目次
はじめに
この記事で取り上げる映画
出演:アナマリア・ヴァルトロメイ, 出演:ケイシー・モッテ・クライン, 出演:ルアナ・バイラミ, 出演:ルイーズ・オリ―・ディケロ, 出演:サンドリーヌ・ボネール, 出演:アナ・ムグラリス, 出演:ファブリツィオ・ロンジョーネ, Writer:オードレイ・ディヴァン, Writer:マルシア・ロマーノ, 監督:オードレイ・ディヴァン
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ポチップ
この映画をガイドにしながら記事を書いていきます
この記事の3つの要点
- 「妊娠させた男」に関する描写がほぼ無いことで、「男の不在」が強調されている
- 「子どもは欲しいが、人生と引き換えは嫌」という感覚は、現代にもそのまま通じるものだと思う
- 「中絶が禁止された社会」で中絶することがどれほど困難なのかが描き出される
「彼女が孤独に闘わなければならない状況」を生み出しているのは男なのだと、男は明確に理解しなければならない
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どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください
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映画『あのこと』は、「望まぬ妊娠をした女性が、法律で禁じられている中絶をするために奮闘する」という内容の作品だ。それだけ聞くと、「女性のための物語」だと感じるかもしれない。しかし本作は間違いなく「男が観るべき映画」だと私は感じた。何故なら、本作で最も強く描かれているのは、「望まぬ妊娠における、圧倒的な『男の不在』」だからだ。
また、映画の舞台は1960年代のフランスなのだが、本作は現代にも通ずる物語だと言える。例えば、アメリカでは2022年に、「1973年の最高裁による『中絶は女性の権利である』という判断が覆される」という驚くべき事態が発生した。これにより、「中絶禁止」に動く州が出始めているそうだ。あるいは日本では最近、ようやく「『緊急避妊薬を医師の処方箋無しで買う』という実証実験が行われる」と報じられた。諸外国では既に、医師の処方箋無しに緊急避妊薬を購入出来るのだが、日本ではまだそのような体制が整っていないのである。
だから本作を観る際は、「男が観るべき作品」であり、「現代の物語」でもあるのだと強く認識する必要があると感じた。
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こんな風に書くと誤解されるかもしれないが、映画『あのこと』は「とてもシンプルな物語」だ。先ほど触れた通り、映画で描かれているのは「望まぬ妊娠をした女性が、法律で禁じられている中絶をするために奮闘する姿」であり、そしてほぼそれしか描かれていないと言っていい。単に「物語」という捉え方をするなら、これほどシンプルな物語もなかなか無いだろう。
しかし映画を観て、私は圧倒されてしまった。全然「シンプル」なんかじゃない。ずしんとした何かを持たされたような重苦しさが、最初から最後までずっと続いている感じだった。
もしかすると、そんな風に感じるのは「私が男だから」かもしれない。「望まぬ妊娠」や「中絶」に限る話ではないが、やはり「女性しか経験し得ないこと」に対する想像力を持つことはなかなか難しい。そしてもしかしたら、それ故の「衝撃」なのかもしれないとも思う。
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女性がこの映画をどんな風に観るのか分からないが、「衝撃」を受けるとしても、きっとそれは、私が感じたのとはまた異なるのだろう。女性だってもちろん、すべての人が「望まぬ妊娠」や「中絶」を経験しているわけではないが、それでも、人生のどこかのタイミングで「もし自分に起こったら」という想像をしていてもおかしくないと思う。しかし男の場合には、「そうさせてしまう」という想像をすることはあっても、「望まぬ妊娠」や「中絶」そのものをイメージすることは難しい。だから恐らく、女性が受けるだろう「衝撃」に加えてさらに、「想像力の欠如」からもたらされる「衝撃」も加わっているのではないかと感じた。
そんなわけで、男である私が主人公アンヌの決断や葛藤などについてあれこれ言語化したところで、意味があるとは思えない。なので、彼女がどのような葛藤を経て最終的な決断に至ったのか、そしてそうなるまでにどんな「痛み」を感じ続けたのかについては、是非映画を観てほしいと思う。
描かれないからこそ強調されていると言える、「『望まぬ妊娠』における、圧倒的な『男の不在』」
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私のイメージでは、「望まぬ妊娠」「中絶」が扱われる作品の場合、「妊娠させた男」のことも大抵描かれるはずだと思っている。しかし、映画『17歳の瞳に映る世界』では、妊娠させた男の描写は一切存在しなかった。映画『あのこと』においてはまったくのゼロというわけではないものの、映画全体の割合で言えばかなり少ないと言っていいだろう。
