【興奮】ついにシリーズ完結!『数学ガール リーマン予想』(結城浩)が描く素数の深淵と魅力

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

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この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「学び」には最適なシリーズであり、「理解できなくても価値がある」と言えるぐらいの数学書である
  • 現代数学における最重要問題の1つであり、解決が望まれる未解決問題「リーマン予想」とは一体何なのか?
  • 「リーマンは『リーマン予想』を残さなかったかもしれない」という驚きのエピソードについて

「もう新作が読めない」という事実はとても残念だが、これほど素晴らしい数学書を出し続けてくれた著者には感謝しかない

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「数学ガール」シリーズがついに完結してしまった!『数学ガール リーマン予想』(結城浩)はまたしても、「超難問」の魅力へと読者を誘う

「数学ガール」シリーズの設定と構成、そして「理解できなくても価値がある」と思わせてくれるポイント

「数学ガール」シリーズの最終巻が出るとのことで、読書からはかなり遠ざかっていたが久々に本を読んでみた。やはりこのシリーズだけは見逃せないよなぁ。しかしホント、この「数学ガール」シリーズは「鬼ハードモード数学書」と言ってよくて、「分かりやすいし面白いけど、超難しい内容」が扱われている。そしてそんな数学書がベストセラーになっているという事実は、とても素晴らしいなと思う。

まず本作は、「小説仕立て」になっていることがかなり特徴的だと言っていいだろう。主人公の「僕」が、「ミルカさん」「テトラちゃん」「ユーリ」「リサ」といった女の子たちと関わるという、設定だけ聞くとラノベみたいな物語なのだが、そんな彼らの中心にあるのが「数学」なのである。しかも、登場人物それぞれの個性に合わせるような形で数学の説明がなされていくのだ(と言われてもまったくイメージ出来ないだろうが、読めば理解してもらえると思う)。この辺りの構成は実に見事である。

さらに「内容のレベル」も絶妙だと思う。先述した通り、本シリーズで扱われる数学はかなり難しい。私は、割と良い大学の理工学部に入学し(ただし中退)、さらに趣味で数学の本をそれなりに読んできたので、「世間一般の人と比べれば数学にはかなり親しんでいるいる」と言っていいと思う。しかしそれでも「全然歯が立たない」と感じる記述が結構あるぐらいなのだ。

いやもちろん、書かれている内容を精読し、時には自分でも手を動かして計算するなどして時間を掛ければもう少し理解できるとは思う。ただ、よくある「一般向けの数学書」のように、「数式が出てきても、目で追えば大体理解できる」みたいなレベルではまったくない。式展開が難しいものも結構出てくるし、概念的な話もかなり高度である。本シリーズの記述をスイスイ読めるのは、「大学でもかなりちゃんと数学を学びました」とか「数学オリンピックに挑戦したことがあります」みたいな人ぐらいじゃないだろうか。

しかし、そんな高度な内容が扱われているにも拘らず、本シリーズは「構成」がとにかくメチャクチャ上手いので、「どうにか振り落とされない」程度にはついていけるのだ(というか、「そんな気になれる」ぐらいの話ではあるのだけど)。この点には本当に驚かされてしまう

また「数学ガール」シリーズでは、副題によって「最終到達目標」が示されている本作で言えば「リーマン予想」であり、冒頭からずっと「最終的に『リーマン予想』を理解するための知識・概念」が順序立てて積み上げられていくというわけだ。しかも、その個々の話は「単なる準備運動」みたいな感じではなく、それぞれがとても面白い。「最終到達目標を理解するためにつまらない数学を頑張って追う」みたいなことでは全然なくて、「扱われるどの要素も面白く、そしてそれらを複合する形で最終到達目標への理解に繋げる」という構成になっているのだ。「最終到達目標」は「数学における超難問の未解決問題」であることが多く、普通の人間が理解するのはほぼ不可能だと思うのだが、それを「なんとなく輪郭ぐらいは掴めたかも」みたいに思わせてくれる作品であり、本当に素晴らしいなと思う。

さらに、「キャラクターの設定ごとのイメージ」も本書の通読に大きな役割を果たしていると言えるだろう。読んでいればすぐに分かってくると思うが、本シリーズでは「どの女性と数学談義をするか」で難易度が変わる。例えば「ミルカさん」は本作では「天才数学少女」として描かれるので(「ミルカさん」の知識は「僕」を圧倒する)、彼女が解説する数学はとても難しい。けど、「ミルカさんの数学は難しいよな」という前提で読めるので、「理解できなくても仕方ない」と思えるのである。一方、主人公の一学年下の「テトラちゃん」や主人公の従姉妹の「ユーリ」は、「僕」ほどは数学の知識レベルが高くないので、彼女たちが絡んでくるパートは「そんなに難しくないし、ここは頑張れば理解できるはずだ」と思いながら読めるのだ。なかなかこういう数学書は存在しないだろう。

