【妄執】チェス史上における天才ボビー・フィッシャーを描く映画。冷戦下の米ソ対立が盤上でも:映画『完全なるチェックメイト』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:トビー・マグワイア, 出演:ピーター・サースガード, 出演:リーヴ・シュレイバー, 出演:マイケル・スタールバーグ, 出演:リリー・レーブ, 出演:ロビン・ワイガート, Writer:スティーヴン・ナイト, 監督:エドワード・ズウィック
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • チェス史上最高の天才は、妄執に囚われ狂気の言動を繰り返した
  • 初手から誰も見たことのない手を指した、未だに「伝説」と評される第6局
  • 冷戦下だったからこそ実現したのかもしれない、「絶対王者」であるソ連のスパスキーとの対局

圧倒的すぎる才能と時代背景に翻弄された天才の、狂気に満ちた人生には驚かされる

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『完全なるチェックメイト』が描く天才チェスプレーヤーであるボビー・フィッシャーの生涯は、妄執と狂気に満ちていた

ボビー・フィッシャーとは何者か?

チェス史上における天才と言われるもの凄い男がいた。アメリカ人のボビー・フィッシャーだ。そして映画『完全なるチェックメイト』はボビー・フィッシャーの生涯を描く作品である。日本で言えば羽生善治か藤井聡太を主人公に据える映画という感じだろうが、現時点ではそのような映画は作られていないはずだ。ボビー・フィッシャーは、チェスプレーヤーとしてその生涯が映画になるほど、驚異的な存在だと言っていいのだろうと思う。

彼はチェスがもの凄く強かった。映画では、今でも「伝説」として語り継がれている対局も描かれる。彼は、「ブルックリンのダ・ヴィンチ」「500年に一度の天才」などと評される、チェス史上においても比類なき存在と言っていい。

しかし、ただチェスが強いから注目されたのではない。彼の言動からは、狂気が滲み出るのである。飛行機に乗れば爆破されると思い込む。毒殺されないように機内食は目の前で作れと命じる。部屋中の物を壊して盗聴器を探し、カメラのシャッター音がうるさいから卓球場で対局させろと言うなど、その常軌を逸した言動でも知られる人物だったのだ。

ボビーの姉は、そんな弟のことを心配していた。

毎週弟から手紙が届くの。内容が異常なの。

しかし、精神科医に診てもらいたいという彼女の希望を、ボビーのエージェントである弁護士が説得する。彼は、「狂気が生む美しい世界を見る」ために、ボビーを医者に見せてはいけないというのだ。別の場面でも、「ボビーに薬を飲ませたら、偉大な才能が破壊されてしまう」と拒否する人物が登場する。もちろん、そもそもボビー本人が医者や薬を嫌がっているわけだが、周囲の人間もまた、その狂気こそが天才の源泉なのだと考え、彼に治療を受けさせないのだ。

なかなか凄い世界だろう。

チェスは、4手進めば4000億の選択肢を考えなければならない。だから精神状態は、限界を越える。

チェスがボビーを狂気に追いやったのか、あるいは狂気がボビーを天才へと押し上げたのか、それは分からない。いずれにせよボビーは、子どもの頃から「勝つこと」しか考えていなかったようだ。

ドローは大嫌いなの。

ボビーが「勝ち」に執着する理由には、

チェスは真実を探求するゲームだ。だから私は、真実を追い求めている。

という側面もある。この場面では、羽生善治の話を思い出した。羽生善治はある時から、勝敗に関心を持たなくなったという。そして、「対戦相手と共同で、いかにして『誰もたどり着いたことのない新たな地平』へと進んでいけるか」に重きを置くようになった、という話だ。ボビーが言う「真実」もまた、近い意味があるだろうと思う。自分がどこまでたどり着けるのかという関心が、彼を突き動かしていた面はあるはずだ

