【秘密】映画『ドライブ・イン・マンハッタン』は、「タクシー内の会話のみ」だが絶妙に良かった(主演:ダコタ・ジョンソン、ショーン・ペン)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「ドライブ・イン・マンハッタン」公式HP
いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

今どこで観れるのか?

公式HPの劇場情報をご覧ください

この記事で伝えたいこと

かなり短い時間での会話だったにも拘らず、思いがけない展開になっていくところが見事だった

犀川後藤

リアルな会話だけから、ある種の「スリリングさ」を生み出しているところも素敵である

この記事の3つの要点

  • 最初しばらく会話が弾まない感じもリアルだし、そこから次第に「女性客の秘密」に自然と迫っていく感じも見事だった
  • 運転手による「ゲスい会話」は実は、女性客の口を軽くさせるための戦略だったのかもしれない
  • 「女性客には『真相』を語る必然性が無い」という要素によって、思いがけない「スリリングさ」が生み出されている
犀川後藤

女性客を演じたダコタ・ジョンソンのビジュアルも圧倒的で、実に惹きつけられる物語だった

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

タクシー内での会話のみで展開される映画『ドライブ・イン・マンハッタン』は、そんなミニマムな設定とは思えないほどの満足感をもたらす、とても素敵な映画だった

これは凄く素敵な映画でした。劇場で予告を観ていた時点で気になる作品だと感じていたわけですが、思ってた以上に惹きつける力のある作品だったという感じです。観ながら「ワンシチュエーションの舞台演劇のような物語」だと感じたわけですが、公式HPよると、本作は実際に、元々は舞台用の脚本として書かれたものだそうで、凄く納得感がありました。何となくですが、「映画を作ろう」と考えて生み出されるような物語じゃないような気がしたからです。

犀川後藤

でも舞台の場合、「車を動かす」みたいな演出はしにくいはずだから、むしろやりにくかったりしないのかなって思う

いか

役者が同じ場所でずっと座ってるだけの演劇になっちゃうよね、普通に考えたら

冒頭からしばらくはただの「運転手」と「客」であり、大して弾むわけではない会話が続く

本作『ドライブ・イン・マンハッタン』は、ちゃんと映し出される登場人物は2人だけ(あとは、姿が映らないLINE相手が1人)、舞台はほぼ全編がタクシーの中という作品です。ジョン・F・ケネディ国際空港からマンハッタン44丁目までの道中で交わされる会話だけで物語が構成されています回想シーンなどは一切なく、女性客がLINE(ではないかもしれないけど、何らかの通信サービス)で誰かとやり取りしているという状況が存在する以外は基本的に、女性客と運転手の会話だけというわけです。

さて、本作はちょうど100分の映画のようですが、だとすると、もしかしたら「ほぼリアルタイム」と言っていいような時間軸かもしれません。アメリカの地理には詳しくありませんが、ネットで調べてみると、ジョン・F・ケネディ国際空港からマンハッタンまでは車で1時間ぐらいだそうです。さらにタクシーは途中、事故による渋滞でかなり足止めを食らっていました。なので、作中での時間経過も、ちょうど100分ぐらいだったかもしれません

そして、「ほぼリアルタイムの進行」だったかはともかく、「女性客が運転手と話していた時間」は決して長くはなかったし、その事実は本作においては結構重要になると私は考えています。

いか

要するに、「そんな短い時間で、そんな会話をするような関係になったの!?」みたいなことだよね

犀川後藤

まあこれは、タクシーという特殊な環境も関係していたとは思うんだけど

では、腕っぷしが強そうなマッチョ運転手と、若い女性客(ただ彼女は年齢を聞かれた際、「私が太陽の周りを何周したかがそんなに重要?」と言っており、実際の年齢は分からない)は、その100分間にどんな会話をしていたのでしょうか? 本作においてはこの会話がとにかく絶妙でリアルで、確かに途中「ん?」と感じさせられる部分もあるのですが(運転手が偏見丸出しの会話をする場面がちょいちょいある)、全体としてはとても良かったなと思います。

まず本作がリアルだなと感じたのは、「最初から会話が弾むわけではない」という点です。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、映画を最後まで観て、彼女たちの会話がどこまで行き着くのかを知った上で振り返ってみると、「冒頭からもう少し会話を進めた方が良くない?」みたいな変な気分にもさせられます