しかも本シリーズは、「『読んだ時点では理解できない』としても価値がある作品」だと私には感じられる。何故なら、「適切な順序で『手が届きそうな目標』を提示してくれる」からだ。

数学に限る話ではないが、何か新しいことを学ぼうとした時に現れる障壁の1つに、「初学者であるが故に、それが『今学ぶべき知識』なのか判断できない」みたいな問題があると思う。例えば、「包丁すら持ったことがない」みたいな料理の初心者が、いきなり「飾り切り」に挑戦するのはやはり無謀だろう。ただもちろん、初学者だからこそ「学んでいくのに最適なステップアップの仕方」が分からないわけで、「いきなり難しいことに挑戦してしまって挫折する」みたいなことも往々にしてあるように思う。

というわけで、「何かを学ぶ際」にはやはり、「『今の自分には少しだけハードルが高い課題』が常に目の前に存在し続けるような状態」であることがベストだろう。そして「数学ガール」シリーズは、まさにそのような作品だと言えると思う。どの巻も「易しい知識から始まって徐々に難しくなっていく」という構成になっているので、読みながら「ここがついていける限界だ」と感じた箇所が「今の自分には少しだけハードルが高い課題」だと考えていいだろう。そしてそこを起点にまた少しずつ歩みを進めていけばいいのである。

もちろん、参考書や技術書のようなものであれば「少しずつステップアップできる」みたいな構成になっていると思うが、本書のような「一般向けのエンタメ数学書」でこのような構成なのはちょっと凄いなと思う。

なので、「難しいならどうせ理解できないだろうし、読まないでおこう」と考えるのはもったいない。少なくとも、「数学を学びたい/知りたい」と思っている人には是非チャレンジしてほしい1冊である。こんなにも「知的好奇心」を喚起してくれる作品はなかなかないだろう。

「リーマン予想」とは一体何なのか?

それではここから、本書の最終到達目標である「リーマン予想」について少し触れていこうと思う。ただ何度も書いている通り、本シリーズは後半にいくにつれて難易度がどんどん上がるし、最終到達目標は超絶難しい。なので私は正直なところ、他者に説明できるほど理解できているとは言えない。しかしそれでも、書ける範囲で書いてみたいと思う。

「リーマン予想」とは、その名の通り数学者リーマンが予想したもので、今も未解決のままだ(数学では一般的に、証明されると「定理」と呼ばれるようになる)。そしてリーマン予想は、数学の世界においてはかなり重要な問題とされている。ヒルベルトという数学者が1900年に「20世紀に数学が取り組むべき23の問題」の1つとして取り上げたり、あるいは、クレイ数学研究所が2000年に「21世紀に解決すべき7つの問題(ミレニアム問題)」の1つにも選んだりしているくらいだ。「ミレニアム問題」には懸賞金がかけられており、7つの内どれか1つでも証明に成功すれば100万ドルがもらえる(現時点で証明されているのは「ポアンカレ予想」のみ)。こんな風に取り上げられるほど、「数学界が証明を待ち望んでいる難問」というわけだ。

そんなリーマン予想が生まれるきっかけとなったのが、天才数学者ガウスの研究だった。ガウスはなんと15歳の時に、「自然数の中で素数はどのぐらい分布しているのか?」に関する予想を数式で示したのだ。中学生がやるような研究じゃないだろう。ガウスが導き出した数式は、「十分大きな自然数Xが与えられた時、そのX付近にはいくつぐらいの素数がありそうか」を示している。ガウスはあくまでも予想しただけでこの数式を証明したわけではないが、後に別の数学者が厳密な証明を行った。現在では「素数定理」と呼ばれている

しかし、リーマンがリーマン予想(と後に呼ばれる考え)を発表した際にはまだ、素数定理は証明されていなかった。そしてリーマンは素数定理を証明しようと研究を行っており、その過程でリーマン予想が生まれたのだそうだ。

リーマンが素数定理を研究する際に使用した手法には、こちらも天才数学者として知られるオイラーが関係しているオイラーは「ゼータ関数」と呼ばれるものを研究しかなりの成果を挙げたのだが、オイラーは「実数の範囲内」でのみゼータ関数を調べていた。それをリーマンが「複素数の範囲」に拡張したのである。もちろん、「こうしたら素数定理の証明に役立つのではないか?」という見通しがあったからだ。

