【本質】子どもの頃には読めない哲学書。「他人の哲学はつまらない」と語る著者が説く「問うこと」の大事さ:『<子ども>のための哲学』(永井均)

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:永井均
¥770 (2022/03/14 06:04時点 | Amazon調べ)

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「他人の哲学を理解すること」はつまらないし、それは「哲学すること」とは程遠い行為だ
  • それが何であれ、考えるべきと感じる問題があるなら、そこがスタート地点となる
  • 子どもなりの視点で捉えた「問い」を大人になっても手放さないことが何より大事

「哲学」はなかなか身近には感じられないが、「考えることの本質」を教えてくれる作品だと捉えてほしい

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「哲学する」とはどういうことか?「『哲学』という概念を知らずに哲学すること」について説く、永井均『<子ども>のための哲学』

決して子ども向けではない、「『哲学する』とはどういうことか?」を問う作品

本書のタイトルだけ見ると、「子どもでも読める哲学の入門書なのだな」と判断してしまうだろうが、それは間違いだ。決して「タイトルに偽りあり」というわけではないが、「子どものための哲学書」という意味ではない

というか、大人が読んでもかなり苦戦する、相当難易度の高い本だと言っていいだろう。

本書の基本的なテーマは、「『哲学する』とはどういうことか?」である。この問いは、案外難しい。

普通「哲学」と聞けば「過去の哲学者の知見を知ることだ」と思うだろう。本書にも、まさにそのことを指摘したこんな文章がある。

哲学といえば、たいていのひとは、ソクラテスやプラトンからデカルト、カントをへて、ハイデガー、ウィトゲンシュタインにいたる西洋哲学史上の人物を思い浮かべるようだ。そして、哲学を学ぶとは、そういうひとたちの書いたものを読んで、理解することだと思っているひとが多い。しかし、そういうやり方で、哲学の真髄に触れることは、絶対にできない。少なくとも、ぼくはそう確信している。
本人にとってはどんなに興味深い、重大な意味をもつものであっても、他人の見た夢の話を聞くことは、たいていの場合、退屈なものだ。それと同じように、他人の哲学を理解することは、しばしば退屈な仕事である。そして、どんなによく理解できたところで、しょせんは何かまとはずれな感じが残る。ほんとうのことを言ってしまえば、他人の哲学なんて、たいていの場合、つまらないのがあたりまえなのだ。おもしろいと思うひとは、有名な哲学者の中に、たまたま自分に似た人がいただけのことだ、と思ったほうがいい。いずれにしても、他人の哲学を研究し理解することは、哲学するのとはぜんぜんちがう種類の仕事である。

私もずっと、「他人の哲学を理解すること」を「哲学」だと思っていた。まあそれも間違いというわけではないだろう。しかし著者の理解とは違う。著者は、「他人の哲学を理解すること」ではない「哲学」について、本書で語っていくのだ

そしてそれは、「哲学」をより身近なものに近づける行為でもあると言える。「哲学なんか学んでどんな意味があるのか?」という問いとはまったく異なる次元の話が展開され、「哲学すること」の別の側面を捉えることができるようになるはずだ。

そういう本として、是非手にとってほしい。

「哲学すること」について語る著者のアプローチ

著者は本書で、「子どもの頃からずっと考え続けていた2つの大きな問題」を取り上げている。そして、その2つの問題にどう向き合い、どのように思考を深めていったのかという過程に触れることで、「『哲学する』とはどういうことか?」という問いに答えようとするのだ。

2つの問題とは、

  • なぜぼくは存在するのか?
  • なぜ悪いことをしてはいけないのか?

である。

問題そのものは、非常にシンプルだと言っていい。誰だってこんな問いを、ふとした瞬間に頭に浮かべたことがあるだろう。

しかしこの問いを著者が深めていく過程は、決して易しくない。私は正直、その議論の展開にほぼついていくことができなかった。少なくとも、さらさらとページをめくって読めるような本ではない。文章のあちこちで立ち止まって、考え、悩み、しかしそれでも理解が及ばずに次に進んでいくことの連続ではないかと思う。

この記事では、著者の2つの問題についてこれ以上は触れない。それは、私があまり理解できなかったからという理由もあるのだが、より本質的な理由もある。

それについては著者の文章を引用しよう。

読者のかたがたが、もし万が一ぼくの問題と同じ(あるいは似た)問題をもっておられるなら(ぼくの考えも参考にしつつ)考えてみてほしい。別の問題をもっているなら(ぼくのやり方を参考にしつつ)考えてみてもらいたい。何も考えるべき問題がなければ、もちろん何も考えなくていい。でも、もし考えるべき問題があるならば、それを考えぬいてみてほしい。それはだれにでもできることなのだし、哲学なんてそこからしか始めようがないのだ(ただし、人生の悩みや苦しさから哲学をはじめてはいけない。それは必ず悪い思想を生み出すから)。ぼくが言いたかったことは、せんじつめればただそれだけのことだ。

