【人権】チリ女性の怒り爆発!家父長制と腐敗政治への大規模な市民デモを映し出すドキュメンタリー:映画『私の想う国』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「私の想う国」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

公式HPの劇場情報をご覧ください

この記事の3つの要点

  • バケダノ広場に集まった120万人の群衆は、1週間前の「地下鉄料金の値上げ」を機に政権に「NO」を突きつけ始めた
  • 「73%が婚外子」「6割の家庭の世帯主が女性」という凄まじい状況でも何の対策もしない国に女性の怒りが爆発した
  • 「市民デモによる成果」と言っていいだろう大きな変化と、一筋縄ではいかない現実の難しさ

南米チリでのデモということもあって「音楽」に彩られた闘いであり、「こういう楽しそうなデモなら参加したい」と感じる人も多いんじゃないかと思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『私の想う国』は、家父長制と腐敗政治に抑圧されたチリの女性たちの怒りが爆発した大規模な「市民デモ」を映し出すドキュメンタリー映画

正直、積極的に観るつもりのなかった映画なのだが、観て良かったなと思う。これまで私は、『時代革命』『理大囲城』『これは君の闘争だ』など、「市民によるデモを捉えたドキュメンタリー映画」を色々と観てきたのだが、そういう作品に連なる、実に骨太の作品だった。

しかし、チリでこんなことが起こっていたなんて全然知らなかった。もしかしたらSNSなんかでは取り上げられていたのかもしれないが、私は普段SNSを全然見ないので、「テレビやYahooニュースなどで扱われていない出来事」には疎い。テレビやYahooニュースは「広く浅く色んなことを知る」には便利だと思っているのだが、やはり時々こうやってドキュメンタリー映画を観るなどして別の情報に触れないとなと思う

また、ブラジルでのデモを記録した映画『これは君の闘争だ』と同じ南米の出来事だけあって、「やはり『音楽』が重要になってくるのだなぁ」とも感じさせられた。日常生活の中に、当たり前のように「リズム」が根付いているのだろうし、そういう国で行われるデモは、誤解を恐れずに言えば「楽しそう」に見える。個人的には、デモにおける「楽しさ」は、賛同者を広げていくという意味でも重要だと思っているし、日本でもこういう雰囲気でデモが行われたらいいのになと思う。

チリが置かれていた実に厳しい状況

2019年10月25日、チリの首都サンティアゴにあるバケダノ広場に120万人もの市民が集まったそうだ。本作『私の想う国』には、その時の様子を捉えた空撮映像が使われていたが、辺り一面人だらけという感じで、なかなか壮観な光景だった。「120万人」と言われてもなかなかピンと来ないが、「東京23区で最も人口が多い区である世田谷区の人口が約95万人」「東京駅の1日の利用者数が約100万人」「岩手県の人口が約115万人」という感じだそうだ。まあそれでもよく分からないかもしれないが、しかし「『広場』と呼ばれる場所に収容できる人数じゃない」というイメージは持てるだろう。もちろん彼らは国に抗議する者たちであり、まさに市民の怒りが結集した集会だったのである。

では何故120万もの怒りが1箇所に集まるような事態になったのだろうか? 実はその最初のきっかけは「地下鉄料金の値上げ」だった。

その1週間前の10月18日、地下鉄の料金が30ペソ値上がりしたという。30ペソは80円ぐらいらしいが、そもそも元の料金がいくらで、何%ぐらい値上がりしたのかみたいな話は出てこなかったのでよく分からない。とはいえ事実として、市民はこの決定に猛反発した。それは市民の実力行使を引き起こし、多くの人々が示し合わせたように「地下鉄の料金を払わない」という行動に出たのである。「不払い」が「怒りや憤りを表す手段」として一気に広まったのだ。これはSNS時代ならではの行動と言えるのではないかと思う。

市民が地下鉄の値上げにここまで反発したのには、チリの人々が置かれている苦しい状況が関係している。年金制度はお粗末なもので、年老いた夫婦が路上で物売りをしなければ生活できないレベル。また、生計を支えるために子どもが学校を辞めなければならなくなったり、銀行から借り入れを拒絶された母親が息子を学校に通わせることを諦めなければならなかったりもする。本作には、そのような窮状を語る者が多く登場するのだ。

