【言葉】「戸田真琴の生きづらさ」を起点に世の中を描く映画『永遠が通り過ぎていく』の”しんどい叫び”

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:中尾有伽, 出演:竹内ももこ, 出演:西野凪沙, 出演:白戸達也, 出演:五味未知子, 出演:イトウハルヒ, Writer:戸田真琴, 監督:戸田真琴, プロデュース:戸田真琴
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いか

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この記事で伝えたいこと

正直なところ、映画だけ観ても「ちょっとよく分からない」と感じるでしょう

犀川後藤

でも、「言葉の強度」の高さはさすがだと感じさせられました

この記事の3つの要点

  • 戸田真琴のことは「言葉の人」としてずっと気になる存在だった
  • 「自分が見ている風景を他の人にも観てもらいたい」という、戸田真琴流の「他者の愛し方」
  • 印象に残る「言葉」が多く登場する点はさすが戸田真琴だと感じさせられた
犀川後藤

「誰かのために」を貫き続ける戸田真琴には、これから「創作」を続けてほしいと思います

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

AV女優・戸田真琴が監督に初挑戦した映画『永遠が通り過ぎていく』が描き出す「生きづらさ」

私が戸田真琴という存在を初めて知ったのは、『あなたの孤独は美しい』というエッセイがきっかけです。著者略歴に「AV女優」と書かれていたからそうと知りましたが、そんなことよりもエッセイを読んで、「思考・言語化のレベルが物凄く高い」という点にとても驚かされました。私はそういう人のことを「言葉の人」と呼んでいて、日常生活を含め、「言葉の人」にしかなかなか興味が持てません

犀川後藤

「言葉の人」に出会うのは結構難しいから、身近にいなくてもそういう人を見つけると嬉しくなる

いか

戸田真琴は良い発見だったよね

彼女がどれぐらい「言葉の人」なのかは、『あなたの孤独は美しい』の記事で書きましたので、そちらを読んでみてください。

そして、元々そういう関心を抱いていたこともあり、彼女が監督した映画も観てみたいと思いました。正直なところ、映画だけ観たら「よく分からない」と感じてしまうような内容でしたが、上映後のトークショーでしていた話を含めて捉えると、なかなか面白い鑑賞体験だったと感じます。また、トークショーの中で対談相手の1人が、「劇中のクリエイティブがとても良かった」と言っていたので、デザインなそに関わっている人にはそういう点でも関心が持てる作品かもしれません。

映画は、「アリアとマリア」「Blue Through」「M」という、3つの異なる物語で構成されています。一番好きなのは「Blue Through」です。

「心象風景を映像化した」という戸田真琴の発言

トークショーでは、戸田真琴がどのように映画制作を行っていったのかについて語っていました。その中で、「『よく分からない』と受け取られる内容になった理由」について、ざっくり次のように語っていたのが印象に残っています。

確かにこの映画は、私の人生の「事実」をベースにしている部分もあるんだけど、でも「事実」に即しているかどうかは別に重要じゃない。「自分がどうして傷つけられたのか」より、「自分が傷つけられた時に何を感じていたのか」の方が大事で、その心象風景を映像にしようと思った。傷ついている時に見えている世界は、「事実」よりももっと鮮明でとんでもないもの。だから、心象風景を描くことで「事実」を照射したいと思って作った。

いか

こういうことをちゃんと言語化出来るってのが彼女の凄いところだと思うんだよね

犀川後藤

だからこそ、「『分からない』って感想になっちゃうかもしれない映画」を最後まで作り切れたってのもあるだろうし

『あなたの孤独は美しい』を読めば分かりますが、彼女は幼い頃からなかなか激しめの経験を重ねてきています。そしてそれらは、「普通の人が普通に生きていてもまず経験しないだろう状況」であることが多いと私は感じました。となれば、彼女が「事実をベースにしているが、事実に即しているわけではない」と発言した理由も分かるでしょう。自分の経験をそのまま映像にしても、ちょっと特殊な事例すぎてなかなか「共感」してもらうことが難しいと判断したのだと思います。

ただ、「『自分が傷つけられた時に何を感じていたか』は、他の人と共有できる可能性がある」と彼女は考えるわけです。そう説明されると、映像全体の「わけの分からなさ」みたいなものに納得感が出てくる感じがしました。自身の経験を何か普遍性のある設定に置き換えて物語を紡ぐのではなく、「その時の心象風景」を映像化するという方向性は、「説明されなければなかなか理解できない」という点を除けば、興味深いアプローチだと思います。

