目次
はじめに
この記事で取り上げる本
著:上原 善広
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ポチップ
この本をガイドにしながら記事を書いていきます
この記事の3つの要点
- 著者・上原善広が取材と執筆に18年掛け、「溝口和洋の一人称」という特異なスタイルで完成させたノンフィクション
- 日本のトップ選手の5倍のウェイトを日々行い、「なぜウェイトを行うか」の理由も明快に持っていた
- 「左右で長さの異なるスパイク」や「速く走るための猫背」など、溝口和洋が生み出したスタイルが世界標準となっている
スポーツに限らず、目標を持って何かに邁進しているすべての人に刺さるのではないかと思う凄まじい生き様
自己紹介記事
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努力と思考力がずば抜けていたやり投げ選手・溝口和洋の様々な伝説を「一人称」で描く異端ノンフィクション『一投に賭ける』
溝口和洋というアスリートのことをご存知だろうか? 私は本書で初めてその存在を知った。やり投げの選手であり、「欧米人に体格で劣る日本人は世界に匹敵することは不可能」と言われていた時代に、「『努力』という言葉では足りないぐらいの圧倒的な練習量」と、「『常識をすべて疑って自分の頭で考える』という凄まじい思考力」を武器に、世界と闘ったとんでもないアスリートだ。
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彼は一度「幻の世界新」を出している。どういうことか。溝口和洋は「計測時に恐らく不正があったはずだ」と考えている。
冷静に考えると、いくら安物のメジャーを引っ張ったとして、それで8cmも縮むわけがない。おそらく芝生にいた計測員が、再計測のとき、故意に着地点をわずか手前にずらしたのだ。
最初の計測では「87m68」とアナウンスされ、これは当時の世界新記録だった。しかしその後再計測となり、記録は「87m60」に変更となる。今でもまだ残っているかもしれないが、彼が「幻の世界新」を出した1989年当時はまだ、スポーツの世界にも人種差別的な考え方があった。主力選手のほとんどが欧米人である投てき種目において、アジア人の台頭を好まない計測員が着地点をずらしたのではないかと疑いを挟む余地があるというわけだ。
結果として世界記録とはならなかったが、しかし、体格では圧倒的に劣る日本人が、そのすさまじい努力によって欧米人に匹敵出来たことは間違いない。
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そんな溝口和洋は、異端のアスリートとしても知られている。そのことがよくまとまっている文章を引用しよう。
中学時代は特活の将棋部。高校のインターハイにはアフロパーマで出場。いつもタバコをふかし、酒も毎晩ボトル一本は軽い。朝方まで女を抱いた後、日本選手権に出て優勝。幻の世界新を投げたことがある。陸上投擲界で初めて、全国テレビCMに出演。根っからのマスコミ嫌いで、気に入らない新聞記者をグラウンドで見つけると追い回して袋叩きにしたことがある……。
それらの噂の真偽は、取材当時はわからなかったが、溝口和洋が日本陸上界で誰もが認めるスターだったのは間違いない。
本書の著者である上原善広は知り合いの記者から、「絶対にインタビューなんかできない」と忠告されていたそうだ。確かに、そう言いたくもなるだろう。しかし著者は、18年もの年月を掛けて溝口和洋から話を聞き、その生涯を「溝口和洋の一人称視点」という普通じゃないやり方で1冊にまとめた。
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ノンフィクションは普通、「新聞のような客観的な文章」か「著者自身による一人称」で描かれるものだろう。しかし本書は、「溝口和洋の一人称視点」で描かれている。まるで溝口和洋本人が執筆したかのような書き方というわけだ。私はノンフィクションをそれなりに読むが、このようなスタイルの作品はかなり珍しいと思う。もちろん、無名の書き手がゴーストライターとして「著名人の一人称」で本を執筆するなんてことはいくらでもあるだろう。しかし、上原善広のような名のあるノンフィクション作家が、自身の名前を冠した作品で、対象となる人物の一人称で執筆するというのはなかなか異例と言えるはずだ。
客観的に描像するのが困難な人物だったのか、あるいは「溝口和洋」という人物を描き出すにはこの手法が最適だと考えたのか、その辺りのことはよく分からない。ただ、一般的なノンフィクションと比べてやはり感覚は違うため、特異な読書体験になったことは確かだと言える。
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「本気の努力」のレベルに圧倒される
溝口和洋の「本気」は、ちょっと常軌を逸している。その異常さは、例えば次のような文章を読めば実感できるだろうと思う。
