【評価】都知事選出馬、安芸高田市長時代の「恥を知れ」などで知られる石丸伸二を描く映画『掟』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 私は石丸伸二には興味がないし、むしろ「嫌いなタイプの人だな」と思っていて、その状態で本作を観た
  • 石丸伸二が東京都知事選への出馬を発表した3ヶ月後には劇場公開していた、超絶異例のスピードで制作された作品
  • 「財政破綻が目前に迫っている」にも拘らず「自分たちのメンツ」のために重要案件にも反対し続けた「ヤバい議員たち」のイカれっぷりに驚かされた

隅々にまで「絶望」が行き渡った「地方政治の現状」がこれでもかとリアルに描かれる快作である

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

石丸伸二ってどんな人? フィクション映画『掟』は、東京都知事選への出馬で話題となった彼の安芸高田市長時代の奮闘を描く

本作『掟』は、石丸伸二を描く作品である。安芸高田市長時代に居眠りしていた市議を念頭に「恥を知れ! 恥を」と口にしたり東京都知事選に出馬し大旋風を巻き起こしたりした人物だ。しかし本作の主人公は「高村誠也」という名前になっている。つまり、「石丸伸二がモデルであることは確かだが、基本的にはフィクションである」というスタンスなのだろう。実際、本作は「密室での展開」が多く、後でも触れるが、「本作で描かれているのが『事実』だとして、その『事実』をどのようにして入手したのか?」なんて感じたりもする。

というわけで、本記事ではあくまでも「高村誠也=石丸伸二」として文章を書いていくつもりだが、映画『掟』としては「高村誠也と石丸伸二は別人である」というスタンスだと理解しておく必要があるだろう。この点には注意してほしい。

「石丸伸二を語る」上での大前提

さて、私は普段から「今の自分が関心を抱いていないヒト・モノ」に関する情報にも触れるように意識している。というわけで、映画『掟』を観たものの、私は「石丸伸二」に対して特に興味があるというわけではない。というかむしろ「この人、嫌いだなぁ」という対象ですらあるし、「絶対に仲良くなれない人だなぁ」と今でも思う。とはいえ、東京都知事選の時に大旋風を巻き起こし、広く支持されたこともまた事実である。だから「どうして彼は支持されるのだろうか?」という興味はあり、その参考になるかもしれないと思い観てみることにしたのだ。

ちなみにだが、私はSNSをほとんどまともに見ていないので、「私が知っている石丸伸二」は「時々テレビで映し出される姿」だけである。街頭演説(の一部)だったり、ニュース番組でのインタビューぐらいにしか触れていないというわけだ。

さてこう聞くと、「テレビでの姿だけ見たって、石丸伸二のことは分からないよ」みたいに感じる人もいるだろうと思う。そして確かにそれはその通りである。しかし一方で、「じゃあ、SNSで石丸伸二(やその周辺の人)が発信している情報を見れば彼についてよく分かるのか」というと、それも怪しいんじゃないかと思う。結局その違いは、「誰が情報を切り取っているか」でしかないからだ。

テレビの場合はもちろん、「テレビ局」が情報を切り取って流している。一方で、SNSで自ら情報発信する場合は、「石丸伸二本人」が情報を切り取っていると考えていいだろう。どんなメディアを使ったところで、「その人の全情報」を伝えることなど不可能であり、だからどんな場合でも「情報は切り取られた形で届く」ことになる。そしてだとすれば、「本人以外の誰かが切り取った情報」の方が、ある意味では「その人らしさ」が浮き彫りになっていると捉えることも可能だろう。

そんなわけで私は、この記事を「SNSでの発信情報を知らない」まま書くが、それでも、「『私が認識している石丸伸二』には一面の真実がある」と考えているし、そういう前提で文章を読んでほしいと思う。このようなことをウダウダ書いているのは、「何となく石丸伸二の支持者から批判されそう」みたいに考えているからだ。もちろん批判は全然真摯に受け止めるが、ただ、あらかじめこのように書いておくことで、「少なくとも私には『SNSを見ていないお前が何を言っても意味がない』みたいな類の批判は無意味だ」と理解してもらえるるのではないかと思っている。これが、この記事の大前提というわけだ。

石丸伸二のことがあまり好きになれない理由

前述した通り、これから私は石丸伸二について「テレビを通じた印象」をベースに語っていく。そして、私が抱いた最も強い印象は「他人の話を聞こうとしない人」である。いや、これは正確な表現ではない。より具体的には、「『基準から外れた人』の話を聞こうとしない人」という感じだろうか。

