はじめに
この記事で取り上げる映画
この記事の3つの要点
- 国は恐らく、大嘘をついてでも「兵士は自らの意思で中国に残った」と主張し続けるつもりだろう
- 「訓練のために人を殺した場所」を戦後初めて再訪した奥村和一が抱いていた葛藤
- 全体的には非常に誠実に見える奥村和一が、「日本兵」としての一面を露わにした印象的なシーン
自己紹介記事
映画『蟻の兵隊』は、奥村和一が抱く様々な葛藤と共に、「終戦後、日本軍が中国に残り内戦を闘った」という知られざる歴史を炙り出す
私は本作『蟻の兵隊』についてほとんど何も知らないまま観に行ったこともあり、監督による上映後のトークイベントで語られたエピソードにそもそも驚かされてしまった。
私が本作を見たのはシアター・イメージフォーラムという映画館で、そして本作は18年前に同館で公開されたのだそうだ。シアター・イメージフォーラムには、1階と地下1階に1つずつ劇場があるのだが、公開時はその両方を使い、1日8回も上映したらしい。しかし、それでも立ち見が出るほどお客さんが押し寄せたという。『ゆきゆきて、神軍』や『カメラを止めるな!』など、単館映画館から大ヒットに至った映画は色々あるだろうが、本作もその1つというわけだ。
そんな本作で描かれるのは、「終戦後に、日本軍が上官の命令で中国に残り、4年に渡り中国の内戦を闘っていた」という驚くべき事実である。信じがたいことに、命令に従って残った彼らは「自らの意思で帰国しなかった」と見なされ、戦後補償を受けられていない。あまりにも異様な歴史ではないだろうか。
本作で描かれる、ちょっと信じがたい歴史
本作はドキュメンタリー映画であり、スポットライトが当たるのは奥村和一である。彼は第二次世界大戦時に中国の山西省へと送られ、そこで戦闘に従事していた。その後1945年8月15日の終戦を迎えたのだが、彼らは上官の指示で中国に残らざるを得なくなってしまう。こうして奥村和一のいた部隊は、中国国民党軍の一員として中国共産党軍と闘うことになった。実に4年間も、彼らは中国の内戦を闘っていたのである。
結局、2600名もの日本軍が残留し、その内550名が戦死した。その後5年間の捕虜生活を経て、奥村和一らは昭和29年(1954年)にようやく日本に帰還できたのである。
しかし、彼ら「残留日本軍部隊」の面々は、国からの戦後補償を受けられていない。その理由は驚くべきものだった。国が彼らを、「お前たちは”自由意志”で中国に残り、日本軍としてではなく傭兵として中国の内戦を闘ったにすぎない」と見なしているからなのだ。
中国にいた兵士たちも当然、ポツダム宣言が受諾されたことを知っていた。「これで戦争が終わった」「帰れる」と思ったに違いない。しかし、上官からの命令で仕方なく中国に残ることになった。彼らはその時点でも「日本軍人」という認識でいたため、「上官の命令には従うしかない」と考えていたのである。そしてそのせいで彼らは、終戦からさらに9年間もの時間を”無駄に”過ごすことになったのだ。
それなのに、国はその事実を認めていない。作中では、奥村和一らが裁判で自身の主張を訴える姿も映し出されるのだが、その判決は、彼らの主張を一顧だにしないものに私には感じられた。トークイベントでは監督が、「この裁判に対する国民の関心が薄かったからあんな判決が出たんだろうと私は思っています」と話していたが、それはその通りかもしれない。当時マスコミが報じていたかどうかは定かではないが、少なくとも私は、このような裁判が行われていることをまったく知らなかった。
しかし、奇妙ではないだろうか? どうして国は頑なに、「彼らは自由意志で残った」などという、どう考えてもそんなはずがない主張を通そうとしているのか、と。実はそこにはちゃんと理由がある。そしてその理由のために国は、「彼らが日本軍として中国に残った」とは絶対に認められないのだ。
というのも日本は、「侵略を継続させるために兵を中国に残した」からである。ただこれは、「私がそう解釈しただけ」だという点に注意してほしい。作中ではもう少し違う表現をしていたのだが、鑑賞時にはパッと意味が取れず、ちゃんとメモ出来なかったのだ(私は映画館でメモを取り、それを元に感想を書いている)。作中では「侵略を継続させるために兵を中国に残した」みたいな分かりやすい表現を使っていなかったので、場合によっては私の捉え間違いの可能性もあるが、ともあれも私はこのように解釈した。
