目次
はじめに
この記事で取り上げる映画
監督:サーイム・サーディク, クリエイター:オールキャップス, クリエイター:クーサットフィルムズ, プロデュース:アポールヴァ・チャラン, プロデュース:サルマド・クーサット, プロデュース:ローレン・マン, Writer:サーイム・サーディク, 出演:アリ・ジュネージョー, 出演:ラスティ・ファルーク, 出演:アリーナ・ハーン, 出演:サルワット・ギラーニ, 出演:ソハイル・サミール, 出演:サルマーン・ピアザダ, 出演:サニア・サイード
ポチップ
この映画をガイドにしながら記事を書いていきます
この記事の3つの要点
- 「家父長制」と「宗教」が絡まりあった、「諸悪の根源」としか言いようがない父親の価値観
- 「『古い価値観』のせいで個人の人生が制約される」という状況には、共感させられる人も多いはずだ
- 「男性でも女性でもない性」を意味する「ヒジュラー」という単語が大昔から存在し、今も使われていることに対して驚かされた
私は「宗教的なもの」を全般的に毛嫌いしているので、そういう意味でも許容しがたい状況が多数描かれる作品だった
自己紹介記事
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本国パキスタンでは上映が禁止された映画『ジョイランド』は、今も残る古い家族観に翻弄される若者たちを描き出す作品だ
なかなか興味深い映画だった。
本作はパキスタンの映画なのだが、本国ではなんと、一度「上映禁止」が決まったそうだ。正直なところ、ごく一般的な日本人には、どうして本作を上映禁止にしなければならないのか理解できないだろう。それぐらい、私たちには「ごく普通のテーマ」にしか見えないはずだ。恐らくだが、パキスタンでは今も「昔ながらの家族観(家父長制)」が強いのだろうし、さらに「LGBTQへの理解」も乏しいと思われるので、そういう理由で拒絶反応が生まれてしまったということなのだと思う。
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ちなみに本作は、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユサフザイらの支援のお陰で、パキスタンでも上映されることになったのだが、しかしそれでも、監督の出身であり本作の舞台となっている地域では、今も上映禁止措置が続いているという。宗教とも関係する話だと思うのでややこしいのだが、しかし個人的には、こんな風に「国家が『個人の日常生活』を検閲する」みたいな感じはやはり好きになれないし、そんな国には本当に住みたくないなと思う。
本作はひたすらに「家族の物語」でしかなく、舞台設定も人間関係もとてもミニマムで日常的なものである。ただ特殊なのは、かつての日本のような「家父長制」が今も根強く、さらに「男は働いて家族を養うべき」「女は家で家事をするのが当然」みたいな古い価値観が当然のように蔓延っているという点だろう。そんなすこぶる窮屈な世界の中で、どうにか自分らしく生きていこうとする者たちの奮闘を描き出す作品である。
映画『ジョイランド』の内容紹介
物語の舞台となるのは、3世代9人が暮らすある一家。主人公は次男のハイダルである。彼は、実に2年間も働いていない。ただ、「お金を稼ぐ仕事をしていない」というだけで、兄サリームの娘たち(ハイダルにとっては姪)の面倒を見たり、兄嫁のヌチと分担で家中の家事を担ったりしている。ハイダルの妻ムムターズが美容部員として働き家計を支えているのだが、彼女にとっては仕事が生きがいで、「ハイダルが家事、ムムターズが仕事」という役割分担はとてもうまくいっていた。
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本作の物語は、ヌチが4人目の子どもを出産するところから始まる。検査では男の子だという話だったので喜んでいたのだが、結局生まれてきたのはまたしても女の子。ムムターズがハイダルに「5人目に挑むのかな?」と口にするほど、兄夫婦はとにかく男児の誕生を待ち望んでいる。
一方ハイダル夫妻は、子どもを持つつもりは特にないようだ。恐らくどちらともが「今のままでいい」と考えているのだと思う。ハイダルが「自分の子どもを持つこと」に対してどう考えているのかはっきりとは分からない。ただ、ムムターズは間違いなく「ずっと仕事を続けていたい」のだろうし、だから子どもを望んでいないのだと思う。