いか

「そんなペースで会話してたら、最後の展開まで行き着かなくない?」みたいなね

犀川後藤

自分でも変な感覚だって分かってるんだけど

私は普段全然タクシーに乗らないので分かりませんが、日本にも「よく喋る運転手」はいるだろうし、本作でも最初はそういう感じでした。運転手がただただ話しかけては、女性客が簡単な返事や受け答えをしているだけという感じです。運転手は、「今日はお客さんで最後だよ」「とにかくツイてない1日だった」「最近は何でもカード払いだけど、チップをあまりもらえないからアプリはクソだよ」みたいな、雑談しようとしているのか単に愚痴を言っているだけなのかよく分からないことを口にするだけで、女性客の反応からも大して乗り気ではないことが伝わってきます。

ただ、女性が会話に生返事しているのは、LINEで誰かとやり取りしているからでもあるのでしょう。彼女が誰と連絡を取り合っているのかはしばらく分からないのですが(ただ「相手は男だろう」という想像ぐらいは出来た気がする)、いずれにしても「良い意味でも悪い意味でも気になってしまう存在」であることは確かだと思います。

いか

「積極的に連絡を取りたい相手」なのかどうかも最初の内はよく分からないよね

犀川後藤

「会いたいけど会いたくない」みたいな気分が伝わるようなやり取りをしてるし

そんなわけで女性客は、「返信したらスマホを裏返しにして置く」みたいなことを繰り返していて、それが運転席からも見えたのでしょう、運転手は「スマホ見ないね。喋ってくれなくても、そういう客は嬉しいよ」なんて口にしたりしていました。「見ない」のではなく「見れない(見たくない)」という方が近いでしょうけど。いずれにせよ、実際にスマホ画面は見ていなくても、意識はLINE相手に向いているわけで、そういう意味でも会話に積極的になれなかったのではないかと思います。

そして、運転手と会話をする気になったのもまた、スマホでのやり取りがきっかけなのでしょう。というのも、誰だか分からないその相手と話している内容が、どんどんゲスいものになっていくからです。女性としても、少しずつ「うんざり」みたいな気分になっていったのだろうと思います。そしてだからこそ、運転手からの「どこから戻ってきたの?」という問いに「故郷のオクラホマ」と答え、さらに自ら「片親違いの、性格が悪い11歳年上の姉」の話をし始めたのでしょう。

いか

ここまでで女性客はほとんど喋っていないわけだけど、「きっとこんな風に感じてるんだろうな」って心の動きがよく見てとれるよね

犀川後藤

物語の冒頭からしばらくはホント、女性客を演じたダコタ・ジョンソンの演技にかかってるって感じ

運転手が口にする「不愉快な話」が逆に、女性客の口を軽くしたのかもしれない

こうしてなんとなく会話するようになった2人ですが、この時点ではまだ「単なる世間話」の域を出ていません。そんな2人のやり取りが大きく変わっていったのは、相手について、運転手が「既婚者だろ?」と言い当てた辺りからでしょうか。そう彼女は、妻子ある男性と関係を持っているのです。

さて実は、この辺りから少しずつ、運転手の話し方がちょっと嫌な感じになっていきました。いや、観る人次第で感じ方が違うかもしれないので決めつけない方がいいでしょうか。とにかく私としては、「うわー、この人嫌いだわー」という印象になっていったのです。

いか

突然そんな風になったからちょっとビックリしたよね

犀川後藤

「なんか変なスイッチでも入ったか?」って感じだったわ

女性客が既婚男性と関係を持っていると知った運転手は、自分の過去について話し始めます。「2回結婚したけど、浮気もたくさんした」「妻が太ってセックスをしてくれなくなったから、19歳の女の子をアパートに囲うようになった」みたいなことを口にするようになったのです。さらに女性客へのアドバイスのつもりなのでしょう、「既婚者が愛人に求めてるのは『愛』なんかじゃないんだから、『愛してる』なんて絶対言うなよ」「男ってのはスーツ、車、家を『おもちゃ』だと思ってるわけなんだが、実は妻子もそこに含まれる」みたいなことも言っていました。「この人嫌いだわー」という感じになるのも当然ではないかと思います。

