソマリアの危険性」など、社会問題を提起する内容も様々に組み込まれていく。

とにかく、異常に面白い作品だ。是非とも読んでほしい一冊である。

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