【あらすじ】映画『憐れみの3章』(ヨルゴス・ランティモス)は意味不明なのに何故か超絶面白かった(主演:エマ・ストーン)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

監督:Yorgos Lanthimos, プロデュース:Ed Guiney, プロデュース:Andrew Lowe, プロデュース:Yorgos Lanthimos, プロデュース:Kasia Malipan, Writer:Yorgos Lanthimos, Writer:Efthimis Filippou, 出演:Emma Stone, 出演:Jesse Plemons, 出演:Willem Dafoe, 出演:Margaret Qualley, 出演:Hong Chau, 出演:Mamoudou Athie, 出演:Emma Stone, 出演:Emma Stone, 出演:Jesse Plemons, 出演:Jesse Plemons, 出演:Willem Dafoe, 出演:Willem Dafoe, 出演:Margaret Qualley, 出演:Margaret Qualley, 出演:Margaret Qualley, 出演:Hong Chau, 出演:Hong Chau, 出演:Joe Alwyn, 出演:Joe Alwyn, 出演:Joe Alwyn, 出演:Mamoudou Athie, 出演:Mamoudou Athie, 出演:Hunter Schafer, 出演:Yorgos Stefanakos, 出演:Fadeke Adeola, 出演:Tessa Bourgeois, 出演:Kencil Mejia, 出演:Thaddeus Burbank, 出演:Suzanna Stone, 出演:Jerskin Fendrix, 出演:Nikki Chamberlin, 出演:Christian M. Letellier, 出演:Lawrence Johnson, 出演:Lindsey G. Smith, 出演:Kevin Guillot
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「同じ役者を使った3つの異なる物語」はどれも、「ルールの分からないスポーツを観させられている」みたいな意味不明さを感じさせる
  • どの話も「飛び抜けた奇妙さ」を有しているにも拘らず、全体のトーンが似た感じだったことに驚かされた
  • 原題の『KINDS OF KINDNESS』の直訳は「親切の種類」であり意味不明だが、邦題の『憐れみの3章』も無情報すぎて凄い

ヨルゴス・ランティモス監督のファンというわけではなく、前作『哀れなるものたち』は苦手だったが、本作『憐れみの3章』はとにかく面白くてビックリした

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

まったく意味は分からないのにメチャクチャ面白かった映画『憐れみの3章』。私は映画『哀れなるものたち』は苦手だったが、本作には圧倒させられたし、とにかく凄く良かった

凄まじく意味不明だったのだが、もの凄く面白い作品だった。実に不思議である。結局のところ、「何が面白かったのか」は今もよく分からない。ただ、すこぶる変な表現ではあるのだが、「映画を観てるなぁ」という感覚を強く抱かされる作品だった。映画を観ているのだから当然と言えば当然なのだが、そういうことではなく、「これぞ映画って感じがする」みたいな感覚とでも言えばいいだろうか。いや、やはり上手くは説明できないな。いずれにせよ、印象的な作品だったことは確かである。

さて、一応先に書いておくと、私は同監督の前作『哀れなるものたち』は好きになれなかった。面白いとはまったく感じられなかったのだ。そんなわけで私は、どうやら人気があるらしいヨルゴス・ランティモス監督のファンというわけではない。そういうこととは関係なく、純粋に本作単体での評価である。なので、私と同じように『哀れなるものたち』がダメだったという人も、本作『憐れみの3章』はチャレンジしてみてもいいかもしれない

実に奇妙な構成の、実に奇妙な物語なのだが、とにかく面白かった

それではまず、本作の最も特徴的な点から触れていくことにしよう。

本作はタイトルで示唆されている通り、「3つの異なる物語」で構成されている人物設定も世界観もすべて違うというわけだ。しかし、主要な登場人物を演じる役者は同じである。変な喩えだが、「桃太郎・浦島太郎・金太郎を演じるのはすべて菅田将暉」みたいな感じである。本作の3つの物語に関連があるのかは正直私にはよく分からなかったのだが、いずれにせよ、本作全体においては「1人が3役をこなしている」というわけだ。本作はとにかく、まずはこの点が実に特異的だと言えるだろう。少なくとも私は、同じような構成の映像作品に触れたことはないと思う。

さて、3つの物語には共通している点が1つある。それは「どの物語も奇妙である」ということだ。まあ、共通点と言えるようなものではないかもしれないが、もう少しこの辺りの話を深めたいと思う。

「奇妙」にも色んなタイプがあるだろうが、本作で描かれる物語の奇妙さは、「ルールの分からないスポーツを観させられている」みたいな感じに近いかもしれない。どの物語も、「その世界を貫く基本原則が掴めない」みたいな印象が強いのだ。