あくまでも私の捉え方に過ぎないが、石丸伸二の中には「他者を評価する基準」が明確に存在し、「その基準から外れた人」とは「そもそも関わる価値がない」と考えているように見えた。その「基準」が何なのかはっきりと掴めているわけではないが、メチャクチャざっくり言えば「理屈が通じるか」みたいな感じではないかと思う。「自分の問いかけに適切な返答をしているか」「主張をする際に論理的な飛躍がないか」「ごく僅かな可能性を一般化して批判していないか」など、「論理的に対話出来る人物かどうか」みたいな基準で選別を行っているような気がする。

これが「石丸伸二の本質」なのか、あるいは「メディアでの見せ方戦略」なのかは私には何とも判断出来ない。しかし仮に後者だとしても、「じゃあどうしてそんな見せ方をするのか?」という点は疑問なので、大した違いはないだろう。そして私はこの「『基準から外れた人』の話を聞こうとしない」というスタンスがどうしても好きになれなかったのだ。

石丸伸二の「基準」をクリアした人は恐らく、「メチャクチャ話を聞いてくれる人」みたいな印象を抱くのだろう。しかし「基準」に満たない人は「自分の話は全然聞いてもらえない」みたいな感覚になるはずだ。そして石丸伸二のそのような振る舞いは、「そもそも自分は『基準』をクリアしてるだろうか?(話を聞いてもらえるだろうか?)」という不安を与えることになる。別に一般人ならそういうスタンスでも全然良いと思うが、やはり「政治家」である以上そのような振る舞いが望ましいとは言えないだろう。

この話に関連して、以前観た映画『なぜ君は総理大臣にならないのか』『香川1区』で焦点が当てられていた政治家・小川淳也のエピソード話が思い出される。彼は、「仮に選挙で、自分が51:49で勝った場合には、負けた側である49の意見も背負わなければならないと思っている」みたいに語っていたのだ。これはまさに、民主主義国家の大前提だろう。政治家は、「自分を支持してくれた51」のために働くのではなく、「自分を選ばなかった49を含めた100」のために頑張らなければならないというわけだ。これはある種の「理想」だろうし実現は難しいかもしれないが、しかし、政治家には「理想を追い求める姿」を見せてほしいものだとも思う。

そして私は、石丸伸二に対してそういう印象を抱くことが出来なかった。もちろん、多くの政治家が「自分を支持してくれた51」のために働く意識を持っているだろうとは思う。しかし同時に、多くの政治家はそのような内心が見えないように振る舞っているんじゃないだろうか。一方で石丸伸二は、「『基準をクリアした人』の代表である」というスタンスをかなり意識的に示しているように感じられた。まあ、「内心で思っているよりは表に出した方が潔い」という見方ももちろん可能だが、私にはやはり、石丸伸二のスタンスや見せ方は政治家として正しくないように思えてしまうのだ。

東京都知事選の際に石丸伸二に関して色んな言説が飛び交ったと思うが、とても印象的に感じられたのが、ラッパーの呂布カルマがXで発した「馬鹿のためには働けないんじゃないかな」という言葉である。私の感触では、これはまさに「石丸伸二」という人間を最も的確に表現した言葉ではないかと思う。確かにその通り石丸伸二は、馬鹿のためには何もしなそうに思える。しかしやはり、それでは政治は務まらないだろう。

https://x.com/Yakamashiwa/status/1810310066261856601

そんなわけで私は、「石丸伸二はどうにも好きになれないなぁ」と思っていた。少なくとも、「興味を持って話したいと感じるタイプ」ではまったくない。というか、「出来れば自分から遠くにいててほしい」とさえ思う。そしてそのような状態で本作『掟』を観たというわけだ。

異例の超特急で作られたという経緯と、本作『掟』を鑑賞する上での前提

さて、内容に触れる前にもう少し書いておきたいことがある。まずは、本作を鑑賞した時点では知らなかった事実について。公式HPに書かれていたのだが、本作は「現実と並走するようにして超特急で作られた」そうなのだ。

本作の物語は元々、とある劇団の舞台劇として発表されたものだという。その公演が行われのが2024年の2月。そして、その脚本を本作『掟』のプロデューサーが3月に目にしたところから企画がスタートしたのだそうだ。その後5月17日になんと、当時まだ広島県安芸高田市長だった石丸伸二が東京都知事選への立候補を表明したのである。つまり本作は、出馬表明以前から制作が決まっていたというわけだ(まあ、公開スケジュールを考えればそれ自体は当然の話だが)。そして、「都知事選の盛り上がりの流れのまま劇場公開したい」ということで「最も早く公開できる劇場」を探すことになり、それで公開日が8月30日に決定した。それから超特急で撮影・編集を行い、企画の立ち上げから半年での劇場公開という異例のスピードが実現したのである。

