【繊細】映画『ぼくのお日さま』(奥山大史)は、小さな世界での小さな恋を美しい映像で描く(主演:越山敬達、中西希亜良、池松壮亮、若葉竜也)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

この3人だからこそ成立した関係性が、この3人だからこその帰結を迎えてしまったのだと思う

犀川後藤

「名前の付かない関係性」であるが故の「脆さ」が悪い方に働いてしまった感じがある

この記事の3つの要点

  • 小さな世界の中での小さな恋を丁寧に描き出す芳醇な物語
  • 「フィギュアスケート」というモチーフの絶妙さ、そして、この3人だからこそ生まれ得た奇跡的な関係性
  • 映像・音楽・演技を含め、すべての要素が「美しさ」に繋がっている
犀川後藤

予告を観て漠然とイメージしていた雰囲気とは違った感じがあり、その点を含めて全体的にとても素敵だった

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

映画『ぼくのお日さま』(奥山大史監督)は、「ミニマムな世界で繰り広げられるささやかな恋」と「美しい映像」がとても素敵な作品だった

本作『ぼくのお日さま』の予告映像は映画館で何度も観ましたが、その時に漠然とイメージしていた作品と全然違っていて少し驚きました。決して「綺麗」なだけの物語ではなく、そして、だからこそより良かったような気がします。

いか

映像や音楽を含めた全体の雰囲気から、「綺麗な物語なんだろうなぁ」って想像出来るような予告だったよね

犀川後藤

綺麗なのは間違いないんだけど、「そうか、そういう要素も入ってくるのか」みたいな部分がビックリだったんだよなぁ

「フィギュアスケート」というモチーフの絶妙さと、予告編で示唆された「3つの恋」の話

本作においては、まず何よりも「フィギュアスケート」というモチーフが絶妙だったなと思います。ある人物が作中で、「フィギュアスケートは女のスポーツ」と口にするのですが、そういう印象を上手く織り込んだ物語だったからです。ちなみにですが、本作の主人公であるコーチの荒川は二つ折りの携帯電話を持っていました。これは、「荒川はスマホに手を出さないタイプの人間だ」という描写の可能性もありますが、それよりも「ガラケーが主流だった時代の物語」と捉える方が自然でしょう。そしてそうだとすれば、「フィギュアスケートは女のスポーツ」という印象は、今よりももっと強かったと言っていいはずです。

フィギュアスケート以外にも「『女性向け』という印象のスポーツ」はあるでしょうが、その上で「男がやっても不自然ではないもの」はそう多くないように思います。「シンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)」や「新体操」なども「女のスポーツ」という印象は強いものの、「男がやるには少し不自然」な感じがするでしょう。なので、本作の物語を成立させられるスポーツは「フィギュアスケート」ぐらいしかなかったんじゃないかと思います。

いか

映画『ウォーターボーイズ』だって、「男がシンクロナイズドスイミングを始めるのは意外」って前提があるからこそ成立するんだしね

犀川後藤

本作では、「男も案外自然にそのスポーツに関われる」って要素は欠かせないからなぁ

さて、本作の予告編では、「3つの恋が描かれる」と示唆されていました。確かナレーションで、「雪が積もってから溶けるまでの、3つの恋の物語」みたいなことを言っていた気がします。しかし本編を観ながら私は、「予告編で『3つの恋』って言及してくれてなかったら、描かれているすべての『恋』に気付けなかったかもしれない」と感じていました。「どこに3つも?」と思っていたのです。

まず、冒頭からはっきりと分かる「恋」が1つあります。それは、小学6年生のタクヤがフィギュアスケートの練習をするさくらに向けるものです。誰が見たってこれは「恋」だと分かるでしょう。

いか

でもホント、しばらくはこれしか捉えられてなかったよね

犀川後藤

「3つの恋」ってのが頭になかったら、「あと2つ」みたいにも思わなかったはずだし、スルーしてた可能性は全然ある

さて、しばらくしてもう1つの恋も理解出来ました。こちらについても、冒頭から人物やその関係性は描かれます。にも拘らずしばらく気づかなかったのは、単に「家族と暮らしている」みたいに考えていたからです。まあこの関係性に関しては、しばらく観ていれば確実に分かっただろうし、見逃すことはなかったはずだと思います。