そんなわけで、この一家のバランスは絶妙な感じで保たれていたのである。父親を除いては。
年を取って足が弱っているのだろう、車椅子での生活を余儀なくされている父親は、ハイダル夫妻にも子どもが生まれることを望んでいる。恐らくその背景には、兄夫婦の子どもが女児ばかりであることも関係しているのだろう。「跡継ぎ」となる男児の誕生は、やはり父親にとっても大きな関心事なのである。
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そんな父親の希望はあったものの、とはいえ平穏に暮らしていた一家に変化が訪れたきっかけは、なんとハイダルに仕事が決まったことだった。別に探していたわけではない。友人に無理やり「劇場のダンサー」のオーディションに連れて行かれ、そのまま受かってしまったのだ。騙し討ちのようにステージに上げた友人にハイダルは怒り心頭だったのだが、しかし、ビバの登場によって気持ちが一気に変わる。今回のオーディションは「ビバのバックダンサー」を探すものであり、ハイダルはビバに一目惚れしたのだ。ビバはどうやらトランスジェンダーで、「身体は男、心は女性」のようなのだが、見た目も女性以上に女性らしく、その容姿で周囲を圧倒する存在である。
こうして、ビバに会いたいハイダルはダンサーとして働くことに決めたのだが、当然問題は山積みだ。そもそもだが、「劇場で働いている」というだけで外聞が悪い(らしい)。ハイダルは父親に「劇場の支配人」と嘘をついたのだが、それでも父親は家族に「近所には言うな」と厳命していたぐらいだ。
しかしより問題だったのは、家事の負担がすべてヌチに降りかかってしまうことである。4人の子育てと9人分の食事の用意を1人でこなすのはさすがに不可能だ。
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ではどうするか。ここで父親が「ムムターズが仕事を辞めるべき」だと決めてしまう。仕事が生きがいのムムターズとしては非常に厳しい決断だし、もちろんハイダルとしても妻をそんな辛い状況に追いやりたくはない。しかしハイダルの中では、ビバに対する恋心がどうしても勝ってしまい……。
「家父長制」と「宗教」が絡まり合った結果としての「家族のややこしさ」
本作の物語は、「ハイダルとビバの恋」を除けば、ほぼすべて家族内で展開される。「ハイダルが働きに出る」という、父親にとっては非常に喜ばしい出来事がきっかけとなって、まるで玉突き事故のように状況が変転していく展開が実に面白かった。
本作で浮き彫りにされる様々な「問題」は正直、父親がいなければ生まれなかったと言っていいだろう。そもそも、ハイダルの友人がどうして彼を無理やりオーディションに連れて行ったかといえば、「ハイダルの父親の希望(息子に仕事をしてほしい)を叶えようと思っている」からなのだ。ハイダルについて友人は、仲間内で「こいつは親父の許可がないと小便も出来ない」と口にするぐらいこの親子のことを知っており、彼なりに「どうにかしてあげたい」という気持ちを持っていたのである。
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この友人がハイダルの父親のためを思って行動しなければ彼がビバに恋をすることもなかったし、当然、ムムターズが仕事を辞める必要もなかったのだ。言い方はキツいが、私としては「父親が諸悪の根源」と言うほかない。そして、はっきりそういう主張が描かれるわけではないものの、本作は明らかに「こんな状況おかしいよね?」と訴えかける内容になっていて、恐らくそのことが「上映禁止」の理由なのだと思う。
私は世の中の様々な事柄に対して、普段から「『法を犯していない』限り、個人が何らかの形で制約されるべきではない」と考えている。ただ、実際のところなかなかそうはいかないだろう。「日本の場合は『世間』だけが善悪の基準となる」みたいな主張をする『理不尽な国ニッポン』という本を昔読んだことがあって凄く面白かったのだが、日本以外の多くの国でその基準は「宗教」であるはずだ。そして恐らく、「家族のあり方」や「性自認」なども「宗教による制約」を受けるのだろうし、そのことが問題をより複雑にしているのだと思う。