また本作『私の想う国』では、ジャーナリストや専門家などへのインタビューも行っている(ちなみに、一般市民も含め、本作でインタビューを受けていたのは人物は全員女性である)。そしてその中で、「貧困世帯の大半は、1人で子育てをしているシングルマザー」「チリの子どもの73%が婚外子」「貧困世帯の世帯主の6割以上が女性」という厳しい状況が説明されていた。国全体が厳しい中で、さらに女性がより一層辛い状況に置かれていたのである。

なのに国は、そのような状況に対して何もしようとしない。チリではなんと、政治家が5つの系列の親族で占められているそうで、ごく一部の特権階級によって国の運営が行われているようなのだ。そういうこともあり、多くの人は「政治家は私腹を肥やしている」と考えているし、実際にその通りなのだと思う。

本作では、そのような状況を引き起こしたきっかけについても触れられていた。1973年にピノチェトによるクーデターが起こったのだ。そしてこれによってチリでは軍事政権が誕生したのである。

本作の監督は実は、この時のクーデターによって追いやられたアジェンデ大統領の密着ドキュメンタリーを撮っていた人物であり、そのこともあり、彼は軍事政権発足後に国外逃亡を果たしていた。その後ずっと海外で活動していたのだが、祖国で「第2のチリ革命」の動きがあることに気づき、2019年に帰国、再びカメラを回し始めたというわけだ。

公式HPには、軍事政権発足後の経緯についても触れられている。ピノチェト政権は1988年に国民投票で敗北し、1989年からはチリでも民主化が進んだそうだが、憲法や社会制度は軍事政権下のものがそのまま流用された。そのため、「権力を持たない者が搾取される」という構造は変わらないままだったのだ。さらにチリでは依然として家父長制が敷かれており、そのことも相まって、「女性が当たり前に有しているはずの権利」が迫害されてきたという。

そんな国が長い時を経て目覚め始めたのだ。そしてその鼓動を映し出すのが本作『私の想う国』なのである。

「女性の怒り」こそがデモの原動力になっていた

先述した「地下鉄暴動」を機に、リーダー不在、イデオロギー不定のまま、市民は、自身とその生活をただ守るために連帯しデモを続けた。それは「音楽を奏でながら主張を繰り返す」という平和的なものから、「道路のコンクリートを砕いた投石だけを唯一の武器に警察と闘う」という激しいものまで様々だったが、個人的に印象的だったのは(そして本作でも中心的に取り上げられていたのは)、女性たちが口にしていた「詩」である。この詩は「ラス・テシス」と名乗る4人の女性が生み出したもので、デモの際には多くの女性が、この詩をシュプレヒコールのように叫んでいた

その詩の中に、こんな一節がある。

どこに居て何を着ていても私の罪じゃない。

このフレーズは逆説的に、「チリの女性は『どこにいるか』『何を着ているか』で迫害されている」ことを示していると言えるだろう。集まって一体となってこの詩を叫んでいる女性たちは、比較的「布面積の少ない服」を着ていた。恐らくだが、普段なら街中でそんな格好は許されないのだと思う。つまり、そういう服装でデモに参加することで、「お前たちに屈することはない」という姿勢を明確に示しているというわけだ。

このように、この「第2のチリ革命」では、女性の熱気こそが原動力となっていたデモに参加しているのはもちろん女性だけではないが、少なくとも本作『私の想う国』では、女性に強く焦点が当てられている「家父長制を背景にした現状に『NO』を突きつける女性の怒りが爆発したデモ」だということを強調しているのだろう。

先ほど、「73%が婚外子」「6割の世帯主が女性」というデータを示したが、つまり「子育てをしている人の大半がシングルマザー」ということになるはずだ。そしてだとすれば、それはちょっと異常な状況ではないだろうか。しかし恐らくだが、そのような状況にも拘らず、当時の政権は子育て支援など一切しなかったのだと思う。作中に登場した女性は、「子どもを預けるところがないので仕事にも行けない」と話していた。相当切羽詰まった状況にいたのだと思う。

