【狂気】日本一将棋に金を使った将棋ファン・団鬼六の生涯を、『将棋世界』の元編集長・大崎善生が描く:『赦す人』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:大崎 善生
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この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「日本一将棋に金を使った将棋ファン」である団鬼六は、いかにして「将棋」で2億円の借金を作ったのか?
  • 大崎善生の「主観的ノンフィクション」の醍醐味とは?
  • どこまで本当なのか誰にも分からない、異端的人生を歩んできた怪人の生涯

団鬼六の小説を読んだこともなく、団鬼六のこともほぼ知らなかったが、非常に面白く読まされた1冊

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「小説家」としてではない、「将棋ファン・団鬼六」の異常な人生を大崎善生が追ったノンフィクション『赦す人』

「団鬼六」という名前は、「エロ小説を書く人」ぐらいにしか認識していなかった。まさか、将棋とここまで関わりのある人だったとは。そして、そんな団鬼六の生涯を、将棋専門誌のトップを走る『将棋世界』の元編集長・大崎善生が描き出す。

大崎善生のノンフィクションは、彼自身の主観から逃れられない。そんな大崎善生らしいスタイルが踏襲された、とんでもない人物の一代記である。

団鬼六は、どのように将棋と関わり、なぜ破綻し、いかにしてそこから蘇ったのか

団鬼六は元々、趣味として将棋を指していただけの、普通の将棋ファンだった。しかし、あることをきっかけに彼は、

日本一将棋に金を使った将棋ファン

と呼ばれることになる。将棋専門誌を買い取ったのだ

当時、将棋専門誌は4誌存在していた。売上トップを誇っていたのは、本書の著者である大崎善生がかつて編集者を務めたこともある『将棋世界』で、当時の発行部数はおよそ8万部。それに続いて、『近代将棋』(5万部)、『将棋マガジン』(3万部)、そして3誌に大きく水を空けられて『将棋ジャーナル』(4千部)の計4誌である。団鬼六が買い取ったのはこの『将棋ジャーナル』だ。

周囲は当然、買い取りに反対した。『将棋ジャーナル』は赤字で、買い取ったところで商売になるようなものではなかったからだ。しかも、当時から交流のあったプロ棋士たちが、「団鬼六が『将棋ジャーナル』を引き受けること」に反対してもいた。『将棋ジャーナル』は、どちらかと言えばプロ棋士と敵対的な立場を貫いており、団鬼六が『将棋ジャーナル』と関わることで、プロ棋士との関係が悪化してしまうかもしれないと恐れたのだ。

しかし、天の邪鬼な団鬼六は、反対されればされるほど我を通したくなってきてしまう。結局、「赤字は覚悟、トントンなら御の字」と考えて『将棋ジャーナル』を引き受けることに決めたのである。

『将棋ジャーナル』は、自宅への定期配送がメインの雑誌だった。アルバイトを雇う余裕もなかった団鬼六は、自宅の地下で妻と2人、発送作業に追われた。しかし、そんな努力の甲斐なく、買い取ってから5年後に団鬼六は廃刊を決意する。そしてその頃までに、団鬼六は財産のほとんどを失ってしまっていた。「鬼六御殿」と呼ばれた、竣工費5億円、最高時の評価額7億円とも言われた豪邸も、たった2億円で手放さなければならなくなってしまう。残ったのは、2億円の借金だけだ。

当時65歳の老作家は、断筆宣言していたこともあり、細々と将棋雑誌に文章を寄稿する以外、収入のあてはなかった。団鬼六の人生、さすがにもう詰みか……。

と思われたが、さすが転んでもただでは起きない男である。なんと団鬼六は、たった1冊の本によって、不死鳥の如く蘇るのだ……

と、これが本書第1章のあらすじである。これだけで十分興味を惹かれないだろうか? とんでもなく凄まじい人生を歩んでいる人物なのである。

本書を執筆する上での大崎善生のスタンス

大崎善生のノンフィクションを1冊でも読んだことがある方は理解していただけると思うが、彼の作品は「ノンフィクション」的ではない

ノンフィクションの多くは、「書き手や取材者が、対象を可能な限り客観視し、対象からある程度距離を取った上で状況や内面を描き出す」というスタイルになっているだろうと思う。それだけがノンフィクションの特徴だとは思わないが、やはり「客観性」によって「真実」が炙り出される、という点を重視する人は書き手にも読み手にも多いだろう。