例えば「カバディ」というスポーツでは「攻撃中は『カバディ』と言い続けなければならない」というルールがある。今の私はそれを知っているので、仮にカバディの試合を観に行っても驚かないはずだが、ルールも何も知らない人が観たら「えっ? 何してるの?」となるだろう。そして本作に対する印象も、そんな感じなのである。「えっ? 何してるの?」みたいに感じる場面がとても多く、さらに、「作中世界に存在するどんなルールからそれらが生み出されているのか」が分からなかったのである。

そんな訳の分からなさを孕んでいて、しかもなんと164分もあるかなり長い映画なのだが、これが実に面白かった最後までまったく飽きずに観ることができたのだ。とても不思議である。普通に考えれば、「ルールの分からないスポーツ」を観させられることはかなり苦痛なはずなのだが、本作では全然そんな感覚にならなかった。繰り返しになるが、私は別にヨルゴス・ランティモス監督のファンというわけでもないし、主演のエマ・ストーンが好きなわけでもないし、そもそも映画を観る際は常に「ストーリー」を追うタイプだ。だから、ストーリーが好きになれないとなかなか「観て良かった!」とはならないのだが、本作は、その肝心のストーリーが意味不明なのにとても面白かったのである。本当に、こんな訳の分からない物語を「面白い」と感じさせる監督は凄いなと感じた。

というわけで、その「奇妙さ」を何となくでも理解してもらうために、まずは内容の紹介から始めようと思う。

映画『憐れみの3章』の内容紹介

R.M.F.の死

車に乗ったロバートは、深夜の路上でしばし待機していた。しなければならないことがあるからだ。目の前を走り抜ける予定の車に、全力でぶつかりにいかなければならないのである。彼はターゲットとなる車を確認すると、アクセルを踏み込んだ。車は確かに相手の車体にぶつかった。しかしそれは、”依頼人”の望むような成果にはならなかったのである。怖気付いてしまい、アクセルを踏み切れなかったことが敗因だ

翌日、ロバートはレイモンドに呼び出された。すぐに前日の不手際を謝罪したのだが、レイモンドは改めて「同じことをやり遂げろ」と命ずる。ロバートは逡巡しながらも、「他のことなら何でもやるが、これだけは出来ない」と言って断った。10年間の付き合いの中で、初めての”反抗”である。しかしその返答を聞いたレイモンドは、「バーで2時間考え直してから、改めて結論を伝えに来なさい」と言って去ってしまう。

ロバートはこれまで、レイモンドが指示した通りに生きてきた。それは尋常ではないレベルであり、まさに「人生丸ごとレイモンドに預けていた」といった感じである。住んでいる家も、後に妻となるサラと交際をスタートさせたことも、セックスはするが子どもは作らなかったことさえも、すべてレイモンドの指示によるものなのだ。ロバートは、レイモンドの言いなりになることであらゆるものを手にすることが出来、何不自由ない生活を送れていたのである。

そんな”恩人”であるレイモンドからの頼みではあるが、やはりこればかりは出来ない。ロバートは2時間考え、改めてレイモンドの依頼を断ろうと決めた、のだが……。

R.M.F.は飛ぶ

警察官のダニエルは、落ち着かないまま仕事を続けていた。というのも、海洋研究者である妻リズが、他の研究者と共に船に乗ったまま行方不明になってしまったからだ。同僚のニールとその妻も、ダニエルを心配してくれていた。リズを含めた4人は、乱交を楽しむ仲である。

そんなある日、妻が無事に発見されたとの知らせが届く。彼女は実に幸運だった。というのも、船に乗った5人の内3人は死亡、1人は片脚の切断を余儀なくされたからだ。そんな中リズは、酷く衰弱していたものの、外傷もなく救助されたのである。まさに奇跡的な生還だった。

しかし、妻の帰りを待ちわびていたダニエルは、彼女に対する違和感を日々募らせていくことになる。失踪前は履けていたはずの靴が足に合わなかったり、試す気持ちで「僕の一番好きな曲を掛けて」と車内で頼んだ時も、リズなら間違えるはずのない曲をセレクトしたのだ。

リズに対する疑念が膨らみ続けたダニエルは考える妻の姿形をしたこの女は、一体誰なのだろう、と。

R.M.F.はサンドイッチを食べる

アンドリューとエミリーの2人はある女性を探しているのだが、肝心の情報がほとんどない。分かっているのは、「双子で、一方は既に亡くなっている」ぐらいである。そんな状態で人探しなど出来るはずもないが、しかしエミリーには「見れば分かる」という確信があった。彼女には思い当たる節がある。プールの底の排水口に髪が挟まった自分を助けてくれたシンクロナイズドスイミングの双子こそ探している女性に違いない、と。とはいえそれは、夢で見た光景にすぎないのだが。