ただ、あくまでも結果的にではありますが、運転手がこういう「ゲスい会話」をしていたことは「正解」だったと言っていいでしょう。「唯一の正解」だったとは思いたくありませんが、「正解の1つ」であったことは確かだと思います。というのも、世の中には「『二度と会わないだろう人』にしか言えない話」が存在するはずだと思っているからです。

犀川後藤

私はよく、「女性からは『彼氏に言えない話』を聞きたい」って言ってるんだけど、そういうのにちょっと近かったりするかな

いか

「この人にはこの話は出来ない」「この人にならこの話は出来る」みたいなのって、色んなパターンで存在し得るからね

さてここで少し、「もしも運転手が『良い人』っぽく振る舞っていたらどうなっていたか?」について考えてみることにしましょう。つまり、紳士的な態度で女性の話を聞き、相談にも優しく乗っていると想像してみようというわけです。その場合、女性はもしかしたら「この人とはまた会いたいかもしれない」なんて風に考えるかもしれません。それは「連絡先を交換して積極的に関わる」みたいなことだけではなく、「『どこかでまた会えたらいいな』という気分を持っておく」みたいなことも含みます

そして、もしも女性客がそんな感情を抱いていたとしたら、彼女は恐らく「あの話」をしなかったはずだと思うのです。運転手のことを「可能性があるかどうかはともかく、また会ってもいい人」と捉えていたとしたら、「知っていてほしくない」と感じるような内容の話ではないでしょうか

いか

「旅の恥はかき捨て」みたいなね

犀川後藤

「二度と会わない人」になら何でも言えるけど、そうじゃない人に話す内容はかなり考えるよなぁ

本作を最後まで観るとまた印象は変わるかもしれませんが、女性客が「あの話」をした時点では少なくとも、彼女は運転手のことを「二度と会わない人」と認識していたんじゃないかと思うし、だからこそ話せたような気がします。そして、本当にそう思っていたとしたら、その理由はやはり、それまでに交わしていた「ゲスい会話」だと考えるのが自然でしょう。もちろんすべてがゲスいわけではなく、「軽妙なジョーク」や「親身になったアドバイス」もあったわけですが、やはり「不躾な偏見」や「失礼な物言い」もたくさんありました。「あぁもう無理!」みたいな感じではなかったはずですが、「積極的にまた会いたい」みたいに感じていたはずもありません

そしてだからこそ、それまで誰にも話せなかった事実を話せたのだろうし、さらに「誰かに話せた」という事実は彼女にとってかなり大きかったはずだと思います。女性客にとっては、ある意味では「かなり幸運な出会い」だったと言えるかもしれません。

いか

誰かに話せるだけで気分が楽になることってあるしね

犀川後藤

ってか大体の場合、聞いてもらえたらそれで十分だったりするし

運転手がそういう展開を意図してゲスい振る舞いをしていたのかは何とも分かりません。普通に考えれば、たまたまでしょう。ただ、女性客がその既婚男性について色んな話をひとしきりした後、運転手は「あんたの男は昔の俺だ。で、あんたが悲しそうだからこんなことを言うんだよ」みたいなことを口にしていました。彼は20年間タクシー運転手を続けてきたそうで、その経験から、女性客が「言えない秘密」を抱えていることにもしかしたら気づいたのかもしれません。となれば、「敢えてゲスい奴を演じて、女性が話しやすい環境を整えた」なんて可能性も出てくるでしょう。

本作では、2人の何気ないやり取りからそんな深読みまでしたくなるような会話が描かれており、非常に面白いと感じました。さらに、女性客についても運転手についても、「2人が自ら語った話」以外の情報が存在しないため、「想像する余白」がかなり大きな作品とも言えると思います。「口ではこう言っているけど、実際にはどうだったのか?」みたいなことまで含めて考えると、さらに深堀り出来るかもしれません。

犀川後藤

つまり本作は、「会話の内容そのもの」以外のメタ的な要素も重視される「会話劇」って感じかな

いか

何にせよとにかく、観客視点では「『会話運び』が絶妙に上手い」って印象になるよね

「女性客が語る話の『真相』は明かされないままかもしれない」という緊張感を孕んだまま物語が展開する

さて、「『自ら語った話』以外の情報が存在しない」という点についてもう少し触れておくことにしましょう。

本作の登場人物はたった2人で、しかも初対面です。また、彼女たちのことを客観的に語るような「第三者目線の登場人物」が出てきたりはしません。だから、彼女たちの情報については「本人が口にしたこと」しか分からないというわけです。