つまり、「『中国の内戦への協力』という名目で兵を残し、敗戦を受け入れる”フリ”をしながら戦争の継続を目論んでいた」という事実を隠蔽するには、「彼らは自由意志で残った」と主張するしかないというわけだ。
また、ポツダム宣言の問題もある。こちらについても映画を観ているだけでは詳しく分からなかったが、奥村和一が作中で言及していたことを踏まえると、ポツダム宣言には恐らく「敗戦国に武装解除を求める文言」が含まれているのだと思う。まあ、そりゃあそうだろう。しかし「残留日本軍部隊」の存在は、「ポツダム宣言を受諾したはずなのに、武装した日本軍が存在していた」ことを意味する。つまり、その存在を認めてしまえば、ポツダム宣言に違反していたと認めることにもなるわけで、それを回避したいという思惑もあるのだと思う。
このような理由から、恐らく国は「残留日本軍部隊」の存在を決して認めはしないだろう。
しかし一方で、作中では「上からの指示があった」ことを示す証言・証拠が映し出される。最も重要な証言をしたのは宮崎舜市だろう。彼は終戦後、中国からの引き揚げを担当していたそうだ。しかし、実務が遅々として進まなかった。埒が明かないと感じた彼は自ら山西省へと向かい、現地にいた旧知の人物に事情を聞いたそうだ。そして、そこで彼は初めて「中国に一部の日本兵を残す」という計画の存在を知ったという。実際に、残留を命じる軍の命令書も目にしたそうだ。映画撮影時には、彼は意識がないまま入院していたのだが、そうなる以前にテレビ局のインタビューに答えており、そこではっきりと先のように証言していたのである。
また、奥村和一は証拠探しのために自ら中国へと足を運ぶのだが、その際にある文書を見つけた。それは、「残留日本軍部隊設立の意図や総則」について記されたものである。その中には、「いつが休日になるのか」といった、かなり細かな記述もあった。この総則等を作成したのは残留日本軍部隊のトップになった人物なのだが、当然、こんなものを勝手に作れるわけがない。奥村和一は、「もっと上の階級の承認が無ければ、こんな文書が存在するがはずがない」と断言していた。つまり、「総則について書かれた文章が存在する」という事実こそが、「日本軍が残留を命じたこと」を明確に示しているというわけだ。
しかし、この文書も裁判で提出したそうなのだが、国も裁判所もまったく無視を決め込んだという。もちろん、国際問題に発展する話であり、国としては嘘を押し通してでも隠蔽するしたという。だから、「真っ当な形での保証」は難しいのかもしれない。しかしそうだとしても、奥村和一ら残留日本軍部隊の面々が何らかの形できちんと報われるような、そんな展開になってほしかったものだなと思う。
自身の過去の悪事を受け止め、贖罪のために行動する奥村和一
トークイベントの中で、監督が本作『蟻の兵隊』を何が何でも完成させようと決意した際の出来事について話していた。
さてそもそもだが、当時の日本軍では初年兵訓練として「刺突訓練」が行われていたそうだ。監督によると、この「刺突訓練」は中国に送られた新兵のほぼ全員が経験しているのだそうだ。これは読んで字のごとく「突き刺す訓練」であり、「銃剣で人を殺す」ことを訓練としてやらせていたというわけだ。日本軍はこれを「肝試し」と呼んでいたという。
この事実を知っていた監督は、既に密着を始めていた奥村和一に「『肝試し』をしたことはあるか?」と聞いたそうだ。そしてやはり奥村和一は、「銃剣で人を殺す訓練をさせられた」と話したという。それを聞いた監督はすぐに、「じゃあその現場に行きましょう」と奥村和一に提案した。かつて自身が人殺しをした場所を再訪し、何を感じるのか確かめようというわけだ。
奥村和一は本作の撮影が始まる以前から中国へと自ら足を運び資料の確認などしていたため、監督は「もしかしたら人を殺した現場にも行っているかもしれない」と考えたそうだが、確認してみると終戦後は1度も訪れていないという。そして、そんな現場に行こうと提案された奥村和一は、「行かなければならない場所だと思っています」と答えたそうだ。監督は、「まさにこの時『この映画は絶対に完成させなければならない』と決意を新たにした」と語っていた。
では、「行かなければならない場所だと思っています」という奥村和一の返答には、どんな想いが込められていたのだろうか? この点については、監督が推測を語っていた。
奥村和一が「戦争の被害者」として国を訴えていたという話は既にした通りである。一方で彼は、自身の加害についてはこれまで沈黙を続けてきた。ただ私の個人的な感覚では、「沈黙していたこと」を悪いとは思えない。戦時中のことだし、望んでしたことではないからだ。もちろん、自ら語り反省出来ればより望ましいかもしれないが、それが出来なかったとしても責められる謂れはないと思う。