問題は3つ目です。この点については本当に、「3つの恋」という事前情報があったからこそ気づけたという感じです。「気づけた」というか、「消去法で考えれば、これ以外にはない」みたいな認識でしょうか。確かに、「そうだとすればあの状況も納得」みたいなシーンを思い出すことも出来るわけですが、ただ正直なところ、「『恋』だと言われなければ、そうとは気づかなかった可能性の方が高い」と思います。

いか

登場人物が少ないから「消去法」で判断出来たんだけどね

犀川後藤

しかしホント、それが「恋」だとは思わなかったなぁ

本作はそんな風に、「フィギュアスケート」という絶妙なスポーツをモチーフにしつつ「小さな恋」を描き出す物語です。

「小さな恋」のあまりにも絶妙な関係性

さて、この「3つの恋」は実に興味深い形で展開されていきます「興味深い」という書き方をしたのはあくまでもネタバレを避けるための表現であり、別に「面白い」という意味ではありません。「3つの恋」は、実に思いがけない形へと収束していくのです。

すべてのきっかけは「タクヤがさくらを好きになったこと」だと言っていいでしょう。本作の物語の起点であり、また、「3つの恋の『結末』」が始まる起点でもあります。

いか

もちろん、「タクヤがさくらを好きになったこと」自体は何も悪くなんかないんだけどね

犀川後藤

ただ、結果が分かった状態だと、「難しいものだなぁ」って感じちゃうんだけど

物語はとにかく、「タクヤの恋」を起点にして静かに静かに展開していきます。「作中のどこかで、何か音を立てるようにして物語が一気に動き出す」なんてことはありません。いや、そういうシーンはあるのですが、それは「下り坂」での出来事であり、「恋が進展していく過程」は、「上り坂」であることにさえ気づかないような緩やかな勾配をゆっくり歩いていくみたいな感じで進んでいくのです。

しかも、すべてのことが「タクヤの恋」から始まっているにも拘らず、様々な状況の変化に対して、タクヤはある種「傍観者」的な立ち位置に追いやられてしまいますタクヤ視点で状況を追っていたら、「意味不明」としか感じられないでしょう。タクヤには預かり知らぬところで色んなことが起こっていて、だから彼は、「何でこんなことになっているんだろう?」みたいに思うしかありません。恐らくタクヤは、「すべての起点が自分にある」ということにも気づいていなかったはずです。まあそのこと自体は、タクヤにとって悪くないだろうと思いますが。

いか

「この状況は、実は全部自分のせいだった」みたいに感じちゃうとしたらしんどいからね

犀川後藤

でも、「何がどうなってるんだか分かんない」ってモヤモヤの方が嫌だって人もいるかもなぁ

本作で描かれるのは、「タクヤ・さくら・荒川の3人だったから辿り着けた関係性」だと思うのですが、しかし同時に、「『この3人だったからこそ崩れてしまった』という矛盾を孕んだ関係性」であるとも言えます。「本作のような帰結を回避できた可能性はあるだろうか?」と考えたくもなりますが、「3人共が自身の価値観に正直に生きる」という選択をする以上、このような結末は恐らく避けがたかったでしょう。

そして、そんな事実がとても淋しいことに感じられるのです。

犀川後藤

「奇跡的な関係性」だと思えるからこそ、「その奇跡がずっと続いてほしい」って思ってしまった

いか

「こんな奇跡は続きはしないんだぞ」みたいに突きつけられている感じがあって、悲しかったよね

また、「もしもフィギュアスケートじゃなかったら?」とも考えてみました。ただ、「女のスポーツ」という印象のことは無視出来たとしても、フィギュアスケートじゃない場合、本作においてはとても重要な「アイスダンス」も無くなってしまいます。だとすればやはり、「この3人があれほどの多幸感を醸し出す関係性を築き上げることはなかっただろう」と思えてしまうのです。やはりフィギュアスケートでなければならなかったし、でも、フィギュアスケートだったからこそこうなってしまったとも言えるでしょう。

私はいつも「名前が付かない関係性」に惹かれます。物語世界に限らず、リアルの世界でも私は「名前が付かない関係性」を希求しているし、「自分が築く関係性はすべからくそうであってほしい」と思っているタイプです。そして、本作『ぼくのお日さま』で描かれる3人の関係性には、結果として名前が付くことはありませんでした。普段なら、そのことにある種の「尊さ」を感じるはずなのですが、本作に限ってはそうとも言い切れない部分があります。