つまり、「男の存在」がまるっと排除されているのである。そしてこのことによって、「男の不在」がより強調されていると私には感じられた。「『中絶』の問題に、女性だけが向き合い闘い続ける姿」を描き出すことによって、逆説的に「この状況に『妊娠させた男』が関わらないのはおかしいだろ」と突きつける構成になっているのである。
だから映画『あのこと』は、男こそが観なければならない作品と言えるのだ。
さて、描かれていないのは「男」だけではない。『あのこと』『17歳の瞳に映る世界』のどちらにおいても、「家族との関わり」もほとんど描かれないのだ。とはいえ、映画『17歳の瞳に映る世界』は、「親に黙って中絶するために友人と共に大都市へ向かう少女」が描かれる物語なので、「家族」がストーリーに絡んでこないのは当然と言えるかもしれない。しかし、映画『あのこと』では、アンヌは家族と一緒に暮らしながら「中絶」の問題に対処しようとする。それでも、「家族との関わり」はほとんど描かれないのだ。
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いや、この辺りのことはもう少し詳しく説明する必要があるだろう。もちろん映画では、アンヌが家族と関わる姿が描かれる。しかし、「中絶が法律で禁じられている」のだから、家族に「中絶しようとしている」などと告げるわけにはいかない。だから当然、「娘が中絶しようとしていることを知った上での親子の関係」が描かれることはないというわけだ。映画で描かれる「家族との関わり」というのはつまるところ、「アンヌがいかにして家族に隠し通すか」だけであり、これは結局「アンヌ個人の闘い」と言っていいだろうと思う。
このようにどちらの作品においても、徹頭徹尾「望まぬ妊娠をした女性が1人で奮闘する姿」が描き出されていく。いずれの場合も、少数の協力者はいるものの、圧倒的に「他者の存在」が排除されているのである。つまり、「『望まぬ妊娠』をした女性は、このような状況に置かれ得る」という事実を認識するという意味においても、本作は男が観なければならない作品と言えるのだ。
「『妊娠・出産』が『人生と引き換え』である社会で生きる」ということ
本作に限らないが、「中絶」がテーマになっている作品に触れる度に、「一体何が正解なのだろうか?」と考えさせられてしまう。
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確かに、映画『あのこと』で描かれるのは、「中絶が禁止されていた時代のフランス」の話であり、現在と状況は大きく違っている。しかし、そんな風に考えて「今の時代は問題ない」と判断するのは誤りだろう。この点については、アンヌのこんなセリフから思考を深めていくことが出来ると思う。
いつか子どもは欲しいけど、人生と引き換えはイヤ。
そう、アンヌも決して「子どもが欲しくない」わけではないのだ。しかし彼女は今学生で、追うべき目標がある。彼女はなんと、貧しい労働者階級に生まれながら、教授からも期待されるほどのずば抜けた秀才なのだ。そして、そんな娘のことを家族も誇りに思っている。そんな状況で出産し子育てするとなれば、大学は辞めざるを得ない。これが「人生と引き換え」の意味するところだ。そして、それを許容できないからこそ、彼女は「中絶」の道を探るのである。
このような状況は、現代においても大して変わっていないはずだ。少なくとも今の日本では、「妊娠・出産」は「キャリアとの引き換え」を迫るものになってしまっている。育休制度や子育て支援などを整えようと国も努力しているようだが、根本的な解決の見通しが立っているようには思えない。恐らくその最大の要因は、一定以上の年齢の男性が「子どもは母親が育てるもの」という認識を持っているからだろう。
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まったく同じとは言えないものの、現代の日本に生きる女性もまた、アンヌと同じ葛藤を抱かされてしまう状況にいるのである。そして私は、「そういう社会における『正解』は一体なんなのだろう」と考えさせられてしまった。
もちろん、今の日本では「中絶」は禁止されていないし、「特別養子縁組」のような仕組みだって存在するわけで、映画『あのこと』で描かれる世界よりも大分マシだと言えるだろう。そして映画を観ながら私は、本作で描かれる「『人生と引き換え』にならずに済む仕組みを用意しないまま、『中絶禁止』だけを押し付ける社会」に対して苛立ちを覚えてしまった。
私は、やはりどう考えても「中絶禁止」には賛同できない。ただこの点については、宗教観など様々な要因があると思うので、日本人である私が欧米人の判断についてとやかく言うのは相応しくないとも感じている。しかし、仮に「中絶禁止」を強制するのであれば、「『中絶禁止』によって被り得る不利益を可能な限り避けられる仕組み」は用意して然るべきだとは思う。そして、「そのような仕組みがまったく存在していなかった」という理由で、私は「映画で描かれる状況をまったく許容することは出来ない」と感じた。
