【信念】映画『太陽の運命』は、2人の知事、大田昌秀・翁長雄志から沖縄の基地問題の歴史を追う(監督:佐古忠彦)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「太陽(ティダ)の運命」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

公式HPの劇場情報をご覧ください

この記事の3つの要点

  • 「基地問題」という難問と向き合わざるを得ない沖縄県知事として数奇な”運命”を辿った大田昌秀と翁長雄志について
  • 大田昌秀がどうしても許容できなかった「不健全な民主主義」とは?
  • 大田昌秀に対して大批判を展開した翁長雄志が知事となり、大田昌秀の苦悩を知るに至るまでの奮闘

私たちに出来る第一歩としては、「基地問題は沖縄の問題ではなく、日本全体の問題だ」と認識することだろうと思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

沖縄の基地問題の遍歴を追う映画『太陽(ティダ)の運命』は、大田昌秀・翁長雄志の2人の知事に焦点を当てつつ、その苦悩の歴史を炙り出す

実に興味深い作品だった。一般的に、ドキュメンタリー映画はフィクションの映画と比べると注目度が低いし、さらに本作の場合は、「沖縄の基地問題」という内容的にも「観たい!」という気分になる人は決して多くないだろうが、それでも、何か機会があれば是非観てほしいなと思う。

映画『太陽(ティダ)の運命』内で2度言及される、大田昌秀による印象的な言葉

『太陽(ティダ)の運命』というタイトルからはちょっと内容を想像しにくいとは思うが、本作は先述した通り「沖縄の基地問題」を扱っており、そしてその問題を、「歴代の沖縄県知事」に焦点を当てながら描き出す作品である。ちなみに「ティダ」というのは沖縄の方言で、「太陽」だけではなく「リーダー」を意味する言葉でもあるらしい。太陽が象徴する「沖縄」と、そんな沖縄の未来を握る「リーダー」の”運命”を追った作品というわけだ。

さて私はこれまで、映画『サンマデモクラシー』『シン・ちむどんどん』などの「沖縄の近現代史を扱ったドキュメンタリー」を観てきたし(ただ、本作監督の『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』などは観ていない)、それらの作品で沖縄の「基地問題」や「歴史」に触れる機会は結構あった。しかし当然ではあるが、まだまだ知らないことはたくさんある。本作は「基地問題」に絞ってその歴史を丁寧に追っていく作品であり、「なるほど、こういう流れで今このようになっているのか」ということが凄く良く理解できた気になれた。

そんな本作では2度に渡り、ある印象的なフレーズが紹介される。後に第4代沖縄県知事を務めた、当時は大学教授だった大田昌秀が、沖縄返還の1年前に書いた文章だ。

日本人は醜い。
沖縄に関して私は、そう断言することが出来る。

正確ではないが、概ねこんな感じの文章である。そして本作では、作中とラストの2度に渡り、このフレーズが画面に表示された

さて、私が本作を観たのは公開初日で、上映後には監督による舞台挨拶が行われた。そしてその中で監督が、「沖縄での先行上映の際に観客から、『大田さんのあの言葉を2回も入れて、本土の人がどう受け取るのか心配』と言われた」と言っていたのである。確かに普通に考えて、先の大田昌秀の言葉は「内地の人間を批判する言葉」なわけで、そういう反応が出てくるのも当然だろう。しかし一方で、やはりこの言葉は「沖縄県民の総意」と受け取るべきだろうなとも感じる。私たちは、意識しているかどうかに拘らず、はっきりと「沖縄に難問を押し付けている」のであり、だから、沖縄の人からそういう視線を向けられることは甘んじて受け入れなければならないと思う。そう、これはあまりにも解決が難しい難問なのだ。

そして沖縄県知事は、そんな難問とずっと向き合わされ続けているのである。本作では大田昌秀がインタビューを受ける映像が多く使われているが、その中で「沖縄県知事とはどういう存在ですか?」と聞かれた彼が、「日本一難しい問題を背負わされている」と答えていたのが印象的だった。本当にその通りだなと思う。