そしてその事実は、「彼女たちがどんな人間に見られるのか」にも影響を与えていると思います。

犀川後藤

「何を話すか」も大事だけど、「何を話さないか」も人の印象を大きく左右するよなぁ

いか

あるいは運転手の場合は、「話す必要のないことを喋ってる」みたいな部分が見え方に影響してる感じするしね

本作では、「運転手は『シンプルな人間』」のように、そして「女性客は『複雑な人間』」のように映るでしょう。2人が自分の見せ方にどの程度気を配っているのかは分かりません。ただいずれにしても、ある場面で運転手が「『家族想いの父親であること』より、『家族想いに見える父親であること』の方が大事なんだ」と言っていたみたいに、「どう見えるかこそがその人の本質」だとも捉えられるでしょう。それぞれが実際にはどんな人物なのかはともかく、「運転手は『シンプルな人間』に見える」「女性客は『複雑な人間』に見える」という部分にこそその人らしさが出ているんじゃないかというわけです。

まあそんなわけで、本作では「女性客は『複雑な人間』っぽい」という印象になっています。そしてさらに言えば、本作においては「『女性客の複雑さ』は解きほぐされるのか?」という点が1つの展開として重要になっていくと言えるでしょう。本作は決してミステリ的な作品ではないのですが、2人の自然なやり取りから「謎的なもの」が浮き彫りになり、後半は特に、その「謎的なもの」に焦点が当たり続ける構成になります。もっと言えば「『謎的なもの』の真相は何なのか?」という関心と共に物語を追っていくことになるというわけです。

いか

途中からは運転手に対して、「上手い感じで話を聞き出せ!」みたいな気分にさえなってくるよね

犀川後藤

いつの間にか、何となく「運転手を応援する感じ」になってるのも不思議な感じだった

さて、そんな「真相」に焦点が当たる後半の展開は比較的”スリリング”に進んでいくわけですが、その「スリリングさ」は、「『真相』は明らかにされないかもしれない」という感覚から来るのではないかと私は感じました。

映画でも小説でも、「ミステリ作品」として打ち出されていれば、「最後に必ず謎が明らかにされる」という前提で物語を追えるでしょう。しかし本作『ドライブ・イン・マンハッタン』は「ミステリ」と銘打たれているわけではなく(実際、「ミステリ」という感じではありません)、さらに、「リアルな会話を覗き見している」みたいな印象が強いので、「最後に謎が明らかにされること」は決して当然とは感じられないはずです。それに、2人は元々知り合いではないし、仮に会話が尻切れトンボになったところで特に困るようなこともありません。だからこそ「会話の流れ次第では『真相』は明らかにされないかもしれない」と思いながら観ることになります。そしてそのことが、ある種の「スリリングさ」を生んでいるのではないかと感じたというわけです。

いか

年齢を聞かれても答えるのを拒否するようなやり取りをしてるんだから、余計そんな印象になるよね

犀川後藤

しかも「真相」を話すにしたって、「この流れなら話すよね」みたいに観客を納得させないといけないから、そういう難しさもある

運転手はたぶん途中から、「彼女には何か話したいことがあるし、それを話させてあげた方がいい」という気分になったのだろうと思います。しかし同時に、「北風と太陽」の話と同じで、「無理やり聞き出そうとしても話すはずがない」とも感じたのでしょう。また、「マンハッタンに着くまで」というタイムリミットもあるわけで、運転手はその時間制限の中で目的を達成する必要があるわけです。

そんなわけで本作は途中から、「謎を明らかにしなければならない理由がない女性客」と「『彼女のために話させたい』と思っている運転手」による”静かな攻防”みたいな展開になっていきます。その駆け引きみたいなものをかなり短い時間の中でまとめていて、リアルさとスリリングさを絶妙に兼ね備えた見事な会話劇だと感じました。