いか

そういうスタイルで映画を作り続ければ、それが1つのスタイルになるかもしれないよね

犀川後藤

なかなか、広く観てもらうには難しい内容かもだけど、そういう類の映画はたくさんあるわけだし

また、彼女のこんな発言も興味深く感じられました

人それぞれ、「自分にとっての『他者の愛し方』」ってあると思うんです。私の場合は、自分が普段観ている風景が不可思議ででも美しいから、それを見せてあげたいなって。興味がない人にはただ邪魔なだけなんですけど、でも「私が観ている世界を見せること」が、私なりの「他者の愛し方」なんです

『あなたの孤独は美しい』で非常に印象的だったのが、戸田真琴の「誰かのためになるのなら、自分をすり減らしてでも何かを届けたい」という強い気持ちでした。ある意味では、彼女がAV女優になった理由の1つにも、そういう背景があったりします。そんな彼女だからこそ、「自分が目にしている『この光景』が、もしかしたら誰かにとっての『救い』になるかもしれない」という思いを捨てきれないのでしょう。戸田真琴は、「自分の何かが、誰かの『救い』になってくれたらいい」という形で他者に「愛」を向ける人であり、そういう意味ではこの映画も、彼女なりの「愛」だというわけです。

犀川後藤

こういうことを「本気で言ってるんだろうな」と感じさせるところも、「言葉の人」だなって感じる

いか

本心なのに本心を言ってるように受け取られない人も、世の中にはきっとたくさんいるだろうね

映画だけを観てもなかなかそうは受け取れませんでしたが、トークショーの内容まで加味すると、この映画が丸ごと「戸田真琴からの贈り物」であることが理解できました。そういう部分も含めて、この映画の存在はなかなか価値があると言えるのではないかと思います。

「言葉の強度」が強い映画

さて、トークショーを聞くことで映画全体を捉え直すことができたわけですが、やはり映画を観ている最中は「よく分からない」という感想になる場面が多かったと言わざるを得ません。ただ、「映画としての出来」という観点を一旦外した場合、劇中の「言葉」の多くに力強さを感じたこともまた事実です。

犀川後藤

この辺りはさすが戸田真琴って感じがしたなぁ

いか

「映画に馴染んでいるか」は別として、「言葉」はとにかく強いよね

映画では、「詩を朗読する場面」や、「詩を交換しているかのような会話」などが映し出されます。私はさほど「詩」を解する人間ではなく、「詩」を読んでも「よく分からない」と感じることの方が多いのですが、映画『永遠が通り過ぎていく』の中で出てくる「言葉」はかなり好きだなと感じました。いくつか抜き出してみましょう。

殴ってくれさえすれば、この悲しみに名前がつくのに。

あなたの頭がずっと私のことを考えてくれないと耐えられないから、その欲望が肥大する前に殺してほしい。

それでも一緒にいたいと思わせてあげられなかった私たちだね。

犀川後藤

「殴ってくれさえすれば、この悲しみに名前がつくのに」とか、なんか凄く良いなぁって思う

いか

「殴ってほしいわけじゃないけど、でも殴ってくれないと始まらない」みたいな絶妙な言葉加減だよね

難しい単語や概念が使われていわけではないのに、よくある言葉を組み合わせるだけで、どことなく「違和感」と「納得」を同時に与えるような言葉が多いでしょう。また映画には、様々な形の「切実さ」を内包する者たちが多数登場するのですが、これらのセリフは、そんな彼らの「切実さ」の質感をとてもリアルに伝えるものでもあると感じました。

中でも一番印象に残ったのは、トークショーでも対談相手が言及していた「足首」のセリフです

もう二度と誰かの絶望から逃れたりしないように足を切ろうと思ったけれど切りきれなかったしその傷ももう治ってしまった。

犀川後藤

これはホント、耳から入った瞬間に「おぉ」ってなったセリフだわ

いか

文字で読むとそうでもないかもだけど、映画の中ではめちゃくちゃインパクトあったよね

「Blue Through」の中でこう口にする少女は、物語が始まってからしばらくの間、「とても楽しそうな少女」として映し出されます。ストーリーを正確に理解できたわけではありませんが、一回り年上の男性と邂逅し、そのままキャンピングカーに乗り込んで旅をしているのだろう彼女は、天真爛漫で自由で楽しげに見えるはずです。