その「難しさ」は一言で表現できるようなものではもちろんないのだが、それでも無理やりまとめるならば、「基地問題では国に拳を振り下ろしつつ、県の振興策では国に頭を下げなければならない」となるだろう。作中に確か、このような表現が出てきたと思う。

本作『太陽(ティダ)の運命』では、大田昌秀と、第7代沖縄県知事の翁長雄志の2人に特に焦点が当てられるのだが、彼らは共に、基地問題に関して国から訴訟を起こされている。まさに「拳を振り下ろす」ようにしてバチバチに闘っていたというわけだ。しかしその一方で、経済振興策については国の援助を願い出なければならない。東京や大阪などとは経済規模がまるで違うため、政府の支援なしには経済的な政策を実現出来ないのだ。このように、一方では相手を非難しながら、一方では相手に頭を下げなければならないという立場に置かれているわけで、その舵取りが相当困難であることは容易に想像できるのではないかと思う。

そして、歴代の沖縄県知事の中でも基地問題に関してかなり厳しい態度を示した2人は、実は「保守」と「革新」というまったく異なるところから知事になった。しかもこの2人は当初、激しく対立する関係だったのだ。しかし”運命”のいたずらか、結果として2人はほぼ同じ道を歩むことになった。そんな、「基地問題」を背景にした数奇な人生を追いかけていく物語である。

大学教授から沖縄県知事になった大田昌秀が抱え続けた葛藤

大田昌秀は大学教授時代から基地問題に対して厳しい主張を続けていた。そしてそれ故に、周囲から次第に「是非知事になってほしい」という声が上がるようになる。とはいえ、大田昌秀は知事になるつもりなどなかったそうだ。しかし、作中に登場した「大田昌秀を説得した1人」として紹介された人物は、「言うだけ言って実行しないなんて無責任だ。逃げるんですか?」と煽るかのような物言いをしたという。そして最終的に、その言葉をきっかけの1つとして出馬を決意したのだそうだ。

知事に就任した大田昌秀は、当然、沖縄県民の悲願である「無条件での基地返還」を実現すべく奮闘した。しかしそんな出鼻をくじくかのように、就任早々難しい判断を迫られることになってしまう。それが「広告縦覧代行」である。これはざっくり言えば、「土地の使用期限の再延長」みたいな手続きのことだ。米軍が基地として使っている土地は沖縄県の所有(のはず)であり、契約の際に毎回使用期限が設定される。そしてその期限が切れる前に行う再延長の手続きが「広告縦覧代行」なのだ。大田昌秀は就任してすぐのタイミングで、その書面にサインするかどうかという問題に直面することになったのである。

大田昌秀の従来の主張・信念からすれば、ここは「署名拒否」しかない「米軍に土地を使わせない」という意思を示すことは、自身の主張・信念の一貫性という観点からも非常に重要なのだ。しかし結局、彼は悩みに悩んだ末に署名することに決めた。この時、大田昌秀はかなり批判を浴びたそうだ。

さてその後、大田昌秀にとって転機となる出来事が起こる。米兵による少女暴行事件が発生したのだ。現在においても繰り返されているこの問題は、日米地位協定により、日本側は「被疑者の素性さえ分からない」という状況に置かれる。そしてこの現状に、大田昌秀は怒り狂ったのだ。作中である人物が、「この出来事が彼にとって転換点となったはずだ」と語っていた。

そして1995年10月21日、大田昌秀は総決起大会を開催する。なんと8万5000人もの県民が集まったそうだ。この時参加した者たちは、所属する団体等から動員を掛けられたみたいなことではなく、皆自主的に集まったのだという。そしてこの総決起大会で「オール沖縄」として一体となり、基地問題に徹底的に対峙する決意を固めたのである。ある人物は、「『オール沖縄』として立ち上がったこの時に、恐らく政府は初めて危機感を持ったのではないか」と話していた。

さて、大田昌秀が知事に就任した際の総理大臣は村山富市だったのだが、その後橋本龍太郎に変わる。そして橋本龍太郎は、沖縄の基地問題をどうにか前進させようとかなり奮闘したのだそうだ。本作では、橋本龍太郎が「普天間基地の返還」を発表する記者会見の映像が使われている。そしてそういう対外的な発信だけではなく、橋本龍太郎と直接関わった経験からも、大田昌秀は「政府の本気」を感じるようになっていったそうだ。