さて、リーマンが行った「複素関数としてのゼータ関数」において、特に重要なのが「零点」と呼ばれるものである。これは「ゼータ関数の解が0になるような複素数」を指す。数学においては慣習として、複素数を「s」、そしてゼータ関数を「ζ」で表すことになっているので、「ゼータ関数の解が0になるような複素数」を数式で書くと、「ζ(s)=0となるような複素数s」となり、このsが「零点」と呼ばれている。

それで、「sが『負の偶数』の場合、ζ(s)は必ず0になる」というのは容易に示せるのだそうだ。そしてこの時、「負の偶数」のことを「自明な零点」と呼ぶ。その名の通り、この零点は「自明」なので、「複素関数としてのゼータ関数」の研究においてはさほど重要な存在ではない

重要なのはそれ以外の零点であり、それは「非自明な零点」と呼ばれている。そして「非自明な零点が複素平面上にどのように分布しているか?」についての予想がリーマン予想なのだ。リーマンはこの点に関して、「非自明な零点はすべて、実部が1/2の直線上にある」と予想した。「実部」とは、複素数sを「a+bi」と表記した場合の「a」のことで、数学では「Re」と表記するらしい(ちなみに、虚部と呼ばれる「b」の部分は「Im」と表記するようだ)。つまり、リーマン予想を正確に表記すると以下のようになる

ζ(s)の非自明な零点は、すべてが直線Re(s)=1/2上にある

そしてどうやら、非自明な零点が素数の分布(つまり素数定理)に関係しているようなのだ。つまり、リーマン予想が証明されれば、素数の分布に関してより正確なことが理解できるようになり、素数の正体に一歩近づけるのである。数学において「素数」というのはとにかく重要な要素で、かつ実に捉えどころのない存在でもある。リーマン予想は、そんな素数の謎に迫るための重要な問題というわけだ。

そして「そんなリーマン予想を少しずつ理解していこう」というのが本書の目標であり、何度も書いているが、本当に難しい

「リーマンはもしかしたら『リーマン予想』を発表していなかったかもしれない」という驚きのエピソード

私はリーマン予想に関する本をそれなりには読んだことがあり、本書を読む前の時点で多少なりとも知識は持っていた。のだが、本書を読んで初めて知ったエピソードがあるので紹介したいと思う。

「リーマンと言えばリーマン予想」ぐらいリーマン予想は有名なので、私は「リーマンは『数論』の研究者だったのだろう」と思っていた(「数論」とは、「数そのものを研究する分野」である)。しかし実際には「複素関数論」や「リーマン幾何学」が専門だったようで、数論に関する論文はリーマン予想についての1本だけなのだそうだ。しかもリーマン自身はこの研究を、「発表するほど成果が出た」とは考えていなかったという。だからもしかしたら、そのまま論文は書かれず、後にリーマン予想と呼ばれることになるアイデアは残らなかったかもしれないのだ。

では何故リーマンは論文を書いたのか。この謎に関わってくるのがクロネッカーという数学者である(「クロネッカーのデルタ」で有名な人物)。彼はリーマンが進めていた研究に興味を示したそうで、それ故にリーマンは、「クロネッカーが興味を示しているなら発表しようか」と考え、新学期直前の短い期間に急いで論文にまとめたのだという。

そんなわけで「リーマン論文」(本書では、リーマン予想が書かれた論文をそう呼んでいる)では、その主張すべてに厳密な証明が与えられているわけではないようだ。ただ、『ベルリン学士院月報』に論文は掲載されているので、「掲載するのに必要な最低限の証明はなされていた」か、「当時は今と違って論文の掲載条件が厳しくなかった」かのどちらかなんじゃないかと思う。いずれにせよ、本書『数学ガール リーマン予想』を読む限りは「余白のある論文」という扱いのようで、だからこそ本書では「リーマン論文の行間を埋めよう」と言って、リーマンが論文に載せなかった計算を行ったりもするのだ。

さて、このように「リーマン論文は発表されなかった可能性がある」わけだが、しかし、仮にそうだったとしても、後に別の数学者が同じような結論に辿り着いたかもしれない。数学の世界に限らないが、学術の世界では「同じようなタイミングで同じ発想に行き着いた」みたいなことは多く有名なのは「微分積分」で、ニュートンとライプニックが「どちらが先に生み出したか」で争った)、リーマン予想に関しても同じことが起こったとしてもおかしくはないと思う。