しかし奥村和一は恐らく、「『被害者だ』と訴えているのに、自身が行った加害について語らないのはフェアではない」と考えたのだろう。そしてそんな彼の想いが、「人を殺した場所を訪れ、自らの口で何をしたのか語り、『加害者』としての立場を明確にする」という行動に繋がったのだと思う。さらに、そんな覚悟が伝わってきたからこそ、監督も「絶対に映画を完成させる」と決意したというわけだ。
私は、奥村和一のこの誠実さにとにかく驚かされてしまった。繰り返しになるが、「戦時中の出来事」について元日本兵たちが何も語らないとしても、責めるべきではないと私は思っている。もちろん、「かなり上の立場の人間で、全体像を把握した上で指揮出来る立場にいた」とかなら話は別だが、奥村和一のような「末端」の人間には「言われた通りにやる」以外の選択肢はなかったはずだ。そのため、「どんな『加害行為』があったとしても、それが『命令』によるものであるならば、その人個人の責任ではない」と私は思う。そしてだからこそ、奥村和一の「自身の責任としてきちんと向き合う」という覚悟がとても誠実に感じられたし、さらに、明確な行動に移しているという事実に圧倒されてしまったのである。そういう人は他にもいるかもしれないが、決して多くはないはずだ。
「日本兵だった頃の感覚に戻ってしまう」というややこしさ
さて、奥村和一はそんな「誠実さ」に溢れた人物だと私には感じられたのだが、本作はそんな奥村和一のまた違った一面も映し出している。「人間はやはり複雑だ」と感じさせられたシーンであり、「『過去の罪を振り返り贖罪した奥村和一』が『一介の日本兵』に戻ってしまった」という、非常に印象的な場面だ。
ただその説明をするためには、もう少し「肝試し」について詳しく触れておく必要がある。日本兵の犠牲になっていたのは中国人で、縛られて動けなくさせられた中国人を前に初年兵は銃剣を構え、無抵抗の彼らに銃剣を突き刺さなければならなかった。そんな彼らは、自分が銃剣を刺している相手について、「何の罪もない農民」と聞かされていたという。これが重要なポイントである。
さて、中国を訪れた奥村和一はある人物と面会することになった。それは、「結果的に日本兵の犠牲にならなかった中国人」の息子と孫である。本人は既に亡くなっているのだが、子孫の話によると、彼は事前に「日本兵が襲ってくる」という情報を耳にし逃げていたため、「肝試し」の犠牲にならずに済んだという。そして彼らが、本人から聞いた話として当時の状況を奥村和一に語っていたのだ。
そのやり取りの中で、「逃げ出して難を逃れたのは『鉱山の警備兵』であり、共産党軍の襲撃を受けた際に『武器を置けば助けてやる』と言われて武器を置いた者」だということが判明した。そして何故かこの点について、奥村和一は子孫に厳しく問いただしていたのである。「何故戦わなかったのか」「戦わずに武器を置くなど、ただの敵前逃亡でしかない」と、かなり厳しい口調で詰め寄っていたのだ。
私には正直、このシーンを観ている時点では、奥村和一が何故そんなことを言っているのか分からなかったのだが、監督の話を聞いてようやく理解できた。つまり奥村和一は、「自分が刺し殺したのは『何の罪もない農民』などではなく、『戦わずに武器を置いた警備兵』だった」という事実に反応していたのである。
「戦わずに武器を置いた」のであれば、それは単なる「敵前逃亡兵」だ。少なくとも奥村和一の価値観ではそうなる。そしてそうだとしたら、自分の「罪」は思ったほど重くはないのではないか。奥村和一は恐らくそんな風に考えたに違いないというわけだ。
このやり取りの後、ホテルに戻った奥村和一は監督から、「殺したのが農民ではないと知って、少しは気が楽になりましたか?」と聞かれている。なかなか突っ込んだ質問をするものだと思った。そしてこの質問に対して奥村和一は、最初こそ否定していたものの、しばらくして「気が楽にならなかったと言えば嘘になる」と、正直な感情を口にするのである。これは本作の中でも特に複雑な感情を抱かせる場面であり、人間が抱える「ままならなさ」みたいなものを強烈に放つシーンだと感じられた。
監督によると、この後奥村和一は、「自分はまだ戦争のことを知らない」と口にするようになったという。そしてだからだろう、奥村和一とどのような関係にある人物なのか分からなかったが、元軍人の自宅を訪ねては、無理やり話を聞き出そうとする場面も映し出される。「押しかけて無理やり話を聞こうとする」という行動の是非はともかく、彼の想いやスタンスはとても素晴らしいものに感じられた。