しかし、橋本龍太郎が発表した「普天間基地の返還」には条件がついていた。「代替施設の提供」である。つまり、「普天間基地は返還するから、沖縄のどこかに日本が費用を出して新しい基地施設を作ってくれ」というわけだ。これはアメリカの要求であり、そしてその過程で出てきたのが、今も続く「辺野古移設」なのである。

大田昌秀は大いに悩んだ彼の主張も沖縄県民の望みも「無条件での基地返還」なのだが、橋本龍太郎がまとめてきた条件は、それとは相当大きな隔たりがある。結局代替施設を沖縄に作らなければならないのであれば、状況に変わりはないんじゃないか。果たしてこれは、受け入れるべき選択肢なのだろうか。大田昌秀はそんな風に悩んでいたのだ。さらに2度目の「広告縦覧代行」のタイミングも重なり、彼は国との交渉も横目に睨みながら難しい決断を迫られるのである。

大田昌秀が許容できなかった「少数が我慢を強いられる不健全な民主主義」について

本作では、「筑紫哲也NEWS23」の映像が多く使われていた。本作の監督が元々「NEWS23」でもキャスターを務めていたアナウンサーなのだそうで(今もTBS所属らしいが、現在はアナウンサー職ではないそうだ)、そのことも関係しているのだろう。そしてその映像の中に、知事を引退した大田昌秀と、彼が知事時代に総理補佐官(正確には覚えていないが、そのような役職の人)だった人物が対談しているものがあり、その中で「大田昌秀と国がどのような点で対立していたのか」が明らかにされていた

まずは総理補佐官の、つまり国側の主張から見ていこう。私が理解出来た範囲の話に触れるので、認識の間違いがあるかもしれないが、国は要するに「現実的な手段として、辺野古移設は『基地縮小へ向かう第1歩』として適切な判断だった」みたいな主張をしていたように思う。「基地を返還する」というのはかなり大事であり、実際的な手続きを踏んで進んでいくしかない国は基地縮小の方向を目指すつもりでいたが、そうだとしても物事は1歩ずつ進めていくしかないし、いきなり最終目的地には辿り着けない。だから、「まずは危険な普天間基地を閉鎖し、規模を縮小した上で辺野古へ移設、そしてそれから少しずつ基地縮小を目指していく」というのが最善策だと今でも思っている、みたいなことを言っていたはずである。

さて、沖縄出身でも在住でもない私の個人的な感覚で言えば、この総理補佐官の主張にはそれなりの妥当性があるように感じられた。もちろん、「ん?」と感じた部分もある。例えば、総理補佐官は「辺野古へは一時的に移すだけだ」と言っていたと思うが、それに対して大田昌秀は確か、「アメリカの資料には、『使用40年、耐用年数200年』と書いてある」みたいに矛盾を指摘していた。もしも彼の言っている通りであれば、総理補佐官の「一時的」という主張はちょっと整合性が取れなくなるだろう。とはいえ、総理補佐官(国)の主張の大枠は「市街地にある危険な普天間基地を閉鎖して、海上に代替施設を作る(しかもその代替施設は普天間基地よりも縮小される)」であり、この点に関して言えば、「なるほど、それが現実的な落とし所なのかもしれないなぁ」みたいに感じられたのだ。

しかし総理補佐官のこの主張に対して大田昌秀が口にした話もまた実に印象的だったなと思う。

さて、先の発言を踏まえた上で、総理補佐官は「例えば、100人亡くなっていたものが1人に減るのであれば、確かに危険性はゼロにはなっていないけれども、よりベターな選択だとは言えるのではないか?」と口にしていた(この死者数の話はあくまで譬え話で、普天間基地の実際の死者数とは関係ないはず)。そしてこれに対して大田昌秀はまず「100人でも1人でも命の重さは変わらない」と反論する。私はこれを聞いて、「まあ確かにその通りだけど、実に政治家っぽい発言であまりしっくり来ないな」みたいに思っていた。しかしそれに続けて口にしたことに「なるほど」と感じさせられたのである。