2人はいつも水を持ち歩いており、他の水は口にしない。彼らが持っているのは、”教祖”的な存在である夫妻の涙が混ざった水であり、彼らはその夫妻を中心とした数十人のメンバーと共同生活しているエミリーには実は夫と娘がいるのだが、その夫妻のコミュニティで生活するために、自らの意思で失踪したのだった。

しかしエミリーは、夫と娘が住む自宅にこっそり戻っては、娘へのプレゼントをベッドに置くなどしている。コミュニティは「穢れ」を大層嫌っており、「『涙入りの水』を飲まない人」とは距離を置かなければならないのが鉄則だ。当然、エミリーの行動は許されるものではない。しかし、彼女が何をしているのか何となく察しているアンドリューは、彼女の振る舞いを黙認している

そんなある日のこと。ダイナーで食事していた彼らは1人の女性から声を掛けられた。そして彼女はなんと、「あなたたちが探しているのは、私の双子の姉よ」と口にしたのである……。

映画『憐れみの3章』の感想

映画全体に対する感想

自分で書いていても意味の分からない内容紹介なのだから、恐らく読んでも全然理解できなかったんじゃないかと思う「観たら分かる」なんてことも、たぶんないだろう。それぞれの物語は「分かりやすい結末」に辿り着いたりしないし、ホントによく分からないまま終わる。しかしそれにも拘らず、どの物語にも惹きつける何かがあるし、最後まで観させられてしまうのだ。凄いものだなと思う。

さらに感心させられたのが、3つの物語がどれも「同じようなトーン」でまとまっていたことである。つまり、「電車、パンダ、梅干し」ではなく「リンゴ、みかん、パイナップル」ぐらいのまとまりが感じられたというわけだ。「訳の分からない物語」を作ろうと思えばいくらでも作れるかもしれないが、無秩序に作ると「電車、パンダ、梅干し」ぐらい統一感が無くなってもおかしくないだろう。しかし本作では、それぞれ全然違う物語にも拘らず、全体のトーンだけはかなり共通していて、「よくもまあこんな似たテイストの『奇妙な物語』を3つも揃えたものだ」と感じさせられたのだ。本当に凄いものである。

さて、その「トーン」は色んな要素によって生み出されていると思うのだが、物語の大枠に絡んだ話で言えば、「『人知を超えた何か』に対する畏怖の気持ち」みたいな部分が共通しているように感じられた。まあこの印象に関しては、「一神教の国で作られた映画である」という先入観があることは認めざるを得ないが。

『R.M.F.の死』では「すべての選択肢を与える男」『R.M.F.は飛ぶ』では「リズに姿形を似せた謎の存在」、そして『R.M.F.はサンドイッチを食べる』では「『水』を介して支配する教祖」が「人知を超えた何か」に相当すると言えるだろう。そしてそれらに対しての様々な感情、つまり「恐怖」「諦念」「信頼」「無力感」「畏敬」……みたいな心の動きがどの物語にも通底しているような気がしたのである。それが「同じようなトーン」でまとまっている1つの理由ではないかと思う。

3つの物語はどれも狂気じみた雰囲気のまま終わるのだが、中でも、2番目の『R.M.F.は飛ぶ』のラストが凄かった後半に入ってから「まさかな」と思いながら物語を追っていたのだが、そのまさかが実際に起こったのだ。普通なら「予想した通り」みたいな受け取り方になるのかもしれないが、本作の場合は、その「まさか」があまりにもあり得なかったので、「さすがにそんな風にはならないだろう」と思っていたのである。だからこそ驚きが強かった。「凄いことするな」とも感じさせられたというわけだ。

このラストの展開は、普通の物語ならまず成立しないだろうと思う。「ンな無茶な」と思われておしまいである。しかし本作の場合は、ラストに至るまでの展開で様々な”不穏さ”を撒き散らされているので、むしろ「これ以外のラストはあり得ない」みたいな感覚にさえさせられるのだ(「まさかな」と思っていたことと矛盾するかもしれないが、どちらも本心である)。この展開、脚本を読んだ役者たちがどう感じたのかは気になるところである。このラストシーンは、映像や音響のインパクトもすべて含めた上で成り立っている感じがするので、文字だけで提示された場合には「さすがにそれは無理があるでしょ」みたいになりそうな気がするのだ。まあ恐らく、「監督を信頼している」みたいな感覚が役者側にあったからこそ成立しているのだとは思うが、それにしても凄い展開だったなと思う。