懸垂のMAXとは「できる限り回数をやる」ことになる。例えば懸垂を十五回できるのなら、それをできなくなるまで何セットでもやり続ける。間に休憩を入れても良いが、五分以上、休むことはあまりない。初めは反動なしでの懸垂だ。
この懸垂ができなくなった初めて、反動を使っても良い。それでもできなくなったら、足を地面に着けて斜め懸垂をやる。
ここまでくると指先に力が入らなくなり、鉄棒を握ることすらできなくなっている。ベンチをやっている時から、シャフトを強く握っているからだ。
しかしここで止めては、100%とはいえない。
そこで今度は、紐で手を鉄棒に括りつけて、さらに懸垂をおこなう。さすがに学生たちは本当に泣いていたが、ここまでやらないと、外国人のパワーと対等には闘えないのだから、無理は承知の上だ。
どうだろうか。このような練習を、彼は日常的に行っていたのだ。通常の練習時には日本トップ選手の5倍のウェイトを行い、大会後や調整時期などは「軽め」にするために抑えていたそうだが、それでもトップ選手の3倍はやっていたという。聞いただけでめまいがしてきそうな話である。
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また、後で触れる「思考力」にも関係する話だが、ウェイトについてはこんな考えも持っていたそうだ。
私にとってウェイトは、繊細にして最大の注意を払うべきトレーニングだ。ここでウェイトの話をすることは、私自身を説明することに他ならない。
ウェイトこそ、私の哲学の実践だといっても過言ではない。
ウェイトをすると「身体が硬くなる」、または「重くなる」という人がいる。
しかし、私から言わせると、それはウェイトを「単に筋肉を付ける」という目的でやっているからだ。短距離なら「速く走るためのウェイト」をしなくてはならない。これをしていないから、身体が重く感じるのだ。
では、その種目に合ったウェイトとは一体、どういうことなのか。
一言で言えば、ウェイトは筋肉を付けると同時に、神経回路の開発トレーニングでなければならない。筋肉を動かすのは、筋肉ではない。脳からつながっている神経が動かすのだ。
この神経がつながっていないとせっかく付けた筋肉が使えない。結果、身体が重く感じてしまう。物理的にも重くなっているのだからそう感じて当然だ。
現代でこそ、このようなウェイト理論は一般的にも知られているかもしれないが、溝口和洋が現役の頃には、当然インターネットもなかったわけで、アスリートの間でも広くは知られていなかったのではないかと思う。そういう時代にあって、ウェイト1つとっても「何故それをやるのか」という理屈がきちんと明確になっており、その上で圧倒的な練習を積んでいるというわけだ。溝口和洋の存在を知ると、「努力」という言葉を安易に口にしてはいけないという気分になるし、その凄まじさに驚かされてしまうだろう。
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「自分の頭で考える力」が圧倒的
多分に偏見が含まれた考えだと自覚しているが、アスリートの中には「思考力」が優れているとは言えない人も多いのではないかと思う。別にそれでもいいだろう。きちんとしたコーチがついて、練習メニューや調整などを指導してくれていれば、アスリート本人の思考力が問われる機会はさほどないかもしれない。
しかし溝口和洋はそうは考えなかった。
精神と身体は不可分であり、そのため両方の素質が必要となる。
精神面の才能とは、やる気があるとか、そんな基本的な話ではない。スポーツ選手にも、考える感性やセンスといったものが必要になる。それは簡単にいえば、「自分で考える力」があるかどうか、その考える方向は合っているのか、ということだ。
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そしてそんな彼が徹底したのが、「常識を疑うこと」である。
私に信条というものがあるとしたら、「世の中の常識を徹底的に疑え」に尽きるだろう。
世の常識というのは、ただの非常識だと思った方が良い。
溝口和洋がこう言い切るのも当然に感じられる。本書には、驚くべきエピソードが数多く紹介されているからだ。
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現在、やり投げ選手の多くは、この左右の長さが違うスパイクを履いているが、これは私が世界で初めて使ってから広まった。海外でこの左右非対称のミズノ製スパイクは「ミゾグチ」と呼ばれている。
「左右で長さが異なるスパイクを履く」というスタイルを編み出し、それが現在では世界標準になっているというのだ。スパイクの名前に、まさに溝口和洋が先駆者である証が残っている。
このクロスのフォームは、助走のときの猫背より驚かれた。
なにしろクロスのときに跳ばない選手は、今まで世界で誰もいなかったからだ。ガニ股だったのも、面白かったのだろう。「まるでロボットだ」とも言われた。まあ、言いたい奴には言わせておけばいい。