常に多数が少数に我慢を強いる状況は、健全な民主主義ではない。

実際にはもう少し長かったような気もするが、概ねこのような主旨の発言をしていた。これにはもう少し説明が必要だろう。先程、総理補佐官の「100人の犠牲が1人になるなら、それはベターだろう」という発言を紹介したが、大田昌秀はこれをそのまま「1億人の国民と100万人の沖縄県民」に対応させたのである。つまり、「100万人の沖縄県民が犠牲になってくれたら1億人が助かるんだからその方がベターだよね」と読み替えたのだ。そしてまさにこれは、沖縄と日本の現状そのものである。大田昌秀はそのような状況に対して異議を唱えていた、ということなのだろう。

大田昌秀のこの発言を聞いて、私は「確かにその通りだ」と感じた「辺野古移設によって死者が100人から1人に減るならベターじゃないか」という意見に賛同するということは、「100万人の沖縄県民に負担を押し付ける日本国民の発想」そのものと言っていいだろう。私は、「死者が100人から1人に減る」のは良いことだと考えているのに、「1億人のために100万人が犠牲になる」のは良いことだとは思えないと言っているわけで、これは明らかにダブルスタンダードである。そのことに気付かされて、ハッとさせられてしまったというわけだ。

さて、これに関連した話として、後半の翁長雄志に焦点が当たるパートでちょっと驚くようなシーンがあった。ある国会議員が翁長雄志との会談の場で、「『基地を引き受けてもいい』なんて思ってる日本国民は1人もいない」「本土が嫌だと言ってるんだから沖縄が引き受けるのが当然だろ」みたいなことを平然と言い放ったという話が紹介されるのだ。翁長雄志は、「そんな価値観を持っている国会議員とどうやって対話しろと言うんだ」と怒りを滲ませていたが、本当にその通りだなと思う。

また、「『基地を引き受けてもいい』なんて思ってる日本国民は1人もいない」という発言に絡めて言えば、翁長雄志がある場面で口にしていたことだが、「沖縄はこれまで1度だって自ら土地を提供したことなどない」というは発言も印象的だった。本作では、沖縄に米軍基地が作られた経緯についてもざっくり説明されるのだが、どの瞬間においてもそこに沖縄の意思はなく、沖縄以外の誰かの決定によって事が進んでいったようである。

もしも1度でも「沖縄が自らの意思で米軍基地を誘致した」みたいな事実があるのなら、「俺たちは嫌なんだからお前らが引き受けろよ」という暴論が成り立つ余地も出てくるかもしれない。しかしそんな事実はまったくなく、沖縄はずっと蚊帳の外に置かれたまま、米軍基地を受け入れざるを得なくなっただけなのだ。それなのに「お前らが引き受けろよ」みたいな発言をするなんて、ちょっとあまりにも異常としか言いようがないだろう。

しかしそれはそれとして、「『基地を引き受けてもいい』なんて思ってる日本国民は1人もいない」という発言に関しては、決して口には出さないものの、私を含む多くの国民がうっすらと感じていることだとやはり認めざるを得ないだろうし、だからこそ余計に難しい問題だなと思っている。

そんなわけで、このような理由もあって大田昌秀は、「代替施設を用意した上で普天間基地を返還してもらう」という橋本龍太郎の案に悩んでいたのだろう。そしてそうやって大田昌秀が悩んでいる間に国(橋本龍太郎)は痺れを切らしたようで、当初はかなり協力的な姿勢だったにも拘らず、次第に「大田は決断が出来ない」みたいな評価になっていったそうだ。双方に様々な主張・思惑があったとはいえ、このような状況の変化はやはりちょっと残念と言えるのではないかと思う。