このようなことを書くと、「奥村和一のように行動しなかった者はダメだ」みたいに主張していると誤解されそうだが、そんなつもりはまったくない。繰り返しになるが、戦時中のことについて口を閉ざしたり何か行動に移せなかったりしても、それは仕方ないことだと思う。私はただ、過去の振る舞いを反省し、さらに「あの時一体何があったのか?」を知ろうと奮闘する奥村和一の姿はとにかく素晴らしいと言っているだけなのだ。
「戦争」があまりにも遠いものに感じられるため、我々の想像力が失われている
さて、本作『蟻の兵隊』は第二次世界大戦(後)をテーマにした映画であり、「過去の歴史を扱った作品」と言っていいのだが、しかし同時に、本作で描かれていることはすべて現代にも当てはまるはずである。監督も、「本作が示唆することは、公開した18年前よりもむしろ今の方が緊迫度が高い」という言い方をしていた。私もそう思う。特に私は、安倍晋三が総理大臣だった時代に、「あぁ、日本はこのまま戦争に突入していくんだな」という雰囲気を強く感じていた。私には、それぐらい「戦争」がリアルに感じられていたし、それは今も大きくは変わっていない。日本の社会は全体として、どうも間違った方向に進もうとしているように思えてならないのだ。
また監督は、森友問題にも言及していた。この件では近畿財務局の職員が自殺しているが、その妻・雅子さんが数年前に本作『蟻の兵隊』を観て「同じだ」という感想を口にしたのだそうだ。起こった出来事をまるで何もなかったかのように扱い、「体裁を取り繕う」ためだけに無理筋の嘘をつき続けるという体質は、今も昔も大差ないのである。
奥村和一が随所で、「自分だってそうしていたかもしれない」という類の言葉を口にしていたのが印象的だった。彼は新兵になった後、比較的早く終戦を迎えたが(その後9年間帰国できなかったわけだが)、「もし戦争が長引いていれば、今度は自分が新兵に『肝試し』をやらせていたはず」という意味だ。また、本作には「日本兵に輪姦された」という女性が登場するのだが、彼女とのやり取りにおいても、彼は「その場にいたら自分もやっていたかもしれない」と口にしていた。
そして私は、このような認識はとても大事だと思っている。
恐らく多くの人が、「自分は、戦争が始まっても人を殺さないし、酷い振る舞いだってしない」と考えているのではないかと思う。私も、意識してはいるつもりだが、そういう感覚が根底にあることを否定するのはやはり難しい。そしてそんな風に思っていれば当然、「そんな下劣なことがやれてしまうなんて、人としてどうかしてるんじゃないか」みたいな感覚にもなってしまうだろうと思う。
しかし、そのような認識はやはり「想像力不足」と言わざるを得ない。平時を生きたことしかない人間には、有事の際に自分がどうなるか分かるはずがないからだ。そして、「過去の戦争では、多くの『普通の人』が残虐な行為をしていた」という事実を踏まえれば、「我々も有事になればどんな振る舞いをするか分からない」と認識しておくべきだと思う。有事を経験した奥村和一はその自覚を持てているわけだが、平和な日本を生きてきた私たちには、なかなかそのような想像が及ばないのである。
だからこそ、本作のような作品に触れ、少しは想像してみる必要があると私は思う。もちろん、「絶対に想像が及ばない世界」ではあるのだが、本作を足がかりにするなどして努力してみるべきだろう。そういう「想像力」を多くの人が持とうと考えなければ、「戦争はしてはならない」という感覚がどんどんと薄れてしまうはずだ。
そしてそれとは別に、本作は「国家は大嘘をつくことがある」とも教えてくれる作品である。国家は確かに国民を守るが、決して「全員」ではない。だから、「自分がいつ切り捨てられる側になるか分からない」と肝に銘じておくべきだと思う。国家はあっさりと手のひらを返し裏切ってくる。そのことははっきりと理解しておく必要があるというわけだ。
そんな教訓に満ちた作品である。
最後に
シアター・イメージフォーラムでは期間限定での上映だったのだが、どうやら連日満員のようだった。この記事をUPした時点では配信では観れなそうなので、劇場公開される機会があったら是非お見逃しなく。
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