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さて、パキスタンはイスラム教の国だそうである。この点に関しては、本作を観る少し前に「パキスタンは元々インドだった」という話を知って驚かされた。確かNHKの番組を観たんだったと思う。元々はイギリスが「インド帝国」を支配していたのだが、「独立運動を弱体化させるため」みたいな名目で、「ヒンドゥー教のインド」と「イスラム教のパキスタン」に分離されたのだそうだ。「インド・パキスタン国境では、毎夕『国境閉鎖の儀式』が行われている」という話題が番組で取り上げられていて、その中でそんな歴史がざっくりと紹介されていたのである。全然知らなかったので驚かされてしまった。
そんなわけでパキスタンはイスラム教の国である。そしてイスラム教というと、国にもよるのだろうが、「女性の権利を軽視している」という印象がどうしても強いので、それで、本作で描かれているような「家父長制」「女性に対する扱いの酷さ」に繋がっていくのだろう。個人的には本当に不愉快な世界だなと思う。
「古い価値観」に根ざした問題には、我々日本人も共感できるはず
さて、タイトルの「ジョイランド」は「遊園地」を指すようで、作中には遊園地のシーンもある。ヌチと、家事に専念することになったムムターズが2人で遊園地に行こうと考えるのだ。そしてそのためには義父の許可を得なければならない。ただ本作においては、この状況が「家父長制」から来るものだと断言するのは若干の難しさがある。というのも、義父は先述した通り車椅子での生活であり、ヌチやムムターズじゃなくても、誰かが家にいて彼の世話をする必要があるからだ。
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この場面では、近所のオバサン(だと思う。関係性はよく分からなかった)に父親の世話など家のことを任せられたため、2人は遊園地に行くことが許された。しかし、まさかここからあんな展開が待っているとは誰も想像できなかったんじゃないかと思う。この展開もまた「『古い価値観』が残っているが故のややこしさ」という印象で、本当に難しいなと感じた。
ただ、本作で描かれるような「家族・地域社会のややこしさ」は、現代の日本にも残っているはずだ。「はずだ」と書いたのは、私が東京で一人暮らしをしているため実感する機会がないからである。恐らく地方の方が、「古い家族観」や「地域社会の謎の習慣」などが支配的だったりするのではないかと思う。私は子どもの頃から「家族」とか「地域社会」みたいなものに対する苦手意識が強かったのでなるべく距離を置いていたし、だから今もあまり関わらずに済んでいる。ただ、本作を観て「全然他人事じゃない」みたいに感じる人も結構いるんじゃないかと思う。
もちろん、個人の希望をすべて押し通していたら何も成立しなくなるし、だからある程度の「制約」は仕方ないと私も理解している。しかしそういう話は、本作で描かれる父親のスタンスとは関係ないだろう。「父親が最も偉い」なんて価値観に合理性などないからだ。ただ、それが「宗教」と結びついているが故にとてもややこしい。恐らく、パキスタンの若者もそんな風に感じているのだろうし、「やってらんねー」みたいな気分でいるんじゃないかと思う。
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そして恐らく、そんな風に感じる若い世代が全世界的に多くなっているのだろう。だから本作は世界中で絶賛され、パキスタン映画として初めてカンヌ国際映画祭で上映されて受賞を果たし、さらにパキスタン映画として初めて米アカデミー賞の長編映画賞の候補にもなったのだと思う。決して派手な物語ではないものの、多くの人が持っている「個人的な悩み」に突き刺さったのだろうし、それは、現代日本を生きる私たちも大差ないはずである。
「第3の性」を表す「ヒジュラー」に対する驚き
さて、ビバがトランスジェンダーだという話には既に触れたが、パキスタンにはそもそも「ヒジュラー」という単語が存在するそうだ。これは、ビバについて話すヌチとムムターズの会話中に出てきたもので、字幕上は「第3の性」という単語の上に小さく「ヒジュラー」と記されていた。調べてみると「男性でも女性でもない性」を指す単語で、「両性具有者」みたいな意味になるらしい。
私は、この「ヒジュラー」という単語にとても驚かされてしまった。というのも、「『男性でも女性でもない性』を表す単語が元々存在し、それが当たり前のように人々の間で使われている」からだ。日本において同様の概念を表現するとしたら、「LGBTQ」や「トランスジェンダー」など、外国から入ってきた単語を使わざるを得ないだろう。もしかしたら、「男性でも女性でもない性」を表す日本古来の言葉も存在するのかもしれないが、しかしそうだとしても、その単語を知っている人も使っている人も今はほとんどいないはずだ。