しかし、企画を立ち上げた時点で石丸伸二の都知事選出馬が決まっていたならまだしも、そうではなかったのだし、さらに、その後の「石丸旋風」とも呼ばれた盛り上がりだって予測出来たはずがないので、だからよくもまあこんな無謀なスケジュールで制作・公開にこぎつけたものだなと思う。シンプルに「賭けに勝った」という感じだろうか。書籍の場合は、現実の流れに呼応する形での緊急出版みたいなことは度々あるが、書籍と比べれば映画製作は格段にハードルが高いはずで、それを実現させた気合いみたいなものはちょっと凄まじいものがあるなと感じさせられた。

さて、もう1つ書いておきたいのは、冒頭で少し触れたことでもあるが、「どの程度事実なのか?」という点だ。

フィクション映画の中には、「ノンフィクション書籍を原作にした作品」もある。そしてそのような場合には、「ノンフィクション出版の時点でかなりの裏付けが取れているだろうし、映画もかなり事実に沿った形で作られているはずだ」みたいに考えられもするだろう。しかし本作は、元々演劇であり、原作となるような書籍があるわけでもない。公式HPでも「フィクションだ」と謳っているし、「実話を基にしている」みたいな表記もなかったわけで、制作側としては「フィクションとしてお楽しみ下さい」というスタンスなのだと思う。

ただ前述した通り、私は本作を「『なぜ石丸伸二は人気があるのか?』を知りたい」という動機でも観に行った。なので、「描かれている内容のどれが事実で、どれがフィクションなのか」が判断出来てほしいし、それが無理だと、「石丸伸二」に対する印象を更新させられないことにもなる。で、結局のところ、何が事実なのかは分からなかったので、私の中で「石丸伸二」の捉え方は変わらなかった。それが本作を観た結論だ。

そんなわけで、「ここから書く話はすべて『高村誠也』の話であり、『石丸伸二』について言及しているのではない」という理解で読んでいただけるといいかと思う

映画『掟』の内容紹介

本作の冒頭はフィクションではなく、石丸伸二の実際の映像から始まる。5月17日の「東京都知事選への出馬」を表明した記者会見の映像だ。そしてそれが終わるとフィクションパートがスタートする。時代は少し遡り、地名も主人公の名前も違う物語が始まるのだ。

北東雲市では、国会議員の汚職の煽りを受ける形で市長ほか数名が辞任に追い込まれ、それにより市長選が行われることが決まった。現職の副市長が立候補を表明し、他に候補者がいなければ無選挙で当選が確定する。しかし、出馬の締め切り当日、市役所に必要書類を持ってやってきた人物がいた高村誠也である。彼は元銀行員で、今回の市長選への出馬を決意した理由について、「無選挙で市長が選ばれるのは良くない。なので『選挙を行うため』に出馬を決めた」とその心境を明かしている。

高村誠也は見事当選を果たした。しかし、その後の議会運営は容易には進まない。その明確なきっかけになったと言えるのが、定例会で居眠りしている議員を発見したことだった。この件について議会側と話し合いの場を設けたのだが、暖簾に腕押しでまともな返答が返ってこない。というか、そもそも議論にすらならないので、高村はSNSで居眠り議員を告発するような発信を行うことにした。そしてこれをきっかけにマスコミでも大きく取り上げられ、結果、市長と議会の対立構造が決定的なものになったのである。

さて、地方政治にはよくあることなのだと思うが、北東雲市の議員には「派閥」が存在した。派閥といっても1つだけ(のはず)で、「せいせい会」(漢字表記は結局分からなかった)と呼ばれている議員の過半数がこの「せいせい会」に所属しており、議長や古参議員も含まれていた。そのため北東雲市議会ではこれまでずっと、「市長が『せいせい会』にあらかじめ根回しして物事を決める」という通例が存在していたのだ。しかし高村は、そんな「根回し」を無意味なものとして批判し、自分はそのやり方を拒否すると突っぱねたのである。

