【人】映画『風たちの学校』は、監督・田中健太の母校・黄柳野高校の“日常”と“異常”を素敵に映す

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「風たちの学校」公式HP
いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

今どこで観れるのか?

公式HPの劇場情報をご覧下さい

この記事で伝えたいこと

作品全体から「凄く雰囲気の良い学校なんだろうなぁ」と伝わってくる感じがとても素敵でした

犀川後藤

母校で撮影を行っているからこその「近い距離感」が実現できているのも興味深いポイントです

この記事の3つの要点

  • 「不真面目」な生徒に見えていたミノキ君の印象が三者面談で一気に変わるシーンはとても印象的でした
  • 「えっ? 何が起こってるわけ?」と困惑させられたコトミさんの”奇行”
  • 初めての映画を完成させるのに、編集マンの存在がかなり大きかったそうです
犀川後藤

坂上香との上映後のトークイベントも含め、とても素敵な鑑賞体験でした

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

映画『風たちの学校』は、監督の母校でもある全寮制の黄柳野高校に密着し、その“普通じゃない”学校生活を映し出す

本作『風たちの学校』は本当に、Filmarksをやっていなかったら出会えなかった作品だと思います。まったく存在を知らなかったのですが、Filmarksでたまたまレビューが視界に入り、面白そうだなと感じたのがきっかけだからです。しかし、その時点で公開からかなり時間が経っていて、東京の映画館で観られるところはありませんでした。そこであれこれ調べて、「山形ドキュメンタリー道場」という専修大学で行われていたイベントを発見し、そこで鑑賞できたというわけです。

犀川後藤

久々に、大学の大教室に足を踏み入れたよなぁ

いか

でも、この映画のお陰で「山形ドキュメンタリー映画祭」の存在も知れたし良かったよね

本作『風たちの学校』の舞台となる高校とメインで映し出される生徒2人について

私が観た回には上映後に、監督の田中健太と、「山形ドキュメンタリー道場」の1期生として同期だったという坂上香によるトークイベントがありました。坂上香は『プリズン・サークル』というドキュメンタリー映画を撮っていて、こちらも非常に面白かったです。本作がデビュー作(のはず)となる監督は実に穏やかに話すタイプの人で、声も素敵でした。で、そのトークイベントで初めて知ったのですが、本作の舞台である黄柳野高校は監督の母校なのだそうです。本作では、生徒や教師とかなり近い距離で撮影が行われていた印象が強いのですが、母校だと知って納得しました。

というわけでまずは、黄柳野高校の紹介をざっくりしておきましょう。

黄柳野高校は愛知県の山奥にあり、不登校など何らかの問題を抱える生徒が多く集まる全寮制の学校です。監督も、中学時代に不登校を経験しているとのこと。本作では冒頭で、校長らしき人物が保護者だろう人たちに学校についての説明をしている場面が映し出されるのですが(作中では詳しい説明がなされないので、ある程度推測も含みます)、その中で、「不登校の子たちには、やはり『人間関係がベースにある教育が必要だ』という想いから全寮制にしています」みたいなことを話していました。

いか

今では「不登校の生徒の受け入れ」の実績もあるから成り立つだろうけど、最初からそうだったのかは気になるよね

犀川後藤

もしかしたら、「結果として不登校の生徒が集まるようになった」みたいなことだったりするかもだけど

さて、そんな黄柳野高校を舞台にした本作において、メインで映し出される生徒が2人います。1人は「ミノキ君」で、もう1人が「コトミさん」です。トークイベントで語られた話によると、実際は他にももう3人ぐらいメインの対象として撮っていたけれども、撮影中の状況や密着中の変化など色んな理由からこの2人に絞られたとのことでした。

ちなみに、これもトークイベントで語られていたことですが、本作の撮影は2013年から4~5年間掛けて行われたそうです。そして先述した「山形ドキュメンタリー道場」の第1回が開かれたのが2018年道場に参加した時点で「映像素材はほぼ撮り終えていた」とのことでしたが、そこから編集やらなんやらを経て、結局公開が2025年になったとのこと。ドキュメンタリーに限らず、映画制作には時間が掛かるのだろうと思ってはいますが、それにしても、撮影を始めてから公開まで12年も掛かっているわけで、やはり忍耐力が必要とされるなと感じました。