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作中では、「『中絶』の手助けこそできないものの、アンヌの気持ちに寄り添おうと努力する医師」が登場し、次のように口にする場面がある。
医師の大半は中絶に反対している。
当時の産婦人科医の男女比率など知らないが、恐らくほとんどが男性だろう。また、本作ではそこまで描かれていなかったものの、まず間違いなく、当時のフランス人男性のほとんどが同じように考えていたのだろうとも推察される。私は以前、フランスに残っていたこの「中絶を禁止する法律」の廃止に尽力した女性政治家シモーネ・ヴェイユを取り上げた映画『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』を観たことがあるが、その中でも、男性政治家が彼女の提案に猛反対する様子が映し出されていた。
一方で彼らは、「『中絶禁止』によって被り得る不利益を可能な限り避けられる仕組み」を用意するつもりなどまったくなかったはずだ。「中絶禁止」を強制するだけして、「後はご勝手にして」と放置していたのである。現代とはジェンダーに関する考え方がまったく違っていたとはいえ、私はやはりそのような状況に苛立ちを覚えてしまった。
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「中絶が禁止されている社会」において「中絶する」ことの困難さ
映画を観ながら私は、「中絶禁止に違反した場合の罪は、一体どれほどのものだったのだろうか?」と感じた。作中で描かれる人々の反応を見る限り、相当の罰則が課せられたのだろうと想像させられたが、実際のところどうだったのだろう。
職を失うわけにはいかないのだから、医師が中絶を拒むのは仕方ないように思う。しかし驚かされたのは、アンヌが妊娠していることを知った親友2人さえ、「好きにしたらいいけど、私を巻き込まないで」みたいなとても冷たい反応をしていたことだ。よっぽどのことだと思うのだが、ざっと調べてもどういう罰則になるのかは分からなかった。もしかしたら、法律が規定する罰則以上に、「社会的な信用の失墜」の方が大きかったみたいなことなのかもしれない。
ただ調べて分かったのは、当時のフランスではなんと、「中絶」だけではなく「避妊」さえダメだったということ。「中絶や避妊に関する情報を提供する」だけでも罪になったそうなので、現代の感覚からすれば「常軌を逸している」としか思えないだろう。
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アンヌはこのような状況下で「中絶」しなければならなかったのだ。
さて、この点に触れるのはネタバレになるかもしれないが、映画の展開から明らかに分かることだと思うので書いてしまおう。アンヌは最終的に、中絶に成功する。彼女は最後、様々なツテを辿って「闇医者」みたいな人にアプローチするのだが、ただ私は、この「闇医者」の役割が初めの内はよく理解できなかった。
それは、その「闇医者」を紹介してくれた友人の友人のセリフに少し関係がある。アンヌは「闇医者」の元へと向かう前に、その友人の友人から、
くじ引きみたいなものよ。カルテに「流産」って書くか「中絶」って書くか。後者なら刑務所行き。
と伝えられるのだ。「『闇医者』が中絶を行う」と考えた場合には、意味が分からないセリフだろう。実際しばらくの間、私はこのセリフの意味が理解できなかった。
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しかし、「『闇医者』が中絶行為そのものを行うわけではない」と分かって、ようやくこのセリフの意味が理解できるようになった。要するにこういうことだ。
「闇医者」が行う処置は、「流産しやすい状態に妊婦の身体を誘導すること」である。その後、実際に流産し、自宅のトイレなどで自ら処理出来れば、それで終了だ。しかし、万が一病院に搬送され、そこで流産した場合は、アンヌの運命は医師の判断に委ねられることになる。医師がカルテに「流産」と書けばセーフ、「中絶」と書けばアウトというわけだ。「中絶」と書かれれば、恐らくアンヌは逮捕されるのだろう。
アンヌは「闇医者」に辿り着くだけでも相当苦労した。そしてその上で、最後の最後は「運任せ」みたいな状況を経なければならないのだ。あまりにもハードルが高すぎるし、改めて、女性が1人で立ち向かうような問題ではないと感じさせられた。
このような社会が「当たり前」だった時代も恐ろしいし、そんな社会に逆戻りしようとしているようなアメリカにも驚かされてしまう。まあ、「子どもを産み、育てること」への敬意や理解が圧倒的に低いと感じられる日本も、正直なところ大差ないだろうが。そういう現実を、60年以上前の異国の物語から突きつけられたという事実に社会の「進歩の無さ」みたいなものを感じたし、とても暗澹たる気分にさせられてしまった。
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