だからこそ、先の「足首」のセリフは唐突に感じられます。ただ、実際のところ彼女は、唐突にそんなふうに叫ばなければならないほどにキツい状況にいるわけです。自分の内側に潜む「身体がバラバラになりそうな予感」みたいなものを、どうにか必死に押し留めようとしているのではないかと私は感じました。

『あなたの孤独は美しい』を読んで理解できたことは、戸田真琴が「マジョリティへの馴染めなさ」と、「『マジョリティからの無意識の暴力』による苦痛」を感じているということです。私も「マジョリティに馴染めない側」として生きてきたので、マジョリティがさも当たり前かのように思考や価値観を押し付けてくることを知っています。いや、恐らく彼らには、「押し付けている」なんていう感覚はまったくないのでしょう。しかし、「マジョリティに馴染めない側」である私は、どうしても「押し付けられた」と感じてしまいます。

いか

そういう場面に出くわす度に、「想像力の無い人が『マジョリティ』って呼ばれる世界でいいのか?」って思っちゃうよね

犀川後藤

少なくとも、「私にも戸田真琴に見えているものが、彼らには見えない」ってことだけは確かだよなぁ

そして、「足首」のセリフを叫んだ少女もまた、そのような「マジョリティからの無意識の暴力」に晒されていたのだろう、と想像させられました。

話は変わりますが、「アリアとマリア」の中では、カメラ・スマホ・ライトがすべて銀色で統一された形で登場します。これらについて戸田真琴は、「銀色に統一したそれらのアイテムは、すべて『暴力』を示唆している」とトークショーで語っていました。

確かに、カメラもスマホもライトも、相手の許可を求めることなく無遠慮に向けられる、そんなアイテムです。そして、それらを無遠慮に誰かに向ける人は、恐らく、それを「暴力」とは認識しないでしょう。まさにこれも「マジョリティによる無意識の暴力」と呼ぶべきものだと思います。マジョリティが「暴力」だとは認識していない何かが、それを向けられた者からは「暴力」に感じられてしまう、そんな非対称性みたいなものも描いていると感じました。

犀川後藤

もちろん私も、誰かに無遠慮に「何か」を向けていて、それが「暴力」だと受け取られてるかもしれないわけだけど

いか

でも、「そうはなりたくない」って強く思ってるから、相当気をつけてはいるよね

出演:中尾有伽, 出演:竹内ももこ, 出演:西野凪沙, 出演:白戸達也, 出演:五味未知子, 出演:イトウハルヒ, Writer:戸田真琴, 監督:戸田真琴, プロデュース:戸田真琴
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最後に

劇中のこんなセリフに、私は共感してしまいました

人間には、生まれとか育ちとかだけではなく、磁場みたいなものを感じ取ってしまう人がいる。それを「感じていないフリ」をすることができなかっただけだ。

先程の、「マジョリティには見えないものがある」という話に近いですが、「あぁ分かるなぁ」と感じました。私もどちらかと言えば「感じてしまう人」であり、「感じていないフリができない人」でもあると思っています。そしてさらに私は、自分と同じそういう人に興味を抱いてしまうことが多いです。

犀川後藤

あんまりこういう、「自分は気づいてる側の人間なんだぜ」みたいな言い方をしたくないんだけど

いか

そういうことを自分で言っちゃう人は、あんまり好きになれなかったりするしね

もちろん戸田真琴も、「感じてしまう人」で「感じていないフリができない人」です。そしてさらに彼女に対しては、「『感じていない人』のことを諦めない人」という印象も強く抱きます。

犀川後藤

私にこの感覚はないから、凄いなって思う

いか

「感じていない人」のことは、基本的に諦めちゃうよね

文章でも映画でもなんでも、彼女が何かを生み出し続ける背景には、常にそのような想いがあるのだと思います。最初の方で触れた、「私が見ている映像を他の人も見てもらいたい」という感覚も同じようなものでしょう。

恐らく戸田真琴自身も、子どもの頃から現在に至るまで、「伝わらなさ」みたいなものを絶望的に感じてきたはずですが、それでもまだ「人間のことを諦めていない」という点が凄いと思います。

彼女には、そういう強い意志が内在しているはずなので、どんな形であれ、これからも「何かを生み出す側の人」として創作に携わっていてほしいと感じました。

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