ちなみに、第5代沖縄県知事の稲嶺惠一の発言だったと思うが、彼は、「大田昌秀に関する橋本龍太郎の言葉で覚えていることが3つある」という話をしていた。1つ目が「騙された俺が悪かったのか」、2つ目が「私はあなたに貸しがある」、そして3つ目が「最初からNOと言ってくれていれば」である。橋本龍太郎のこんな発言からも、「彼がかなり状況改善に積極的であり、『大田が決断しさえすれば変わったのに』と考えていた」ことが窺えるのではないかと思う。

大田昌秀を批判し続けた翁長雄志が県知事になるまで

さて、本作『太陽(ティダ)の運命』では、この辺りから少しずつ翁長雄志に焦点が当てられていく大田昌秀が県知事だった頃には、翁長雄志はまだ当選1回のぺーぺーだったのだが、彼は議会で「大田県政」を猛烈に批判する。その発言は議事録にも残っており、本作でも多く引用されていたのだが、かなり手厳しいものに感じられた。

正直なところ私には、本作の描写だけからは「翁長雄志が大田昌秀をあれほど手厳しく攻撃し続けた理由」がよくわからなかった(恐らくこれは、私が「保守」やら「革新」やらをちゃんとは理解していないからだと思う)。しかしいずれにせよ、大田昌秀は翁長雄志の様々な戦略によって県知事の座から引きずり降ろされたのである。ただ、翁長雄志は別に、自身が県知事になろうと考えていたのではない目指していたのは那覇市長だったそうだ。

そもそも、彼の父親が政治家だったそうで、確か「市長選で負けた」みたいな話だったと思う(彼が出馬したのは、現・那覇市である真和志市の市長選)。そしてその際に、小学6年生だった翁長雄志は母親から「お前は政治家にならないでおくれ」と言われたのだが、彼はまさにこの瞬間に「自分は政治家になる」と決断したのだそうだ。何とも天邪鬼な子どもである。ちなみに、父親は後に真和志市長に選ばれたそうで、恐らくそういうこともあって、翁長雄志は那覇市長を目指そうと考えていたのだと思う。

しかしここで、翁長雄志の“運命”を変える出来事が起こった。いわゆる「教科書問題」である。安倍元首相の主導により行われた教科書の改定によって、「軍命による集団自決は無かった」と教科書の記述が書き換えられてしまったのだ。この「教科書問題」を機に、沖縄県民は再び立ち上がった。沖縄県民としては看過できない問題であり、翁長雄志も奮起したのである。そしてこの時に、大田昌秀による総決起大会以来の「オール沖縄」が実現した。そんなこともあり、元々県知事になるつもりなどなかった翁長雄志は、かつて盟友だった人物と知事選を争い、実に10万票もの大差をつけた圧勝で沖縄県知事への就任が決まったのである。

さて、そんな彼のエピソードの中では「『どうしても会いたい』と人づてに頼んである人物との接触を試みた」という話が印象的だった。いつの出来事なのかはっきりとは覚えていない(あるいは「描かれていない」)が、知事選への出馬を決めた後だったと思う。翁長雄志はなんと、かつて敵対していた大田昌秀に会おうとしていたのだ。沖縄に四半世紀通い詰めているという監督は舞台挨拶で、「これは本作の取材中に初めて出てきた話だ」とその驚きを語っていた

2人の再会を仲介した人物は、大田昌秀を半ば騙すようにして自宅に翁長雄志を連れて行ったそうなのだが、結局大田昌秀は目を合わせることも話しかけることもなかったそうだ。やはり知事時代の禍根が残っていたのだろう。議事録に記録されていた翁長雄志の言い草は相当にキツいものだったので、大田昌秀のその判断もまあ当然だろうなと思う。

しかしその後、知事になった翁長雄志の働きぶりを見て考えが変わったのだろう。それ以降も結局、2人が直接会ったり話したりすることはなかったそうだが、「夫は様々な機会に翁長雄志を評価する言葉を口にしていた」と彼の妻が語っていた何かがほんの少し違っていれば、まったく違う関係性だったんじゃないかと思う。