というのも、「名前さえ付いていれば、彼らの関係性は保存されたかもしれない」みたいに感じるからです。「名前が付かない関係性」は、「名前が付いていない」という性質ゆえに脆く、その脆さが良いと私は思っているのですが、タクヤ・さくら・荒川に関しては、「たとえ『脆さ』を失ったとしても、名前が付くことで、もう少し強固な関係性になっていてほしかった」みたいな気持ちにもなりました。でもやはり、彼らの関係性には「名前が付いていないからこその良さ」があるんだよなぁ。本当に難しいなぁと思います。

いか

「脆いのに崩れていない」っていうのが、「名前が付かない関係性」の最大の魅力だからね

犀川後藤

やっぱりどうしても、そういう関係性に惹かれちゃうんだよなぁ

そして本作が凄いのは、そんな複雑なモヤモヤを、「フィギュアスケート・アイスダンスの練習を行う日常」だけでほぼ描き出しているという点です。その「巧みさ」に驚かされました。「舞台設定」も「メインで描かれる登場人物の数」も実にミニマムながら、とても奥行きの広い物語に仕上がっています。雰囲気としては何となく、映画『PERFECT DAYS』に近い感じがしました。「はっきりとは何も描いていないのに、そんな描写の連続によって何かが明確に浮かび上がってくる」みたいな印象で、凄く良かったです。

音楽・映像も実に素敵だった

さて、私は映画を観る際、「映像」や「音楽」には普段あまり意識が向きません「映像が綺麗だった」「音楽が映像にメチャクチャ合っていた」みたいな感想があまり浮かばないし、浮かんだとしても、それが作品全体の評価にはあまり繋がらないのです。

犀川後藤

いつも書いてることだけど、基本的には「物語そのもの」とか「ストーリー展開」にしか興味が持てない

いか

そういう意味では、「映画でなければならない」みたいなことは全然ないんだよね

ただ本作では、そんな私が反応するくらい、「映像」「音楽」も素敵でした

まず本作では、ドビュッシー『月の光』が随所で流れます荒川が選手時代に、この曲でよく踊っていたのだそうです。そしてこの『月の光』が、作品全体にとてもマッチしていました。「氷の上を優雅に滑っている感じ」や「3人の関係性がゆったりと進展していく雰囲気」が上手く表現されているという感じです。また、とてもスローテンポな曲調なので、雪降る冬の北海道のゆったりとした雰囲気にも合っているし、さらに言えば、「3人の関係性が遅々として進まない」みたいな状況をゆるりと包容していく印象もあって、凄く良かったなと思います。

また音楽の話で言えば、湖に向かう途中の車内で掛かっていた曲がそのまま連続的に湖のシーンでも使われていて、この演出もとても良かったです。「曲の雰囲気」と「3人の関係性」の感じが凄く合っていたのは当然として、さらに、「それまでどうにもぎこちなさが抜けなかった3人が、この瞬間を境に、殻を脱ぎ捨てたかのように親密になった」みたいな感じも伝わってきました。音楽を含め(どんな曲だったのかは忘れてしまったが)、とても良いシーンだったなと思います。

いか

しかし『月の光』って、なんであんなに良い曲に聴こえるんだろうね

犀川後藤

メチャクチャシンプルなんだけどなぁ

さて、映像の話でまず印象的だったのは、画面が「1:1の正方形」だったことです。始まってすぐは気づかなかったのですが、「なんかいつもと違うな」と思ってその違いに目が向きました

この「アスペクト比が1:1の映像」に関しては、以前、米津玄師『Lemon』のMVに関しての記事を流し読みした記憶があります。「正方形の映像にした理由」について、MVの監督がインタビューの中で「いつどの時代の人が観ても普遍性を感じてもらいやすくするため」みたいに答えていたはずです。「正方形だと何故普遍性が感じられるのか」については説明されなかったと思いますが、私は次のように解釈しました。例えば、映画は一般的に横長のスクリーンだし、スマホの映像は縦長であることが多いでしょう。このように「デバイスの制約」によって普通「映像の形状」は決まってしまいます。ただ、私たちはこれまで「『正方形の映像』を当たり前に目にする環境にはいなかった」わけで、そのため「『特定の制約に依存していない』という印象をもたらす」のではないでしょうか。的を射た説明かは分かりませんが、自分の中では何となく納得しています。

