【辛い】こじらせ女子必読!ややこしさと共に生きるしかない、自分のことで精一杯なすべての人に:『女子をこじらせて』(雨宮まみ)

目次

はじめに

著:雨宮まみ
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この記事で伝えたいこと

なかなか理解されない「こじらせ」を抱えながら、それでもなんとかやっていくしかない

犀川後藤

捨てられるなら捨てたいですけど、無理だって分かってます

この記事の3つの要点

  • 「こじらせ」は、他の言葉では表現しきれない
  • 「こじらせ」のせいで、自分のことで精一杯になってしまう
  • 「こじらせている人」を照らす「灯台」のような作品
犀川後藤

雨宮まみのエピソードも面白いけど、久保ミツロウとの対談もメチャクチャ良い!

この記事で取り上げる本

著:雨宮まみ
¥606 (2021/06/03 06:56時点 | Amazon調べ)
いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

雨宮まみ『女子をこじらせて』は、「こじらせ」と「生きづらさ」をこれでもかと詰め込むとても魅力的なエッセイ

著者・雨宮まみと本書の紹介

まずは、著者がどんな人で、本書に何が書かれているのかをざっと紹介しておこうと思います。

雨宮まみは、AVレビューを中心に、AV業界でフリーライターとして働く女性です。「女性」で「AVレビュー」? と感じるかもしれませんが、本書はまさに、著者が現在の地点にたどり着くまでの紆余曲折を、自身の「こじらせ実体験」と共に語る一冊になっています。

雨宮まみは、昔から容姿に自信がなく、「女性」として見られることに違和感を覚えることが多かったといいます。高校時代までは、自分の「女性性」を隠すように生きつつ、しかしその反動で時々奇行に走ってしまうような「不思議ちゃん」でした。

東京の大学に進学しますが、そもそも受験の際、前泊したホテルでAVを見まくったために、第一志望の大学に落ちてしまいます。そんな経験もあり、大学時代はサブカル系の趣味に傾倒、男性と関わる機会もほとんどない暗黒時代を過ごしました。

転機となったのは、バニーガールのアルバイトでした。それをきっかけに徐々にアダルト的なものに触れる機会が増えていきます。結局、アダルト投稿雑誌を作る会社に就職し、そこでも様々に葛藤しながらAVライターに行き着くまでの自身の経験を赤裸々に語る作品です。

いか

なかなか凄い経歴の人だね

犀川後藤

変わった人が好きな私としては、とても興味深い方です

本書で著者が伝えたいことは、とにかくこの一点、「私のようになるなよ!」です。こじらせまくってきた自分の経験をさらけだしながら、他の人にはどうにか私とは違う道を進んでほしい、という思いに溢れています。

「こじらせ」というのはとても捉えがたい感覚である

当たり前のように「こじらせ」という単語を使っていますが、「こじらせ」って何? と聞かれると答えるのが難しいです。本書でもそのことには触れられていて、「こじらせ」という言葉で表現されるものを、何か別の言葉で言い表すことは難しいと書いています。

「こじらせ」というのは、伝わる人にはすぐに伝わります。私も、著者とはまたちょっと違った形ではあるでしょうが、「こじらせ」を経てきた人間です。だから、相手の話を聞いて「この人はこじらせてきた人だな」と感じたり、「自分のこじらせ話もこの人には通じるだろう」と思えたりします。

一方で、伝わらない人には絶望的に伝わらない概念でもあります。

自分の感覚を人に話した時、「なるほど、◯◯ってことね」と要約されることもありますが、大体の場合「いや、そうじゃないんだよ」と感じます(パッと具体例が思いつかないのですが)。「◯◯」って言われちゃうと否定したいんだけれど、じゃあ他になんて言っていいか分からないのが「こじらせ」です。

犀川後藤

「そんなにややこしく考えなくてもいいのに」とかよく言われますね

いか

考えずに済むなら苦労はしない、って感じだよね

著者は自身の様々なエピソードを本書に書いていますし、それらは是非読んでほしいのですが、1つこんな話を引用してみたいと思います。

恐怖はありませんでした。むしろ、暗い快感がありました。靴の中に画鋲を入れられるというのは少女漫画の定番です。靴に針を入れられることで私は初めて自分が他の女たちと対等な「女」になれたような気がしました。誰かに嫉妬されたり、憎まれたりするような「女」なのだと思うと、気分がよかった。

学生時代にいじめられていた彼女が、靴の中に針を入れられた際の実感です。普通であれば、「辛い」「悔しい」などという感情になる場面でしょうが、著者は、「気分がよかった」と書いています。あぁ、こじらせているなぁ、と私は感じますが、「はっ? 意味わかんない」と思う人ももちろんたくさんいるでしょう。