犀川後藤

「私には無理だなぁ」って思っちゃった

いか

間違いなく、自分が真っ先に飽きちゃうよね

「不真面目」にしか見えていなかったミノキ君の印象は、三者面談で激変する

さて、本作『風たちの学校』の中で個人的に最も印象的だったのが、「ミノキ君の三者面談」のシーンです。そう、「三者面談」のシーンがあるということは当然、生徒の親にも焦点が当たります子どもに密着するのも大変だと思いますが、その親というのも一筋縄ではいかなそうな気がするでしょう。しかしトークイベントで監督は、「自分が卒業生だったこともあるとは思うけど、撮影の交渉には特に苦労しなかった」みたいに話していました。三者面談の時などは、かなりリアルに「親子関係」が映し出されるので、「よくこんなもの撮らせてくれたなぁ」と思います。

それで、ミノキ君の三者面談は2度取り上げられるのですが、私が言及したいのは最初の方です。まずは担任の教師(確か卒業式で「マキノ先生」と呼ばれていた気がします)が親に通知表を渡すのですが、その前にマキノ先生の隣にいた男性(学年主任とかそんな感じかな?)が通知表を目にして、「おいミノキ、これヤバいぞ」みたいなことを言っていました。親の前でも教師の振る舞いはたぶんいつもと変わらない感じなんだろうし、このシーンだけでも、教師・生徒・親の関係性がとても良好であることが伝わるんじゃないかと思います。

犀川後藤

マジでどうでもいい話だけど、私は学生時代のことなんか何も覚えてないから、三者面談をした記憶もない

いか

絶対にやってるはずだけど、小中高と、1つも覚えてないよね

さて、通知表の評価は実際にとても悪く、というか空欄が多かったです。これは「出席もテストも評価できない」、つまり「授業に出ていない」ことを示しています。学年主任だろう教師は、「お前、学校にいるのに授業出てないのか」と声を掛けていました。もちろん咎めるようなニュアンスで言っていて、まあ普通はそう感じるでしょう。ただここでマキノ先生が「色々言いたいことはあると思いますけど、ちょっと後に溜めといて下さい」と学年主任を窘めるのです。ですが、この時点ではまだ、観客的な状況は理解できません

ミノキ君は、この三者面談のシーンに至るまでに、「かなりヤンチャな子」みたいに描かれていました。三者面談の直前のシーンでも、「『授業はサボるためにある』と言って教室から出ていく」みたいな行動をしていたので、私を含め観客は皆、「ミノキ君は不真面目な生徒なんだな」と感じるんじゃないかと思います。

しかしその後、マキノ先生の説明でミノキ君の見え方が一変するのです。

いか

先入観で人を捉えるのはホント良くないよね

犀川後藤

まあ本作の場合は、そう受け取られるようにかなり誘導されてたと思うけど

マキノ先生のクラスには実は、授業妨害をする生徒がかなりいました。マキノ先生は「相当良くない状況」だと認識していたみたいです。さてその一方で、ミノキ君は当初、「クラスメートと仲良くしたい」と思いつつもなかなか上手くいかない状況が続いていました。だから、「クラスメートに認めてもらいたい」という気持ちと、あとは生来の「正義感」が相まって、彼は「メリケンサックをしている生徒」(マキノ先生はそういう表現を使っていました)をクラスから連れ出して授業妨害できないようにしていたのです。

メッチャ良い奴じゃん。

もちろん、「メリケンサックをしている生徒」を連れ出してしまえば、ミノキ君自身も授業に出られないし、通知表の評価も下がってしまいます。ただ、父親が「昔から自分のことは後回しだった」みたいなことを言っていたので、ミノキ君としてはごく自然な行動だったのでしょう。そしてクラスメートも彼の行動の意図を理解し、評価してくれているのだそうです。

いか

歳のせいか、こういう話を聞くと涙腺が弱くなるよね

犀川後藤

今こうして文章を書いてるだけでちょっとウルっときちゃうぐらいだからなぁ(笑)

マキノ先生は「授業と正義感のどちらを優先させるべきか凄く迷った」みたいなことを言っていました(親にこういうことを率直に伝えるところも、この学校の良さだなと思います)。さらに彼女は、「通知表は空欄が多いですけど、私としては満点をあげたいぐらいです」とまで口にしていたのです。メッチャいい話やん。