要約すればこうなるだろう。「悩みや苦しさを除けば、考えるべき問題はなんでもいい。それがあるなら考えろ。ないなら考えなくていい」。「どんな問題について考えるか」は重要ではないのであり、だからこそ、著者が子どもの頃から抱き続けてきた問いも、それそのものは大きな意味を持たないのである。

そして、まさにこの点にこそ、「『哲学する』とはどういうことか?」に対する答えとなり得る観点が含まれているのだ。著者はこんな風に書いている。

つまり子どものときに抱く素朴な疑問の数々を、自分自身がほんとうに納得がいくまで、けっして手放さないこと、これだけである。

本書で徹底して貫かれている思想はまさにこれだ。「哲学すること」に必要なのは「納得いくまで疑問を手放さないこと」だと断言し、それだけで十分だと語るのである。というか著者は、そうでなければ「哲学の真髄に触れることは、絶対にできない」と主張する。

このような考えはなかなか耳にする機会がないし、「哲学」というもののイメージを大きく変えることだろう。そして、なぜだか分からないがある種の問いにずっと囚われ続けてしまっている人には、救いになる言葉ではないかと思う。

「<子ども>」という表記が意味すること

「<子ども>」という表記について定義めいた文章はないのだが、ヒントになると思うものはある。

つまり、大人になるとは、ある種の問いが問いでなくなることなのである。だから、それを問い続けるひとは、大人になってもまだ<子ども>だ。そして、その意味で、<子ども>であるということは、そのまま、哲学をしている、ということなのである。

子育てをしている人はより強く実感できるだろうが、子どもはどんなものでも「なんで?」「どうして?」と問う生き物だ。目の前の様々なモノや出来事に対して、純粋な疑問を抱く。知識がない故の単純な質問もあるだろうが、「そんな視点で世界を捉えたことなどなかった」と感じさせる発想の疑問もあることだろう。

しかし大人になると次第に、このような問いをしなくなる。著者は論理を逆転させ、「そのような問いをしなくなることこそ『大人になる』ということだ」と書いているが、確かにそうなのかもしれない。なんとなく、「こんな質問をしたらバカだと思われるかもしれない」「これを知らないなんて恥ずかしいことなんじゃないか」など考えるようになってしまうだろう。確かにそれは「大人になる」という一側面だとは思うが、しかし、純粋な問いは失われてしまう。

そして著者は、年を重ねても子どもの頃に抱いた問いを保持し続けている人を「<子ども>」と表記するのだ。

まさに著者自身がそういう子どもだったという。彼は幼い頃から手放せない問いをずっと抱えてきたが、周りの子どもも、あるいは大人でさえ、そのような問いを持っていないのだと気づいて驚かされる。そして彼は、自分がどうしても囚われてしまう問いを考え抜き、そのまま哲学者になったのだそうだ。

まさに本書は、

自分自身の<子ども>の驚きから出発して、みずから哲学しようとするひと、せざるをえないひとのために書いたのだ。

という内容になっている。

ちなみに著者の主張によれば、「一般的な意味での『哲学』を知ってしまえば、『哲学すること』は困難になる」そうだ。これは、オリンピックに出るようなアスリートの子ども時代を想起させるような話だと感じる。トップアスリートの多くは親が選手やコーチであり、物心つく前に競技を熱心に練習する環境があるものだ。その競技をやりたいと思っているのかという意思を確認してから始めたのでは遅いのである。「哲学すること」にも似たところがあり、一般的な「哲学」にきちんと触れる以前から否応なしに何かの問いに囚われていなければ、「哲学の真髄」には触れられないのだろう。

なかなか大変な世界だが、著者が言うような厳密な意味で「哲学すること」を目指す必要はない。本書では、概念的な思考をどう展開して深めていくかが語られるので、「考える」という観点からも有意義だと言えるだろう。

「考えること」は誰もが当たり前にやっている行為でありながら、同時に、何をしているのか上手く説明できない行為でもある。その本質に迫ることは簡単ではないが、子どもの頃からずっと考え続けている哲学者の思考から、そのヒントになるものがきっと得られるだろうと思う。

著:永井均
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最後に

「哲学」と聞くと反射的に「自分とは関係ない」と考えてしまう人も多いだろう。私は知的好奇心から「哲学」に対する興味をずっと持ってはいたが、しかしやはり「他人の哲学を理解する」という捉え方に留まってしまっていた。

著者の主張する「哲学」だけが唯一の哲学だとはもちろん思わないが、「哲学」の捉え方を大きく広げてくれる作品だと言えるだろう。

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