やり投げの際のフォームも、誰も見たことがなかったものだったそうだ。しかしこのフォームで溝口和洋は、「幻の世界新」を出している。
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中でも最も驚かされたのがこの記述だ。
早く走ろうと思うのなら、上半身は猫背のように前かがみ気味になって、腿を体の前の方で回す感じにするといい。こうすれば、誰でも早く走れる。
私は何度も助走練習していて、この猫背の姿勢で腿を前で回転させれば、早く走れることを知った。というより、速く走ろうとすれば、それしか方法がないのだ。
これは1990年代に入るまで、世界の舞台でもほとんど見られなかった。短距離界でもまだ気づいていなかった技術だ。現在では多くの選手がスタートしてから前半は前かがみになって走っているが、私はこれに1989年の段階ですでに気づいていた。なぜ短距離選手がこの動きをしないのか、不思議でならなかった。
やり投げのスタイルに限らず、「速く走る方法」についても独自のやり方を見出し、今ではそれが世界標準になっているというのだ。王貞治の「一本足打法」やイチローの「振り子打法」など、「生み出した人物が誰なのかは知られているが、決して『唯一の正解』というわけではない」みたいなものは世界中に多々あるだろうが、溝口和洋の場合は、自身の努力によって「唯一の正解」を導き出しているのである。それはまさに、「常識を疑う」ことでしか成し得ないだろう。
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とにかく、考えられることは何でも試して、自分のものにしてくのだ。さすがに日本人はもとより、外国人でもここまで考えて徹底している者はいなかったが、後々、私の真似をすることで彼らの記録も伸びていくことになる。
本書では、溝口和洋の「アスリートらしからぬ一面」についても様々に触れられる。仲良しこよしで馴れ合いのような日本人選手にイライラしたり、何をするわけでもないのに賞金だけ奪っていくJAAFに怒りを覚えたり、何も知らないくせに好き勝手に記事を書くマスコミを毛嫌いするなど、自分の周りにいるあらゆる物事に対して敵意をむき出しにしていた。
そのような彼のスタンスは、その凄まじい「思考力」を知ったことで理解できたような気がする。なにせ彼は、やり投げのためにひたすら考え続ける人生を送っていたのだ。
私はやり投げを始めたときから、正確には大学生になってやり投げのために生きることを決意したときから、日常生活も含め、全てをやり投げに結び付けてきた。箸の上げ下ろしから歩き方まで、極端にいえばセックスをしている最中でも、この動きをやり投げに応用できないかと考え続けてきた。
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普通なら、こんなことを言う人に対しては「胡散臭い」と感じてしまうところだが、溝口和洋の場合は、「本気で言っているんだろうな」と感じさせられる。本書を読むと、それぐらいの努力はしているのだろうと、素直に思えるのだ。
溝口和洋は、アスリートなのにタバコを吸っていると批判されることもあった。それに対して、こんな風に書いている。
タバコを吸うと持久力が落ちるというが、タバコは体を酸欠状態にするので、体にはトレーニングしているような負荷がかかるから事実は逆だ。タバコを吸うと階段が苦しくなるというのは、単にトレーニングしていない体を酸欠状態にしているからだ。
そう説明されれば「なるほど」と感じてしまう。そもそも、すべてをやり投げのために注ぎ込んでいる溝口和洋が、やり投げにマイナスになるようなことをするはずがないのである。そこには、溝口和洋なりの突き詰めた思考力があるというわけだ。しかし、彼がそこまで考え抜いているのだと周囲は理解せず、目に見える言動だけから判断する。溝口和洋からすれば、「何も考えていないお前らの言ってることなんか聞くかよ」という感覚だったのだろう。
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では、これまでの自分は才能だけでやってきたのか、それとも努力でやってきたのだろうか。
相変わらず1日10時間以上のトレーニングを続けながら、私はその点を確認、実験することにした。
90mを目指したために、ここまで破壊され動かなくなった体が、一般選手と同じ状態にあたる。この体で、果たして努力だけで80mが投げられるものかどうか。
そのためにもう一度、初めからトレーニングを見直すことにした。私は、自分が何を積み上げてきたのかを明らかにしたかったのだ。
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才能・センスがない【本・映画の感想】 | ルシルナ
子どもの頃は、自分が何かの才能やセンスに恵まれていることを期待していましたが、残念ながら天才ではありませんでした。昔はやはり、凄い人に嫉妬したり、誰かと比べて苦…
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