しかし、彼が「勝ち」にこだわった大半の理由は別にある。彼は「最大の喜びを感じる瞬間」を尋ねられて、以下のように返す。

相手のエゴを粉砕することだ。

負けを悟って心が崩壊する瞬間だ。

対戦相手の心を壊すことに、嗜虐的な快感を覚えていたということだろう。このような発言を口にしてしまう点もまた、ボビーという人間の「狂気」を象徴すると言っていいと思う。

そんな人間の、常軌を逸しまくった人生が描かれていく。

ソ連の絶対王者・スパスキーとの「伝説の対局」

当時チェスの世界には、「絶対王者」と呼ばれる人物がいたソ連のスパスキーである。そして、「ブルックリンで生まれた貧しい若者」と「絶対王者」との24局の対戦がマッチメイクされることとなった。この対局には当時の時代背景が大きく影響しているのだが、その話は後で触れることにしよう。

そしてスパスキーとの勝負の中で、今でも語り継がれる伝説の対局が生まれたのである。

第6局は、今でも史上最高の対局と言われている。

それは、観ている者を困惑させるものだったそうだ。

グランドマスターたちも困惑している。誰も彼の意図を読めない。

ボビーは、初手から誰も見たことのない手を指した。グランドマスターたちの「困惑」は、1手目から世界中の誰も経験したことのないチェスが始まったことによるものなのだ。スパスキーはこの24局のために、入念な準備を行っていた。しかしボビーは、そんな準備をまったく無意味にするような手から始める。局面がどう展開されていくのか、誰にも分からない。しかしボビーだけは、確信を持って指した。そして、スパスキーはある時点で負けを悟る。

第6局はボビーの勝利に終わった。この対局が、今でも「伝説」として残っている

負けを悟ったスパスキーは、ボビーに拍手を贈ったそうだ。スパスキーは普段、対戦相手に拍手することなどない。それほどボビーのチェスに感銘を受けた証だ。

当然、会場中もボビーに惜しみない拍手を贈る。しかしそんな中、ボビーだけが困惑したような表情を浮かべていたという。

これは私の予想にすぎないが、ボビーは、「お前の心は粉砕されなかったのか?」「負けて悔しくないのか?」とスパスキーに対して感じていたのではないかと思う。「勝ち」に執着したボビーは、何よりも、相手の心がぶっ壊れることにこだわっていた。「史上最高」と称された対局も、スパスキーの心を粉砕するための挑戦だったはずだ。

しかし、スパスキーは自分に向けて拍手をしている。

恐らくだが、「絶対王者」と呼ばれていたスパスキーがまったく太刀打ちできなかった、「負けて悔しい」という感情さえ吹き飛んでしまうような対局だったのだと思う。その気持ちが、普段することのない拍手に現れているのだろう。スパスキー的には「最上」の賛辞だっただろうが、ボビー的には思っていた展開と違い、拍子抜けしたのではないだろうか

拍手喝采の中で困惑するボビーの顔は、とても印象深い

ボビー・フィッシャーが「英雄」として絶大な人気を得ることになった時代背景

以前から国内で天才チェスプレーヤーとして知られる存在だったボビーだが、スパスキーとの対局で初めて1勝を上げると、「アメリカの英雄」のような扱いを受けることになる。

先月まで無名だったブルックリンの若者は、今や世界中で有名人になった。

言ってしまえば「一介のチェスプレーヤー」に過ぎないボビーが「世界中で有名人」と言われるほどの存在になったのはには、「冷戦」という時代背景がある。当時チェスの世界でソ連は圧倒的な力を誇っており、その中でもスパスキーが「絶対王者」として君臨していたのである。

つまり、ソ連の絶対王者・スパスキーを、ブルックリン生まれのアメリカ人・ボビーが打ち負かすことには、非常に大きな意味があったのだ。

当時は、恐らくチェスに限らないだろうが、西側諸国と東側諸国の「友好の架け橋」としてスポーツが利用されていただろう。チェスの世界選手権も、表向きはそう喧伝されていた。しかし冷戦下においては、チェスの強豪国としてその名が知られるソ連がアメリカに負けるわけにはいかない。チェスはただのゲームやスポーツではなく、「国家の威信」がかかったものとして受け取られていたのである