しかしそういう中でも女性たちは、国に「NO」を突きつけるために闘い続けたのだ。

冒頭で登場した「ガスマスクとゴーグルを付けた女性」は、「出かける時は毎回、近所の人に『息子のことをよろしく』と声を掛ける」と言っていた。投石などで警察と闘う激しいデモに参加している彼女は、「自分がいつ家に戻れなくなるか分からない」と考えているのだ。また、デモ開始直後から写真を撮り続けていた女性カメラマンは、「軍の攻撃が目に当たり、左目の視力がほとんど失われてしまった」みたいに言っていた。さらに、チリに戻りカメラを回し始めた監督は、激しい攻防戦が繰り広げられる様を見て、「まるで内戦じゃないか」とナレーションを入れている。恐らく、そんな激しい戦闘がずっと続いていたわけではないと思うのだが、何にせよ、性別関係なく最前線で闘い、国に自分たちの意思を示し続けたのである。

デモによってどんな変化がもたらされたのか?

時系列ははっきりしないものの、市民デモは次第に「武力を伴わないもの」に変わっていったのではないかと思う。若者が「ジャンプしない奴は警察!」と声を上げながら飛び跳ねたり、あるいはかなり巨大に見える何かの壁を多くの人が鍋や石など様々なもので叩いたりするなど、人々は様々な形で抵抗の意思を示し続けた。そして、リーダーもイデオロギーも存在しないそんなデモは、やがてカビルドと呼ばれる住民集会へと発展していく。そして人々は次第に「改憲承認」を目標に一致団結し始める。ピノチェト政権下で作られた憲法が今も継続して使われていることこそが問題の本質なのであり、その憲法を変えることが新しい国づくりの第一歩になるという考えが強くなっていったのだ。

そして驚くべきことに、「市民による抵抗」に屈する形で、なんと「改憲の是非を問う国民投票」の実施が決まったのである。そして当然と言えば当然だが、改憲支持に8割以上の票が集まり、実際に制憲委員会も発足した。本作では「チェス競技者」と紹介された女性もインタビューを受けていたのだが、彼女も制憲委員会のメンバーの1人であるらしい。メンバーがどのように選出されたのかは分からないが、制憲委員会の議場に集まった人の大半が女性であるように私には見えた

ちなみにその議場は、1973年のクーデターの際にピノチェトが議員を追い出した時から長い間空っぽだったそうだ(私の記憶では、そんな風にナレーションで説明があったように思う)。クーデター当時を知る監督は、「まさかここに人が入るとは」と感慨深げに話していた

さらに2001年には、36歳のガブリエル・ボリッチが世界で最も若い大統領として就任することが決まる。市民デモの成果が結実したと言っていいんじゃないかと思う。さて、本作『私の想う国』で描かれていたのはここまでなのだが、その後については公式HPに記されていた制憲委員会が作った憲法が2度に渡り国民投票にかけられたのだが、なんと2度とも「否決」という結果に終わってしまったそうだ。難しいなと思うが、仕方ない部分もあるだろう。「改憲」には賛成でも、その中身の判断にはより個々の信条が反映されるはずだからだ。

というわけで、どうやら今も改憲は実現していないようだが、変化の兆しは見えている。何にせよ、どういう形であれ「市民の生活がちゃんと整う」という方向に全体が進んでほしいものだなと思う。

最後に

さて、不謹慎を承知で改めて書くが、本作で描かれるデモは「楽しそう」に見える東京に住んでいると、実際に街中でデモが行われている様子を時々目にするが(もちろん東京以外でも行われているだろうが、頻度は少ないんじゃないかと思う)、日本のデモはどうも楽しそうに見えないし、だから「参加したいな」という気分にはあまりならない。「国民性の違い」と言われたらそれまでだし、南米のように「音楽で盛り上がろうぜ~」みたいなデモが日本で馴染むとも思えないが、何にせよ「『自分も参加してみたい』と感じてもらえるデモをどんな風に”デザイン”するか」という視点はとても大事だと思う。そういう視点抜きにイデオロギーだけで押し切ろうとしても、なかなか賛同は得られないんじゃないだろうか。

そしてそもそもだが、「デモのデザイン」云々以上に「屈せずに主張し続けることの大事さ」みたいなものを感じさせられた。もちろん日本はチリほど酷い状況にはないだろうが、それでも「国や権力者に対して訴えるべきこと」は色々とあるはずだ。私自身も特に何かしているわけではないので「お前が言うなよ」という話ではあるのだが、「主張」や「議論」が自然と生まれるような社会であってほしいものだなと思っている。

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