いか

逆に言えば、「どうして『正方形の映像』に馴染みがないのか」は不思議だけどね

犀川後藤

映像じゃないけど、思いつくのはポラロイドカメラの写真ぐらいかなぁ

さて、先ほど私は、「荒川がガラケーを使っていたから、舞台設定は少し前かもしれない」と書きましたが、逆に言えば「そうとでも考えないと時代設定を絞り込めない」とも言えるでしょう。作中に「はっきりと時代設定を確定できる要素」は出てこなかったはずだし、恐らくそれは制作側の意識的な選択によるものだと思います。「正方形の映像」を選択したことも含め、「現在でも過去でも未来でもない」みたいな雰囲気を醸し出そうとしたとも考えられるでしょう。

また、これは自分で気づいたことではなく、Filmarksの感想をチラ見していて「確かに」と感じたことなのですが、本作は「自然光」が使われているシーンが多いと思います。そしてやはり、そういうシーンの方が「映像的な美しさ」は強くなるでしょう。どのシーンも大体美しい映像に仕上がっていたのですが、言われてみると確かに、スケートリンクなどの室内よりも外のシーンの方が美しかった印象で、「なるほど、自然光を上手く使っているからなのか」と感じました。

いか

こういうことに自分で気付けるといいんだけどね

犀川後藤

ただ、視覚・聴覚の反応は弱いからどうにもならないんだよなぁ

俳優陣について

それでは最後に、本作に出演している俳優陣の話に触れてこの記事を終えることにしましょう。

荒川を演じた池松壮亮はもちろん安定感抜群でしたが、タクヤ・さくらを演じた2人もとても良い感じでした。2人とも本作が初主演作であり、さらにさくらを演じた中西希亜良に至っては「演技経験ゼロ」なのだそうです。さくらは、セリフこそかなり少ない役でしたが、だからと言って易しいかというとそんなことはないでしょう。特に、物語の展開において非常に重要なシーンに絡んでくるので、言葉ではなく雰囲気でその状況を描き出さなければなりません。結構難しかったのではないかと思います。またタクヤは「少し吃音がある」という設定で、こちらも演じるのは容易ではなかったはずです。そしてこの2人が絶妙な雰囲気を醸し出していたことが本作の魅力に繋がっている感じがするし、見事だったなと思います。

いか

しかしホントに、池松壮亮はいいよね

犀川後藤

「この人が出てると観ちゃうランキング」に入りつつある

さらに、タクヤを演じた越山敬達が「4歳からフィギュアスケートを習っていた」という事実にも驚かされました。というのも、タクヤは「スケートがまったく滑れない」ところからスタートするからです。「本当は滑れる人間が滑れない演技をする」というのは結構難しいんじゃないでしょうか。それは、「自転車に乗れるのに乗れない演技をする」みたいに考えるとイメージしやすいかもしれません。滑れない演技、上手かったなと思います。

また、池松壮亮が演じた荒川は「元選手のコーチ」であり、当然、「スケートがメチャクチャ上手くないと成り立たない役」です。池松壮亮が元々滑れたのかどうかは知りませんが、やはりちゃんと様になっていて、もし「あまり経験がないところから本作の役作りのためにスケートの練習をした」というのであれば凄いものだなと思います。

いか

池松壮亮は、映画『ベイビーわるきゅーれ』のアクションにも驚かされたよね

犀川後藤

本格的なアクションはやったことがないって言ってたから、余計びっくりした

さて、役者の話で言うと、エンドロールを見てびっくりしたことがあります。「若葉竜也」の名前がクレジットされていたからです。彼の名前を目にした瞬間、「えっ? どこに出てた」と思ったのですが、すぐに「なるほど、あいつか!」と分かりました。でもホントに最後まで、あの役を「若葉竜也」だとはまったく認識出来ていなかったので、エンドロールを見て本当に驚かされたというわけです。菅田将暉もそうなんですけど、若葉竜也も、「メインどころじゃない役を演じていても違和感がないタイプ」であり、そしてそういう場合には本当に気付けません。いつもビックリさせられてしまいます

というわけで、映像も音楽も役者もとても素晴らしい作品でした。

最後に

本作『ぼくのお日さま』は、2024年カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクションとして唯一選ばれた日本映画なのだそうです。監督の奥山大史は、大学在学中に撮った映画『僕はイエス様が嫌い』でデビューし、本作が2作目の長編映画なのだそう。ホント、凄い才能だなと思います。羨ましい。

とにかく、実に素敵な作品でした。

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