初めてチェスの世界選手権に出場したボビーは、ソ連に対して抗議した。将棋とは違い、チェスには「引き分け(ドロー)」が存在する。国の威信が懸かったソ連の選手は、アメリカに負けるわけにはいかないと”積極的に”ドローを狙いにきた。そんな対局はフェアとは言えないから棄権する。ボビーはそんな風にして対局を下りるのだ。

このエピソードは、冷戦下のソ連が恐ろしくチェスに力を入れていたこと、そして、ボビーは納得できなければ世界選手権でさえあっさり棄権してしまうことを如実に示しているだろう。

そしてそんな時代を背景に、スパスキーとボビーの対局がセッティングされたのである。時代背景がもう少し違っていたら、スパスキーとの対局は実現しなかったかもしれないとも思う。

スパスキーVSボビーの対局を実現させた立役者

普通に考えれば、スパスキーとボビーの対局は実現するはずがない。ソ連側にメリットがあるとは思えないからだ。スパスキーがボビーに勝ったところで、既に「絶対王者」として君臨しているスパスキーに大きなプラスがあるとは思えない。しかし負ければ、「チェス強豪国のソ連がアメリカに負けた」と喧伝されてしまう。

さらに、ボビーの言動が不可解だったこともハードルになる。先述したように、様々な「妄執」に囚われていたボビーは、「ソ連が自分の命を狙っている」と本気で信じていたそうだ。ソ連側の策略によって不利な状況に置かれているのだと考えており、ボビーは、満足行く条件が満たされなければ対局を拒否してしまう

時代背景とボビーの性格の両方を併せ呑み、スパスキーとボビーの対局実現のために奔走したのが、ボビーのエージェントを務めた弁護士のポールと、かつてチェスの強豪として知られた神父のロンバーディの2人である。特にポールの尽力がなければ、奇跡の対局は実現しなかっただろう

ポールはボビーのエージェントを無償で引き受けた。そこには様々な動機があっただろうが、彼自身も名声を追い求めていたことも大きいだろう。既に触れた通り、ボビーの勝利は単に「チェスの対局に勝った」というだけに留まらない。ボビーの勝利は「アメリカの勝利」であり、ポールは「アメリカを勝たせた男」という称号を得たかったのではないかと思う。

ポールは、世紀の対局の実現のために、時の大統領さえも動かした。ニクソン大統領が、スパスキーとの対局を拒否しようとしているボビーと話すために3度も電話をしたのである。やはりボビーの活躍には、「アメリカの威信」が大きく絡んでいたのだ。

だからこんなことも考えてしまう。もしボビーが冷戦下に生まれていなかったとしたら、歴史は何か変わったのだろうか、と。ボビーは、現在まで語り継がれるような人物としては記憶されなかったかもしれない。

スパスキーとの対局を終えたボビーは、数百万ドルのオファーを拒否し、タイトルさえも放棄して失踪した。放浪罪で逮捕されたり、アイスランドへの亡命を果たすなど激動の人生を歩みながらその生涯を閉じたという。

ボビーにとってチェスと出会ったことは、そして冷戦下を生きたことは、「幸せ」だったと言えるだろうか

出演:トビー・マグワイア, 出演:ピーター・サースガード, 出演:リーヴ・シュレイバー, 出演:マイケル・スタールバーグ, 出演:リリー・レーブ, 出演:ロビン・ワイガート, Writer:スティーヴン・ナイト, 監督:エドワード・ズウィック
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最後に

私は時々、天才であることの苦悩をすべて引き受けてもいいから、天才が見ている世界を体感してみたいと考えてしまうことがある。彼らがどんな世界を見て、どんな世界に生きているのか、僅かでもいいから感じてみたい。

恐らく、「ボビー・フィッシャーとして生きること」は、全体的にはとても辛いだろう。しかし、彼にしかたどり着けない世界が間違いなく存在する。そのことが、私はとても羨ましく感じられてしまうのだ。

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