というわけで、こんなシーンが割と早い段階で描かれたりするので、グッと惹き込まれました

コトミさんの衝撃のシーンと、この2人に焦点を当てたことで浮かび上がる黄柳野高校の存在感

さて、もう1人の主人公であるコトミさんにも、冒頭の方でかなり印象的なシーンがあります。彼女は太鼓部で笛を担当していて、「練習しているのになかなか上達しない」という体育館での様子が映し出されるのですが、しばらくして「あー、もうだめだー」みたいな感じでうずくまってしまいました。で、それからしばらくしても全然起き上がりません。というか、まったく動く気配を見せなくなってしまったのです。私は、「悩みすぎて、疲れて寝ちゃったんだろうか?」みたいに考えていました。

いか

また書くけど、本作ではホントに説明らしい説明が全然されないから、状況の把握が難しいよね

犀川後藤

この場面なんかまさに、「今何が起こってるのこれ?」って感じだったもんなぁ

それから女子生徒がコトミさんを起こして寮へと連れて帰ろうとするのですが、身体中から力が抜けているみたいな感じで全然動きません。単に寝ているだけなら起きてもいいぐらいの扱いをされているのにです。傍目にはどう見ても異様な状況にしか思えませんでしたが、しかしコトミさんに対応している女子生徒は大して慌てる様子も見せません。だから私には「何が起こってんねん」って感じでした。

その後で監督がコトミさんにインタビューする場面に切り替わるのですが、そこでようやく状況が理解できるようになります。この時のコトミさんの一人称は確か「俺」だったはずで、その話し方も印象的でしたが、それ以上に内容が興味深く、彼女は「解離性がある」と話していました。恐らく「解離性障害」のことでしょう。彼女は「分かりやすく言うと、『身体を乗っ取られた』みたいな感じ」と説明していました。イメージは難しいですが、きっと「多重人格」みたいな状況を想像したらいいんだろうと思います。「乗っ取られた」みたいになると、時には30分とか1時間ぐらい身体がまったく反応しないし記憶もないという状態になるそうで、「あの時もそんな感じだったんですよ」みたいな話をしていました。

犀川後藤

今まで周りにそういう人がいなかった(いるという認識がなかった)から、びっくりしちゃった

いか

「障害」そのものに対する知識を持ってても、「実際にどうなるのか」は見てみないと実感できないからね

というわけで本作『風たちの学校』は、特にミノキ君とコトミさんの2人に焦点を当てながら、黄柳野高校という「傷ついた者たちが集う場所」の雰囲気を伝えようとする作品です。

本作は「学校を舞台にしたドキュメンタリー」ではあるのですが、授業のような「学校らしい場面」はあまりありません部活のシーンはありますが、「コトミさんの個人練習」みたいな場面がメインだし、学校行事としては「学園祭」と「卒業式」が描かれるぐらいです。なので本作全体に対しては、「ミノキ君・コトミさんという個人が、たまたま学校にいる状況を切り取っただけ」という印象になるんじゃないかと思います。

にも拘らず本作では、「黄柳野高校」という特殊な存在がきちんと浮かび上がるのです。この点に関しては、トークイベントの中で坂上香が、「学校を礼賛するような内容になってないのがいいよね」みたいな表現をしていたのですが、この捉え方が的確だなと感じました。「学校そのものには焦点が当たっていないのに、そこで生きる個人を切り取ることで、舞台装置そのものの存在感も浮かび上がる」みたいな雰囲気が、凄く良かったなと思います。

いか

最終的には「良い学校だなぁ」って感想になるもんね

犀川後藤

「ミノキ君やコトミさんがフツーに見える」っていうのが、黄柳野高校の特殊さなのかもしれない

作品を完成させるのに助けになった「編集マン」の存在

さて、本作『風たちの学校』が醸し出す雰囲気に関しては、監督が「編集の秦さんのお陰」だと言っていました。私は正直、「映画制作における監督と編集マンの関係性」はよく分かっていません。ただ監督は、「本作については、全体の方向性を秦さんがかなりディレクションしてくれました」みたいな話をしていました。

監督は「母校である黄柳野高校の良さを伝えたい」というはっきりした思いを持って映画製作に取り組んだわけですが、やはり初めての映画製作ということもあり、「じゃあ、どうしたらそれが上手く伝わるのか」みたいなことはずっと分からなかったそうです。だから、「撮影が終わり後は編集するだけ」という段階で「山形ドキュメンタリー道場」に参加することに決めたのでしょう。