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しかしパキスタンでは、ビバがトランスジェンダーだと判明するや、すぐに「ヒジュラー」という単語が出てくる。それぐらい、当たり前の概念として認識されているということだろう。本作を観ているだけでは正直、「ヒジュラー」が社会的にどんな風に扱われているのかちゃんとは分からなかったのだが、いずれにせよ「古くから概念として存在し、それが今でも使われている」という事実とにまずは驚かされてしまったのだ。
そしてもう1つ気になったことがある。作中には、「ヒジュラー」に対する世間の反応がはっきり描かれる場面が一度だけあるのだが、私にはそのシーンが上手く理解できなかった。それはビバが電車に乗っている時のことで、隣に座っていた女性から、「ここは女性専用車両だから移って」と指摘されるという場面だ。
で、私が理解できなかったのは、「どうしてビバが『女性ではない』と判断されたのか?」である。ビバは見た目は完全に女性で、喋っていても男性だとは分からない。だから、外見だけから「ヒジュラー」だけは判断出来ないように思う。にも拘らず、恐らく知り合いでも何でもないはずの女性が、ただ黙って座っていただけのビバを見て「男性だ」と判断するのである。どうしてそんな判断が出来たのか、私にはまったく理解できなかった。
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もちろん、「ビバが有名人だから」と考えるのが最も理解しやすいだろう。お客を集めることが求められるダンサーであり、であればSNSもやっているはずだし、その中で「自分はヒジュラーだ」と言っていたりするのかもしれない。しかし本作での描かれ方的には、ビバが「電車に乗り合わせた人に一発で気づかれる」ほど有名な人には思えなかった。だから、どういう理屈で「ヒジュラー」だと判断されたのか、個人的にはとても気になる。
そしてそのような点も含めての話だが、パキスタン人ではない私には「『ヒジュラー』をどのような存在捉えるべきなのか」という認識が難しかったなと思う。ネットで調べた感じだと、「ヒジュラー=トランスジェンダー」というわけではなさそうなのだが、それ以上のことはよく分からなかった。もしかしたら、イスラム教という宗教的な観点からも何か特別な存在として扱われているのかもしれないし(ある種の「異端的存在」が宗教において特別な意味を持つことはあるように思う)、そういう「パキスタンにおける『ヒジュラー』の立ち位置」は、もう少し理解できたら(知った上で観れたら)良かったなと思う。
また、「『ヒジュラー』という単語はヌチとムムターズの会話の中で出てくる」というのは先述した通りだが、観客視点で言えば、「ビバがヒジュラーである」という事実をこの時初めて知ることになる。だから、「『ビバはヒジュラーである』とハイダルがいつ知ったのか」や「その事実を知ったハイダルが何か葛藤を抱いたのか」みたいなことは全然分からないまま物語が進んでいくのだ。
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こういう、「外国人であるが故に捉えきれないニュアンス」が、本作の理解を少し遠ざけていたような感触はある。その点は少し残念だった。ただこの事実は裏を返せば、「まさか世界中で観られる話題作になるなんて思っていなかった」みたいに捉えることも可能だろう。制作側も予想していなかった高評価だったのかもしれない。
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最後に
私は本当に「宗教」というものを全般的に毛嫌いしているので、「宗教によって何らかの『制約』が生まれる状況」は耐え難い。「信仰」というのはそもそもそういう性質を持つものなのかもしれないが、私は生涯、そんな状況を許容できないだろう。
長く続いてきた「宗教」の影響を排除することはとても難しいだろうが、新しい価値観に様々な形で触れている若い世代が、そういう困難さを吹き飛ばしてくれるんじゃないかとも思っている。「宗教だから」なんて理由で、個人の主義主張や権利が制約される世の中は間違っていると私は断言したい。