当然のことながら、市長のこのスタンスによって議会との対立は一層深まった。議員の過半数が所属する「せいせい会」は「市長憎し」という感情的な判断だけで、ありとあらゆる法案に反対する市長は北東雲市の改革のための道筋をつけようと様々なアイデアを出し実行に移そうとするのだが、その度に「せいせい会」が邪魔をし潰されてしまうのだ。

元銀行員である高村は、市の財政状況と今後の人口動態を踏まえた上で、「北東雲市の財政が遠くない未来に破綻する」ことを見通していた。だからこそ、そうならないために今「痛みを伴う改革」を推し進めるべきだと考えているのだが、「市」や「市民」よりも「自分たちのメンツ」のことばかり重視する「せいせい会」は、大した理屈も用意しないままただ反対を続けるのだ。市政は完全な膠着状態に陥っていた。しかし、そんな状況でも高村は、「民自党が作り上げてきた不合理なやり方には一切与しない」という姿勢を崩さないのである。

こうして北東雲市議会では、マスコミを巻き込んだ場外乱闘などがありつつも、結局何も進展しないままただ時間だけが過ぎていき……。

私は高村誠也のスタンスにかなり共感できた

さて、本作『掟』を観ながら私は「高村誠也のスタンスには共感できるな」と感じた。もちろん、本作は基本的に高村誠也側から描かれる物語であり、高村誠也に共感できるように作られていると言っていいと思う。議会や「せいせい会」側の主張がどの程度反映されているのか分からないし、彼らにも、本作に描かれていないことで言いたいことは色々あるかもしれないのでフェアな判断と言えない部分もあるだろう。ただ、本作で描かれている情報だけから判断するに、「高村誠也は割と真っ当なことをしている」と感じられた

「せいせい会」が「市長の提案だからだ」というだけの理由で拒否し続けた案件の中には、かなり重要なものも含まれる。「何段階かの選考を経て決まった2人目の副市長候補の承認」や「超大手企業の誘致」など、普通に考えて北東雲市に大きな利益をもたらすだろう案件についても、「市長の提案だから」というスタンスでNOを突きつけ続けるのだ。ちょっと私には、あまりにも理解できない世界に感じられた。

恐らくだが、「せいせい会」は別に「根回し」というほどの振る舞いを求めているわけではなくて、たぶん市長が「議会でこういう話をするので賛成して下さい」みたいなことをちょっと言っておけばそれで十分ぐらいの感じなのだと思う。だから人によっては、「そんなことぐらい、やったらいいじゃん」と感じるだろう。「損して得取れ」みたいな言い方もあるが、まさにそのような状況であり、「最小のコストで最大のプラスが得られるなら、不合理なことだとしてもやりなよ」みたいに思う人も一定数いるとは思う。

ただ、私がもし高村誠也と同じ立場にいたら、きっと彼と同じような振る舞いをしただろう。とてもじゃないが、私にも許容できない「メンツ」なんていうクソどうでもいいことのために、市や市民にとって重大な案件さえもあっさり拒否出来てしまうような人間と関わりたいとは思えないからだ。

さて、この点は書いておくべきだと思うが、高村誠也は決して「せいせい会」との対話を拒絶しているわけではない。というか、むしろ望んでいると言っていいだろう。彼は「主張が批判されるのは当然」「私のことが嫌いならそれでいい」という言い方をしていた。つまり、議会側が自分を拒絶していること自体は「当たり前のこと」と捉えているのだ。そしてその上で彼は、「議論でお互いの意見をぶつけて物事を動かしていきましょう」と提案しているのである。

しかし「せいせい会」にそんな話は通じない。彼らは「市長が頭を下げるなら賛成」「頭を下げないなら反対」というアホみたいな理屈でしか物事を捉えられないのだ。「せいせい会」側に何かまともな理屈があって議案に反対しているのであれば、高村誠也はそれにきちんと向き合うだろう。しかしそうではなく、「ムカツク市長の話なんか聞いてられるか」という感情的な判断だけで物事を決しているのである。対話を拒絶しているのは明らかに「せいせい会」の方なのだが、彼らはそれを認めないし、それどころか「メンツ」のことばかり気にして市や市民の未来のことを蔑ろにしてさえいるのだ。この関係には本当に驚かされてしまった。

そんなわけで本作『掟』では、このような「『腐った地方政治』と『そんな現状を改革しようとする首長』の全面戦争」が描かれているというわけだ。そしてだからこそ、本作は「地方に住む人」こそ観るべき映画だと思う。「地方」というのは、「財政が厳しく、かつ、人口の減少が想定されている自治体」ぐらいに捉えてほしい。そしてそういう地域に住んでいる人にとって、本作で描かれていることはまったく他人事だとは言えないと思う。「せいせい会」みたいな旧弊な議員がたくさんいたら、変わるものも変わらないからだ。