トークイベントで監督は、坂上香に問われるがまま元々の方向性について語っていました。当初は、「2人のインタビューは結構撮ったし、だから2人の過去の話を混じえながら作品を仕上げていくのがいいんじゃないか」みたいに考えていたそうです。ただ、道場の他の参加者からのフィードバックを聞く中で考えが変わったり、あるいは編集を託した秦さんのディレクションに賛同できたりもしたので、それで最終的には今のような形に落ち着いた、みたいなことを言っていました。

犀川後藤

ホントにド素人みたいなことを言うけど、「監督」と「編集」が別で存在するってのが前から不思議だなと思ってた

いか

「編集って、監督がするもんなんじゃないの?」って感じだよね

母校を撮影対象にしたことでもちろんメリットも多かったでしょうが、同時に「近すぎるが故に見えていないもの」もたくさんあったんだろうなと思います。だからそこに第三者の視点が入り込むことで、「黄柳野高校のことを知らない人にも伝わりやすい作品に仕上がった」ということなのでしょう。

ちなみに「編集マンとの関係」で言えば、映画『ゆきゆきて、神軍』の上映後に登壇した監督の原一男の話が印象的でした(田中健太監督は、原一男の弟子なのだとか)。彼は「編集マンが自分の言うことを全然聞かず、だから思っていたのとは大分違う作品に仕上がった」みたいな話をしていたのです。原一男は当時まだ駆け出しの監督で、一方の編集マンはかなりの大御所だったとかで、そういうこともあって「監督の意見が通らなかった」と言っていました。映画制作も奥が深いなぁと思います。

メチャクチャ共感させられたコトミさんの発言と、その後の彼女の変化

さて、興味深い描写が色々とあった本作ですが、そんな中で私がメチャクチャ共感させられたのが、コトミさんの「忙しくしていないと気を紛らわせられない」という発言です。今は大分変わったのでそんな風に考えることは少なくなりましたが、特に10~20代の頃は「まったくその通り」という感じだったので「分かる~」と思いました。

犀川後藤

結局今も、10~20代の頃の延長でずっと忙しくしてるんだけど

いか

この「ルシルナ」ってサイトの更新も、相当ハードだからねぇ

コトミさんはこの点についてあまり具体的に説明していなかったので、どういう理屈でそう感じているのかは分かりません。ただ、もし私と同じだとすれば、「頭の中に勝手に浮かんでしまう『余計な思考』が、忙しくしている時には現れないし、その方がメンタルが安定する」みたいな感じでしょうか。本作では実際に「メンタルが不安定なんだろうなぁ」みたいに感じさせる状況が度々映し出されていて、「そうならずに済むように、身体も頭も忙しくしているんだろう」と思いました。私も昔はかなり同じような感じだったので、凄くよく分かります。

それで、彼女はもちろんそのデメリットも理解していました忙しくすることで「心」は安定するのですが、「身体」が悲鳴を上げてしまうのです。そのため、時々「あーもう無理!」みたいに一杯いっぱいになってしまうのだと思います。しかしそれでも、「心が安定している方が望ましい」と考えているのだろうし、そういう判断が出来ているなら問題ないでしょう。

いか

「自分のことをちゃん理解できているか」がかなり重要になってくるよね

犀川後藤

「解離性障害ゆえに、理解を深めざるを得なかった」みたいな部分もあるんだろうけど

さて、そんなコトミさんの三者面談の様子も映し出されるのですが、彼女は担任とのやり取りの中で、「このクラスで一番変わったんじゃない? 中身も見た目も」と口にしていました。黄柳野高校に来て大正解だったのだと思います。そして本作は、そんな彼女の数年間に及ぶ変化を凝縮して映し出しているわけで、そういう点でも興味深い作品だと言えるでしょう。ちなみにミノキ君については、「父親に対する複雑な感情」が様々な場面で見え隠れする点も面白かったです。

最後に

とにかく淡々と学校生活を映し出すだけの作品であり、正直なところ、これと言った盛り上がりがあるわけではありません。ただ、「良い雰囲気の中で生活できてるんだろうなぁ」と実感できる映像だったし、全体としてはとても良い印象でした。観れて良かったなと思います。

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