しかし、「もしかしたらそうではなかったかもしれない」と思わせる記述が本書にはある。ミルカさんが、こんな風に言っているのだ。

しかし、リーマンが機会を逃さずにリーマン論文を書いてくれたことは数学にとって極めて重要だった。リーマン予想を含む、ゼータ関数に関わる研究内容が遺されたからだ。

これ以上の言及はなかったので、ここからはあくまでも私の想像に過ぎないが、「リーマン予想は、辿り着くのがかなり困難な予想だった」のかもしれない。誰か別の数学者が同じ発想に行き着くとしても、それにはかなり時間を要したかもしれないし、あるいは「ガロア理論」のように、「ガロアが思いつかなければ誰も辿り着けなかったんじゃないか」みたいなレベルの予想だった可能性もあるだろう(ガロア理論はそれほど革新的だったと言われていたはず)。

さらにこんなエピソードも紹介されている。リーマンの死後半世紀ほど経った頃、リーマンが残した草稿(本書では「リーマン遺構」と呼ばれている)が見つかり、その中に「ζ(s)の第三積分表示」なるものが記載されていたそうだ。そしてそこから「リーマン・ジーゲルの公式」と呼ばれる数式が生まれ、コンピュータで零点の計算を行う際に今も使われているという。この公式は、「リーマンが遺した第三積分表示を使ってジーゲルが導き出したもの」だそうで、つまりこれは、「リーマン遺構が見つかるまでの50年間、誰もその公式に辿り着けなかった」ことを意味しているはずだ。この点を踏まえると、「リーマンが研究成果を発表しなければ、誰もリーマン予想に辿り着けなかった」という主張にもかなり説得力が生まれるのではないかと思う。

そしてこの話はさらに広く捉えることも可能だろう。つまり、「『誰かの頭の中で生まれたものの、発表されなかった知見』が世の中を変えていたかもしれない」なんて風にも考えられるはずだ。例えば、サトシ・ナカモトがビットコインを生み出していなかったら、恐らくブロックチェーンの技術は確立されなかったように思う。そして同じようなことが、「誰かの頭の中だけに留まっているアイデア」すべてに対しても言えるはずだ。だから、「みんな、何か思いついたらとにかく発表しようぜ」と思ったりもした。

本作で扱われる、「リーマン予想」以外の興味深い数学の話題

さて、リーマン予想については大体触れたので、ここからは、本書で扱われる「リーマン予想以外の数学の話」について書いていこうと思う。

まず個人的に「なるほど、そんなこと考えたこともなかった」と感じたのが、「『複素関数の微分』は一体何を表しているのか」についての話だ。実関数の場合、「微分」は「その点における接線の傾き」と説明されるし、そのことはグラフを描くことで視覚的にも納得できる。しかし複素関数の場合はどうなるのか? 複素関数はそもそもグラフを描くのが困難で、それ故に微分を直感的に捉えるのも難しくなる

本書ではこの点について、まずテトラちゃんの疑問からスタートし、それを受けてミルカさんが講義を行うという形で展開されていく。ミルカさんの話は「微分」「全微分」「偏微分」の違いの話へと展開し、さらにその後、「素微分可能な関数は『正則関数』と呼ばれ、正則関数は『冪級数展開表示』を持つ」という話になる。もちろんこの話はリーマン予想でも重要になるわけで、「複素関数の微分」からこういう話に展開させるのは上手いなと感じた。

また「メビウス関数」も興味深い。本書では、「ゼータ関数の逆数のディリクレ母関数」について考える流れで出てくるのだが、「こんな変わった性質を持つ関数が存在し、しかも深堀りすればするほど面白い話が出てくる」という内容でとても刺激的だった。

さらに、「数学では禁忌とされている『ゼロ割(ゼロで割り算すること)』を可能にするために数直線上に無限遠点を追加する」という発想も出てくるのだが、これも凄いなと思う。本書では「拡張された数直線」という名前で登場するのだが、ホントに「よくもまあこんなことを考えるものだよな」という感じだった。

あとは、「log(-1)について考察する」という話も面白い。高校数学をちゃんとやった人からすれば「log(-1)なんてあり得ない」と感じるだろう。対数関数logは普通、カッコ内は正の数しか扱えないからだ。しかしこれを「複素数の範囲で考える」という形で拡張することによって、「なるほど、そんな風になるのか」という話が展開されるのである。