さて、翁長雄志は知事として、やはり大田昌秀と同じように基地問題に関する厳しい現状に直面することになる。しかし、知事就任以前からかなり覚悟していたようだ。翁長雄志は就任前に、稲嶺惠一(確かその当時沖縄県知事だったんじゃないかな)に頼んで、基地問題に関する交渉に同席するためアメリカまで一緒に行ったのだという。そしてその当時のことを振り返った稲嶺惠一が、「一言も喋らなかったが、翁長雄志はあの時に『この問題に落とし所など無い』と理解したんじゃないか」と語っていたのが印象的だった。

また、確か翁長雄志の妻の発言だったと思うのだが、「知事になってからどんな風に闘っていくか」について次のように語っていたことがあるそうだ。

国は沖縄の主張に耳を貸さないだろう。恐らく、裁判所も味方にはなってくれない。
だからもう、政府に押し潰される姿をみんなに見てもらうしかないんだ。

これは「闘い方」ではなく「負け方」だと言っていいと思うが、「そうでもしない限り、この巨大な問題とそもそも対峙することすら出来ない」と理解していたのだろう。このように、相当悲壮な覚悟を持って「日本一難しい知事」に就任したのである。

大田昌秀と同じ葛藤を抱くようになった翁長雄志、そして、基地問題に対する私の考え方

翁長雄志は、リーダーとして実に気持ちの良い人間だ「主義主張がはっきりしていて力強い」という点も好印象だったが、それ以上に「敵対する陣営からも幹部を登用した」というエピソードが個人的にはとても印象的だった。

翁長雄志は那覇市長時代に、「自身を支持していないことが明白な労働組合トップ(正確な役職は覚えていないが、そんな感じの人)」を幹部に起用したという。本作には当の本人が出演しており、「その人事を聞いて耳を疑った」みたいに話していた。翁長雄志が一般的にどう評価されているのか、私は詳しく知らない。ただ、少なくとも本作を観ている限りにおいては、「こんなリーダーだったらついて行きたいってみんな思うんじゃないか」という感じだった。

そして翁長雄志は、沖縄県知事になったことで、かつて大批判を繰り広げていた大田昌秀の苦悩が理解できるようになる。作中で誰かが「沖縄は矛盾の塊だ」みたいな表現を使っていたが、まさにその通りという感じで、翁長雄志もまた様々な場面で難しい決断を迫られていた。そして結果的に、色んな状況で大田昌秀の後に続くような言動を繰り返すことになるのである。

さて先述した通り、大田昌秀も翁長雄志も国から提訴されているのだが、この点に関して作中で誰かが(もしかしたら大田昌秀だったかもしれない)次のような発言をしていた

日本の司法と立法は行政に従属している。

最高裁判所は、日米安全保障条約は憲法より上位に位置しており、日米安全保障条約には関知できないとはっきり言っている。

この発言の真実性みたいなものは私には判断できないが、もし正しいのであれば、独立国家としてはかなり大きな問題ではないかと思う。さらにこの話は、翁長雄志が当時官房長官だった菅義偉との会談の中で口にした「自治は神話」というフレーズにも関係してくるだろう。アメリカ統治時代の高等弁務官であるキャラウェイの発言からの引用であり、このような「自治」の話になればやはり、「沖縄だけの問題ではない」と感じられるはずだ(もちろん基地問題も沖縄だけの問題ではないのだが)。これは、我々皆が考えなければならない問題なのである(ちなみに、キャラウェイの「自治は神話」発言に関しては、映画『サンマデモクラシー』の記事に色々と書いたのでそちらも併せて読んでみてほしい)。

さらに、かつてジャーナリストだったという大学教授が作中で、「沖縄はこの国の民主主義のカナリアだ」と発言していたのも印象的だった。もちろん、「炭鉱のカナリア」になぞらえた表現であり、「最も弱く脆い沖縄に、民主主義の最初の亀裂が入る」という意味である。沖縄の基地問題を「自分ごと」と捉えることが難しいとしても、「沖縄の基地問題の行く末は、日本全体の民主主義の未来に繋がっている」という認識を持てばまた少し捉え方は変わってくるのではないかと思う。「安全保障」という観点から「基地問題」が重要なのは当たり前の話だが、それだけではなく、「民主主義」の観点からも決して「他人ごと」には出来ない問題なのである。