しかし大崎善生のノンフィクションは、非常に「主観的」なのだ。

ノンフィクションをよく読むという方には、「『主観的なノンフィクション』なんて成立しうるのか?」と思われるかもしれないが、、大崎善生のノンフィクションの場合は「成立している」と感じる。もちろん、好き嫌いは分かれるだろう。しかし、「ノンフィクションとして成立していると言えるのか?」という問いには、私は「している」と答えたいと思う。

本書も、「『客観性』によって『真実』を捉える」という構成にはなっていない。しかしそこには、著者なりの「忸怩たる思い」があったそうだ。実は本書を、「主観的なノンフィクション」にするつもりなどなかったという。

この評伝を書くに当たって、私はできる限り虚像と真実を的確に切り分けて、本質の部分と虚像の部分を別々のプレートに分けて読者の前に差し出すことはできないかと考えていた。しかし第一回目の取材を終えたときに、すでにそのようなことは私の勝手な願望に過ぎず、不可能に近いと思い知らされた。

大崎善生は、団鬼六について取材をする一方で、団鬼六のエッセイや自伝的小説にも目を通す。しかしそれが一致しない。大崎善生が取材した事実と、団鬼六自身が書いている内容が食い違うのである。あるいは、取材ではどうしても真実を突き止めることができず、それに関する資料は団鬼六が書いた文章しか存在しない、という状況もある。

本人がそう書いているなら、それを『真実』とすればいいのでは?」「っていうか、本人に聞いたら分かるのでは?」と考えるだろうが、そうもいかない。団鬼六という作家は、「面白ければすべて良し」と考える作家であり、エッセイでも話が面白くなるように事実を改変することがよくあったという。そしてさらに、自分で改変した記述に記憶が引きずられてしまっており、「団鬼六の記述・記憶」では「それが真実かどうか」の判定ができない、というのだ。

「団鬼六」という対象を選んだ時点で、このような展開は避けられなかったのだろう。大崎善生のノンフィクションは、”導かれるようにして”書かれているように感じられるものも多く、それがある種の「大崎善生らしさ」に繋がっていると言える。もしかしたら「『将棋』に呼ばれている」のかもしれない。

団鬼六の人生に、大崎善生の人生が絡まり合っていく

本書は基本的に、団鬼六という、規格外で破天荒な人物の暴れ馬のような人生を描き出す作品だ。しかしその生き様には、著者自身の人生も折り重なっていく

例えば、団鬼六が『将棋ジャーナル』を買い取ったのは、まさに大崎善生が『将棋世界』の編集長を務めていた時のことだった。そんな縁もあり、団鬼六と関わりのある人物から著者の元に「『将棋ジャーナル』にアドバイスしてあげてほしい」という打診が届くこともあったそうだ。

また、女流棋士である大崎善生の妻は、14歳でプロ入りした際に、師匠に連れられて横浜の「鬼六御殿」に足を踏み入れたことがあるという。団鬼六はそれからずっと「やまとちゃん」と呼んで可愛がり、また彼女のことを「愛人候補ナンバー1」と口にして大崎善生を苦笑させてきたのである。

また、小説家でもある大崎善生にとって、「小説家・団鬼六」という存在そのものが驚異だったという。

大崎善生は、小学校高学年の時に小説家を志し、それからは「小説家になる」という目標のために戦略的に読書を続けてきた。しかし、大学生になっていざ執筆に取り掛かろうとしても、1行も書けなかったそうだ。そのことに大崎善生は打ちのめされたと書いている。

一方団鬼六は、相場ばかりに手を出す享楽的な父親に引きずられるようにして自堕落な生活を続け、ロクでもないクソみたいな人生を歩んでいた。そんな25歳の頃、ふと思い立って小説を書き始めたという。その時に書いた『浪花に死す』という純文学作品が『オール読物』の新人賞最終候補に残り、デビューを果たすことになる。書く才能に恵まれていたと言うしかない。