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生まれながらに「奴隷」だった黒人女性が、多くの人の協力を得て自由を手にし、後に「奴隷制度」について書いたのが『ある奴隷少女に起こった出来事』。長らく「白人が書いた小説」と思われていたが、事実だと証明され、欧米で大ベストセラーとなった古典作品が示す「奴隷制度の残酷さ」
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小学5年生から統合失調症を患い、社会の中でもがき苦しみながら生きる卯月妙子のコミックエッセイ『人間仮免中』はとんでもない衝撃作。周りにいる人とのぶっ飛んだ人間関係や、歩道橋から飛び降り自殺未遂を図り顔面がぐちゃぐちゃになって以降の壮絶な日々も赤裸々に描く
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小学3年生のこっこは、「孤独」と「人と違うこと」を愛するちょっと変わった女の子。三つ子の美人な姉を「平凡」と呼んで馬鹿にし、「眼帯」や「クラス会の途中、不整脈で倒れること」に憧れる。西加奈子『円卓』は、そんなこっこの振る舞いを通して「当たり前」について考えさせる
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「『正しさ』は人によって違う」というのは、私には「当たり前の考え」に感じられるが、この前提さえ共有できない社会に私たちは生きている。映画『由宇子の天秤』は、「誤りが含まれるならすべて間違い」という判断が当たり前になされる社会の「不寛容さ」を切り取っていく
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他の様々な要素を一切排し、「望まぬ妊娠をした少女が中絶をする」というただ1点のみに全振りした映画『17歳の瞳に映る世界』は、説明もセリフも極端に削ぎ落としたチャレンジングな作品だ。主人公2人の沈黙が、彼女たちの置かれた現実を雄弁に物語っていく。
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厳しい受験戦争、壮絶な格差社会、残忍ないじめ……中国の社会問題をこれでもかと詰め込み、重苦しさもありながら「ボーイ・ミーツ・ガール」の爽やかさも融合されている映画『少年の君』。辛い境遇の中で、「すべてが最悪な選択肢」と向き合う少年少女の姿に心打たれる
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実際に起こった衝撃的な事件に着想を得て作られた映画『ルーム』は、フィクションだが、観客に「あなたも同じ状況にいるのではないか?」と突きつける力強さを持っている。「普通」「当たり前」という感覚に囚われて苦しむすべての人に、「何に気づけばいいか」を気づかせてくれる作品
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どんな病気も治す「奇跡の水」の存在を私は信じないが、しかし何故「信じない」と言えるのか?「奇跡の水を信じる人」を軽々に非難すべきではないと私は考えているが、それは何故か?映画『星の子』から、「何かを信じること」の難しさについて知る
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空気を読んで摩擦を減らす方が、集団の中では大体穏やかにいられます。この記事では、様々な理由からそんな選択をしない/できない、『私を知らないで』に登場する中学生の生き方から、厳しい現実といかにして向き合うかというスタンスを学びます
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「良い子でいなきゃいけない」と感じ、本来の自分を押し隠したまま生きているという方、いるんじゃないかと思います。私も昔はそうでした。「良い子」の呪縛から逃れることは難しいですが、「なりたい自分」をどう生きればいいかを、『わたしを見つけて』をベースに書いていきます
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ジェンダー・LGBT【本・映画の感想】 | ルシルナ
私はLGBTではありません。また、ジェンダーギャップは女性が辛さを感じることの方が多いでしょうが、私は男性です。なので、私自身がジェンダーやLGBTの問題を実感すること…
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