というか、状況はそれ以上に悪いかもしれない。本作ではある場面で、「汚職で辞任した前市長が再び市長選に出るらしい」という会話が出てくる。その場にいた東京出身の男が「でも、当選するわけないでしょ?」と返すのだが、それに対して地元でずっと暮らしてきた人物が「たぶん通ると思いますよ。それが地方です」と答えるのだ。つまり地方政治というのは、「政策・実績・将来性などとはまったく関係ない理屈」によって動いているということなのだと思う(重視されるのは、やはり「金」なのだろう)。

そして本作で描かれるのは、「そんな『腐った地方政治』に新しい風を吹き込もうとする首長」である。もちろん、高村誠也が提案したアイデアが実現したとして、本当に北東雲市が立ち直るのか、それは分からない。しかし、はっきりと「現状維持よりは遥かにマシ」とは言えると思う。作中では、マスコミ向けの説明会の場で、高村誠也がグラフなどを示しながら「北東雲市の向こう10年の予測」を提示していたのだが、それは相当に悲観的な内容だった。「現状維持」ははっきりと「地方自治体の死」を意味するというわけだ。そういう追い詰められた状況にも拘らず、市民が「お金をくれるから◯◯さんに投票しよう」なんて考えていたら、そりゃあ破綻まっしぐらだろう。

だから「地方に住む人」は本作を「自分ごと」として捉えなければならないと私は思う。「私の暮らしはきっと政治家がどうにかしてくれる」なんて思考停止で生きていたら、あっという間に最悪な状況に陥ってしまうだろう。実際に、かつて北海道の夕張市が破綻した。破綻してどうなったのか私はよく知らないが、そのニュースに触れた当時「地方自治体が破綻するなんてことが本当に起こるんだ」と驚いたような記憶がある。そしてその現実は今、日本の様々な「地方」で顕在化しつつあるはずだ。

繰り返すが、高村誠也のやろうとしていたことが「正解」だったかは分からない。しかし、「現状維持=死」である現実においては、「現状維持から脱するために、どこかしらの方向に進む」という選択をせざるを得ないし、そういう観点からすれば、高村誠也は「正しいことをやろうとした」と言っていいだろう。そしてそんな彼の思惑は、「メンツを気にしているだけの旧弊な議員」によって潰されてしまったのだ。

本作で描かれているような「地方政治」は日本全国どこにでもあるだろう。なので本作『掟』は、「あなたの住んでいる地域もヤバいかもしれませんよ?」と危機感を煽る作品として非常に有益ではないかと私には感じられた。

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最後に

前述した通り、「どこまで事実なのか分からない」という本作の性質故に、私は「高村誠也=石丸伸二」と単純には捉えられなかったし、だからこそ、私の中の「石丸伸二」の印象も変えようがなかった。ただ、本作で描かれる「高村誠也」がもしも「石丸伸二」とほぼイコールなのだとしたら、かなり良い印象に変わるなと思う。結果的に何も実行に移せなかったわけで、「『損して得取れ』的な発想でまずは実績を積むべきだ」みたいな意見もあるとは思うが、私もどちらかと言えば高村誠也と同様に「理屈に合わない不合理は許容したくない」と考えるタイプの人間であり、そしてその信念を最初から最後まで貫き通している点は個人的には好印象だった。

「北東雲市」は本作における架空の市だが、石丸伸二は実際に「安芸高田市」の市長だったわけで、となると恐らく「超大企業の誘致」の話は実際にあったのだろうなと思う。誰がどう考えたって市にとってプラスになる話だと思うし、恐らくだが市民だって望んでいたはずだ。しかしそれを、わけ分からん会派が反対しておじゃんにしてしまったのだ。その決断を本当に後悔していないのか、その判断に関わった当時の議員に聞いてみたいものだなと思う。

「地方政治」があまねくこのような形で運営されているのであれば本当に絶望でしかないし、そりゃあ誰も選挙になんか行かないだろうなとも思う。本作で描かれているのは決して「地方」に限る話ではないものの、やはり「地方」の方が「問題としての緊急性が遥かに高い」とは言えるはずだ。そのため繰り返しになるが、本作は「石丸伸二の物語」として捉えるよりは、「地方政治の酷い現状を理解し、自分ごとして捉えるためのきっかけ」として広く観られるべき作品だと私には感じられた。

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