とまあ、あーだこーだと好き勝手書いてはいるが、こと「沖縄の基地問題」に関しては、「どう決着するのが最もベターなのか」について考えるのは本当に難しいなと思う。というわけで最後に少し、「沖縄の基地問題」について私なりの考えを書いて終わりにすることにしよう。

さて、まずは「ありとあらゆる条件を無視した場合の理想状態」について考えることにする。この場合、沖縄にとってベストな未来は「安全保障上の問題をクリアした上で、日本(あるいは沖縄)から米軍基地がなくなる」だろうし、その次の選択肢としては「沖縄にある米軍基地(の一部)を県外移設する」ではないかと思う。いずれかが実現すれば、沖縄としてはかなり「悲願達成」と言えるのではないだろうか。

しかし、ベストな選択肢は「地政学的な観点」からまずあり得ないように思うし(中国や北朝鮮の脅威がほぼ0になる、みたいな状況にでもならない限り)、次善の選択肢はやはり「引き受ける自治体が存在するはずがない」という点が最大のネックとなるだろう。

ただ、「引き受ける自治体」に関しては、「将来的に状況が変わるかもしれない」とも考えている。というのも、日本は今後明らかに人口が激減していくからだ。出生率を踏まえれば、これは明白な未来予測である。恐らく、東京・大阪・福岡などの都市圏への人口流入は止まることがないだろうし、であれば、地方にはどんどんと「人が住まない土地」が増えていくことになるだろう。そうなった時、運営の厳しくなった地方自治体が、米軍基地(や、核廃棄物の最終処分場)などの誘致に名乗りを上げる可能性はゼロではないと思っている。人口の減少具合によっては、「県1つ丸ごと消滅させる」みたいな判断さえ出てきてもおかしくはないだろうし、そうなればまた違った選択肢が生まれ得るとは思う。

とはいえ、そんな未来はすぐにはやってこないし、今まさに成すべき対策を考える上では何の関係もない。そして、「まさに今どんな対策を打てるのか」について考えようとすると、やはり私は思考停止に陥ってしまう。「安全保障のことなんかどうでもいい!」と腹を括ればいくらだって選択肢はあるだろうが、やはりそういうわけにもいかないだろう。しかしだとすれば、結局「沖縄に負担を押し付けたままの現状」を許容することになってしまう。本当に難しい問題だ。

「難しい問題だ」と言って立ち止まっていては何も始まりはしないのだが、どの方向に進んでみたらいいかもよく分からないような難問であり、「どうすればいいんだろうな」と思っている。沖縄に住んでいない人間は「どうすればいいんだろうな」と思っていればそのまま時間は過ぎ去っていくが、沖縄に住んでいる人にはそうもいかない。いずれにせよ、みんなで考え続けるしかないのだろうなと思う。

最後に

私は本当に、学生時代に「歴史」の勉強をすっ飛ばしてきたこともあり、特に近現代史については基本的な知識すら持たないまま大人になってしまった。社会人になってから、ノンフィクションを読んだりドキュメンタリーを観たりして様々な知識を吸収するようにはなったが、その中でも、複雑な歴史を持つ「沖縄」の様々な問題は本当に難しいなと感じさせられる。

私は別に好んで旅行をするタイプではないので、沖縄にももう長いこと行っていないが、多くの人にとって「沖縄」というのは「旅行先」だろうし、そういう「プラスの面」しか見ていないのだと思う(私も大体そうだ)。もちろん、沖縄の人だって、観光客には来県してほしいだろうし、「沖縄のプラスの面」に注目してもらえることはありがたいはずだ。しかし、それだけに留まっていると、やはり何も進まない

結局のところ大方針としては、「基地問題は100万人の沖縄県民の問題ではなく、1億人の日本国民の問題だ」と認識するところから始めなければならないだろう。国は100万人を無視することは出来ても(無視してはいけないが)、1億人を無視することは出来ないはずだそうなって初めて、この問題が正しく動き出すように思う。

そんなわけで私には、「そういう意識を1人1人が持つところから始めていくしかない」という結論しか導くことが出来ずにいる。

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