本書には、漫画家の久保ミツロウとの対談も収録されているのですが、その中でこんな風に発言する箇所があります。

自己評価が低いっていうことじゃなく、もしかして世間は自分のことをもっと低く見ていて、自分はそのことに気づかなきゃいけないんじゃないか? っていう強迫観念がある。本当は私はワキガみたいな存在で、みんな私がダメなことに気づいてるんだけど優しいから言わないだけなんじゃないかって思うんだよ。

靴に針の話よりもこちらの方がもしかしたら理解しやすいかもしれません。

久保ミツロウは、「私の自己評価はマイナス300だけれど、世間からはマイナス500だと思われているかもしれない」と言っています。そして、雨宮まみのエピソードは、「私の自己評価ははマイナス300だけれど、針を入れてもらったお陰でマイナス100だと感じられて気分がいい」ということではないかと思います。

犀川後藤

これ、なんか凄く分かる

いか

こう考える人、実は結構いそうだよね

これでももちろん、理解できないと感じる人は多いでしょうが、こういう受け取り方をする人も世の中にはいるのだということがもう少し伝わるといいなとも感じます。

久保ミツロウが指摘する「自分のことで精一杯」という感覚に共感させられた

「こじらせ」という感覚を理解できないという話に関連してもう1つ、久保ミツロウのこんな発言が印象的でした。

高校時代に普通に恋愛してきたとか、普通に青春してきた人たちは、私たちみたいに自分のことでいっぱいいっぱいになってないから余裕があるわけ。そんで、今はその余力で「世界から貧困をなくそう」とか有意義な活動をしてたりするわけよ。自分のことでいっぱいいっぱいになってない人は、世界に目を向けたり、社会のことを考えたりしてくれてるの。私たちが世界を守れない代わりに……

この指摘にはとても納得させられました。というのも、私自身もとにかく、自分のことで日々精一杯だからです。

私も本来は、「世界から貧困をなくそう」みたいな有意義な活動に身を捧げたいと思うタイプの人間です。自分自身のためにお金や時間を使うよりも、本当は、困っている誰かのためになるようなことができたらいいと、割と本心からそう感じています。

ただ、実際にはそうはいきません。それはやはり、自分のことで精一杯だからです。私はよく、「自分一人を生き延びさせるだけでいっぱいいっぱいだ」と言っています。世の中の人は、結婚したり子どもを産んだりして、自分以外の人のこともきちんと見ることができますが、私は、自分一人の人生さえまともに対処できずにあっぷあっぷしてしまうのです。

久保ミツロウはこんな風にも言っています。

震災が起きて、みんな家族がいてよかったとか彼氏がいてよかったとか言ってたけど、私あの時「いやー、ホント一人でよかった! 自分しか守るものがなくて本当によかった!」って思ったよ。他人を守る余裕ないもん!

これもメチャクチャ理解できてしまいました。本書は、雨宮まみのエピソードももちろん面白いのですが、巻末にある久保ミツロウとの対談の言葉にもかなり共感してしまいました。

いか

本書を読んだことをきっかけに、『モテキ』を読んだんだよね

犀川後藤

そう。『モテキ』も共感ポイントが随所にある、良い漫画だったなぁ

著:久保ミツロウ
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本書には、「こじらせている人は自分を分析するのが好き」とも書かれています。確かにその通りだなと感じました。私も、自分がどういう時にどう感じ、どういう理屈でどんな行動をするのかみたいなことをよく考えています。ただ、本書でも指摘されているように、それは「どこにもたどり着かない分析」でしかなく、何の意味もありません。

こんな風にこじらせてしまっていると、自分のことで精一杯になってしまうので、とてもじゃないけど他人のことを思い巡らす余裕がなくなってしまうなぁと、自分の経験も踏まえて改めて実感させられました。

著:雨宮まみ
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最後に

久保ミツロウの引用ばかりですが、最後に1つだけ。

私は、こじらせ自体は治ってなくても、自分はこういうものを抱えているということを他人に上手く伝えられるようにはなったと思う。昔は伝えられなかったし、それ以前にこういうものを抱えていること自体言えなかった。

本当にその通りです。私も、こじらせそのものは今も自分の内側にあります。その時々で表に出てきたり、休戦協定を結んだりと状態は様々ですが、これからも「こじらせ」そのものは消えないでしょう

ただ、自分がどんなものに囚われているのかをきちんと捉え、言語化できるようになったことは、大きな前進です。そういう意味で、「こじらせ」という言葉が存在することもありがたいなと感じます。的確な言葉があるだけで、「この感覚を抱いているのは自分だけじゃない」と思えるからです。

本書を読んでも残念ながら、「こじらせ」そのものは解消されないでしょう。しかし、同じような感覚を持つ仲間がちゃんと存在しているのだと実感できますし、ぶっ飛んだエピソードを知ることで自分は軽症だと感じられるかもしれません。そういう意味で本書は、「こじらせ」に苦しむ人にとっての「灯台」のような作品と言えるでしょう。

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いか

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