いか

ちょっと前に観た映画『アット・ザ・ベンチ』も凄まじく良い会話劇だったよね

犀川後藤

なんにせよ、会話だけでこれだけ物語を展開させられるのは凄いなって思う

女性客が語っていた「記憶の相違」と、それに関する私自身の経験

さて最後に、何てことない話なのですが、「記憶の相違」について少し触れたいと思います。作中では全然大した話としては扱われませんが、女性客が「姉と記憶が合わない」と語る場面があるのです(そのエピソード自体には触れません)。人によっては「ンなバカな」みたいに感じる話かもしれませんが、私にも同じような経験があるので、本作の内容とは直接的には関係ありませんが少し書いてみたいと思います。

エピソードとしては2つあって、どちらも「私の記憶」と「両親の記憶」が食い違っているという話です。今でも私は「不思議だな」と思っています

1つは「足を骨折した話」です。私は頻繁に骨折する子どもで、私の記憶では足の骨も何度か折ったことがあり、学校に松葉杖をついて登校したことがあります。ただ両親は、「そんなことは無い」と言っていました。「そんなこと」というのはつまり、「私が松葉杖をついて学校に通っていたこと」を指します。父親が言うには、「お前が足を骨折していたら、学校まで車で送り迎えしなきゃならないけど、そんなことをした記憶はない」というのです。この記憶の食い違いが判明した時は本当に驚きました

いか

母親は車の運転が出来ないから関係ないしね

犀川後藤

「車で送り迎えしてもらったか」についての記憶はないんだけど、「松葉杖をついて学校に行った」って記憶はちゃんとあるんだよなぁ

さてもう1つは「歯の矯正」についてです。小学6年生ぐらいだったと思いますが、「『歯の矯正をするかもしれない』という話になり、その事前準備を兼ねて、歯医者でレントゲン写真を撮った」という記憶が私にはあります。私は今でも歯はかなり丈夫で、子どもの頃からほとんど歯医者に行ったことがありません。なので「そんな自分が珍しく歯医者に行った」というエピソードとして記憶しているのですが、こちらについても両親は「そんな記憶は無い」と言っていました

ただ私は「アファンタジア」という、「頭の中に映像を思い浮かべることが出来ないタイプの人間」で、だから基本的に「映像的な記憶」は一切ありません。骨折にしても歯の矯正にしても、脳内で映像を思い浮かべながら「そんなことがあったはず」みたいに考えているのではなく、「エピソード記憶」的なものが脳内に残っている、という感じでしょうか。いずれにしても、「映像で物事を記憶できる人」よりは記憶力が貧弱だと思うので、恐らく私が間違っているんだと思います。

犀川後藤

ただなぁ、歯の矯正はともかく、「松葉杖で学校に行ったことがある」は間違ってる気がしないんだよなぁ

いか

小中学校時代の同級生に会う機会があれば確かめられるかもだけど、もう連絡取ってないしね

さて一方で、以前本で読んだこんな実験のことも思い出しました。9.11のテロが起こった直後に、心理学者が多くのアメリカ人(アメリカに住む人)に「9.11の日に何をしていましたか?」と質問し、そして10年後にまったく同じ質問を同じ人にする、という実験の話です。どんな結果になったでしょうか? 驚くべきことに、「多くの人が10年前とは全然違う答え方をした」のだそうです。「9.11が起こった日」という、一生の中でも相当記憶に残っているだろう1日の記憶でさえ10年後には正確に思い出せないのだから、誰もが「自分の記憶は間違っている可能性がある」と理解しておくべきなのかもしれないとも思ったりします。

まあそんな話はどうでもいいのですが、女性客のエピソードから「記憶」にまつわる自分の話を思い出したので少し触れてみました

いか

「人類のフロンティアは宇宙・深海・脳にしかない」って大分前に聞いたことあるけど、ホントそうかもね

犀川後藤

「アファンタジア」のことも含めだけど、「記憶の不思議」は色々解明してほしいなって思う

最後に

「ワンシチュエーションで会話だけ」というかなりの制約の中で、これだけ魅力的な物語を描き出せるのは見事だなと感じたし、ある意味では「挑発的」と言ってもいいかもしれないとさえ感じます。とても印象的な作品でした。あと、普段あまりこういうことは書かないようにしているんですが、ただ本作においては、女性客を演じたダコタ・ジョンソンのビジュアルがとにかく強かったなと思います。作中では年齢不詳の役だったけど、ダコタ・ジョンソンはこの記事を書いている時点で35歳だそうです。全然、もっと若く見えるな。

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