こういう話に触れていると、「数学というのは本当に不思議な学問だな」と思う。例えば、化学でも物理でも、あるいは経済学でも考古学でも何でもいいのだが、「現実に起こったこと(起こっていること)こそが常に正解」という制約が存在するはずだ。どれだけ素晴らしい理論や仮説を思いついたとしても、「現実はそうなってはいない」ことが分かればそれは「間違い」ということになってしまう。「知的好奇心」という意味では決して無駄ではないし、あるいは観測技術等の発達によって、後に「実は正しかった」となるケースもあるが、いずれにせよ「現実の挙動」が「正解か否か」の基準であることは確かだろう。学問において、これはある種「当たり前の考え」と言えると思う。

しかし数学では「現実との対応」を考える必要がない。例えば、「虚数i」は現実に存在する何とも対応しないが、しかしそれでも、数学の世界ではそれについて考えることが出来る。だからこそ数学では、「この障壁をどうにか乗り越えられないものか?」という発想から新しい概念が生まれるのだろう。このように「『現実こそが正解である』という”制約”が存在しない」という点こそが、数学研究の面白さでもあり大変さでもあるのだろうなと感じた。

それでは数学の話の最後に、「あー、そうだったのか!」と感じた話に触れておくことにしよう。

本書ではゼータ関数が多く登場するが、ゼータ関数についてネットで調べると、「1+2+3+……=-1/12」みたいな数式が出てくる左辺は「すべての自然数の和」であり、そしてそれが「マイナス1/12」と等しいという主張だ。普通に考えればそんなはずはないのだが、「ゼータ関数を使うとこういう奇妙な数式が成り立つことが示せる」という話題としてよく出てくる。私も何かのタイミングでこの話を知り、「不思議なこともあるものだ」と感じていた

しかし本書によると、「この等式を導く式変形では、ディリクレ級数表示が使える条件『Re(s)>1』を無視している」とのことで、実際には成り立たないらしい(「ディリクレ級数表示」については各自調べてほしい)。なるほど、そうだったのか。「数学には奇妙な話がわんさかある」ことを知っているから普通に受け入れていたが、まさか間違いだったとは。まあ、こうして人間は少しずつ知識を積み重ねていくのである。

ストーリーもとても面白い

それでは最後に、物語的な部分にも触れてこの記事を終えようと思う。

本シリーズは、『ドラえもん』や『名探偵コナン』のような「作中の登場人物が年を取らないタイプ」ではなく、ちゃんと成長していくシリーズが始まった当初、主人公の「僕」は高校1年生だったはずだが、最終巻である本書では大学受験をし、高校を卒業する。シリーズ1巻目を発売した時点でその後の構想がどこまで固まっていたのかは分からないが、結果的に、シリーズの終結と主人公の区切りが一致するような形で展開されたというわけだ。

物語的な記述は数学談義の合間合間に挿入されるだけなのであまり多くはないが、しかしその中で、登場人物たちの様々な葛藤や関係性の変化などが描かれる。特に本書で「おぉ!」となったのが、「π/6ラジアンずつ顔を傾けて、~」の描写。本シリーズは18年にも及ぶ長い刊行ペースで、前作から数えても7年ぶりの出版なのでちゃんとは覚えていないのだが、「そうかそんな関係だったか」と驚かされてしまった

それでは最後に、ミルカさんの名言に触れておくことにしよう。これは数学に限らず、「学び」と向き合うすべての人にとって刺さる言葉ではないかと思う。状況はこうだ。「僕」がテトラちゃんに「またいつでも会う機会はやってくる」と言った際、ミルカさんが「会う機会が”やってくる”だって? 違う。機会は”作る”ものだ」と反応する。そしてそれに続けて、次のように口にするのだ。

「機会は作るものだ」と彼女は繰り返す。「数学は逃げない、自分が去らない限り、数学は逃げない。自分がやめるまで、数学はできる。時がすぎるから会えなくなるのではない。自分が去ってしまうから会えなくなるのだ」

もちろんこれは、「学び」に限らず人生のあらゆる状況に当てはまるんじゃないかとも思う。なかなか良い名言ではないだろうか?

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最後に

内容的にはかなり難しいが、相変わらず「読んで良かった」と感じられたし、実に素晴らしい作品だったなと思う。最終巻だという事実には少し寂しさを覚えてしまうものの、これだけの作品を生み出すのは相当にハードだっただろうし、著者の結城浩には「お疲れ様でした」という気持ちの方が強い

恐らく多くの人を「数学沼」に引きずり込んだだろう本シリーズ完結を機に、最初から一気に読み通してみるのもいいかもしれない

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