その他感想

さて、「監督を信頼している」と言えば、邦題も凄いなと感じた「憐れみの3章」というタイトルは、「物語が3つある」という情報以外ほぼ何も伝えていないからである。しかも原題は『KINDS OF KINDNESS』だそうで、邦題の「3章」に該当するようなフレーズは存在しないのだ。普通ならこんな邦題にGOサインが出るとは思えないのだが、それでもOKが出たのはきっと、「この監督・役者なら、タイトルの良し悪しなどもはや関係ない」みたいな共通理解があるからこそだと思う。そうじゃなければ、こんな「無情報」の邦題などなかなか付けられないだろう。

ちなみに翻訳サイトによると、「KINDS OF KINDNESS」は「親切の種類」という意味になるそうだ。とはいえ、そんな原題の意味を知ったところで内容に対する理解が深まるわけでもない。本作では別に「親切」に該当するような要素が描かれているようには思えないし、むしろ「親切」からは距離のあるものばかりが登場するようにも思う。何なら、邦題の「憐れみ」の方が作品のテイストに合っているとさえ言えるだろう。いや、もっと言うなら、前作の『哀れなるものたち』こそ、本作のタイトルとして最も相応しいのではないかという気にさえなってくる。

さて、映画『哀れなるものたち』も本作同様エマ・ストーンが主演だったのだが、『哀れなるものたち』では「人造人間」みたいなキャラクターだったこともあり、彼女の表情にはあまり意識が向かなかったように思う。そして本作で私は、エマ・ストーンを見て「良い顔するなぁ」と感じた。もちろん「綺麗な顔」であることは確かなのだが、そういうことではなく、「良い顔するなぁ」という感じだったのだ。なんとなく伝わるだろうか?

というわけで、最後にどうでも良い話を1つ。本作では、メインの登場人物としてホン・チャウというアジア人女優が登場する。どこかで見たことがある気がするなぁと思ったら、以前観た映画『ザ・ホエール』に出ていた人だった。で、これは決して人種差別などではないと自分では考えているのだが、本作の物語には「アジア人」はいらなかったんじゃないかと思う。私も同じアジア人なのでこういうことを書いてもギリギリセーフかなと思っているのだが、なんだかそんな感じがしてしまったのだ。もしかしたらそれは、「本作が3つの異なる物語で構成されている」という特殊さから来ているのかもしれない。3つの内1つだけなら違和感を覚えることはなかった気もするが、3つすべてにアジア人が出てきたので、「それはちょっと違う気がするなぁ」となったようにも思う。いずれにせよ、アジア人の登場は、本作においては少し「ノイズ」みたいに思えてしまった

ただ、これは以前何かで見知った記憶がある話なのだが、ダイバーシティが重視されるようになった世の中においては、「役者の人種の多様性も踏まえないと賞レースにそもそもノミネートされない」みたいなことが起こっているそうだ。本作にそういう意識があったのかどうか分からないものの、そういう理由で”非白人”を意識的に登場させる映画も増えてきているんじゃないかと思う。そのような流れは正直あまり好きになれないのだが、制作側もきっと「そうせざるを得ない」みたいに感じているような気がする。これもまた難しい問題だなと思う。

監督:Yorgos Lanthimos, プロデュース:Ed Guiney, プロデュース:Andrew Lowe, プロデュース:Yorgos Lanthimos, プロデュース:Kasia Malipan, Writer:Yorgos Lanthimos, Writer:Efthimis Filippou, 出演:Emma Stone, 出演:Jesse Plemons, 出演:Willem Dafoe, 出演:Margaret Qualley, 出演:Hong Chau, 出演:Mamoudou Athie, 出演:Emma Stone, 出演:Emma Stone, 出演:Jesse Plemons, 出演:Jesse Plemons, 出演:Willem Dafoe, 出演:Willem Dafoe, 出演:Margaret Qualley, 出演:Margaret Qualley, 出演:Margaret Qualley, 出演:Hong Chau, 出演:Hong Chau, 出演:Joe Alwyn, 出演:Joe Alwyn, 出演:Joe Alwyn, 出演:Mamoudou Athie, 出演:Mamoudou Athie, 出演:Hunter Schafer, 出演:Yorgos Stefanakos, 出演:Fadeke Adeola, 出演:Tessa Bourgeois, 出演:Kencil Mejia, 出演:Thaddeus Burbank, 出演:Suzanna Stone, 出演:Jerskin Fendrix, 出演:Nikki Chamberlin, 出演:Christian M. Letellier, 出演:Lawrence Johnson, 出演:Lindsey G. Smith, 出演:Kevin Guillot
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最後に

そんなわけで、本当に最後の最後までまったく意味が分からなかったのだが、最後までずっと面白かった。正直、もう1回観てもいいとさえ思っているし、「良い映画を観たなぁ」という感覚が強く残っていることも印象的だ。実に不思議である。「面白さ」を言語化出来ないのは少し癪ではあるが、オススメなので機会があれば観てみてほしい

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