そんな団鬼六の、小説家としての凄まじさを感じさせるこんな文章がある

私はね、書いた原稿はただの一枚も無駄にしたことがありません。すべて金になっています。

ボツになったことは一度もない、というわけだ。

大崎善生は、団鬼六の天性としか思えない才能を、「絶対音感」になぞらえて「絶対小説感」と呼んでいる。戦略的に読書をしてきたのにまったく書けなかった経験を持つ大崎善生には、団鬼六の小説家としての才能は異常に感じられたのだ。

虚実の判然としない、嘘としか思えないような破天荒なエピソード満載の団鬼六の波乱万丈な人生に、大崎善生はスパイスのように自身の人生模様を組み込んでいく。大崎善生の人生がある種の「錨」のように働くことで、難破船のように行く先も知れない団鬼六の生涯がノンフィクションという形になんとか収まっているようにも思う。やはり結果的に、大崎善生の「主観的」な手法が団鬼六の評伝には合っているように私には感じられた。

小説家・団鬼六の凄まじさ

団鬼六がどんな人生を歩んできたのかこそが本書の核であり、この記事でそれに触れすぎてはいけないと思っている。しかしやはり、そのあまりの異端的な人生の一部でも感じてほしいと思うので、興味深い点にいくつか触れていこう

まず、団鬼六の母親からして凄まじい。「直木賞」の名前の由来となった小説家・直木三十五の内弟子で、岸田劉生や金子光晴とも交流があった女流文士だったのだ。さらに、類まれな美貌を生かして松竹の女優としても活躍したという。他にも団鬼六の家系には、芸能関係で才能を発揮する者が多くいたそうだ。

そんな団鬼六のデビュー作出版を実現したのが、直木三十五の愛人の弟だったというのだから、人の縁というのは面白いものだと思う。

こうして純文学作家としてデビューした団鬼六だったが、色んな事情で東京から逃げ出さなければならなくなってしまった。しかもその後、不可思議な成り行きから、国語の教員免許しか持っていないのに、何故か英語の教師として働くことになるのだ。

そしてさらに、この英語教師時代に、日本のSM文化を一変させたとも評価される『花と蛇』が書かれているのである。

というか団鬼六はそもそも、授業を自習にして教室で小説を執筆していたという。英語教師の職を斡旋してくれたのは妻であり、妻にだけはSM小説を書いていることを悟られるわけにはいかないと、仕方なく学校で書いていたのだ。この話には非常に面白い後日談がある。是非本書を読んで確かめてほしい。

『花と蛇』は、SM雑誌『奇譚クラブ』のドル箱連載となり、その後、絶版と再刊行を何度も繰り返すという、非常に息の長い作品になった

興味深いと感じたのは、「団鬼六のSM小説にはセックス描写が少ない」という話だ。これには当時の社会事情が関係している。雑誌が発禁処分になることが多く、その対策としてセックス描写をなるべく抑えるという方針が定まっていったのである。

さすがだなと感じたのは、団鬼六がそこに真理を見出したということだ。つまり、「セックス描写が抑制されることによって、読者のエロ心が刺激される」と直感したのである。団鬼六が人気作家になれた要因として、そのような時代背景を味方につけたことも大きかったという

他にも、ピンク映画を制作したり、たこ八郎と関わりがあったりと様々な経験を経ながら、色んな浮き沈みを経験しつつ猛進していく。その名が知られるようになるにつれ、「鬼六御殿」には渥美清や立川談志なども顔を出すほどになっていったそうだ

そして何よりも、団鬼六の大逆転人生に関わる真剣師・小池重明との出会いが大きい。「真剣師」とは、金を賭けて将棋を指す者のことを言う。プロ棋士を凌ぐほどの人気と実力を誇っていた小池重明との関わりが、結果として団鬼六を新しい世界へと導くことになっていったのだ。

そんなとんでもない男の信じがたい人生を追ったノンフィクションである。

著:大崎 善生
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最後に

団鬼六の作品を読んだこともなければ、「団鬼六が将棋で財産を失った」という事実さえ知らなかったが、それでも非常に興味深く読める作品だった。「大崎善生のノンフィクション」として手に取ったが、今まで名前ぐらいしか知らなかった「団鬼六」に対して大いに興味を抱かされる作品だ。

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